・年下の先輩
20歳で入った時点で覚悟はしてたけど一個下からの「お前」は相当堪えたで
・クソみたいな仕事
アラフィフのジジイになっても真夏に草刈りは当たり前
職種は希望通りにいくわけじゃないから全く興味ないことを定年までやる羽目になる可能性の方が高い
・クソ野郎の軍勢
学校一のギリ健を全国から集めたような組織が自衛隊や
運動しかしてこなかったアホとチー牛、元ニートorフリーターが9割を占めている
そのクソ野郎どもと24時間同じ屋根の下で暮らさなアカン地獄は筆舌に尽くしがたい
気の赴くままにつれづれと。
だからと言って、安倍晋三暗殺を、私が喜んでいるかというとそんなことはない。
瞬間的に想起したのは、2.26事件だ。
血盟団テロから2.26クーデターへの道は、民主主義という妥協の知恵を一瞬で破壊し、排外と強権と戦争への道へ日本を突き落とした。
安部銃撃の報を聞いた瞬間、いよいよその行程に入ってしまったのか、と戦慄した。
あらゆる暴力は許せない、とも言わない。
この世には、どうしようもない暴力にさらされて、生きるためにやむにやまれぬ暴力もある。
大きな暴力は見えにくく、小さい暴力は見えやすい故に、軽薄な「暴力反対」は、大きな暴力だけをはびこらせることになる。
それでもなお、テロで生きやすい世の中は作れない。間違いなく。
テロによる政治は、皮肉なことに、安倍晋三がやろうとしていた強権と恫喝の政治と同じだ。
理想を強制する政治は、その理想が間違っていようが正しかろうが、絶対に生きやすさは生み出さない。
もう一点、安倍暗殺を喜ぶわけにいかない理由。
安倍晋三には、生きて地獄を味わってもらいたかった。
名誉も生きる意味も失って、天命を全うするまで、苦役を担ってもらいたかった。
もともとロクでも無い日本の政治を、ほんとにどうしようも無いことにしてしまったのは、小泉純一郎(私的悪政治家No.2)と、安倍晋三だ。
安倍晋三の大きな暴力で、どれだけの人が殺されたか。
こんなにあっさりと死んでいい人だとは、思えない。
これから、安倍晋三を英雄化する動きが、マスコミを総動員して始まるだろう。
絶対に屈しない。
絶対に哀悼の意など表しない。
断固として、お悔やみなど申しあげ ない!
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●ネズミ講の宿命●
近代以前の貧しい社会に資本主義システムが導入されると、まず少数の者が豊かになり、豊かな食生活や高価な医薬品、医療サービスの恩恵を受けて寿命を延ばす。
この結果、年齢別人口構成を示すグラフはピラミッド型……ではなくて、逆T字型になる。所得別人口構成のグラフも同様である。
この場合、少数の金持ちは、高度な教育を受け、情報を集め、国家や企業の運営方針について、排他的独占的に影響力を行使する。
政治は少数の豊かな特権階級に基づく非民主的独裁政治か、または(1918年以前の英国や1925年以前の日本がそうであったように)所得(直接税の納税額)によって選挙権を制限する「制限選挙」に基づく議会制民主主義政治となる。
逆T字型の「上」(頂点)に立つ年長者、政治家、官僚、経営者、管理職、商品開発者、研究者、著者、芸術家から「下」にいる若者、貧乏人、労働者、消費者、読者、観客に向かって、政策、法律、教育、広告宣伝、流行情報、文化、命令、需要が発せられるので、「下」はひたすら「上」に従えばよい。
たとえ「下」にいる者でも、このシステムに(早く)参加した者は豊かになれる。貧しい家に生まれても、「上」の望むような教育を受けて、読み書きや「毎朝起きて定時に同じところへ通う生活習慣」を身に付け、就職後はよく働き、よく稼ぎ、貯めたカネは、「上」の連中が開発した商品やサービスを購入するのに使う。そうこうするうちに「下」の連中もある程度寿命が伸び、生活水準が向上するので、逆T字型は中盤が少し幅広になって、三角形型、すなわち典型的なピラミッド型になる。
この傾向が続いて、「下」の者が全員中年や中産(中流)階級、すなわち「中」になってしまうと、「下」がいなくなって困る。そこで、政府は女性には大勢の子供を産んでほしい。
が、生活が豊かになり、セックス以外に「やること」の増えた中産階級の夫婦はそうそう大勢の子供はつくらない。医療のお陰で乳児死亡率も下がったことだし、「少なく産んでだいじに育てよう」と考える。このため、年齢別人口構成も所得別人口構成もやがて、ピラミッド型から逆U字型(釣鐘型)になり、最終的には逆ピラミッド型になる。
この「最終段階」になると、ネズミ講は破綻する。
そもそも「下」の連中は、「努力して勉強や仕事や貯蓄をすれば『上』に上がって、命令を出したり流行や文化を作り出したりする側にまわり、最先端の医療や教育を受けられ、老齢年金も十分に得られる」と思って頑張って来たのに、いざ自分たちが中年や中産階級になってみると、「『上』はもう定員オーバーで、新規募集は行っておりません」と言われたことになるからだ。
国民の大半が豊かになって「総中流」になった国があるとすれば、それは成功であると同時に失敗なのだ。
国民の多くが「努力して『中』(真ん中)に上がったと思ったら、依然として『下』だった」というのは、民主主義国家としては、いかにもまずい。大勢の国民がそういう現状に不満を抱くと国家体制が崩壊しかねない。そこで、国家がこのシステムを破綻させないためには、抜本的な対策が必要になる。
歴史的に見て、方法は2つ。
1つは、豊かになった国民を相対的に「中」に押し上げるために、貧しい外国を自国の経済圏に組み込み、外国の貧乏人と若者を自国経済圏のピラミッド構造のいちばん「下」に敷くこと。もう1つは、革命か戦争で自国を含む各国の国家体制を破壊して、すべてを「ご破算」にすることだ。
それでは、初期社会主義(空想的社会主義)の議論を説明する前に、初期社会主義が生まれた時代背景を簡単に説明します。
初期の社会主義の思想は、イギリスやフランスの知識人の中から生まれました。
結論から言えば、社会主義思想がイギリスやフランスの中から思想が生まれたのは、それだけ社会で格差が大きい社会だったからなのです。
そもそも、社会主義思想が生まれた18世紀後半、フランスは君主や貴族、聖職者の権力が強く民衆の自由は阻害してされていました。君主や貴族、聖職者が特権を持っていたことからもちろん経済的な不平等も大きく、フランスではそれが革命の原動力になります。
一方、イギリスは王権が憲法で制限されていましたが(立憲君主制)、民衆らの中で格差が生まれていました。なぜなら、イギリスは産業革命の中心であり、生産が機械化されて、生産設備を持たない手工業者や労働者らが貧しくなり、一方で生産設備を持つ資本家は富を拡大していったからです。
→イギリスで立憲君主制を成立させたイギリス革命について詳しくはこちら
イギリスでは、格差拡大で貧しくなった人々が反乱を起こすようになります。
社会主義は、こうした社会の中から生まれたものだと覚えておいてください。
このような時代背景から生まれたのが、空想的社会主義と言われる素朴な社会主義思想です。まずはここまでをまとめます。
「空想的」というのは、この時代の社会主義は理想的な社会を描くのみであったり、個人的な取り組みとして行われるのみで、社会を大きく動かすほどの学問的な議論や強い社会思想ではなかったためです。
そのため、この時代の空想的社会主義は社会を変革することはありませんでしたが、その後社会を大きく変えていく社会主義・共産主義という思想を生み出したという点に、その意義があるのでした。
代表的な初期社会主義の議論を紹介します。
社会主義・共産主義的な思想をたどれば古代まで遡ることができます(たとえばプラトンが『国家』で論じた理想社会やトーマス・モアの理想的な共産社会など)が、近代的な思想・イデオロギーとしての社会主義・共産主義の起源と言える思想に絞ってここでは紹介します。
バブーフ(1760-1797年)は、フランス革命の中で登場した、最初の社会主義思想家です。バブーフはフランス革命の「自由、平等、友愛」というスローガンに対し、「平等、自由、共通の幸福をーしからずんば死を」というスローガンを対置し、私有財産制の廃止や独裁による改革を主張しました。
バブーフの思想は、以下のようなものでした2。
バブーフは領主の領地を管理する管理人を仕事とした人であったため、農業共同体をベースにこうした共同体的(共産主義)社会を理想としたのです。
バブーフは1796年に反乱したものの鎮圧し失敗に終わります(バブーフの陰謀)。しかし、革命を起こして独裁政権を樹立し共産主義的社会を実現する、というこの思想はその後の社会主義・共産主義思想に継承されていきました。
バブーフからしばらく後、ロバート・オーウェン、サン・シモンらの代表的な空想的社会主義者が登場します。
これから紹介するロバート・オーウェン、サン・シモンらは今でこそ「空想的社会主義の論者」として知られていますが、注意が必要なのは、自ら空想的社会主義者であると名乗ったわけではないということです。エンゲルスによってラベルを貼られたのだ、と理解しておきましょう。
サン・シモン(1760-1825年)は、アメリカ独立戦争に商工として参加し、後に合理的な産業社会を追求することによる社会主義を提唱したことで知られています。
「サン・シモン主義」とも言われる彼の思想は、以下のようなものでした。
このように、国家がいわば大きな会社や工場のように組織化されることで、国家運営が合理化されると共に平等な社会が実現されるとサン・シモンは主張したのです。
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ロバート・オーウェン(1771-1858年)は、イギリスで紡績工場を経営していた資本家であり、空想的社会主義者でもありました。
オーウェンは『協同組合雑誌』において「社会主義」という言葉を初めて使ったという説があります3。つまり、オーウェンを社会主義の起源と見ることも可能です。
オーウェンは、労働者の生活を改善するために自ら動いたことで知られ、工場内に幼稚園を設置したり、労働者を保護する労働立法を主張し、工場法(1833年)の制定に大きな影響を与えました。
オーウェンの思想には以下の特徴があります。
オーウェンも農業を中心とした、共産的な社会を理想としたのでした。
オーウェンの特徴はとことん実践家であったところで、オーウェンは理想の共同体を実現するためにイギリスからアメリカ・インディアナ州に移住し、「ニューハーモニー村」を作りました。
この村は失敗こそしたものの、オーウェンの挑戦的な行動は労働運動における協同組合運動に影響しました4。
サン・シモンやオーウェン以外にも、生産の国家統制を主張したルイ・ブラン(フランス)や、無政府主義者(アナーキスト)のブルードン(フランス)、民主主義的でかつ共産主義的な理想の共同体を理想としたカベー(イタリア)などがこの時代現れました。
いずれも、このように多くの社会主義者が登場したのは、産業革命によって苦しい立場に置かれる労働者が急増したことが、彼らの問題意識にあったからでしょう。
彼らのような初期社会主義者は、実際に社会を変革することには失敗しました。
しかし、社会主義という可能性があることを多くの人に知らしめ、その後の世代に影響を与えていったという点でやはり意義を持つ存在なのです。