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「所有」「所有権」の人間精神に与える影響

今、ドストエフスキーの「死の家の記録」を読んでいるが、思った以上に面白い。流刑地の監獄の記録という、辛気臭い題材で、これまでは読む気がしなかったのだが、やはりドストエフスキーが書くと面白い。
で、まだ数ページしか読んでいないのだが、その中で印象に残った言葉がある。

「(労働と)合法的な正当な所有権がなければ、人間は生活することができず、堕落して野獣と化してしまう」

という言葉だ。
また

「金(かね)は鋳造された自由である」「金(かね)がポケットの中でじゃらじゃらしていさえすれば、たとえそれを使うことはできなくても、もうなかば気持ちが安まるのである」

という言葉も印象深いが、まあ、これは特に珍しい言葉でもない。誰でも同じように感じているだろう。
で、私が考察したいのは、まずは「所有」と「所有権」の区別、という問題で、その両者が人間の精神に与える影響、ひいては「共産主義」をその面から考えてみたいということだ。
これは、日が変わってから考えよう。まずは一休みして深夜のコーヒーでも飲んでからだ。

さて、「所有」のことは政治や社会に興味のある人間なら誰でも関心があるが、実はたいていの人は「所有権」についてはあまり考えたことが無いのではないか。それは、普通の人にとっては、二本足で歩くのと同じくらい自明な権利だと思っているからだろう。だが、その所有権はどうして手に入れるかと言えば、カネによってである。まあ、これも自明だ。
では、共産主義社会では所有や所有権はどうなるかと言えば、おそらく「所有」はあるが「所有権」は無い、と見るべきだろう。所有権は個人にではなく国家に属するのである。しかし、所有する物無しでは生活は不可能だから、生活物資は分配される。あるいはカネが与えられて、それで購入する。家屋も貸与されるだろう。しかし、その家屋の所有権は国家に属するはずだ。
では、そういう社会では「合法的な所有権が無ければ、人間は生活することはできず、堕落して野獣化する」ことになるのかどうか。ここが私が考察するところだ。
「死の家の記録」はシベリアという流刑地の監獄での話だ。だから、そこの住人は最初から「堕落した野獣的な人間」である可能性が高いわけだが、それは「所有権」が無いからそうなったのだろうか。あるいは、所有権が無いことは、優れた性格の人間でも堕落した野獣的な人間にするのだろうか。(ドストエフスキーは「労働」も人間の品性を維持する大事な要件だと考えていると思われるが、その問題は今は棚上げにしておく。)
一般論として、人は自分の所有する物に愛着心を持つだろう。そして大事にするだろう。結婚という制度も男女が互いに相手を所有することだ、と考えることも可能だ。そのことと、お互いが別の人格を持つことは矛盾はしないだろう。では、自分が何も所有していない場合、人の心(精神)はどうなるか、というのが私が考察したいことだ。

仏教では物欲(所有欲)は忌避される。物欲の少ない人間ほど高級な人間だとされる、と言ってもいいのではないか。たとえば良寛などである。竜安寺の「吾、唯だ足るを知る」もそれだ。天皇だろうが将軍だろうが、仏教徒の目には俗物(俗人)としか見えないのではないか。これは初期キリスト教でも同様である。「金持ちが天国に入ることはラクダが針の穴を通るより難しい」という言葉は、人間が物欲のために信仰を疎かにすることを戒めたものだろう。まあ、それらの宗教は膨大な貧困者を慰めることで現世の秩序を維持する装置だった、と皮肉に見てもいいが、最初から問題としている「所有権が無いことは人間を堕落させる」かどうか、という疑問へのひとつの回答にはなり得るだろう。しかし、非宗教の次元では、確かに人間を堕落させそうである。なぜそうなるか、を考察してみる。

まず、「所有」とは何か、と言えば、それは「自我の拡大」だ、というのが私の考えだ。私は、「人間は利己心の動物だ」という思想だが、人間は同時に「想像力を持つ動物」でもある。つまり、利己心だけで行動したら自分や周囲にとって破滅的な結果を生むことが想像できるだけの頭脳はあるわけだ。その想像力の無い人間が犯罪者になり、また残忍な利己主義者でも時には上手く立ち回って成功者になったりする。利己心の無い人間はほとんどいないのであり、利己心自体は否定されるようなものではないが、その行き過ぎが社会を不幸にするわけだ。それが「新自由主義」だ、と言ってもいいだろう。
では、「所有とは自我の拡大だ」とはどういう意味かと言うと、裸の人間、つまり何も所有していない人間の力の範囲は周囲1メートル程度だろう。それがたとえば刀を持ち、銃を持つことで力の範囲を拡大できる。あるいは車を持つことで行動範囲を拡大できる。これが、「所有とは自我の拡大だ」という意味だ。無形のものでも、たとえば知識を持つことで自我の拡大ができる。宇宙物理学者の思考範囲は宇宙全体に及ぶし、それは宗教家でもそうだろう。
では、「所有」が限定された人間はどうなるかと言えば、当然、自分の勢力範囲が著しく限定されるわけで、その範囲以外の事柄は「考えても無駄」となる。つまり、自ら想像力を捨ててしまうわけだ。これが旧ソ連などで起こった現象(特に芸術方面の不振)だろう。想像しないということは創造もできなくなるわけである。また、「必要(要求されたこと)以上に働いても無駄」だから、労働意欲はほとんど無くなるだろう。つまり「懲罰によってしか働かない労働者」が大半になる。これはシベリアの監獄の懲役人たちの姿そのままではないか。旧ソ連の崩壊の主因は実はそこにあったのではないか。

念のために言うが、私は資本主義の異常に肥大したエゴイズムという「悪徳性」を心から批判するものであり、特にその究極の姿である新自由主義の批判者である。だが、「所有」や「所有権」の持つエネルギーを無視したら、それこそ「諸行無常」の滅びの世界になる可能性はあるだろう、と言ったまでのことである。
私自身、聖書(伝道の書)や般若心経の「空」の思想に強く惹かれる性格の人間なので、上に書いたことは自戒でもある。

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守中高明氏の「革命的」浄土宗論

これも同じく「中外日報」の記事だが、凄い「浄土宗論」である。私は浄土宗を単なる「厭離穢土欣求浄土」の空想的宗教と思っていたが、この浄土宗論は実に革命的な現実変革の思想ではないか。
この小論の中には「神概念」についてのスピノザの思想の簡明な説明もあり、それが、私が以前に考えた「神とは何か」という考えに少し近い気もする。つまり、神とは人間の外部に在る超越的存在ではなく、人間の中に、あるいは自然物のすべてに内在する力だ、という思想だ。「山川草木悉皆成仏」であり、日本古来の「八百万の神」であり、あなたも私も神なのである。いや、「神性」を持つ存在なのだ。
もしそうだとすれば、「南無阿弥陀仏」という「称名念仏」つまり仏の名を呼び、念じることは、あらゆる存在の中の神性を強く確認する作業だ、と言えるのではないか。(「南無」は「至高の」の意味だと聞いた記憶がある。)そうだとすれば、他者を(自然物含め)破壊し傷つける行為や発言は、すべて「阿弥陀仏」に反する行為(慈悲の心の欠如や無視)だと言えるのではないだろうか。もちろん、「称名念仏」は神仏への賛歌であり、別に浄土宗徒だけの特権でもないだろう。要は、この宇宙の原理を理解し、生活に反映して生きることにあるわけだ。


(以下引用)まだ熟読していないが、とりあえず保存する。

阿弥陀仏、あるいは超越なき生成の力(1/2ページ)

早稲田大法学学術院教授 守中高明氏

2022年1月17日 09時19分
もりなか・たかあき氏=1960年生まれ。早稲田大法学学術院教授。浄土宗専念寺住職。著書に『浄土の哲学 念仏・衆生・大慈悲心』(河出書房新社、2021年)、『他力の哲学 赦し・ほどこし・往生』(同、19年)など多数。

法然・親鸞・一遍へと受け継がれ、深化し徹底化されていった日本中世浄土教――その思考と〈信〉を現代社会において真に実効性をもつ変革の力として甦らせるために、私たちはなにを考えるべきか。


現代の日本社会における浄土教についての一般的理解がどのようなものであるかは、容易にまとめることができる。浄土教とは西方極楽浄土への「往生」を説く大乗仏教の一形態であり、死後にこの現実世界とは隔絶した彼岸に往き生まれることを教えの中心とし、そのための手段として念仏を位置づけ、それを称える人間を阿弥陀仏という同じく現実世界には不在の超越的存在が摂取しその慈悲深い心で浄福を授けてくれると考える、そんな宗教であるというのが広く共有されている図式であるだろう。今日の世俗化社会にあって、それは端的に神話的世界観の表現であり、それを前にして問われるのはその非―現実的な物語を信ずるか信じないかという選択だけであると言ってよい。


だが、そのような理解に立つとき、私たちは浄土の教えをたんなる精神的ないし心的領域における救済論に矮小化することになる。なぜなら、そのとき私たちは近代的な理性の範疇と前近代的な説話の範疇とを区別したうえで、後者をそれが想像界にもたらす平安と慰めにおいてのみ肯定し顕揚していることになるからだ。そして、なるほど現代社会が宗教を許容するのは、その効果が精神的―想像的なものであるかぎりにおいてだと言える。すなわち、宗教が現実的な力をもつことは現代市民社会において望ましいことではなく、宗教者の側がその教えをみずから無力化することと社会の側がその教えの無力さを前提とすることが共犯関係にあり、その帰結として宗教の無害な安全圏への囲い込みが生じているというのが今日の状況である。宗教が現実的な力をもつとき、それは――宗教的原理主義に対する社会の警戒に現れているように――危険だと見なされるのである。


しかし私たちは、このような区別、このような境界画定に甘んじていてよいのか。否、法然が「凡夫」往生を約束したとき、親鸞が「屠沽の下類」との連帯を宣言したとき、そして一遍が「他力称名に帰しぬれば、自他彼此の人我なし」と断言したとき、それらの言葉が社会の現実を見据えたものであり、そのヒエラルキーや差別や搾取の諸構造を打破する根本的変革の意志に貫かれていたことを忘れるべきではない。この偉大な宗教家たちにとって、その〈信〉は社会秩序とその常識、その規範化する通念に抗う闘い以外のものではなかった。だが、そうだとすれば、現代の私たちが打破すべき常識・通念はどこにあり、どのような構造をしているか。


超越への欲望とそれに起因する人間中心主義を解体すること――最重要の賭札はそこにある。そして、浄土教におけるその具体的課題は、なによりもまず阿弥陀仏を超越的〈一者〉と見なす通念的理解を突き崩すことに存する。実際、阿弥陀仏を西方十万億土の彼岸にいる存在、それもキリスト教における人格神イエスと同じような唯一の超越者と見なし、それを人間的形姿によって表象することは、今日最も広く行われており、教団としての浄土宗における公的教義さえもそのような理解を支持している。しかし、これは完全な誤謬、しかも日本浄土教をキリスト教と同じ一神教的構造をもつと人々に誤解させその教えを神話的物語に縮減する点で、きわめて大きな弊害をもたらす根本的に誤った認識である。


阿弥陀仏とはなにか。言うまでもなくそれは「無量寿」「無量光」という本来的に物質性を一切もたない「法身」であり、衆生済度のために時と場所に「応」じて仮の身体となって現れる「応身」、さらに仏となるための果てしない修行を積んだ結果「報」れて現れる「報身」とは、いずれも衆生の理解を容易にするための方便に過ぎない。この点を明確化すべく錬成されたのが、法然・親鸞・一遍における「自然(じねん)」概念である。


「自然」とはなにか。それはスピノザが「神あるいは自然(しぜん)」というテーゼにおいて示した「能産的自然」にきわめて近いなにかである。すなわちキリスト教における神が、最高度の知性と自由な意志においてあらゆる産出の選択を可能性としてもつ超越者であるとすれば、スピノザ的「神」はまったく反対に、事物のそれぞれに変様し、様態化する「内在的原因」であり、それはあらゆるものを必然という様相において産出する。そしてそれゆえに、私たち人間存在にできるのは、ただその「自然」の生成に内在することだけであり、その必然を肯定することだけである。法然のあとを承けて親鸞が「自然(じねん)」とは「おのづから」「しからしむ」はたらき、すなわち「行者のはからひ」の外で作動する自律的な生成のプロセスだと述べるとき、それはまさにスピノザ的「自然(しぜん)」の原理を指していると言ってよい。「無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは申すなり」と言うとき親鸞は、阿弥陀仏がいかなる擬人化される存在でもないことをはっきり認識している。すなわち、「自然」である阿弥陀仏とは、形相なき力能にほかならないのである。


そのような「かたち」なき生成する力として認識し直された阿弥陀仏は、したがって、浄土教における〈信〉のあり方そのものに変更を迫り、私たち衆生に現実を変革する力を与え返してくれるだろう。阿弥陀仏を超越的〈一者〉として表象し、その疑似人格的意志によって救われたいと欲望するかぎり、浄土教は神話的説話体系にとどまり、その救いの力はどこまでも精神的―心的な慰藉であるほかない。


しかし、衆生が阿弥陀仏への〈信〉を「自然」の生成への内在として実践し、その必然を留保なく肯定するとき、浄土教は神話的世界から脱却し、「自然」の論理と倫理を説くすぐれて現実的な教えへと変貌を遂げる。実際、阿弥陀仏がその仮定され捏造された超越的意志によって衆生を救うという論理は、衆生がみずからの超越への欲望を阿弥陀仏に投影し、阿弥陀仏をみずからの似姿として理解してしまうことから生じる妄念に過ぎず、それは衆生を人間中心主義的なイデオロギーの内部に閉じ込め続けるだろう。そのイデオロギーの最も深刻な現れが、今日の世界における自然環境破壊であることは言うまでもない。「自然(じねん)」=「自然(しぜん)」から超越してあり、そのすべてを対象化し操作し利用し続けることが可能だと信ずる傲慢――その典型が、たとえば「持続可能な開発目標SDGs」という空疎なスローガンである。


しかし、この妄念から目覚めるとき、衆生はまったく新たな認識を獲得し、まったく新たな世界を生き始めることができる。


たとえば「浄土」――それはもはや、はるか彼岸に位置する実在性を欠いた幻想の領土ではない。そうではなくそれは、阿弥陀仏の大慈悲の力が貫徹しているすべての実在の場、衆生が称名念仏の声とともに生成変化していくすべての内在性の平面となるだろう。


たとえば「往生」――それはもはや、死の瞬間に来迎する阿弥陀仏によって摂取され来世における安楽を約束されることではない。そうではなくそれは、衆生がこの世界において念仏を称えることで阿弥陀仏の「本願」の構造にほかならない閉じざる未来完了の中へ身を投げ入れ、新たな誕生を繰り返しつつ、この穢土そのものを「浄土」へと生成させていくプロセスと化すだろう。いかなる超越への欲望も知らない内在性の領野に立ち現れる、この真の仏国土……。



宗教が本来的にもつ現実的な力を回復すること――ここにこそ、今日の日本浄土教の使命と課題はある。

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イスラム世界でのクルアーン(コーラン)受容の色々

前回記事と同じく「中外日報」記事だが、仏教にこだわらず、他宗教に関する記事も載せる懐の深さを見せている。素晴らしいことだ。
引用記事によって私もイスラム世界でのクルアーン(俗にコーラン)の受容態度が様々であることが分かり、勉強になった。これによって「イスラムテロ」がイスラム教徒から発生する可能性が認識されると共に、それがクルアーン受容のひとつの在り方でしかないことも分かる。まあ、仏教でも日蓮宗のように他宗攻撃が激しいものもあれば、禅宗のように個人的悟りだけを目指すものもあるようなものだろう。キリスト教も同様であり、カソリックとプロテスタントの違いは大きい。

(以下引用)

聖典クルアーンとムスリムたち(1/2ページ)

明治学院大国際学部教授 大川玲子氏

2022年2月7日 10時00分
おおかわ・れいこ氏=1971年、大阪府生まれ。東京大大学院博士課程修了。文学博士。専門はイスラーム思想、クルアーン解釈史。最近はクルアーンの宗教多元主義的な解釈とその実践に関心を持つ。著書に『クルアーン 神の言葉を誰が聞くのか』などがある。

コロナ禍のため、海外での調査出張ができない日々が続いている。筆者の専門はイスラーム思想で、特にムスリムによる聖典クルアーン(コーラン)の解釈を研究してきた。ムスリムたちのクルアーンとの関わりを多角的に知るためには、文献調査のみならず、現地での聞き取り調査も大切なのは言うまでもない。これまで中東や東南アジア、欧米のムスリム社会で現地調査を行ってきたが、ここのところ、研究対象は文字情報が中心となってしまっている。


このような中、ムスリム社会での現地調査を思い起こすとやはり脳内に流れるのが、アザーン(礼拝の呼びかけ)とクルアーン読誦の声である。ムスリムが多数を占める社会を訪れると、アザーンは街中で否応なく耳に入って来る。朝から晩まで。クルアーンもテレビやラジオから流れ出ているので、商店やタクシーの中で耳にすることになる。また電車やカフェでも、クルアーンを手に小声ではあるが読誦している人を見かけることは珍しいことではない。


ムスリムは聖典と距離が近く、日本社会での聖典との関わり方とは大きく異っている。ただ、全てのムスリムが厳格に関わっているわけではなく、地域や個人による差、さらに言えば時代による変化がある。このことについては拙著『リベラルなイスラーム 自分らしくある宗教講義』(慶応義塾大学出版会、2021年)で書かせていただいた。クルアーンを根拠としてテロ活動を正当化するムスリムもいれば、平和主義活動に従事するムスリムもいる。そしてその間には様々なタイプのムスリムがいて、自分の立ち位置に迷いながら過ごす者もいる。ムスリムたちも決して一枚岩ではなく、人間であるがゆえに多様性や迷い、試行錯誤の中で生きているのである。


アメリカの世論調査会社ピュー・リサーチ・センターは、世界中のムスリムたちを対象に興味深い調査を行っている。上掲の拙著でも紹介したが、「どの程度の頻度でクルアーンを読むのか」と「クルアーンを字句通りに読むべきか」という質問に対する答えを見てみたい(12年公表)。ムスリムたちがクルアーンを読む頻度は地域によって異なっている。毎日読む者は、中東アラビア語圏の国だとほぼ半分だが、南欧・東欧・中央アジアだと10%以下になっている。ここからもクルアーンとの接し方に文化・地域差があることが分かるが、それでも社会の中にずいぶん浸透しているという見方が日本と比較しての正直な感想ではないか。


この頻度についての質問は、内容をどう理解しているのかには直結していない。しかし「クルアーンを字句通りに読むべきか」という質問は、ムスリムの内容理解の実態に踏み込んでいる。この調査はサブサハラ(サハラ以南)のアフリカ諸国とアメリカのムスリムが対象になっている。サブサハラ・アフリカでは平均すると80%がクルアーンを字句通りに読むべきと回答している(ただし国によって54%から93%と差がある)。他方アメリカ在住のムスリムで字句通りに読むべきと考えているのは半分ほどであった。マイノリティとしてアメリカで暮らすムスリムたちの中には柔軟にクルアーンを理解する必要性を認識している者が多い、ということであろう。とはいえ、それでも半分以上のムスリムがクルアーンを字句通りに理解するべきと考えているということは、日本人の感覚からすると驚きかもしれない。


このことは何よりも、クルアーンが神(アッラー)の言葉そのものとされていることに起因する。預言者とされるムハンマドの口を通して人々に伝えられた一字一句が神のものだと信じられているのである。そのためそれをそのままアラビア語で読誦することが重視され、かつては他の言語への翻訳も忌避されていた。翻訳されて広く読まれている他の宗教の聖典に比べると、ムスリムのクルアーン認識には、7世紀にアラビア半島で生まれた言葉への強固なこだわりが存在する。ゆえに柔軟な解釈を認めずに、当時のムハンマドの周囲の環境を現在に復元することを求めるムスリムが出てくるのである。


ムハンマドはメッカで生まれたが、そこで新しい教えを説き、多神教徒であった人々に迫害された。そしてメディナに移住した。だがそれでもメッカ勢力から攻撃されたため、自ら戦闘に従事している。この時期に断続的に下されたとされる言葉が神の啓示と信じられているものであり、ゆえにこの中には異教徒を攻撃することを命じる内容が含まれている。このような句をどう解釈すればよいのだろうか? 字句通りに読めば、今なお異教徒を見つけ次第、殺害することが必要となる。この読み方を支持する者たちの究極の形がテロリストということになる。


他方、字句通りではなく、当時の状況を考慮して解釈しようとする者も少なくない。アラビア半島では戦闘が常態で、ムハンマドは迫害を受け防衛のために戦ったのであり、ユダヤ教徒やキリスト教徒から多くを学び良好な関係を構築しようとした。クルアーンにはこのような内容の文言も多く含まれる。ゆえにそれらを考慮し、クルアーンの言葉が持っていた価値観を現代的に読み直し、「自己防衛のための戦い以外は認めない」という解釈を提示する者もいるのである。


読む者によってクルアーン解釈は変わっていく。するとクルアーンという聖典の存在にはどのような価値があるのか、という疑問が出てくるかもしれない。ここでクルアーンを解釈した二人の現代ムスリム思想家を紹介しておきたい。彼らは自らの思考を深めるためにクルアーンがあると捉えている。インドの平和主義者ワヒードゥッディーン・ハーン(1925~2021)はコロナ禍により逝去されたが、生前に筆者がお会いした時、このような会話を交わしたことがある。筆者が「どのクルアーン解釈者の解釈を評価していますか」と尋ねたところ、「あれかこれかにこだわらず、自分で読むのがよい」とのことであった。またパキスタン出身でイギリスで活躍する文化評論家ズィアウッディン・サルダール(1951年生)はその解釈書『クルアーンを読む―イスラームの聖なるテクストの現代的関係性』(2011年、日本語未訳)で、読者はクルアーンを読む時に熟考する必要があり、それこそがクルアーンの価値だと述べている。つまり彼らはクルアーンの解釈は確定されるものではなく、時代や読む者の立場との応答の場のようなものだと考えている。これは他の者の解釈を鵜呑みにすることを否定し、クルアーンを通して個々人が神と直接対峙し思索を深めることを目指すものだとも言えるだろう。


近年、日本でもムスリム人口が増加してきた。これまではムスリム諸国から就業などで日本にやってきて定住する者が多かったが、日本人改宗者が増えてきているのが近年の特徴であろう。クルアーンの日本語への翻訳の歴史を見るとそのことがよく分かる。最初の翻訳は大正時代になされ、それ以降、知的関心による翻訳が続いた。代表例が1950~60年代に井筒俊彦が訳した『コーラン』(岩波文庫)である。しかしここのところムスリムに改宗した日本人による翻訳書が立て続けに刊行されている。例えば中田考監修、中田香織・下村佳州紀訳『日亜対訳クルアーン』(作品社、2014年)や、水谷周監訳著、杉本恭一郎訳補完『クルアーン やさしい和訳』(国書刊行会、19年)などである。それぞれの翻訳書に付された注解を見ると、訳者の見解つまり解釈を垣間見ることもできる。加えて最近、日本人ムスリムによるイスラーム論もいくつも刊行されている。


日本社会にイスラームが定着し、展開しつつある現在、思想的にも深まっており、そろそろ日本人ムスリム独自のクルアーン解釈書が世に現れるのではないか、そう思うこの頃である。それは宗教の影響が大きくないとされる日本社会からの一神教理解の提示であり、世界中に広がるムスリムのクルアーンとの関わり方の歴史に新しい様相を加えることになるだろう。





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インドの宗教と社会体制

「混沌堂主人雑記(旧題)」で知った「中外日報」という仏教系と思われるウェブマガジン記事だが、インド社会の過去・現在・未来と「ヒンドゥー教対仏教」の対立は大きな関係があるかと思うので、全文を転載する。私の管見では、インドのカースト制とヒンドゥー教は不可分であり、カースト制が在る限りインドの発展は望めないと思っている。もちろん、仏教やキリスト教ならいいというわけでもないが、ヒンドゥー教はカースト制という地上最悪の社会制度の土台である以上は、強く批判検討されるべきだろう。それはヒンドゥー教社会の内部からは難しいと思う。なお、文中の「ダンマ」は「ダルマ」と同義で使っているかと思うが、読者を無用に混乱させるのではないか。

(以下引用)

アンベードカルと仏教改宗運動(1/2ページ)

京都産業大教授 志賀浄邦氏

2018年9月14日
しが・きよくに氏=1974年、大分県生まれ、京都大大学院文学研究科博士課程修了(仏教学専修)。専門分野は、仏教学・インド思想。京都産業大講師を経て、2018年4月から現職。主な著書に『社会苦に挑む南アジアの仏教』(関西学院大学出版会、共著)などがある。

2018年2月、筆者はインド・チャティースガル州にあるプラギャーギリ(智慧山)という山の頂に鎮座する黄金の大仏の前にいた。同州ドンガルガル市において、毎年この時期に開催される国際仏教徒大会に参加するためである。「山の砦」を意味するドンガルガルには、山々が連なり、ヒンドゥー教やジャイナ教の聖地が点在している。


今年25回目を迎えた国際仏教徒大会は、地元仏教会によって主催され、毎年大仏が完成した2月6日に開催されている。例年日本を含む世界各地から多くの仏教僧や仏教徒が参加するが、ここ数年は在インド50年余になる日本人僧・佐々井秀嶺師が大会の導師を務めている。元々この大仏は、佐々井師とも関係が深く、長年比叡山で修行したインド人僧サンガラトナ師が日印仏教友好協会(現パンニャ・メッタ協会)の支援を受けて1998年に建立したものだという。


会場にはすでにナーグプルなどインド各地から数万人の仏教徒が集結し、イベントの開始を待ちわびていた。関係者の挨拶や来賓のスピーチの合間に、舞台上では歌や踊り、劇などが演じられる。それらは概して、B・R・アンベードカル(1891~1956)という一人の偉人の功績を讃えるものであった。


数ある演目のなかで、特に印象に残っている演劇がある。それはアンベードカルによるダリット(「虐げられた者」の意で旧不可触民のこと)の解放を象徴的に再現するものであった。上半身が裸で腰布のみを着用し、首から痰壺をぶら下げ、腰から箒を下げた男が、周囲からの視線に怯えながら前かがみの姿勢で3人の男の前を横切ろうとする。3人の男とは、バラモン、クシャトリヤ、シュードラに属する者であるが、腰布の男はそのいずれからも叱責、罵倒され、その場から立ち去るよう命じられる。


途方にくれた男のところに、眼鏡をかけ背広を羽織った、立派な体躯の男が突如として現れる。背広の男は、腰布の男の身体から痰壺と箒を取り去り、彼を勇気づけ、祝福を与えるのである。腰布の男は歓喜に震え、胸を張って笑顔で観衆の方を向く。最後に背広の男は、人々に向かって人間の尊厳と平等について語るのである。言うまでもなくここでの「腰布の男」とはダリットを指し、「背広の男」こそがアンベードカルである。


「マハール」という旧不可触民出身であったアンベードカルは、幼少時代から幾多の差別を経験しながらも学業に秀で、海外留学を経て帰国後は、独立後のネール政権下でインドの初代法相となった。憲法起草委員会の委員長に任命され、インド共和国憲法の起草に際して中心的な役割を果たす。そしてついに憲法第17条において不可触民制の廃止を明文化するに至った。彼は元々ヒンドゥー教徒であったが、最終的に、ヒンドゥー教自体を内部から改革することによって差別問題を解決しようという道はとらなかった。彼は、1935年に行った演説のなかでヒンドゥー教以外の宗教への改宗を正式に宣言したものの、すぐに改宗を行うことはなかった。それから約21年間、研究と熟慮を重ね、最終的に56年10月、数十万もの下層民衆と共に仏教への集団改宗を敢行するのである。


前述の演劇の話に戻ろう。筆者なりに分析すると、これは「不可触民出身であるが、仏教徒となったアンベードカルが差別と貧困に苦しむダリットを救済する」、すなわち「不可触民(仏教徒)自身が自ら行動を起こし、自分たち自身を解放する」という構図になっていることがわかる。


もちろんダリット民衆がある団体を組織し、政治的・社会的な側面から解放運動を展開することも可能であろう。しかしながら、ヒンドゥー教徒が圧倒的多数を占めるインド社会では、社会的上位者(ヒンドゥー教高位カースト)が弱者(下層カースト、不可触民)を救済するという構造を変えることは難しい。つまり、不可触民はヒンドゥー教という枠組みのなかにいる限り、ブラーマンを頂点とするカースト(もしくは浄・不浄)イデオロギー ――換言すれば、聖俗両フィールドにまたがるヒンドゥー・ダルマ――の言説空間にとどめ置かれ、「救済されるべき哀れな人々」という受動的な立場を脱することができないのである。


そこで鍵となるのが、ヒンドゥー教から別の宗教への改宗という行動である。アンベードカルによる仏教改宗はこれまでも色々な角度から考察されてきたが、近年ゴウリ・ヴィシュワナータンが新たな見解を打ち出しているので、ここではそれを参照したい。


アンベードカルのかつての留学先の一つでもあるアメリカ・コロンビア大学にて、エドワード・サイードに師事した彼女は、「改宗する」という動的プロセス自体に注目した。そして改宗を「社会に動揺を引き起こす政治的出来事」であり、「ある宗教をそのまま受け入れること」では決してなく「改宗先の宗教を作りかえるプロセス」であると述べている(『異議申し立てとしての宗教』)。


アンベードカルは、自著『ブッダとそのダンマ』において「ブッダの意見によると、絶対に確実なものは何もなく、いかなるものも決定的なものにはなりえない。あらゆることはいつでも再検討と再考に開かれていなければならない」と表明している通り、ブッダのダンマの合理的・理性的側面や懐疑主義的側面を重要視していた。このことを受け、彼女は「理性、思慮深さ、歴史的意識にもとづく個人の選択の行使」を「行為主体性」という言葉で表現する。アンベードカルにとっては、ダリット民衆が「自ら何かを選び取る」という行為主体性の回復こそが仏教改宗の主眼の一つであったといってもよい。


さらにアンベードカルは不可触民の起源についても、通説とは異なる興味深い考察を行っている。アンベードカルは、元々仏教徒であった人々がブロークン・メン(「砕かれた人々」「虐げられた人々」の意で、村落共同体のつながりを失い各地に離散した人々を指す。ヒンディー語の「ダリット」にも対応)となり、ブラーマンたちからの蔑みと憎しみの対象となっていたことや、ヒンドゥー教内で牛肉食が廃止された後もそれをやめなかったことが不可触性の起源として考えられると主張する。


また同一視されることの多い不可触性と不浄性は実は異なるもので、不可触性は法顕や玄奘等の中国僧による記録から牛肉食が禁止されたと推定される紀元後400年頃から現れたとした。不可触民差別の最大の根拠となる不浄性を不可触性から切り離し、差別の実体的な根拠は実は何もないことを示そうとしたこの手法は鮮やかという他ない。


すでに多くの識者の批判にさらされている通り、不可触民の起源を仏教とバラモン教(ヒンドゥー教)の宗教対立や牛肉食に関連付けようとする彼の説を実証的に証明することは困難であろう。しかしながら、彼は差別に喘ぐダリット民衆のため、一般に認められている公式の歴史とは別の「もう一つの歴史」を描き出そうとしたと考えることはできないか。必ずしも歴史的事実に裏付けられない『マハーバーラタ』等の叙事詩が、ヒンドゥー教徒にとって自信や誇りの源泉となっているのと同様、彼の創出した物語は、抑圧されてきたダリット民衆たちに自信と勇気をもたらし、自ら考え行動するためのホームベース(本拠、避難場所)を提供している。以上のことから、彼が最終的に改宗先として仏教を選んだのは必然であったとも言えるだろう。


先に述べた行為主体性の回復は、同時に、当該集団において主に多数派によって容認される既存の価値観や権力に取り込まれることへの抵抗をも意味する。改宗という営為は、伝統的に認められてきた教義やあり方に異議申し立てを行い、既存の枠組みを揺さぶるというダイナミズムを秘めているのである。アンベードカルの衣鉢を継ぐ、前述の日本人僧・佐々井秀嶺師は、現在1億人を超えるとも言われるインド仏教徒の指導的立場にいるが、時に日本の宗派仏教の現状に対しても痛烈な批判を行う。これは、アンベードカルに始まる仏教運動が、既存の仏教の形骸化や教条主義的側面に対しても、強い批評性をもちうることを意味している。そのような意味で、アンベードカルによって再発見・再構成され、佐々井師に先導される仏教徒たちによって受け継がれた「ブッダのダンマ」は、新たな生命を吹き込まれ、21世紀の今、「再創造」されつつあると言えるのではないだろうか。


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「正義」とは何か

「正義」とは何か、を改めて考えてみよう、というわけだが、
基本的には「正」も「義」も「正しいこと」だろう。だが、その「正しさ」とは何か、と改めて考える必要がある。
テストの答えが「正しい」ことと、「正義」は明らかに違うわけで、「正義」とは論理ではなく倫理に属する概念だ、と言えるだろう。(もちろん、倫理の設定段階では論理が思考手段となる。)
問題は、その「倫理」とは何か、ということだ。「倫理」の「倫」は「道」「道筋」のことである。あるいは「秩序」のことだ。ほかにも意味はあるが、「倫理」に関係する意味は上記のものだろう。手元の漢和辞典では「倫理」は「人が守るべき道」「道徳のよりどころとなる原理」とある。一般には道徳と倫理はイコールだろう。つまり、倫理は「法律」とは異なる社会秩序維持の原理であり手段である。簡単に言えば、法律には罰則があるが、倫理には基本的に罰則は無い。そして法律は人の行為を規制するが、倫理は人の内面を規制する、と言えるのではないか。キリストは姦淫の目で女を見ることは実際に姦淫を行ったのと同じだ、と言ったが、だからと言って、その人の目を抉り出せ、とは言わないww  考えたことが罰の対象となるなら、私など何万人も人を心の中で殺している殺人鬼である。
では、倫理は無力かと言うと、そうではない、というのが私の主張だ。しかし、自由主義社会の中ではどんどん自由が拡大される結果、内面的道徳は無力化するはずだ。偽善的であろうと、社会が倫理を墨守している場合、やはりそれが個人の思考や行動を無意識のうちに規制するはずだ。それが不正義から人を守る抑止力となる。いや、なっていたわけだ。
つまり、自由主義の拡大によって「道徳によって守られていた部分」がどんどん蚕食されていくのである。もちろん、その道徳で守られていたのが「強者の権利」だった部分もあるだろう。
では、「何の規制もなく、すべてが許されている社会」は、どうなるのか。もちろん、そこでは弱者の生きる余地は無くなる。つまり、倫理で守られているのは必ずしも強者ではなく、むしろ弱者のほうだ、と私は見ている。そういう「倫理の無力化」がトラシュマコスの「正義とは強者の利益だ」という「悪しき正義」である。「勝てば官軍」とはそういうことである。

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街灯の比喩

孔徳秋水氏のブログ記事の一節だが「街灯の比喩」が面白いので転載する。
もっとも、秋水氏自身も、街灯の下だけで探し物をしている時が多いように思えるww
株式投資とか新コロ問題とか。

(以下引用)「街頭」の誤字はそのままにしてある。


「見よう」としなければ、「見えてこない」ものはたくさんある。


 


 


しかし、彼らは「エビデンスがない」のひとことで、


 


自分の目の節穴ぶりと思考の貧弱を誤魔化すのである。


 


 


こういう態度は、欧米の、とくにキリスト教に多い。


 


初めから結論が、ご都合主義で決まっているのである。


 


 


小坂井敏晶氏が、例として「いつも上げる話」をここで引用しておこう。


 


【ある夜、散歩をしていて、街頭の下で探し物をする人に出会う話】


 


カギを落としたので家に入れずに困っている人がいた。


 


いっしょに探すが、みつからない。


 


「この近くで落としたのは確かなのですか?」と聞いてみる。


 


「カギを落としたのは他の場所なのですが、そこは暗くて何も見えません。


 


だから、街頭の近くの明るい場所で探しているのです」


 


 


小坂井氏は、軽く解説している。


 


「街灯の光」は「常識」の喩だ。


 


我々は探すべきところを探さずに馴れた思考枠に捉われている。


 


この明りの罠に気づき、思考回路の外に出よう。


 


 


さらには、論理自体の矛盾があるのに、


 


欧米キリスト教信者や経済学者は考えを改めない。


 


 


いやいや、日本人にも似たような連中は少なくない。


 


とくに、マスコミに登場する手合いは、疑ってかかるべきある。


 


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バートランド・ラッセルの「マルキシズム批判」

今、バートランド・ラッセルの「怠惰への賛歌」(平凡社新書)を断続的に読んでいるのだが、彼もまた「社会主義」と「共産主義」を明確に区別して論じており、自分自身社会主義者の立場で、共産主義(マルキシズム)を批判し、そしてそれと共に、当時勃興しつつあったヒトラーやムソリーニの全体主義を批判している。1932年に出されたエッセイだ。
「社会主義と共産主義の区別」とは、つまり、私とまったく同じ思想であり、その当時は社会主義全般とマルキシズムを区別するのは当たり前であったわけで、たとえばG.B.ショーやH.G.ウェルズなども社会主義者だったはずだし、当時の欧米の知識人階級では社会主義者は珍しくなかったはずだ。前に、「足長おじさん」の話を書いたが、「良心的資本家」で社会主義者であった人間はかなりいたのである。そもそも、初期社会主義者(マルクスの侮蔑した「空想的社会主義」者)たちは資本家か上流階級だったのだ。もちろん、その当時でも社会主義を危険思想と見做す人はたくさんいた。
「社会主義」全体の評判が地に落ちたのは、「共産主義と社会主義の同一視」と、「マルキシズムが社会主義の代表と見做されたこと」による。つまり、ソ連の政治の実態が知られ、「ソ連=社会主義政治の代表」とされたからだろう。だが、ソ連の政治とは「恒常的ファシズム」にすぎない。ラッセルは社会主義の条件のひとつを「民主主義的であること」としているが、ソ連の政治と民主主義ほど乖離したものは無い。ナチスの自称する「国家社会主義」も同様に偽物である。(私は「国家社会主義」自体は否定しない。国家が政治制度として社会主義を採用したら、それは「国家社会主義」としか言えないだろう。問題は、「社会のすべての人間の幸福を増進しているか」というその内実だ。)
「怠惰への賛歌」の中から引用したい箇所はたくさんあるが、訳が不適切なのか、原文が曖昧なのか、理解困難な箇所もある。全体的には明瞭な文章なので、これは訳者の下手さによるのだろうと私は推測している。
下に引用した部分の最後の一文は「共産主義(マルキシズム)は、一般大衆にこそ嫌悪された」という事実を道破している。(「道破」の「道」は「言う」と同じ。「破る」は固陋な考えを破る意味。)

(以下引用)

今日、大多数の社会主義者は、カール・マルクスの弟子で、彼から次の信念を引きついでいる。それは、社会主義を生み出すことができるただ一つだけある政治的勢力は、財産を奪われたプロレタリアが生産手段の持主に対して抱く怒りだという信念である。このことをきくと、プロレタリアでない人々は、どちらかといえば殆ど例外なく、必然的な反動で、社会主義は反対すべきものであると判断しているし、また自分たちはプロレタリアでないものの敵であると自ら宣言する人々が唱えている階級闘争のことをきくと、プロレタリアでない人たちは、まだ勢力を持っているあいだに、自分たちの方から戦いをしかけるのがよさそうだと感ずるのは当然である。ファシズムは共産主義に対する反抗、しかも侮りがたい反抗である。社会主義をマルクスの言葉で説いている限り、甚だ有力な反対が起こるので、文化の進んだ西欧諸国で、社会主義が成功することは日にまして見込みうすになって来る。勿論、社会主義はどんな場合も金持から反対を受けているだろうが、この反対はそう強烈なものでもなく、そうひろがりもしなかっただろう。(同書第七章「社会主義の問題」冒頭部)

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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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