第八章 ダンガル潜入
アプサラスを追い払ってやっと魔力の解けたロレンゾは、方向感覚も取り戻し、夜空の星座の形や風の方向からダンガルがどの方角にあるかも判断できるようになった。
三日の歩行の後、マルス、マチルダ、ピエール、ロレンゾの四人の目の前に、目指すダンガルの町はその姿を現した。オアシスの側に出来たその町は、遠くから見ても美しい町である。石造で、アーチ状の屋根を持つ大きな宮殿と寺院が町の真ん中に並び、それを取り巻いて庶民の小さな家々が無数にある。
「賢者の書はあの寺院の中ですか?」
マルスがロレンゾに聞いた。
「多分な。だが、もしかしたら寺ではなく宮殿の方かもしれん」
ロレンゾが答える。
二人の話を聞いていたピエールが不審そうに聞いた。
「おい、その『賢者の書』ってのは何だよ」
「わしらが目指す獲物さ」
「俺が欲しいのは本じゃなくて、賢者の石だぜ」
「賢者の石か、そういうものがあれば、世の中の金という金は無意味になるな。そんなものは無いよ」
ロレンゾはぬけぬけと言った。
「おい、じゃあ俺を騙してここまで連れてきたのかよ」
「騙したわけではない。お前はわしらと同行する運命にあると、お前の顔に書いてあったのじゃ」
「また、訳のわからんことを」
「賢者の石は嘘じゃが、賢者の書はそれよりも大事なものじゃ。世界を救う鍵なのじゃよ」
「世界などどうなろうと知ったことか」
「あわてるな。ザイードの宮殿にはお前がこれまで見た事も無いような財宝が無数にあるぞ。お前の獲物はそれにすればよい」
「……まあ、ここまで来て帰るわけにもいかんから付き合うが、二度と俺を騙すんじゃないぞ」
「よしよし、まあ、機嫌を直してくれ。ところで、王宮と寺院には、お主とマルスに忍び込んで貰う事にする。マチルダには少し危険すぎる仕事じゃからな」
「あんたはどうするんだよ」
「もちろん、マチルダを守ってやる仕事がある」
「楽な仕事ばかりしやがって」
「まあ、そういうな。マチルダは、いわばマルスの守護神みたいなものでな、マルスの力を引き出すには彼女の存在が必要なのじゃ」
「ちえっ、俺の守護神はいねえのかよ」
「大丈夫じゃ。この旅の終わりには、お前にも素晴らしい女神が現れるとわしの卦に出ておる」
「……信じられねえな。いつ、そんな卦を立てた」
「なに、お前の顔にお前の運命は現れとる。人、いずくんぞ隠さんや、じゃ」
「どうも一々うさんくさいな。まあいい、ここで揉めててもしょうがねえ、とにかく町に入ろう」
四人は、顔を塗料で褐色に塗っていたので、町に入ってもそれほど目立つことはなかった。町の人間の半分は褐色の肌の南部グリセリード人で、残る半分は黒人である。男は大体ゆったりとした上着にパンタルーン、頭にはターバンという姿で、グリセリード人の多くは顎髭を長く伸ばしており、女は黒い帽子に、顔の下半分はヴェールで覆っている。
「あんたはもともとグリセリード人みたいだから、変装が楽でいいやな」
ピエールが周りを見ながら、ロレンゾに言った。
町は多くの人々が歩いて賑やかである。男の多くは家の戸口で水パイプを手に煙草を吸い、女たちは頭の上に壷や何かを載せて歩いている。通りは白昼の光が眩く、影も濃い。
とりあえず四人は町の酒場で、飯と酒を注文した。砂漠を越える間の粗食でご馳走に飢えていた四人は、出てきた食事を貪り食った。
「ああ、人心地ついたぜ。ジャンの奴にもこいつを食わせてやりたかったな」
ピエールの言葉で、他の者はジャンの死を思い出してしゅんとなってしまった。
「おっと、お前らを責める気はないんだ。どうせこういう商売だから、お互いいつ死んでも文句は言わねえことにしている。ただ、ちょっと懐かしく思っただけだ」
「ジャンの事はまったくわしの過ちじゃった。わしがあのアプサラスに騙されさえしなければ、ジャンを死なす事も無かったのじゃが……」
ロレンゾが力無く言った。
「まあ、いいさ。嘆いたところであいつが生き返るわけでもないし」
ピエールの言葉に、マルスは思いついて、ロレンゾに聞いてみた。
「ジャンを魔法で生き返らすことは出来ないのですか」
ロレンゾは難しい顔でしばらく考え、答えた。
「まあ、無理じゃな。死体が残っていればともかく、あのように溶けてしまったんでは、たとえ霊魂を呼び戻しても、帰る体が無い。それに、死者を甦らす魔法は、魔法の中でももっとも困難なものじゃ。仮死状態から息を吹き返すという事なら、魔法でなくても無数に起こっているが、本物の死人を生き返らすことが出来るのは神か悪魔だけじゃろう」
「そうですか……」
マルスは力無くうなずいた。
宮殿潜入の事は明日考えようということで、その夜は四人は旅の疲れのため、宿屋で死んだように眠ったのであった。
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