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少年マルス 11

第十一章 ガイウス

「まあいい。貴族自身に貴族階級を否定しろと言っても無理な話だ。だが、俺は泥棒だが、貴族や国王よりは自分はずっとましだと思っている。国王だの貴族だの言っても、元は山賊や野盗に過ぎん。そいつらにびくびくするのは単にそいつらが力を持っているからだけのことだ。もしも国民が自分らを尊敬したり感謝したりしているとでも思ったら大間違いだぜ」
ピエールはオズモンドに向かってそう言った。
「……もしかしたら君の言う通りかもしれん。だが、僕自身は人に対して悪い事はした事はないつもりだ」
「そこが分かってないってところさ。個人の問題じゃないんだ。いいか、お前さんがいい暮らしが出来るのは誰の御蔭だ? みんな国民の年貢の御蔭だろうが。その年貢を払うのに国民がどんな苦しみをしているのか分かっているのか?」
「いや、考えたこともなかった」
「まあ、俺だって人の物を奪って暮らしているんだから偉そうな事が言えた義理じゃあないんだが、お前さんとの違いは、俺は自分が泥棒だと分かっているが、お前さんたちは自分が泥棒だと分かっていないって事だ」
思いがけず、話が深刻なものとなり、一座は重苦しい雰囲気に包まれた。
「まあまあ、皆さん、そんなに暗くならずにやりましょうよ。そりゃあ、世の中、理不尽な事はたくさんありますが、結局、どうせ王様は必要ですし、一気に王様や貴族を無くすこともできんでしょうから、とりあえず悪い王様や悪い貴族にはその内やめてもらうってことで手を打ちましょうや」
召使のジョンが雰囲気を和らげようとふざけた調子で言った。
「そういう事だな。そいつが中々難しいんだが」
ピエールも言い過ぎたと思ったのか、軽く言った。

翌日、マルスたちはピエールらと別れてガレリアに向かった。
ガレリアについたのはその日の夕方だったが、ピエールの言った通り、町は戦の前のものものしい雰囲気だった。
あちらこちらに、各地から集まってきた傭兵たちがたむろし、酒に酔って騒ぎを起こしている。彼らにとっては戦は稼ぎ時であり、むしろお祭りであった。
傭兵たちの多くは、剣か槍を手にしただけの軽装備である。鎖帷子を着ているのはいい方で、鎧や兜のような値の張る物を持っている者は少ない。
中に一人、全身を黒い鎧兜に包み、槍を持った三人の従者を従え、馬に乗った騎士がいた。
「ガイウス様だ」
マルスの後ろで人々が囁いた。
「ガイウスとは何者です?」
マルスは側の男に聞いた。
「カルロス様の弟君で、この国第一の勇者です」
広場に馬の足を止めたガイウスは、兜の面頬を上げ、顔を顕した。三十代くらいの彫りの深い浅黒い顔の男で、片目は見えないのか、眼帯をしている。いかにも凄みのある顔つきである。
「傭兵隊長のキューザックはどこだ!」
ガイウスは大声で怒鳴った。
人々のざわめきの中で、町の酒場にいたらしい傭兵隊長があたふたと現れた。
「今日で、集めた兵は何人になった」
「はっ、百五十人ほどです」
「少ないぞ。村々を回って、百姓の倅どもを掻き集めて来い。食事は只だし、一日五十エキュの日当を出すと言えば、すぐにも千人以上、いや、二千人は集まるはずだ」
「しかし、百姓では戦はできません」
「戦に必要なのは兵士だけではない。物を運ぶ者、城攻めや要塞造りの人夫、槍持ちに至るまで、人手がいるのだ。たかのしれた兵士一人より、人夫一人の方が必要なこともあるぞ。それに、剣や槍の技など、三日もあれば教えられるはずだ。もし、三日以内に千人の兵士を集めきれなければ、お前は首だ」
言い捨てて、ガイウスは踵を返し、歩み去った。
傭兵隊長のキューザックは、ガイウスに怒鳴られた腹いせに、自分の部下を殴りつけ、酒場に戻って行った。
「この様子では、カルロスの宮殿に行くことはできんな。おそらく、捕まえられるのがおちだ」
オズモンドはマルスに言った。
「グルネヴィアはここから遠いのか?」
マルスはジョンを振り返って言った。
「そうですね。距離は大した事ありませんが、山のだいぶ高いところにありますんで、行くのは大変ですよ」
「ならば、僕一人で行こう。君たちはここの宿屋で待っていてくれ」
マルスの言葉に、マチルダが膨れっ面をした。
「あら、私も行きたいわ。グルネヴィアの修道院は名所ですもの、一度は行ってみないと。山道だって平気よ」
「なら、やはり皆で行こう。その方が安心だ」
オズモンドの言葉で、一行はマルスと共にグルネヴィアを目指す事になった。
広場で酒盛りをする傭兵たちの騒ぎを耳にしながら、マルスたちは眠りについた。

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少年マルス 10

第十章 不穏な情勢

「お前の得物は何だ? 剣か槍か棒か。何でも相手になってやるぞ」
ピエールはうそぶいた。
「殺し合いをするほどの事じゃない。素手でいこう」
「素手か。いいだろう」
二人は互いの隙を窺っていたが、ふとしたきっかけで、ピエールが飛び込んでパンチを繰り出した。マルスはピエールのパンチを上手くかわして、逆にその胃袋にパンチを叩き込んだ。ピエールはうめき声を上げたが、こらえて左フックを放った。その左フックはマルスのこめかみをかすり、一瞬ふらっとさせた。なかなかのパンチの持ち主らしい。
何度かのパンチの応酬の後、マルスはピエールが出したストレートパンチの腕を捉え、引っ張るように肩に担ぎ上げ、柔道の肩車のように地面に叩きつけた。ピエールはうっと声を上げて悶絶した。
マルスはピエールの側に立って相手を見下ろした。
「どうだ、まだやるか」
「参った。降参だ。弓は返すよ。ペンダントは売っちまった」
ピエールはぼうっとなった頭を振って意識をはっきりさせながら言った。
「よし。じゃあ仲直りに一杯やろう。あんたには一度食事をおごられている。今度は僕がおごろう」
「そいつは有難い。お前、なかなかいい奴だな。気に入ったぜ」
食堂に戻ったマルスは自分たちの席にピエールとジャンを合流させた。以前に弓を盗まれてはいるが、マルスにはこの二人が悪人には思えなかったのである。素朴な田舎者ではあるが、マルスは人を見分ける力があった。カザフの村でも、山の猟師仲間でも、マルスが直感的にこいつは信じられないと思った人間は、たいていその後で何か悪事をしでかしていた。逆に周囲から変人扱いされている人間でも、マルスが認めた相手は、大体隠された美点の持ち主だった。
「この二人は泥棒のピエールとジャンだ」
マルスは仲間たちに二人をそう紹介した。
「おいおい、ひでえ紹介の仕方だな。こちらの美人は?」
ピエールは早速マチルダに目を付けたらしい。
「僕の妹のマチルダだ。僕はオズモンド。こっちは召使のジョン」
「召使も一緒に食事するとは、中々話せるな。俺は自分は貴族だと威張りくさっている奴が大嫌いでね」
「じゃあ、マチルダとは気が合いそうもないな」
オズモンドは澄まして言った。
「あら、私がいつ威張ったというのよ」
マチルダはそう言い返した。
「まあ、兄弟喧嘩はやめだ」
マルスが押しとどめ、これまでの四人にピエールとジャンを加えた六人は一緒に夕食を取った。
「ところで、お前さんたちはこれからどこに行くんだい?」
ピエールがマルスに聞いた。
「ガレリアだ」
「ほう、そいつは気を付けた方がいい。ガレリアはこの頃、なにやら不穏な気配がある」
「と言うと?」
マルスが聞き返すと、ピエールはあたりを窺うように声を潜めて言った。
「兵を集めて、戦争の準備を進めているようだ」
「国王への反乱か?」
「多分な」
「だが、領主カルロスのモンタナ家は国王の一族だぞ」
「一族とは言っても傍系だ。王位継承者は何人も国王家の中にいる」
「ポラーノ郡は富裕な所で、何の不足もないはずだが」
オズモンドが不審そうな顔で首をひねった。
「ああいう連中の欲望は限りがないものさ」
ピエールは、あっさり言った。
「国王が誰になろうと構わんが、戦は困るな」
マルスは呟いた。
「おいおい、国民は皆、国王の恩を受けているだろうが」
オズモンドはマルスをたしなめた。すると、ピエールがすぐに言った。
「いや、王や貴族が平民に恩を受けこそすれ、平民は王や貴族から恩は受けていない。王や貴族がいない方がこの世はずっと住み易いはずだ。俺の生まれたのは西のゲール郡だが、そこの領主は面白半分で住民を苛めて喜ぶような奴だった。俺の親父は、盗んでもいない馬泥棒の罪を着せられ、何日も晒し者にされて、殺されたんだ。その領主夫人ときたら、もっと残酷な奴で、百姓娘の顔がきれいなのが気に入らないと、その娘の鼻を削ぎ落とさせたんだぜ。こんな奴らに俺達が何の恩義を受けていると言うんだ?」
苦々しげに言うピエールの言葉に、オズモンドは言葉を失った。
「……だが、そんなひどい領主はほんの一部だろうし、とにかく誰かが国は治めないといけないんだから、その領主がいい人間か悪い人間かの違いだけが問題なんじゃないか?」
 口ごもりながら、オズモンドはやっとのことで言った。

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少年マルス 9

第九章 ピエールとの再会

「うちの炉では、一月で荷車一台分くらいがせいぜいだが、向こうは荷車二十台分くらい作る。しかも、うちは雨の降る時期は仕事ができないが、向こうはいつでも作れる。水車を使ったふいごで石炭を焚いて鉄鉱石を溶かすんだ。ただし、質は木炭で作ったうちの鉄のほうがいいがな」
少年は聞かれもしないのに家の内情をぺらぺら喋った。お喋りな子供のようだ。 
「君はジョーイと言うのか? あの小屋の主人の息子だな」
「ああ、あんたはどこへ行くんだい?」
「ガレリアに行く途中だ」
「ガレリアか。いいな。俺はこの山から出たことがない。ところで、製鉄所に何の用があったんだい?」
「弓の矢尻を作ってもらえないか聞きにきたんだ」
「馬鹿だな。そんなの、鍛冶屋か馬具屋に頼むに決まってるじゃないか」
「俺のいたところでは、何でも自分で作っていた。鉄を作るなら、鉄製品も自分で作るのかと思ったんだ」
「あんた、案外田舎者なんだな。格好だけは町者風だが」
「ああ、今はバルミアに住んでいるが、しばらく前まではカザフの上の山に住んでいた」
「俺と同じ山人か。猟師だな」
「そうだ」
また遠くから「ジョーイ!」と呼ぶ声が聞こえた。
ジョーイは肩をすくめて小屋に向かって歩き出そうとしたが、振り返って言った。
「矢尻は、俺が作ってもいいぞ。ただし、今は駄目だ。製鉄の仕事が忙しくて、他の仕事なんかやったら親父にどやされる。何か、見本になるものはあるか?」
マルスは袋から予備の矢尻を一つ取り出して、ジョーイに渡した。
ジョーイはそれをポケットに入れて、小屋の方に歩み去った。

旅籠に戻った時には日はすっかり暮れていた。
「何か収穫はあったか」
オズモンドに聞かれて、マルスは山での出来事を語った。
「馬鹿みたい。その子、あんたを騙したのよ」
マチルダが言った。
「どうかな。騙されたにしても、矢尻一つのことだ」
オズモンドはマルスを弁護したが、ジョンもマチルダに味方した。
「いや、矢尻一つでも、買えば六十エキュはします。只で人にくれることはありませんよ」
もったいない、とジョンは肩をすくめ、首を振った。
翌日、旅籠を出てガレリアを目指したマルスたちは、やっとガブール山脈に近い小さな町に着いた。ここからガレリアまではあと一日の距離である。
「この町は何と言うんだ?」
オズモンドがジョンに尋ねた。ジョンは若い頃にレントを出て、ローラン家に勤める前はあちこち放浪していたので、地理に詳しいのである。
「フレスコです。モンタナ家の代官ゼビアスが治めている町です。あまり評判の良くない男のようですよ」
マルスたちはとりあえず旅籠に宿を取った。
夕食は食堂で取ることになっており、何人もの客が集まっていた。
その中にマルスは見知った顔を見つけて驚いた。
「おい、あんた、俺を覚えているか」
マルスはその男の所につかつかと近づいて、言った。
男は暢気な顔で、うん?とマルスを見上げた。すでに少々酒が入っているらしい。
「俺の弓とペンダントはどうした」
「はてな、あんた誰だい。弓って何の事だ」
「とぼけるな。俺から盗んだ弓を返せ。泥棒野郎」
「こいつは聞き捨てならねえな。いきなり人を泥棒呼ばわりされたんでは決闘でもしなきゃあならんことになるぞ」
男はもちろんピエールであった。マルスが山からバルミアに向かう旅の途中で、マルスを酒に酔わせて父の形見の弓とペンダントを盗んだ男である。
入り口から入ってきた男がマルスとピエールを見て、驚いたように立ち止まった。ジャンである。
「おい、どうした」
ジャンは二人の側に足早に近づいた。
「いや、この小僧が訳のわかんねえ事を言うんで困ってるとこよ」
「俺達に喧嘩を売ろうという気か」
マルスたちの様子を見守っていたオズモンドとジョンも、マルスを守ろうと寄ってくる。
マルスは手で二人を制し、二人組みの盗賊に言った。
「あの弓とペンダントは父の形見なんだ。返してくれたらこの弓をやる」
マルスの差し出した弓に、ピエールはちらっと目をやり、すぐにそっぽを向いた。
「何で俺が見も知らねえ奴と自分の大事な弓を交換しなけりゃあならねえんだよ。欲しけりゃあ力づくで来な」
「よし、分かった。ここでは皆の迷惑だ。外でやろう」
マルスとピエールは旅籠の裏庭に出た。
食堂の客たちは面白い見物だとばかり、ぞろぞろと続いて外に出て来た。
マルスとピエールは向かい合って立ち、互いに睨み合った。

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少年マルス 8

第八章 山の製鉄小屋

「この山の北にも国があって、森と湖が多く、とてもきれいな所らしいですよ」
ジョンが言った。
「アルカードというんだ。美しい国らしいが、アスカルファンの者で、アルカードに行って戻ったものは少ない。いつか行ってみたいものだな」
オズモンドが馬車の中から言った。
マルスはグレイの腹を軽く蹴って、先の様子を見てくることにした。
ポラーノに入ってから三日になるが、ガレリアはまだ見えない。マルスの目的は、ガレリアよりも、さらにその北、山腹にある宗教都市グルネヴィアにあった。アスカルファンの国教、エレミエル正教の寺院、修道院がいくつも集まったグルネヴィアには、もしかしたら叔母のトリスターナがいるかもしれない。叔母のことは、オズモンドを通じて聞いただけだが、北の修道院にいることは確実なようだ。但し、グルネヴィア以外にも修道院はあと二つあり、そこでなければ、あと二つの町を訪ねてみなければならない。
叔母に会えば、もしかしたら父の消息がわかるかもしれない。オズモンドも、ジルベールのことについてはほとんどわからず、ただ、若い頃に旅に出たまま行方不明になっていると聞いていただけである。
マルスが馬を進めていくと、街道は二つの道に分かれた。右手の道の側には小さな川が流れ、その上流は山に続いていた。ガレリアのあるミュヨー山は連山であり、これは独立した山だから、左の道を行くべきだろう。だが、マルスは川岸の砂が一面黒くなっているのに気づいた。
近づいて、ナイフを砂に近づけてみると、細かな鉄粉がナイフにくっついてきた。磁鉄鉱の粒、つまり砂鉄である。川岸に多量の砂鉄が溜まっているということは、上流で鉄作りをしている可能性がある。
馬車に戻ってオズモンド等とともに、マルスは川の上流へ向かう道を登っていった。
山の麓に旅籠があったので、そこで一休みし、オズモンドたちはそこに残してマルスは一人で山に登っていった。
やがて道は尽きたが、獣道を通っていくと、見通しの利く谷間に、煙の立ち上っているのが見えた。その谷間を川が流れ、煙は川の側の小屋から立ち上っているらしい。
突然、前の茂みがガサガサと鳴り、巨大なものが姿を現した。
一瞬、熊かとマルスは身構えた。
現れたのは人間だった。だが、ほとんど巨人と言ってもよい身の丈で、マルスの二倍近い高さがある。黒人で、頭には毛がなく、でっぷりと太っているが鈍重な感じではない。
男はマルスを見て驚いたようだった。
「お前、何者だ。こんなところで何してる」
大男は、背中に背負っていた薪を下ろしながら、たどたどしい口調で言った。
「この辺に、鉄を作っているところはないか。鉄を買いに来たんだ」
「商人か。うちの主人が鉄を売る相手は決まっている。会っても無駄だ」
「会わなければ、いい話かどうか分かるまい。まず、会わせてくれ」
 大男は少し考えていたが、頷いて言った。
「よし、分かった。会わせるからついて来い」
大男がマルスを連れて行ったのは、やはり先ほど見た谷間の小屋だった。
崖に沿って幾つかの炉が並び、そのうち半分ほどから煙が立っている。
一つの炉の前で、炉に木炭を並べ入れている中年の男がここの主人だろう。髭も髪も炉の熱で短く焦げており、背中が曲がっているのは、クル病だろうか。
「ジョーイ、どこへ行きやがった。あの役立たずめ!」
マルスの来たのにも気づかず、男は怒鳴り声を上げた。
「ご主人様、お客です」
「客だと? こんなところに何の用だ」
男はマルスに顔を向けた。男の顔は右半分が醜く焼け爛れていた。右目は潰れているようだ。まるで、神話のバルカンのような男だ。
「鉄の細工をお願いしたいのだが」
「お門違いだ。うちは鉄作りであって、細工はせん。細工は町の鍛冶屋に頼むがいい」
「ならば、鉄を仕入れたいが、幾らくらいだろうか」
「うちは決まった問屋にしか品物は売らん。問屋から買いな」
マルスは、交渉をあきらめることにした。男の言うのはもっともである。顧客への義理もあるだろうから、よそ者が、いきなり製造現場に来て交渉するのは無理がある。
 マルスが小屋から離れて林の小道に入ると、林の中から現れた者がいた。
 まだ十四、五歳の赤毛の少年である。マルスよりはずいぶん幼く見えるが、顔つきは無邪気さと抜け目なさの混じったようなところがある。
「兄さん、鉄が欲しいんかい?」
「ああ」
「うちはやめといた方がいい。もう少し上に行くと、もう一つ製鉄場がある。そこは人を十人以上も使って鉄を作っている。うちはもうすぐ終わりさ」
マルスはあけすけな少年の言葉に、思わずその顔を注視した。

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少年マルス 7

第七章 北への旅

 ケインの店は様々な道具や雑貨を扱っていたが、中には弓や槍や剣もあった。ほとんどは安物だが、それでも買う客はいる。
マルスはケインの店に、自分の作った弓を置くことにした。
いつも気に入ったものができるわけではないが、材料はほとんど只だし、平均して二日で三丁の弓と十本の矢を作り、弓は二十リムから五十リム、矢は二リムで、よく売れた。大きなパン一個が五十エキュ、つまり半リムくらいだから、矢一本で一日の食費くらいは簡単に稼げるわけである。
マルスの作った弓と矢は評判が良く、他の町に持っていくと、数倍の値段で売れたようである。
マルスは毎朝、近くの山に材料を探しに行き、良い木の枝や細竹を何本も束にしてかついでくる。午後はずっと、その材料で弓と矢を作るのである。
問題は、矢の矢尻の材料とする鉄が高価なことである。
マルスは、北の町に行ってみようと考えた。北の方には、鉄の取れる山があるらしい。そこは温泉も出て、修道院もある。もしかしたら、自分の叔母のいる修道院もあるかもしれない。その叔母から、父の消息も聞きたかった。
マルスがその事をオズモンドに話すと、オズモンドは、自分も行く、と言い出した。
「僕はほとんどバルミアから出たことがないんだ。一度旅をしてみたいと思っていた」
側で話を聞いていたマチルダが、「私も連れて行って」と言ったが、オズモンドは邪険に、「女なんか連れて行けるか。足手まといだ」とにべもなく言った。
その場はそれで収まったが、出発の朝、マルスがオズモンドを迎えに行くと、オズモンドの側には旅支度をしたマチルダが、澄ました顔で立っていた。
「おい、これはどういうことだ?」
マルスが小声で聞くと、オズモンドは忌々しそうに、
「聞かないでくれ。どうしてもあいつを連れていかにゃあならんのだ」
と言った。
どうやら、何かで妹に脅迫されたものらしい。
オズモンドとマチルダは、ジョンというレント生まれの中年の召使が御者をする馬車に乗り、マルスは、ここ一ヶ月ですっかり丈夫になったグレイに乗って行くことにした。
「行く先は、ガレリアですな」
ジョンはのんびりとした長い顔に似合ったのんびりとした声で言った。
「ガレリアはいいところだ。バルミアもいいが、私なら、老後はガレリアで過ごしたい」
「あなたの隠居場所を探しにいくんじゃないわよ」
マチルダにやりこめられたが、ジョンは「へいへい」と軽く受け流している。

マルスはジーナの事を考えていた。
ジーナもこの旅に付いていきたがったのだが、ケインが許さなかったのである。
ケインはマルスを非常に気に入っていて、実の息子のように思っていたが、結婚前の男女が二人で旅をするのは良くない、と考えたのだった。
馬車の中で相変わらず喧嘩をしているオズモンドとマチルダを見ながら、マルスは少し寂しさを感じていた。それは、山にいた頃は、たとえ一人きりで山小屋に一月閉じ込められても決して感じなかった感情だったが。
「どうですか、マルスさん。兄弟ってのはいいもんですな。あんなに喧嘩ばかりしていても、オズモンド様はマチルダ様が可愛くてたまらんのですよ。マチルダ様もオズモンド様が本当は大好きだし」
ジョンが、御者台から身を乗り出して、中の二人に聞こえないようにささやいた。
マルスが「そうだな」と答える前に、馬車の中から
「ジョン、何か言った? お前、マルスなんかに余計な事を言ったら承知しないわよ」
とマチルダが言った。
ジョンは肩をすくめて、言った。
「何も言いませんよ。明日の天気はどうかな、と話しただけで」
「そんな話を何でひそひそ話すのよ。だいたいジョンは生意気よ。お兄様が甘やかすもんだから。この前もメラニーがお尻を触られたと騒いでいたわ」
「それは誤解です。何気なく手を出したところに、あの子のお尻がたまたまあっただけで。いわゆる偶然のいたずらという奴ですな」
「そんなに女のお尻が触りたければ、さっさと結婚なさい」
「と言われても、私は独身主義ですからなあ」
「まあ、あんたと結婚してくれる相手を探すのは干草の山に落ちたピンを探すより難しいだろうけどね」
「お嬢様の口達者にはかないませんな。お嬢様と結婚なさるお方も大変だ。ねえ、マルスさん」
「いるとすれば、そいつは殉教者より偉いな」
「なんですって? 少なくともあんたとだけは、この世が終わりになって、世界にあんたと私しかいなくなっても、ぜえったいに結婚しませんからね」
マチルダの喚き声から逃れるため、マルスはグレイの腹を軽く蹴った。

バルミアを出て、十日後、前方にまだ白く雪をかぶったガブール山脈が見えてきた。
目的地のガレリアは、あの山の麓である。

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少年マルス 6

第六章 マチルダ

「何だって? 君はオルランド家の者なのか。じゃあ、貴族じゃないか。オルランド家の先先代はこの国の宰相も勤めた名門中の名門だ」
「だが、僕の身を明かす証拠は何も無い。父の形見のペンダントがあったんだが、旅の途中で盗賊に盗まれてしまったんだ」
「そうか。それはまずいな。だが、まあ、そのうち君の身を明かす機会もあるだろう。下手に名乗り出ると、危ない気がする。今の当主は、あまり評判の良くない男だからな」
「アンリか?」
「そうだ。ジルベールが行方不明なのをいいことに、オルランド家の当主の座を自分のものとし、妹はどこかの修道院に押し込めてしまったという話だ」
「妹、というと僕の叔母か。そんな人がいたとは知らなかった」
「非常に美しい人だったらしいがな」
マルスは考え込んだ。自分に叔母がいたなら、会ってみたい気もする。
食堂の戸口で足音がした。
マルスが振り向くと、誰かが足早に入ってくるところだった。
すらりとした体つきの、びっくりするほどきれいな少女である。
年は十五、六くらいだろうか。ジーナよりは三つ四つ下に見える。実に華やかな感じで、きれいなことはきれいだが、つんと顎をしゃくりあげたような、高慢そうな少女だ。
「お兄様、わたしのボンボンを勝手に食べたでしょう」
「知らんよ。お前の仲良しのメラニーが食ったんじゃないか」
「メラニーはそんな意地汚いことはしません」
「俺ならやるってのか」
「そうです。お兄さんは食いしん坊だから」
「お前ほどじゃないよ」
客の目の前での突然の兄弟喧嘩に、マルスは戸惑ったが、そんな事にはお構いなしに二人はひとしきり言い合った後、息を切らして言いやめた。
「お兄様、この方は?」
「マルスだ。僕の友達だ」
「だって、この方平民でしょう?」
「貴族だよ。オルランド家の人だ」
「嘘よ。貴族がどうしてこんな身なりをしているの」
マルスは思わず、口を開いた。
「身なりで決まるんなら、あんたも平民の身なりをしたら平民になるってことだな」
「まあ、失礼な。貴族はどんな身なりをしても貴族です。持って生まれた気品というものがあります」
「それなら、僕の知り合いの商人の娘はあんた以上に貴族らしい貴族だな」
「んまあ、何て事を。お兄様、こんな得体の知れない者にこんな事を言わせていいのですか?」
「いいとも。僕の言いたい事を見事に言ってくれたよ」
オズモンドの妹はぷんと膨れっ面をして部屋を出て行った。
「ああ、静かになった。まったくうるさい奴だ」
「君の妹かい?」
「ああ、マチルダというんだ。気を悪くさせたら謝る。口は悪いが、あれで気のいいところもあるんだ。親父が甘やかしたもんだから、高慢で、我侭に育ってね。……ところで、さっき言ってた商人の娘ってのは、君が昨日一緒にいた娘さんかい?」
「ああ、ジーナと言うんだが、旅の途中で知り合ってね」
マルスはケイン一家を盗賊から救った話をしようかと思ったが、自慢話みたいになるので、それは言わなかった。
「そうか、べつに君の恋人というわけじゃあないんだな」
オズモンドは安心したように言った。
「ところで、王室付きの占い師のカルーソーってのは知ってるかい?」
マルスは思いついて、そう尋ねてみた。
「知ってるよ。占い師というよりは学者だな。魔法も多少は使えるらしいが」
「その人と会うことはできないかな?」
「王様以外にはあまり人と会わないようだが……」
「もし、その人に会えたなら、ロレンゾという魔法使いを知っているかと聞いてくれないか」
「分かった。機会があったら聞いてみよう」
食事も終わったので、マルスはオズモンドの屋敷を辞去することにした。
「いつでも好きな時に訪ねてきたまえ。召使たちにはそう言っておくから、僕が不在でも上がればいい。食事でも何でも召使に命じればいいから」
オズモンドはにこやかにそう言ってマルスを送り出した。

ケインの家に戻ると、ジーナが心配そうに出迎えた。貴族は気紛れだから、昨日はああ言ったものの、マルスが門前払いを食うのではないかと考えていたのである。
ケインの家の夕食は、オズモンドの家の食事に比べると話にならないくらい質素なものだったが、心がこもっていて、この方がマルスには美味く感じられた。

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少年マルス 5

第五章 オズモンド 

「いざと言う時に弓が折れては命に関わる。もっといい弓を売るんだな」
マルスは言い置いて、その場を離れた。
「おい、ちょっと待ってくれ」
後からマルスを追いかけてきたのは、先ほど弓を買おうとした若者である。
「さっきは有難う。おかげで、インチキな弓を買わずに済んだ」
マルスは足を止めた。
「あの商人には悪い事をした。向こうも商売なんだから、あんな物を売るのも仕方が無い。買う方が、気をつけるべきだ」
「ううむ。確かに、こっちに見る目が無かったのは問題だが、僕はあまり武術はやったことがないんだ。ところで、僕の名はオズモンド。君は?」
「マルスだ」
「そうか。マルス、友達になろうじゃないか。どうやら、君は弓にかけてはなかなかの腕の持ち主のようだ。僕は、いずれ王室付きの武官になるはずだが、武術にはまったく自信がない。どうか僕に弓を教えてくれ」
マルスは若者の率直な話し振りが気に入った。
「いいとも。だが、僕は平民だ。君は貴族だろう?」
「大丈夫だ。僕の家では、僕がイエスといったら、何でもそれで通るんだ。僕の家は、セントリーナのローラン家だ。明日にでも訪ねてきたまえ」
「分かった。訪ねよう」
マルスは、オズモンドがマルスに話し掛けながらも、絶えずジーナを意識していることに気づいていた。
オズモンドが去った後で、マルスはジーナにその事を言った。
「彼はジーナが好きなようだよ」
「嘘よ。だって、あの人、一度も私の方を見なかったわ」
「だからおかしいのさ。ジーナみたいなきれいな子がそばにいるのに一度も見ないなんて不自然だよ」
「私はきれいじゃないわ。この町には私なんかより何倍もきれいなひとはたくさんいるわよ。そのうちマルスにもわかるわ」
ジーナは笑ってうち消したが、マルスには、ジーナほどきれいな子はいないだろうと思われた。

翌日、マルスは町の中心地、セントリーナに、オズモンドを訪ねた。
セントリーナは、王宮に至るなだらかな斜面に貴族たちの邸宅が立ち並んだ一帯である。
オズモンドのローラン家は、その中でも特に広大な邸宅で、塀に囲まれた敷地の、森に見まがうような林を抜けると、広く明るい庭があり、庭には一面に芝草が生え、庭の中央には池がある。池の周りは神々や怪獣の石像で囲まれ、池には中央の石像の口から水が絶えず流れ出ている。
「オズモンドに、マルスが会いに来たと伝えてくれ」
長い顔に長い鼻をした召使に告げると、召使の男は、オズモンドから聞いていたのか、すぐにオズモンドに取り次いでくれた。
「やあ、マルスか。よく来てくれた」
二階から急ぎ足に下りてきたオズモンドは、笑顔でマルスを迎えた。
マルスはオズモンドに、手にしていた弓を渡した。
「これをあんたにやろう。この弓なら、どんなに強く引いても折れることはない。これが矢だ。今はこれだけしかやれないが、そのうちもっと作ってやる」
弓と矢は、昨日ケインの家に帰ってから、近くの林で取ってきた木材で作ったものだ。
二人は庭に出た。
マルスはオズモンドに手本を見せた。マルス自身は誰に教わったわけでもなく、父親のやり方をみようみまねで覚えたものだが。
マルスは無造作に、二十歩ほど先の木の幹を射た。
ヒュッと矢は飛んで、木の幹の中心に刺さった。
オズモンドの目には、一条の光の筋が走ったように見えた。
近づいて刺さった矢を確かめると、三尺ほどの矢の五分の一近くが、木にめり込んでいた。オズモンドの力ではその矢を抜くことはどうしても出来なかった。
マルスがオズモンドに代わって、矢を引き抜いた。
「失敗した。矢尻が木の中に埋まって抜けてしまった。後で別の矢尻をつけよう」
オズモンドは感嘆の目でマルスを見た。
「君の弓は神業だ。どうしたら、そんなになれるんだ?」
「長くやっていたら誰でもそうなるさ」
弓の練習の後、オズモンドはマルスを昼食に招待した。
ちょうど腹もすいていたので、マルスはその招待を受けることにした。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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