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盲人の独り笑い

何だか、世の中が殺伐として、先行きの見通しも暗いので、気晴らしに馬鹿な記事を書く。
今読んでいる太宰治の短編集「お伽草子」(新潮文庫)所載の「盲人独笑」の一節である。
江戸末期から明治初期に生きた盲人の日記(自作の活字で書いたらしい)を太宰がアレンジしたもののようだ。その一節。(一行省略)

〇六月十六日。休そく。やれ、たいくつや。あつや。へいこう、へいこう。
〇同十七日。あるうたに、
あさねして、またひるねして、よひ(宵)ねして、たまたま起きて、ゐねむりをする。
とやら。きのをから、ねるほどに、ねるほどに、ゆめばかり見るわい。
〇同十八日。なにをしたやら、わけがわからぬ。
〇同十九日。なんにも、することがない。あつや、あつや。
〇同二十日。また、休そく。このごろわ、きうそくだらけで、ござる。

十二月の或る日の日記の文体が素晴らしい。「たたたたたたた」は筒井康隆ばりである。

〇同二十六日。いちにち、こたつの、もりをした。たいくつした。ひさしぶりに、また、同かの、それ、みぎの、れいの、あいかわらず、歯をいたむなりけり。たたたたたたた。
まい日、ばかのごとくなりて、日を、おくるにも、たいくつしてござり申(もうす)、よそへもゆけず、しかたがないぞ。

*「こたつのもり」は「炬燵の御守」「炬燵の番」。現代でも使えそうである。
*「ひさしぶりに」の後の「また、同(おなじく)、かの、それ、右の、例の、相変わらず」は同じ意味の言葉を並べた冗談。「右の」は「右のとおり」。

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Till there was you

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lyrics here....

There were bells on the hill, But I never heard them ringing, No, I never heard them at all Till there was you.
There were birds in the sky But I never saw them winging,No, I never saw them at all Till there was you.

And there was music, And there were wonderful roses, They tell me, In sweet fragrant meadows of dawn, and dew.

There was love all around But I never heard it singing No,I never heard it at all Till there was you!
There was love all around But I never heard it singing No I never heard it at all Till there was you


_________________________________ Meredith Willson's "The Music Man" Shirley Jones & Robert Preston

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エリカ行進曲(歌詞)

ユーチューブで知ったのだが、ドイツ(たぶん陸軍の)軍歌らしい。軍歌とも思えぬ歌詞である。

(以下引用)


歌詞 Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein 荒野に可憐な花が咲いている Und das heißt: Erika. その名はエリカ Heiß von hunderttausend kleinen Bienelein 百千の小さな蜜蜂たちによって熱く Wird umschwärmt Erika 取り巻かれている、エリカは Denn ihr Herz ist voller Süßigkeit, その心は慈愛に満ちているので Zarter Duft entströmt dem Blütenkleid. 優しい香りが花の衣から流れ出る Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein 荒野に可憐な花が咲いている Und das heißt: Erika. その名はエリカ In der Heimat wohnt ein kleines Mägdelein 故郷には可憐な少女が住んでいる Und das heißt: Erika. その名はエリカ Dieses Mädel ist mein treues Schätzelein この娘は僕の貞節な恋人 Und mein Glück, Erika. そして僕の幸せ、エリカは Wenn das Heidekraut rot-lila blüht, 荒野の草が赤紫に花咲くとき Singe ich zum Gruß ihr dieses Lied. 僕は彼女への挨拶にこの歌をうたう Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein 荒野に可憐な花が咲いている Und das heißt: Erika. その名はエリカ

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「As time goes by」の訳

和田誠と三谷幸喜の「これもまた別の話」を読んでいたら、「カサブランカ」についての対談の中で和田誠が次のようなことを言っていて、「As time goes by」という歌の題名の誤訳について言っているのを私は自分以外に初めて見た。しかし、この対談集は前にも読んではいたはずなので、この部分は読み落としていたのか、あるいはこの発言が潜在意識の中にあって、下の記事を書いたのか、わからない。下の記事を書いた後でこの発言を読んだのなら気づかないはずはないだろう。
まあ、とにかく、私の考えが間違いではないようなので安心した。

和田「『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』の邦題も今は『時の過ぎゆくままに』で定着してるけど、昔の字幕は『月日とともに』になってた。どっちにしろ誤訳なんですけどね(笑)。時が経とうと基本的な事柄は変わらない、という歌詞ですから。


(以下自己引用)日時はネット掲載の日時で、記事はその十年か二十年以上も前に書いたもの。



4 「時が経っても」(「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」) ハーマン・ハプフェルド作詞作曲


 


 As time goes by


 


You must remember this


A kiss is just a kiss


A sigh is just a sigh


The fundamenntal things apply


As time goes by


(覚えておきなさい


キスはただのキス


溜息はただの溜息


基本的な事柄は変わらない


時が過ぎていっても)


 


And when two lovers woo


They still say “I love you”


Oh,that‘s you can rely


No matter what the future brings


As time goes by


(恋人たちが求婚する時、


彼らはやはり「アイ・ラブ・ユー」と言う


そのことは大丈夫、いつでも通じるさ


未来が何をもたらそうとも


時が過ぎていっても)


 


Moonlight and lovesongs


Never out of date


Hearts, full of passion


Jealousy and hate


Woman needs man


And man must have his mate


That no one can deny


(月の光や恋唄は


けっして流行遅れにはならないよ


情熱に満ちた心、


嫉妬に憎しみ、


女が男を必要とすること、


男には連れ合いが必要なこと、


それらは誰にも否定はできない)


 


It‘s still the same old story


A fight for love and glory


A case of do or die


The world will always welcome lovers


As time goes by


(それは昔ながらのお話


恋や栄光のための戦い


やるか死ぬかの二者択一


世界はいつでも恋人たちを歓迎しているんだよ


時が過ぎていってもね)


 


Oh,yes,the world will always welcome lovers


As time goes by


(そうさ、世界はいつでも恋人たちを歓迎する


時が過ぎても)


 


 


 案外と内容が誤解されているのではないかと思われるスタンダード曲である。その理由は、「As time goes by」の「as」の解釈を、「~のままに」として、「時の過ぎ行くままに」などというタイトルが流布しているからだろう。「時の過ぎ行くままに」では、まるで、変化を肯定する内容に見えてしまう。これは逆に、「時が過ぎても、人生のファンダメンタルは変わらない」という不変性を歌った詩なのである。おそらく、日本的無常観の伝統が、こうしたポップスの解釈まで誤らせたのだろう。もっとも、逆接の「as」なんてのは、辞書を細かく見ないと気づかないものではあるが。


 歌詞そのものは、他のポップス同様、押韻の面白さを狙った言葉遊びが多く、あまり逐語訳しても意味はないが、それなりに面白い内容でもある。それに、やはり映画「カサブランカ」での効果的な使い方のために、一部の人間には忘れられない名曲となっているようである。ただし、本当は「カサブランカ」のテーマ自体とはあまり関係のない、ただの甘いラブソングなのだが。


 






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橘曙覧の歌「たのしみは~」




橘曙覧の長男、井手今滋(いましげ)は父の残した歌をまとめ、1878年明治11年)『橘曙覧遺稿志濃夫廼舎歌集』(しのぶのやかしゅう)を編纂した。正岡子規はこれに注目して1899年(明治32年)、「日本」紙上に発表した「曙覧の歌」で、源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛し、「墨汁一滴」において「万葉以後において歌人四人を得たり」として、実朝・田安宗武平賀元義とともに曙覧を挙げている。以後、子規およびアララギの影響下にある和歌史観において重要な存在となる。


『志濃夫廼舎歌集』に「独楽吟」(どくらくぎん)がある。清貧の中で、家族の暖かさを描き、次のような歌がある。


たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時
たのしみはまれに魚煮て兒等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時
たのしみは空暖(あたた)かにうち晴(はれ)し春秋の日に出(い)でありく時
たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつゞけて煙草(たばこ)すふとき
たのしみは錢なくなりてわびをるに人の來(きた)りて錢くれし時


どれも「たのしみは」で始まる一連の歌を集めたものである。1994年明仁天皇皇后美智子(いずれも当時)がアメリカを訪問した折、ビル・クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で、この中の歌の一首「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用してスピーチをしたことで、その名と歌は再び脚光を浴びることになった。




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阿呆陀羅経の解釈

まあ、雑談なのだが、「ネットゲリラ」氏が「阿呆陀羅経」について書いていて、私は「日本語ラップ」が登場した時から、「こんなのアホダラ経の現代版じゃねえか。メロディも何もない、賢(かし)こぶった若僧のお説教が流行するわけがあるか」と思っていて、その予測は見事に外れたwww やはり電通式に、「馬鹿(B層)が世の中の8割を占めているのだから馬鹿に合わせて流行を作れ」という商法が正しいようだ。
ただし、下に出ている「阿呆陀羅経」の詩句はなかなかナンセンスで面白い。
私は下らないものや些事の解釈が趣味なので、解釈作業をしてみる。たとえば「お尻けつ」という表記などは当然「お尻(けつ)」とでも表記するべきだろうが、その類はいちいち説明はしない。私の解釈は括弧内に赤字で書いてみる。

 隣のおさんも年頃で、ビンツケ油をコテシコテシとぬりつけて、お尻けつをなでたりお腹なかをなでたり、(主語の「私」の省略で、「私は隣のおさんのお尻を撫でたりお腹を撫でたり」ということだろう。もちろん、「私」ではなく「おさんの隣の家の馬鹿息子」としてもいい。)パカポコ、パカポコ。(確か、「ドグラマグラ」では「チャカポコチャカポコ」だったと思う。
 親からもらった四両二分(この「四両二分」という数字の意味は不明。単に「しりょうにぶ」の音数(5音)のためかもしれない。「もらった」の主語は「私」もしくは「おさんの隣家の馬鹿息子」だろう。)、使い過して借りだらけ、隣のおさんが引受けて(借金した馬鹿男の身を借金もろともおさんが引き受けて、ということだろう。)、とうとう十月で(言うまでもなく、「とうとう」と「十月(とつき)」が頭韻を踏んでいる。)産しました。(ここは「産みました」でないと語呂が悪い。)ああ、パカポコ、パカポコ。
 頭の光ははげ光り、ホタルの光は尻けつ光り、親父の光は七光り、かかの光はくそ にもならぬ。(封建時代は家父長制の時代だから、父権が絶大で、「親の七光り」は「父親の七光り」が普通だったから「母親の光は糞にもならぬ」と母親が軽視されているわけだろう。このあたりの思想がフェミニストの私は大嫌いである。それにくらべて「母親はもったいないが騙しよい」という狂句は、「もったいないが」という一語に母親への敬愛が現れていて好きだ。)パカポコ、パカポコ。
 権兵衛が種子まき、烏がほじくる。かならずこれを見習って、人のカサ(言うまでもなく、梅毒による顔の病変。ここでは、「他人の隠したがる欠点」全体を象徴しているのだろう。)なのほじくるな、それさえなければ国家安泰、家内安全。パカポコ、パカポコ。(「見習って」の一語が分かりにくいが、「権兵衛」や「鴉(烏)」を見習うのではなく、「ほじくる行為の迷惑性を知って」の意味だろう。
 会いたい見たい顔みたい、顔見りゃ一度は話してみたい、話すりゃ一度寝てみたい、寝てみりゃ一度はしてみたい。(「寝る」ことと「する」ことはほとんど同義だろうが、わざわざ言葉を変えて繰り返したのは単に音頭の節の長さの都合だろう。)パカポコ、パカポコ。


(以下引用)

【Thoun music】夜の街で演奏するクメールバンドです。モーラムもそうなんだが、こうした語り芸というのは元は宗教的なところから始まっていて、まぁ、日本で言う阿呆陀羅経みたいなもんです。なに?阿呆陀羅経を知らない?オマエそれでも日本人か!

江戸・東京や上方の都市で、願人坊主が門付して歩いた話芸である。世間一般の話題や時事風刺を交えながら俗謡の節にのせて語る。後にヒラキから寄席芸となり、漫才に取り込まれるなどしながら昭和の時代まで主に見られた。また、ちょぼくれ・ちょんがれときわめて近い存在の芸能である[1]。文久年間(1861〜64)、阿呆陀羅経が江戸市中にあらわれたときには、錫杖を捨て、大きな木魚をたたいていたが、のちにはおもに男女二人が連れ立ち、男は手拭をかぶり、豆木魚二個を一組にしたものをたたき、女は三味線で伴奏し街を流した。明治初年、東京では筋違や両国あたりで人気を博した大道芸かっぽれ一座の人気者初丸が、阿呆陀羅経の巧者でもあった。また同じ大道芸仲間の豊年斎梅坊主(1854年 - 1927年)は当初、飴を売りながら演じていたが、1877年(明治10年)ごろには、寄席へ進出して大評判をとった。後に吹き込んだ阿呆陀羅経のレコードに〈虫尽し〉〈無いもの尽し〉〈反物尽し〉など数種がある。「あほだら経」には「ないない尽くし」「諸物価値上がり」など多様な演目のあることが知られるが、江戸末期の当時、相当に強烈な政治批判が含まれるものもある。下記の「無いもの尽くし」を参照のこと。

阿呆陀羅経 出鱈目 - 豊年斎梅坊主連中 実はおいら、日本文学科の卒論がこうした口承文芸の世界で、なんせ口承文芸、文字にされなかった文学なので、参考文献の引用もなしで卒論80枚書いて、担当教員から「出版したらいいのに」と言われた。阿呆陀羅経は生き残らなかった演芸なので、夢野久作の「ドグラマグラ」くらいでしか知らない人が多いだろう。阿呆陀羅経の一例。

 アホダラキョウで申します。
 隣のおさんも年頃で、ビンツケ油をコテシコテシとぬりつけて、お尻けつをなでたりお腹なかをなでたり、パカポコ、パカポコ。
 親からもらった四両二分、使い過して借りだらけ、隣のおさんが引受けて、とうとう十月で産しました。ああ、パカポコ、パカポコ。
 頭の光ははげ光り、ホタルの光は尻けつ光り、親父の光は七光り、かかの光はくそ にもならぬ。パカポコ、パカポコ。
 権兵衛が種子まき、烏がほじくる。かならずこれを見習って、人のカサなのほじくるな、それさえなければ国家安泰、家内安全。パカポコ、パカポコ。
 会いたい見たい顔みたい、顔見りゃ一度は話してみたい、話すりゃ一度寝てみたい、寝てみりゃ一度はしてみたい。パカポコ、パカポコ。

ちゃんちゃん征伐呆痴陀羅経(国会図書館デジタルコレクション)、阿呆陀羅経は今は既に残っていないが、似たような存在が河内音頭です。浪曲というのも、ちょんがれ節という似たようなところから出発して、今の形になったのは明治、大正時代。

こうした存在は、「文学」と呼ぶべきか、「音楽」と呼ぶべきか。文学だとするなら阿呆陀羅経の願人坊主は吟遊詩人だし、音楽だとすればストリートミュージシャンかラッパーかw このカンボジアの街頭音楽も、そんな系列の存在です。

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砂に埋もれる犬



フランシスコ・デ・ゴヤ《砂に埋もれる犬》の詳細画像

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この画像は、フランシスコ・デ・ゴヤによる作品《砂に埋もれる犬》の詳細画像です。本作品の解説を読みたい場合は、上記の作品タイトルから解説ページに移動してください。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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