「はてな匿名ダイアリー」記事だが、要旨を一言で言えば「宗教に実体的な現世利益はない」と言えるだろうか。宗教の利益はあくまで精神的なもので、現世利益を標榜する宗教はすべて詐欺だと言えるかと思う。
ただし、精神的利益はあるし、同じ宗教の信者相互の助け合いもあるだろう。それを現世利益と言うなら利益があるとは言える。信者相互の助け合いというのが発展したら創価学会のように政党を創設する方向にも行くわけだ。
だが、それは信者以外の社会構成員の不利益になるのは当然だ。たとえば、新コロ騒動に際して、公明党党員にだけ現金100万円給付すると政治決定されたら、即座に党員が人口の過半数を超えるだろうwww 選挙など、やる前から圧勝確実である。自民党なら、これが即座にできるのに、増税とか馬鹿なことを言っているww まあ、財務省の馬鹿官僚が政権の経済方針のハンドルを握っているからだろう。
(追記)「逝きし世の面影」から抜粋転載。
5歳の愛息を餓死させた母親は最後の瞬間まで一心不乱、御本尊に祈っていたと告白。マインドコントロールしたママ友は創価学会員。聖書でも寄付を天国への道と教える。神風特攻隊やイスラム過激派を含め、宗教では常にあり得る
公明「旧統一と一緒くた」危機感
もっとも驚く大ニュースとは
驚愕的なコロナ解禁「週刊新潮」広告の隣に掲載された「週刊文春」広告では、初めて「マインドコントロールしたママ友は創価学会員」を示唆する文言が書いてあった。とうとう「統一協会」バッシングを突破口にして新しいステージに突入しているのである(★注、対象物が巨大で分割出来ない社会科学では、すべての「物事の優先順位」こそが一番大事だった)
テレビのワイドショーで大々的に取り上げられていた特異な凶悪事件の裁判なのですから、当たり前ですが大手マスコミ記者が大勢傍聴していたのである。ところがフリーランス記者を含む全員が怖がって一切合切、(在日知識人の河信基以外は)誰も彼も「創価学会」を何も報じないヘタレなのですから腹が立つ。(人間として生まれた限りは一人の例外も無く必ず死ぬのである。自分が死ぬことが、そんなに怖いなら記者を名のるべきではない)2022年12月13日 | 政治 「新聞休刊日」妙に恥ずかしいニュース (以下引用)
カルトが話題になってるから、20年ぶりくらいに昔の事を思い出してしまったよ。
崇教真光って新興宗教を知ってるかね?
手を人の体にかざして祝詞を唱えると体が良くなるとか言うような現世利益を謡ってた。
ごくびーじっそうげんげん しかい たかまがはらに かみみたま もえいでまおす
とか、こんな感じの祝詞を唱える。数えきれないほど唱えたので、今でもそらで言えるよ。
お御霊とかいうお守りの様なものを肌身離さず着けてて、寝る時も頭よりも下に置いてはいけないとかで
神棚とかに置いてた寝ていたと思う。小学生の頃は下着にお御霊袋が縫い付けられてて、起きてる間は常に身に着けていた。
人から見れば、それはネックレスと言うか、アクセサリにしか見えないらしく、虐められる理由にもなったりしたよねw
俺の両親がその真光にハマってたんだよ。
両親がハマるきっかけは、母親の産後が悪かった事と、生まれた俺が虚弱で障害を持ってたからだと思う。
2歳になるかならないかの俺を連れてった病院で、この子は一生立つ事も出来ないし、と医師に言われたのは今でも母が良く語ってる。
面と向かって聞いた事はないけれど、母親が足しげく俺を道場に連れてって、手かざしを受けさせていたから想像は間違ってはないだろう。
その地区の位が上の人と母親が懇意というか親戚づきあいみたいな感じで、毎週のように家族で遊びに行っていたので
そのついでに道場で手かざしを受けるというのが、俺の子供時代の週末だったな。
当然なのだが、俺の障害は宗教なんぞで治る事なんてなかったので、業を煮やした母と、真光の小母さんが
本山の偉い人の力を直接浴びるしかないというので、本山に連れて行かれた事もあるよ。
飛騨高山の山奥に、それはそれは荘厳な建物がたってんだけど、そこの大ホールで沢山の人と一緒に
教え主(いわゆる教祖)の手かざしを受けたね。その時が、一番献金したんじゃないだろうか。
うちはスーパー貧乏だったので、献金とかはしてたとしても、今から見ればたいした額にはなってないと思うけどな。
しかし、そんなことをしたところで俺の障害が治る事なんぞあり得ず(2度目
実効がない事で目を覚ましたのか、中学に上がる頃にはお御霊なんて付けなくて良くなっていた。
そしていつの間にか家族の誰も真光のことを話題にもしなくなって、今では誰も両親に聞けなくなったw
うちの場合は、体に障害がある、生まれつき虚弱で、医学では救えない俺を非科学的な力で救いたかったという
両親の思いが宗教にのめり込ませてしまったけれど、そんな事が可能なはずがないので(3度目)
幸運にも、あるいは必然的に目が覚めてくれた。
俺が4歳くらいから小学校5年で引っ越すまで、およそ7年程度の間。
毎週のように手かざしを受け、大人から同情され優しくしてもらって、お御霊を首からぶら下げてる障碍者だってんで
クラスメイトに虐められて嫌な思いをしたくらいしか、宗教についての思い出はない。
幸運にして、宗教には何の力もなく俺の障害は治らなかったので(4回目)家族は破綻しなかったし
貧乏だったから経済的にもたいして損はしてないだろう。
その後、宗教なんぞから足を洗った御利益で、仕事で父が成功し小成金になり、
勉強だけは出来た俺も順調に成長して、東大に入って、大学院を卒業することもできました。
理学療法士による賢明なリハビリと筋トレの甲斐もあり、高校に上がる頃には杖付きでなら歩けるようにもなりました。
今でも車椅子と半々の生活です。
宗教なんぞで人は救われませんw
そんな俺が、その後に入った会社で真光の信者である彼女と出会ったのだけど、それはまた別の話。
