注意
- ※歴史的な学説は多々ありますので、一般的なものを説明いたします
- 皆様に分かりやすくするための簡略な説明ですので、ご注意ください<(_ _)>
- 参考にしたもの:安全保障学入門・中国の安全保障・映画「キリング・フィールド」・NHKスペシャル「映像の世紀」・慶応義塾大学の講義etc
引用等にはご自由にお使いください。
※注意※
今回、扱っている題材がポルポト政権ですので、死体画像や残虐な表現なども登場します。苦手な方はご注意ください(@_@;)

はい、皆様こんにちわ(^^)/歴史的な出来事を気ままに解説するノートを書いている大学生です。少ない閲覧数にも負けずに頑張るぞ!!(笑)
今回説明させていただくのは、カンボジアで独裁的な統治を行ったポルポトについてのものです。上の画像はポルポト政権下のカンボジアを描いた作品、「キリング・フィールド」の一場面です。名作ですので、このノートを読んで興味の湧いた方はぜひ見てみてください。
多分ですが、まずカンボジアってどこにあんの?って人が多いと思うので、地図を貼っときます。東南アジアの一国家であり、ベトナム・ラオス・タイと国境を接しています。現在も発展途上国であり、貧困問題がまだまだ多く残っている国です。
ポルポト政権を説明するためには、当時の世界情勢を知っとく必要があるので、軽く説明します。当時の世界は冷戦真っただ中でした。冷戦って知ってますよね~??(・.・;) 簡単に言うと、アメリカ率いる資本主義国とソ連率いる社会主義国に世界中の国が分かれて、いがみ合っていた時代です。一歩間違えれば、核戦争勃発な時代です。
カンボジアという国は戦前はフランスによって植民地化されており、フランスの植民地政府が統治していました。そこにWWⅡが勃発すると、日本軍がやってきてフランスを追っ払います。しかし、日本が敗戦すると、再びフランスが植民地にしようとやってきました。
ここにフランスによる再植民地化を防ごうと立ち上がる人物が現れました。その名はノロドム・シアヌーク!! 実はこの人れっきとしたカンボジア王家の人物です。シアヌークは力ではフランスに勝てないと考え、国際世論に訴えるという方法で、フランスに立ち向かいます。
シアヌークの作戦は成功し、カンボジアはフランスからの完全独立を1953年に果たします。シアヌークは国王に就任し、ここにカンボジア王国が建国されました。国民のシアヌーク支持は極めて高いものでした。そりゃ、フランス追っ払いましたからねw胸のすく思いだったでしょう。
さて、説明したとおり、当時は冷戦時代です。独立を果たしたカンボジアが資本主義国となるのか社会主義国となるのか、世界が見守っていました。カンボジア王国が採った方針は社会主義国でした。
シアヌークは王位を父親に譲ると(王様ってのは色々やりずらいものなのです)、自ら国の指導を行っていきます。それは一種の独裁とも言えるやり方で社会主義政策を行っていましたが、国民の支持率は圧倒的だったので、まぁ必ずしも悪い独裁ではなかったのかも・・・
そんなシアヌークも弾圧を行っていました。その対象は、そうカンボジア共産党の急進派です。ここにポルポトも含まれていました。シアヌークは当初は左派に歩み寄っていましたが、過激派のあまりに急進的な思想に危機感を覚え、弾圧を加えて都市部から追い出しました。まぁ、共産主義って元々は王家とか認めませんしねぇ(^_^;) 弾圧されたポルポトなど急進派はジャングルに潜伏するようになります。この潜伏中に北京などを歴訪し、後の毛沢東思想を学んだのではないかとも言われています。 ちなみにカンボジア共産党は別名「クメール・ルージュ」と呼ばれていました。カンボジアの人々はクメール人です。そして共産主義のシンボルカラーは赤ですから、合わせてクメール・ルージュです。「ヤダ・・・カッコイイ//」名前ですねww
一方で、社会主義となったカンボジアを歯噛みしながら見ている国がありました。そう、資本主義国の旗振り役である「Stars&Stripes」こと、アメリカさんです。当時のアメリカでよく唱えられていた考えに「ドミノ理論」というものがあります。その考えとは「貧困地域において、1つの国が共産主義化すると、まるでドミノ倒しのように周りの国々も共産主義化する」というもので、貧困国の多かった当時の東南アジアでカンボジアが共産主義化したことを懸念していたのです。ちなみにこのドミノ理論、ベトナム戦争にも深く関わっています。
アメリカのCIAはシアヌーク政権を倒すために密かに活動を始めます。
CIAが目を付けたのは、シアヌーク政権下で首相と国防相を兼任していたロン・ノルという人物でした。1970年、アメリカの助けを借りたロン・ノルはシアヌークが北京・モスクワへの外遊に行っている隙を突いて、クーデターを起こし、政権を奪取します。国名もクメール共和国に改められました。
ロン・ノルはアメリカの支援を受けるほどですから、当然ながら右派です。 彼は国民の支持を得るために反ベトナムを前面に押し出します。あ、あれですよ、カンボジアとベトナムってクッソ仲悪いですよwというのも、フランスに植民地化される前のカンボジアってベトナムの王朝に圧迫されていたんです。世界中どこでもそうですが、隣国どうしってのは仲悪いんですねぇ。共通の敵がいれば仲良くなるんですがね、反イスラエルのアラブ諸国みたいに・・・(-。-)y-゜゜゜
さて、話は戻ります。ロン・ノルは国内のベトナム人を徹底的に弾圧します。当然ながら、ベトナムも黙っちゃいません。当時のベトナムは北ベトナム(社会主義)と南ベトナム(資本主義)に分かれて、ベトナム戦争中でした。このうちの南ベトナムに結成されていた南ベトナム解放民族戦線(共産主義)とアメリカはベトナム人保護を掲げて、カンボジアに出兵します。しかし、アメリカの思惑はカンボジア国内に潜伏している共産主義勢力を攻撃することでした。
アメリカ軍は共産主義者が潜伏していると思われる農村部を空爆します。これにより、数十万人の農民が犠牲になり、100万人を超える難民が都市部に逃げ込みました。当然ですが、国民のロン・ノルへの反発心は強まっていきます。そんな国民の支持を次第に得ていく勢力がありました。そう、クメール・ルージュです。
そういえば、政権を奪われたシアヌークはどうしたのでしょうか??実は彼は北京に亡命していたのですが、密かに帰国すると、ある勢力と手を結ぼうとします。ここでもまた出てきます、クメール・ルージュです。シアヌークは苦肉の策として、かつては弾圧したクメール・ルージュに助けを求めたのです。助けを求められたクメール・ルージュは「ふざけんな!!」って言って、シアヌークを拒絶・・・しませんでしたw いや、だってシアヌークって国民の圧倒的な支持を得ていましたから、これを利用しない手は無いじゃないですかw
国民の支持とシアヌークを手に入れたポルポト率いるクメール・ルージュはロン・ノル政権を打倒するために武力闘争を開始し、ここにカンボジア内戦が始まりました。アメリカの支援を受けたロン・ノルはアメリカ製の武器を手に戦いますが、クメール・ルージュのゲリラ戦術に苦戦することになります。
1973年、ベトナム戦争は北ベトナムの勝利に終わり、 それに伴いアメリカ軍・南ベトナム民族解放戦線ともにカンボジアから撤退することになりました。しかし、カンボジア内戦は続きます。ロン・ノルはアメリカの支援を受け続けますが、ジリジリと追い詰められていきます。そしてついに1975年首都のプノンペンがクメール・ルージュにより陥落させられ、ロン・ノルは国外へ亡命、クメール・ルージュによる政権奪取が成りました。ポルポトは国名を「民主カンプチア」に改めます。
ここからがカンボジア人にとって地獄の始まりでした(@_@;)
まず、ポルポトの持っている思想について解説しておきたいと思います。ポルポトの思想は「原始共産主義」というものです。共産主義にもいくつか種類がありますが、これはその中でも最も過激な部類だと考えてくれていいです。
ポルポトの原始共産主義は毛沢東思想に強い影響を受けていました。毛沢東思想ってのは文字通り、中国の毛沢東がマルクス主義を中国流にアレンジしたものです。つまり、ポルポトの思想はオリジナルをアレンジしたものをアレンジしたものです(ややこしいw)
では、原始共産主義ってどんな考えなのでしょう??マルクス主義においては階級・格差というものは批判されます。では、階級・格差の無い時代とはいつでしょう?? 「江戸時代でしょうか??」いやいや武士・農民とかありますね。「鎌倉時代??」いやいや武士いまっせw 「じゃあ平安時代だ!」 はいはい、貴族貴族w 「じゃあもう飛鳥時代だ!」天皇家もいるじゃないですかw 「分かった弥生時代だ!!」卑w弥w呼w
とまぁ、このように遡れども遡れども人間の世に階級・格差というものは存在していますねw 本当に格差・階級が存在しないのは、まだ人間が狩猟・採集をしていた頃です。もう何となく分かってきました??そう、ポルポトはこの人間が狩猟採集していた時代を理想の社会だと考えて、現代の世に原始時代を再現しようとしていたのです。ムチャクチャww
あ、ポルポトの画像を貼っておきます。この人がポルポトです。話によると、ポルポト自身は温厚でいい人だったということを聞いたことがありますが、ポルポト率いるクメール・ルージュはとんでもない統治を始めます。政権を奪取したポルポトはシアヌークを軟禁してしまいます。そして、難民で溢れかえっていた都市部の人々を半ば強制的に農村部へと移住させてしまいます。というのも食料生産に従事させるためでした。クメール・ルージュに対する外国からの支援は打ち切られることが予想できたので、食糧生産を増やすのが急務だったのです。移住させられた国民たちは強制的に農作業させられます。
さあ・・・こっからはポルポト政権の統治がどの様なものだったのかを説明いたします・・・。うん、そうなんだ・・・酷い話なんだ・・・。
ポルポトは国内から知識人層を根絶することを目指します。なんでそんなことするのかって??原始時代に知識人いました??いないでしょう、知識は人々の間に格差をもたらすと毛沢東思想では考えられていまして、影響を受けたポルポトも「国を指導する我々以外の知識人層は自国には不要」と考えたわけです。
農作業に従事している人に布告が出されます。「医者・教師・技術者・学生だった者は名乗り出てほしい。国の再興には君たちの力が必要だ」とこんな感じの布告でした。当然、該当する人は名乗り出るわけです。「これで辛い農作業から解放される」 わけですから、これらの人々は拍手の中、みんなに見送られます。しかし、彼らの中に帰ってくる人は一人もいませんでした。彼らには「再教育」という名の処刑が待っていたのです(ToT)/~~~
この知識人狩りは次第にエスカレートしていくことになります。以下は当時、本当にあった事例です。
「本を読んでる」←文字が読めるなんて知識人だから殺す(^_^メ)
「海外行ったことある」←海外行くなんて知識人だから殺す(^_^メ)
「ラジオを聴く」←ラジオを持ってるなんて知識人に違いない殺す(^_^メ)
「旧貨幣を持っている」←反体制派だから殺す(^_^メ)
ここまではまだ良い方です・・・。
「子どもに教育した」←我々と異なる思想を植え付けたから殺す(^_^メ)
「腕時計をしている」←腕時計しているなんて知識人(略)(^_^メ)
「恋人がいる」←社会風俗を乱すから殺す(^_^メ)
果ては・・・
「眼鏡をしている」←眼鏡をしているなんて(略)(^_^メ)
「手が綺麗」←畑仕事をしていなかった知識人だから殺す(^_^メ)
「イケメン&美女」←もう理由なんていいや、殺す(^_^メ)
全部、本当にあった話です。信じられませんね(@_@;) 私も当時のカンボジアにいたら何回殺されてるか分からんですよw
さらにポルポトは子どもを積極的に社会的な役割に着かせます。兵士も13歳以下の子どもが採用されました。その理由は「悪質な」思想に染まっていないから、原始共産主義を良く「理解」するからとのことです。他にも強制収容所の看守も子どもでした。子どもが大人を監視する社会が生まれていたのです。ちなみに強制収容所に入れられた「知識人」たちは漏れなく殺されましたが、中にはイソップ物語を話すことが出来たおかげで少年看守たちに匿われ、生き延びることができた人もいました。まさか、イソップ物語が自分の命を救うとは夢にも思わなかったでしょう(-。-)y-゜゜゜
このように重要な仕事に子どもが着いたわけですが、最も悲惨だったことは医者まで子どもだったということです。このような子供医者は数カ月のにわか仕込みの医療教育を受けただけで、ろくな医療知識も持っていませんでした。そんな子供医者が治療するもんですから、結果は皆さんの予想通りです。子供医者がろくな消毒もせずに注射した傷口は膿み、それが原因で死亡する人が続出。さらに子供医者は手術まで行います。あれ??それって最早、手術じゃなくて解剖じゃね??
ポルポトは更に密告制度を導入します。反体制派・知識人などを見つけたら密告しろってことです。密告された人は問答無用で処刑です。これにより、人々は疑心暗鬼になり、誰も信用できなくなります。かつての友人が友人を密告し、親が子供を密告し、子供が親を密告し、兄弟・夫婦構わず密告するようになります。密告しなきゃ、自分が密告されてしまうという強迫概念に支配されるわけです。
正に悪夢です。誰も信用できずに、いつ自分が殺されるかも分からない。しかも日々、少ない食事で重労働させられる・・・。以下はポルポトの指令書です。
「我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。したがって伝統的な形をとる学校も、病院も要らない。貨幣も要らない。
たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。
泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。
笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。」
せ~の、マジキチ!!なんじゃそりゃですよね(;一_一)
さらにポルポトは地雷を「完全な兵士」として高く評価し、西部のタイとの国境地帯を中心に大量に敷設します。これが今でも地雷被害を引き起こしている根源原因です。このようなポルポト政権下の大虐殺による被害者数は正確には分かってませんが、200万人にも迫ると言われています。
さあ、ポルポト政権はどうなっていくのでしょう?ポルポトもロン・ノルと同じように反ベトナムキャンペーンを行っていました。クメール・ルージュのラジオ放送では「ベトナム人を排除するのに洗練された武器は必要ない。歴史ある民族の各人が、その手で一人につき10人のベトナム人を殺せば足りる」と放送するほどでした。
1978年、ポルポトはベトナム領内に軍を派遣し、住民を虐殺します。
当然ながら、ベトナムは黙っちゃいません。民主カンプチアより亡命してきた人々で「カンプチア救国民族統一戦線」という軍隊を作り、ベトナム軍に組み込みます。この軍隊とベトナム軍が民主カンプチアに攻め込みます。破竹の勢いで進行していき、1979年には首都プノンペンを陥落させてしまいます。まぁ、ポルポト兵士は子供ですしねw
しかし、ここでベトナムにとって誤算となることが起きます。民主カンプチアの事実上の同盟国だった中国がベトナム軍の侵攻に対する報復としてベトナムに進軍してきたのです。これが中越戦争と呼ばれる戦争です。でも、ベトナム軍は強い!! 中国軍を逆に返り討ちにしてしまいます。ベトナムはWWⅡが終わってから、フランス→アメリカ→カンボジア→中国と戦って全てに勝っています。ベトナム恐るべしですねw
カンボジアを勢力下に置いたベトナムはヘン・サムリン政権を打ち立てます。負けたポルポト一派はタイ国境沿いのジャングルに逃れ、武力闘争を続けることになります。ちなみにベトナムはソ連の支援を受けており、ポルポトは反ソ連・反ベトナムでしたので、アメリカと中国の支援を受けていました。
こんな酷いことをしたポルポトを支援するなんてアメリカって最低って人もいるかもなので、ちょっと擁護しておくと、実は民主カンプチアって国は徹底した鎖国を行っていまして、国内の情報は全くと言っていいほど、分からなかったんです。そりゃ亡命してくる人も少しはいましたが、彼らの証言があまりにも突拍子もないものでしたので、国際社会は「まさか~w」って感じでしたwしかし、ベトナムによって事実が暴露されると、証言以上に酷い実情が見えてきたわけです。
さて、1989年にベトナム軍もカンボジア国内から撤退します。1993年に国連監視下で総選挙が実施され、カンボジアは立憲民主性の国として新たなスタートを切り、今に至ります。
ポルポトはどうなったかというと、クメール・ルージュを率いて闘争を続けるも、次第に勢力は縮小していきます。1996年にはポルポト軍は完全に崩壊し、ポルポト自身も1997年に心臓発作で死去します。結構最近まで生きてたんですねぇ。あ、ちなみにクメール・ルージュってまだいますよ、壊滅してません。二度と日の目を見て欲しくないものです。
ポルポトは正にカンボジア人にとっては悪夢そのものでした。だってあれですよ、ポルポトから解放された時の人口比がおかしいですもんwなんと国民の85%が14歳以下でした!!それだけ大人は殺されたってことです。まったく、高齢化している日本とは真逆ですねw
ここまで読んでくれてありがとうございました。
以上で私のノートは終わりにします。
良いノートだと思ってくれた方は評価してくれると嬉しいです(*^_^*)
あ、アドバイスも歓迎いたします($・・)/~~~
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昔、ドラえもんで、お金のいらない世界、というネタがあった。
風呂敷包み一杯の札束をお互いに押しつけ合う、という話。
その当時は勿論ギャグだったのだけれども、今やそうも言っていられなくなってきたな。
時代は、進んだんだか、退行したんだか。どっちだ。
麻生は、義務教育時代を私塾とは名ばかりの
家庭教師で育ったんだよな。
義務教育大事。
サブプライム-リーマンショックの頃流行った北米新通貨アメロ導入のうわさ話。オバマが大統領に就任して最初に手をつける仕事が、デフォルト宣言とドル放棄、新通貨アメロの導入って言われてたなw
月曜はどうなるか分からないね。最初は500円近く上げて始まるだろうけど、そこから先は上海市場の動向やGDP四半期の発表やらで、虚勢張って上がる可能性はあるし、一気に14000円下限に下がる可能性も捨てきれない。嘘情報や真実が錯綜して、壮絶な鉄火場と化す可能性が高いかなあ・・
>預金封鎖とか、デノミとか、新札切り替えとか、途方もない話まで出てきたわけだが
●島の予測通りじゃん
>タンス預金増えたころに新札発行。
無届の交換一人10万まで。
旧札は1年で無効化
丁度旧円から新円への切り替えの時期だった
のだが、銀行の事務のずさんさに驚いたこと
があった。
銀行も多忙を極めていたには違いないが、新
円(百円札)の発行が遅れて、旧百円紙幣に
「証紙」(切手のようなもの)を貼って間に
合わせていたことがある。
本来なら、銀行自身が旧百円紙幣に「証紙」
を貼って主計科に渡すべきものなのだが、「
おたくの方で貼って戴きたい」
と、旧紙幣と証紙を別々に渡されて、私たち
が、艦に持ち帰って貼っていたものであった。
ところが、ある月、俸給を銀行から受け取り、
帰艦したところ、なんと百円証紙が六万円分
位多いのにビックリ仰天、早速、銀行に返し
に行ったことがあった。
(中略)
証紙は横一センチ、縦二センチ位の極めて薄
い紙質だったから数え難いものであった。
確か、ミシン目を入れた証紙は、二万円分が
一枚に綴られていたと記憶している。
その二万円綴りのものが三枚多かったわけで
ある。
(中略)
あとで誰かに、当時の闇ルートに持っていけ
ば、百円の証紙が七十円か八十円で売ること
が出来たと聞かされたものである。
「最後のめしたき作業」
高橋孟「海軍めしたき総決算」(新潮文庫)
それにしても、
中国様はホントに、がめついなーwwwww
円借款返せよwwwww
まさかNEVADA 大勝利の日が来るとは。。。
>預金封鎖とか、デノミとか、新札切り替えとか
日本も今の見せかけだけの3段階レート・マイナス金利から更にエスカレートするのは避けられないだろうww
そのままでは預金が逃げるwww
EUにならってのマイナス金利に引き続くのは、EUにならって現金禁止だろw
5万円以上の取引は電子マネーだけw
万札使うのは非国民なので万札は預金預入れ以外使用禁止ww
金地金とかコインとかも預け入れ以外は使用禁止www
実質的な預金強制政策のほうがスマートだwww
田中ウーさんのその記事にもリンクが貼ってあるんだが・・
Harvard Economist Demands Ban On Big Bills To Make It "Harder On The Bad Guys"
http://www.zerohedge.com/news/2016-02-08/harvard-economist-demands-ban-big-bills-make-it-harder-bad-guys
欧州中央銀行は、さらにマイナス金利引き下げはやるだろうが、QE拡大は無理。
EUではマイナス金利が長期化し、現金廃止の政策が強められる。
5千ユーロを超える現金取引が禁止され、口座間取引だけになり、最高額紙幣500ユーロ札の廃止がまもなく決定される気配。
マイナス金利だと銀行に余ったカネを中央銀行の当座に預けて僅かな金利を経営資源にすることすらもできなくなるので、手数料で稼がせるしかないのだw
今や地方銀行は日銀預金の金利でかろうじて生きているらしいけど、地方銀行は自民党の大切な基盤なので潰せないのよねww
「預金のマイナス金利、今後あり得ないと申し上げるだけの判断はない」
自ら判断力の無さを認める、ヒョットコ金融担当大臣。
「市場動向をしっかり注視していきたい」
視点の定まらない、耄碌総裁。
小さく乾びた脳みそを頭蓋骨の中で、カラコロさせながら、ウンコをチビリまくっている総理大臣。
素晴らしい3本の矢www
「預金のマイナス金利、今後あり得ないと申し上げるだけの判断はない」
自ら判断力の無さを認める、ヒョットコ金融担当大臣。
「市場動向をしっかり注視していきたい」
視点の定まらない、耄碌総裁。
小さく乾びた脳みそを頭蓋骨の中で、カラコロさせながら、ウンコをチビリまくっている総理大臣。
素晴らしい3本の矢www
中国人の爆買いの意味は日本人には少々わかりにくい部分があります。
まず、中国人は日本人とは比べ物にならないくらい利に聡い民族で、
金の使い道についてはものすごく考えている。
日本人がバブル期にパリのブランド店を占領して買いまくったのとは意味が違うのです。
まず彼らは元にしろ円にしろ、ましてやドルなど全くその価値を信じていないということです。明日には紙切れになることを十分理解しているので、いつも適当な投資物件と有利な現物化について考えている。
中国人が大挙訪れるのは、日本の似非ブランド店などではなくおもに日用品の店です。おむつだとか乾物だとか、日持ちして軽量、自己使用もできるし人に上げると喜ばれる。そして場合によっては物々交換の資源になるものなのです。日本製の小型電気製品も一種の通貨として彼らは現物化しているということに気づく必要があるでしょう。もちろん浮いた金の一部は株も買うでしょう。土地も買うでしょう。しかしリスク分散して投資するということが民族的に血統に刻み込まれているのです。
これが王朝が、権力者が変わるたびに遷都し、一族郎党荷馬車に家財を詰め込んで引っ越ししてきた民族の本能です。
彼らは通貨など最初から紙屑だと思っている。それで何かを買えたときに初めて価値が実現したということを知っている。
現金化の先を行く現物化という生き方なのです。
日本人もそろそろ現金化は一気に進むでしょう。
給料は現金でもらいましょう。支払いも現金にしましょう。
しかしそれだけではなく、買うものはもっと吟味しましょうということです。物は換金性や、保存性、万人にとっての使用価値を考えて買いましょう。
ということです。
結果淘汰されるのは実はファストフードや、ユニクロ、百円ショップ、
など短期消費を前提に金を使わせる業種となるでしょう。
マックの不調などその予兆に過ぎません。
潮目は、全経済分野にわたって切り替わっていくと思います。
明日は年金支給日だから銀行混むだろうな…w
ウチは東京だけど、家計の一部は物々交換経済に移行してます。
だから宅配便が止まると困ります。
あとは、売れる技術(特許とかノーハウ)持ってる人は強いです。
年金がアポーンになることは前提で生活設計してきたので、安全が担保されれば住むのはどこでも同じです。そいじゃね
預金封鎖?今頃驚かない、
振り込め詐欺で、多額な預金引き出しは危ない、とか言って
一日50万円まで制限してるが、これって個人が自分のカネ降ろすのを
制限してる、大きなお世話でしょ。
規制のタイトルは忘れたが、銀行へ預金した時点で、個人のカネは
銀行のカネになる、って法改正がすでにやられた(らしい)、
ここから数年間以上、貧困の激痛がアッチコッチにPopUpし続けると思う。
でも、貧困が広がると人々が結束し始めるから、好い事かも知れない。
10グラムくらいの金地金買って筆入れに忍ばせて時々見て楽しもうと思ってたのに
マイナス金利で、投資という行為そのものが否定されている、
とまでは、銀行員ではない私自身は感じませんが、
少なくとも、そのようになるビジネスがあることは確かでしょうね。
JGBつまり日本国債が、一瞬ではありますが、
マイナス金利に突入したのは衝撃でした。
これって、銀行のビジネスモデルが崩壊するということですから。
日本国債が、マイナス金利!
日本に住んでる金を持つ人々が、金を使わず預金ばかりするから
銀行は、赤字覚悟で国債を買う
金を持つ奴らが、金を使わないなら 再分配だな
マイナス金利なんて たんに金が回らないだけの結果で
そのことを 大袈裟に言い過ぎ!
>預金のマイナス金利、今後あり得ないと申し上げるだけの判断はない
自身の立場をもう少し考えて発言したらいいんじゃないかしら?
麻生の取り柄は、何をしゃべろうと、どうせ阿呆のたわごと、とみんな達観してるから、こういう答弁しても取り付け騒ぎなんかにはなりようがないことw まぁ面白くていいんじゃない。
模範答弁はというと、「現行法上預金のマイナス金利はできません」「導入の検討は全くしておりません」「考えられる将来、導入の見込みはありません」といったとこか。
宰相は国民生活への責任と負託をどう考えていらっしゃるでしょうね。
一国の舵取りを負託され引き受けた宰相の責任腐っても腐っても?鯛
日本国民一億数千万の生活を背負っていらっしゃるのだと云う事を。。
先月モルガン・スタンレーの会長が95才で死んだそうだが、相続税対策としてドイツ銀行の経営危機を発端とした金融メルトダウンが演出されている、との穿った見方もあるようで・・・
デイヴィッドの爺さんもこの期に便乗して逝ったら座布団10枚だな・・・
水曜まで東京に戻らないのでそれまでは今の状態を保って欲しいですね。
>日本に住んでる金を持つ人々が、金を使わず預金ばかりするから
もう日本はとっくに預金大国でなくなっている