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「デカンショ」から実存哲学へ

「デカンショ」は「そうでがんしょ(そうでしょうね)」の意味だという説もあるが、旧制高校の「デカンショ節」の解釈としてはやはり「デカルト・カント・ショーペンハウアー」の頭を並べたものだ、という説のほうが合理的だろう。で、私は高校時代だったか浪人時代だったかにデカルトの「方法序説」とショーペンハウアーの「自殺について」「読書について」を読んで大きな感銘を受けたのが、その後の思想的ナビゲーターとなっている。で、カントについて先に考察したので、これで「デカンショ」は一応卒業したことにする。やっと旧制高校の劣等生レベルにはなったと自己評価しておく。
で、次にはやはり戦後日本の思潮界を席巻した「実存主義」の考察に行くのがベストだろうと思って、ウィキペディアで少し調べたのでその一部を転載する。
「実存」とは要するに「現実存在」であり、「概念(表象)」と対立するものだと把握していいのではないか。そして有名な「実存は本質に先立つ」とは簡単に言えば「現実存在はイデアより重視されるべきだ」という「非理想主義」「現実主義」だというのが私の解釈だ。つまり、それは現実の悪も醜さも、それなりの意味がある、という思想を含んでいるわけで、実存主義が文学と馴染みやすい所以である。しかし、それは実に醜いものを熟視するわけだから、気持ちのいい文学にはなりようがない。ロマン主義や理想主義の対極だろう。
だが、哲学としては一応その重要性を認めるべきではある(その後に重要な哲学の学派は出ていないはずである。つまり「最後の哲学」かもしれない。)だろうから、気が向けば考察する。

(以下引用)



ダーウィンの『種の起源』以降、ヨーロッパは古代以来の聖書的世界から輝かしい科学と進歩の時代へと向かった。しかし、国民国家という新しい世界体制は第一次世界大戦国家総力戦による大量破壊へ繋がり、19世紀以来続いた西欧の進歩主義への信仰は大きく揺らぐこととなった。とりわけ国土が直接、戦場となった独仏、わけても敗戦国としての重い負債を背負わされたドイツにとって、進歩主義への信頼の崩壊は強い衝撃を与えた。大陸ヨーロッパの知識人キリスト教の精神的伝統を進歩主義によって破棄した後の、進歩主義の無残な残骸を前に途方にくれることとなった。このようなドイツにおいてまず、一時代前の人物であるキルケゴールなどが注目を浴びるようになる。


「主体性が真理である」としてから与えられた可能性を実現することに生の意義を見出したキルケゴールの主体志向に加えて、さらに、第一次世界大戦において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、神の死(「神は死んだ」)を宣言し、能動的なニヒリズム (運命愛) の思想を展開したニーチェを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者としつつ、1930年代ドイツマルティン・ハイデッガーカール・ヤスパースらによって「実存」の導入が図られた。大事なことだが、ハイデッガーの意味づけの実存は、個人主体実存という本来性から離れて、「民族の」実存になっている。各個人が自由な実存のうちに民族の実存を求めているのであればよい。しかしここでは、民族の実存を希求して先導するハイデッガーが、先導される個人の私性を否認している。(Martin Heidegger, Logik als die Frage nach dem Wesen der Sprache, VittorioKlostermann, Frankfurt am Main, Gesamtausgabe Band 38. p163.) ここには真の実存はハイデガーにしかないのだが、こうした曲折を経て、実存の考え方は第二次世界大戦後、世界的に広がりをみせることになった。


第二次大戦後、フランスに輸入され、サルトルらによって広まった実存主義は、サルトルのアンガージュマン(他の実存と共に生きるための自己拘束)の思想に見られるようにマルクシストとしての社会参加色が強く、それに呼応しない者には説得力がなかったが、1960年代学生運動の思想的バックボーンとなった。サルトルの『実存主義とは何か』は実存主義のマニフェストであり入門書ともいわれ、1945年10月パリクラブ・マントナンで行われた講演が元になっており、多数の聴衆が押しかけたため、入りきれない人々が入口に座り込むほどで、翌日の新聞に大見出しで「文化的な事件」として伝えられ、時ならぬサルトルブームを巻き起こした。第二次世界大戦直後のヨーロッパでは、巨大な歴史の流れの中での人間存在の小ささが意識され、戦前までの近代思想や既存の価値観が崩壊し、人々の多くが心のよりどころを喪失しかかっていた。サルトルの思想は、実存に新たな光を当て当時の人々の根源的な不安を直視しそれに立ち向かい、自由に生きることの意味を追求し、人間の尊厳を取り戻す術として人々に受け入れられることになった[2]


この、支配制度に対する被支配的個人の重視は、サルトルの思想が1970年代に入ると、 構造主義などから批判を受け、低調になっていくものの、広く受け入れられている。他者を支配管理する実存はあり得ない。


また、同じく「私」に焦点を当てる芸術や文学心理療法との相性も良く、特にカール・ロジャーズらが始めた心理療法には「今、現にここに存在している私」を問題とする実存主義の強い影響が見られる。


実存主義を哲学のみならず、文学芸術などにも拡大解釈する場合(ボルノウなど) 、パスカルドストエフスキー等も実存主義者だと解される場合もある[3]


第一次世界大戦の敗者であるドイツや戦勝国であっても大きな痛手を受けたフランスなどとは異なり、勝利者である英米にとって、第一次世界大戦の惨事は進歩主義への信仰を決定的に揺るがすことはなかった。しかし、スペイン内戦に参加するなどヨーロッパの情勢に積極的に関与したアーネスト・ヘミングウェイを代表とする一群のアメリカ知識人もまた、自らを実存主義者と見なした。日本では当時、文学者として国際的な評価も受けていた芥川龍之介が第一次大戦後に「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺している。





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WHAT IS LOVE?

私は「愛する」という言葉の定義、あるいは「愛」という言葉が定義されているのを見たことが無いのだが、どう定義したらいいのだろうか。確かこれは最初期に日本に伝道したキリスト教の宣教師も悩んだところで、日本での布教では「愛」を「ご大切」と訳したと聞いたことがある。つまり、当時の日本には「愛」とか「愛する」という言葉は存在しなかったわけだ。その「LOVE」が性愛まで含むと知ったら、当時の信者たちはショックを受けたのではないかwww 「神はお前たちを愛している」が「神はお前たちをfuckしたいと思っている」となるのだからwww
まあ、冗談はともかく、「愛する」の定義は何かと言えば、相手を「大切」に思うというのが一番妥当な定義ではないか。つまり、あの宣教師たちの「ご大切」は適訳だったわけだ。これによって自分の子供を愛することも恋人を愛することも人類全体を愛することもすべて「愛する」で表現できるわけである。
だが、「愛する」と「大切に思う」こととが完全にイコールとは限らない。私の考えでは、「愛する」は自分の主観内にとどまる(と言うより、あくまで「自分」が中心の)もので、「大切に思う」ことは行動(相手を保護することや、相手を幸福にすること、つまり「相手」中心であること)を含意していると思う。
デヴィッド・ボウイの或る歌の歌詞を借りれば「love is not loving」であるわけだ。まあ、これは「愛は愛することと同じではない」と訳されるだろうから、「愛する」に行動的なニュアンスがあるとは思うが、私は何となくだが「愛する」でもまだ行動性をあまり感じないのである。
それに対して「大切に思う」の場合は、かなり必然的に大切に思う対象を保護し、そのために行動するというニュアンスを私は感じるのだが、これは単なる主観だろうか。つまり「愛」も「愛すること」も自分の心の中で完結しても不思議ではない、という感じだ。にも関わらず、欧米の「I love you」は私には「さあ寝よう、すぐ寝よう、今寝よう」というニュアンスを感じるwww もちろん、これは男女の場合だ。ここには「大切に思う」ニュアンスはゼロである。相手は単なる性欲の対象だ。何だか「ニュアンス」の大安売りだが、これは私自身が漠然と感じていることだから仕方がない。もちろん、これは現代の男女の恋愛が即座に性交と結びついているという状況から来た単なる現象だ。性交など恋愛抜きでも簡単に売買されている。性交と恋愛には必然的な結びつきはない。
で、ここから本題だが、私はキリストの「汝の敵を愛せよ」というのは史上空前絶後の発想だと思う。これが実行されたら、世界の戦争どころか、あらゆる争い事はすべて消滅するのである。



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家族愛と隣人愛(承前)


(考察)引用文のフォーマットの中に書き込んでしまったようで、右側が隠れそうだが、直し方が分からないのでそのまま載せる。



(考察)

ここに書かれた「道徳」は、その根底に「天皇主義」とでも言うような要素があることを除外すれば、まさ
に「天皇の子孫も臣民(国民)もともに守り従うべきところであり、これを現在と過去を通して誤謬はなく、これを国の内外に適用しても間違いはない」と私は思うのだが、引用1のコメントの言うような「オレが白と言ったら、黒であっても白とおもえという、人間性と真逆のゴロツキの教条、経典」であるのだろうか。そして教育勅語の「家族主義、家族と伝統を大事にすること」(私は「教育勅語」に書かれた道徳は単に家族だけを大事にしたり伝統だけを強調するものではないと思うが)は「悪」なのだろうか。コメント筆者の言う「人間愛(隣人愛)」から「家族愛」は除外されるのだろうか。
実は、自分と無関係な他人を愛するより家族を愛するほうが難しいのである。その証拠が、あらゆる他者への危害の中で、暴力や暴行、傷害事件はまったくの他人にではなく、家族への危害が圧倒的なのである。それは、家族というのは四六時中顔を合わせていて、その欠点や醜さを熟知しているからである。そして常に自分の行動に制約を加えるウザい存在だ。自分と無関係な他人への愛というのは、それに比べたら、野良猫を見て可愛いと思うようなものだ。つまり、いつでも切って捨てられるものなのだ。家族が、自分の好きなアイドルの悪口を言ったり、自分の収集物を捨てたりしたら、下手をしたら刃傷沙汰である。つまり、家族への愛情や道徳はすべての他者への愛情と道徳の出発点であり、厳しく自戒しないといつでも崩壊しかねないものなのである。




























































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家族愛と隣人愛

西田昌司が改憲論議の場で言った言葉が「阿修羅」で問題視されていて、私は西田昌司も改憲論も大嫌いだが、「阿修羅」での批判は「教育勅語」そのものに対するものが多く、そのほとんどは教育勅語を読んだことも無さそうなので、少し考察してみる。
なお、結論を先に言えば、私は「教育勅語」は時代的制約、つまり明治政府による天皇神格化という基本方針に沿って作られたものだという時代的制約があり、現代の視点では容認しがたい部分もあるとは思うが、それが「国民の道徳性」にひとつの指針を与え、教化したという「時代的長所」をこそ評価すべきだと思っている。下のコメントは、「教育勅語」を読んでおらず、頭から否定する姿勢で書かれたものと私には感じられる。
ふたつの引用の後で考察する。

(引用1「阿修羅」より)


14. 人間になりたい[1672] kGyK1ILJgsiC6IK9gqI 2022年3月30日 00:45:33 : AwxU2zxs6c US8xQlRtRXZ5WjY=[344]  報告

>日本の文化で一番大事なのは教育勅語に書いてある家族主義、家族と伝統を大事にすることだ。

自民党や低脳ネトウヨには、こういうことを言うバカが多く散見される。
だが、なぜ大事なのかを説明する人を見たことも聞いたこともない。
丸川珠代は、夫婦別姓選択制は家族の絆、一体感を強めるので、
地方議会に不当な圧力を加えてまで賛同した。
しかし、家族の絆、一体感が強いこと自体が、人間社会において良いことなのではない。
愛知県の住民投票で不正を働いた、維新の候補者は、家族ぐるみで犯罪に加担した。
これほど家族の絆、一体感の強い家族はいない。
人間社会において、正邪、善悪、公序良俗の基準は人間性である。
「家族主義」「愛国心」「嘘」「命の選別」などは、そのこと自体に良し悪しはない。
その行為が、人間性に裏打ちされていることによって、善きものになるのだ。
人間性とは、隣人愛であり、隣人愛とは、他者をおもいやり、公共に配慮すること。
社会的行動規範として隣人愛を受け入れ、行動する人のことを人間という。


教育勅語は、オレが白と言ったら、黒のものでも白とおもえという、
人間性と真逆のゴロツキの教条、経典である。
「家族主義、家族と伝統を大事にすること」自体に良し悪しはないが、
教育勅語の「家族主義、家族と伝統を大事にすること」は悪なのである。

(引用2)

原文 (漢字は常用漢字にあらため、現代かな遣いによるルビと句読点を付している。)

ちんおもフニうにこう皇宗こうそうくにはじムルコトむること宏遠こうえんとくツルコトつること深厚しんこうナリなり臣民しんみん克クよくちゅうニ克クによくこうおくちょうこころいつニシテにして世世厥ノ美ヲ済セルハよよそのびをなせるは此レ我カこれわが国体こくたいせい華ニシテかにしてきょういく淵源亦実えんげんまたじつここそんなんじ臣民しんみん父母ニふぼにこう兄弟けいていゆう夫婦ふうふあい和シわし朋友ほうゆうあいしんきょう倹己けんおのレヲ持シれをじし博愛はくあいしゅうおよホシぼしがくおさぎょうならもっテ智てちのう啓発けいはつとっ器ヲきをじょうじゅすすん公益こうえきひろせい務ヲむをひらつね国憲こっけんおもん国法こくほうしたが一旦緩いったんかんきゅうアレハ義あればぎ勇公ゆうこうほうもってんじょうきゅう皇運こううんヲ扶をふよくスヘシすべしかくごとキハきはひとちん忠良ちゅうりょう臣民しんみんタルノミナラスたるのみならず又以またもっなんじせんノ遺のいふうけんしょうスルニ足ランするにたらん
斯ノこのみちじつニ我カにわがこう皇宗こうそうノ遺のいくんニシテにして孫臣民そんしんみんともじゅんしゅスヘキすべきところこれヲ古をここんつうシテじてあやまラスらずこれちゅうがいほどこシテしてもとラスらずちんなんじ臣民しんみんとも拳拳服膺けんけんふくようシテして咸其徳みなそのとくいつニセンコトヲにせんことを庶幾こいねが
明治二十三年十月三十日
御名御璽

現代語訳(高橋陽一)
 天皇である私が思うのは、私の祖先である神々や歴代天皇が、この国を始めたのは広く遠いことであり、道徳を樹立したのは深く厚いことである。我が臣民は、よく忠であり、よく孝であり、皆が心を一つにして、代々その美風をつくりあげてきたことは、これは我が国体の華々しいところであり、教育の根源もまた実にここにあるのだ。汝ら臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹は仲良く、夫婦は仲むつまじく、友人は互いに信じあい、恭しく己を保ち、博愛をみんなに施し、学問を修め実業を習い、そうして知能を発達させ道徳性を完成させ、更に進んでは公共の利益を広めて世の中の事業を興し、常に国の憲法を尊重して国の法律に従い、非常事態のときには大義に勇気をふるって国家につくし、そうして天と地とともに無限に続く皇室の運命を翼賛すべきである。こうしたことは、ただ天皇である私の忠実で順良な臣民であるだけではなく、またそうして汝らの祖先の遺した美風を顕彰することにもなるであろう。
 ここに示した道徳は、実に私の祖先である神々や歴代天皇の遺した教訓であり、天皇の子孫も臣民もともに守り従うべきところであり、これを現在と過去を通して誤謬はなく、これを国の内外に適用しても間違いはない。天皇である私は、汝ら臣民とともにしっかりと体得して、みんなでその道徳を一つにすることを期待するものである。



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藤村操のこと

参考までに、藤村操についてのウィキペディア記事を載せておく。
明治という時代のひとつの時代精神の象徴でもあったと思う。つまり、真剣そのもの、ということだ。今のように物事を斜めに見る時代とは空気が違う。

余の視るところにては、かの青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う[29]

という漱石の言葉は正解だと思う。ただし、ここで言う「美」は「行動の美」「生き方の美」である。と同時に、漱石の「生は人生の第一義である」という言葉も正しい。我々は生きるために生まれてきたのである。死は生の目的ではなく、単なる終止である。

(以下引用)前半省略

藤村操

華厳滝の自殺[編集]

木に彫られた巌頭之感
最期の地(華厳滝
「藤村操君絶命辞」の碑。青山霊園

1903年(明治36年)5月21日、制服制帽のまま失踪[6]。この日は栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)の旅館に宿泊。翌22日華厳滝において、傍らの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して投身自殺した。同日、旅館で書いた手紙が東京の藤村家に届き、翌日の始発電車で叔父の那珂通世らが日光に向かい、捜索したところ遺書(巌頭之感)や遺品を見つけた。一高生の自殺は遺書の内容とともに5月27日付の各紙で報道され[7]、大きな反響を呼んだ。遺体は約40日後の7月3日に発見された[8]


厭世観によるエリート学生の死は「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。警戒中の警察官に保護され未遂に終わった者が多かったものの、藤村の死後4年間で同所で自殺を図った者は185名に上った(内既遂が40名)。操の死によって華厳滝は自殺の名所として知られるようになった[9]


墓所は東京都港区青山霊園


藤村がミズナラの木に記した遺書は、まもなく警察により削り取られたという(後に木も伐採)。それを撮影した写真があり、現在でも[いつ?]華厳滝でお土産として販売されている。[要出典]

遺書「巌頭之感」[編集]

藤村が遺書として残した「巌頭之感」の全文は以下の通り。

巌頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

ホレーショとはシェイクスピアハムレット』の登場人物を指すとみられる(後述)。


「終に死を決するに至る」の箇所を「終に死を決す」としている資料もみられるが、写真のとおり誤りである。

自殺の原因[編集]

自殺直後から藤村の自殺については様々に論じられ、そのほとんどは、藤村の自殺を国家にとっての損失という視点から扱ったものだった[10]。 自殺の原因としては、遺書「巌頭之感」にあるように哲学的な悩みによるものとする説、自殺前に藤村が失恋していたことによるもの[11]とする説に大別される。 藤村の恋愛の相手として4人の女性の名が挙がった。菊池大麓の娘である松子とその姉の多美(民)、馬島あい子とその姉の千代であるが、死後80年以上経って、藤村が自殺の直前に手紙とともに渡した本という物的証拠が出てきたため、恋の相手は馬島千代ということで落着している[12]朝日新聞(1986年7月1日)[13]によれば、5月22日の自殺直前、藤村は突然、馬島家を訪ね、千代に手紙と高山樗牛の『滝口入道』を手渡した。手紙には「傍線を惹いた箇所をよく読んで下さい」と書いてあり、本には藤村の書き込みがあった。千代に縁談があったので、藤村が千代を訪ねたことは秘密とされた。手紙と本も焼却されたと考えられていたが、千代が1982年に97歳で亡くなった後、子息の崎川範行(東京工業大学名誉教授)が遺品の中から『滝口入道』と手紙を見つけ、日本近代文学館に寄贈することになった[14]。 なお、「失恋説」については、友人の南木性海は藤村の11通の手紙を公表し、否定している。南木に限らず、藤村をよく知る友人らはみな一様にこの「失恋説」を否定している[15]

ホレーショの哲学[編集]

遺書にある「ホレーショの哲学」のホレーショは、シェイクスピアハムレット』の登場人物であろう(藤村は『ハムレット』を原文で読んでいた)。同作中でホレーショが哲学を語るわけではないが、ホレーショにハムレットが次のように語るシーンがある(第1幕、第5場、166-167行):There are more things in heaven and earth, Horatio, Than are dreamt of in your philosophy[16].(坪内逍遙訳:「此天地の間にはな、所謂哲学の思も及ばぬ大事があるわい」[17]。)。遺書5行目の「不可解」に通じる不可知論的内容を含むセリフである。"your philosophy"の"your"を二人称と解釈し、「ホレーショの哲学」という一節になったのであろう。しかし、この"your"は、話し手本人も含まれる「一般人称」(general person)で、「世にいわゆる」の意味である[18](先に引用した逍遙訳もそのように訳している)。遺書のこの箇所を捉えて藤村による「誤訳」をあげつらう向きもある[19]が、これより以前に徳富蘆花[20]黒岩涙香[21]も同様(yourを二人称)に訳しているし、それらの訳を藤村が参照した可能性もある[22]。なお、西洋古典学者の逸身喜一郎は、「ホレーショ」はローマ詩人ホラティウス(英文表記:Horace)ではないかと指摘している[23]。当時のエリート青年たちに流行していた悲観主義的厭世観はショーペンハウアーを受容し、この遺書に漂う人生への懐疑と煩悶は、時代の雰囲気をありありと反映したものであった[24]

自殺の波紋[編集]

彼の死は、一高で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石や学生たちに大きな影響を与えた[25]。在学中の岩波茂雄はこの事件が人生の転機になった。漱石は自殺直前の授業中、藤村に「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていた。この事件は漱石が後年、神経衰弱となった一因ともいわれる[26]


当時のメディアでも、『萬朝報』の主催者であった黒岩涙香が「藤村操の死に就て」と題した講演筆記[27]や叔父那珂道世の痛哭文を載せた後、新聞・雑誌が「煩悶青年」の自殺として多くこの事件を取り挙げた結果、姉崎正治ら当時の知識人の間でも藤村の死に対する評価を巡って議論が交わされるなど、「煩悶青年」とその自殺は社会問題となった[28]

言及の例[編集]

打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。
  • 夏目漱石『草枕』より
余の視るところにては、かの青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う[29]
「趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎の、わが卑しき心根に比較して他を賤しむに至っては許しがたい」「ただその死を促すの動機に至っては解しがたい。去れども死その物の壮烈をだに体し得ざるものが、如何にして藤村子の所業を嗤い得べき。かれらは壮烈の最後を遂ぐるの情趣を味い得ざるが故に、たとい正当の事情のもとにも、到底壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。」[30]

漱石はこれ以外にも『文学論』第2編3章や寺田寅彦あて書簡(1904年2月9日)に記した「水底の感」で藤村に言及している。


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表象(幻影)としての世界

ショーペンハウエルの哲学はかなり重要な思想だと思うが、最近はあまり読まれないようだ。その理由のひとつが、彼の主著である「意志と表象としての世界」の題名の日本語訳にあるのではないか、と思う。以下がそのメモで、これから少し彼の哲学について考察するかもしれない。


「意志と表象としての世界」についてのメモ


・日本語の訳語に問題があると思う。「意志」も「表象」も語としては不分明。特に「意志」は、「盲目の意志」なのだから、本来の日本語としては「意志」ではありえない。或る種の「生命力」「欲望」だろう。


・「表象」とは、認識する者の「世界認識のすべて」である。つまり、外部世界が認識者の主観によってイメージ化されたものだろう。そして、その認識者自身の個体(身体)は主観と客観が同時に存在する場である、という指摘が面白い。思念そのものが主観と客観の融合体と言えそうだ。


マーヤー (サンスクリット語माया Māyā) は、インドの宗教やインド哲学に現れる概念である。


元来、ブラフマーなどが用いる神の力・神秘的な力を意味し、その後、幻影という意味に変化した。人を幻惑させる力という意味で、「幻力」と訳されることもある。


インド哲学では、シャンカラなどにより、現実世界がマーヤー(幻影)であり、真実の世界を覆い隠しているとされ、ショーペンハウアーも『意志と表象としての世界』にて物自体である意志の単一性・本質を覆い隠している、物自体の客体である表象における数多性(個別化の原理)の説明としてマーヤーを用いている。


(追記)私はショーペンハウアーの説は世界認識という点ではこの上なく素晴らしいと思うが、そこから来る結論(仏教、あるいは古代インド哲学の影響が大きい)は、いわば仏教の「即身成仏」が人間の至高の生である、と受け取れそうな極論であり、これが西洋では厭世主義哲学と見られて(実際、そうなのだが)嫌われたのだと思う。先に、その部分(ウィキペディア筆者による解説だから完全に信じていいかどうかは不明)を載せておく。この部分だけを読んで、彼の哲学など読むに値しない、と思う人がかなりいるかと思うが、要するに「素晴らしい論説だが、結論だけ失敗している」論説文は読むに値しないと思うかどうかだ。私は、読む価値が大いにあると思っている。(他の哲学書は最初から読む気もしない。すべて「哲学(学者世界)のための哲学」にしか見えない。)



·        抽象的知性は格律を与えることによって、その人間の行為を首尾一貫させるものではあっても、首尾一貫した悪人も存在しうるのであり、あくまでも意志の転換を成し遂げるのは、「汝はそれなり」という直覚的な知のみであるといわれる。この知に達して、マーヤーのヴェールを切断して、自他の区別(個体化の原理)を捨てた者は、同情 (Mitleid) ないし同苦(Mitleid)の段階に達する。このとき自由なもの(物自体)としての意志は自発的に再生を絶つのであり、ショーペンハウアーの聖者は、利己心・種族繁殖の否定に徹し、清貧・純潔・粗食に甘んじ、個体の死とともに解脱するとされている。


·        最終第71節では意志の無への転換が説かれている。意志の完全な消失は、意志に満たされている者にとっては無であるも、すでにこれを否定し、意志を転換し終えている者にとっては、これほどに現実的なわれわれの世界が、そのあらゆる太陽、銀河をふくめて無であるとし、これらのことが仏教徒における般若波羅蜜多、「一切の認識を超えた世界」であると結んである。




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懐疑主義者の吝嗇



「どうもあなたがた紳士は、信じないことを誇りにして生きてるのだから、しまつが悪いや。それはね、頭のよさじゃないんですよもっと卑しいものなのですよ。吝嗇というものです。損をしたくないという事ばかり考えている証拠ですよ」

(「お伽草紙」の中の「浦島さん」で亀が浦島に説教する言葉)

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酔生夢人
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