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人間が道具や家畜である社会

「馬鹿国民帝国日本の滅亡」から記事後半を転載。
私が常々「徽宗皇帝のブログ」などで言っていることに近いのではないか? 私が言うと説得力が無いが、下記記事の論を否定できる人はあまりいないだろう。つまり、資本主義の行き着く所はこうなるしかない、ということである。
自由主義(資本主義とはこれを経済面で言ったものだ)とは自由競争社会肯定主義のことだが、実はそれは強者=資本家という怪物がすべてを自分のものにする弱肉強食社会を肯定することだ。近代の社会運動は、こうした動物的社会を人間的社会にするべく非常な努力をしてきたのだが、そういう歴史に無知な大衆が自ら労働者の権利や国民としての人権を手放してきたのが、レーガン・サッチャー・中曽根以降の政治である。つまり、資本家のための政治の推進だ。
わずか1%の人間が他の99%を支配するという、この奇妙な事態は民主主義という実在しない政治体制への幻想を利用して作られてきたのだが、そもそもの根底には政治の現実に対する人々への長期に亘る洗脳がある。たとえば社会主義や共産主義への無知や誤解などだ。これは、中学や高校の教科書や参考書でその成り立ちや歴史を見るだけでその本質は分かるのだが、大衆は新聞・雑誌・テレビなどの洗脳によって作られた自分の固定観念に延々としがみつく。その結果は資本家独裁の新自由主義世界である。つまり、弱肉強食のジャングルへの逆戻りである。人々は、こういう事実を目の前にしても、まだ自分の手足を縛る鎖に気づかないのだろうか。

小田嶋隆ツィッターに「或る種の動物にとって他の生き物は『エサ』か『敵』かのどちらかでしかない」という趣旨のことが書いてあったが、我々はそういう動物が支配する社会に生きたいと望むのか? それとも人間が人間として生きられる社会を建設したいのか?



(以下引用)


ところで、会社が「株主のもの」で、「社員のもの」ではない!…ということの意味するところである。

日本人は、「会社」を「家族」や「村社会」のように錯覚している。

実際、そういう風土ができるかもしれないが、所有権は株主にある…つまり…

あなたが社員として「自分は会社の一部」と思うほど、会社は「株主のもの」だから、あなた自身も株主の所有物ということになる

あなたには、「所有者」がいるということである…あなたはいつから売買される奴隷になったのか?


このようにして株主は”すべて”を手に入れる…

会社というのは、利益を生む財産…いわば、金の卵を産むニワトリ、カネのなる木である。

それが「株主のもの」なのである。


そして、会社というのは、公共性があり、社会性がある…

それが「株主のもの」だというのである。


株主は、会社を支配することによって、会社に関わる社会的公共的財産をも支配下におく


これは、所有権を認めたことによって発生した”階級社会”である

財産権に留めるか、限定つきの所有権であるならば、株主は”すべて”は支配できない。


だが、人々はこの”資本主義”を「当然のこと」のように認識(錯覚?)して支持してきた。

自分が、株主に支配されるだけの、使い捨ての道具となる社会システムを認めてきた。


だから、人々は”当然の報い”を受けているわけだし、これからも受けることになるのである。


所有権の恐ろしさは、所有対象に対する決裁権の独占にある

よって、”資本主義”においては、「資本家独裁」が成立する。

それは、”共産主義”が、「共産党独裁」となったこととまったく変わりがない。


本来共産主義とは、「99%」の「独裁」…つまり、「民主主義」ということなのだが反対のものになった。

資本主義だって、日本的な”村社会”で、「会社は社員のものでもある」という”共有財産の思想に立つならば、現代のようにはならないのである。


現代資本主義において、資本はいかに巨大で公共性をもつようになっても”私有財産”であって、”共有財産”ではない。

そういう思想で現在、やっているから、とんでもない世の中になっている。


だが、日本の支配層は、ずっとこういうサタンの思想でやってきた。

社員は、株主の「所有物」…つまり、家畜、奴隷…


国家も同じような思想でますます動いている…

国民は、国家元首の「所有物「…つまり、家畜、奴隷…


「同じ人間」などではないのだ…


すると、なるべく安くこき使って、使い捨てにしようというのは、普通のことになる。

だから、若い元気な人間を雇って、老朽人間はリストラするのだ。

労働者の「努力」や「我慢」が報われることはない。


そして、「安い」方がいいから、外国人を受け入れたがるわけだし…

工場ごと海外移転して、そこの「安い」労働者を雇うのである。


そして、それが日本内地に輸入されてくる!!!


「made in china」とか「made in koria」とか書いてあっても、日本資本が大きく関わっている。


国内では機械化、労働集約化で価格破壊が生じ、多くの者が仕事を失う。産業が潰れていく…

さらに、多国籍化した日本企業の「安い」現地労働力で作った商品の輸入により、これまた価格破壊が生じる。

TPPで潤うのは、日本企業とて同じことである。

しかし、「株主のもの」であるから、恩恵は株主にしかない。


他の者は、「安く」こき使われるだけだし、価格破壊で仕事もなくなり、良い商品もなくなる。

「いい仕事」には、手間暇がかかるのだから、価格破壊なんかされたら、維持できない。


そして、こうした大企業のグローバル化、機械化、逆輸入といった産業サイクルを、政府が益税だの公共事業などで加速させている。


人々は”デフレスパイラル”と呼んできたが、現実を正確に表現していない。


目の前で起こっているのは”ディスカウント・スパイラル”である。


消費税増税も、一般庶民はほとんどダメージを受けていない。

それ以上にディスカウントが進んでいるからだ。

消費税のしわ寄せは、価格決定力のない弱小事業体で、個人のガソリンスタンドをはじめ次々と廃業することになっている。


農業にしても、農家がいくらよいものを手間暇かけて作ろうとしても、安物をどんどん流通させようと政治がやっている。

安物は、手抜きだし、毒物がいっぱい含まれているし、しかし、農家が潰れて食料自給率はさらに低下しているので「農産物の供給を止めるぞ」と脅されれば、核を持っていたってどうしようもない。


だが、やはり、それ以上に問題なのは、高齢化してボケているのかもしれないが、昨今はこうしたことを気にかけたりする人間が少なくなったことだ。

いたとしても、分断されて通じ合いにくくされている。


だが、歴史を振り返ってみれば、戦犯財閥は、ことごとく労働運動を潰してきたのであった…

炭鉱の労働者が団結してくると、安い石油に切り替えて炭鉱ごと”ポイ捨て”にした。


国鉄がストライキも辞さぬ団結をみせれば「無駄だ」「非効率だ」と称して”民営化”してしまった。


もちろん、労働組合や革新政党にも重大な問題があったのだ。

だが、大きく俯瞰してみれば、労働者の団結を封じて「安く」こき使って使い捨てにするために、資本家は工場は移転するし、外国人は「移民」などと言って引き入れようとするし、動きは一貫している。


…にも関わらず、いまや「日本の敵」となった日本企業を、日本そのものであるかのように錯覚して応援しているバカ国民が少なからず存在する。

日本企業を応援するという反日行為を、日の丸掲げてやらないでいただきたいものだ。


日本企業が日本と日本国民をこれ以上喰い尽くさないうちに、何らかの手を打たなければ、日本民族は根絶やしとなろう。


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ブラック企業の退場は近いか

いい傾向である。
私の感想はコメント6と同じ。
全国的に、ある種の職業分野では猛烈な人手不足が起こっている。雇用問題におけるこれまでの異常な企業側の買い手市場から、労働者側の売り手市場への変化である。実は、これによって(民間購買力の上昇が起こり)本物の景気回復も起こるのであり、一部の悪徳会社が潰れることは、景気回復への第一歩だと見るべきだろう。
ただし、死ぬのにも税金をかけるという政府の下では、安心して金を使うこともできず、景気回復は見込み薄だ。


(以下引用)



すき家、時給1375円でもバイト集まらず ワンオペが原因?

コメント( 28 ) 
        

1: 栓抜き攻撃(秋田県)@\(^o^)/ 2014/05/05(月) 00:24:46.67 ID:ssoSrHe00.net
人手不足が外食、小売り、運輸など幅広い業種に広がっている。働き手の減少という構造的な要因に加え、景気の回復基調でパート・アルバイトの奪い合いが起きているためだ。時給上昇だけでなく、賞与を支給したり、 正社員化したりする動きも出てきた。【神崎修一、高橋直純、永井大介】

 「(午後)9時半がラストオーダーです。入り口を閉めるので、裏口からお帰りください」。東京都心にある牛丼チェーン店「すき家」の店員は、食事中の客にこう告げた。通常24時間営業だが、 3月下旬から午前9時~午後10時に短縮した。アルバイトが辞め、店を回せなくなった。別の店では、バイト募集のポスターの深夜時給1325円という印刷文字の上に、手書きで1375円と記されていた。

 都内のすき家で働く複数のアルバイト店員は「大学生のバイトが辞めて人が集まらない」「朝まで1人なので仕事はきつい」と口にする。2月以降、約250店が一時休業や短縮営業に追い込まれた。
牛丼大手3社の中で最後発のすき家は、急ピッチの出店で2008年に吉野家を抜き、業界首位に躍り出た。急成長を支えたのが、深夜に店員1人で接客や調理を担当する「ギリギリの人員」(バイト店員)。
メニューの多様化で仕事が増え、営業できなくなるほどの大量退職につながった。

 居酒屋チェーン「和民」を運営するワタミも、全体の店舗数の約1割にあたる60店を今年度中に閉鎖、1店当たりの人員を増やし、職場環境改善を進める。長時間労働が常態化しているチェーンもあり、 飲食業はもともと敬遠されがちだったが、景気が良くなり他業種でもバイトの条件が改善した。「バイトに対する教育が不十分で、やる気、やりがいをうまく引き出せていない」(リクルートワークス研究所の戸田淳仁研究員)ことも要因のようだ。

 人手が足りないのは飲食業だけではない。建設業では、復興需要や公共事業の増加で、入札不調や工期の遅れが相次ぐ。運送業界も3月まで「駆け込み需要で配送の依頼が増え、仕事を受けきれなかった」(都内の運送業者)という。

http://mainichi.jp/select/news/20140505k0000m020109000c.html 




3: ファルコンアロー(dion軍)@\(^o^)/ 2014/05/05(月) 00:28:37.39 ID:iEXYkGbH0.net

強盗入るのに安すぎるやろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



4: ローリングソバット(庭)@\(^o^)/ 2014/05/05(月) 00:29:40.79 ID:6pTppqqw0.net

強盗に入られて、運が悪ければ殺される可能性があるからな。



5: TEKKAMAKI(富山県)@\(^o^)/ 2014/05/05(月) 00:31:29.07 ID:5tA126d+0.net

こんだけ悪評広まってるのに働きたがる情弱なんているのか?



6: アキレス腱固め(WiMAX)@\(^o^)/ 2014/05/05(月) 00:31:44.95 ID:Tm2UyZEk0.net

完全に詰み。
昔と違って情報はキッチリ行き渡るし、定着したら誰もいかない。ここまま潰れて市場から消えていいよゼンショーさん。
君らが貪った利益、こうして報いを受けてどんどん減ってるねwww。最初からまともにしてたら、残ったんじゃないの?その利益www

株主はなにやってんの?

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『渚にて』の静かな死

「逝きし世の面影」から記事全文を転載。
昔、『渚にて』という映画があったが、核戦争で地球表面の大半が破壊され、核爆発による破壊を免れていたオーストラリアにもやがて放射能汚染が広がり、そこに残されていた人々は静かに死んでいく、という話である。実は、今の日本も同じではないか。


(以下引用)


「福島未来創造支援研究センター」センター長は山下俊一

2014年05月03日 | 放射能と情報操作

『共同通信 2014年5月1日』

『長崎大が福島に新支援組織を設置 帰還住民に向け』
長崎大(長崎市)は1日、東京電力福島第1原発事故からの復興を進める福島県を健康、医療、福祉、教育面から支援する新組織「福島未来創造支援研究センター」を設置したと発表した。長崎大は事故直後から広島、長崎の被爆者医療の経験を生かした支援を続けている。担当者は「今後、避難指示区域が解除されていく中で、帰還する住民への支援に力を入れたい」としている。
 センターは、住民に空間放射線量や被ばく線量の数値を説明したり、医学生や看護学生が放射能について学ぶ研修会を開いたりする。センター長には山下俊一副学長が就任した。

『福島県立医大副学長の山下俊一』

山下俊一医師は、福島第一原発事故後の福島県の住民に向かって放射能対策で『笑って暮らすのが一番良い』などと語ったために、人体実験の関東軍の石井軍医中将やナチスの強制収容所医師メンゲレと揶揄され、一般市民の怒りと不安が増幅させている人物である。
チェルノブイリ原発事故では、原子炉1基のたった1回の爆発で甚大な被害をもたらしたが当該原子炉は早期に石棺化され、以後の放射能汚染の拡大は阻止している。
福島第一原発では4基の原子炉が爆発事故などで暴走。
爆発規模がチェルノブイリの10分の1程度なので飛散した地域も自働的に半径が10分の1(面積なら100分の1)程度と小さいが、汚染した範囲が狭い分、より汚染濃度は高いと考えれれる。
しかも原発事故自体が少しも終わっていない。
現在でも原子炉1基あたり1時間に7トン、1日当たりなら400トンもの冷却水をに注水して、大量の高濃度放射能汚染水を生産し続けている。小型タンカー一艘分もある1000トンの貯水タンクが2日半で汚染水で満杯になるのでタンクを作り続ける必要がある。
汚染水だけでは無くて、今なお破壊された原子炉からは大気中に、放射能が漏れ続けていて終息の目途が立たないのですから最終的にはチェルノブイリ以上の被害が出ると予測されている。

『福島野菜 再び「同じ土俵」へ』准戒厳令下の日本

毎日新聞大阪本社版4月27日朝刊の1面と3面に『福島野菜 再び「同じ土俵」へ』とのタイトルの記事が掲載されているのですが・・・余りにも内容が物凄い。
何と今の東京では福島県産の農産物が普通に取引されているらしいのです。単価も福島第一原発事故の前に近づいている。
一番驚いたのは、毎日新聞記事の中で原子炉が爆発して猛烈な放射性プルーフ(放射性雲)が東京を襲っていた2011年3月15日にも福島県産農産物が東京に入荷していた事実が、逆の『良い意味』(正常な行為)であるかのごとく描かれている。
何とも不思議な理解に苦しむ記事なのです。3年前に日本では地震や津波は起きたが、原子炉の爆発などは夢幻、ありえない都市伝説であるとでも言いたいのだろうか。
大阪など西日本では福島県産などの表示がある農産物が店頭に並ぶことは普通なら考えられない出来事なのです。
そもそも1ミリシーベル以上の地域は日本の法令では放射線管理区域として一般人の立ち入りは厳重に管理されている。農産物の出荷どころか管理区域内の物品の持ち出し自体が大問題である。
我が日本国ですが3年前の2011年3月11日の以後には、事実上憲法や法令、一般市民の基本的人権が一時的に停止される戒厳令とか非常事態宣言下に置かれているのである。

『西日本限定の大阪本社版記事』

毎日新聞社では大阪本社と東京本社があり、其々西日本と東日本と受け持つ地域が違っているが、地域限定のローカル記事以外は、通常は同一記事を配っている。
ところが4月14日付け毎日新聞夕刊で『失敗に学ぶ』、『福島原発事故が教えるもの』『自分で判断する人材を』で畑村洋太郎(政府事故調のトップ)が、『避難しないほうが7年も長生きする』との、とんでもないことを主張しているが、肝心の福島県とか東京など東日本は読め無い。
今回も同じで、そもそも原発事故以前から遠距離の西日本には福島県産の農産物などは『米』など日持ちするもの以外は売られていない。
生鮮野菜は鮮度が命なのです。
この毎日新聞の『福島野菜 再び「同じ土俵」へ』ですが、4月14日の『失敗に学ぶ』と同じで、本来『記事が正しい』と思っているなら東日本限定の東京本社版に掲載するべき内容なのです。
ところが、4月14日の『避難しないほうが7年も長生きする』との驚愕記事は放射能汚染での避難とは無関係な西日本の読者だけに配られていた。
今度も、西日本限定だったのでしょうか。それとも東京本社版も報じていたのか。
何れにしろ毎日新聞大阪本社は山下俊一と同じで、『放射能は安全だ』と宣伝しているのである。

『漫画にまで言論統制の波が、』

4月29日の毎日新聞記事によると、連載開始から30年、累計1億冊の人気漫画『美味(おい)しんぼ』での描写が風評被害だとクレームがついて騒ぎになっているらしい。
この漫画の描写ですが風評被害も何も作者が体験した事実をそのまま忠実に描いただけ。
肝心の毎日新聞など正規のマスコミが何も報じないから、漫画での記載が問題視されているだけで、全ては事実なのです。漫画『美味しんぼ』のうりは、徹底的にリアルなこと。
福島県双葉町元町長の井戸川克隆氏が『私も鼻血が出ます。今度の立候補を取りやめたのは疲労感が耐え難いまでになったからです』と述べる描写があります。

『TBS(毎日テレビ)による言論統制紛いの悪質な印象操作』

5月1日夕方のTBSニュースでは漫画『美味しんぼ』を一方的に批判、視聴者が一見すると客観的な報道に誤解するように『医者の証言』とか『街の声』という形を使って、『福島では鼻血はない』との疑惑の報道を行っていた。
漫画『美味しんぼ』が風評被害を招く危険なデマであると一方的に断定する、客観的な報道とは言いがたい言論統制(風評被害狩り)である。
TBSテレビでは、若い女性に『父は福島原発に働きに行ってましたが鼻血なんて一切聞かなかったですし』と語らせたり、医師に『放射能と鼻血との関係は証明されていない』と語らせる手口の悪質極まる印象操作である。
『証明されていない』ことと『無関係である』こととは同じではないし、原発作業員が仕事の内容とか過酷さを家族に語ら無かった事実は、何ら『被害が無い』ことを証明していない。
発言自体は事実かも知れないが信憑性は大いに疑問。(原発で働いていた時期が事故前か、事故の後かが大問題。仕事の内容も大問題。もちろん閾値以上の大線量では確実に被害が出るが、低線量被曝では個人差があるのでTBSのように一律に論じること自体が大問題)
これは水俣病で熊本県民に『私も父も水俣湾は環境抜群で魚は大好きで沢山食べている』と語らせたり、イタイイタイ病で富山県民に『米が美味しい』と語らせるの同じ種類のインチキ手品なのである。
大気汚染による四日市喘息ですが、決して四日市市民全員が喘息になっている訳ではない。大部分の市民は健康で普通の生活を送っている。
今回TBSは現実に被害を受けている人の話を聞かず(無視して)、被害が無い人の話しだけに限定して放送するなど、メディアとして単なる印象操作であり報道人として失格。ほとんど犯罪行為である。

『三重苦の自主避難者の悲劇』絆社会の無法国家

福島県から関西地方に避難している人が家族に会うために帰郷すると『一人だけ逃げた裏切り者』扱いで顔を隠さないと道も歩けない。
本当は日本の『絆社会』の実体は恐ろしいのです。到底近代民主主義社会とは別世界。根本的な勘違いをしている。
科学の論文とかマスコミ報道なら客観的な『正確さ』は大事ですが、小説とか漫画などの著作物では、『事実と一致するか』などは二の次三の次であり、少しも重要ではない。
創作物ではリアリティの有無では無くて、これ等は個人のオリジナリティこそが命ですよ。
(筒井康隆の荒唐無稽なSF小説を『事実ではない』『デマだ』と非難する慌てものは世の中に一人もいない)
『コピペ』が悪いとの小保方騒動の理研の態度とかマスコミ報道とも共通する問題点ですが、科学的な客観的事実は『一つに対しては一つ』しかない。
マスコミの報道であるとか学術論文など、科学的な意味の『正しい』とは常に普遍的であり『同一』なのです。これらは同一でないと値打ちがゼロ。(少しでも『違い』があれば批判される)
ところが個人個人が『別々だ』(違っている)と認めるのが民主主義の基本原則である。
これ等は逆に『同一』だと値打ちが低いのですが、漫画『美味しんぼ』を批判するマスコミですが、漫画や小説などが個人に属するとの認識が無いのでしょうか。
今の日本ですが、個人の人権が認められていなかった封建制度の江戸時代以前に先祖かえりしているのですよ。恐ろしい話である。

『国家ぐるみの安全擬装』

100ミリシーベルト以上被曝すると放射線被害が全員に確定的に出るが、低線量被曝での被害は確率的に出る程度は常識の範囲であり、『俺は何とも無い。元気そのものだ』『だから放射能は怖くない』などは何の反論にもなっていない。
今現在でも小児甲状腺がんではチェルノブイリの何十倍の被害が出ているのは明らかな事実なのです。
今の科学技術では放射能の無毒化は無理なのですから、被害を避けるには逃げる以外の方法が無い。
そもそも1ミリシーベルト以上の地域は小出助教がいうように放射線管理区域ですよ。
此処に今も数百万人もの人々が取り残されて生活している状況が違法なのです。まさに日本国は巨大な人体実験場なのです。
農産物の出荷どころか、我が日本国の法律では放射線管理区域からは何一つ勝手に持ち出すことは違法行為として禁止されているのです。国家ぐるみの違法行為が福島県など東日本で行っているのですが、全てインチキな擬装ですね。
放射能を測定する野菜は洗って綺麗にしてから、魚は汚染している内臓や骨をはずしてから筋肉だけ、セシウムのガンマ線を計量しているのですが、これは人間相手でも同じ不真面目な態度では一貫している。
今までの航空機による空間線量の測定値を公表していた。
ところが高すぎるので、最近に航空機の空間線量の半分程度に測れる個人の放射線バッチの測定値と置き換えている。
空間線量なら誰が計っても同一でばらつきが無い。ところが個人線量計だと設置する場所で大きく測定値が変化する。
放射線量が高い汚染している露地では無くて、綺麗に除染したコンクリートの上で計ると、当然数値が低くなる。汚染していても見かけ上は綺麗なのですが、ほとんど手品ですね。
今の日本ですが政府とマスコミ総ぐるみの手品によって辛うじて維持している擬装国家ですよ。本当はとっくの昔に崩壊しているのです。

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水道民営化に断固反対せよ

「大摩邇」から転載。拡散協力である。


(以下引用)



18:06

【拡散】大阪市がコッソリと水道局民営化のパブコメを募集中!締め切りは5月30日まで!平成28年までに完全民営化を目指す!

真実を探すブログさんのサイトより
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2437.html
<転載開始>
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何時の間にか大阪市がコッソリと、水道局民営化のパブリックコメント(意見公募)をしていました。大阪市の公式ホームページを見てみると、「水道局では、この水道事業民営化基本方針(案)について、みなさまからのご意見を募集します」と書いてあり、意見を今も募集しているようです。締め切りは5月30日までで、この意見を参考にして平成28年を目処に水道局の民営化を実行する予定となっています。

大阪市が公開している資料には「水質検査の業務委託」など気になる事が幾つも書いてありますが、最終的には今の東電に近いような感じになると言えるでしょう。官民一体型企業という感じで、何か大きな問題が発生しても簡単にトカゲの尻尾切りが出来るようなタイプです。
昨年に麻生副首相が米国の戦略国際問題研究所(CSIS)で講演した時に「水道は国営もしくは市営・町営全て民営化します」と言っているので、これは大阪だけの問題ではありません。

おそらく、数年以内に東京を含め、日本中で同じ様な水道局民営化の話が出て来ることになると思います。その時の例となるのがこの大阪の民営化なので、ここでしっかりと反対の声をあげておかないと不味いです。是非とも時間のある方はパブリックコメントにご協力をお願い致します。
※大阪以外にお住まいの方でも大丈夫です!


☆大阪市 条例・基本計画等で意見を受け付けている案件(予定を含む)
URL http://www.city.osaka.lg.jp/templates/jorei_boshu/suido/0000261261.html

引用:
案件名
「水道事業民営化基本方針(案)」(水道料金の見直し案を含む)について 

計画等の概要  
大阪市では、平成27年度中の水道事業の民営化をめざして、このたび「水道事業民営化基本方針(案)~公共施設等運営権制度の活用について~」を作成しました。ここでは、民営化の手法として「公共施設等運営権制度」を活用した上下分離方式を選択することや、民営化による効果として「水道料金の見直し案」について記載しています。
 水道局では、この「水道事業民営化基本方針(案)」について、みなさまからのご意見を募集します。 

意見受付期間
平成26年4月14日~平成26年5月30日 
:引用終了

☆水道事業民営化基本方針~公共施設等運営権制度の活用について~(案)
URL http://www.city.osaka.lg.jp/templates/jorei_boshu/cmsfiles/contents/0000261/261261/uneikeikaku.pdf

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☆【水道民営化】麻生太郎副総理兼財務相が言及 2013年4月19日 G20財務相・中央銀行総裁会議 CSIS戦略国際問題研究所


関連過去記事

☆麻生副首相がトンデモ発言!!麻生氏「水道は全て民営化します」 日本国民の公共財産を売り渡す連中
URL http://saigaijyouhou.com/blog-entry-107.html


<転載終了>

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国家という概念が消滅した後

「田中宇の国際記事解説」の目次(および記事冒頭)部分の一部だけ転載した。
ここに書かれた記事冒頭部分だけでも現在の国際情勢に対する田中宇の考えはだいたい分かる。まあ、電車の中吊り広告を見れば週刊誌記事の内容はだいたい分かるのと同様である。特にジャーナリスティックな記事の冒頭部分というのは、その記事のエッセンスを書くのが普通だから、そこだけ読めば、私には十分である。
ウクライナ情勢、日米同盟の今後の方向、世界金融戦争という大きな三つの問題についての情報が、わずか1ページ程度の紙面から得られるわけだ。ただし、ここには田中宇自身の意見が含まれており、そのすべてに納得できるわけではない。たとえば、米国の没落は確実として、中国が新覇権国家になると結論するのはまだ早いのではないか。まあ、覇権国家という考え自体がもはやナンセンスになるのではないか、とも思う。そもそも、国家という概念は経済面ではすでに時代遅れなのだから。つまり、企業活動は国家の垣根を超えるというのはもはやあまりにも当たり前の事実でしかなく、問題はそれを如何にして一般大衆の不利益にならない形で着地させるか、ということにしかないからだ。
国家という概念が経済的にも意味を持つのは戦争だけだろう。つまり、商売としての戦争である。世界の軍産複合体はまだそれで商売をするつもりでいるが、経済面での国家意識の消滅は、あるいは戦争商売をも次第に消滅させるという可能性もあるかもしれない。
ただし、金融戦争のような「見えない戦争」がこれからは激しくなり、それによる一般庶民の被害は本物の戦争に劣るものではない、と私は見ている。
まあ、金融支配社会(金融資本主義)というものへの疑問を多くの人が持つことが、自分や子孫の生活や人生を守り、そして健全な判断をするために、今後は大切になってくるのではないだろうか。たとえばフクシマという悲劇も、いわば拝金主義という怪物の生み出したものなのである。




(以下引用)



 【2014年4月28日】 2月のウクライナ危機発生以来、BRICSの中でもロシアが特に、ドルの基軸性低下による米国覇権の崩壊を誘発したがり、BRICSの影響力が強いG20は、ロシアに引っ張られる形で、米国だけでなく日本に対してもQEを縮小するよう圧力をかけ始めた。覇権転換を賭けた世界規模の戦争を世界大戦というが、第三次世界大戦の主戦場は、核などの兵器によるものでなく、金融システムの主導権や金融兵器(愛国法311条)、QEなどドルの延命策をめぐる、金融の問題だ。第三次世界大戦は、金融戦争としてすでに始まっている。日銀がQEをどう縮小するか、日米のQE縮小が債券金融システムの延命にどう影響するかは、金融戦争(第三次世界大戦)の一部である。

ラジオデイズ・田中宇「ニュースの裏側」・・・「没落する米国と新覇権国家中国」というパラダイム


時代遅れな日米同盟
 【2014年4月23日】 日本も米国も経済が衰退している。米国は、衰退する日本と組むより、何億人もの貧困層が中産階級になって消費が急拡大しつある中国やインドなどBRICSと組んだ方が良い。日本も、衰退する米国に従属し続けるより、BRICS、特に近くにある中国との経済関係を強化するのが良い。オバマが訪日する日本では、日米同盟(対米従属)こそ日本の繁栄の基礎と喧伝するが、世界の現実は全く違う。


内戦になりそうでならないウクライナ
 【2014年4月18日】 ウクライナ東部の町では、ウクライナ空軍の戦闘機やヘリコプターが威圧的な低空飛行を続けている。それだけを見ると、今にも本格的な鎮圧が行われて内戦に突入しそうだが、鎮圧行動に不可欠な地上軍は、奪われた装甲車の部隊以外には目撃されていない。空軍は威圧飛行するだけで空爆せず、心理戦に徹している。ウクライナ政府は、本格的な東部襲撃を躊躇しているのでなく、襲撃を試みたものの失敗し、装備や兵士など地上軍の戦力をかなり失い、襲撃を拡大できない状況だ。




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日本国民の「自発的隷従」

「播州武侯祠遍照院」から抜粋転載。引用された記事は「雁谷哲の今日もまた」からである。
ラ・ボエシの「自発的隷従論」という本による考察であるが、それを日本社会に当てはめた部分は、見事な日本社会論になっている。
もちろん、私は「尊皇論者」であり、日本の文化の精神的支柱としての皇室の存在意義を高く評価する者だから、ここに書かれた内容のうち「天皇否定論」には反対だが、日本人の「上下意識」を形成した中で「皇民化教育」が大きな働きをしたことは疑いようはない。その意味では「功罪」のうち「罪」の方が大きい、と言えるだろうが、それはあくまで「近代日本」の話であり、また日本人の「上下意識」はたかだか近代だけの問題ではない。そして天皇が存在することの利点を日本が活かすことによってしか、民主主義の持つアポリア(根本的難題)、つまり「国民は主権を誰かに代行させるしかできない」という難題は解決できないのではないか、と私は思っているのである。そういう可能性を持つ国は日本しか無いのだ。
それはともかく、下の記事で書かれたことは、これからの日本を構築する上で、大きな示唆を与えていると思う。


(以下引用)


ここまでの、ラ・ボエシの言う事を要約すると、

「支配・被支配の関係は、支配者側からの一方的な物ではなく、支配される側が支配されることを望んでいて、支配者に、自分たちを支配する力を進んで与えているからだ」

と言う事になる。

「支配されたがっている」

とでも言い換えようか。

それが、ラ・ボエシの言う「自発的隷従」である。

支配される側からの支配者に対する共犯者的な協力、支配される側からの自分自身を裏切る協力がなければ、支配者は人々を支配できない。

このラ・ボエシの言葉は、日本の社会の状況をそのまま語っているように、私には思える。

ラ・ボエシの「自発的隷従論」は支配、被支配の関係を原理的に解き明かした物だから、支配、被支配の関係が成立している所には全て応用が利く。

「自発的隷従論」の中では、支配者を「一者」としているが、ラ・ボエシが説いているのは支配、被支配の原理であって、支配者が一人であろうと、複数であろうと、御神輿を担ぐ集団であろうと、他の国を支配しようとする一つの国であろうと、「支配する者」と「支配される者」との関係は同じである。そこには、ラ・ボエシの言う「自発的隷従」が常に存在する。

日本の社会はこの「自発的隷従」で埋め尽くされている。

というより、日本の社会は「自発的隷従」で組立てられている。

日本人の殆どはこの「自発的隷従」を他人事と思っているのではないか。

他人事とは飛んでもない。自分のことなのだ。

大半の日本人がもはや自分でそうと気づかぬくらいに「自発的隷従」の鎖につながれているのだ。

読者諸姉諸兄よ、あなた方は、私の言葉に怒りを発するだろうか。

火に油を注ぐつもりはないが、怒りを発するとしたら、それはあなた方に自分自身の真の姿を見つめる勇気がないからだ、と敢えて私は申し上げる。

上に上げた、ラ・ボエシの言葉を、自分の社会的なあり方と引き比べて、読んで頂きたい。



まず日本の社会に独特な「上下関係」について考えてみよう。

大学の運動部・体育会を表わす表現に「4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷」というものがある。

1年生は、道具の手入れ、部室、合宿所掃除、先輩たちの運動着の洗濯、など上級生・先輩たちの奴隷のように働かされる。

2年生になると、やはり上級生たちに仕えなければならないが、辛い労働は1年生にさせることが出来る。

3年生になると、最早労働はしない。4年生のご機嫌だけ取って、あとは2年生、1年生に威張っていればよい。

4年生になると、1年生は奴隷労働で尽くさせる、2年生は必要なときに適当に使える。3年生は自分たちにへつらい、こびを売るから可愛がってやり、ときに下級生がたるんでいるから締めろと命令して、3年生が2年生、2年生が1年生をしごくのを見て楽しむ。

これは、有名私立大学の体育会に属する学生、体育会のOB何人もから聞いた話だから確かである。

こんな運動部に絶えず新入生が加入する。

彼らは人伝えに、上下関係の厳しさを知っていて、新入りの1年生がどんな目に遭うか知っていて、それでも体育会・運動部に入ってくる。

そして、入部早々新入生歓迎会という乱暴なしごきを受ける。

毎年春になると、上級生に強要されて無茶苦茶な量の酒を飲まされて急性アルコール中毒で死ぬ学生の話が報道される。

そのしごきが厭になって止める学生もいる。

だが、運動部が廃部になることは滅多にない。

入部する新入生が減ったとか、いなくなったとか言う話も滅多に聞かない。

OBや上級生は「我が部、何十年の伝統」などと、自慢する。

この場合の自慢は、自己満足の表明である。

下級生は何故上級生の支配を日常的に受けて我慢しているのか。

そう尋ねると、例えば、野球なら野球をしたいから部に入っている。部を止めたら野球ができなくなる。だから、上級生のしごきも我慢しなければならない、と答えるだろう。

本当だろうか。しごきがなければ、野球部は出来ない物だろうか。

野球の発祥の地アメリカの大学や高校の野球チームで、日本のように上級生の下級生にたいするしごきがあったら、しごいた上級生は直ちにチームから追放されるだろう。

何故、野球をしたいがために殴られたり、無意味どころでは無く、腰に非常に有害ななウサギ跳びなどをされられるのを甘んじて受け入れるのか。

運動部のOBは卒業してからも、現役の学生の選手たちに威張っている。また、そのOBの中でも卒業年次ごとに上下関係がある。

一旦運動部に入ると、死ぬまでその上下関係に縛られる。

彼らは、支配被支配の関係が好きなのだ。支配される事が好きだから、「仕方がない」などと言って、先輩の暴力を耐えるのである。

いつも支配されつづけていると、例えば日本の野球部の新入生は上級生からの暴力が絶えたら、自分でどう動いて良いか分からなくなるのではないか。



何故、運動部・体育会について、長々と書いたかというと、この、運動部・体育会の奇怪で残忍な組織は、日本の社会だから存在する物であり、日本の社会の構造そのものを、そこに作り出していて、日本社会のひな形だと思うからだ。

日本の運動部・体育会は後輩の先輩たちに対する自発的隷従によって成立している。日本の社会がまさにそうである。

日本の会社、官僚の世界も同じである。

日本の会社に一旦入るとその日から先輩社員に従わなければならない。

それが、仕事の上だけでなく、会社の外に出ても同じである。

居酒屋や焼き肉屋で、どこかの会社の集団なのだろう、先輩社員はふんぞり返って、乱暴な口をきき、後輩社員はさながら従者のように先輩社員の顔色をうかがう、などと言う光景は私自身何度も見てきた。

「会社の外に出てまでか」と私はその様な光景を見る度に、食事がまずくなる思いをした。

高級官僚(国家公務員上級試験に合格して官僚になった人間。国家公務員上級試験に合格しないと、官僚の世界では、出世できないことになっている)の世界はまたこれが、奇々怪々で、入庁年次で先輩後輩の関係は死ぬまで続く。

その年次による上下関係を保つ為なのだろう、財務省などでは同期入庁の誰かが、官僚機構の頂上である「次官」に就任すると、同期入庁の者達は一斉に役所を辞めて、関係会社・法人に天下りする。

さらに、恐ろしいことだが、先輩が決めた法律を改正することは、先輩を否定することになるので出来ないという。

なにが正しいかを決めるのは、真実ではなく、先輩後輩の上下関係である。

だから、日本では、どんなに現状に合わないおかしな法律でも改正するのは難しい。

会社員の世界も、官僚の世界も、先輩に隷従しなければ生きて行けない。

自ら会社員、官僚になる道を選んだ人間は自発的に隷従するのである。



日本の選挙は、民主主義的な物ではない。

企業、宗教団体、地方のボス、などが支配している。

例えば、企業によっては、係長や課長位の地位になると、上の方から「党費は会社が持つから自民党に入党してくれ」と言ってくることがある。

日本の会社社会では上司の言う事に叛くのは難しい。

特に、中間管理職程度に上がってしまうと、これから先の出世の事を考えざるを得なくなるから、なおのこと上からの命令に逆らえない。

言われた人間は、自民党に入党して、自分の家族の中で選挙権を持っている人間の名前も届ける。

選挙となると、自民党の候補の名前を知らされる。

自民党候補に家族も一緒に投票しろ、と言うわけである。

投票場では投票の秘密が守られているから、実際に投票する際に自民党以外の候補の名前を書いても良いのだが、日本の会社員にはそれが仲々出来ない。

態度からばれるのではないか、何か仕組みがあって他の候補者に投票したことは必ず掴まれるのではないか、と不安になる。

心配するくらいなら、決められたとおり投票しようと言うことになる。

地方に行くと、各地方ごとにボスがいる。

県会議員、市会議員、町会議員、がそれぞれその上の国会議員の派閥ごとに系列化されている。

中で、町会議員は一番小さな選挙区で活動している。

昔からその地域に住み着き、地域の住民に影響力のある人物である。

言わば、その地域のボス的存在である。

そう言う人は地域住民と日常的に接触し、住民一人一人の樣子も掴んでいる。

狭い生活範囲でお互いに顔見知りで、みんなの意向に反することをするのは良くないことだ。この地域の空気を乱すようなことをできない。みんなの空気に従おうと言う事になるのが、この日本の実情だ。

その空気は首相、大臣、国家議員、県会議員、市会議員、町会議員と順繰りに上から下に降りてきて、地域の住民を包み込む。

国会議員の選挙の場合にも、その町内のボスが自分の派閥の候補者の名前を公言する、あるいは直接、間接的にその候補者に投票するように地域の住民に伝える。

特に、地方の場合、地域のボスの力が強いから、投票場でもボスの目が光っている。投票場は秘密が守られているはずだから、ボスの指定した候補者以外の人間に投票しても良いのだが、地方では確実にそれがばれるという。

民主主義の世界で、国民にとって唯一自分の政治的要求を追求することの出来る選挙権さえ、日本では、地域のボス=権力者=支配者に、与えてしまう。自発的に隷従するのである。



もっとも、選挙に行かない人達も多い。政治に嫌気が差して政治に無関心になるのか(アパシーにおちいる)、投票したい候補者が見つからないこともある。

そして、選挙に行かない人が多いほど、ボスによる選挙支配が上手く行き保守党が勝利することになる。

かつて自民党の党首が、なるべく選挙に来ないでもらいたい、と言った。投票率が低いほど、ボスによる選挙支配が上手く行くのだ。

一体どうしてこう言うことになるのか。

ラ・ボエシは言う。

G「人々はしばしば、欺かれて自由を失うことがある。しかも、他人によりも、自分人にだまされる場合が多いのだ。(P034)」

H「信じられないことに、民衆は、隷従するやいなや、自由を余りにも突然に、あまりにも甚だしく忘却してしまうので、もはや再び目覚めてそれを取り戻すことができなくなってしまう。なにしろ、あたかも自由であるかのように、あまりにも自発的に隷従するので、見たところ彼らは、自由を失ったのではなく、隷従状態を勝ち得たのだ、とさえ言いたくなるほどである。(P034)」

I「確かに、人は先ず最初に、力によって強制されたり、打ち負かされたりして隷従する。だが、後に現れる人々は、悔いもなく隷従するし、先人たちが強制されてなしたことを、進んで行うようになる。そう言うわけで、軛(くびき)のもとに生まれ、隷従状態の元で発育し成長する者達は、もはや前を見ることもなく、生まれたままの状態で満足し、自分が見いだした物以外の善や権利を所有しようなどとは全く考えず、生まれた状態を自分にとって自然な物と考えるのである。(P035)」

J「よって、次のように言おう。人間に於いては、教育と習慣によって身に付くあらゆる事柄が自然と化すのであって、生来のものと言えば、元のままの本性が命じる僅かなことしかないのだ、と。(P043)」

K「したがって、自発的隷従の第一の原因は、習慣である。

だからこそ、どれほど手に負えないじゃじゃ馬も。始めは轡(くつわ)を噛んでいても、そのうちその轡を楽しむようになる。少し前までは鞍を乗せられたら暴れていたのに、今や馬具で身をかざり、鎧をかぶって大層得意げで、偉そうにしているのだ。(雁屋註:西洋の騎士が乗る馬の姿のことであろう)(044)」

L「先の人々(生まれながらにして首に軛を付けられている人々)は、自分たちはずっと隷従してきたし、父祖たちもまたその様に生きて来たという。彼らは、自分たちが悪を辛抱するように定められていると考えており、これまでの例によってその様に信じ込まされている。こうして彼らは、自らの手で、長い時間をかけて、自分たちに暴虐を働く者の支配を基礎づけているのである。(P044)

これを読んで、思うことは、1945年の敗戦まで、日本人を支配していた天皇制である。

明治維新の頃の日本人は、福沢諭吉の言葉を借りると、

「我が国の人民は数百年の間、天子があるのを知らず、ただこれを口伝えで知っていただけである。維新の一挙で政治の体裁は数百年前の昔に復したといっても、皇室と人民の間に深い交情(相手に対する親しみの情)がある訳ではない。その天皇と人民の関係は政治上のものだけであり、(中略)新たに皇室を慕う至情をつくり、人民を真の赤子(せきし)のようにしようとしても、今の世の人心と文明が進んだ有り様では非常に難しいことで、殆ど不可能である。(『文明論の概略 第十章』福沢諭吉全集第四巻 一八八頁)」

実際に明治政府は、各県に「人民告諭」を出して、日本には天皇がいると言うことを、人々に教えなければならなかった。

例えば、奥羽人民告諭には

「天子様は、天照皇大神宮様の御子孫様にて、此世の始より日本の主にましまして・・・・・」

などと言っている。

この人民告諭は、天皇のことを一番知っているはずのお膝元の京都でも出された。

今の私達に比べて、当時の日本人は天皇に対する知識がゼロだったのである。

当然天皇を崇拝し、従うなどと言う意識は全くなかった。

象徴天皇制の現在でも、多くの人が天皇を崇拝しているが、明治の始めに、一般民衆が天皇を崇拝するなど、考えられなかった。

一体どうしてこんな違いが生まれたか。

1889年に明治政府が、「大日本帝国憲法」を決めて

「第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」

と天皇を絶対権力者とし、

1890年に教育勅語によって、

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス(中略)

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

と命令されると、明治維新前に生まれ育ち、徳川幕府の権力の下に生きていた人達もラ・ボエシの言葉「G」、「H」の言う通りに、天皇の権力の支配を喜んで受け、その子供たち、孫たち、1945年の敗戦以前に生まれた人間は、ラ・ボエシの言葉、「I」、「J」、「K」の言うとおり、習慣として天皇制の軛につながれていたのである。

軍国時代になると、人々は天皇(と天皇を担ぐ政府)に自発的隷従をして、抵抗もせず勇んで兵士となり、死んで行ったのだ。

当時の新聞や雑誌、出版物を読むと寒々として、しまいに恐ろしくなる。

天皇に忠誠を誓う奴隷、自発的隷従者の言葉で満ちあふれているからである。

昭和天皇は敗戦後、戦犯として訴追されることを免れた。天皇服を着て白馬に乗って軍隊を閲兵した大元帥で、日本全軍を率いて敗戦前は具体的に戦争の指示まで出していたのに、突然白衣を着て顕微鏡をのぞく実直な科学者に変身し、実は平和を愛する人間だったいうあっけにとられるようなジョークがまかり通り、人間天皇、象徴天皇として、存在し続けたために、人々が天皇に自発的隷従をする習慣は簡単に消え去らなかった。

自民党の国会議員が「教育勅語を学校で教えるべきだ」などと言ったり、山本太郎議員が、園遊会で天皇に手紙を渡したことを、不敬だなどと騒ぐのも、その習慣がいまだに伝わっているからだろう。

日本の天皇制は、自発的隷従の典型である。

そして、天皇に自発的に隷従する習慣は、いまだに日本人の心理の底流に流れていて、その隷従の習慣を誇りに思う人が少なくないのである。

昭和天皇が亡くなったときの騒ぎは忘れられない。

繁華街の火は消え、祝い事はとりやめ、何事も「自粛、自粛」の言葉に押え付けられた。

テレビのバラエティー番組に、有名なテレビタレントが、なにを勘違いしたのか喪服を着て現れたのを見て私は心底驚いた。

あの時の日本社会を表現するなら、日本人の心理に植え付けられていたがとっくに黄泉の世界に送り込まれていたはずの「自発的隷従」の「習慣」が昭和天皇の死をきっかけに一気に黄泉の世界からこの地上に湧き出した、と言う事になるだろう。

私は天皇制から自由にならない限り、日本は、韓国、中国、台湾を始め、マレーシア、シンガポール、香港、などの東南アジアの国々と真の友好を結ぶことができないとおもう。

戦争責任の話になると、誰が命令したのかというと軍の責任になり、では軍の最高責任者は誰かというと天皇になる。

日本人は、天皇の責任を問うことは出来ない、と言うから、けっきょく末端の戦争責任も問えないことになる。

謝罪するとなると、天皇にまでその謝罪行為が及ぶ。だから、それがいやさに日本は、韓国や中国に謝罪できず、強弁してますます韓国や中国との関係を悪くする一方である。

もっとも現行憲法下天皇に政治的行為は出来ないから、日本の政治の最高責任者である総理大臣が、昭和天皇の分もきちんと謝罪をするべきである。

きちんとした謝罪をしない限り、韓国、中国との、全く不毛な争いはやまないだろう。責任は、百パーセント、日本にある。

日本の権力者たちは誰なのかはっきりしない。

アメリカなら、軍産複合体の指導者達、金融界の大物たち、宗教界の大物たちで有るとはっきり分かるが、日本の場合、我々一般の人間にははっきりしないから困る。

安倍首相は、その権力者たちの意に従って動いているだけだろう。

日本の、自発的隷従は根が深いのである。

では、この自発的隷従から自由になるためにはどうすれば良いか。

ラ・ボエシは書いている。

M「圧制者には、立ち向かう必要なく、打ち負かす必要もない。国民が隷従に合意しない限り、その者は自ら破滅するのだ。何かを奪う必要など無い。ただ何も与えなければよい。国民が自分たちのために何かをなすという手間も不要だ。ただ、自分のためにならないことをしないだけでよいのである。民衆自身が、抑圧されるがままになっているどころか、敢えて自らを抑圧させているのである。彼らは隷従を止めるだけで解放されるはずだ。(P018)」

N「それにしても、なんと言うことか、自由を得るためにはただそれを欲しさえすればよいのに、その意志があるだけでよいのに、世の中には、それでもなお高くつきすぎると考える国民が存在するとは。(P019)」

そうなのだ。

問題は次の二つだ。

「自分たちが隷従していることをしっかり自覚するか」

「自覚したとして、隷従を拒否する勇気を持てるか」

この二つにきちんと対処しなければ、日本はますます「自発的隷従」がはびこる、生き辛い国になるだろう。

ただ、ラ・ボエシの次の言葉は厳しい。

O「人間が自発的に隷従する理由の第一は、生まれつき隷従していて、しかも隷従するようにしつけられているからと言うことである。そして、この事からまた別の理由が導き出される。それは、圧制者の元で人々は臆病になりやすく、女々しくなりやすいと言うことだ(雁屋註:「臆病であることを女々しいと言うのは女性蔑視に繋がるが、ラ・ボエシの生きていた17世紀初頭という時代の制約を理解いただきたい」(P048))

P「自由が失われると、勇猛さも同時に失われるのはたしかなことだ。彼らは、まるで鎖につながれたように、全く無気力に、いやいや危険に向かうだけで、胸の内に自由への熱意が燃えたぎるのを感じることなど絶えてない。(P049)」

Q「そしてこの自由への熱意こそが、危険などものともせずに、仲間に看取られて立派に死ぬことで、名誉と栄光とを購い(あがない)たいとの願いを生じさせるのである。自由な者達は、誰もがみなに共通の善のために、そしてまた自分のために、互いに切磋琢磨し、しのぎを削る。そうして、みなで敗北の不幸や勝利の幸福を分かち持とうと願うのだ。ところが、隷従する者達は、戦う勇気のみならず、他のあらゆる事柄においても活力を喪失し、心は卑屈で無気力になってしまっているので、偉業を成し遂げることなどさらさら出来ない。圧制者共は事のことをよく知っており、自分のしもべたちがこのような習性を身につけているのを目にするや、彼らをますます惰弱にするための助力を惜しまないのである。(P49)」

確かに、隷従を拒否することは勇気がいる。

その日、その日の細かいこと一々について隷従がついて回るのが日本の社会だから、それを一々拒否するのは、辛い。時に面倒くさくなる。

だが、本気で隷従を拒否したいのなら、日常の細かい何気ないところに潜んでいる隷従をえぐり出さなければ駄目なのだ。

だが、そうするとどうなるか。

周りの隷従している人達に、まず攻撃されるのだ。

偏屈だと言われる、へそ曲がりだと言われる、自分勝手だと言われる、他の人が我慢しているのにどうしてあなただけ我慢できないのと言われる、変わり者だと言われる、ひねくれていると言われる、政治的に偏向していると言われる、あなたには出来るかも知れないが他の人は出来ないんだよ、自分だけがいい気になるな。

隷従を拒否しようとすると、まず隷従している人間から攻撃を受けるのだ。

(上に上げた言葉は、私が実際に色々な機会に言われた言葉である)

他方、隷従を要求している側から見れば、排除するか、痛めつけるか、どちらかを選択するだろう。

隷従を続けて生きて行くか、自由を求めるか、それは個人の意志の問題だ。

自由への熱意を失ってしまった人間にとっては、隷従が安楽なのだろうことは、今の日本の社会を見れば良く分かる。



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絶望と希望

今日二回目の投稿になるが、いかにも我が意を得たり、という文章があったので、こちらも転載しておく。
岩下俊三の「黄泉の国から」ブログ記事の後半である。
ここに書かれた心境は私自身の心境に非常に近い。ただ、彼と違うのは、現在の日本人は自分の子供たちや未来の日本人たちに対し、もっと良い日本を残すべき義務がある、と思っており、日本の滅亡を座視してはならないと思っていいることだ。つまり、毎度言うが、「絶望の虚妄なること、希望に相同じい」というわけで、安易に希望を持つべきでないのと同様、安易に絶望するべきでもない、と思っているのである。もちろん、岩下氏も絶望しているというよりは、ニル・アドミラリの心境なのだろうが、そうなるとこれまでの社会的発言自体の否定ではないか。
まあ、気持ちは良く分かる。どうせ、世の中が変ることはあるまい、と私もいくぶんかは思っている。だが、「奇跡は起こるから奇跡なんだよ」ということをも私は信じているのである。


(以下引用)




そもそも生まれてきたのが稀な偶然でしかも人間でしかも頭は悪いが一応五体満足で健康体であったのだ。そんな幸福な運命にあっては、そのほかの金が儲からなったとかよき異性に巡り合わなかったとかいう些細な差異などどうでもいいことである。

ことほどさように、、、、

こんな平穏な毎日にあっても、家電が壊れたとか壊れそうだとか、家がきしむ、エンジン音がおかしい、ちょっと痒いとか頭が痛いとか歯が疼くとか日常茶飯事、、、おまけに自分の容姿(無精ひげや吹き出物)まで気にしだしたらきりがないほど気に罹ることは多い。だけどそもそも偶然にも生まれてきて幸運にも生きているからこそ起きるトラブルなのだから、最初から何もないと思えば何も気にすることはないのである。

それに、、、

政府だっていずれはTPPに妥協(すでに牛肉の関税は6%以下と合意したが鹿児島二区選挙を配慮し、発表しなかった)しなければならないことは十分わかっている。さらに長期的には国家財政は破たんするだろう。いやそれより前に戦争が起きる可能性もある、、、いやその前に大噴火、大地震、大津波、そして原発事故で終わるのだから今更政治を云々しても始まるまい。

だから、、

どうせなくなる日本列島で果たせぬ幻想を振りまき、どうせどうにもならないと諦めている国民の間隙をぬって火事場泥棒のように権力奪取している奴がどうであれ、もう勝手にするがいい。戦争の弾は金や権謀で避けられるかもしれないが自然災害天地鳴動に加え「核」からは避けることができないのだ。

しかしながら、、、、

僕は日本にいるし、日本に居続けて、日本で死んでいきたい。早く誰か僕を殺しに来ないかな~。

最近の僕の標語:「Welcome死神」


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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