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少年マルス 4

第四章 首都バルミア

「私の名はケイン、これは妻のマリアと娘のジーナです。私たちはバルミアで雑貨商を営んでおりますが、時々巡礼も兼ねて地方へ行商に参ります。今回は北の聖地グルネヴィアにお参りした帰り道で、あのような乱暴者たちに出会って危ういところをあなた様に救われた次第です」
道々、男はそのように自己紹介した。家族は荷物を驢馬に積んでおり、自分たちは徒歩で旅していたらしい。その驢馬は道から少し離れたところで草を食べているのが見つかった。命が助かっただけでなく、荷物も無事だと知って、ケインは大喜びだった。
マルスはグレイを供にこの家族と旅を続けた。
「バルミアまでは、あとどのくらいですか?」
「そうですな。この調子ですと、あと三日ですかな。なんとか、聖フランシスコの祭りには間に合いそうです。なにしろ、商人には稼ぎ時ですから、祭りの三日前くらいには帰りたいものです。ところで、あなたはどのような御用でバルミアに行かれるのですか? さしつかえなければお聞かせねがえますか」
マルスは彼らに、父ジルベールの事を語った。
「何と! あなたはオルランド家の若君ですか。いや、おっしゃられれば気品が並みではない」
「しかし、私の身を明かすものは無いのです。たった一つ持っていたペンダントは、この旅の途中で、二人組みの悪者に盗まれまして」
「二人組みの悪者?」
「はい、ピエールとジャンと名乗ってましたが」
「ほう、そのピエールは年の頃は二十七、八、ジャンはまだ十九くらいの若者ですか?」
マルスは商人があの二人を知っているのに驚いた。
「その通りです。御存知ですか?」
「有名な盗賊です。いつも二人だけとは限りませんが、この二人で組むことが多いようです。普通は金持ちしか狙わず、滅多に人を殺めないので妙に人気があるのですが、お話を聞けば、ただのこそ泥ですな。まあ、もともと商人にとっては収税人と盗賊は、不倶戴天の敵ですがね」

三日後、一行はアスカルファンの首都、バルミアに着いた。
バルミアは人口約三万人の大都市であり、アスカルファンの南の海に面した海岸に開けた港町でもある。もっとも、この頃は造船技術は未発達なので、国と国との貿易はそれほど行われていない。大きな帆船でも最大乗員は二百人くらいである。従って、海から他の国が攻めてきたことはほとんど無い。
バルミアの北の小高くなった丘に王宮があり、その西にこの国の神を祭る神殿がある。家の多くは白い石造りだが、納屋は木造のものが多い。
さすがにこの国第一の都会とあって、町の賑わいは大変なものである。
大通りには小商人が露店を出し、青果や小間物、道具類を売っている。人通りが多く、狭い場所では肩がぶつかったとかいう理由で、あちこちで喧嘩も起こっている。中には、連れている馬や牛や羊が暴れ出し、大騒ぎになっている所もある。
マルスはケインの家に泊めて貰うことにした。
ケインの家は石造りの二階家で、一階の表は雑貨の店、裏に台所があり、裏庭には納屋と家畜小屋があり、鶏数羽と驢馬二頭が飼われていた。二階が居間や寝室である。
「狭いところですが、ここにご滞在の間は気兼ねなく使ってください」
マルスは与えられた部屋に荷物を下ろし、何日かぶりに身軽になった。
一眠りした後、台所で湯を求めて、布に浸して体を拭い、旅の汚れを落とすと、マルスはさっそく、バルミア見物にでかけた。
ジーナが案内役を買って出たので、二人は一緒に家を出た。
午後の日に照らされたバルミアの町並みは、来た時に比べると、何となく寂しげな感じがある。市場の雑踏も一段落ついた様子で、そろそろ荷物を片付け始めている者もいる。
マルスは、ある露店の前で足を止めた。
雑貨の店だが、その中には武具の類も幾つかある。
その中で、マルスの目を引いたのは、弓であった。
彼の目からは、ほとんど使用に耐えない貧弱な弓に十五リムもの値段が付けられていて、それに驚いたのだが、もっと驚いたのは、その弓を買おうとしている男がいたことだ。
まだ二十代前半の、身なりの良い、可愛らしい顔の男で、貴族の子弟らしい。
「弓が欲しいんだが、この弓はいいものかな」
商人はここぞとばかりに売りつけようとする。
「ええ、上物も上物、聖ロマーナ様が竜を退治した弓にも引けはとりませんぜ。もっとも、並みの腕では、なかなか扱えないんだが、あんたのような立派な武士なら大丈夫」
思わず、マルスは口を出してしまっていた。
「その弓は駄目だ。木がヤワだし、節もある。せいぜい二十歩くらいしか飛ばせないし、強く引いたら折れてしまう」
「何だと、俺の品物にケチをつける気か!」
商人は息巻いた。
マルスはその弓を手に取った。
「引いていいかね。引いて、折れなかったら謝る」
「おう、引いてみろ。ただし、折れなかったら只じゃあ済まねえぞ」
マルスは弓を手にとって引いた。
一杯に引き絞るまでもなく、半分引いたところで、弓は二つに折れた。
商人は呆然と折れた弓を見ていた。

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少年マルス 3

第三章 旅の商人

(俺は何て愚か者なんだ。見知らぬ他人の前でぐっすりと眠りこけるなんて。ギル父さんの形見の弓だけじゃなく、ジルベール父さんの形見のペンダントも無くしてしまったんでは、父さんに会えても、本当の息子だと証明することもできないじゃないか)
マルスは自分の頭を殴りつけたくなったが、いつまでもこうしてはいられないので、出発することにした。幸い、男たちが盗んだのは、弓とペンダントだけだったので、マルスは男たちの食べ残しのハムやパンやチーズを袋に目一杯詰め込んで、その家を出た。
家を出ようとした時、マルスの耳に、何かの鳴き声が聞こえた。
家の裏側の方だ。
マルスは家の裏側に回った。
そこには家畜小屋があり、そこに一頭の馬が繋がれていた。病気らしく、痩せこけた馬である。
マルスは飼い葉桶を見たが、桶には飼い葉は入ってなかった。病気ではなく、飢えているだけかも知れない。
マルスはその馬を連れて行くことにした。誰の馬かは知らないが、ここに置いていても飢え死にさせるだけだろう。
元気の無い馬の歩調に合わせて、マルスはぶらぶらと歩いていった。馬は途中で何度も立ち止まり、道端の草を食べたが、マルスはその度に馬が食べ終わるまで辛抱強く待った。
馬は特に手綱を付けなくても、逃げる様子は無かった。というより、逃げる気力も無かったのかもしれない。
マルスは、灰色のこのみすぼらしい馬にグレイと名づけた。
グレイは自分の新しい名を理解しているらしく、半日も旅するうちに、呼ばれるとゆっくりとマルスのところにやってくるようになった。

バルミアまであとどのくらいなのか、マルスには分からなかったが、少なくともあと二、三日では着くだろうと思われた。街道を通る人の数が増えてきたことからそう考えたのである。とはいっても、半日に一人か二人、あるいは何人かで連れ立って旅する集団に出会うだけだが。そのほとんどは行商人かジプシーである。すれ違う人々は、馬を連れながら、馬に乗らず、荷物も自分で持って歩いているマルスを珍しげに見て、
「そんなに馬が可愛けりゃあ、いっそ、馬を背中におぶっちゃあどうだい」
などと、嘲笑の声をかけたりした。

街道は、ある森の中を通っていた。マルスは道から離れて、弓を作るのに都合のいい木を探した。硬くて折れにくく、弾力性のある木の枝が理想的である。
しばらく探すと、マルスの希望にぴったりの木が見つかった。マルスはその木の一番いい枝をナイフで切り取った。硬くて、切るのに難渋したが、これくらいでないと、いい弓はできない。まずは、無駄な小枝を払い落とし、一本の棒にする。
その時、誰かの悲鳴が聞こえた。女の声のようだが、助けを求めているらしい。
マルスは枝を手にしたまま、声のした方に走った。
街道に戻ると、そこが騒ぎの場所だった。五人の盗賊が、三人の旅人を脅しているところらしい。
盗賊たちはそれぞれ剣を手にして、それを旅人たちにつきつけている。旅人たちは家族らしい。中年の男と、その妻らしい中年の女、それに娘らしい若い女が、すっかり怯えて竦んでいた。
盗賊は、旅人たちの服まで奪うつもりらしく、服を脱げと言われたのに娘が従わないので、脅されている、といったところのようだ。
「おい、盗賊ども。俺が相手だ」
突然林の中から現れたマルスに盗賊たちは一瞬慌てたが、相手が一人と知って、大した事は無いと判断したようだった。
「若いの、いい度胸だが、俺達の邪魔をする奴は生かしちゃおけねえ」
髭面の盗賊たちは、剣を振り上げて、マルスに向かってきた。
マルスの手にしているのは、先ほど切り取った木の枝である。長さはおよそ四尺、長さだけなら盗賊たちの三尺の剣より有利である。
向かってきた盗賊の頭や肩に、マルスは手にした棒を叩きつけた。盗賊のうち二人は地面に倒れて気絶し、残る三人はさすがに慎重になった。
だが、いかに喧嘩慣れした盗賊とはいえ、狼や猪などの野生の獣を相手にしてきたマルスの目からは、のんびりした動作でしかない。殺到する三人の剣を余裕をもってかわしながら、その腕や頭を棒で打ち据える。盗賊たちはマルスの足元にうずくまり、あるいは横たわった。マルスは、彼らの体の側に近づいて生死を確かめた。
五人の盗賊のうち二人は既に死んでいたので、穴を掘って道のそばに埋め、残る三人は、息を吹き返した後で、両手の親指と小指をへし折って釈放した。残酷に思える処置だが、今後、武器を手にして悪事を働くことができないようにするためである。これは凶悪な人間への、マルスたちの仲間の裁き方であった。
「なんとお強い若者だろう。このお礼はなんと申してよいか」
マルスに助けられた旅人はしきりに頭を下げた。
「どうかお名前をお教えください」
娘に言われて、マルスは名を名乗った。
「バルミアまで行かれるのですか? それなら私たちもご一緒させてください。バルミアには私たちの家がありますから、そこでゆっくりとお礼を申し上げたいと思います」
懇切な申し出にマルスは断りきれず、この旅の家族と一緒にバルミアまで行くことにした。

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少年マルス 2

第二章 魔法使いロレンゾ

 やがてその影はマルスの前で人の姿になった。
 これまでマルスが見た事の無い、異様な身なりの男である。
 年のころは六十過ぎと見えたが、長い髭は白いものの、血色の良い顔に逞しい体をしていて、並みの若者には負けない体力がありそうに見えた。
全身をすっぽり包むフード付きのマントで身を覆っており、顔以外はほとんど見えないのだが、杖を持った腕の太さから、その腕力の強さは分かる。
男は鋭い目つきで、じろりとマルスを見た。
「猟師のギルの息子、いや、オルランド家のジルベールの息子、マルスじゃな。そうか、お前がこの国を救う者となるのか」
男の言葉はマルスには何の事かさっぱり分からなかった。
「それはどういう事です? あなたは何者ですか? どうして僕のことを知ってるんですか?」
「お前には大事な使命がある。いずれその使命をお前は知るだろう。オルランド家に行くまでもない。あそこはすでにジルベールの弟のアンリが継いでおる。ジルベールはまだ生きておるが、お前と出会うのはずっと先だ。お前が自分の使命を果たしたら、ジルベールにも会えるだろう。わしの名はロレンゾ、いずれわしともまた会うはずだ。王宮に行くがよい。王室付きの占い師、カルーソーにわしの名を出せば、カルーソーが面倒を見てくれるだろう。この護符をお前にやろう。魔物の力が及ばなくなる護符だ。さあ、行け。今はこれ以上話すことはない」
そういうなり、ロレンゾと名乗った男の姿はマルスの前からふっと消えた。
マルスは男から渡された護符を見た。小さな羊皮紙に、青いインクで奇妙な模様と字が書いてあるが、文字を習ったことのないマルスには、何と書いてあるのか分からない。
マルスはその護符をペンダントの裏に収めて首に掛けた。

マルスは魔法使いを見たのは初めてだったが、そういう者がいることは知っていた。カザフの村にもいたが、幼稚な手品や、当てにならない占いをやる男で、魔法使いとはそういうものだろうとマルスは思っていた。だが、先ほどの男はカザフの「魔法使い」とは違っていた。人間が空中を滑るように走ったり、姿を消すのは初めて見た。しかも、初めて会ったマルスの素性をぴたりと言い当てた。世の中には不思議な者がいるものだとマルスは少々怖くなったが、相手は自分の味方のようだったので、その点は心強かった。
歩いているうちに、日がだんだんと夕暮れに近づいてきた。
野宿を覚悟で歩いていると、小さな山の麓に一軒の荒れた様子の小家があり、窓から明かりが漏れていたので、マルスはそこに一夜の宿を乞うことにした。
戸を叩くと、「入れ」と言う声が中からする。
マルスは戸を開けて、中を覗き込んだ。
暖かく火の燃えた暖炉を前に、二人の男が酒盛りをしている様子である。テーブルの上には大きな肉の塊やパンやチーズがたっぷりとある。マルスは思わず、唾を飲み込んだ。
二人の男は都会風の身なりをしていた。まだ若い感じで、一人は二十代後半、もう一人は十代後半で、マルスより三つ四つ年上という感じだったが、背はマルスより低そうだ。もっとも、椅子に腰掛けているので、正味の所は分からない。年上の方は、マルスよりも僅かに背が高い感じで、椅子にだらしなくもたれかかって暢気な顔でグラスを傾けている。
「お前は旅の者か? まあ、ここに来て一緒に一杯やろう」
年上の方が、マルスに声を掛けた。
暖炉に近づくと、自分の体が凍えきっていたのが分かる。
マルスは勧められたワインを有難く飲んだ。甘いワインが腹に落ちると、体が中から温まっていく。
「お前さんまだ若いのに、たった一人で旅してるのかい。その棒がお前さんの武器なら、少々頼りないな」
年上の男は、マルスが傍に立てかけた槍の柄を見て言った。槍の穂先は布に巻いて、袋の中に入っているのだが、特にマルスは説明しなかった。
男はテーブルの上の食べ物も食べろと言ってくれたので、マルスは大きな鳥の腿肉の炙ったものを手に取った。
「ちょっと、その弓を見せてみな。こいつはなかなかの代物だな。町で売れば五十リムにはなる。お前さんの手作りかね?」
「父のです」
「ふむ、どうだい、俺のこの剣と取り替えないか。この剣は、飾りだけでも百リムはするぜ。俺は弓には目がなくてな」
「すみませんが、父の形見なので」
「そうか。じゃあ、仕方ないな。おっと、言い遅れたが、俺はピエール、こいつはジャンだ」
「マルスといいます。酒と食事をどうも有難うございました」
「いいってことよ。旅は道連れ、世は情けってこった」
ピエールは鷹揚に言って笑った。
マルスはワインのせいで眠気がさし、二人の男より先に寝ることにした。
眼が覚めた時、あたりはまだ暗かったが、周りに人の気配は無かった。はっとマルスは胸に手をやったが、そこにペンダントはなかった。そして、枕もとに置いて寝た父の形見の弓も無くなっていたのであった。

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少年マルス 1

第一部 第一章 少年マルス

 アスカルファンは東西に八百キロ、南北に三百キロの大きさの国で、東には山を隔てて大国グリセリードがあり、西には海を隔ててレントがある。さらに北の方にも小さな国々があるが、山脈に隔てられたそれらの国々との行き来はほとんどない。南も海である。
 アスカルファンの各地方は、昔からこの地方にいる領主によって治められ、領主は農耕の生産物や、手工業による収入の三割から五割を税として取り立てている。国の産業は農業と牧畜がほとんどで、都市では日常の用途に用いる品物を作る仕事や、商業もいくらか発達してきていた。また、山や海岸地帯では狩猟・漁労・採集によって生計をたてている人々も多くいた。
 マルスの家はそうした狩猟者の家だった。
 アスカルファンの東の山脈地帯の裾に放牧を営む人々の集落があり、村の名はカザフといったが、マルスの家はそこからさらに上った山の中腹にあった。
 マルスの父のギルは有名な猟師だったが、人付き合いの嫌いな変わり者で、幼いマルスを抱えて山中で行き倒れになっていたマルスの母を家に連れ帰って介抱し、そのまま自分の女房としたのであった。つまり、マルスにとっては、本当の父ではない。母親のマーサは、マルスが八歳の時に病気で死んでしまったが、死ぬまで、夫に救われたことを感謝し、自分は幸せだったと言いながら死んでいった。
 女房を失ったギルはしばらく悲嘆に暮れていたが、それから男手一つで、マルスが十六歳になるまで育てたのであった。
 マルスが十六になってすぐ、ギルは山で足を踏み外して谷に落ち、重傷を負った。そこからなんとか自力で家まではたどり着いたが、冬の事で、その間にひどい肺炎になって、そのまま病の床についた。
 死を予感したギルは、枕もとにマルスを呼んで言った。
「お前に話しておきたいことがある。わしが死んだら、お前はバルミアに行くがいい。バルミアにオルランドと言う貴族の家がある。お前はそこの若君、ジルベールの息子だ。お前のお母さんはそこの女中をしていてお前を孕み、当主の怒りに触れてそこを追い出された後、この山中をさ迷っているところを私が見つけたのだ」
 ギルはベッドの下の小箱をマルスに取り出させ、その中から金の鎖のついた宝石のペンダントを取り出した。
「これはお前の父のジルベールがお前のお母さんにくれたペンダントだ。この宝石はブルーダイヤと言って、非常に貴重なものらしいから、いざと言う時には売って金に替えてもいいが、もしもお前が父に会う時にはお前の身を明かすものだから、大事にするがいい。それ以外には、わしの使っていた弓と槍くらいしか、お前に残してやれるものはないが、お前の猟師としての腕は既にわし以上だ。だが、若いお前は、このままこの山で一人で暮らすより、旅に出て、広く世間を見た方がいいだろう。お前の本当の父、ジルベールに会いに行くがいい。マルスよ、わしとマーサの魂の平安を神に祈ってくれ」
 そう言って、ギルは眼を閉じ、そのまま永遠の眠りについた。
 マルスは長い間泣いた後、気を取り直して父の遺骸を家の後ろの母の墓の隣に埋めた。

 マルスは皮の袋に僅かな食べ物を入れ、別の皮袋に水をたっぷり入れて、住み慣れた我が家に別れを告げた。馬は持っていなかったので、歩いてどこまでも行くつもりである。
 山は雪が深く積もり、歩くのに難渋したが、幸い雪が降ることもなく、二日後にカザフの村に着いた
カザフの村からバルミアまでは徒歩で半月ほどかかる。カザフを過ぎれば、道は平坦で、雪もほとんどなく、歩くのに苦労はしないが、道らしい道がずっと続いているわけではなく、途中には森もあれば野原もある。だが、西へ、つまり太陽の進む向きに歩いていけば、いつかはバルミアの近くに行き着くはずである。
 森や野原には、山ほどは動物はいないが、それでも鳥は多いし、冬眠しない動物も少しは現れる。マルスはそうした動物たちを矢で射て、民家でパンに換え、あるいは塩や野菜やチーズに換えた。
 マルスはまだ十六歳だが、並みの大人よりも背は高く、力も強かった。十四歳くらいからは、猟師たちの間で、戯れにレスリングなどする時には、必ずマルスが勝っていた。弓の腕は、父のギルと同じくらいであったが、投槍で獲物を仕留める腕はギルをはるかにしのいでいた。なにしろ、百歩先の野豚を投槍で仕留められるのは、彼だけだったのである。普通の猟師では、七十歩くらいまで投げるのがせいぜいだし、思い切り投げれば、行く先は槍に聞いてくれ、としか言えないのが普通である。
 カザフを過ぎて五日目、マルスは広い野原に出た。風の気配が春の到来を告げる、よく晴れた暖かい日である。野原のあちこちには雪が残っているが、草も芽を出している。野鼠や兎がそうした草の芽を齧っているのがマルスの目にははっきり見える。マルスの目はコンドルや大鷲のように鋭く、どんな小さな生き物でも遠くから見つけることができた。
 突然、野原の向こうに陽炎のような物が見えた。
 マルスは目を凝らしたが、それが人であると気づくのには少し間があった。その人間はこちらに向かって歩いてくるが、歩くというより地上一寸上を滑ってくるような様子であり、その速さはほとんど飛んでいるといっても良い速さであった。

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OVA「エル・ハザード」エピローグテーマ

   ちいさな花

      歌:天野由梨
     (作詞:枯堂夏子/作曲・編曲:長岡成貢)


足下で 咲く
小さな 花に
いま やっと気づいた
そよ風に
揺れながら
ただ 咲いているのね

だれかの ためにと
生きて ゆくたびに
ほんとの 自分を
ひとは なくしてしまう

あんなに 空が青いこと

…忘れていたわ

やさしさは
ただ生きてゆくこと
この足で 
大地をしっかりと
踏み締めてゆく
それだけのこと

大きな 世界を
夢に 見るたびに
小さな ふたりの
愛を なくしてしまう

こんなに 風が気持ちいい

…思い出したわ


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我が愛のエル・ハザード 19

第十九章 時空の彼方で

 一万年の時が流れた。未来に向かって? それとも過去に向かって?
 時空の闇の中、沈黙の夜の中をイフリータの体は旅し、そしてその体は耐久の限度を迎えていた。その時、イフリータは目覚めた。
 彼女の前に一人の少年が立っていた。
 驚いたように彼女を見つめているその顔は、彼女が一万年待ち続けた顔だった。
「真、真、やっと会えたね」
イフリータは少年に向かって歩いた。
「一万年、……一万年、この時を待っていた」
 イフリータは少年の胸に顔を埋めて涙を流した。
「夢を……
夢を見たよ。
……
数え切れない夜の間で、
ただお前の夢だけを、
見ていたよ……」
 少年は呆然としているだけであった。
「時間が無い。一万年の間に、私の体は消耗し尽くした。
私にはただ、お前をエル・ハザードに送る力が残されているだけだ。
後はお前に任せたよ」
 イフリータは、真をエル・ハザードに送るために祈り始めた。
「ちょ、ちょっと。僕には何がなんだか」
 少年は戸惑った顔で言った。
 涙を流しながら、イフリータは真への最後の言葉を言った。
「あのなつかしい世界に行ったなら、私によろしく言っておくれ」
 真の姿が光に包まれ、彼と、そこから数十メートルの範囲にいた人間のすべてがエル・ハザードに送られた。

 イフリータはほとんどすべての力を使い尽くし、地面に崩れ落ちた。
 やがて、やっとのことで立ち上がり、イフリータは歩き出した。
「ここは、……学校?」
 校舎の中に入って、教室の中を眺める。真から貰った思い出の中で知っている風景。
 校庭にでると、空には星が広がっていた。エル・ハザードの満天の星とは違って、ぼやけたようにまたたいている。
 校庭のバックネットに凭れて、イフリータは目を閉じていた。心が空っぽになったみたいだ。
 ふと、何かの気配を感じて、イフリータは目を上げた。
 夜が明けようとしていた。薔薇色の朝空に、秋の雲が薄くかかっている。
 力なく、イフリータは再び目を閉じた。
 その時、もう一度、強い気配を感じて、イフリータは顔を上げた。
 今度は本当だった。
 グラウンドの向こうに空間のゆがみが生じ、そこに人の姿が現れていた。その姿は……。
真の姿だった。白い服を着てイフリータの杖を持ち、彼女に向かって、あの懐かしい微笑を浮かべている。イフリータを迎えにきたのだ。
 イフリータは走り出した。その顔は生まれて初めての喜びに溢れ、尽きることの無い幸福の涙を流していた。
 真は手を差し伸べて、イフリータを待っている。
 二人の手が結ばれ、二人はしっかりと抱き合った。



   「我が愛のエル・ハザード」   THE  END


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我が愛のエル・ハザード 18

第十八章 イフリータの最後

 外に出た真を待ち受けていたのは、藤沢、ナナミ、ミーズ、アフラ・マーン、アレーレの五人だった。
「真様あ、いったい、私たちどうなっちゃうんですかあ」
 アレーレが心配そうに聞いた。
「大丈夫や。きっと何とかなるて」
 アレーレに笑いかけた後、真は藤沢たちに言った。
「先生、ナナミちゃん、僕、神の目に乗り込んで止めてきます。あのままにしておくと、世界中を破壊しかねませんから」
「乗り込むって、お前、大丈夫か?」
「大丈夫です。どうやら、僕はここでは、機械の心が分かる不思議な力があるみたいなんや。多分、神の目を止められるのは、僕だけでしょう」
「なら、仕方ないか……」
「真ちゃん、本当に大丈夫よね。あんたを好きな女の子がたくさんいるんだから、死んだら承知しないわよ」
「大丈夫、大丈夫。じゃあ、アフラさん、すまんけど、神の目の中まで、僕を運んでくれませんか」
「分かりました。あんた、みかけは女みたいやけど、大変な男やな」
 上空の神の目は、今や、誰の目にもはっきりと分かる異常な気配を見せていた。まるで、空中放電の実験のような火花があちこちから出ているのである。
「じゃあ、行きますえ。覚悟はよろしゅうおすな」
 真は、頷いた。
 その時、空中からひらりと降り立ったのは、イフリータであった。
「真、神の目に入るのは、私の仕事だ。私は、もともと神の目と一体となって作られた存在なのだ。だから、神の目のことは私は良く知っている」
「イフリータ! しかし、神の目に入ったら、君は時空の彼方に飛ばされるかもしれんのやで!」
「おそらくそうなるだろう。だから行くのだよ、真。そうして、私はお前に会うのだ。行かせておくれ。そうしなければ、私はお前に会えないのだから。お前に会うために、一万年の彼方へ私は行こう」
「でも、君の体はもうぼろぼろなんや。一万年も、持つんかいな」
「持つさ。きっと私はお前に会うのだから。大丈夫だよ」
イフリータは、手にしていた杖を真に渡した。
「これを、真。これは私の体の一部だ。これを持っていれば離れていても私と交信できる。私が神の目の中に入るまで、これを持っていておくれ」
「でも、これがなきゃあ、君を動かす人がいなくなる」
「私はもう自由なんだ。お前が私にそれを与えてくれた。さようなら、真」
 イフリータはふわりと空中に浮かび上がった。そして、神の目の中に吸い込まれるように消えて行った。
 イフリータの心は、しかし、真の手の中の杖を通して、真と交信していた。
(「真、お前に会うまでは、私にはたった一つの思い出さえなかった」
「思い出さえ? なら、僕が君にそれを上げよう」
「えっ?」)
 イフリータの心には、真の様々な思い出が流れ込んだ。高校の入学式、夏休み、運動会、授業風景、……。そして、その一つ一つの思い出の中の真の側には、高校生となっている美しい、しかし普通の人間であるイフリータの姿があった。
 初めてのデート、並んで眺めた夕焼け、秋の爽やかな風の声を聞く二人、
 それらは真が作り上げた幻想であっただろう。しかし、イフリータには、それは現実の思い出と同じだった。
 イフリータは涙を流していた。
「真、真、ありがとう……」
 そして、イフリータの姿は神の目の中枢に消えた。
 やがて、一瞬の閃光があり、神の目は再び上昇していった。エル・ハザードは、イフリータの犠牲によって救われたのであった。ロシュタル近郊に迫っていたバグロム軍は、イフリータを失って、自分たちの森に向かって引き上げた。
 太陽に輝きながら青空の中に昇っていく神の目をみつめて、真は呟いた。
「イフリータ。いつか、僕は必ず神の目の秘密を解き明かし、君のところへ行こう」

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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