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不条理ギャグの特徴

市民図書館から借りた本の中に別役実の戯曲集があって、最初の「猫ふんぢゃった」だけ読んだのだが、その中のギャグのひとつが面白かった。ただ、不条理ギャグというのは、あまりそれだけ連続すると面倒くさくなる。「不思議の国のアリス」の場合は出て来るキャラがみな特別品というか特級品だからナンセンスギャグも面白いのだが、別役実の場合は、人物がまるで○と線だけで描いた棒人間のように、意図的に無個性にしているような感じで、つまりキャラ化が排除されている。だから、話の流れを真剣に追わないと話のナンセンスさが理解ができなくなるのである。まあ、賢い人向きの、あるいは真面目な人向けの不条理劇だろう。
で、最初に書いた、私が面白いと思ったギャグは、未知の或る人(話を簡単にするために、名前だけ知っている人としてもいい)に電話をかけ、
「あなたはタナカさんですか」
「はい、そうです」
「そうですか」(電話を切る
というものである。
これをやられた相手が受ける不条理感というのは凄いだろうな、と思う。まあ、「行動による冗談(practical joke)」の不条理版である。
で、このやり取りの話を聞いていた相手が、「それ変じゃない?」と言うと、「『そうです』に対して『そうですか』と答えるのはちっともおかしくないだろう」と言うのがまたおかしい。確かに、この応答自体は普通だが、問題はその後、即座に電話を切るということにあるわけだ。相手は、「いったい、今のは何の電話だったのか」と悩むことになる。
こういう、突然の空白・断絶(常識世界からの断絶)・足元に突然穴が開いて落ちる落下感というのが、不条理感の特徴かもしれない。

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蝶のハヒフヘホ

北村薫の「山眠る」(何シリーズというのか分からないが、国文学のネタが多い、「日常の推理」小説である。)の中に、山本健吉が、「百人一句」の中で加藤楸邨の代表句に

日本語を離れし蝶のハヒフヘホ

を選んでいる、と書かれていて、驚いたのだが、加藤楸邨にはそれ以外に名句は無いのか、と探してみると、有名な句がたくさんある。学校教科書に載るような句も5つ6つある。それが、何で意味不明の「蝶のハヒフヘホ」が代表句なのか。
下のリストで言えば、

鰯雲ひとに告ぐべきことならず

寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃

雉子の眸のかうかうとして売られけり

鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる

木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ

しづかなる力満ちゆきばつたとぶ

などは特に有名であり、私も名句だと思うが、「蝶のハヒフヘホ」はまったく意味不明であり、私の日本語読解力では、何が「ハヒフヘホ」なのか分からない。ついでに言えば、同じ「山眠る」の中で「にこにこせりクリスマスケーキ買ふ男」が加藤楸邨にしか詠めない名句だとされているが、どこが名句なのか。その辺の素人俳人が詠んだ駄句だとしか思えない。まあ、「俳句が詠じる対象や俳句の言葉づかいなど、こんなものでいいのだ」と放り投げたような境地が素晴らしい、とでも言うなら、俳句というジャンルそのものの否定ではないか。舌頭に千転した結果が「にこにこせりクリスマスケーキ買ふ男」か。芭蕉が真っ赤になって怒るだろう。
これもついでに言えば、芭蕉の名句「海くれて鴨のこゑほのかに白し」を「海暮れてほのかに白し鴨のこゑ」のほうがいいといい、しかも、どちらにしても駄句だと言い切る文学者が出て来るが、キチガイだろう。

(以下引用)


デジタル句集


俳句季語出典
はしりきて二つの畦火相博てる畑焼く寒雷
かなしめば鵙金色の日を負ひ来寒雷
枯れゆけばおのれ光りぬ枯木みな枯木寒雷
蟻殺すわれを三人の子に見られぬ寒雷
道問へば露地に裸子充満す寒雷
鰯雲人に告ぐべきことならず鰯雲寒雷
さむきわが影とゆき逢ふ街の角寒し寒雷
寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃寒雷寒雷
長き長き春暁の貨車なつかしき春曉寒雷
蟇誰かものいへ声かぎり颱風眼
蝸牛いつか哀歓を子はかくす蝸牛颱風眼
白地着てこの郷愁の何処よりぞ白絣颱風眼
炎天下くらくらと笑わききしが炎天颱風眼
蚊帳出づる地獄の顔に秋の風秋風颱風眼
灯を消すやこころ崖なす月の前颱風眼
山蟹のさばしる赤さ見たりけり穂高
本売りて一盞さむし春灯下春灯穂高
さえざえと雪後の天の怒濤かな雪後の天
春愁やくらりと海月くつがへる春愁雪後の天
春寒く海女にもの問ふ渚かな春寒雪後の天
牧の牛濡れて春星満つるかな春星雪後の天
鳥雲に隠岐の駄菓子のなつかしき鳥雲に入る雪後の天
春田打つかそかな音の海士郡春田雪後の天
隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな木の芽雪後の天
春陰や巌にかへりし海士が墓春陰雪後の天
牡丹の芽炎となりし怒濤かな牡丹の芽雪後の天
十二月八日の霜の屋根幾万雪後の天
生きてあれ冬の北斗の柄の下に冬北斗雪後の天
毛糸編はじまり妻の黙はじまる毛糸編む火の記憶
燕はやかへりて山河音もなし燕帰る火の記憶
子がかへり一寒燈の座が満ちぬ寒燈火の記憶
冴えかへるもののひとつに夜の鼻冴返る火の記憶
火の奧に牡丹崩るるさまを見つ牡丹火の記憶
九十九里の一天曇り曼珠沙華曼珠沙華野哭
雉子の眸のかうかうとして売られけり野哭
飴なめて流離悴むこともなし悴む野哭
死ねば野分生きてゐしかば争へり野分野哭
凩や焦土の金庫吹き鳴らす野哭
死や霜の六尺の土あれば足る野哭
天の川怒濤のごとし人の死へ天の川野哭
炎昼の女体のふかさはかられず炎昼野哭
鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる鮟鱇起伏
蜥蜴交るくるりくるりと音もなく蜥蜴起伏
猫と生れ人間と生れ露に歩す起伏
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ木の葉起伏
霜夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び霜夜起伏
黴の中言葉となればもう古し山脈
税吏汗し教師金なし笑ひあふ山脈
チンドン屋枯野といへど足をどる枯野山脈
落葉松はいつめざめても雪降りをり山脈
しづかなる力満ちゆきばつたとぶ飛蝗山脈
玉虫はおのが光の中に死にき玉虫山脈
春の暮暗渠に水のひかり入る春の暮山脈
原爆図唖々と口あく寒鴉寒鴉まぼろしの鹿
大き茶碗よわが鼻入れて冬温し冬暖まぼろしの鹿
掌にありて遠くはるかに春の貝まぼろしの鹿
墓二三桜と光る深田打ち田打まぼろしの鹿
夜の椿果肉のごとき重さもつ椿まぼろしの鹿
恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく猫の恋まぼろしの鹿
力尽きたる色独楽の色わかれゆく独楽まぼろしの鹿
つぎつぎに子ら家を去り鏡餅鏡餅まぼろしの鹿
花を拾へばはなびらとなり沙羅双樹沙羅双樹まぼろしの鹿
まぼろしの鹿はしぐるるばかりかな時雨まぼろしの鹿
葱きざむこの音とわが四十年まぼろしの鹿
霧にひらいてもののはじめの穴ひとつ吹越
はこふぐの負ひて生きたる箱のさま河豚吹越
青虫のひたゆくは言持たぬため青虫吹越
きらきらと目だけが死なず鬼やんま鬼やんま吹越
湯に透きて寒九の臍ののびちぢみ寒の内吹越
口見えて世のはじまりの燕の子子燕吹越
水を出て白桃はその重さ持つ吹越
いなびかり女体に声が充満す稲妻吹越
おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ朧夜吹越
鬼おこぜ石にあらずと動きけり鬼おこぜ吹越
バビロンに生きて糞ころがしは押す黄金虫吹越
チグリスのうつつの蛙鳴きにけり吹越
ぽこぽこと暗渠出できし茄子の馬茄子の馬吹越
吹越に大きな耳の兎かな吹越
おぼろ夜の鬼なつかしや大江山朧夜怒濤
ありまきの雌だけの国あをあをと蟻巻怒濤
こぼれねば花とはなれず雪やなぎ雪柳怒濤
降りだして雪あたたかき手毬唄手毬怒濤
牡蠣の口もし開かば月さし入らむ牡蠣怒濤
牡丹の奥に怒濤怒濤の奥に牡丹牡丹怒濤
ふくろふに真紅の手毬つかれをりふくろう怒濤
天の川わたるお多福豆一列天の川怒濤
たそがれや蹠はなれし瓜の種怒濤
つながれてゐて風船の土を打つ風船怒濤
朧にて昨日の前を歩きをり怒濤
霜柱どの一本もめざめをり霜柱怒濤
どこまでも丸き冬日とあんこ玉冬日雪起し
百代の過客しんがりに猫の子も猫の仔雪起し
羽抜鶏目玉ふたつの夕焼くる羽抜鶏雪起し
風鈴とたそがれてゐしひとりかな風鈴望岳
目ひらけば母胎はみどり雪解谿雪解望岳
双六の母に客来てばかりをり双六望岳
日本語をはなれし蝶のハヒフヘホ死の塔
熱沙上力尽きたる河は消ゆ夏の河死の塔
熱風や土より湧きし仏陀の顔熱風死の塔
千年の泉ごぼりとたなごころ死の塔

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自由

某サイトから借用。
大島弓子の「リベルテ144時間」で知った詩である。
144時間は、6日間。




Liberté

Sur mes cahiers d’écolier
Sur mon pupitre et les arbres
Sur le sable sur la neige
J’écris ton nom


自由

ぼくの学校時代のノートの上に
ぼくの机と木々の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくは書く 君の名前を


ジェラール・フィリップの素晴らしい朗読を聞くと、この詩をフランス語で読む喜びを実感できる。約3分の間、美しい朗読に耳を傾けてみよう。






Sur toutes les pages lues
Sur toutes les pages blanches
Pierre sang papier ou cendre
J’écris ton nom

Sur les images dorées
Sur les armes des guerriers
Sur la couronne des rois
J’écris ton nom

Sur la jungle et le désert
Sur les nids sur les genêts
Sur l’écho de mon enfance
J’écris ton nom


読み終えた全てのページの上に
白い全てのページの上に
石 血 紙 あるいは灰
ぼくは書く 君の名前を

金色の挿絵の上に
兵士たちの武器の上に
王様たちの王冠の上に
ぼくは書く 君の名前を

ジャングルと砂漠の上に
巣の上に シダの上に
ぼくの子供時代のこだまの上に
ぼくは書く 君の名前を



Sur les merveilles des nuits
Sur le pain blanc des journées
Sur les saisons fiancées
J’écris ton nom

Sur tous mes chiffons d’azur
Sur l’étang soleil moisi
Sur le lac lune vivante
J’écris ton nom


夜々の素晴らしい出来事の上に
日々の白いパンの上に
婚約した季節の上に
ぼくは書く 君の名前を

ぼくの全ての紺碧のぼろ切れの上に
池の上に カビの生えた太陽
湖の上に 生命感あふれる月
ぼくは書く 君の名前を



Sur les champs sur l’horizon
Sur les ailes des oiseaux
Et sur le moulin des ombres
J’écris ton nom

Sur chaque bouffée d’aurore
Sur la mer sur les bateaux
Sur la montagne démente
J’écris ton nom

Sur la mousse des nuages
Sur les sueurs de l’orage
Sur la pluie épaisse et fade
J’écris ton nom

Sur les formes scintillantes
Sur les cloches des couleurs
Sur la vérité physique
J’écris ton nom


野原の上に 地平線の上に
鳥たちの羽根の上に
そして、陰の風車の上に
ぼくは書く 君の名前を

曙の一つ一つの息吹の上に
海の上に 船の上に
狂った山の上に
ぼくは書く 君の名前を

雲の泡の上に
嵐の汗の上に
厚く色あせた雨の上に
ぼくは書く 君の名前を

きらきらときらめく形の上に
様々な色の鐘の上に
物理的な真実の上に
ぼくは書く 君の名前を



Sur les sentiers éveillés
Sur les routes déployées
Sur les places qui débordent
J’écris ton nom

Sur la lampe qui s’allume
Sur la lampe qui s’éteint
Sur mes maisons réunies
J’écris ton nom

Sur le fruit coupé en deux
Du miroir et de ma chambre
Sur mon lit coquille vide
J’écris ton nom

Sur mon chien gourmand et tendre
Sur ses oreilles dressées
Sur sa patte maladroite
J’écris ton nom

Sur le tremplin de ma porte
Sur les objets familiers
Sur le flot du feu béni
J’écris ton nom


目を覚ました小径の上に
広がった道路の上に
あふれ出る広場の上に
ぼくは書く 君の名前を

火が灯るランプの上に
火が消えるランプの上に
一つに集められたぼくの家々の上に
ぼくは書く 君の名前を

二つの切られた果物の上に
鏡とぼくの部屋の
ぼくのベッドの上に 空っぽの貝殻
ぼくは書く 君の名前を

食いしんぼうで優しいぼくの犬の上に
その犬のつんと立った両耳の上に
不器用なその足の上に
ぼくは書く 君の名前を

ぼくの扉の踏み板の上に
なじみ深い物の上に
祝福された火の波の上に
ぼくは書く 君の名前を



Sur toute chair accordée
Sur le front de mes amis
Sur chaque main qui se tend
J’écris ton nom

Sur la vitre des surprises
Sur les lèvres attentives
Bien au-dessus du silence
J’écris ton nom


授けられた肉全体の上に
ぼくの友だちの額の上に
さしのばされる1つ1つの手の上に
ぼくは書く 君の名前を

様々な驚きの窓ガラスの上に
注意深い唇の上に
沈黙のはるか上に
ぼくは書く 君の名前を



Sur mes refuges détruits
Sur mes phares écroulés
Sur les murs de mon ennui
J’écris ton nom

Sur l’absence sans désir
Sur la solitude nue
Sur les marches de la mort
J’écris ton nom


破壊されたぼくの隠れ家の上に
流れ去ったぼくの灯台の上に
ぼくの倦怠の壁の上に
ぼくは書く 君の名前を

欲望のない不在の上に
裸の孤独の上に
死の歩みの上に
ぼくは書く 君の名前を



Sur la santé revenue
Sur le risque disparu
Sur l’espoir sans souvenir
J’écris ton nom

Et par le pouvoir d’un mot
Je recommence ma vie
Je suis né pour te connaître
Pour te nommer

Liberté


戻って来た健康の上に
消滅した危険の上に
思い出のない希望の上に
ぼくは書く 君の名前を

そして、ある一つの言葉の力によって
ぼくはぼくの人生を再び始める
ぼくは生まれたんだ 君を知るために
君の名前を言うために

自由よ


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唱歌の世界は古典への入り口

たまたま日本の唱歌を聞いていて、「ペチカ」の中の「くりやくりやと」の意味が分からず、調べて次の文章に行き当たった。なかなか素晴らしい考証で、多くの人に読ませたい文章だ。
なお「今に柳も もえましょ ペチカ」は、私は昔古文を教えていたので「燃える」ではなく「萌える」の意味だと即座に分かったが、現代の若者も、アニメキャラに「萌え」たりするから理解できるかもしれない。ただ、若草や木々が「萌え出づる」という言葉はもはや死語だろうか。唱歌の中にはよく出て来る表現である。ほかに、「かげ」には「光」の意味もあること、「匂い」は「色が美しいこと」の意味もあることは覚えておいたほうがいい。
小学校の音楽の授業から唱歌が追放されたことで、日本人は古文や古語との初歩的な接点を失い、その読解能力が大きく低下したと思う。それは、明治文語文も読めなくなったということだ。そのうち鴎外も漱石も露伴も読めなくなるだろう。精神の世界では、昔の人も我々の同時代人なのだが。
まあ、たとえば「仰げば尊し」の歌詞を全部理解できる人がどれくらいいるだろうか。1割もいないとしたら、今の時代、誰も教師を仰いで尊ばないのは当然だろうww


(以下引用)

「ペチカ」について

2021/12/02

吉海直人(日本語日本文学科特任教授)


 


ロシアのことはよく知らないのに、何故かロシア民謡は大好きという人が多いようです。私もその一人ですが、10代の頃「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」「一週間」「小さいぐみの木」などを好んで歌いました。短調のどこかしら悲しい調べが、日本人の心にマッチしているのでしょうか。


そういった中に、実はロシア民謡ではないにもかかわらず、堂々とロシア民謡として歌われている奇妙な曲があります。その代表が「ペチカ」でした。この歌は北原白秋と山田耕筰のゴールデンコンビによって作られた童謡です。みなさんが小さい頃から愛唱している「からたちの花」「この道」「砂山」「待ちぼうけ」「あわて床屋」「鐘が鳴ります」もこの二人の合作でした。


今回はやや内容の異なる「ペチカ」について見ていきましょう。私が「やや内容の異なる」といったのは、そもそも「ペチカ」が日本のものではないからです。御承知のように、「ペチカ」はロシアでよく使われている暖炉の名称です。ですから作詞作曲の二人にとっても、決して馴染みのあるものではありませんでした。だからといって、わざわざロシア(旧ソ連)に出向いて見学したわけでもなさそうです。


内容は限りなくロシア風でありながら、その実これは満州の冬を念頭において作られたものでした。というのも、大正13年に刊行されている『満州唱歌集』にこの歌が収録されているからです。南満州教育会から満州に適した日本の童謡を依頼された二人は、わざわざ満州に赴いて、そこで日本から移民した人のためにこの曲を作ったというわけです。


もちろん満州の冬も厳しいので、雪の降る寒い夜に外へ出ることなどできません。暖炉の前に集まって長い夜を過ごします(一家団欒)。ぱちぱちと燃える火は、何かを語っているように聞こえるかもしれません。だから「ペチカ」に向かって「お話しましょ」と呼びかけているのです。なお山田耕筰はこの「ペチカ」に注を付けており、「ペチカ」ではなくロシア語風に「ペイチカ」と発音するようにと指示しています。


二番の歌詞に「くりやくりやと呼びますペチカ」とありますが、若い頃の私は意味がわかりませんでした。「くりや(厨)」は台所のことだという人もいました。また栗の皮を燃料として燃やすと解釈した人もいました。後で調べてみると、これは当時満州で名物とされていた「焼き栗売り」の売り言葉だとあったので、それでようやく納得しました。物売りの「竹や、さお竹」と一緒で、「栗はいかが」という掛け声だったのです。そうなるとますますロシア民謡からは遠ざかりますね。


三番の「いまにやなぎももえましょペチカ」も大間違いをしていました。もうすぐしたら燃えにくい柳(楊)の枝にも火がついて燃えるだろうと思っていたのです。よく考えると、その前に「じき春来ます」とあるのですから、これはもうすぐ春になると、柳の芽が萌え出すということだったのです。中国ではそれが春の訪れを告げるしるしだったのです。これも明らかにロシアの風習とは違っています。


もちろん満州の冬は、そんなに楽しいはずもありません。だからこそ歌によって少しでも厳しい冬を楽しく乗り越えようという、そんな思いが込められていたのです。ただし第二次世界大戦の敗戦によって満州は異国になり、もはやペチカが歌われることも少なくなりました。ところがそれから20年後の昭和40年12月、この曲がNHKのみんなの歌に登場して大ヒットしたのです。「ペチカ」も満州のことも知らない若い人たちは、この歌を異国情緒溢れるロシア民謡と勘違いしたからでした。


ところでこの「ペチカ」に、もう一つの「ペチカ」があることをご存知ですか。実は今川節という作曲家が、18歳の時に曲をつけていました。白秋など「私は今川君のペチカの方が好きだ」と語っています。山田耕筰にしても今川の才能を見込み、古関裕而と同じようにいろいろ援助したそうです。しかし惜しいことに、今川は結核が悪化して昭和9年に25歳の若さで亡くなってしまいました。残念ですね。


その年、彼の作曲した「ペチカ」は、東海林太郎が「ペチカ燃えろよ」というタイトルでレコーデイングしています。複合七拍子という珍しい曲ですから、是非一度聞いてみてください。


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最後に出るのは希望か災いか

ネットテレビというのは最高の存在で、テレビを見ない私でもネットテレビはよく見る。映画もテレビドラマも、公開時や放送時には見逃してもネットテレビで見られるのは素晴らしい。つまらない映画やテレビドラマは最初の10分で見限ることもできるから時間の無駄もない。(ただ、最近の映画やテレビドラマは俳優名や監督名、脚本家名を最初に紹介せず、最後に出すパターンが多いから、それを見て見るのをやめたりできないのが少し困る。)まあ、最初の10分くらいも見れば見る価値があるか無いかの判別はだいたいできる。ダメ作品はだいたい映像がひどいか俳優が大根演技である。ただし、大根役者でも監督がいいといい演技をしたりする。
下に引用したのは私自身の別ブログにこの前書いた記事だが、「エルピス」は最後まで見た。放映時には一気見ができないが、ネットテレビだとそれができるから、テレビ視聴より便利であるし、話の進展が楽に把握できる。
で、これは傑作である。下の記事に書いた通りに、「女王の教室」に並ぶ傑作である。話のテーマは政治の暗黒を描いたハードなものだが、話の作り方が上手いので肩が凝ることはなく、また俳優の演技が素晴らしいので、それを見るだけで面白い。
特に新人の真栄田郷敦(Gordon)は、一見大根だが、実にいい演技をしていて、馬鹿みたいな顔で馬鹿みたいな正直者の演技をするのだが、それがまるで「白痴」のムィシュキンのようにも見えてくる。最初はただの甘ったれ坊やだったのが、話が進むにつれて、色々な顔を見せる。最後のあたりで、夕陽に照らされた無精ひげ顔でヒロインを下から見上げるアングルは、まるでキリストを思わせる神々しささえあった。
鈴木亮平が、珍しく悪役的な役だが、やはり上手い。で、犯人役が、どこかで見た顔だなあと思っていたら、瑛太である。変質者のサイコパス役が実に似合っている。長澤まさみも、彼女にぴったりの役で、好演である。
脚本は渡辺あやという人で、初耳の名だが素晴らしい才能の持ち主だと思う。
とにかくお勧めの作品である。




(以下自己引用)
一部で話題になっている「エルピス」、ネットフリックスで第一話を見たが、秀逸な作品のようだ。伝説の「女王の教室」に迫る社会派作品になるのではないか。
俳優の演技がみな素晴らしい。特に鈴木亮平は、知的な役柄が見事にはまっている。あの「変態仮面」がこのような俳優になるとはwww
監督は大根仁で、久しぶりの登場という感じだ。彼の代表作になるのではないか。
なお、「エルピス」はエルビス・プレスリーとは何の関係も無く、パンドラの箱から最後に出て来た何からしい。(一般には「希望」だとされている。)

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We’ll meet again

某サイトから転載。目前に迫る戦争で、人間が人肉となるmeat againとならなければ幸いだ。

(以下引用)

We'll Meet Again, Vera Lynn, Original 1939 Version

Vera Lynn – We’ll Meet Again, Original 1939 Version


「We’ll Meet Again」(1943)は、イギリスの歌手・女優ベラ・リン(Vera Lynn:1917-)が主演した同名のミュージカル映画の主題歌です。
この歌は第二次世界大戦において従軍した兵士への想いを歌って、戦時下の人たちに将来の希望を与えました。戦争に勝つというメッセージではなく、生きて、親しい人を想い、再び逢いましょうという庶民の強い想いが歌詞に込められています。


人が辛い境遇を乗り越えるて生きてゆこうと希望を持つためには、他の人との絆、心の助けが必要なのだと思わせてくれる歌です。


We’ll Meet Again


We’ll meet again,
Don’t know where,don’t know when.
But I know we’ll meet again, some sunny day.


Keep smiling through ,
Just like you always do,
Till the blue skies chase those dark clouds, far away.

So I will just say hello,
To the folks that you know,
Tell them you won’t be long,
They’ll be happy to know that as I saw you go
You were singing this song


We’ll meet again,
Don’t know where,don’t know when.
But I know we’ll meet again, some sunny day.


We’ll Meet Again(意訳)


また逢えるでしょう
どこかは分らず、何時とは分らない
けれどわたしたちは明るく晴れた日にまた逢えるでしょう
あなたはいつもしてきたように笑顔でいて
青空が暗い雲を遠くへ運び去るまで


だからわたしはあなたの知っている人たちに挨拶して
もうすぐ逢えると伝えるの
みんな知れば幸せになるわ あなたがわたしに逢って
わたしがこの歌を歌っていたことを


また逢えるでしょう
どこかは分らず、何時とは分らない
けれどわたしたちは明るく晴れた日にまた逢えるでしょう


2009年にイギリスのドイツ宣戦布告70周年に際して、92歳になったベラ・リンによる同名の自伝が出版され、同時にデッカ・レコードからコンビネーション・アルバム「We’ll Meet Again: Very Best of Vera Lynn」がリリースされて、イギリス国内でアルバム・チャート1位になった他、英語圏とヨーロッパの多くの国で再び大ヒットしました。
忘れられつつある戦争下での人々の前向きな希望が再認識されたのだと思います。
未来への希望を歌ったこの歌は、過去にも多くの歌手がカバーしました。そしてこれからも新しい世代に歌い継がれてゆくと思います。

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下京や……

下京や 雪積む上の夜の雨


これは凡兆の名句だが、上五の「下京や」は芭蕉が置いたものである。「雪積む上の夜の雨」だけは出来たが、上五に悩んでいた凡兆に芭蕉が「下京や」を置いて、凡兆は「あ」と感心したが、それでもまだ十分に納得できない顔をしていたところ、芭蕉は、「これ以外に、より優れた上五を置いてみよ。それができるなら、私は二度と俳諧のことは語るまい」と言ったという。実際、見事な上五であり、全体がこれで完璧になっている。「下京や」の音の響きと他の部分の響き合いも完璧だ。
と言いながら、実は私は「下京」というのがどのあたりかを明確に知らないので、調べると、現在の「下京区」とはだいぶ違うようだ。まあ、江戸時代の京都の下(南)半分くらいだろうという予想は当たっていた。

(以下引用)
  • 平安時代末期のころ、京都平安京)の南側を下辺(しものわたり、しもわたり)、これに対し北側を上辺(かみのわたり、かみわたり)と呼ぶようになる。

これが中世にそれぞれ下京上京となった。 下京と上京の境界はおおむね二条通であった[注 1]。 上京には京都御所があって富裕者が集まっていたのに対し、下京は商業街区であり、民衆の町であった[1][2]

寒波注意 日本海側は1m超の降雪も


tenki.jp



24日~大寒波襲来 日本海側は1メートル超えの降雪も 西日本や東海も積雪のおそれ


tenki.jp

24日(火)から25日(水)は、強い冬型の気圧配置に。日本海側は大雪や猛吹雪が予想され、大荒れの天気に。普段あまり雪の降らない西日本や東海の太平洋側でも雪が降り、積雪する所も。運転が困難になるほどの猛吹雪のおそれがあり、交通機関に大きな影響が出る可能性があります。計画を見直すなど早めの対策が必要です。

ココがポイント


  • 各地の予想気温 早めに大雪や凍結への備えを

    出典:ウェザーマップ



  • 24日から25日、普段雪の少ない地域でも大雪の恐れ


    出典:ウェザーマップ



  • 日本海側の広い範囲で通行止めの可能性 高速各社「不要不急の外出控えて」


    出典:読売新聞オンライン



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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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