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戦後日本史の正体

「阿修羅」某記事コメントの中の引用記事だが、わりと戦後の日本史の正体を的確に描いている(ただし、前半部分でロスチャイルドとロックフェラーを対立関係としているのは、いささか疑問。私は、ロックフェラーはロスチャイルドのアメリカ代理人だと思っている。特に根拠は無いが、勘である。強いて言えば、ロックフェラーは「表に出すぎ」だ。)のではないか。まあ、前にも同じような記事は何度か読んでいるが、常に想起するべき内容だろう。

(以下引用)


2014/2/27 12:31(編集あり)
フジ産経は ロスチャイルドとロックフェラーが 植村と鹿内を担いで作ったものですが、その後、鹿内は ロックフェラー側につき、産経がロックフェラーの軍事兵器企業ロッキードの広報紙となり、統一教会が運営します。


児玉・笹川という釈放された戦犯が統一教会導入したことはここに明記。
そして、児玉がロッキード代理人
他方、植村フジはロスチャイルド側について、鹿内と対立。
フジが産経のいうことをきかないので、児玉・稲川会のフロント企業ライブドアとロックフェラーのリーマンを使ってフジを買収しようとした。
クーンローブは元はロスチャイルドでしたが、三菱同様にロックフェラー管轄に移っていました。
そして、買収が潰されたわけですが、その後、稲川会バーニングのミヤネがフジに入り込んだりはしてます。



http://plaza.rakuten.co.jp/lalameans/diary/201306180007/


 ロックフェラーが文鮮明と組み、
 昭和電工事件でGHQ主導権を得たロックフェラーが
 統一教会工作員として釈放した岸信介の娘洋子の婿になりました。
 昭和電工事件で文鮮明の仲間の福田が登場し、
 昭和電工事件で実権を得た参謀2部ウィロビーが戦犯を釈放し、
 釈放された岸と組んで清和会を作るという関係です。



 基本は清和会をみればいいですが、グリコ・森永社長一族も同様。
 岸信介が物資のない時代に朝鮮企業育成のために
 CIAロックフェラーに供給してもらった砂糖供給ルートの管理や
 外資砂糖菓子企業リグレー参入阻止に動きました。


 石原を作ったKCIA文芸春秋の立花隆。


 小沢在日論文を捏造して
 頭悪い連中向けの撹乱工作をしてたのが統一教会


 元警察官僚の戦犯統一教会工作員正力松太郎が町井のパチンコ利権を作り、
 岸の親戚の平沢勝栄が警察官僚になって、警察内部情報を清和会にあげて、
 政治家が警察内パチンコ派閥をコントロール。
 正力は読売経営をロックフェラーにサポートされて、
 民団町井・東スポオーナーの児玉とプロレス興業を放送した仲。
 CIAルート外人レスラーのプロレスや野球で馬鹿な国民を育成して
 ロックフェラー統一教会の政界工作がばれるのを防ぐため。
 元相撲取りの力道山の八百長必殺技が空手チョップなのは、
 児玉の元親分の元戦犯工作員笹川良一が空手連盟会長で、
 空手ヒーローが悪をやっつける話が好きだったから。
 笹川も工作員として釈放されたけどまじめにやる気がなくて、
 CIAに殺されてもかまわないという感じでした。
 ちなみにいつも脅しをかけてときどき殺しもやって
 参政権やれよとか絡んでくるKCIA民団の創設者が町井です。
 戦後政治の常識のひとつ


 自民党議員の秘書は統一教会信者で、
 統一教会日テレが育てた橋下は、
 まわりにいるのが統一教会ばかりだと気づいて抜けようとしたけど、
 不倫スキャンダル出されて統一教会維新の会に降参しました。
 これからは統一教会に操られます。
 昔、統一教会を抜けようとして
 統一教会愛人の不倫スキャンダル出された山崎拓と同じ。
 ちなみに岸信介の知り合いの満州鉄道関係者と
 統一教会関係者を集めてロックフェラーが支援してきたのが電通で、
 メディアを支配。

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職業と知性・教養

「阿修羅」所載の室井佑月のブログ記事への一連のコメントだが、思考素として興味深い。
私はこのブログのタイトル「嗚呼おっしゃってますが」が大嫌いで、室井佑月の教養レベルを馬鹿にしていたが、各回の記事タイトルは編集者がつけていたようで、それならブログタイトルも編集者が付けたのかもしれない。ちなみに、「嗚呼」は感嘆詞であり、「ああ」という指示語とはまったく別である。確か「日刊ゲンダイ」のコラムだと思うが、最近の新聞や雑誌の記者や編集者の教養レベルは低い。「日刊ゲンダイ」など、政権批判だけで部数が増えたのだろうが、どの政権になっても、「頭から否定」という姿勢が続いている。まあ、私も岸田の政策のすべては肯定しないが、前の菅やその前の安倍に比べればはるかにマシである。
前置きが長くなったが、政治問題の発言者が元ホステスだとか元AV女優だったとかだけで、その発言は聞くに値しないという馬鹿コメントの話だ。これは、学歴だけで人を判断する連中と同質の傾向で、男女を問わず案外多いのではないか。私自身、ホストや若手イケメンタレントの知能を馬鹿にする傾向があるwww まあ、私は「媚び」というのを武器にする男が昔から大嫌いだ、ということなのだが、イケメンでも媚びを武器にしない俳優などは評価している。男子フィギュアスケートなどは最初から媚びが前提なので、その競技自体が嫌いだ。
おっと、脱線した。自分の好悪の話となると熱くなるようだwww
女性が生活手段としてホステスになったりAV女優になったりするのは、まあその女性の家族としては好ましいとは思わないだろうが、当人がそう決定するのは自由であり、そこで職業差別をするべきではない。そして、そういう職業の女性の知的レベルが低いか教養が低いかはまったく別の問題だ。作家の山田詠美など、SMバーのホステスをしていたのではないか。むしろ、様々な人間に触れ、社会や人間の実相をよく知っているのではないか。学校教師のように、ほとんど一生自分より年下の子供を相手にしてきた人間より「人生教養」ははるかに上だろう。
もっとも、泥の中に入れば汚れるのは当然で、そういう「人生経験」が有意義なものになるか、堕落の元になるかも当人次第だ。まあ、普通は危険なものは避けるのが無難な人生航路だろう。



(以下引用)



21. 2022年2月06日 18:29:25 : Sn698n5Lng eGtUbEpPT3EuZTY=[745]  報告
またさりげなく立憲ディスってるな、この元AV女優。

ホステス、AV女優の政治評論(笑)を真に受ける奴はアホですよ、アホw


自分たちに都合のいいこと書いてるからといって、
こんなの洗脳に決まってんだから、
相手にしたら危険ですよ、こんなビッチ。


22. 2022年2月06日 18:29:44 : Lmgal6ZixU ektMajE3czlTbHc=[2]  報告

 ヨネとSEXしまくってるか、銀座No1ホステス室井イイイイイイ!

23. 曙を待望するもの[319] j4yC8JHSll2Ct4LpguCCzA 2022年2月06日 20:04:22 : FAt0kYWxVo VVlMOUVwaVF1dzY=[878]  報告
いい人と結婚されましたね。米山氏が室井佑月さんに出逢うまでの女性たちがいかに男性を見る目がなかったかの証ですよ。

24. 2022年2月06日 22:06:56 : niyy4hTwUA OHU1UGRCUHhtN0k=[6839]  報告
>>21>>22
彼女の言い分とは全く関係ないところを騒ぐのは、彼女の言ってることが全く理解できないバカだからかな?
女性の方が賢いことを嫌う差別主義者だからかな?
何にせよ、君らのコメントは君ら自身を貶めてる(爆笑)。
(賢い女性の尻に敷かれるのが男性にとって良いことだと思えないのは、男性がバカだからだろうな……)

25. 2022年2月06日 22:41:43 : Sn698n5Lng eGtUbEpPT3EuZTY=[746]  報告
>>24
お前みたいな馬鹿が勝手に理解できてないことにしたいだけだろ

元ホステスを熱烈に擁護
そして元ホステス批判を暴力的に圧殺しようとしてる


ようするに、このビッチには工作員がいるということ、
このビッチも工作員ってことよ


26. 2022年2月06日 22:43:05 : Sn698n5Lng eGtUbEpPT3EuZTY=[747]  報告
いくらなんでも元ホステス、元AV女優の
政治論評(笑)をまともに相手にする奴はアホ。

なんで、そんなビッチが政治評論なんか
やれてるのか、そっちのほうを疑うべき


27. 2022年2月06日 23:19:42 : niyy4hTwUA OHU1UGRCUHhtN0k=[6847]  報告
>>25>>26
内容で判断すれば、君らが間違いだな。
ホステスはバカだと決めつけるのもバカの証拠。
背後に誰がいるかとか、ゴーストライターの存在とかは、とりあえず置いとく。
内容を見ろ。

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植民地経営の危険性

別ブログに書いた文章だが、ここに書かれたことは、「第二次大戦後にアジア各国が植民地からの独立を果たしたこと」の重要な理由なのではないか。逆に言えば、宗主国が「植民地経営の危険性」をよく理解して、「傀儡政権による間接支配」に切り替えた理由だろう。

(以下自己引用)
「(英国人記者が見た)連合国戦勝史観の虚妄」という本は、日本の右翼的知識人の影響が強い印象だが、イギリス人が、日本の保守系言論人の言い分を「正当だ」と見たのには一定の根拠も当然あるだろう。
まあ、その主張の大筋は別として、その中に、(戦争開始直後は)イギリス軍は日本軍にまったく歯が立たなかった、と書いてあるのは事実だと言えるのではないか。そして、その理由を分析した人は見たことがないが、これは、「それが植民地での戦いだったからだ」と私は思う。
つまり、植民地に駐留できる軍隊の規模や兵士数や武器数には限界があるわけだ。しかも、イギリスは当時、アジア全体に広大な植民地を持っていた。で、植民地であるからには、その国の原住民はイギリスを嫌っていたわけである。ある意味、イギリスは「敵地で、少ない兵力で戦った」と言えるだろう。つまり、負けて当然であったわけである。賢明な指揮官(パーシヴァル将軍など)は、戦うこともなく降伏している。それを批判するのは、戦争で無駄に兵士を消耗することを平気でできる馬鹿と、兵力が無くても精神論で戦えると思うキチガイだけだろう。

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日本人は「権威」も「権力」も嫌いな民族か

「in deep」記事の後半だが、非常に面白い統計が書かれている。
私自身は権力の可視的な獰猛な力も、権威の心理的拘束力も「はっきりと認識する必要がある」と考える者だし、権威と権力は社会秩序の維持にはある程度必要だ(私は「アナーキズム」はまったく認めないし、人類の文化の積み重ねとしての伝統を尊重すべきだという「保守主義者」である。)と考えているが、日本人の本来的性質として「権威も権力も大嫌い」というものがあるなら、それは非常に健全だと思う。つまり、それは権威や権力を「疑う」という健全さであり、その健全さを失った時に、日本は先の大戦時のような「全体主義国家」になったのである。その痛烈な不幸の経験から、日本人の権威・権力嫌いの意識は高まり、それがまた「共産主義」や「社会主義」への疑惑や感覚的反感にもつながっているのだろう。
だが、それと同時に日本人の国民性として「気概の無さ」というものもある。つまり、「長い物には巻かれろ」「泣く子と地頭には勝てぬ」という敗北主義だ。その敗北主義と、論理的批判能力の低さが安倍政権をあれほど長く続かせてしまったのである。また、ある権力や権威を否定することが、単に他の権威や権力への無反省な依拠によっている場合も多いだろう。
この問題はいずれ再考してみたい。
皮肉な言い方をすれば、日本人は「他人の権威・権力は大嫌い」だが、「自分が権威・権力を持つのは大好き」であるだけという可能性も高いだろうwww それが「なろう小説」の書き手があきれるほど多く、読者も多い理由なのではないか。「俺ツエー」とは、つまり、自分自身が権威・権力の持主になること以外の何物でもないのだから。

(以下引用)


ここから、ひとつの統計をご紹介します。


それを見るだけで、日本人は突出して他の国の人々とちがう部分を持つことが、ハッキリします。


実は、私は以前この統計を見て、とても感動しまして、「いつかご紹介したい」と思い続けていたのです。


しかし、それを単独でご紹介しても、この統計の意味がもつ「パワー」がわかりにくいなと思っていました。


今回のアメリカのブログ記事を見まして、


「ここだ」


と思った次第です。


何の統計かといいますと、「世界価値観調査」というものがありまして、これは Wikipedia の説明では以下のようなものです。

世界価値観調査 - Wikipedia

世界価値観調査(World Values Survey)は世界の異なる国の人々の社会文化的、道徳的、宗教的、政治的価値観を調査するため、社会科学者によって現在行われている国際プロジェクトである。


その 2010年版の調査項目の中に、


「権威や権力が今より尊重される将来が来ることを《良いこと》と考えますか?」


という質問項目があるのです。


つまり、現状の社会より、さらに「権威」と「権力」が増大する社会になってほしいかどうかという質問です。


これはですね、数字ではなく、ウェブサイトにありました「グラフ」で見ていただくのがいいかと思います。


日本があまりにも突出していることが「見える」ものです。


60カ国に対しておこなった大調査ですので、グラフがちょっと大きいですが、一番上を見ればいいだけですから。



社会実情データ図録


このダントツぶりは、すごいと思いませんか?


日本は、「権威や権力が今より尊重される将来が来ること」について、


・良いと思う人 → 4.7 %
・悪いと思う人 → 76.1 %


という、他のどんな国とも比較にならないほど、「権威と権力が嫌い」なのです。


2位は、「スウェーデンの憂鬱」について書きましたこちらの記事で取り上げさせていただきましたスウェーデンですが、それでも、


・良いと思う人 → 22.5 %
・悪いと思う人 → 50.2 %


と比較にならない差です。


その後に、台湾、韓国と続きますが、日本とはあまりにも数値がちがいます。


いくつかの国をピックアップしますと、以下のようになっています。


「権威や権力が今より尊重される将来が来ること」についての考えの比率


アメリカ
・良いと思う人 → 55.2 %
・悪いと思う人 → 7.1 %


ロシア
・良いと思う人 → 56.9 %
・悪いと思う人 → 3.5 %


ブラジル
・良いと思う人 → 76.4 %
・悪いと思う人 → 6.3 %


これらの数値を見た後、日本の数値を見ますと、改めて驚きます。


日本
・良いと思う人 → 4.7 %
・悪いと思う人 → 76.1 %


とにかく、地球の全人類の中で、日本人は異常なほど「権威が嫌い」なのです。


それが本当のところのようなのです。


しかし、それが本来なのに、現実の社会や生活がそうなっていない。


だから、精神もシステムも知性もおかしくなる。


昨日、テレビ朝日の報道で以下のようなものがありました。

「国や社会を変えられる」と思う若者は5人に1人

テレビ朝日 2019/12/03


「自分で国や社会を変えられる」と思う日本の若者は5人に1人しかおらず、国や社会に対する意識の低さが浮き彫りになりました。


日本財団が日本やアメリカ、イギリス、中国、韓国やインドなど9カ国の17歳から19歳、それぞれ1000人を対象にした調査によりますと、「自分で国や社会を変えられる」と考える日本の若者は18.3%で、残り8カ国で最も低い韓国の半数以下となっています。


また、「将来の夢を持っている」「国に解決したい社会課題がある」という質問への回答も他国と比べて30%近く低い数字でした。さらに、「自分の国の将来についてどう思うか」という質問に「良くなる」と答えた日本の若者は9.6%で、9カ国中最低となり、トップの中国の10分の1にとどまりました。


どうして、こういうことになったのかということもまた、先ほどの統計からわかるのです。


すなわち、


「本来の日本人の脂質」(脂質じゃねーだろ)


もとい、


「本来の日本人の歯質」(いい加減にしろ)


渋々ながら、きちんと書きますと(渋々かよ)、日本の若者たちが絶望しているのは、


「自分たちの中にある《本来の日本人の資質》と、実際の日本の社会のシステムの間に軋轢がありすぎる」


からです。


第二次大戦後に西洋人主導で進められた現在の日本社会のスタイルは、私たちに合っていない。


権威と権力が大っ嫌いな私たちには合っていない。


少なくとも、戦前は「権威と権力が大っ嫌い」という考え方に則って日本人が生きていたことは、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』などにも数多く出てきます。


たとえば、19世紀には西洋では「権威の頂点」だった「宗教」というものに対しても、日本人は以下のようなものでした。

渡辺京二著『逝きし世の面影』より

1871年に来日したヒューブナーはこのように記した。「私はこの国(日本)の有力者たちに信仰を持っているかどうか幾度も尋ねてみた。するといつも判で押したように、彼らは笑いながら、そんなことは馬鹿らしいと答えるのだ」。


バードは1878(明治11)年の東北地方縦断の際、久保田(現秋田)の師範学校を見学したが、校長と教頭に対して生徒たちが宗教について教えられているかどうか尋ねると、二人は「あからさまな軽蔑を示して笑った」。


「われわれには宗教はありません。あなたがた教養のおありの方々は、宗教は偽りだとご存じのはずです」というのが教頭の答だった。


リンダウは、「宗教に関しては、日本人は私の出会った中で最も無関心な民族である」と言う。日本には数多くの寺社があるにもかかわらずそうなのである。


日本では僧侶は「いかなる尊敬も受けていない」。


仏教と神道の区別もはっきりしない。民衆は「宗派の区別なく、通りすがりに入った寺院のどこでも祈りを捧げる」。しかし彼らは信仰からそうするのではなく、神聖とされる場所への礼儀としてそうしているのである。


何に対しても、権威には、この態度だったと思います。


このことを含めて、日本の精神的価値観の崩壊の歴史について、以下の記事で取りあげたことがあります。


「日本人の精神的崩壊は6世紀に始まり今完成しつつある」 : 宗教的信念はうつ病からの保護効果を持つという医学的研究から思う現代日本に根付く「病の構図」



いずれにしても、先ほどの権威に関しての統計は、


「私たち日本人がいかに他の民族とちがうか」


ということを強く示していることはおわかりになると思います。


ちがいすぎるほどちがうのです。


大事なことは「どちらがすぐれている」とか「すぐれていない」とかの「比較の問題ではない」ということで、これが最も大事なことです。


なぜなら「比較」というのは「同じ概念同士の延長線上にあるもの」だからです。


そうではなく、ちがうのです。


キュウリとコペンハーゲンを比較することができないように、まったくの「異物」は比較できません。


前回の以下の記事で、過去のメルマガから抜粋しましたけれど、そこに書いていることとも同じことです。


本来の日本人はちがいすぎる。



逆にいえば、先ほどの権威に対しての調査の結果は、他の国の人々から見れば「異常」にうつっていると思います。


得体のしれない民族。


わけのわからない民族。


エイリアンのような民族。


サルを食べる民族(今は食べないって)。


そう思われることもまたいいと思うのです。


それが本来の日本人なのですから。

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明月飛鳥氏の「日本国憲法」嫌悪

「反戦な家づくり」過去記事だが、明月飛鳥氏の「日本国憲法否定論」「革命(独立戦争)肯定論」を思考素材とするために転載する。まだ深く考えていないが、私はそのどちらにも否定的である。
もちろん、日本の「独立」は完全に肯定し、希求するが、その手段と当然の帰結(闘争と、それに当然伴う人命の多数の毀損や投獄など)を考えると、闘争ではなく、「議会を独立の意思を持つ政党で過半数を占める」という迂遠だが平和的な手段で目的を達したほうがいいという考えだ。そもそも、闘争で死ぬのが他人ならいいが、自分や自分の家族なら御免だwww 
まあ、あと100年後くらいに独立できたらいいのではないか。それ以前に、まず国内の膨大な不都合(格差社会など)を解消しないと、独立しても何のメリットも無いだろう。つまり、日本人が今の奴隷根性のままでは独立しても新たな支配者ができるだけだろうし、「独裁的大統領」が生まれるだけだろう。とりあえず、米国と堂々と交渉できる政治家を生み出すことだ。まあ、自衛隊が米軍の指揮下にある現状で、独立闘争など不可能に決まっている。それが「国軍」と名を変えても実体は変わらないだろう。
少し思ったのだが、ここに書かれた明月飛鳥氏の思想は、「天皇」関係以外は安倍や日本会議の思想とさほど変わらないのではないか。

(以下引用)

「戦わない日本」は正しかったのか?

タイトルに反戦を掲げるブログが、いったい何を言ってるのか?と思われるかもしれない。
ついにあいつは極右になってしまったのか、とリベラル諸氏に唾棄されるかもしれないが、やはり言わずにいられない。

「戦わない日本」は正しかったのか?

オリンピック一色のマスコミは、閉幕と同時に今年もアリバイのように戦争関連の番組を流すのだろう。そして、8月限定の「非戦の誓い」を誰もが口にする。
それで1年分の免罪符を手に入れて、残りの11ヶ月を安穏と過ごす。
 
日本の侵略戦争が極悪であり、二度と繰り返してはいけない ということには、何の異論も無い。
日本が受けた原爆や空爆という無差別殺戮も、決して許してはいけない。
その反省が、日本国憲法に込められているというのも、ウソではないと思う。
 
しかしそこには、重大な誤魔化しがあるのだ。
戦わない日本は、戦えない日本になった。
戦わない日本は、戦争の責任をとらない日本になった。
戦わない日本は、戦争と戦わない日本になった。
この事実から、誰もが目をそらし、知らないふりをしている。
 
それとこれとは別問題だろう と言う方にはお聞きしたい。
憲法に1条と9条が共存しているわけを。
護憲派の皆さんは「1条はちょっとモゴモゴ」と口を濁しながら、「9条最高!」と声を上げるが、そのモゴモゴは何なのか、はっきりさせてもらいたい。
 
1条と9条が共存している憲法など、学生時代に障がい者の同級生を虐待し、それを面白おかしくメディアで語っていた外道が、「ボクちゃん反省したので平和の祭典やっちゃいます、テヘ!」と言ってるようなもんだ。
これまで護憲派の皆さんに忖度してあまり口にしなかったけれども、私は日本国憲法を見ると胸くそが悪くなる。
 
日本を平穏に武装解除したいマッカーサーと、天皇制を護持したい幣原喜重郎のあうんの呼吸でできたのが日本国憲法だということについては、細部はともかく大枠はほぼ定説になっている。
 
もちろん、その背景に侵略された国の怒りはもちろん、多くの日本人の反省もあったことは確かだ。
しかし一方で、マッカーサーをして
「天皇を起訴すれば、間違いなく日本人の間に激しい動揺を起こすであろうし、その反響は計り知れないものがある。まず占領軍を大幅に増大することが絶対に必要となってくる。それは最小限10万の軍隊が必要となろうし、その軍隊を無期限に駐屯させなければならないような事態も十分ありうる」(上記記事より引用)
と言わしめるほどの、国体護持=戦争の反省などしていない世論があったということだ。
 
つまり日本国憲法は、戦争をしない非戦の誓いだけから生まれたのではなく、戦争を反省しない非省の意思も込められているのである。
そのことから目を背け、「憲法バンザイ 大好き!」と言っている時点で、すでに戦争との戦いを放棄しているのだ。
 
自らの手で、自らの戦争犯罪を裁くことが出来ず、憲法をその身代わりにした日本は、戦争と戦うことを放棄したばかりか、主権そのものを放棄してしまった。
数人のA級戦犯に責任をおしつけ、昭和天皇を筆頭に膨大な戦争犯罪、戦争責任を不問にしてもらうことと引き替えに、自らのことを自ら決める主権を放棄したのだ。
その象徴が在日米軍である。
敗戦直後にマッカーサーが「天皇を起訴すれば10万の軍隊を無期限に駐屯」することになると言っていたが、何のことはない天皇が存続し76年経った今でも、4万の軍隊が事実上無制限の権限をもって無期限に駐留している。そして、そのことにごく少数の人以外は違和感すら感じていない。
 
安倍晋三が悪行の限りを尽くしても、菅義偉がいかに無能無策を続けても、利権にまみれたオリンピックのためにコロナ激増で医療崩壊を招いても、温和しくお行儀良く言うことを聞く「戦わない日本」の姿は、戦争犯罪を自ら裁くことをせず、その代わりに憲法というまやかしをもらって喜んできたことの帰結だ。
原発が目の前で爆発しても、ほんの数ヶ月で忘れてしまう「戦わない日本」は、原爆を落とされた被害者が「過ちは繰り返しませぬ」と言ってしまう日本の延長線にある。

NETFLIXで、映画とドラマをみた。
映画は「タクシー運転手」。ドラマは「ミスター・サンシャイン」。
いずれも韓国の制作で、前者は1980年の光州事件(蜂起)を、後者は19世紀末から20世紀初頭の抗日義兵がテーマとなっている。

とくに後者についてはネトウヨが反日だと言って叩きまくっているが、抗日義兵の話なのだから反日なのは当たり前だ。バカじゃないか、と思いつつ、没入度200%で見入ってしまった。
光州蜂起については、2007年に作られた「光州5.18」のほうがよりリアルに伝わってきたように記憶するけれども、この作品も普通のオッチャンの目を通して描くことで、心に響く映画になっている。

そもそも朝鮮半島は大国の中国に常に圧迫されながら、なんとか独立を保ってきた歴史がある。中国依存派と独立派の対立は、歴史物語のメインテーマと言ってもいいのかもしれない。
19世紀末、そこに割って入ったのが日本だ。1880年代から干渉を強め、1894年の日清戦争から日本は李氏朝鮮(大韓帝国)を事実上の支配下に置き、王妃を暗殺し、朝鮮軍を解体し、ついに1910年には国をまるごと潰して併合してしまう。いわゆる日韓併合である。

この日本の傍若無人の行いに対して、朝鮮各地で義兵が決起する。あるときは散発的に、あるときは大挙して戦い、いずれも勝利はしなかったけれども、その歴史は世代を超えて受け継がれていく。
1919年の三・一運動から戦時中の抗日独立運動、1960年の四月革命、1980年光州蜂起、1987年民主化闘争と続き、やっと植民地と軍事独裁からの解放を勝ち取った。
義兵の戦いや三・一運動は日本軍に鎮圧され、独立運動は李承晩と金日成という独裁を生み出し、四月革命は朴正煕のクーデターに倒れ、光州蜂起は全斗煥のクーデターで新たな独裁に終わってしまった。それでも諦めずに戦いを受け継いだ結果だ。

今の韓国の政体がすばらしいということではなく、日本人が戦争責任をとらず、主権を放棄したかわりに棚ぼたで手にした形ばかりの「民主主義」を獲得するために、韓国ではこれだけの戦いを経てきたということを言いたいのだ。
そして、どちらかと言えばこれが世界史の「普通」なのである。

憲法1条と同じように、護憲派やリベラル諸氏が口を濁すのが「独立」だ。
「対米従属はアカン」とか「日米安保粉砕」とかは言うのに、なぜか「日本独立」になると、それはモゴモゴといたって歯切れが悪い。

独立について書き始めると長いので、今日は簡潔に書くけれども、要するに「日本独立」は極右のスローガンだと思っているのだろう。
しかし、実質植民地にされていることは、政治に関わっている人たちは、とくに安保粉砕などと口にする人は、皆よ~く知っている。だったら、独立闘争しかないではないか。
植民地に内実のある民主主義など成立しっこない。独立して、自分たちのことは自分たちで決める、と国民が腹をくくってはじめて、民主主義は機能する。
なんとなく極右に間違われるから なんていう情けない理由で、本質から目をそらせてはいけない。

私が、自由党を支援したのも、いろいろ言いながらもれいわ新選組の近くでウロウロしているのも、一番大きな理由はじつはここにある。
小沢一郎さんの言うところの「自立と共生」は、私の解釈では「独立と民主主義」だ。
「戦わない日本」を手に入れるために、主権を放棄して戦争とも「戦わない日本」になってしまった戦後日本の姿を、ラディカルに揺さぶり目を覚ます可能性が、まだきっとあると信じたい。

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「左翼文学」と「右翼文学」

ただの思い付きだが、「左翼文学」はあっても「右翼文学」はない、と言うか希少である、というのは何を示しているのだろうか。もちろん、文学そのものから政治性を排除した作品のほうがはるかに多いが、第二次大戦後の世界の文学潮流は左翼文学が席巻したと言えるのではないか。
まあ、左翼文学というのの定義は曖昧だろうし、それ以前に「文学」という言い方もかなり抵抗を人に与えるとは思う。しかし、「右翼文学」はほとんど存在しない、というのは面白い事実ではないだろうか。三島由紀夫は幾つかそれらしいものを書いてはいるだろうが、彼以外には思いつかない。それは、「右翼とは何か」という問題を考えるヒントになるかもしれない。
右翼が「保守主義」と近しいと言っても、たとえば古典に題材を取れば右翼というわけでもない。芥川龍之介は初期に古典を題材にした作品をいくつも書いたが、まったく右翼的ではない。
では、左翼はなぜ文学と親和性が高いのか、と言えば、それは明らかに「政治や体制への不満」は文学化・作品化しやすいからだろう。もちろん、「現在の体制」だけでなく、「世界が進みつつある方向への懸念」もSF的な文学となる。オーウェルの「1984年」などがそれだ。
つまり、右翼は現在の社会や現在の政治や伝統を肯定しており(あるいは不満を特に持たず)、左翼のように文学と政治を結び付ける(文学を社会改革の道具とする)ことを好まないのではないか。三島由紀夫も「政治思想」としては他者に理解不能な文章しか書けなかった、というのは前に私が書いた文章で明白だろう。
まあ、右翼というのは要するに「反左翼」として発生したもので、その心情を単純化すれば「社会全体の根底的改革は有害無益だ」となるのではないか。そんなのは当たり前であり、現在の文化というのは過去を土台としており、その土台を変えれば、ビルの一階部分を破壊するようなもので、ビル全体が大破するに決まっている。どんな社会も細部は欠点があるが、それを修繕するのが政治であって、社会全体の体制の破壊は利益と被害とどちらが大きいか分かったものではない。おそらく「革命」の結果は新しい利益集団が生まれ、新しい支配者が生まれるだけだろう。
ちなみに、オーウェルは「社会主義者」だったが「共産主義」には断固として否定的だったようだ。その点では私とまったく同じである。

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アメリカはなぜ第一次世界大戦に参加したか

昨日、アマゾンプライムで「ヨーク軍曹」を見たのだが、見るのは二度目か三度目である。まあ、大筋は知っていても、細部は忘れていた。で、これが重要な映画であるのは、この中で「聖書では『人を殺すなかれ』と書かれているのに、なぜ戦争での殺人は許されるのか」という重大な問題と、それに対する聖職者や軍上層部の屁理屈が描かれているからだ。要するに「自由や人権を守るための戦争だから、戦わなくてはならない(当然、殺人は肯定される)」というものだったと記憶する。映画制作陣は、「ヒューマニストでありながら戦場で大量殺人をした主人公」を英雄として描くのだが、視聴者はどう思うだろうか。もちろん、殺すか殺されるかの場である戦場では、自分や仲間の命を守るためには「敵」を殺さねばならなくなる。そこでは「良心的兵役(兵務)拒否」など通用しない。つまり、戦場に投じられた時点で殺人は義務になるわけで、では、その戦争はどのようにして、どんな理由で起こるかだ。アメリカには、第一次世界大戦に参加する積極的な理由など無かったのである。だが、米国民はこの「自国にとってほとんど無意義な戦争」にほとんど反対しなかったのはなぜか。

(以下引用)


奥の男性がカーン・アカデミー主宰のS. カーン氏

カーン・アカデミー動画:「世界史-20世紀-アメリカの第一次世界大戦参戦」から、アメリカが参戦した理由の考察 (前編)。

 


引き続き、カーン・アカデミーの教育動画の紹介です。


今回は「世界史・20世紀・アメリカの第一次世界大戦参戦(United States enters World War I / The 20th century / World History /)」を取り上げます。


非常に濃い内容なので前編と後編の2つに分けての紹介です。

1914年に始まった第一次世界大戦当時、アメリカはイギリス・フランスの連合国側へ多大な援助はしていたものの、ヨーロッパにおける戦争に直接参加することからは距離を置き中立の立場をとっていました(枢軸側へも若干の援助をしていました)。


1916年に第28代アメリカ大統領として再選を果たしたW・ウィルソンは、選挙時の公約であった<ヨーロッパの戦争への不参加>から立場を一転、1917年4月2日に開かれた議会にてアメリカの参戦を呼びかけます。


結果は民主党・共和党の枠を越え開戦賛成派が大多数を占め、2日後に決議通過、6日にはアメリカはドイツに宣戦布告をします。


ウィルソンの演説内容は、それまでヨーロッパでの紛争から距離を置いてきたアメリカが参戦しなければいけない理由を述べています。


その理由は;


1、ドイツ潜水艦による無差別攻撃。1915年のルシタニア号事件(イギリスの客船ルシタニア号がドイツ潜水艦によって撃沈され、128人のアメリカ人乗客が死亡)が有名。


2、ツィンメルマン電報事件。1917年、ドイツ帝国の外務大臣ツィンメルマンがメキシコ政府に送った暗号文書がイギリスに傍受された事件。内容は、アメリカが参戦した場合にドイツとメキシコが同盟を結びアメリカと戦い、戦争勝利後にはアメリカの領土を分割する提案だった。これがイギリス側に傍受されアメリカ政府に伝えられ、アメリカ国内の新聞等で発表された。


3、ベルギー侵攻でのドイツ軍による残虐行為(Belgium Atrocity)。1914年の開戦当時、ドイツはフランス侵攻に先駆けて中立国であったベルギーを侵攻。その際にドイツ軍による民間人への残虐行為があったされた。イギリスはこれをアメリカ国民の感情を参戦に向かわせるためのプロパガンダとして使用した。


4、ウィルソンが最も力説したのは、民主主義のために戦うというイデオロギーによる国民感情の鼓舞だった。枢軸側であったドイツ帝国もオーストリア・ハンガリー帝国も専制君主制の国家だった。連合軍側は、イギリスは王政ではあったが実態は民主主義制の形をとっており(英連邦の中で投票権のある国民にとっては)、フランスは民主主義国家であった。よってウィルソンは「アメリカが戦うのは人民のため」という大義を掲げた。


この後カーン氏は「では、別の角度から少々シニカルな見方も考えてみよう」とギアを切りかえます。


ここでは、アメリカが参戦した理由として以下の事実に焦点が当てられます;


1、イギリスとアメリカの間には金融面での強い繋がりがあった。1913年にウイルソンが承認して設立された連邦準備銀行が中心となり、アメリカはイギリス・フランスに莫大な融資をしていた。


2、イギリスによる非常に効果的なプロパガンダ展開。アメリカ国民の参戦へのセンチメントを高める目的でイギリスはアメリカ国内で盛んにプロパガンダを展開しました。ツィンメルマン電報事件や、ベルギー侵攻でのドイツ軍による一般市民への残虐行為や、ルシタニア号事件を祝うドイツ国民の様子を伝え、アメリカ国民にドイツに対する怒りを植え付けることに成功(ベルギー侵攻時の残虐行為は事実とされるが、ルシタニア号撃沈を喜ぶ一般ドイツ国民というのはイギリス側の捏造報道であったとしている)。


3、戦争で利益を得る層からの議会に対する(参戦を促す)ロビー活動。カーン氏はここで「すべての戦争がそうであるように、戦争の真の目的がここにある。アメリカが参戦すれば、兵器や軍需物資の大量注文が舞い込んで儲ける層が存在する。さらにはウォール街の投資家たちだ。すでに彼らは巨額の資金を連合国側に貸し付けていたので連合国側が負けると大損をすることになり、彼らはそれを避けたかったのだ」と解説しています。


カーン氏はこのあと、ウイルソン大統領の議会演説と、当時の議会では少数派となった参戦反対の意を唱えたG.ノリス上院議員の演説内容の比較しています。


これも非常に興味深い内容なので、よろしければ引き続き後編もご覧ください。


–以下、後編へ−


 


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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