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極度の真面目さは現実社会(善と悪の混交)から遊離する

「はてな匿名ダイアリー」から転載。
未熟な(深堀りしていない)議論だとは思うが、貴重な問題提起だと思う。まあ、右とか左とかいう分類も問題はあるが、まだまだ有効だろうし、なぜ左があれほど馬鹿なのか、という議論はどんどんなされるべきだろう。馬鹿と愚直は紙一重である。いい性格だのに頭が悪い人間というのは「使えない」わけだ。むしろ、「いい性格だから使えない」こともある。
現実社会が善と悪の混交である(憲法すら守られていない。上級国民は法律に縛られない)のは明白であり、善人が社会不適応になるのはある意味当然なのである。

(以下引用)

2023-04-08

なぜ「お笑い」は右へ行くのか

なぜ「お笑い」は右へ行くのか、という問いかけを見たので、ぼんやり考えたことを書く。


第一に出てきやすいのが吉本自民党とべったりだからだ、みたいな話だろうし、それもまた事実であろうが、他の部分について考える。


https://twitter.com/pom_pom_pee/status/1644146090361638912


■左の行儀の良さについて


左はお行儀が良すぎるのが大きいと思う。


この左のお行儀の良さが、日本特有なのか、現代日本特有なのかは知らないが、少なくとも私の見える範囲だと左はお行儀が良すぎる。


何かを笑う、面白可笑しくする、茶化す、というのは基本的にお行儀が悪く、ガラが悪く、治安が悪い娯楽だ。


それが、左のお行儀の良さと相性が悪い。


安倍バッシングなど左が右を非難する時はめちゃくちゃ口も行儀も悪いだろ、という指摘が来るだろうが、あれは特殊な状況である


それに根本正義感があるゆえの(当人たちにとっては)正義の鉄槌としての行儀の悪さであり、差別反対とか人権運動とかSDGs推進とかやってる時と同じ、真顔なのである


ももっと普段から、行儀が悪く、人間欲望悪徳や愚かさを愛し、世直しや啓蒙をしようという態度を止めれば、左派的なお笑いも人気になる……というか、笑いを好む層が左派を嫌わなくなるだろう。


まり、たぬかなも、おねロリキメセク天皇も、レズ結婚エイプリルも、左派肯定するべきだったのだ。




■左が権力を持っているかどうかについて


日本自民党が強いために、大衆右寄りであるし、しか右傾化世界的に進んでいる」みたいなことがよく言われる。そして「右がこれだけ強いのだから反体制や反権力のはずの左が権力を持つようにになったということはない」と続く。


しかし、「価値観アップデート」「現代倫理観はいかがなものか」みたいな左派的な主張の通りがどんどん良くなっているのも事実だ。


先日ツイッターで「右寄りの人はなぜ、自分保守じゃないけどとか言うんだろうねえ、右寄りなことに後ろめたさがあるんだねえ」という左派発言を見たが、これは左派が喜ぶべきことではなく、右寄り意見を持つ人間勝手に後ろめたさを覚えてしまう程度に左が権力を持っている証左であろう。


まり政局国政選挙の面では右が強く権力者だろうが、文化価値観道徳の面では左派が強くなっており権力者側である


そして、お笑いというのは、政治も笑いのネタにするとはいえ基本的には文化価値観分野での反抗的快楽であるため、政治では弱いが文化では権力を持っていて説教してくる左とは相性が悪いのだ。


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「道教」概説

「道教」についてのウィキペディア記事で、長いので前半だけ転載する。

(以下引用)

道教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

道教
(どうきょう、拼音Dàojiào)とは、中国三大

馬王堆帛書の『老子』

老子は先秦時代の学者とされるが、その経歴については不明な点が多く、その思想を記した書である『老子道徳経』の成立時期もさまざまな説がある[9]。道教は中国古来の宗教的な諸観念をもとに長い期間を経て醸成されたもので、一人の教祖によって始められたものではないから、老子が道教の教祖であるとはいえない[9]


しかし、『老子』に説かれる「」の概念が道教思想の根本であることは確かである[9]。道教においては、不老長生を得て「道」と合一することが究極の理想として掲げられ、道徳の教理を記した書の冒頭には『老子』の「道」または「道徳」について説明がなされるのが通例である[9]


『老子』の冒頭には以下のようにある[10]

道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。名無し、天地の始めには。名有り、万物の母には。故に常に無欲にしてその妙(深遠な根源世界)を観て、常に有欲にしてその徼(明らかな現象世界)を観る。この両者は同じきより出でて名を異にし、同じくこれを玄(奥深い神秘)と謂う。玄のまた玄、衆妙の門。— 『老子』第一章

『老子』では、世間で普通に「道」と言われているような道は本当の道ではないとして否定し、目に見える現象世界を超えた根源世界、天地万物が現れた神秘の世界に目を向ける[10]。「道」は超越的で人間にはとらえがたいものだが、天地万物を生じるという偉大な働きをし、気という形で天地万物の中に普遍的に内在している[11]


老子』に見られる「道」「徳」「柔」「無為」といった思想は、20世紀後半に発掘された馬王堆帛書郭店楚簡から推測すると、戦国時代後期には知られていたと考えられる[12]。「道」を世界万物の根源と定める思想もこの頃に発生し、やがて老子の思想と同じ道家という学派で解釈されるようになった[13]。一方、『老子道徳経』の政治思想は、古代の帝王である黄帝が説く無為の政治と結びつきを強め、道家と法家を交えた黄老思想が成立した。前漢時代まで大きく広まり実際の政治にも影響を与えたが[14]武帝が儒教を国教とすると民間に深く浸透するようになった。その過程で老荘思想的原理考究の面が廃れ、黄帝に付随していた神仙的性質が強まっていった。そして老子もまた不老不死の仙人と考えられ、信仰の対象になった[15]


道教においては、不老長生を得て「道」と合一することを理想とするが、その際には精神的な悟脱だけを問題とするのではなく、身体的な側面も極めて重視する[16]。そのため、形而上の「道」の具体的な発現である「気」もクローズアップされるようになった[16]

神仙道[編集]

健康で長生きしたいという人々の共通の願いが、永遠の生命を得るという超現実的なところまでふくらませたものが神仙という観念であり、道教では理念的には神仙になることを最終目標としている[17]。神仙は、東の海の遠くにある蓬萊山や西の果てにある崑崙山に棲み、不老不死などの能力を持っている[18]。また、戦国時代から漢代にかけては、神仙は羽の生えた人としてイメージされることが多く[17]、神仙は天へと飛翔する存在とされる[19]。神仙は、『荘子』においては「真人」「神人」「至人」などとも呼称される[20]

外丹[編集]

神仙への憧れは様々な伝説を生み、『列仙伝』や『神仙伝』といった仙人の伝承が生まれた[21]。仙人になるための修行理論や方法は葛洪の『抱朴子』に整理されている[22]葛洪は、人は学んで仙人になることができると主張し、そのための方法として行気(呼吸法)や導引、守一(身体の「一」を守り育てること)などを挙げる。葛洪が特に重視するのは「還丹」(硫化水素からなる鉱物を熟して作ったもの)と「金液」(金を液状にしたもの)の服用である[23]。このように、金石草木を調合して不老不死の薬物を錬成することを「外丹」(練丹術、金丹)と呼ぶ[24]。葛洪は、神仙になる方法を知りながらも経済的理由で必要な金属鉱物を入手できないため実践に至らないとも述べている[25]


実際には、水銀化合物を含む丹薬は毒薬であり、唐代には丹薬の服用による中毒で死に至った皇帝が何人も出た[26]。煉丹術の研究は丹砂や鉛といった鉱物に対する科学的知識を多く蓄積し、唐代の道士が煉丹の過程で事故を起こしたことがきっかけとなって火薬の発明に至った。また、道士は中毒死を防ぐために医学について研究したため、漢方医学の発展を促し、煉丹術の成果は医学に吸収されて外科の薬物として用いられている[27]


宋代以後は、金丹といった「外物」(自己の身体の外にある物質)の力を借りるのではなく、修練によって自己の体内に丹を作り出すという「内丹」の法が盛んになることとなり、外丹は下火になった[26]

内丹[編集]

内丹とは、人間の肉体そのものを一つの反応釜とし、体内の「気」を薬材とみなして、丹薬を体内に作り出そうとするもので、それによって不老長生が実現するとされた瞑想法・身体技法である[28]。呼吸法には「吐故納新」、瞑想法には五臓を意識して行う「化色五倉の術」、ほかにの歩みを真似て様々な効用を求めた「禹歩」などがある[29]。また、道教においては身体と精神は密接につながっていると考えられるため、感情を調和のとれた穏やかな状態に保つ精神的な修養も不老不死のために必要であるとされた[28]


唐代までは外丹が盛んであったが、宋代以後には不老長生法の主流は内丹に移り、『周易参同契』と張伯端の『悟真篇』が内丹の根本経典とされた[30]。『悟真篇』の内丹法は、「金丹」を体内で練成する段階と、それを体内に巡らせる「金液還丹」の段階に分かれている。前者の段階は、腎臓の部位に感じられる陽気の「真陽」と、心臓の部位に感じられる陰気の「真陰」を交合させると、丹田に金丹が生じるというもの。後者の段階は、体内の金丹を育成し、身体の精気を金液に変化させる。この時、金液は督脈と任脈のルートに沿って体内を還流し、十ヶ月続けると神仙になる[30]。ただし、これと同時に心性・精神の修養も必要であるとされ、これは「性命兼修」また「性命双修」と呼ばれのちの全真教で重視された[30]


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道教とは何か

森鴎外の「魚玄機」を読んでいて、その中の道教についての或る記述が、性行為であるように思えたので、ネットで調べようと思ったが、或る文学的論文しか見当たらず、しかも探していた事項の説明がない。それは、「四目四鼻孔云々の法」というのである。で、その法を履修した結果、「玄機は真に女子となって、李の林亭にいた日に知らなかった事を知った」と書かれている。「真に女子となって」とは、性行為による快感を知ったということだろうが、「四目四鼻孔の法」というのは、まあ、一人の人間に目が四つ、鼻孔が四つあるわけはないから、これは接吻を意味するのだろうが、もちろん、それだけで終わるものではないだろう。
私が興味を持ったのは、道教にそのような性的な部分があったのかどうかだ。仏教には左道密教とかいうものがあったようだし、東南アジアの宗教には性的な象徴が多く彫刻されているようだが、道教というと、老子を祖とするという説が道家で言われているようだから、老子と性的宗教はまったく似合わない気がするのである。
まあ、そもそも道教の教えのエッセンスが何か、分からないのが私には気になるわけだ。中国の説話などでは「道術」という、魔法のような術もあるらしく描かれ、「白蛇伝」では道教の坊主というか、道術士の道術によってヒロイン(白蛇の化身)が苦しめられるのである。

(注:左道密教について)

インド密教の一派。 人間の煩悩愛欲は尊重されるべきであるという思想を背景として,ヒンドゥー教の性的結合を絶対視するタントラ教の影響を受けて成立した (8世紀) 。 その創始者はインドラブーティといわれているが,9世紀以後特に盛んになった。

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「通俗道徳批判」への批判

毎度言うが、私は「通俗道徳」という言葉が蔓延することに危機感を抱いている。道徳という概念に「通俗」という蔑称をつけることで、「道徳」概念そのものがどんどん失われる可能性を危惧するからである。それに、「通俗」という言葉を使う事自体の危険性も大きい。通俗でなぜ悪いのか、という反省もなく、「通俗」の一言でその価値が暴力的に失わされるのは、かつての「大衆小説」や漫画やアニメや大衆歌謡が低俗視された歴史で分かるだろう。通俗と低俗はほぼ同じ、軽蔑語だ。
私の考えでは、道徳は通俗であるからこそ意味がある。通俗とは「俗に通う」つまり、一般大衆に行き渡るという意味だからだ。社会の一部の人間しか守らない「高尚な」道徳に何の意味があるのだろうか。そして、現代の日本では(西洋は既にそうだが)宗教の価値が最低限に落ちたことで、道徳という言葉自体、無意味化しつつあるのである。だから、新興宗教のような詐欺商法が罷り通るのだ。

なお、下の記事のような「社会の下層への福祉」を論じるなら、精神論ではなく、社会システムを論じるべきであって、精神論こそ議論の本質を捻じ曲げるものだと思う。社会システムは政治の議題になるが、精神論は物好きな連中の馬鹿議論の種にしかならないから、為政者が喜ぶだけだろう。

(以下引用)

その人が貧しいのは努力不足だから? 通俗道徳のわなから抜け出す


有料記事


聞き手 編集委員・塩倉裕 田中聡子
吹き出しアイコン常見陽平さんなど2件のコメント
常見陽平さんおおたとしまささん
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 8月に著名人が生活困窮者を差別し、後に「頑張ってる人もいる」と謝罪しました。貧困と「努力」とが結びつけて語られることで、何が起きているのでしょうか。(聞き手 編集委員・塩倉裕、田中聡子)

はまりがちな「努力のわな」 歴史学者の松沢裕作さん

 努力は必ず報われるとは限らない。その事実をみんな実はよく知っています。では、報われるかどうかを努力と結びつけて考える傾向はどこから来たのでしょう。歴史学の研究成果では、江戸期に発生した「通俗道徳」が参考になると思います。故・安丸良夫氏が主張した学説です。


 通俗道徳とは「人が人生で失敗したり貧困に陥ったりするのは、その人の努力が足りないからだ」とする考え方です。江戸時代の後期に生まれたものとされます。大事にされたのは、勤勉に働くことや倹約をすることでした。


 努力する人が報われる社会が大事だとされる今の状況は、「通俗道徳のわな」にはまった状態に見えます。


 「貧困と努力」を結びつける思想は、どう捉えたらよいのでしょう。記事後半ではジャーナリストの藤田和恵さんが政治家やメディアの責任を指摘。弁護士の竹下義樹さんは「貧しい人はなまくら」という先入観について語ります。


 江戸後期は、様々な商品が売…


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涅槃とは何か

前回記事で「所有の意義」について書いたが、その反対に「所有否定思想」である「般若心経」のことも書いておく。般若心経の末尾は大要、こういうことだ。

「無所得(無所有)のゆえに、心にわだかまりがない。
わだかまりがないゆえに、恐怖もない。
すべての転倒(した思想)や夢想を離れ
最終的には涅槃に至る」

というものだ。つまり、すべての悩みの元は「所有」にある、ということで、これはこれで正しい思想だと思う。ところが、その(無所得・無所有の)最終結果は「涅槃(心の平和)」であるが、涅槃とは実は「死」でもあるわけだ。寂滅為楽である。しかし、本当に寂滅して為楽となるか? 「楽」も寂滅するのが本当の寂滅だろう。つまり、悟り、心の平和というのは実は「生きながらの死」でもある、となるわけであるwww  まあ、生悟りくらいが本当は望ましい状態なのではないか。つまり、森鴎外の「かのように」主義だ。「~であるかのように」ふるまうことがメリットならば、そうすればいいわけである。その場その場で適当な思想を選べばいいのである。何も(真偽も不明な)ひとつの思想に殉ずることはない。
ついでに言えば、森鴎外の臨終の言葉は「ふん、馬鹿馬鹿しい」だったらしいww 知の超人、森鴎外の最後の言葉がこれである、というのが面白い。ある意味、「あまり真剣に人生に悩むな」と言っているようだ。恐怖や悩みの本質は、その対象ではなく、恐怖することや悩むことという(自ら選択した)行為そのものだ、とも言えそうである。
世の中にはまったく恐怖感を持たない者や悩みを持たない「脳天気」な人間もいるのであり、それこそが(何も考えてはいないだろうが)賢明な生き方だろう。もちろん、それは「動物の類だ」と排斥する人々もいるだろうが、悩んだから偉いとはなるはずがない。考えることと悩むことは別の話である。




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無知のヴェールと無私のヴェール

「バカ国民帝国日本の滅亡」記事の一節を考察ネタにしてみる。先に引用する。



ジョン・ロールズの『正義論』で論じられた…


 


「正義にかなう社会」とは、どういう原理に基づいて成り立つのか…


 


´は、1970年代以降、欧米では重要な学術的命題であった。


 


 


それを受けてのアヴァイシャリ・マルガリートの仕事が…


 


『品位ある社会<正義の理論>から<尊重の物語>へ』であった。




さて、問題は「正義とは何か」「品位とは何か」「品位は正義に代わる社会統一原理になるか」である。まあ、3番目の命題は、最初から無理だという気がするが、先に前2者を考察してみる。
ロールズの「正義論」は有名だが、私はもちろん未読である。しかし、その中の「無知のヴェール」については、面白い考えだと思ったことがある。それは、「正義かどうかを判定する基準」である。私は、「無私のヴェール」と言うほうが分かりやすいと思う。東洋人や仏教徒なら即座に分かる話だろう。

「けう」という、一般人の哲学オタク主婦の解説が分かりやすい。長いのでマルクス・ガブリエルとやらの説の部分は省略する。(けう氏のお気に入りらしいが)



無知のベールとは、思考実験です。


誰かが犠牲になっている社会の現状から、平等を話し合います。


どのような話し合いなのかを見ていきましょう。



ポイントは功利主義の弱点を克服するために出てきた思想
目次 

無知のベールとは

無知のベールとは、ジョン・ロールズ(1921~2002)によって唱えられた思考実験です
(これからの「正義」の話をしよう マイケル・サンデル 参照)


まず自分が誰かわからなくなる「無知のベール」を頭にかけます。


自分がどんな立場かわからなくなります。


性別も年齢もわかりません。


自分が教育を受けているのかも、身体が不自由かもわかりません。


その状態で、どのような社会原則を作ればいいのかをみんなで話し合います


「あなたならどんな原則を選びますか?」

無知のベールの具体例

話し合いが少人数でものを分ける場合だったら簡単です。


ケーキが一つあったとしたら、均一になるように分ければいいからです。


しかし、社会は複雑です。


社会ルールを立てると想像してみてください。


無知のベールをかぶっている人はみな、「自分は抑圧された少数派かもしれない」と考えるとロールズは言います。


もしかしたらホームレスかもしれない。


もしかしたら飢餓で苦しんでいるかもしれない。


「ならば底辺層を切り捨てるシステムは避けたほうが無難だ」と人は考えます。


決定した後で、無知のベールを取ります。



あ、私の立場だったらそっちのが良かった!

このようなことが起こらない原則を目指します。


その時に、3つの原理がでてくるとロールズは考えました。

  1. 基本的自由の原理
  2. 機会均等の原理
  3. 格差原理

具体的に見ていきます。

無知のベールの3原則

ロールズは社会正義のためには3つの原理を導き出せると考えました。(哲学用語図鑑 参照)

基本的自由の原則

良心、思想、言葉の自由は保障されなくてはならない


日本国憲法にもあります。

機会均等の原理

たとえ格差が生まれても競争の自由は保障されなくてはならない


競争を否定しません。


しかし、疑問がうまれます。


自分が恵まれない状況にいた場合、自由に競争に参加できるだろうか?と。


最も不遇な人々と裕福層の人々との差は、調整されるべきだとロールズは考えます。


そこから出てきた考えが3番目です。

格差原理

競争によって生まれた格差は最も不遇な人々の生活を改善することにつながるものでなければならない


この格差原理をさらに詳しくみていきます。


「これからの『正義』の話をしよう」(マイケル・サンデル 2010)から抜粋します。


格差原理とは、いわば個人に分配された天賦の才を全体の資産と見なし、それらの才能が生みだした利益を分かち合うことに関する同意だ。ー
天賦の才に恵まれたものは、才能があるという理由だけで利益を得てはならず、訓練や教育にかかったコストをまかない、自分よりも恵まれない人びとを助けるために才能を使うかぎりにおいて、みずからの才能から利益を得ることができる。ー
こうした偶然性が、最も不遇な立場にある人びとの利益になるような形で生かせる仕組みを社会のなかにつくればよいのだ。」


顔がいいから鼻眼鏡をかける。


足が速いから重りをつける。


頭がいいから騒がしいヘッドホンをかける。


そういうことではなく、能力や環境の差など人の多様性を認めます。


多様性によって所得格差がでるのは仕方がないことだ、と。


最も不利な立場にある人々の状況を改善するための所得格差を認めています。


自由もあって、競争もできて、生活に困らないという原則です。


なので、無知のベールをかぶっていれば受け入れたくなる3つの原理です。



無知のベールをかぶったからこそ出てきた原理なんだね

ロールズは無知のベールを政治から考えました。


政治家の役割の一つは、市民から得た税金を再配分することです


無知のベールの基本原理のように、福祉にも政治はお金を配分しています。

無知のベールの立場

無知のベールを唱えたロールズはリベラリズムと言われています。

リベラリズム⇒富の再分配などを通じて経済的な弱者を救済し、福祉国家的な政策を支持する立場。

リベラリズムは功利主義を批判する形ででてきました。

功利主義⇒社会全体の快楽の増大や苦痛の減少を基準にして、道徳や立法の判断をするべきだという考え方。
功利主義は、社会全体の幸せのために誰かが犠牲になっても仕方がないと考える立場でもあります。
それを批判する形で無知のベールという思考実験が唱えられました。
歴史を見ていくと、ある良い案がでてきたらその次にその欠点を埋める思想がでてきます。
では、リベラリズムの欠点は何でしょうか。

現代の哲学者マルクス・ガブリエルは言います。


「絶対的に見ると、下層にいる人の数がこれほど多くなったことは人類史上ありません。」


貧富の格差は広がっています。


政府が弱まり、企業が力を持ってきました。


つまり、今の社会に基づいて現実的な原則を打ち立てよう、という流れです。



抽象的すぎる思想を現実のものに、という観点からマルクス・ガブリエルの主張を見ていくよ!


無知のベールと「モラリティの資本主義」まとめ

無知のベールとは思考実験です


自分が何者かわからない状態で、社会の原則3つを導き出しました。

  1. 基本的自由の原理
  2. 機会均等の原理
  3. 格差原理

世界に制度がない当時、人々の全体の幸福度をあげればよいという功利主義が生まれました。


しかし、それは誰かの犠牲の上になりたっていました。


その犠牲をなくすのがリベラリズムによる「無知のベール」での話し合いです。


人々の自由や競争といった多様性は認めます


そして、その結果として生じた格差を補うことが前提になっています


ロールズは無知のベールを政治の視点から語りました。


しかし、貧富の格差は広がっています。


なので、マルクス・ガブリエルは無知のベールに倫理の視点で取り入れました。


モラリティの資本主義です


人々の「非人間化」や「無知」を防ぎます。



時代に合わせてよりよい社会を考えているんだね

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「総括」の意義

私は、思い付きだけで書く主義なので、前の記事にもいろいろ間違いがあるようだ。
下のブログ記事は当時の学生運動の冷静な総括として実に優れたものでもあるので、転載する。日本の社会運動や改革運動、あるいは組織の一大欠点は、失敗した時に、その主体による「失敗の総括」がなされないことである。だから、今回もまた政府は第二次大戦の過ちを繰り返そうとしている。そして、一見成功と見える日露戦争や日清戦争も「総括」すれば反省点と今後の懸念(失敗の可能性)が見えるはずだったのである。

(以下引用)

フランシーヌ・ルコントがパリで焼身自殺した日。反戦歌「フランシーヌの場合」が出来た。

2006-03-30 | 歴史
今日(3月30日)はフランシーヌ・ルコントがパリで焼身自殺した日。
1969(昭和44)年3月30日、日曜日の朝。パリの路上で30歳の女性が、シンナーを被って焼身自殺した。
AFP電として日本の新聞でも報道されたところによると、フランシーヌ・ルコントさんというこの女性はベトナム戦争、ナイジェリアに心をいため、自殺した時もビアフラの飢餓の切抜きを持っていたという。また、ウ・タント国連事務総長などに訴えの手紙も書いたこともあるといわれるが、家族の話では精神科にかかっていたこともあるという。(1969年3月31日付 朝日新聞夕刊)
1人の女性の焼身自殺で何が変わるわけでもない。家族の話のように、精神を病んでのことかもしれないが、いずれにしても、かなり思い詰めての行動であろう。
この事件に、心を動かされた日本人によって、一つのフォークソング(反戦歌)が作られた。いまいずみあきら作詞、郷伍郎作曲「フランシーヌの場合」である。
フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えた いのちひとつ
フランシーヌ
この歌は3ヵ月後の6月に発売された。新谷のり子さんのデビュー曲であるこの歌は80万枚を超える大ヒット作となった。以後、新谷のり子さんは反戦、反核、反差別をテーマにコンサートを続けておられるという。思えば、この曲が大ヒットした1969(昭和44)年は、学生運動がもっとも盛り上がったときであった。ベトナム戦争、沖縄闘争のうねりと共に時代の心を代表し、多くの人々の支持を得た。恐らく、今の50代以上の人には、忘れられない曲ではないだろうか。
1960年代は、後半、高度経済成長の裏で激化の一途をたどっていた学生による第二次反安保闘争。それと時を同じくして、全国の国公立・私立大学において授業料値上げ反対・学園民主化などを求め、各大学の全共闘や(新左翼)の学生が武力闘争を展開する学園紛争(学園闘争)が起こった。全共闘の学生達は大学当局との団体交渉(団交)で自分たちの主張を強硬に唱え、それが認められない場合大学構内バリケード封鎖という強硬手段に訴えた。そして、ついに、1969(昭和44)年1月、前年の東大医学部の無期限ストライキに端を発した、「東大・安田講堂事件」が起こった。全学共闘会議(全共闘)が占拠していた東京大学本郷キャンパスを警視庁が封鎖解除を行った事件である。18日早朝、守る学生は400人、攻める機動隊8500人。300台を超す放水車、投光車、防石車、そしてへりが投入される。東大・安田講堂の屋上からは何百本の火炎瓶が投げ落とされる。上空警視庁のヘリコプターからは、催涙弾、地上からも猛烈な放水とガス弾。空陸一体になっての攻撃が始まった。まるで戦争である。大学紛争のシンボル、東大・安田講堂をめぐる攻防戦は実に35時間。東大全共闘の最後の砦は落城した。逮捕者は、東大構内で633人、安田講堂で377人(東大生は20人)。(朝日クロニクル・週間20世紀より)。幸い、学生・機動隊とも負傷者は多かったが死者はなかった。この安田講堂(砦)の落城が、全共闘運動の分水嶺だった。この東大全共闘を支えたのは、団塊の世代であった。「出入り自由の柔軟な集合体」の全共闘は、セクト嫌いのノンポリをひきつける魅力があったが、この柔軟性が新左翼各派の付け入るところとなり、東大闘争を複雑にした。党派の思惑に振り回され、非妥協を競い合った挙句武装闘争というスタイルが前面に出てしまった。このあと、大学紛争は関西を中心に全国に飛び火する。その数はピーク時77校。だが、秋には、1校また、1校と正常化した。それは、安田講堂事件後、強行採決された大学臨時措置法が圧力となり、紛争が長引くことによる「閉校」を恐れる大学側が、積極的に機動隊を導入したからである。
安田講堂事件の終焉後、学生達の間ではシラケが進行していたが、一部のセクトは過激化、武装化への道を進み赤軍派など過激なグループが出てくる。そして、赤軍による「よど号」ハイジャック事件、連合赤軍によるリンチ事件、あさま山荘事件、へとつながっていくのである。
思えば、1969(昭和44)年のこの年は、経済が成長し、人々の生活と意識が大きな変化していた一方で、日本の政治・経済・社会はもちろん、水俣病に象徴される環境公害被害など、すべての面で大きな問題を抱えていて、その矛盾が噴出した年でもあった。この年を特徴づけるものは、何と言ってもデモと集会で、一番よく知られているのは、ベトナム反戦・反安保をかかげる集会やデモである。その先頭を走ったのは、青年労働者であり、学生だった。学生たちは街頭で政治的課題で行動しただけではなく、自分たちの問題である教育制度や中身の歪み、学歴中心社会の問題や旧態依然たる学問の現状に激しく厳しい批判を投げつけた。全国の大学や高校で学園紛争が生じた。その象徴的なものが、前年の日大紛争であり、この年の東大・安田講堂事件であった。この年、映画では、高倉健の任侠もの、藤純子のお竜さんが大流行。網走番外地の健さんも 緋牡丹のお竜さんも裏街道をゆくはぐれ者。はぐれものが受けた時代だった。安田講堂内の学生たちは、敗北を承知で機動隊と対決し、火炎びん、催涙ガス弾が飛び交うこととなった。当時の加藤一郎学長代行の最終提案は学生達の要求を大幅に取り入れたもので、受諾すれば一応の勝利になるものなのに、「東大紛砕」を叫ぶ学生達は恐怖と戦いながら安田砦にとどまった。そこには、玉砕の美意識見たいなものがあった。今の人の大勢や権力や高度成長や生き残り競争を支配する価値観からすればまことに、馬鹿な生き方に見えるだろう。しかし、任侠の封建的な世界と先鋭的な革命の理論をもつ若者の行動には、抑圧された者が止むに止まれず決起したときには、美しく負けようといった精神につながる面があっったように思われる。当時、東大全共闘を支えた、団塊の世代も同じ気持ちで、任侠ものの映画を観ていたのではないか。
今の時代は、これまでの価値観が崩壊し、すべてが行き詰まったあのころとよく似ているように思われる。いや、それ以上だろう。しかし、今の日本の若者からは、そのような社会に対して、何の反抗をする気概も見られないのが哀しい現実である。
以下の二木紘三のMIDI・歌声喫茶でフラシーヌの場合のMIDIが聞けます。
二木紘三のMIDI・歌声喫茶「フラシーヌの場合」
(画像はDENON(日本コロムビアCD、「フラシーヌの場合」新谷のり子)
参考:
東大安田講堂事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AE%89%E7%94%B0%E8%AC%9B%E5%A0%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6
東大闘争(安田講堂攻防戦)事件
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage141.htm
雑感・戦後日本の世相と流行歌(26)
http://www.asahi.co.jp/call/diary/yamaken/essay_26.html
70年安保闘争史略年表
http://www.asahi-net.or.jp/~GR4T-YHR/zennen.htm
PICK UP 新谷のり子
http://event.sbrain.co.jp/pickup/sintani_noriko.html

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酔生夢人
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男性
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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