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恋愛妄想と不倫

別ブログに書いたものだが、読み返すとわりと面白いので、ここにも載せておく。(「紙屋研究所」記事の引用は省略)
自分の幸福を追求すれば他人の不幸が生じる、という事態が「不倫」には付き物で、周囲の人全員が幸福になるような不倫というのは見たことも聞いたことも無いwww
ところが、不倫をする人間は山ほどいるわけで、私などは、「みなさんエネルギッシュだなあ」と感心してしまう。たった一度か数度「新鮮な」セックスをするのがそんなに大事か、と思うわけである。
だいたいにおいて不倫の結果結びついた男女はすぐに別れるのがオチである。まあ、昔のように家と家が結びつくために女性が気に染まぬ相手と結婚した時代なら不倫(ついでに心中)こそが真の恋愛だったとも言えるが、今のように自分が選んだ相手を嫌いになって不倫するなら、どうせその相手もすぐに嫌いになるに決まっているわけだ。恋愛など、9割は妄想からできている、と思っておけば間違いはない。
なお、下の文章で糟糠の妻をインスタントラーメンや握り飯にたとえているように読めるかもしれないが、別にそういう意味ではないwww ステーキなどそれほど美味いか、と言っているのである。朝も昼も晩もステーキだけ食う人間がいるか、ということだ。
私は関西に住むようになって毎日、朝はウドンを食っているが、飽きることはまったく無いのである。これは生きる価値の無い惨めな生活だろうか。



不倫は倫理的かwww

「紙屋研究所」記事の一部だが、「倫理学」(私は、自分のブログのこのシリーズで倫理の考察をしているわけだが、それを「倫理学」としている。)の面白いテーマである。
欧米人などは、恋愛して結婚し、別の女(男)が好きになると離婚して新しい相手と結婚するのが正直な生き方だと思い込んでいるようだが、さて、その「正直さ」は倫理的なのだろうか、という問題だ。現在の結婚相手への関心や性欲が薄れて、新しい相手と不倫関係になるのは、自分の気持ちに正直なのだが、それは倫理的なのだろうか。これはつまり「不倫こそが倫理的である」というパラドックスだ。

キーワードは「自分の気持ちに正直」という言葉だが、正直ということ自体が倫理的であるわけではない。むしろ、倫理とは「禁止の体系」なのだから、動物的欲望への忠実さ(正直さ)というのは、実は倫理の対極にあるのである。
ところが、「正直さは美徳である。つまり、倫理的なものだ」という固定観念があるから、自分の欲望に簡単に身を委ねる動物的行為が「正直な生き方」と肯定されることになる。
いや、私だって、べつに倫理を絶対視するつもりはないし、倫理という「自分自身への足かせ」は人生を損するものだと思う人間を間違いと言うつもりもない。
ただ、「自分の欲望」というのは、周囲の人間を不幸にしてまで求めるものなのか、という話である。自分の欲望なんて、それほどの損害を計量しても追及するほどのものだろうか。
簡単な話、いくらステーキが好きだとしても、自分がステーキを食うために誰かが死ぬとして、それでもステーキを食うのか、というのがここでの「倫理問題」なのである。しかも、目の前にはステーキでこそないが、インスタントラーメンも握り飯もあるのである。



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酔生夢人
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男性
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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