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二重構造的イメージ

三夕の歌のひとつである「見渡せば花も紅葉も無かりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」(作者が誰だったか忘れたww)について三島由紀夫が、「存在しない花と紅葉が歌の読者の脳裏にイメージされ、それが現実の浦の苫屋の秋の夕暮れの情景と重ね合わされる」という趣旨のことを言っていて、この「読解」は、私を実に感心させたのだが、実はこうした「イメージの二重構造」は、三島の文章を読むずっと前から私は知っていたはずなのである。で、自分が「知っていた」ことに気づいたのがほんの先ほどなので、書いておく。つまり、その「存在」は知っていたが、その「意味するもの」は知らなかったわけだ。こういうのは「知っている」ことになるのか、ならないのか。
まあ、あっさり言えば、その対象が英語の文章と言うか、歌詞だったので、「存在は知っているが、意味は知らない」というのも当たり前の話なのだが、我々の「意識の生活」では、こういう曖昧な存在は膨大にある。そのすべての意味を明確に洗い直すのも不可能であり、あまり意義は無いのかもしれない。とりあえず、我々はそういう「知っているつもり」の物事の中に埋没して生きているという事実を確認しておくだけでも有益だろう。(キューブリックの最後の作品、「アイズ・ワイド・シャット」が意味するのも、「我々は、何かを見ているつもりでも何も見ていない」ということだろう。つまり「広く閉じられた目(見開かれながら何も見ていない目)」である。)
最後に、その英語の歌詞は何かと言えば、大昔に流行った、ブラザース・フォーの「グリーン・フィールズ」である。ここには、恋愛の最中(さなか)の、幸福に満ちた、天上的な色彩に溢れた緑の野原と青空と白い雲という情景と、恋人が去った後の、すべてが色彩を失った荒涼とした灰色の世界が二重になっているのである。その二つの世界が同時に存在するのは、まさに秋の夕暮れの荒涼とした世界の中で幻想の花と紅葉を見ている歌とまったく同じだろう。

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酔生夢人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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