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「いきなり全国一律での自由化は困難なので、まずは限定つきで」というのは、善意ではあるのかもしれない。ただ「特区」の「特別に許容する」「特例として許す」語感は、同時に「本来なら排除されるべき」を含意してもいる。よって「特区」は、基本的人権を含む事案には向かないと思う
気の赴くままにつれづれと。
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私の好きな言葉で”無知は独善”というものがある。
無知とはどういうことか。物事を知らないという意味もあるけれども、私は自らを知らないという意味だととらえている。人間はいつも何かを思い込んでいる。私もあなたもおそらくあの頭のいい人も、今も何かを思い込んでいる。そして人は自分が思い込んでいると気づいた時には、もう思い込んではいない。つまり私たちはいつも何かを思い込んでいて、そして思い込んでいることに気づいていない。
独善という状態は自分の正しさを疑わず、かつ違う視点から考えられないことだと思う。人生では若い時には正しいと信じて疑わなかったことがある経験を経てそうとは限らないと気づいたり、明らかに正義だと思っていたものが現場に行ってみるとそうではなかったことと気づくことがある。自らの偏見に気づいた時、自分の正しさは一つの見方でしかなかったということに気づく。何度かこのプロセスを経て、人は自分が今言っている正しさは、将来も言い切れるとは限らないと知るようになる。正しさや善というものは、価値観を固定しないと存在できない。自分だけの一つの価値観は普遍の正しさだと信じることを私たちは”独善”と呼ぶ。
私の経験上自らが独善の状態にいることを私自身は認識していなかった。むしろどうしてこんな当たり前の正しいことをみんなは気づかないのかと憤っていた。独善の状態はなかなかに心地よい。何より自分自身は正しいのかどうかと疑う視点がないから迷いがない。
独善の状態で突っ走ることも重要な時期もあると思う。アスリートであれば何かを一心に信じることは大事だし、スタートアップの企業などでもいちいち自分を疑うわけにもいかないだろう。そういう時に正しいと信じ切って突っ走ることは大事だろうなと思う。ただし、独善であると自分が知っている状態と知らない状態は大きく違う。
無知は独善だと私は思う。そして独善状態の時、人は自分が独善であるなんて考えもしない。
私の好きなインドの覚者の言葉に「人生は生きていくだけで十分に苦行だ。新たに苦行を作り出す必要などない」というのがあって、ほんとそうって思います。
トルストイに憧れ、莫大な遺産は若い芸術家らに分与し、田舎でのロハスな生活を送りながら、生徒に聖書を教えて過ごすことを夢見たヴィトゲンシュタインだが、実際の教師生活は思いどおりにならなかった。生徒との距離感がうまくつかめなかったのだ。彼の授業のスタイルは、体罰も当然の古い授業スタイルであった。そのため、結局は体罰問題が表面化し、教師を辞める羽目になる。
学校の外では、子供にも村人にも無関心だった。生徒に道で出会って挨拶されても、知らん顔。そのくせ生徒には挨拶を強要した。挨拶しなかったら、ビンタをくらわせていた。(…)
えこひいきも激しかった。エンゲルベルトとかビンダーとかレオポールトなど勉強のできる数人には、ギムナジウムに進学させるために、無料で特別に補修していた。お菓子やパンをほうびにして。(…)
一〇時に終わる授業が一一時や一二時まで延びることもあった。生徒にとっては学校なんて、仕方なしに通う場所だから、とても迷惑だった。
ヴィトゲンシュタインは勘定をコントロールするのが苦手だった。すぐ興奮して、汗をかき、鼻を鳴らし、ハンカチをギーッと噛んだかと思えば、自分の眉のうえに跡が残るほど強く爪を押しつける。そういう自虐は、まだご愛嬌だった。
アンナ・ブレナ~は、むずかしい宿題がよくできていたので、黒板で計算問題を解くように言われた。けれどもアンナが解けなくてまごまごしていると、たちまち平手打ちが飛んできた。(解説)
ヴィトゲンシュタインの小学校教師への転身は、居場所を求めてだったが、居場所を見つけることができなかった。そんなヴィトゲンシュタインのふるまいを、精神科医の福本修は発達障害の一種であるアスペルガーの視点からとらえようとする。
ヴィトゲンシュタインはアスペルガー者で、「心の理論(theory of mind)」がなかった。相手の意図を理解したり、相手の視点を共有したりすることがなく、自分の心の状態を相手に伝えることをしない。ふるまい(事象の状態)と心理(心の状態)の関係が予測できない。自分の視点を他人の視点に転換できないので、相手の立場に立って意味を理解すrことができない。
正しい行為に極度の関心をもつのはアスペルガー者の特徴である。ヴィトゲンシュタインは、その時々の「倫理的意思」で動いているが、戦場では他の兵士たちにうんざりし、学校では生徒にうんざりする。兵士になる・教師になるという外的な出来事にこだわったけれど、自分がやろうとしていることの実際を知らず、現場で柔軟に適応・対応できなかった。(「解説」)
「いきなり全国一律での自由化は困難なので、まずは限定つきで」というのは、善意ではあるのかもしれない。ただ「特区」の「特別に許容する」「特例として許す」語感は、同時に「本来なら排除されるべき」を含意してもいる。よって「特区」は、基本的人権を含む事案には向かないと思う
「LGBT特区」からは「一定の地域内でのみ自由を与える」ニュアンスが漏れ出してしまっている。これはとりもなおさず「一般の世界では自由や人権を認めない」ということでもあれば「LGBTを一般から隔離する」決意でもある。こういのは「恩着せがましい差別」と呼ぶべきなのだろうね。しかも無邪気な。 https://twitter.com/nmcmnc/status/1067646675425026048 …
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