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少年マルス 25

第二十五章 城内の戦い

まずい、とマルスは思った。
町の傭兵軍が、あまりに町から遠く離れすぎてしまったように見えたのである。
もしも周りを囲まれたら、ギーガーたちは町に戻れなくなり、なぶり殺しにされるだろう。
だが、ギーガーはさすがだった。一見真剣に戦っているように見せながら、じりじりと退却し、途中でかなわぬと見せて逃げ出した。
野盗たちはそれを見て勢いづき、ギーガーたちの後を追いかけた。町の四方を囲んでいた敵軍は、今は町の正面に集まり始めていた。
ギーガーたちは跳ね橋を渡って城内に逃げ込んだ
逃げ遅れた兵士が何人か敵の集団の中に呑みこまれるのが見える。
矢の射程内に入った敵を目掛けてマルスは次々に矢を射た。このような乱戦では、狙いが定めにくく、数に限りのある矢が勿体無いが、少しでも多く、敵にダメージを与えておきたい。
敵軍は、数を頼みとして、マルスの矢も恐れず城門に殺到してきた。ギーガーたちの後からすでに城内に敵が走りこんでいる。その中にはシルヴェストルの姿もあった。
マルスはシルヴェストル目掛けて矢を放ったが、運悪く他の敵兵がその前を横切ったため、目指す相手には当たらなかった。
「あの、城壁の上の弓兵どもを射殺せ! 縄を掛けて城壁に上って切り殺せ。弓兵一人を殺した者には五百リムやるぞ。正面の小僧を殺せば千リムだ」
シルヴェストルは上を見上げて怒鳴った。さすがに戦なれしており、弓兵が彼らの邪魔になることをよく知っている。
敵兵のおよそ四分の三ほどが外門の中に入ったところで、ロープで吊り下げてあった鉄格子を切って落とし、残る敵兵を城の外に締め出した。これもアンドレの策の一つである。同時に、内門も閉められ、さらに敵軍は分断された。敵軍のうち、城の本丸まで入った数はおよそ百名ほどであり、内門と外門との間に取り残された者が二十名ほどいる。その二十名ほどは他の射手に任せ、マルスは本丸に入った敵軍を次々に矢で射た。
最初の計画では、外門と内門の間にもう少し敵を入れて、じっくり矢で射る予定だったが、内門の中に入った敵軍が予想より多い。
マルスは城壁の上を移動しながら、眼下の敵を目掛けて矢を放つ。敵が城内に入ってからおよそ二十分ほどの間に、二十名ほどがマルスの矢によって死に、あるいは戦闘不能になっている。しかし、敵の剣に追われて逃げ惑う味方の姿も見える。マルスは、味方を追う敵から狙っていった。敵の中には民家に入って上方からのマルスの矢を避ける者もいる。
マルスはさらに、町の奥のほうに向かって城壁の上を移動した。
見下ろすと、敵の中には、通りの真ん中の落とし穴に落ちている者や、頭上から石を落とされて怪我した者もいる。しかし、シルヴェストルを含め、大半の敵兵の姿が見当たらない。
マルスの心に焦りの気持ちが湧いてきた。味方に何か悪い事でも起こっているのではないだろうか。
もはや城壁の上から倒せる敵はすべて倒したと見極めをつけ、マルスはロープを使って下に滑り下りた。ロープは味方に引き上げて貰う。マルスと一緒にオーエンも、その他の守備兵も下り、城壁の上には弓兵十人だけが残った。
マルスと十人の若者は、町の通りを走って敵兵を探した。
敵兵たちはそれぞれ民家の中に入り込み、町民を探し出そうとしているようである。
もちろん、町民はそれぞれ組になって敵に備えているが、町民だけではやはり敵には対抗できない。
マルスは、町民に襲い掛かる敵兵を見つけて、打ち掛かった。一、二合切り結ぶとすぐに相手を切り倒すことができた。板金の鎧で完全武装をしている敵は数名であり、鎖帷子程度では、剣の打撃を受け止めることはできない。
「マルス! 敵は町の奥の袋小路よ。今、ギーガーたちが戦っているわ。でも、負けそうなの。助けに行って」
マチルダの声だった。
マルスは振り向いて、マチルダを見た。マチルダは、緊張した顔に微笑を浮かべた。
(無事だった……)
マルスは嬉し涙を流しそうになったが、こらえて「うん」とうなずいた。

ある小さな民家の二階で、アンドレは机の上に町の地図を広げていた。その地図の上には戦闘のあった場所と、死んだ敵の数、味方の数が書き込まれている。それらはみな、マチルダと何人かの子供達が報告したものである。
「これまでに死んだ敵の数は四十七人、怪我で戦闘不能になっているものが二十六人、味方の捕虜になっているものが三人いる。城内に入った人数は百三人だから、残りはあと二十七名だ。
味方の被害は、死んだのが八名、大怪我をしたのが十九名、ほとんどは傭兵隊の兵士だが、町民も大怪我をしたのが六名いる。幸い、といっては傭兵たちに悪いが、町民の死者はまだいない」
アンドレは護衛役のオズモンドに言った。というより、独り言のようなものである。
開けたままのドアの向こうに、マチルダが顔を覗かせた。
「マルスはオーエンたち十名とともに、ギーガーの救援に向かいました!」
息をはずませて報告する。それを聞いて、アンドレはにっこり微笑んだ。
「よし、これで戦闘はほぼ終わりだ。各部署にいる町民をすべてギーガーたちの戦闘場所に集めて敵を取り囲むように伝えてくれ。われわれも向かおう」

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少年マルス 24

第二十四章 決戦

 それから三日、町民たちはアンドレの指示のもとに、敵兵を迎え撃つ準備にかかった。
 町の通路のあちこちには落とし穴が掘られ、狭い通り道の上からは石を落とす仕掛けが作られた。町に火をかけられた時のために、あちらこちらには消防用の水桶が準備される。
 味方の守備位置と攻撃要領、退却要領が徹底して訓練され、退却の際にどのように援護するかも教えられた。
高齢の老人や病人、幼児は町の深部の建物に集められ、それ以外は女子供に至るまで各自が扱える武器を手にして戦うのである。
一番のポイントと思われるのは、城の二重壁の外壁と内壁の間で何人の敵を倒せるかである。そのすべてはマルスの弓にかかっていた。
最後の夜には、参事会はそれまでの食糧制限をやめ、人々に心行くまで腹いっぱいに食べさせ、翌日の決戦にそなえた。

そして、決戦の日の夜明けが来た。
すみれ色の空は下に行くに従って透明な水色に変わり、東の空は朝焼けで美しい薔薇色に輝いている。自然の営みは、人間世界の悪や悲惨と関わりがない。
マルスは城壁の上に立って空を眺めた。もしかしたら今日が自分の最後の日になるのかもしれないのだが、不安や恐れはまったくない。不安は自分のことではなく、マチルダやトリスターナがこの戦いを無事に生き延びることができるかどうかだけである。もちろん、オズモンドやジョンのことも心配だ。だが、戦いが始まれば、自分は敵の最後の一兵に至るまで殺すしかない。今のマルスには何の迷いも無かった。
「マルス、朝御飯よ」
後ろから声を掛けられてマルスは振り向いた。
マチルダであった。
「有難う」
マチルダの手渡したパンとワインをマルスは受け取った。パンにはチーズがはさんである。
「いよいよね」
「うん」
「マルス、死なないでね」
「大丈夫だ。そっちこそ、気をつけるんだよ」
マチルダはうなずいた。言いたいことはあるが、言葉にならない。
「さあ、マチルダ、持ち場に戻って。あと半時ほどで戦が始まる」
マルスは弱くなりそうな自分の心を励まして言った。
マチルダは伸び上がってマルスの唇に自分の唇を押し付けた。
マルスはほっそりと柔らかなマチルダの体を力一杯に抱きしめた。
「本当よ。絶対死んじゃ駄目」
マチルダはそう言って、涙を隠すように身を振りほどき、足早に去っていった。
マルスの唇には今のマチルダの唇の感触が残っていた。マチルダの言葉とはうらはらに、もう、これで死んでもいい、とマルスは考えていた。

やがて、下に見える広場に町の傭兵軍が整列した。彼らが城の外に出て、敵と一戦交えて、城内に敵を引き込むのである。
「マルスさん、早いですね」
城壁に上ってきた若者がマルスに声を掛けた。城壁の上にはマルスの他に弓兵が十人と、城壁の上に上って来る敵兵から弓兵を守る防御兵が二十人いる。防御兵は身軽な若者の中から腕達者が選ばれている。アンドレの考えでは、この戦いの勝敗は、マルスたち弓兵が城壁の上からいかに多くの敵兵を倒すかにかかっており、城壁の上に敵が上って弓兵が殺されるのが最も怖いのである。だから、城壁への階段はすべて壊されていた。上に上るには縄梯子を使い、上ったら引き上げる。しかし、下からロープを投げ上げて上ってくる敵兵がいるはずだから、それを撃退する者が必要である。上まで上ってきた敵とは剣で戦わねばならない。城壁の上の弓兵がいなくなったら、城内は敵の思うがままだろう。
マルスに声を掛けた若者はオーエンという十七歳の若者である。町民の中ではもっとも武術の才能があり、機敏なので、アンドレが特にマルスの副官兼護衛としてつけたのである。マルスの仲間の中では、オズモンドはアンドレの護衛、トリスターナは町の奥の隠れ家で老人や幼児の世話をし、いざと言う時には彼らを守る役目である。
マチルダは力は弱いが機敏なので、伝令係となり、城の各部署へアンドレからの緊急の指示を伝える。ジョンは城内に仕掛けられた罠を動かす指図をして回ることになっている。
マルスが見下ろしている広場にアンドレが姿を現した。いよいよ攻撃の開始である。アンドレが最後の訓示を与えているが、その声はここからは聞こえない。アンドレの側にしゃちこばって立っているオズモンドを見てマルスは微笑した。
やがて傭兵軍はギーガーを先頭に動き出した。城の内門が開き、幅五十歩ほどの外門と内門の間に一度整列して突進の準備を整える。
外門の前の跳ね橋が堀の上に下り、外門が開いた。
ギーガーが「突撃!」と叫び、馬に乗った傭兵軍およそ三十人は雷のような物音とともに跳ね橋の上を走り抜けた。
マルスが城壁の上から見ていると、はるか彼方で城を遠巻きにしていた野盗の軍勢も、城門が開いたのに気づいたようである。すぐさま準備を整え、突進してくる町民軍を迎え撃とうとしている。
こうして戦闘は始まった。

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少年マルス 23

第二十三章 アンドレ

マルスの木剣の打ち込みを受け損ねて、ギーガーは左肩をしたたか殴られ、大げさな悲鳴を上げた。
「痛っ!」
マルスは心配そうにその側に駆け寄ったが、幸い、骨を折ったりしてはいないようだ。
「いやはや、三つの町の傭兵隊長を務めたこのギーガー様を打ち負かすとは、マルス殿は剣を取ってもこの国一の勇者になりそうじゃ」
ここのところ、マルスはギーガーの指導で剣を習っていたのである。マルスだけではなく、オズモンドやジョン、いや、マチルダやトリスターナまで、最後の決戦に備えて剣と槍を習っていた。もちろん、他の町民たちも、武器を手にして戦える年頃の者は皆、戦の訓練をしていた。まだ幼児に近いような子供も、石を投げたり、灰を投げて敵の目つぶしをすることを教えられている。
町民の数はおよそ三百だが、その中で戦える人数は、老人、幼児を除くと二百五十人くらいであり、その中で武器が扱えるのはせいぜい二百人くらいである。純粋な戦闘員に勘定できる者となると、百人くらいだろうか。この前マルスの弓で五十人くらい倒されて、敵の数は減ったとはいえ、まだ百五十人ほどはいる。しかも彼らは専門の殺し屋たちである。町民たちが勝つのは至難の業だろう。
 
日が真上に昇った頃、参事会堂の扉が開き、五人の参事が中から現れた。
「決定を告げる。我々はあと三日のうちに、野盗どもと最後の決戦をすることになった!」
 イザークが大声に言った。広場に集まっていた町民たちは大きくどよめいた。
オズモンドは側のマルスと目を見交わし、喜びの顔で強く握手した。今の今まで、マルスが敵に引き渡されることになるのではないかと気がかりだったのである。マチルダとトリスターナはマルスに飛びついて、祝福のキスをした。
 騒ぎがひとしきり収まるのを待って、イザークは続けた。
「戦の総指揮はこのアンドレが行う。ギーガーとマルスには戦闘の采配を取って貰うが、戦略面はアンドレの指示に従うように。アンドレが死んだら、後の指揮はこのわしが行う」
 マルスはイザークの後ろに立っている若者を不思議そうに見た。女のようにほっそりとした二十歳くらいの若者で、色白の顔をうっすらと紅潮させている。
「あの人は?」
マルスは側のギーガーに聞いた。
「アンドレかい? イザークの孫だが、妙な男でな。ほとんど人と会わず、本ばかり読んでいるという話だ。なんでそんな男が戦の総指揮をするのかな」
ギーガーは忌々しそうに言ったが、マルスはそのアンドレという若者に興味を持った。ちょっと、普通の人間ではない雰囲気が漂っているのである。ここには場違いな感じで、迷子の天使が少し人間の仲間入りをしてみたとでもいった雰囲気である。
「あの人可愛いわね」
マチルダとトリスターナは女らしく男の品定めをやって互いに喜んでいる。

マルスとギーガーは参事会堂に呼ばれた。戦の相談だろう。
「始めに、僕の構想を言いますから、まずいところがあったら指摘してください」
アンドレは自己紹介もなく、すぐに本題に入った。
「まず、戦の場所ですが、城外ではなく、この城内に敵を引き入れて戦います」
「ふむ、まあ、どうせ負けたらそれで終わりなんだからな.それでもいいさ。俺としては広いところで思い切り戦いたいがな」
ギーガーが言った。
「いえ、これが最良の方法なんです。まず、こちらは城の地理に慣れてますが、敵は初めてです。それに、城内というものはもともと守備側が有利なように作ってあるのです。もちろんこの町は単なる城砦都市であって、本格的な防御設備はありませんが、それでも今から幾つか罠を仕掛けることもできますし、あちこちに人を潜ませて敵を不意打ちすることができます。皆さんの役割ですが、マルスさんには城の高いところを移動しながら、敵を弓で射て貰います。ギーガーさんには他の兵士たちと中心の通路で敵を迎え撃ちながら敵を罠に導く役目をして貰いたいのです」 
 聞いているマルスは直感的にこの戦略が優れていることが分かった。いや、この方法以外には敵に勝つ方法は無いと言っても良いだろう。
「次に、具体的な作戦ですが、まず城門を開けて外に打って出ます。少し戦ったところで味方は城に逃げ戻ります。すると、敵は中に攻め込んでくるでしょう」
「攻め込まなかったらどうする」と、ギーガーが口をはさむ。 
「次の機会を待ちます。しかし、十中八九敵は追ってきますよ。せっかく城門が開いたチャンスを逃すことはしないでしょう」
アンドレは淡々と言った。自分の言ったことに強い自信を持っているのだが、それを力説しようとするところはまったくない。いわば、それが数学の定理ででもあるかのように考えているのである。
「そううまくいけばいいがな。戦ってのは考えどおりにいくことは滅多にないものさ」
ギーガーが実戦派らしい疑いを呈したが、アンドレは気に掛けず、先を続けた。
 罠の内容、戦闘員の配備、戦闘の手順に至るまで、すべてがアンドレの頭の中で精密機械のように考え抜かれていることにマルスは驚嘆した。
 この男にとっては、戦争というものはチェスのゲームか何かと同じなのではないか。
 ギーガーの言うように、それが机上の空論なのではないかという一抹の不安はあったが、マルスはとにかくこのアンドレという男は天才的な頭脳の持ち主だと思ったものである。
 仲間たちのところに戻ったマルスはアンドレのことを仲間に話した。
「彼の言うとおりにやれば、この戦は大丈夫、勝つよ」

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少年マルス 22

第二十二章 飢餓の中で

しかし、事はそう簡単には運ばなかった。
マルスの弓を警戒した敵は、城を遠巻きにして持久戦に持ち込んだのだった。
幸い、川の側の城であるから、水には不自由しなかったが、二月半が過ぎて食糧が備蓄の半分を切ると、篭城側には焦りの色が濃くなってきた。

「病人の数がどんどん増えてますわ」
トリスターナが暗い表情で言った。
「今日も一人死んだわ。これで六人目よ」
マチルダも呟くように言う。
城壁の上で見張り番をしていた兵士が叫んだ。
「敵の使者が来たぞ!」
町の参事たちは広場に集まって、敵の使者を迎えた。使者は単騎である。
「何の用だ」
「町の代表に話がある。我々は赤髭ゴッドフリートとその仲間だ。我らの名は聞き及んでおろう。わしはその一の子分のシルヴェストルだ」
使者を取り囲んだ町民たちはざわざわと声を上げた。盗賊騎士赤髭ゴッドフリートと、その一の子分、命知らずのシルヴェストルの名は、国中に知られていたからである。彼らに滅ぼされた町は、小さな村は数知れず、城砦を持った大きな町も二つが彼らの為に滅んでいる。
町民のざわめきをシルヴェストルという男は満足げに眺めた。彼は四十前後の、骸骨のように痩せて筋張った男で、長い口髭を顎の下まで垂らしている。額には癇症らしい青筋が走っており、顔は日に焼けている。いわば、まったく愛嬌のないドン・キホーテといった趣であるが、この男と、もう一人、赤髭の配下の血まみれジャックの残忍さは広く国中に知られていた。
「どうだ、二月半も城に閉じこもって、飽き飽きしたことであろう。そのうち、食い物が無くなって、お互い同士食い合う事になる前に降参したらどうだ」
町民たちは顔を見合わせた。篭城戦の恐ろしさは誰でも知っている。篭城戦の末期に食べ物が無くなったある町では、子供達を殺して食ったという事も、事実、あったのである。
「今、降伏すれば寛大な処置を取ってやろうとゴッドフリート様は言っておられる。条件は只一つ、我々の仲間を散々殺した、憎むべき弓の射手をこちらに引き渡すだけでよい」
「言うことはそれだけか。我々がそのような条件を呑むとでも思うのか。そもそも、盗賊の言葉など我々が信じると思っておるのか」
イザークが怒りで声を震わせて言った。
シルヴェストルは肩をすくめてみせた。
「信じる信じないはそっちの勝手だ。せっかくの申し出をそっちが受け入れないなら、こっちはいつまででもお前たちが飢え死にしていくのを見物させてもらうだけだ。われわれには急ぎの用など無いのでな」
シルヴェストルは耳障りな高笑いを上げて、馬の首を後ろに向け、城門を出て行った。

シルヴェストルの言葉は、井戸に毒を投げ込んだようなものだった。
参事たちは連日、参事会堂で論議を重ねていたが、シルヴェストルの来た日の参事会では、マルスを敵に引き渡して降伏しようという意見が出たのである。
それを言ったのはやはりヨハンセンだった。
「どこの者とも知れぬ男一人を引き渡すだけではないか。それで町が救われるなら、引き渡せば良いのじゃ」
「お主は悪魔か! マルスが我々の為にあれほどの働きをしたのを見ていながら、彼を敵の手に引き渡してむざむざ殺させようというのか」
イザークがヨハンセンを怒鳴りつけた。
「戦の途中でいくら敵を殺そうが、戦に負けたら何にもならん。それに、敵が遠巻きに包囲している限り、マルスとやらの弓も何の役にも立たんではないか。つまり、奴はもはや我々にとって無益な存在じゃ」
ヨハンセンは言い放った。
「ヨハンセン、お主なぜそれほどに彼らにつらく当たるのだ。たとえ余所者じゃろうと、一月も一緒に過ごせば仲間であろうが。それに、連中はこの町にも珍しい、いい気立てを持った者たちじゃのに」
イザークは悲しげに言った。
他の参事の一人が、ゆっくりと口を開いた。
「わしはマルスを引き渡すのには反対じゃ。と言っても、それが可哀想だとかいうよりも、野盗どもが約束を守るはずがないと思うからじゃよ。マルスを引き渡して連中を城内に入れたが最後、奴らは我々を皆殺しにするであろう。野盗の約束とはそういうものじゃ」
もう一人の参事も言った。
「わしも同じ意見じゃな。マルスを引き渡すよりは、いっそこちらから城門の外に打って出て、決戦するのがよい」
「何を馬鹿なことを! 相手は百戦練磨の盗賊たちだぞ。この町に剣を取って戦える者が何人いるというのだ」
ヨハンセンは怒鳴った。
この日はとうとう結論は出ず、さらに日が過ぎ、食糧の配給は日に日に少なくなっていった。
そして、食糧の備蓄があと十日分ほどになった時、最後の参事会が開かれることになり、町民たちは正午に行われる参事会のその決定を首を長くして待った。

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少年マルス 21

第二十一章 篭城戦

マルスたちを探して町のあちこちを探していた他の仲間も皆オズモンドの側に来ており、マルスたちと一緒に連行されることになった。
「皆一緒なら安心ですわ」
とトリスターナは暢気なことを言っているが、参事会堂の一室に放り込まれた五人は、それから半日、何の食事も与えられず、さすがに意気消沈してしまった。
参事会堂の建物は、この国の他の建物同様、木造だから、その気になれば壁を壊して脱走することも出来そうだったが、そうすると彼らを庇ったイザークという老人の体面を潰すことになる。
イザークが彼らの前に現れたのは、天井近い小窓から見える夕日が沈みかかる頃だった。
「すっかり遅くなって済まなかった。篭城の手配で忙しくてな。ここに回ってくる暇がなかったのだ。まあ、これでも食べるがよい」
五人は目の前に出された食物に飛びついた。
「ところで、ヨハンセンの言ったことは本当か」
イサークの言葉に、マルスは捕らえられた時のいきさつを話した。
「ふむ、ヨハンセンらしいやり方だ。だが、ヨハンセンの言葉が嘘だという証拠も無い以上、お前たちをわしが勝手に釈放するのは難しい」
「簡単な証拠があります」
マルスが言った。
「ふむ? と言うと?」
「明日、私に弓を返してください。そうすれば城の壁の上から外の野盗たちを何人でも射てみせましょう」
「ほう、弓に自信があるみたいだな。よかろう。明日連れに参ろう」
「私たちは病人や怪我人の看護をさせてください」
トリスターナが言った。
「そうしてくれれば助かる。お主らの働き次第では、きっとヨハンセンも自分の誤りに気づくだろう」

翌日、マルス、オズモンド、ジョンの三人は城壁の上に連れて行かれた。
鋸の歯のようになった壁の上部の間から覗くと、町の周囲を囲む野盗の騎馬隊が見える。
その数は、歩兵を含め、およそ二百人くらいだろうか。町の裏は切り立った崖であり、その下は川になっているので、敵は前と右と左の三方にいる。
敵は今、正面の堀にどんどん土を入れて、堀を埋めにかかっている。その後ろにある大きな機械は破城槌である。堀が埋められたら、次はその破城槌の出番である。破城槌で門が破られたら、もはや為す術はない。盗賊たちの前に町民はすべて殺戮されるだろう。その前に女たちがどのように凌辱されるかも想像できる。
マルスは敵を皆殺しにする決意を固めた。このような場合、敵への同情や憐れみは無用である。敵への同情や憐れみは自分たちの死につながるのだ。いや、マチルダやトリスターナの身には死よりもひどいことが行われるだろう。
マルスは弓に矢を番えて、きりきりと引き絞った。
狙いをつけて放たれた矢は、およそ二百歩ほどもある堀の向こうに居並ぶ盗賊の一人の胸板を射抜いて、矢尻はその背中まで突き抜けた。
わっと驚いて、盗賊たちは動きを乱し、城内に向けて手に手に矢を射掛けたが、そのほとんどは石壁までも届かず、堀の中に落ちた。
マルスは続けざまに矢を射た。自分で持っていた二十本の矢はすぐに尽き、周囲の弓兵の持っていた矢を借りて、二時間ほどの間でおよそ五十人ほどの敵を射殺し、あるいは傷を負わせた。もしも自分で作った矢であれば、ほとんど百発百中だっただろうが、質の悪い矢では、この距離ではどうしても命中率は六、七割程度に落ちる。それでも、敵の矢がほとんどこちらに届かないことを考えれば、マルスの存在によって敵がこの城を攻略するのが非常に難しくなったのははっきりしていた。
こちら側の被害は、敵の投石器による怪我人が数名と、矢による被害が一人だけである。
敵がマルスの矢を恐れて、ずっと後ろに退避し、矢が届かなくなったので、マルスは一休みすることにした。
「素晴らしい腕前だ!」
傭兵隊長のギーガーが握手を求めてきた。彼は城壁の上に立って、マルスが散々に敵を射殺す様をずっと見ていたのである。
「お主がいる限り、この戦いは勝ったようなものだ」
マルスはギーガーの手をほどいて、仲間たちの所に戻った。
オズモンドの隣に立っていたイザークが、傍らのヨハンセンに言った。
「どうだ、これでこの方があの盗賊たちの仲間でないことははっきりしたであろう」
ヨハンセンは気難しい顔をして言った。
「確かに、あの盗賊の仲間ではなさそうだ。だが、他の盗賊の仲間かも知れぬて」
そして、ぷいと立ち去った。
「まったく頑固で疑り深い男じゃ。だが、お主らの嫌疑はこれで晴れたぞ。それどころか、お主らには最高の待遇をしよう。まことに、マルスとやらのあのような弓の腕はこの国始まって以来じゃ。まさしく神技じゃな。お主らの御蔭で、もしかしたらこの戦いは勝てるかもしれん。大事なお客様じゃ」
その夜はイザークの言葉通り、マルスの今日の武功を称える祝宴が行われた。
篭城戦が始まって暗く閉ざされていた人々の顔は、今はマルスのために明るかった。

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少年マルス 20

第二十章 広場での論争

男はマルスの抗弁にはまったく耳を貸さず、側の兵士にマルスとマチルダの処刑を命じた。
「広場の処刑場でこいつらを切り殺せ」
男がそう命じると、兵士の一人が
「女もですか? そいつは勿体無い。町の女郎屋に売れば、高く売れますぜ。こんな美人は上級市民の奥方にもいない。なんなら、わしにくださいよ」
と、よだれを流しそうな口ぶりで言った。マチルダはそれを聞いて、ぞっとした。
「いかん。罪人は生かしてはおけん」
マルスとマチルダは後ろ手に縛られて、兵士に護衛され、町の広場に連れて行かれた。
マルスは、その気になれば、手を縛られていても一人で逃げる自信はあったが、マチルダだけを残すわけにはいかない。それに、広場に行けば仲間たちの目にも留まるだろう。いいチャンスを待とうと考え、マルスは連行されるままになっていた。
広場では人々が朝日の中でそれぞれの朝の営みをやっている。
店を開ける者、露店の準備をする者、荷車で野菜や品物を運ぶ者。人間だけでなく、犬や鶏や豚の声が騒がしいが、活気に溢れたその物音や動物の匂いさえ、処刑を目の前にした二人には愛しく感じられる。
「マルス! マチルダ! その姿はどうしたんだ」
連行される二人を見つけてオズモンドが二人に駆け寄って叫んだ。
「近寄るな。この二人は火付けの、いや深夜徘徊の罪で処刑される。手を掛けるとお前も同罪になるぞ」
兵士が言った。
「深夜徘徊の罪だと? この町ではそれくらいで処刑されるのか。どういう罰を受けるのだ?」
「死刑だ。斬首されることになっている」
オズモンドはあまりの事に声を失った。
その時、オズモンドの後ろから声が掛かった。
「深夜徘徊で死罪になるという法はないぞ」
オズモンドが振り向くと、一人の老人が立っていた。年は六十過ぎくらいだろうか、禿頭で白髭の、非常に威厳のある、知的な顔の老人である。
「これはイザーク様、しかし、これはヨハンセン様がお決めになった事で……」
「ヨハンセンか……。参事と言えども、掟に反した振る舞いは許されぬはずだ」
「はっ、しかし、私としては参事殿のご命令に背くわけにはまいりません」
「ならば、ヨハンセンを呼んで参れ。私が話してみよう」
やがて兵士の後ろから大股に、先ほどマルスたちに死刑の命令を下した男がやってきた。
「イザーク、筆頭参事といえども、他の参事の下した決定を勝手に変えることは出来んはずだぞ!」
ヨハンセンと呼ばれた男は大声で怒鳴った。
「ヨハンセン、お主の独断専行のやり方には他の参事も皆迷惑しておる。確かに参事には町の諸事件を判断し、決定する権利があるが、それは他の参事との合議の上で行うのが不文律ではないか。仮にも人を死罪にするほどの判決をお主だけの判断で行って良いと思うのか」
イザークは静かに言った。
「町の危急を救うためだ」
「それはどういう事だ」
「この者たちは余所者だ。余所者が深夜に町を徘徊していたというだけでも十分に怪しいではないか」
「ふむ、町の決まりを知らなかっただけではないか」
「我が町の法には、知らなかったから許されるという条項はない」
「深夜徘徊で死罪にするという条項もないぞ」
「参事は危急に際して人を死罪に出来る権利がある」
「だから、それは合議の上となっておるではないか! それに、何が危急だというのだ」
マルスとマチルダはこの論争がどうなるかと息を呑んで見守っていたが、決着は思わぬ所から現れた。
城の門に立っていた兵士が、赤い旗を掲げ、大声で怒鳴った。
「敵の来襲だ! 野盗どもがやってきたぞ!」
それまでマルスたちの事件を眺めていた広場の人々は、この声でたちまち右往左往し始めた。
町の大門と中門は閉められ、大門の前の堀にかかった跳ね橋は上げられた。
「それみろ、こいつらはきっとあの野盗どもの仲間に決まっておる」
ヨハンセンが勝ち誇ったように言った。
「それは分からん。たまたま出来事が重なっただけかもしれん。だが、とにかくしばらく取り調べてみることにしよう。この者たちを参事会堂に連れて行って監禁しておけ」
イザークの言葉に、オズモンドは思わず
「我々もその二人の仲間だ。その二人を監禁するなら、我々も一緒に監禁しろ」
と言った。
マルスは内心、まずいなと思ったが、オズモンドの気持ちは嬉しかった。本当は、全員が監禁されるよりも、外で自由に活動できる者がいた方がいいはずなのだが。
イザークという老人は、ほう、と言うようにオズモンドを見た。
「囚われの仲間の身を案じて、自ら仲間だと名乗り出るとは、立派な義侠心だ。どうだ、これだけでもこの人たちが立派な人達である事が分かるではないか。ヨハンセン」
「無考えなだけだ」
 ヨハンセンは言い捨てて大股に歩み去った。

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少年マルス 19

第十九章 誤解

最初の出会い以来、マルスはマチルダをことさらに冷静に眺めようとしていた。只の高慢な貴族の娘であり、自分とはまったく縁のない相手だと思い込もうとしていたのである。しかし、旅に出て以来、ふと気づくとマチルダのきれいな横顔を思わず眺めていることがよくあった。マチルダの方もトリスターナのことでマルスをわざと意地悪い言葉でからかったりしたが、その言葉にはもはやほとんど毒はなかった。今ではマルスをすっかり信頼し、頼りきっているくらいだ。そうなると、明るく美しく頭のいいマチルダのような少女が、同じ年頃のマルスを引き付けないはずはなかったのである。そして、実のところ、マチルダの方も決してマルスに無関心どころではなく、マルスほど純朴な少年でなかったら、マチルダは自分に気があると確信できる態度もしばしば見られたのであった。
やがてマルスは荷台から体を起こし、他の者を起こさないようにそっと馬車から降りた。
夜明けまであと三、四時間くらいだろうか。眠れないまま荷台に身を横たえているのも耐えがたいので、町を歩いてみようと思ったのだ。
後ろから小さな声がマルスを呼び止めた。
「マルス? どこへ行くの」
マチルダだった。
「うん……眠れないんで、ちょっと散歩してくる」
「私も行くわ」
マチルダも馬車から滑り降りた。
二人は黙って肩を並べて歩いた。
城内は敷地の一辺がおよそ七、八百メートルくらいだろうか。その中には大通りがあって、その両側に住居が立ち並んでいる。かなり大きな池もあり、その周囲は果樹なども植えられている。
「さっきは有難う」
マチルダが小さく、恥ずかしそうに言った。
「うん。何もなくて良かった。驚いただろう?」
「ええ、あんな奴もいるのね。あんな人、初めて見た」
「そうだな。気をつけなきゃあな」
「マルス……」
「うん?」
「これまで意地悪ばっかり言って御免ね。ううん、助けられたから言うんじゃないの。一度謝ろうと思っていたんだ」
「……何も謝ることはないさ」
「この旅に一緒に付いて来たのもマルスには迷惑だったでしょう?」
「迷惑なんてことはない。来てくれて良かったと思ってるよ」
「本当?」
「ああ、君たちのお陰で、随分慰められている。一人で旅していたらと思うとぞっとする」
「良かった。迷惑がられているんじゃないかと気になってたんだ」
二人はまた黙り込んで歩いた。
 前方から人が来るらしい様子があった。
「夜警かな」
マルスの胸に不安が過ぎった。こんな夜中に外を出歩いていると、何かまずいことになるんじゃないだろうか。
その不安は的中した。
「おい、お前たちは何者だ。こんな夜中になぜ出歩いている」
カンテラを手にして近づいてきた数人の男は、兵士ではなく普通の市民のようだが、夜警であることは確からしい。
「怪しい奴らだ。この町では見かけぬ顔だが、もしかして他の町の者か。火付けでも企んでいたのではないか」
マルスは、両手を上げて、火付けの道具など持っていないことを示したが、夜警たちは納得しなかった。
「とにかく番所まで来い。そこで取り調べよう」
マルスとマチルダが連れて行かれたのは、町の中心にある大きな建物だった。
マルスが説明するのに一切耳を貸さず、夜警の男は
「尋問は参事会の方が行う決まりだ。言いたいことは明日参事様の前で言うがいい」
の一点張りだった。

翌日、日が高く上った頃、マルスとマチルダの閉じ込められた牢屋に、兵士二人を連れた一人の男が入ってきた。
年の頃は五十前後だろうか。白い髭に眉毛は黒々とした精力的な顔つきの男である。
「昨夜火付けを企んだというのはお前達か」
 男は、冷酷な目でマルスとマチルダを見て言った。
「火付けなど企んでいません。誤解です」
「ではなぜ、真夜中に町をうろついていた」
「月がきれいなので散歩していただけです」
「散歩だと? この町にはそのような物好きはいない」
「我々とは風習が違うのでしょう。アスカルファンでは夜に出歩くのはごく普通のことです」
「アスカルファンの者か。では、アスカルファンの者が何でこんな所に来た。その方がよほど怪しいぞ。この町を攻めるための下見か」
「馬鹿な」
マルスは言ったが、この男を説得するのは難しそうだと感じざるを得なかった。

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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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