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古人の思想や発言を否定すること

『古事記』が、「相当に成熟した老荘思想的観点からまとめられている」というのは、どのあたりを指しているのだろうか。このツィートをした人は学者だと思うが、こういう断片的な発言ではその考えの根拠が示されないので、断定的発言の常として、読む人を「洗脳」しやすい。ツィッターで専門家がその専門分野について発言するのは危険だと思う。べつに私は国学にはさほど興味は無いが、現代の人間だからといって、昔の人間(この場合は本居宣長)より「研究が進んでいる」とか「思想が深い」とはまったく思わない。古人の思想や言葉や業績を批判する時には、「相手には反論が不可能だ」ということを前提に、注意深く発言するべきだろう。
なお、『古事記』は、当時のさまざまな伝説を、大和朝廷の起源に重ねて作ったフィクションであり、「『書紀』よりも作り物」であるのは当たり前の話で、何を今さら、である。ただ、そのフィクションの中には「事実ではないが(人間性の)真実」が書かれており、古代人の感情や感覚や考え方が伺えるから「日本書紀より重要な書物だ」と本居宣長は言っているわけである。これは、紫式部が『源氏物語』の中で、光源氏の言葉として言っている「(人間や世の中を知るには)小説のほうが歴史書より重要だ」という趣旨の発言と同じことだ。


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  1. 12時間前
  1. しかし、これは『古事記』が和文と和化漢文が多いという叙述の形式をもって史料の内容的価値を判断することであってまったくの錯誤である。こういう誤解は今でも多い。しかし、『古事記』はむしろ相当に成熟した老荘思想的観点からまとめられているのであって、『書紀』よりも作りものなのである。
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  1. 宣長は『古事記』は「字の文をもかざらずて、もはら古語をむねとはして古の実のありさまを失はじと勤めたる」ものであるのに対し、『日本書紀』は「潤色を加えて、漢の国史に似するを旨とし」たものであるという。『古事記』は大和心を伝え、『書紀』は唐心の書であって問題が多いという訳である。
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映画「フリークス」のこと

アマゾンプライムビデオに加入している人は、一度は御覧になるといい、お勧め映画である。
下の批評が一番適切かな、と思う。邦題(新しくつけたものだろう。)の「怪物團」はダメ邦題だという意見にも賛成。まあ、本物の奇形者(身体障碍者とは少し違うか。生来の奇形の体のまま立派に生きている人を障害者と言えるだろうか。)たちがたくさん出てくる映画なので、「キレイキレイ」映画しか見ない人は最初から敬遠するだろうが、一種の勧善懲悪映画だから、視聴感は非常にいい。人道主義的で、教育的にも素晴らしい内容だ。女性や学生などにも見てほしい。物事の見方ががらりと変わる人もいるだろう。外見の美醜と精神の美醜はまったく別だ、という話である。そもそも、美とは何なのか、と論じたら美学の領分になるが。

(以下引用)


すずき

すずきの感想・評価

4.0
各地を巡業するサーカス団。
団員たちの中には、奇形として生まれた障害者たちも数多くいた。
その内の1人、小人症のハンスは、美貌の軽業師クレオパトラに惚れていた。
クレオパトラに言われるまま、金を貢ぐハンス。
だが、実はクレオパトラは怪力男ヘラクレスとデキていたのだ。
ハンスが実は資産家であるとの事実が発覚すると、クレオパトラは彼と結婚し、そののち毒殺する計画を立ち上げる…

2019年4月現在、Amazon primeで「怪物團」のタイトルで配信中。
本物の奇形障害者を起用した、衝撃作。
小人のハンスは顔も童顔で声も子供、最初は子供が演技をしてるのかと思った。
シャム双生児のデイジー&バイオレット姉妹もトリックかと思ったけど、やはり本物。
小頭症もヒゲ女も下半身欠損も乙武も、全部ホンモノ!いやービックリ!
しかも彼ら彼女らは、演技力もあって、特に主人公格のハンスは、ベビーフェイスながら哀愁漂う表情を見せる演技派。

それから悪女であるクレオパトラの演技も良かった。
「アーッwwヒャッwヒャッwヒャッwwww」って感じのゲス笑いにイラつく事必至だ。

ストーリーは、前半はブラックコメディ、中後半はハンスとクレオパトラの愛憎ドラマ、そしてクライマックスは騙されたハンスと虐げられた障害者達の怒りの復讐を描く。
普通に面白いストーリー展開で、ダレずに見られた。

この映画の公開時は、監督は大きく非難されて、干されたそうな。
しかし、この作品自体には差別的な要素は少ないと思う。
奇形障害者たちを見世物にしている、との批判もあるだろうけど、彼らは納得の上、映画に出演したのであり、自らの身体的特徴を売りにする事は悪い事なのか?と思う。
美男美女が自らの容姿を売りにするように、チビ・デブ・ハゲのお笑い芸人がそれをネタにするように、彼らにも自分の身体を生かした仕事をする権利はあるはずだ。
この映画は、健常者と障害者を分け隔てなく扱う、限りなく平等な映画だ。

後年、彼らの多くはこの映画に出演した事をよく思ってないそうだ。
多分それは、当時の世間でこの作品が徹底的に批判されたからで、もしこの作品が最初から受け入れられてたら、また状況は違っていたはずだ。
自分はこの作品、結構な傑作だと思う。だから、キャスト達は何ら恥じる事は無いのに!そう思う。
あ、でも邦題の「怪物團」はアウトだな。






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フェルメール光線

写真のサイズが小さくなってしまい、意味不明かもしれないが、元ツィートを見れば、笑えるだろう。
「教養」などというのは大したことではなく、こういう冗談で笑えるメリットがある、ということではないか。それで人生が精神的に豊かになる。大学で習うような事柄も教養だが、落語も教養、漫画も教養である。
このツィートを見て、フェルメールの絵の魅力の半分くらいは、あの光線の独自性にあるのだな、と初めて知った。まあ、「レンブラント光線」を室内に持ってきただけ、と思う人もいるかもしれないが、「たったそれだけ」を思い付いて実行するのが非凡さなのである。
そういう意味では、下のこのツィートも非凡である。




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フェルメールの絵画かと思った






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September Song

「うざね博士のブログ」というブログから転載。孫引きか曾孫引きになると思う。映画の原題は「september song」ではなく「 september affair」のようだ。私は「september」の単語を読んだだけで短絡的に頭の中で「song」と続けたようである。

oh,the days dwindle down, to a precious few

は、一年の終わりの気分を、老年を迎える気分と重ね合わせた名フレーズだ。


(以下引用)


 下段の説明はWEB上でひろったもの、貼り付けてみたのでご参考までにどうぞ。ちなみに、歌詞は字幕以外にはいい日本語訳が見当たらない。映画から面倒をいとわず採録してみた。ほかにあればどなたか、ご教授願いたいものと思う。

「セプテンバー・ソング」は、ジョーン・フォンテーンとジョセフ・コットン主演、ウィリアム・ディターレ監督の映画『旅愁(September Affair)1952』のテーマ曲として有名です。映画はイタリアを舞台にしたAffair(不倫の恋)、恋愛劇で、これも九月の人恋しさを感じされる物語でした。この映画はアカデミー主演女優賞を獲ったジョーン・フォンテーンの成熟した演技が印象的でした。
 もともと、「セプテンバー・ソング(September Song)」は:クルト・ワイル(Kurt Weill)作曲、マックスウェル・アンダーソン(Maxwell Anderson)作詞のブロードウェイ・ミュージカル『ニッカボッカ・ホリディ(Knickerbocker Holiday)』の挿入歌。ウォルター・ヒューストン(Walter Huston)はカナダ生まれの俳優で歌手ではありません。そのため声域も広くない彼のために書かれたのが「セプテンバー・ソング」(September Song)なのですが、かえってこれが誰でもが口ずさめる親しみやすいメロディをこの歌に与えました。また、歌詞の内容も良く、「九月の歌」ではありますが、日が短くなるこの時期を愛の感情に重ねて秀逸です。明るい夏が終る九月という月の持つ季節の変わり目に対して、人が無意識に感じる感傷を表現しています。あるいは人生の秋、無駄にする時間は無くなり、残り少ない時間をあなたと共に過したいという意味も感じられます。この含みが歌詞に豊かな余韻を与えています。
「セプテンバー・ソング」はブロードウェイ・ミュージカルの発表当時から人々に親しまれており、スタンダードな歌となっていました。それを再びヒットさせたのがフランク・シナトラのバージョンです。この歌唱が今でもこの歌の変らぬスタンダードともなっています。曲と歌詞がシンプルで美しいため、これ以上のアレンジは難しい歌でもあります。一例を挙げれば、ルー・リードのカバー・バージョンもスタンダードに対するひとつの挑戦であるものの、原曲、シナトラを超えるものではありませんでした。

 “September Song”
When I was a young man courting the girls
I played me a waiting game
If a maid refused me with tossing curls
I’d let the old Earth make a couple of whirls
While I plied her with tears in lieu of pearls
And as time came around she came my way
As time came around, she came

[When you meet with the young girls early in the Spring
You court them in song and rhyme
They answer with words and a clover ring
But if you could examine the goods they bring
They have little to offer but the songs they sing
And the plentiful waste of time of day
A plentiful waste of time]

Oh, it’s a long, long while from May to December
But the days grow short when you reach September
When the autumn weather turns the leaves to flame
One hasn’t got time for the waiting game

Oh, the days dwindle down to a precious few
September, November
And these few precious days I’ll spend with you
These precious days I’ll spend with you


・映画挿入歌・ Song:Walter Huston
女を口説いていた若い頃は
 待つのも楽しみだった
 そっぽを向かれフラれても
 時を過ぎるに任せていた
 真珠の代わりに涙を捧げていた
 時がたち想いはかなった
 時がたち彼女は僕のものに

5月から12月までは長い月日だけれど
 9月になると日々は短くなる
 秋の気配が木の葉を赤く燃え立たせる頃
 もう待つことを楽しむ時間はない
 残りの日々は少なく貴重なものになってゆく

[9月から11月へと
 この大切な日々を君と共に過ごそう
 大切な日々を君と共に
 月日が流れワインは熟成してゆく]

9月から11月へと
 この実り多き歳月を君と分かち合おう
 実り多き歳月を君と共に

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戦争が日常である世界

「ガンダムORIGIN」が面白かったので、「アムロ・レイ」のガンダム、つまり、一番最初のテレビアニメ版である「機動戦士ガンダム」もネットテレビで見てみたが、まあ、小児対象のロボットの玩具を売るために作られたような部分(ロボット戦闘部分は基本的にそれ)が多いとは言え、話の骨子は実は非常に深刻なもので、小児向けアニメでこれほど人が死ぬのも珍しいのではないか。(あえて「小児向けアニメ」を強調するのは、当時は、アニメは子供の見るもの、というのが普通の考えだったからだ。今のように大人までアニメを見るようになったのは、その当時の子供が大人になり、作り手にも視聴者にもなったからである。)で、その「深刻さ」とは、「戦争が日常である世界」で生きる少年たちの話であることだ。
簡単に言えば、パレスチナで常にイスラエルに脅かされながら生きている少年グループが、最新鋭の武器を手に入れ、一人が1戦隊に匹敵する力を身に付けたらどうなるか、という話である。しかも、その力を手に入れたのが子供だから、それを制御する能力は不完全であり、また「大人たち」にその力を利用され、翻弄されることになる。「いい人ほど先に死んでいく」というのも戦争が日常である世界の常である。
アニメの中では、ジオン公国がまるでヒトラー政権下のドイツ帝国のような描かれ方をされているので勘違いされやすいが、ZIONとはシオニズムの語源であるシオン山、つまりユダヤ民族の故郷のことである。すなわち、ジオン公国とはイスラエルのことなのだ。
ガンダムが西洋世界(上級国民の多くがユダヤ人)でなかなか受け入れられない(と思われる)のは、そのためだろう。
ガンダムファンでありながら、この「イスラエル対パレスチナ」という構図に気づかない、あるいはあえて無視している人が多いかと思うので、「隠された常識」だろうとは思うが、あえてここに書いたのである。

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「ガンダム ORIGIN」のこと

私は、「ガンダム」はまったく興味が無く、一番最初のテレビ版(と思われる)の第一回を途中まで見て、絵柄が嫌いだし、発端部分の話に興味が持てないし、で最後まで見なかったのだが、この前、ふとした気まぐれでアマゾンプライムの「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」のⅠを見て、絵柄が自分の知っていた絵柄とは違い、また話の内容が「政治」の話が大半で、非常に面白く思い、それから3日ほどの間で「Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ」とすべて見た。見るに従って面白さも増し、全部見終わると、これは傑作だなあ、と感心したものである。ただし、これは安彦良和が作った、「アムロ・レイ以前の話」であり、つまり、ガンダム「正史」(キャラ絵も話も富野由悠季が中心だろう)の前日談のようだ。主人公はアムロ・レイではなく、シャア・アズナブルと言っていいが、悪役たちも含めた群像劇と言うべきだろう。ただし、悪役とは言っても、シャアも含め、登場人物はそれぞれ自分の行動原理や哲学に従って行動しているにすぎない。単純な善悪二元論ではない。そこがいい。地球連邦とジオン公国とどちらが正義ということもない。そこが凡百の戦争映画や戦争アニメとの違いだろう。
アマゾンプライムに入っていない人は、NHKで(再編集版のようだが)放映するようなので、一見をお勧めする。ハリウッドで実写化したらいい作品だな、と思うが、シャアが「神よ(俺の前に)跪け!」と言うセリフなどはハリウッド的にはアウトだろうwww
ちなみに、シャアは、地球連邦もジオン公国も憎んでいる(と思われる)復讐鬼である。
さらに言えば、私は「巨大ロボット物」のほとんどは馬鹿馬鹿しいとしか思わない人間だ。そういう人間だからこそ、この作品の中の「政治」的部分を凄いと思うのである。戦争と政治の密接な関係を描いた作品を私はほとんど知らない。山本薩男(薩夫だったか?)の「戦争と人間」くらいだろうか。ただ、それも「戦争で儲ける人間たち」は描いても、「政治によって戦争が起こる」こと(つまり戦争の馬鹿馬鹿しさ)を鋭く感じさせることに成功してはいない気がする。


(以下引用)

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』TVアニメ再編集版がNHK総合で4月放送決定!



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アニメ公式サイト


劇場及びOVAとして発表された「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」を再編集した「機動戦士ガンダム THE ORIGIN 前夜 赤い彗星」が、4月28日NHK総合テレビにて放送決定!毎週日曜日24時35分よりTVで見ることができます。



マンガとして発表され、2015年から2018年にかけて劇場で公開された「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」。TVアニメは全13話に再編集したものとなっています。またOPをLUNA SEAが担当することも発表。曲名は「宇宙の詩(ソラノウタ) ~Higher and Higher~」。

機動戦士ガンダム THE ORIGIN シャア・セイラ編 I 青い瞳のキャスバル

ちなみにAmazonでは、プライム・ビデオとして公開中。さらにKindleでは「機動戦士ガンダム40周年記念KADOKAWAガンダムコミックフェア」が2月28日まで開催していて、「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」1~19巻が50%OFFとなっています。

機動戦士ガンダム THE ORIGIN(1) (角川コミックス・エース)

「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」放送情報

放送日

NHK総合テレビ:2019年4月28日(日)より毎週日曜日24:35~(関西は25:09~)

スタッフ

原作:矢立肇・富野由悠季(「機動戦士ガンダム」より)
脚本:隅沢克之
音楽:服部隆之
総監督:安彦良和
企画・製作:サンライズ

キャスト

シャア・アズナブル:池田秀一
アムロ・レイ:古谷徹
セイラ・マス:潘めぐみ
デギン・ソド・ザビ:浦山迅
ギレン・ザビ:銀河万丈
ドズル・ザビ:三宅健太
キシリア・ザビ:渡辺明乃
ガルマ・ザビ:柿原徹也


©SOTSU・SUNRISE







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雪の静寂の経帷子

今日は朝から雪だが、窓の外に降る雪を見ると、いつもサイモンとガーファンクルの「アイ・アム・ア・ロック」の一節、

freshly fallen silent shroud of snow

を思い出す。訳すとしたら、「新たに降った雪の、静寂の経帷子」だろうか。

この歌は、若者の孤独を歌った歌で、雪が経帷子に見えるところにその若者の孤独感と閉塞感が現れている。
なお、「アイ・アム・ア・ロック」は、「僕は岩」ということで、自分を孤立した島や岩にたとえているわけである。

ちなみに、クイーンの「ロック・ユー」のロックは、「ロッキングチェア(揺り椅子)」のロックで、「お前を揺すぶるぜ」くらいの意味だろうか。ロックンロールとはもともと、「聞き手を揺さぶったり引っくり返して目を回させたりするような音楽」ということだろう。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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