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人間の獣性と、「獣性の否定」

「混沌堂主人雑記(旧題)」所載の「プレジデントオンライン」記事の一部だが、非常に面白い問題提起である。私はかなり昔に「勝つってそんなにいい事か」という小論を書いて以来、何かに勝つという事自体に疑いの目を向けているのだが、そうすると人生のほとんどすべてにおいて勝利を放棄し、世捨て人になるしかないwww だが、「敗北主義」とは別だ。「勝負自体の否定」なのである。社会には、実は「協同作業」という、より重要な要素があって、そこでは勝利は関係がない。その代わり、当然「勝利の報酬」も無くなるわけだ。現代社会の9割くらいは「勝利への報酬」が行為の動機になっているわけで、そうすると「獣の世」になるのは当然である。

で、ここでは逆に「獣でなぜ悪い」という、臍曲がりな思考をしてみる。つまり、人間の獣性は完全否定していいのか、という考察だ。考えるまでもなく、人間の獣性を否定したら社会は成り立たない。スポーツやセックスは言うまでもなく、実は文学も映画も闘争と恋愛(セックス)が土台なのである。それを禁止したのが多くの宗教であり、儒教である。(儒教は宗教ではない。社会哲学である。)だから、宗教や哲学は一般人から敬遠される。恋愛やセックスが教祖や教義より大事となれば宗教は成り立たないわけだ。勝負事が元になっての争いや殺人もある。それほど勝負事というのは「血を沸かす」、つまり人間の獣性を解放するのである。
議論が面倒くさくなったので、結論を言うと、要するに、「獣性」は完全否定されるべきではなく「飼い馴らす」のが正解ではないか、という「当たり前すぎる結論」が私の主張である。「飼い馴らす」ためには、その対象の「獣性」の認識が大事で、要するに、スポーツやセックス(恋愛)やフィクション(文学・映画・漫画など)の持つ危険性を十分に世間(特に若者、特に若い女性)は認識していないのではないか、ということである。
私はフィクションが無いと生きる意味も生きがいも無い、という人間だが、フィクションで自分の獣性を解放する営み自体に或る種の危険性があることは知っているつもりである。もちろん、哲学的考察のようなものも(獣性の要素は少ないし、たいていは獣性を否定する結論になるが)フィクションへの耽溺である。そして、ニーチェが言うように、深淵を見つめる者は深淵に見つめ返されるのである。

(以下引用)

 哲学者である川谷茂樹は、スポーツは日常の倫理との緊張関係にあり、ほとんど不可避的に倫理的問題を引き起こす、危険な代物であると指摘しました。スポーツは日常生活で禁止される行為が許容される、独特のスポーツ倫理(対戦相手の弱点を攻める、対戦相手の嫌がることをする、殴る・蹴る・絞める・体当たりといった身体的攻撃をする)が存在するためです。
 日常生活で殴る等の行為によって他人に怪我を負わせれば、暴行罪や傷害罪が適用されます。しかしながら、ボクシングやラグビーでは、他人を殴ったり体当たりをしても、暴行罪や傷害罪には問われません。なぜなら、刑法第35条には「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」とあり、スポーツは「正当な業務による行為」とされるためです。つまり、日常生活で禁止されている殴る・体当たりという行為は、スポーツの世界で例外的に許容されていると言えます。
■スポーツは「えげつない行為」が求められる
 スポーツの本質は、誰(どのチーム)が優越しているかを決定する試みであり、勝利の追求が求められます。対戦相手(チーム)が敗北することによって伴う痛みや苦しみをおもんぱかっていては勝てません。
 川谷は、アスリートとして純粋に勝利を追求するためには、普通の人間としては「えげつない」行為を遂行する能力・技能が必要になると主張しました。同感です。Strandらによる調査は、川谷の主張を補強する結果になっています。




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抽象語の曖昧性が悪用されること(「通俗道徳」「勤労の義務」)

「混沌堂主人雑記(旧題)」で知った記事で、「通俗道徳」という言葉の解説がある。
私自身はこの言い方が嫌いで、そのことは前に書いたことがあるし、この言葉が独り歩きをすることで道徳全体が軽視される社会になる可能性を危惧しているが、下の記事で書かれている「通俗道徳批判」は優れた指摘であり、有益な記事だと思うので転載する。
なお、「勤労の義務」という思想は「働けない人々」の存在を無視した思想ではあるが、これは「義務」というものは「それが可能な人間だけが対象である」という大前提を社会常識としていくことで解決できるかと思う。たとえば子供や赤ん坊には勤労の義務が無いのは明白である。それなら、高齢老人や病人や一部の身体障碍者も同様だ、となるはずだ。自分が親から受け継いだ資産を運用して金儲けをしている人間を「勤労者」だと思う人間はそれほどいないのではないか。しかしまた、頭脳労働も勤労である、という認識は普通だろう。つまり、憲法で使われた「勤労」という概念の曖昧性はもっと認識されていい。

(以下引用)

「獣の世」から「人間たちの社会」へ回帰!(2)

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勤労が義務である国は先進国で日本と韓国だけ

 ――そもそも、今回のテーマである「分断社会」は、どのように形成されてきたのですか。


 井手 日本国憲法第27条に「勤労の権利と義務」というのがあります。勤労とは単に働くことではなく勤勉に(industrious)働くことを意味しています。おそらく「労働や就労が義務」の国はあったとしても「勤労が義務」である国は、先進国では日本と韓国だけだと思います。このことは、なぜ日本社会は引き裂かれ、分断されているかを考えるときにとても重要になってきます。


1.すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2.賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3.児童は、これを酷使してはならない。(日本国憲法第27条「勤労の権利と義務」)


 この「勤労」という言葉は、戦時中の国家総動員体制のもと、定着した概念であるにもかかわらず、日本人の心性に訴えかける言葉として左派にも好んで用いられています。


 1945年11月に出された日本社会党の綱領には、「わが党は勤労階層の結合体」であると最初に記され、翌月に出された日本共産党の運動綱領でも、勤労大衆、勤労者、勤労同胞など、勤労と言う言葉が8度も用いられています。

経済的な失敗者は、道徳的な敗北者になる

 歴史を遡ると、江戸時代の後期の民衆の間に広く定着していた「通俗道徳」的倫理観に注目することができます。江戸時代後期の商品経済の急速な浸透によって、民衆は商品経済に巻き込まれ、「家」まるごと没落の危機に直面しました。そうした事態に直面した民衆は、勤勉、倹約、謙譲、分度などの規範を内面化し、それに従うことで家没落の危機を回避しようとしたのです。こうした勤勉、倹約、謙譲、分度などの規範が「通俗道徳」と言われるものです。


 その後、この「通俗道徳」というイデオロギーが今日に至るまで、日本国民を縛り続けていくことになります。市場経済において、努力したにもかかわらず、失敗する人間は常に存在します。しかし、通俗道徳、すなわち「勤勉に働き、倹約に務め、努力するものは成功する」というイデオロギーを前提とすると、経済的な失敗者は、そのまま道徳的な敗北者になります。高度経済成長を牽引した、時の内閣総理大臣池田勇人は、「救済金を出して貧乏人を救うという考え方」を批判して、占領期の社会政策を「贅沢過ぎ」だと断罪しています。それは、経済的弱者を救うことは「濫救」「惰眠」を増加させるものだとみなされていたからです。

生き馬の目を抜く万人の万人に対する戦争

midori 通俗道徳が支配する社会とは、「努力が必ず報われる」という建前のもとで、勝者と敗者が存在する社会です。しかし、個別の人生1つひとつを取りあげてみれば、そこには多くの偶然が介在しますので、実際には努力が必ず報われるという保証はありません。それにもかかわらず、人びとは、自らが通俗道徳を実践したことを証明し、社会的な承認を勝ち取るために経済的に成功しなければなりません。


 その結果、勤勉、倹約、自己規律を求める通俗道徳は、逆説的に、生き馬の目を抜くような、「万人の万人に対する戦争状態」としてのホッブズ的世界を招き寄せてしまうのです。それが、極端な競争社会に全面化するのは、明治維新によって、江戸幕府が崩壊し、それまで人々の行動に枠をはめていた江戸時代の身分制的秩序が崩壊した後のことです。現在の「分断社会」の原型はこの明治時代に生まれています。そして、この状況を大本教の教祖である出口なおは「獣の世」(※)と呼んだのです。

通俗道徳は皇国勤労観へ変貌して延命した

 通俗道徳的な規範に立脚した社会はアジア・太平洋戦争の敗戦で最大の危機を迎えます。
しかし、通俗道徳は、この危機の時代を「勤労」や「倹約の美徳」の思想となって生き延びることになります。日本政府は1つひとつの通俗道徳の実践という従来の価値観を「家の存続と個人の立身出世」を目的とするものから「国家」を目的とするものへと変換させました。それが「皇国勤労観」です。これは後に、労働への義務意識が染み込んだ日本の「勤労国家レジーム」の成立につながっていきます。


 「勤労国家レジーム」のもとでは、勤労者への減税と勤労の機会を保障する公共投資を骨格とし、社会保障には多くの予算を組みませんでした。社会保障は就労ができない人向けの現金給付に集中し、サービスすなわち現物給付の占める割合は「限定」されることになりました。しかも、限られた資源を配ろうとすれば、低所得層や高齢者、地方部といった具合に、分配の対象を「選別」せざるを得なくなります。そして、この限定性、選別性の背景には「自分でできることは自分でしなさい」という「自己責任」の論理が徹底的に貫かれています。


 このことは、現役世代にとって、生活の必要、すなわち、住宅、教育、老後の生活等に必要な費用を、自分たちで稼得しなければならないことを意味していたのです。

しかし、バブルが崩壊後、状況は一変した

 一時は奇跡的とも言うべき高度経済成長による所得増大によって、多くの人々は自らの責任で生活の安定を確保することができました。人々は、「勤労国家レジーム」に基づき、
「倹約の美徳」を称賛し、将来に備えるため「貯蓄」に励みました。勤労を前提として、社会保障を限定する自己責任型の福祉国家を維持することができたのです。ここでは出口なおの案じた「獣の世」は、限定的にしか現れてきませんでした。


 しかし、バブルが崩壊後、状況は一変します。減税と公共事業に支えられた勤労国家の発動も虚しく、国際的な賃金下落圧力が景気回復を妨げ、巨額の政府債務が積み上がりました。また、少子高齢化が進み、専業主婦世帯と共働き世帯の地位も逆転、近代家族モデルは完全に破綻しました。さらにバブル崩壊に追い打ちをかけるように、市場原理や競争原理、自己責任論が持ち込まれました。


今、日本社会は通俗道徳の実践にエネルギーを費やした多くの敗者で溢れています。働くことは苦痛でしかなく、勤労の先に待ち構えるのは貧困のリスクなのです。まさに「獣の世」の再来と言えます。


(つづく)
【金木 亮憲】


(※)明治日本は一般的には、政治指導者から1人ひとりの国民までが一致団結して「近代化」を追い求めた、つまり「価値観が共有された時代」と言われる。しかし、その一方で、この明治日本を「獣の世」と喝破した人物がいる。大本教の教祖である出口なおである。


『外国は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ目が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ・・・』(出口なお 1837‐1918)


 「獣の世」(「分断社会」はその顕在化の1つ)は明治日本から始まり、一時高度経済成長の陰に隠れて見えなくなっていた。しかしバブルが崩壊、そして今、近代そして資本主義の終焉が近づくにつれて、「新自由主義」などと姿を変えて再びその牙を剥き始めている。
温かみのある、情熱や思いやりに満ちた社会、他者への配慮にあふれ、仲間のために行動することをよしとする誇りある社会、そんな日本社会はもはや昔話になった。そして、今や「貧困」や「格差」という言葉が日本社会を語る日常的なキーワードになりつつある。


<プロフィール>
ide_pr井手 英策氏(いで・えいさく)
 慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。1972年 福岡県久留米市生まれ。東京大学大学院経済研究科博士課程単位取得退学。博士(経済学)。著書に『経済の時代の終焉』(岩波書店、大佛次郎論壇賞受賞)、共著に『分断社会を終わらせる』(筑摩選書)、共編に『分断社会・日本』(岩波ブックレット)、『Deficits and Debt in Industrialized Democracies』(Routledge)など多数。


 

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日本軍と自衛隊

「世に倦む日々」氏がツィッターで大きな問題だとしている事件だが、私には今ひとつピンと来ないので、こちらの「雑談ブログ」に載せておく。「世に倦む」氏は「粛軍」だと言っているが、この言葉も初耳だ。で、「粛軍」とはおそらく「軍紀粛清」だと思うが、その何が問題なのかが分からないのである。仮に、「見せしめのために告発し、処罰した」とするなら、軍隊として当然だろうし、それがマスコミに知られたのが問題なら、むしろ知られないほうが問題なのではないか。
「世に倦む」氏は、米軍CIA(こう並べて書いているのだが、「米軍とCIA」の意味なら、「と」一字を省略する意味は無いだろう。米軍とCIAは別組織のはずだ。)の謀略だと見ているようだが、それも意味が分からない。私は、自衛隊が自浄能力があるのにむしろ感心したくらいだ。日本政府の他の官庁や国会議員にはほとんど見られないものであり、かつての日本軍にはまったく見られなかったものである。(軍部が政治を壟断したことが日本を破滅的戦争に導いた最大原因だと私は見ている。)単なるポーズだとしても、それをやるだけマシだろう。

(以下引用)

漏えい先は元海自ナンバー2 「国民裏切る行為」海上幕僚長が陳謝



海上自衛隊の1等海佐が特定秘密を漏えいした問題で、記者会見で謝罪する酒井良・海上幕僚長=東京都新宿区の防衛省で2022年12月26日午後2時27分、幾島健太郎撮影拡大
海上自衛隊の1等海佐が特定秘密を漏えいした問題で、記者会見で謝罪する酒井良・海上幕僚長=東京都新宿区の防衛省で2022年12月26日午後2時27分、幾島健太郎撮影

 安全保障に関わる機密情報の「特定秘密」を海上自衛隊・自衛艦隊司令官経験者のOB(元海将)に漏らしたとして、自衛隊の捜査機関にあたる警務隊は26日、幹部学校所属の井上高志1等海佐(54)を特定秘密保護法違反と自衛隊法違反の容疑で横浜地検に書類送検した。防衛省は26日、井上1佐を懲戒免職とした。2014年の特定秘密保護法施行後、特定秘密漏えいの公表と摘発はいずれも初めて。

 海自トップの酒井良・海上幕僚長は26日に記者会見し、「関係国との信頼を損ない、防衛省に対する国民の負託を裏切る行為。深くおわびする」と述べた。

 防衛省によると、井上元1佐は情報業務群司令を務めていた20年3月19日、元司令官に安全保障情勢に関する説明をした際、特定秘密にあたる情報を漏らしたとされる。情報業務群は機密を専門的に扱う海自唯一の部署で、司令はそのトップ。漏らした機密は、日本周辺の情勢に関するものや自衛隊の運用、訓練に関する情報だった。

 井上元1佐は特定秘密にあたる情報と知ったうえで故意に漏えいしたことを認め、「(元司令官に)畏怖(いふ)の念を抱いており、通り一遍ではない秘密の情報を伝えたいと思った」という趣旨の説明をしているという。

 自衛艦隊司令官は海上幕僚長に次ぐ地位。今回、情報を受け取った元司令官は現役時代、井上元1佐の上司だったこともある。

 元司令官は安全保障に関する講演をすることが多く、最新の情勢を知りたいと20年1月ごろに海自側に要望。神奈川県横須賀市にあった井上元1佐の勤務先を訪れて2~3月に計3回、2人きりで会って説明を受けたという。

 漏えいがあった3月19日に情報提供があり、警務隊が捜査していた。防衛省は、元司令官から第三者への漏えいは確認されていないとしている。また、自ら特定秘密を要求したわけではないとして、元司令官の告発を見送った。

 一方、防衛省は、元司令官に伝える内容を公開情報に限るよう上層部から指示されたのに井上元1佐に伝えなかったとして、自衛艦隊司令部情報主任幕僚だった50代の1佐(現在は幹部学校所属)を停職5日とした。監督責任を問い、当時の自衛艦隊司令官・糟井裕之氏と、当時の海上幕僚長・山村浩氏を減給と戒告に相当する処分とした。糟井氏については相当額の自主返納を求める。【内橋寿明、安達恒太郎】

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自民党が支持を回復する秘策 ww

「はてな匿名ダイアリー」記事だが、要旨を一言で言えば「宗教に実体的な現世利益はない」と言えるだろうか。宗教の利益はあくまで精神的なもので、現世利益を標榜する宗教はすべて詐欺だと言えるかと思う。
ただし、精神的利益はあるし、同じ宗教の信者相互の助け合いもあるだろう。それを現世利益と言うなら利益があるとは言える。信者相互の助け合いというのが発展したら創価学会のように政党を創設する方向にも行くわけだ。
だが、それは信者以外の社会構成員の不利益になるのは当然だ。たとえば、新コロ騒動に際して、公明党党員にだけ現金100万円給付すると政治決定されたら、即座に党員が人口の過半数を超えるだろうwww 選挙など、やる前から圧勝確実である。自民党なら、これが即座にできるのに、増税とか馬鹿なことを言っているww まあ、財務省の馬鹿官僚が政権の経済方針のハンドルを握っているからだろう。

(追記)「逝きし世の面影」から抜粋転載。

河信基(Ha Shingi) 
@hashingi 
 11月7日
5歳の愛息を餓死させた母親は最後の瞬間まで一心不乱、御本尊に祈っていたと告白。マインドコントロールしたママ友は創価学会員。聖書でも寄付を天国への道と教える。神風特攻隊やイスラム過激派を含め、宗教では常にあり得る
公明「旧統一と一緒くた」危機感

もっとも驚く大ニュースとは

驚愕的なコロナ解禁「週刊新潮」広告の隣に掲載された「週刊文春」広告では、初めて「マインドコントロールしたママ友は創価学会員」を示唆する文言が書いてあった。とうとう「統一協会」バッシングを突破口にして新しいステージに突入しているのである(★注、対象物が巨大で分割出来ない社会科学では、すべての「物事の優先順位」こそが一番大事だった)
テレビのワイドショーで大々的に取り上げられていた特異な凶悪事件の裁判なのですから、当たり前ですが大手マスコミ記者が大勢傍聴していたのである。ところがフリーランス記者を含む全員が怖がって一切合切、(在日知識人の河信基以外は)誰も彼も「創価学会」を何も報じないヘタレなのですから腹が立つ。(人間として生まれた限りは一人の例外も無く必ず死ぬのである。自分が死ぬことが、そんなに怖いなら記者を名のるべきではない)2022年12月13日 | 政治 「新聞休刊日」妙に恥ずかしいニュース

(以下引用)

[]両親が崇教真光にハマってた頃の思い出

カルト話題になってるから20年ぶりくらいに昔の事を思い出してしまったよ。


崇教真光って新興宗教を知ってるかね?


手を人の体にかざして祝詞を唱えると体が良くなるとか言うような現世利益を謡ってた。


ごくびーじっそうげんげん しかい たかまがはらに かみみたま もえいでまおす


とか、こんな感じの祝詞を唱える。数えきれないほど唱えたので、今でもそらで言えるよ。


御霊かいうお守りの様なものを肌身離さず着けてて、寝る時も頭よりも下に置いてはいけないとかで


神棚かに置いてた寝ていたと思う。小学生の頃は下着にお御霊袋が縫い付けられてて、起きてる間は常に身に着けていた。


から見れば、それはネックレスと言うか、アクセサリしか見えないらしく、虐められる理由にもなったりしたよねw


俺の両親がその真光にハマってたんだよ。


両親がハマるきっかけは、母親産後が悪かった事と、生まれた俺が虚弱障害を持ってたからだと思う。


2歳になるかならないかの俺を連れてった病院で、この子は一生立つ事も出来ないし、と医師に言われたのは今でも母が良く語ってる。


面と向かって聞いた事はないけれど、母親が足しげく俺を道場に連れてって、手かざしを受けさせていたか想像は間違ってはないだろう。


その地区の位が上の人と母親懇意というか親戚づきあいみたいな感じで、毎週のように家族で遊びに行っていたので


そのついでに道場手かざしを受けるというのが、俺の子時代の週末だったな。


当然なのだが、俺の障害宗教なんぞで治る事なんてなかったので、業を煮やした母と、真光の小母さんが


本山の偉い人の力を直接浴びるしかないというので、本山に連れて行かれた事もあるよ。


飛騨高山の山奥に、それはそれは荘厳な建物がたってんだけど、そこの大ホールで沢山の人と一緒に


教え主(いわゆる教祖)の手かざしを受けたね。その時が、一番献金したんじゃないだろうか。


うちはスーパー貧乏だったので、献金とかはしてたとしても、今から見ればたいした額にはなってないと思うけどな。


しかし、そんなことをしたところで俺の障害が治る事なんぞあり得ず(2度目


実効がない事で目を覚ましたのか、中学に上がる頃にはお御霊なんて付けなくて良くなっていた。


そしていつの間にか家族の誰も真光のことを話題にもしなくなって、今では誰も両親に聞けなくなったw


うちの場合は、体に障害がある、生まれつき虚弱で、医学では救えない俺を非科学的な力で救いたかったという


両親の思いが宗教にのめり込ませてしまったけれど、そんな事が可能なはずがないので(3度目)


幸運にも、あるいは必然的に目が覚めてくれた。


俺が4歳くらいか小学校5年で引っ越すまで、およそ7年程度の間。


毎週のように手かざしを受け、大人から同情され優しくしてもらって、お御霊を首からぶら下げてる障碍者だってんで


クラスメイトに虐められて嫌な思いをしたくらいしか宗教についての思い出はない。


幸運にして、宗教には何の力もなく俺の障害は治らなかったので(4回目)家族破綻しなかったし


貧乏だったか経済的にもたいして損はしてないだろう。


その後、宗教なんぞから足を洗った御利益で、仕事で父が成功し小成金になり、


勉強だけは出来た俺も順調に成長して、東大に入って、大学院卒業することもできました。


理学療法士による賢明リハビリ筋トレ甲斐もあり、高校に上がる頃には杖付きでなら歩けるようにもなりました。


今でも車椅子と半々の生活です。


宗教なんぞで人は救われませんw


そんな俺が、その後に入った会社で真光の信者である彼女出会ったのだけど、それはまた別の話。

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天皇の政治発言は是か非か

「世に倦む日々」氏のツィートだが、これは根本的に間違っていると思う。
仮に天皇がそういう発言をして、政府が即座にそれに応じて動いたら、日本は「天皇制国家」だということになる。つまり、天皇の政治的発言が政治を決めることになる。これは明らかな憲法違反だろう。私は尊皇主義者だが、同時に憲法尊重主義者であり、どちらを優先させるというより、「現憲法下での天皇」を尊重するのである。つまり、天皇と憲法を不可分のものと考えている。憲法を尊重するなら天皇を尊重するのが当然だし、逆も同じだ。
天皇は存在するだけで社会の重石となるというのがその存在意義だというのが私の考えだ。できれば、重大災害時に被害地に慰問に行くという、上皇夫妻のような献身的行動が望ましい。それ自体が無言のうちに、庶民無視の政治への痛烈な批判となり、社会の倫理意識を向上させるのである。

天皇の政治的発言が許されるのは、国家の究極的危機の段階、つまり戦争が始まる可能性が目前にある時であり、その時は天皇は「憲法9条に則って」、戦争に反対する意志を表明し、政府と正面から対決するべきである。それが国民の象徴である天皇の最重要の責務だろう。その時、天皇に反対し政府に賛同する国民は(戦争で金儲けを企む一部を除いて)ほとんどいないと私は思っている。その時、政府が自ら内閣総辞職するのが、「日本の特色ある民主主義」である。

(以下引用)

本当はここで天皇が出てきて言わないといけないんだよ。「佐渡のことが心配です。オホーツクは大丈夫でしょうか」と。そしたら、首相が慌てて指示を出して、陸自と経産省が救援と復旧に動く。人海戦術が始まる。それが憲法第1条の理念だ。「日本の特色ある民主主義」というものだ。

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日本人は食生活まで奴隷なのか

「ネットゲリラ」記事だが、ここらで日本人は発想の転換をしたほうがいい。というより、温故知新、古きをたずねて新しきを知る、である。
宮沢賢治は「雨ニモマケズ」の詩の中で「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」と書いたが、あれだ。玄米四合は肉体労働をする百姓の食生活だろうが、逆に言えば、生命維持には炭水化物こそがエネルギーであり、後は「付け足し」でしかない、ということである。現代の食品栄養学など糞食らえ、である。私が60歳過ぎてから肉体労働生活をしていた時の昼飯は、でかいおにぎり2個だけだった。つまり、エネルギー補充だけならそれで十分だということだ。後は、朝食や夜食で多少のタンパク質やビタミン・ミネラルを補充すればいい。(ミネラルは肉体労働にも重要であり、汗と共に体外に流出するから、スポーツドリンクは欠かせない。風邪などでも厚着して汗をかいて治すにはミネラル補給が大事だ。)
で、商売の話だが、今こそ「おにぎりの復権」だ、ということである。幸い、今年は豊作だったらしく、コメの値段が安いはずである。で、日本人のコメの消費が増えれば、外国から輸入される小麦やトウモロコシの値段に一喜一憂することもない。少なくとも、主食が大丈夫なら生命は保持できるのである。おにぎりの大きさを均等ではなく「大・中・小」に分け、それぞれ100円、80円、50円で売ればいい。小のサイズを現在の通常サイズとしても、原価から見て、それで十分採算に合うはずである。購入者は自分の腹具合と相談して大1個と小1個、のように買えばいい。ついでに、水や茶も50円以内で買えるようにすべきである。私なら自宅から水筒を持参する。
まあ、それ以前に、個人個人が自宅で飯を炊けばいいだけの話である。おそらく、2000円(5キロ)あれば、一か月の主食は間に合うだろう。2000円など、コンビニ弁当の3食分である。つまり、たった1日分だ。飯を炊きすぎたらチャーハンにでもして冷蔵か冷凍すればいい。


(以下引用)

セブン新作 「チャーシュー弁当」 580円というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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https://netatopi.jp/img/ntp/docs/1465/028/1.jpg
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米粒でけぇ!と思ったら容器が小さいのか
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↑ 直近のは米粒が大きく見えるよな
弁当自体が極小である事が即バレ
次回作は飯を見せないように進化
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728kcalだからそこそこのボリュームと見せかけてタレの油で誤魔化してるんだよな
牛カルビ弁当とかも不自然にカロリー高い
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※ チャーシューはイラストです
※2 このキットに米粒は付いていません
※3 女性にもうれしい食べきりサイズにしました
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チャーシューの薄さ限界に挑戦!
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目先の利益の為に必要な所を削ぎ落として失っていく物の多さに気が付かない感じ、セブン弁当は日本社会を映す鏡
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どうせまた詐欺レベルで量が少ないんだろ
もうセブンは行かない
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最近、ワンコインでは買えない商品ばかり発表してね。
コンビニなんて簡易に弁当などの食品を買う場所だろ。
アホみたい。
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弁当の厚みが分かるように撮れ
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500円弁当とか何時までデフレするんだよ
こんな無駄な物に必死に金突っ込んでるから
給料も景気もよくならんのだよ
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先日セブンの惣菜コーナーを改めて眺めてたんけど弁当が副菜並の大きさでびっくりしたぜ
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金の○○シリーズとかプライベートブランド始めたころは良かったのにね
凋落っぷりがひどい
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適正価格は280円だな
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上げ底に極薄カットしたチャーシューがトッピングしてあるだけだろ?
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惣菜並みの小さい容器だな
しかもどうせ上げ底なんだろうし
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10月頃にテスト販売してたらしく、その時の写真(ブログがヒットした)
ご飯は安定の薄さ
https://i.imgur.com/0GwHY64.jpg
https://i.imgur.com/tbcYMhi.jpg
https://i.imgur.com/of74dYy.jpg
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↑ よく見たらこの容器もしっかり上げ底なんだな
四隅に足を作って底全体をうっすら持ち上げてやがるww
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↑ チャーシューがスライスハムくらいの厚さしかない!
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手のひらサイズか?
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タバコの箱2つ分の大きさにペラペラご飯か
茶碗一杯分もないなw
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日本人にこれを食えと?
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セブンって00年代まで鰻重弁当が普通に売ってたのに
日本どんだけ貧乏になったんだ
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株が大暴落して恐慌がくるぞ
日の丸弁当にするわ
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ニートの仕事はネガキャンと女叩き
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セブンは食い物がこんなのばかりになったな。10年くらい前は幕の内弁当とかあって良かったのに。会社って社長変わると駄目だな。
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マジで自炊で作れよと思う
1000円あればこの弁当10個分のチャーシャーできるぞ
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薄さに挑戦してそう相模ゴムみたいにw
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セブンイレブンスレに最新の上げ底事情を見に来るのが楽しみ
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濃いタレで脂身を肉のように見せてるのか
いくらチャーシューだからってこれじゃ赤身2、脂身8くらいの割合に見える
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チャーシューの厚みは65nm(ナノメートル)
ご飯は一粒厚で均等に敷き詰められてる

コストの大半はこの芸術的な製造工程によって消費されている
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コンビニどこも値上げしすぎだわ
スーパーで買った方がうまいし安い
めんどくさいけど
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セブンの信用は売りつくして在庫ゼロです
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それは叉焼(チャーシュー)じゃない、煮豚だ
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チャーシューをめくるとそこは底だった
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高いせいで売れ残り廃棄になるのに廃棄の値段乗せるから無駄に値段が上がる
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チャーシューと見せかけて源氏パイ
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全然美味そうな気がしない。
そもそもチャーシューは飯物の主役はれるような存在じゃない
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米なんてそんなに高くないだろうに
ここまで米減らすのはなぜなんだぜ?
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↑ もう米以外減らせるものがないから
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飲み物のパッケージみたいに
チャーシューが外装フィルムに印刷されるようになったら教えてくれ
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米は入ってますか?
チャーシューの厚みは、オニギリの海苔より暑いですか?
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これ、実物カードサイズでびっくりしたわ
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写真で底がちょっと見えてるのは
揉めた時に嘘はついてないって主張するためだと思う
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ダイエット中の女子高生にはちょうどいいサイズだろうが、マトモに働いてる人には足りないこと、この上ない。ガテン系じゃなくても、普通の人でも足りないだろう。だから、付け合せのサラダやおにぎりで満たすしかない。コンビニ飯でも500円じゃ済まないw

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2026年の在日米軍撤退と自衛隊の軍備増強の関係

増田俊男の「時事直言」記事で、話の冒頭を少し省略した。
赤字にした部分は非常に重要な話だが、私は初耳である。あるいは、聞いてはいたがガセネタかと思っていたのかもしれない。これによって岸田の異常で駆け足の軍備(軍事費)増強の意味が明確になる。もちろん、私は軍備増強は逆に戦争の可能性を高めると思っているのでこれに反対だが、一般的な政治家は、岸田的な思考(行き方)が普通だろう。

(以下引用)


マッカーサーに「戦争放棄、陸海空の戦力を保持せず、交戦権が認められない憲法第9条」を与えられた上、「日米安保は日本の安全の要」と信じ込まされ、「丸裸の日本」の安全はすべてアメリカに委ねている。
従って「日本の安全はアメリカの手の内にあり、全く日本にない」から日本に主権はなく、名前はいざ知らず、日本は実質的に独立国ではない!
米軍が2026年に沖縄をはじめ日本から撤退することは2013年米議会上院、下院で決議され大統領が署名しているのでむしろ「過去」の出来事同然である。
アメリカが日米安保付記の日米地位協定で諸々の米軍人の対日優先権を決めているが、さすがのアメリカも日本に占領代(駐留軍経費)を払えとは言っていない。ところがかつての自民党のドンであった金丸信が「思いやり予算」(アメリカに生意気だと思われると言うことで「日米同盟強靭予算」に名を変えた)などと言って駐留米軍兵費の75%を払うことを決め、いまなお払い続けている。
誰でも奴隷にされたら一日も早く解放されたいと願うものだが、日本は自ら進んで奴隷になろうとする「世にも不思議な非主権国家」である。
政治的対米けん制で中国との同盟を模索した田中角栄はアメリカの偽情報で失脚後不慮の死を遂げ、「ドルとの心中」を避ける為外貨準備中10兆円相当のドル資産をIMFのSDR(特別引出権)と交換して米資産を減らした中川昭一(麻生内閣時財務大臣)はG7財務大臣・中央銀行総裁会議(ローマ)に出席中、何者かに好きなワインを飲まされ、酔ったところでいきなり記者会見の席に座らせられ「酩酊記者会見」を強いられ政治生命をはく奪された後変死を遂げた。
政治、経済でアメリカに反する者は消され、けん制しただけでも政治・肉体生命を失う。


三文書改訂により自衛隊が持つ「反撃能力」(先制攻撃能力)はアメリカが日本に強要している憲法第9条(専守防衛、陸海空戦力保持禁止、交戦権不認)に真っ向から違反する。
三文書改訂を強引に進める岸田はアメリカに暗殺されるどころか「願ったり、叶ったり」と歓迎されている。
不思議なことには「裏」(真実)がある。
「日本の運命の時が迫っている」!

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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