ツイッターアカウントがバンされているので、ツイッターに記述できない(というか、できるけど、ツイートするとバン解除が遠のく)。ので、やむなくブログに記述する。
2021年の選挙は、1970年ごろ、社会党が議席を伸ばしていながら、マスコミから「敗北だ敗北だ」と煽られた選挙に似ている(雑な記憶では、石川真澄の記述があるはず。後日確認したい。政治学徒諸姉諸兄は確認してほしい)*1。立憲は議席を伸ばした。が、マスコミから「敗北だ敗北だ、枝野の責任問題だ」と煽られている。背景に似た構造が想像できる。日米安保的な何か。
立憲はたしかに2021年の選挙戦はおかしかった。コロナ第6波が予想できるのに、争点をコロナにしなかった。「ジェンダー」を無理くり争点にし、立憲の言う「ジェンダー」とは大衆的広がりを持つ常識的なリベラルフェミニズムではなく、偏屈で狭量で「性嫌悪」「性憎悪」なラジカルフェミニズムだった。「性憎悪」なラジカルフェミニズムは過激思想であり、つまり乱暴に言うと、思想として間違っている。
ラジカルフェミニズムはムダに憎悪を煽り、ムダに敵対者を増やし、ムダに立憲から本多平直を追放し、宮崎タケシを追放し、ムダにオタクに敵対し、ムダに票を減らした。
ラジカルフェミニズムは大衆的共感を持たない運動であり、戦術として野党共闘のキーである少数勢力「市民連合」に食い込み、常識的なリベラルフェミニズムを排撃し、「ジェンダー」という「よくわからない外来語」「よくわからない外来思想」を、ラジカルフェミニズムで席巻した。手法として、現在批判的に評される部落解放運動の手法に似ている。手法の類似性は無視しないほうが良いと思う。「リベラル」の獅子身中の虫となった「ラジカルフェミニズム」の手法の乱暴さ・雑さにより、「(ラジカルフェミニズムを内包する独裁的)リベラル」は広がりを欠き、その排斥運動的手法が嫌われ、野党共闘は競り負けた。
上記が「理性的な」結論だと思う。
この「理性的」結論から遠い所へ結論を誘導しようとするあたりが、1970年頃、社会党が議席を伸ばしたのに「敗北」だと評された時の政治情勢を再演していると思われる。
上記、取り急ぎ記す。
つまり、個人の完全なアトム(原子)化に、世界はどんどん近づいていて、他者との接触はビジネス、あるいは病院など、必要最低限度のものにどんどん縮小されているわけだが、これは人類にとって幸福か、と言えば、そうだ、と言う人は少ないだろう。いや、私自身はもとから人付き合いが苦手な人間だから、今の世の中は実に居心地がいいが、世界の大多数の人間には、これは不幸だろう。そもそも、他人との関わりが無ければ恋愛も結婚も無いわけで、少子化どころか人類滅亡につながりかねない。
「311」の時には「絆」「絆」と騒いでいた人々は、今の「隔離政策」になぜ文句を言わないのか。
視点を変えれば、人類(あるいは国民)のアトム化は、支配者には非常に都合がいいわけで、何より「集団的行動」が不可能だから、政府に反抗することはできない。つまり、政府という「唯一神」の下で、国民はすべて平等という、一神教的世界である。その神に反抗する不信仰者は放っておいても周囲がリンチにかけるし、いつでも「宗教裁判」で始末できるわけだ。
まあ、「新コロ詐欺」の本質は、そう見ると、実にユダヤ・キリスト教的だなあ、と思う。