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失恋と祝福、それが人生

森高千里の最大の成功作である、ビールのCM曲「気分爽快」の歌詞の英訳である。もちろん、ネットで拾ったものだが、実は失恋の歌である。私も英訳を見て初めて知った。いい歌詞である。
ネットに「気分爽快」の動画もあるので視聴をお勧めする。
ついでに言えば、英訳の最初の文は「やったね」の英訳である。自分がひそかに恋していた男と自分の親友が恋仲になり、明日デートをすることを聞いて、友人を祝福する言葉だ。

(以下引用)元の英文では行分けされていたが、コピーすると行も連も一続きになって不明になっている。まあ、元の英訳を探すのも面倒なのでそのままにする。


English translation


Hooray. Congratulations You’ll finally have a date with him? You really do it before I knew it Since I was longing for making a cuple with him It’s painful but it’s OK. Let’s toast with beer Let’s drink, today until the end let’s swell Let me listen, your meeting with him, without reservations Let’s drink, today until the end I’ll go along with you Because I liked him too By no means try to make him yours I don’t give up, honestly I’m a little shocked That’s life. This is a casual meeting too “Thanks a lot” you say Tomorrow, tomorrow is your date. Do your best You’ll drive to the park and the sea. You’ll be roasted. Tomorrow, tomorrow in any way Enjoy my relationship If I can, I don’t wanna go home tonight Crybaby as I am, I wanna fall in love soon Let’s drink, today until the end let’s swell However leave his pride behind still Let’s drink, today until the end I’ll go along with you Now I’ll feel great Tomorrow, tomorrow is your date. Do your best Take his hand, grab his shoulder to that bastard Tomorrow, tomorrow I’ll feel fine I’ll feel wonderful, I’ll feel great
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We'll meet again

We'll meet again
don't know when,don't know where
But I know we'll meet some sunny day


「博士の異常な愛情」のラスト、世界が原水爆で壊滅していく中で流れる美しいラブソングの1節である。ウクライナ戦争がいつ全世界的な核戦争に発展するか、予断を許さない状況だし、このブログもいつ不可避的に終わるかもしれないので、あらかじめ挨拶をしておく。

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老年と壮心

「世に倦む日々」氏がNOTEに発言の場を移した最初の記事の末尾だが、「老キ(たぶん、キと読むと思うが、パソコンで出て来ない。「麒麟」の「麒」とは違うようだし、麒麟は馬小屋にはいないだろう。つまり、馬の意味か。)」の意味が分からなくて戸惑ったが、下の写真を見て、これが曹操の詩の中の言葉だと知った。その詩がなかなか面白い。もちろん、独断での解釈だが、だいたいこんな意味だろうか。

 亀は長寿だが

神亀は長寿だが、いつかは死ぬ
龍は霧に乗って飛ぶが、いつかは土灰となる
老馬は馬小屋に伏せるが、その志は千里にある
烈士は生涯の暮方にも、壮心は止まない
満つる時と収縮の時の如何はただ天命にあるだけではない(自分次第だ)
そして、(自ら)喜びを養うことの幸福は生涯あるだろう

最後の一行はかなり恣意的な訳だが、「怡」の意味が漢和字典だと「よろこび、楽しむ」らしいので「養怡」の解釈が難しい。そこで「自ら」の冗語(文章を冗長化する無駄な言葉)を入れたわけだ。「自分で自分の喜びを養う」精神と言うか、知恵は、万人に通じる人生訓としてかなり有益なアドバイスなのではないか。



この新環境が、志は千里を駆ける老騏の馬小屋だと、前向きに。


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「象のうんこ」の意味

穂村弘という歌人がいて、私は現代短歌というのはあまり好きではなくてほとんど読まないのだが、彼のエッセイが好きで、古本屋で見つけると買ったりする。(古本の販売代金からも著者に印税が5%くらい行くように法律を作らないと、文芸は滅びると思う。古本で安く買えるから、人々の多くは新書を買わないのである。私もそうだ。)
で、彼の代表作は、おそらく、これになると思う。

サバンナの象のうんこよ聞いてくれ だるいせつないこわいさびしい

「象のうんこ」を歌った短歌は空前絶後だろう。しかもそれが現代の若者の孤独感と見事な対比になっている。サバンナの乾いた風に吹かれる象のうんこは、動物園の象のうんこの不潔さや惨めさが無い。そして、孤独な若者が「聞いてくれ」と願う相手は若い美しい女性でも何でもなく、「サバンナの象のうんこ」なのである。もちろん、象のうんこはそんな嘆きなど聞きはしない。それでも、そういう相手でもどこかに存在しているだけで、何かの救いにはなるわけだ。
実際、相手が若い美しい女性だと、彼はじぶんの「だるいせつないこわいさびしい」思いを訴える気にもなれないだろう。訴えるだけでも死にたくなりそうだ。しかし、相手が象のうんこなら、正直に自分の孤独と絶望を訴えることができる。それは、相手が「この世界に存在する悠々とした何か」を象徴しているからではないか。べつに、象自体に聞いてほしいわけでもない。自分の「だるいせつないこわいさびしい」という気持ちは、いつもは自分だけの心の中に飲み込んでしまっているものだろう。だが、深夜、ふと目覚めた時、サバンナの象や、そのうんこを思うと自分を縛り付けている何かからの救いがその世界にあるような気になるわけだろう。
象のうんこという、雄大で無意味な存在が、現代の都会の小さな孤独と見事に対比されている。


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日本語について

まあ、まったくの暇つぶし記事なのだが、私は日本語というのは機能性が抜群だと思っている。外国人が習得するのは簡単ではないかもしれないが、表現力という点では世界最高の言語だと思う。つまり、「表記性」が最高なのである。漢字で主要部分が即座に伝わるから、漢字だけ目で拾っても、大体の趣旨は推定できる。そして漢字は象形文字だから、視覚で即座に意味が伝わる。また、意味が分からない漢字でも偏と旁に分解してその関連を考えれば、意味が推定できる。
ところが、漢字には同音が多いから、耳で聞くとどういう漢字か分からないことが多い。中国語はそれを四声という音の高低で判別できるようにしているが、外国人には四声は習得困難である。
で、日本語表記の優れているところは、漢字以外に平仮名、片仮名があることで、その補助によって文章の印象が柔らかくなる。平仮名や片仮名だけでの表記も可能である。
下の詩は山村暮鳥の詩で、小学校の国語教科書でもおなじみだろう。引用のために詩の本体がブログ画面から右側にはみ出してしまっているが、まあ、記憶で補えばいい。



  風 景  
    
純銀もざいく


 


 



           山 村 暮 鳥

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。


 


 


 

まあ、日本語の欠点は、聴覚的な美しさに欠けるところかと思うが、私のように軽度難聴だと、それはほとんど問題にならない。読むのに適し、話すのにはあまり優れてはいない言語だろう。
しかし、音韻性に関しては七五調や押韻などで補助できるところもある(上記の暮鳥の詩がまさにそれ。)し、私のように、読むだけで音を想像すれば十分という人もいるのではないか。

下の詩は八木重吉の詩で、「雨の音がきこえる」は大島弓子の初期漫画の題名でもある。
表記に少し注意すると、3行目と4行目は「音」「働く」「静かに」をひらがなにしている。それが、まるで、注意しないと聞こえないかすかな雨の音のように柔らかに感じるのは私だけだろうか。

 


雨の音がきこえる


雨が降っていたのだ


あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう


雨があがるようにしずかに死んでいこう







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It's been a long long time






It's Been a Long, Long Time

Kiss me once, then kiss me twice
Then kiss me once again
It's been a long, long time
Haven't felt like this, my dear
Since I can't remember when
It's been a long, long time
You'll never know how many dreams
I've dreamed about you
Or just how empty they all seemed without you
So kiss me once, then kiss me twice
Then kiss me once again
It's been a long, long time
Ah, kiss me once, then kiss me twice
Then kiss me once again
It's been a long time
Haven't felt like this my dear
Since I can't remember when
It's been a long, long time
You'll never know how many dreams
I dreamed about you
Or just how empty they all seemed without you
So kiss me once then kiss me twice
Then kiss me once again
It's been a long, long time
Long, long time

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もう森へなんか行かない

フランス語愛好家のペンギンのペン氏(ペン嬢?)
のサイトから転載。
昔は、歌の意味も知らずに聞くしかなかったが、今はこういうサイトで調べることができる。そういう面ではいい時代ではある。

(以下引用)

森

フレンチポップスの訳詞



もう森へなんか行かない(フランソワーズ・アルディ):歌と訳詞。


フランソワーズ・アルディが1967年に発売したアルバムと同名のシングル曲、もう森へなんか行かない(Ma jeunesse fout le camp)を紹介します。


日本ではドラマの主題歌に使われたので、フレンチ・ポップスとしては有名な曲ですね。


原題の、Ma jeunesse fout le camp は、「私の青春は去っていく」という意味です。fout は foutre という動詞の活用形で、foutre le camp はイディオムで、立ち去る、逃げる、という意味です。

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もう森へなんか行かない

物悲しい歌ですね。


それでは訳詞に挑戦!



[Couplet 1]
Ma jeunesse fout l'camp
Tout au long des poèmes
Et d'une rime à l'autre
Elle va bras balants
Ma jeunesse fout l'camp
A la morte fontaine
Et les coupeurs d'osier
Moissonent mes vingt ans

[Refrain]
Nous n'irons plus au bois
La chanson du poète
Le refrain de deux sous
Les vers de mirliton
Qu'on chantait en rêvant
Au garçon de la fête
J'en oublie jusqu'au nom
J'en oublie jusqu'au nom
Nous n'irons plus au bois
Chercher la violette
La pluie tombe aujourd'hui
Qui efface nos pas
Les enfants ont pourtant
Des chansons plein la tête
Mais je ne les sais pas
Mais je ne les sais pas

[Couplet 2]
Ma jeunesse fout l'camp
Sur un air de guitare
Elle sort de moi même
En silence à pas lent
Ma jeunesse fout l'camp
Elle a rompu l'amarre
Elle a dans ses cheveux
Les fleurs de mes vingt ans

[Refrain]
Nous n'irons plus au bois
Voici venir l'automne
J'attendrai le printemps
En effeuillant l'ennui
Il ne reviendra plus
Et si mon coeur frissonne
C'est que descend la nuit
C'est que descend la nuit
Nous n'irons plus au bois
Nous n'irons plus ensemble
Ma jeunesse fout le camp
Au rythme de tes pas
Si tu savais pourtant
Comme elle te ressemble
Mais tu ne le sais pas
Mais tu ne le sais pas



私の青春は行ってしまう(Ma jeunesse fout le camp)


私の青春は行ってしまう
詩の中を
一つの韻からもうひとつの韻へと
腕をぶらぶらさせながら行ってしまう
私の青春は行ってしまう
枯れた泉のもとを
柳の木こりのもとを
木こりは、私の青春を刈り入れる


もう私たちは森へ行かない
詩人の歌
安っぽいリフレイン
へたくそな詩
それは、かつて、夢を見ながら歌ったもの
お祭りで会った少年たちの夢を
名前すら忘れてしまったけれど
名前すら忘れてしまったけれど


もう私たちは森へ行かない
すみれを探しになんか
きょうは雨が降っているから
私たちの足音は聞こえない
それでも子どもたちの
頭の中は歌でいっぱい
でも、私はどれ一つ知らない
でも、私はどれ一つしらない


私の青春は行ってしまう
ギターの音色のうえを
それは私の中から出ていく
静かに、ゆっくりと
それは旅立っていく
私が若かったころの花を
髪につけたまま


もう私たちは森へ行かない
秋になる
私は春を待つわ
退屈の花びらをむしりながら
もう春は戻ってこない
もし私の心が震えたとしたら
それは夜になったから
それは夜になったから


もう私たちは森へ行かない
もう一緒に行かない
私の青春は行ってしまう
あなたの足取りとともに
あなたが知っていてさえくれたら
どんなに青春があなたに似ているかを
でも、あなたは知らない
でも、あなたは知らない

単語メモ

au long de  ~に沿って、~の間中


ballant  (腕、足などが)ゆれている、だらりとした


coupeur   伐採夫


osier  (あみかご用などの)柳の細枝;あみかご用などに栽培される数種の柳の総称


moissonner  収穫する、刈り入れをする


sous  (複数形で)お金
de deux sous  安っぽい、たいして値打ちのない


mirliton  俗謡のリフレイン
vers de mirliton   へたな詩句
☆mirliton は、管の底に羊皮紙や油紙を貼って、声を共鳴させる小さな笛のことです。リームをつめたスティックタイプのパイ菓子でもあります。


effacer  ~を消す、消し去る


à pas lents  ゆっくりとした足取りで


rompu < rompre  ~を断つ、解消する


amarre  (船、飛行機などの)係留用ロープ、もやい(船を桟橋につないでいる網)
rompre les amarres   もやい網を切る、絆/束縛を断ち切る


effeuiller  葉を取る/摘む;花びらをむしる


ennui  退屈、倦怠


単語はちょっとむずかしいですが、文法的にはそんなに難しくありません。mes vingt ans(私の二十歳)は「青春」と訳しました。


恋の終わりとともに、青春も去っていく、それもゆっくりと、といった内容の歌です。

もう森へなんか行かない:ギイ・ボンタンペリ

この曲を作ったのは、ギイ・ボンタンペリ(Guy Bontempelli 1940-2014)というフランスのシンガー・ソングライターです。


彼のバージョンはこちら。

ボンタンペリは語るように歌っているので、こちらのほうがフランス語は聞き取りやすいと思います。


祭りで会った少年たち(garçons)が filles(少女たち)になっています。また、Chercher la violette の chercher は attendre になっています。

もう森へ行かない(童謡)

フランスには、この曲の歌詞に何度も出てくる Nous n’irons plus au bois(もう私たちは森へ行かない)というタイトルの童謡があります。


フランスの子供は誰でも知っている歌なので、ギイがこの曲を作ったとき、童謡のことも頭にあったと思われます。


こちらはいたってのどかな歌です。

童謡なのでいろいろな歌詞がありますが、動画の歌詞を訳しておきます(字幕が少し間違っている箇所があります)。


Nous n’irons plus au bois,
Les lauriers sont coupés.
La belle que voilà,
la laiss’rons-nous danser?


私たちはもう森へ行かない
月桂樹が切られてしまった
美しい娘がやってきた
彼女にダンスをさせる?


☆Entrez dans la danse,
Voyez comme on danse,
Sautez, dansez,
embrassez qui vous voudrez.


ダンスに入って
私たちが踊るのを見て
跳んで、踊って
キスをしたい人にキスをして☆


La belle que voilà
la laiss’rons-nous danser ?
Mais les lauriers du bois,
les laiss’rons-nous faner ?
Mais les lauriers du bois,
les laiss”rons-nous faner ?
Non, chacune à son tour
ira les ramasser.


美しい娘がやってきた
彼女にダンスをさせる?
でも、森の月桂樹は
しおれたままにするの?
でも、森の月桂樹は
しおれたままにするの?
いいえ、娘たちが順番に
拾い集めます


☆~☆ 繰り返し


Non, chacune à son tour
ira les ramasser.
Si la cigale y dort
ne faut pa la blesser,
Si la cigale y dort
ne faut pa la blesser,
Le chant du rossignol
la viendra réveiller.


いいえ、娘たちが順番に
拾い集めます
そこでセミが寝ていたら
傷つけてはいけません
そこでセミが寝ていたら
傷つけてはいけません
ナイチンゲールの鳴き声が
セミを起こすでしょう


☆~☆ 繰り返し


Le chant du rossignol
la viendra réveiller.
Et aussi la fauvette
avec son doux gosier
Et aussi la fauvette
avec son doux gosier
Et Jeanne la bergère
avec son blanc panier.


ナイチンゲールの鳴き声が
セミを起こすでしょう
ハッコウチョウも
やさしく鳴いて
ハッコウチョウも
やさしく鳴いて
羊飼いのジャンヌも
白いかごを持って


☆~☆ 繰り返し


Et Jeanne la bergère
avec son blanc panier
Allant cueillir la fraise
et la fleur d’églantier,
Allant cueillir la fraise
et la fleur d’églantier,
Cigale, ma cigale,
allons il faut chanter
Cigale, ma cigale,
allons il faut chanter
Car les lauriers du bois
sont déjà repoussées


羊飼いのジャンヌも
白いかごを持って
いちごと
野ばらの花をつみます
いちごと
野ばらの花をつみます
セミ、私のセミ
歌を歌わなければ
だって、森の月桂樹は
もうまた生えたのだから


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男性
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仙人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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