なお、『古事記』は、当時のさまざまな伝説を、大和朝廷の起源に重ねて作ったフィクションであり、「『書紀』よりも作り物」であるのは当たり前の話で、何を今さら、である。ただ、そのフィクションの中には「事実ではないが(人間性の)真実」が書かれており、古代人の感情や感覚や考え方が伺えるから「日本書紀より重要な書物だ」と本居宣長は言っているわけである。これは、紫式部が『源氏物語』の中で、光源氏の言葉として言っている「(人間や世の中を知るには)小説のほうが歴史書より重要だ」という趣旨の発言と同じことだ。
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- しかし、これは『古事記』が和文と和化漢文が多いという叙述の形式をもって史料の内容的価値を判断することであってまったくの錯誤である。こういう誤解は今でも多い。しかし、『古事記』はむしろ相当に成熟した老荘思想的観点からまとめられているのであって、『書紀』よりも作りものなのである。
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- 近藤ようこさんがリツイート
- 宣長は『古事記』は「字の文をもかざらずて、もはら古語をむねとはして古の実のありさまを失はじと勤めたる」ものであるのに対し、『日本書紀』は「潤色を加えて、漢の国史に似するを旨とし」たものであるという。『古事記』は大和心を伝え、『書紀』は唐心の書であって問題が多いという訳である。
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