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政府が「墓場」の面倒を見てくれればすべて解決www

「阿修羅」記事のコメントのひとつだが、わりと的を射た意見だと思う。
「人類の95%を削減する」というのがアジェンダ何とかの中にあったかどうか覚えていない。数字が違うような気もするが、仮にその数字が正しかった場合の世界はどうなるのか、と空想するのもムダではないだろう。で、それに庶民が対抗するのはほぼ不可能であるわけだが、せめてワクチンごときに殺される愚は避けたいし、若者や子供の命は救いたい。まあ、年寄りは十分生きて人生を味わっただろうし、生きること自体が身体的苦痛との戦いだから、生に固執するほうが苦悩の種になると思うが、それは人好き好きだ。
私としては、何もワクチン陰謀で殺さなくても、「死後の遺体の処理や法的手続きはすべて無料で政府が面倒を見ます」となれば喜んで死ぬ老人や貧乏人はたくさんいると思う。で、金持ちだけが生き残った世界というのはどんな世界になるやら。自分で働いて百姓仕事でもするのかwww
ちなみに、記事タイトルはもちろん「揺り籠から墓場まで」を下敷きにしている。


(以下引用)


10. 2022年1月16日 00:01:13 : UikNYSSTx6 MjNRZkdqZlF5WHc=[43]  報告

アジェンダ21の「2030年までに、人口を95%減らして(人々をワクチンで殺して)人類をたった5%にしてしまったという世界」を想像してみてほしい。


95%もの人間がいなくなるということは、単純に考えても、収益が95%以上減るということだ。中小企業はもとより、大企業、マスメディアにしたって生き残ることは不可能である。


グローバル企業など、いの一番にブッつぶれるだろう。世界中の人間相手にグローバルに経済活動してきたからそれらが突如として消滅するのだから至極当然である。


客は死に絶え、従業員は死に絶え、生産工場でも死に絶え・・・中小大にかかわらず経営継続不可能、そしてそれは人間のほとんどがいなくなるのだから不可逆的に近い。


税金を取れなくなった国家も消滅し、たった二家にすべてが搾取される・・・。それがグレートリセットの正体だ。


人類の95%が消滅したら、メディアなど存続できるはずがないのである。


人類を大量殺戮するような毒入りワクチンを推進するということは、メディア自らの死をも意味するのだ。

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副島隆彦と「天皇」

副島隆彦の「学問道場」記事の一部で、この部分だけ見ると「尊皇主義」だが、それは私と同様に「象徴天皇制」のメリットは、天皇という存在を廃止するメリット(何があるのだろう?)より大きいという考えだろう。そして、副島が「日本国憲法」護持派であることと、彼が「日本の、属国からの脱出」を生涯の研究テーマとしていることは矛盾しないと私は思う。
日本がアメリカの属国であることから脱出した時に、「天皇の存在しない日本」と「天皇の存在する日本」とどちらを選ぶかの選択肢が出て来るが、私は、天皇の存在しない日本、つまり「国民統合の象徴」の存在しない日本は今のアメリカのような「カネがすべて」の無道徳で下品な国に成り下がると思っている。まあ、要するに、「絶対権力を持つ大統領として『安倍晋三』が君臨する国」を想像すればよい。(もちろん、「安倍晋三」はたとえで、同類の人間のことだ)
皇室の存在価値は「日本人の品位」を保持することにある、というのもひとつの考えで、日本の皇室がイギリス王室のようなスキャンダルまみれの皇室になれば、その時は「皇室の廃止」が政治議題になるだろう。小室親子による「侵略」は「皇室の品位の危機」だったわけだが、眞子様の「臣籍降下」(この言葉は皇族以外を天皇の「臣下」とみなす、敗戦以前の「死語」だから「皇籍離脱」「皇籍除籍」と言うべきか)によってその危機は去ったわけである。しかし、同じような危機はこれからも起こるだろう。私は、天皇であることや皇族であることは、一種の「人権剥奪」でもあるから、天皇や皇族の「人生」にとっては重荷だろうな、とは思う。しかし、日本人のような「集団でしか生きられない」民族には国民統合の象徴は必要だろう。
なお、絶対君主としての天皇(日本の歴史で天皇が「絶対君主」であったことは無かったと思うが、「国家主権者」ではあった。)と、「象徴天皇」とを比較して、後者における「天皇制(つまり、天皇という政治的装置)」に何のデメリットがあるのだろうか。


(以下引用)

 日本が、形の上だけでも、民主政(これを、本当は、デモクラタイゼイションと言う)になったのは、ほんの77年前の敗戦のあとの、新憲法体制のときだ(1946年公布)。この新憲法の1条で、天皇を、国民統合の象徴(シンボル)だと、決めた。

 この今の憲法体制を、いくら、安倍晋三たちが、改正して徴兵令を憲法の中に入れたくて、あがいて策動しても、簡単には出来ない。日本は、戦争が出来る正常な国になるべきだ、という考えは、危険であり、大きなダマシだ。安倍晋三たちの、邪悪な憲法改正の策動に乗ってはいけない。

 天皇は、日本国民の団結の象徴である、という考えで、このあとも、日本国民は、動いてゆく。天皇がいてくれたほうが、日本民族は一致団結して、国難に立ち向かえる、という素朴な、しかし強固な民族感情の上になりたっている。これを壊す必要はない。
日本の天皇家は、戦後は、ヨーロッパ各国の愚劣で、国民の評判が悪い王政国家とは違う。イギリス国王の藩屏(はんぺい)で、あるスウエーデンも、オランダも、ベルギーも、スペインも、国王たちは、ものすごく評判が悪い。 日本は、敗戦後の昭和天皇の深い反省をしっかり受け継いでいるから立派な王室だ。


 慰霊祭の場で、安倍首相を厳しく睨みつける天皇と美智子皇后

 明仁上皇と、美智子上皇后 が、毎回、壇上の貴賓席から、厳しく睨みつけて、ずっと激しく怒っていたのは、安倍晋三に対してである。 安倍晋三たちぐらい、天皇家を蔑(ないがし)ろにして、昭和天皇の 「日本は、2度と戦争をしない。騙されて、愚かにも、戦争に引きづり込まされた。私は、バカだった」という固い不戦の誓いを、一番、毛嫌いして、一番、今の天皇を憎んでいるのは、安倍晋三たち、統一教会のキチガイたちである。

 統一教会(帝都ワシントンでも猛威を振るっている)の世界最大の資金源である、笹川財団(英語では、the US -Japan Foundation 、ザ・ユーエス・ジャパン・ファウンデイション)は、朝鮮系の団体だ。 ドンの笹川良一は、統一教会と同様に朝鮮人である。このことは、韓国、北朝鮮では公然の秘密である。誰でも知っている。

 このように、私、副島隆彦が、書くと、ひどい人種差別の人間に私がなってしまうことを私は分かっている。だが、朝鮮人、韓国人を、あれほどに軽蔑して、チョーセン人、チョン公 嫌い、嫌韓(けんかん)を言い続けた、日本のバカ右翼、言論人どもに、私は、腹の底から、怒っている。アジア人どうし、尊敬しあって、仲良くしなけばいけない。

 だから、私が、「お前たちの大親分の、笹川良一こそは、おまえたちが、大嫌いな、朝鮮人じゃないか。お前たちの頭は、一体、どうなっているんだ。 なあ、橋下徹よ、曽野綾子よ」と、私は、書く。だから、私は、安倍晋三たち、統一教会の バカ右翼たちに、大きなケンカを売る。

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リベラルとは何か

「阿修羅」某記事のコメントだが、「リベラル」という主義・思想・党派についての思考のきっかけになるので転載した。
私自身が基本的に保守主義者であることはブログを始めた最初のころから何度か書いた気がするが、それ以前に「自由」あるいは「自由主義」というものには昔から大きな疑念を抱いていたのである。
で、リベラルとは何か、と言えば、ごく簡単に言えば「自由主義」だろう。そしてリベラルは通常「社会の進歩」を主張するものである。ある意味、「社会進化論」だ。だが、進化論とは「弱肉強食(適者生存)」の思想なのである。その適者とは何かと言えば「勝者」のことであり、つまり「勝った者が正しい(勝てば官軍)」という思想だ。私は、これは「正義に悖る、非道な思想」だと考える。
進歩は常に「古い物の破壊と廃棄」が大原則であり、その良否をきちんと問うことをしないままで「新しいのは優れている。古いものはダメ」と見做す習性が「進歩主義」にはある。(これは次々と新しい商品を作って売って、古い商品を廃棄させるのだから、資本主義と進歩主義、あるいはリベラルは相性がいい。当然、大量消費で大量のごみを生み出し、資源を掘り尽くし、地球環境を最悪化していく。その言い訳がSDGsだが、これが単なるお題目だと分かっている者は少ない。)だから、若者は基本的にリベラルを好むが、そういう連中が老人(つまり「古い物」)になってもリベラルという立場を変えないのはなぜかというと、自己愛のためである。「自分がずっと言い続けていたことが間違っていた」と認めたくないために、老人が自分を含めた「古い物」を否定し続けるという喜劇だ。
もちろん、その時その時で「見込みのありそうな勝ち馬」に賭けて、勝負が済むと前の自分の発言など無かったように振る舞う、というのもジャーナリストには多いが、基本的にマスコミは若者(騙しやすい)を対象とするから「固定的」リベラルが多い。で、その中には本気で自由主義が正しいと思っている単純な者も多いだろう。(特にマスコミにとって「表現の自由」は自分の死活問題だから、自由は拡大すれば拡大するほどいいと思っている。)だが、その行き着く先が「新自由主義」なのである。そして、ほとんどのリベラル方の人間は「どういう種類の自由か」「誰にとっての自由か」をまったく考えていない。実はそれ(新自由主義)は「支配者(上級国民)の自由を無制限に拡大する」ということなのだ。つまり、下級国民の自由は失われる。
自由が拡大すればするほどいいなら、キチガイの自由を拡大し、総理大臣にしてみたらいい。
まあ、現実にそれに近い歴史的事件は多いし、人間の屑が総理になった例は無数にあるのだがwww

(以下引用)


1. 2022年1月13日 15:08:12 : bC7BzPnf9Y dXo0ZklwcHhyQTI=[525]  報告

我が国の厚労省は過去の薬害事件から、遺伝子注射に及び腰なのだろう。

遺伝子注射に必ずしも積極的ではない。岸田政権も基本的にはそのスタンス。


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アメリカも日本も遺伝子ワクチン接種を強烈に推進しようとしているのは


リベラル勢力。


安倍・菅政権になにかと手厳しかった玉川徹氏も、安倍・菅政権時代、


政権批判の記事でリベラル勢力の先棒担ぎをしていた日刊ゲンダイも、


PCR検査と遺伝子注射に全幅の信頼を寄せ、医薬マフィアのグローバリズムには


諸手を挙げて迎合している。


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リベラルならではの異様なまでの正義感(=単なるポーズ)と


リベラルならではの自らの言動への無責任さが顕著に現れている。


新型コロナを5類に落とせと言う安倍は


ステロイド頼みの我が身がそう正直に言わせているのだろう。


嘘八百、身から出た錆ばかりの安倍だが、珍しく正しいことも言う。


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遺伝子注射が未曾有の薬害とあからさまになった時、


玉川氏および正義感ぶったリベラル勢力は総括されるだろうね。




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「殺人」論

「徽宗皇帝のブログ」に書いた記事が中途半端なので、後を続けてこちらに書く。

他の生命を殺さないと生きられないのが全動物の宿命ではあるが、それを拡大すると、「人間を殺してもべつにかまわない」という思想になる。たとえば、戦争否定主義者の私も、死刑を否定はしない。それは「死刑になる人間は既に誰かを殺しており、それなら自分が殺されることも論理的に否定できないはずだ」と思うからだ。つまり、「公平・公正」の観念を私は法の基礎に置いており、死刑はその大原則にかなうわけだ。しかし、戦争という「理不尽な死」は許容できない。

ここで言う「殺人」は、単に「自分の手で殺す」ことではなく、「(意識的に)他人の死の原因になる」ことである。つまり、誰かに命令して殺させる場合は、その命令者こそが「他人の死の原因」になっているわけであって、「実行者」は実は殺人の主犯ではないし、「犯罪者」ですらない場合が多いと思う。死刑執行人や兵士などだ。
この考え方(誰に「死の責任」があるか)によって、「死刑執行人による殺人」や「戦場における兵士の殺人」の主犯者は死刑執行人や兵士ではなくなる。また、直接の命令者はその上司からの命令で下に命令したなら、上司がより重い「命令責任」がある。これは組織論として当然だろう。では、死刑囚に死刑判決を下した裁判官や死刑を求刑した検察官には「殺人の責任はあるか」と言えば、これは最初に書いた「死刑になる人間は既に誰かを殺しており、死刑になるのが正義にかなっている」という考えによって免罪される。しかし、戦争による殺人は「戦争を起こした人間」「戦争を起こす原因を作った人間」が主犯となるのは当然である。しかしまた、「敗戦国の政治責任者」だけが裁かれるというのは正義にかなっていない。
「戦争でカネ稼ぎをするために戦争を煽った資本家たち」が実は一番の戦争責任者だと私は思っているが、それを裁く術(すべ)は無い。まあ、近代の戦争はすべて誰かのカネ稼ぎのために起こされていると私は思っている。もちろん、政治責任者の罪も大きい。

なお、私は殺人の中でも、当人が希望した「尊厳死」「安楽死」をさせることは「自殺幇助」であり、「殺人」とは別のものだと見做している。つまり、これ(自殺幇助)は犯罪ではない、と見るわけだが、場合によっては「自殺幇助」だという立証が困難なこともあるだろう。





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「異常気象」と「地軸の傾き」

「神戸だいすき」さんは、書いた文章の端々から我の強さが見えて、私があまり好まないタイプの人間だが、そのブログは時々「えっ? そうなの?」と思う情報が含まれていたりするので、わりと目を通す。で、下に書かれた「最近の小学校では(中学校でもか?)地軸の傾きの角度を教えていない」という情報も、驚いた。
私は前々から、「異常気象と言われている現象は、地軸の傾きが変わったからではないか」という説をこのブログや別ブログで唱えていたが、神戸だいすきさんのこの情報が正しければ、私の説は正鵠を射ていたかもしれない。毎度言うが、「洗濯機の中の洗濯物がいつも同じ状態で回っているはずがない」わけで、太陽系の惑星間の位置関係も超長期的には必ず変わっていくはずだ。特に、最初に変わるのが、地球の場合は太陽に対する地軸の傾きの角度だろう。いわゆる極の移動と言われているのも、正確に言えば、地軸の傾きの角度の変化ではないか。
とは言っても、実は私は異常気象など、大したことではないと思っている。気象など、異常であるのが正常だ、と思っているくらいだ。まあ、四季の変化などにはさほどの異常は無いわけで、せいぜいがどこかでハリケーンが起こったとかいうレベルの話を「異常だ」とするのがおかしいのである。台風だろうが地震だろうが「起こるのが当たり前」なのであって、自然災害というのはすべて、それに対する備えを怠ってきた為政者や暢気に政治を人任せにしている住民たちによる「人災」だというのが私の考えだ。
今から予告しておくが、梅雨入りした時に長雨が続いたところでは川の氾濫が起こり、家屋が浸水し、山崩れが起こって何人も死ぬだろう。その備えをしていないのだから当たり前である。
最初の話に戻れば、学校で地軸の傾きの角度を教えなくなったのは、それが以前と変わっていることを知られたくないからだろう。それが知られたら、「地球温暖化詐欺」に支障が出るわけだ。「異常気象は地球温暖化のためであり、温暖化は二酸化炭素が増えたからだ」というシナリオに多くの人が疑問を持つ可能性が高いとDSは考えたのだろう。どこまでも用意周到である。もちろん、各国政府や学界の支配者たちには「地軸のことはあまり触れるな」と命令していると思われる。日本の場合は「指導要領」や教科書からいっせいに「地軸の傾き」の角度の項目が消えた時期があるのではないか。
まあ、以上は、「神戸だいすき」さんの情報が正しければ、という前提の話だ。
言っておくが、小学校や中学校や高校の科目で私が一番苦手だったのは(高校での数学を除けば)理科と社会科だったので、そういう「理科落第生」の妄説だ、と思われても結構だ。

(以下引用)

それと、小学校で金科玉条のごとくならった、地軸の傾き23,5度だっけ?
あれ、最近は、教えてないでしょ?

なぜ、教えないんですか?動いているからではないのですか?
また、北極点も移動していたり。

たいへんな事態を予感させる、地球と太陽の関係が、あるのではないでしょうか?


(夢人追記)こういう記事があったが、これは意図的に原因と結果を逆さまにしていると思う。気候変動の結果地軸の傾きに変化が生じたのではなく、地軸の傾きの変化によって気候変動が生じたと見るべきだろう。地球上の各地方の太陽に対する角度の変化が地球の四季変化の原因なのだから、当然、地軸自体の角度変化は大きな気候変動の「原因」であるはずだ。地球のように巨大な質量を持った物体に対して、その表面のわずかな水の移動が地軸を傾かせるほどの力を持つはずがないだろう。

気候変動の影響で地球の自転軸がずれた──最新研究

Earth's Axis Has Been Shifted by Climate Change, Study Says

2021年4月27日(火)20時45分
アンダース・アングルシー
地球のイメージ

地球の地軸は80年以降に約4メートル移動したと推定される LuisPortugal-iStock



<地球温暖化で氷河が溶けたことで、地球上の水の配分が大きく変化したせいだという>


地球温暖化は地球の自転軸(地軸)にもずれをもらしていることが、最新研究で明らかになった。


地軸が地球の表面と交差する点である地理極(北極点と南極点)は固定しておらず、地球上の質量の配分が変われば、地軸と地理極が移動することもある。科学者たちは、(温暖化による)氷河の融解が原因で大量の水が移動したことが一因で、地理極が急速に東方向にずれていると指摘する。


1980年以降、北極点と南極点の位置は約4メートル移動したと推定されている。米地球物理学連合が発行する科学雑誌「Geophysical Research Letters」が新たに掲載した査読済みの研究報告は、1990年代以降の移動については、氷河の融解がその主な原因だと指摘。それに比べて、地下水のくみ上げはさほど大きな影響はなかったとつけ加えた。報告によれば、海流などの自然因子もまた、地軸の移動に影響を及ぼした。


研究チームは、2002年から地理極の移動を追跡している重力観測衛星「GRACE(重力取得による気候実験)」のデータを独自の数学モデルで分析し、その結果を発表した。

「唯一の理由ではないが大きな影響を及ぼした」

チームを率いたのは中国科学院の地理科学・資源研究所に所属する邓珊珊。中国政府が研究資金を提供した。


研究者たちは、1990年代半ばに地理極が南向きから東向きに移動したことを発見。また1995年〜2020年にかけての地理極の移動スピードは、1981年〜1995年に比べて17倍速かったと指摘した。


「氷河が融解した結果、陸水(内陸部にある河川や湖、湿地や雪氷などの総称)の貯水量の減少が加速したことが、1990年代以降の地理極の急速な移動を後押ししている主な理由だ」と報告書は指摘し、こう続けた。「この新たな所見は、地理極の移動と気候変動が過去に密接に関係していたことを示している」


研究チームは、気候変動は地理極の方向が変わった唯一の理由ではないが、観測を行った期間については、気候変動が大きな影響を及ぼしたことは確かだと述べた。









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日本語の「学術用語」「議論用語」の問題

「逝きし世の面影」記事の一部だが、justiceの根本義を「ぴったり」とするのはどうなのかなあ、と思う。まあ、justなら「ちょうど」の意味で「ぴったり」でいいが、justiceは英語でもやはり「正義」に近い意味で用いているのではないか。より英語の根本義に近い訳語は「公正」だろうと思う。少なくとも「ぴったり」の意味でjusticeは使わない気がする。
手近な英和辞典の例文:Many Japanese are more conserned about fearness than justice.「多くの日本人は (裁きの)公正よりも(扱いの)公平さを気にかけている」
この例文からも感じられるが、justiceは日常語というより、学術性が高い言葉なのではないか。つまり、「抽象的議論」向きの言葉だと思う。
まあ、下記記事全体の議論の趣旨には賛同する。英語は基本的に日常語がそのまま学術用語や議論用語として使われることが多いと思われ、その点で日本の多くの「明治期に翻訳語として作られた熟語」は日常性から乖離しているようだ。
ただし、ここで言われている中で、「権力」が「正義」や「正しさ」(のニュアンス)を併せ持っている、というのは頷(うなず)けない。単に、「政権側」と「権力」が結びつけられるだけで、「反権力」は「反政府」であるにすぎないだろう。ただし、ネトウヨ的には「反政府」=「不正義・悪」であるわけだが、これは単なる党派的思想にすぎない。もちろん、日本人の大半がネトウヨ化している、というなら、それも否定はしない。

(以下引用)

正義justice(ぴったり)、権利right(正しい)、権力power(力)等々、英語ならこれらの語は特別な意味を持たない普通の日常語だ。残念ながら日本語では日常を離れた翻訳語を使うしかないからいつまでも「お仕着せ」のままになる。仕方がない、逆にこれらの語を日常語にしていくしかないだろう。
 
正義justice(ぴったり)、権利right(正しい)、権力power(力)は特別な意味を持たない普通の日常語
 
漢字の本場の中国の現在の正式な国名「中華人民共和国」では中国製は「中華」だけで、それ以外の「人民」や「共和国」は全部が日本製の新しい言葉だったとの愉快な話があるが、150年前の「王政復古」(明治維新)後に当時の知識階級(多くは旧幕臣で明治政府の官僚として雇われた士族たち)が外国語を日本語に翻訳した「造語」が現在まで続いているが、これ等の新造語には元々の英語などになかった「特別な付加価値」が付いていた。
英語のjustice(ぴったり)の訳語である「正義」が、現在のように暴走すれば必ず不幸な結末を迎えるのは当然である。
元々個人の確立も権利意識も低かった我が日本国では、right(正しい)の訳語として当時のインテリ官僚が「権利」の言葉を作ったのは大失敗だった。「権利」を元々の「正しい」(right)とすればイメージが180度コペルニクス的に逆転するのである。
 
特に問題なのは「権力」power(力)で、150年後の現在では「正義」や「正しさ」をも併せ持つ不思議な言葉(スーパー・パワー)に進化していたのですから、それなら「反権力」とは自動的に「悪」や「不正」との負のイメージは避けられないのである。
その意味では「権力」べったりの維新の会代表の松井一郎お馬鹿Twitterは素晴らしい。そもそも正義justice(ぴったり)、権利right(正しい)、権力power(力)等々英語なら特別の意味を持たない日常語だったとの中嶋哲史の指摘がピッタリ(★注、確かに維新の会代表の松井一郎には権力はある。ところが正義も正しさも無いばかりか、知性や教養も一切ないとはアッパレ。あきれ果てる)


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日本の貧困生活の守り手「100円ショップ」

日本の貧困化を問題視するのはいいことだが、「100円ショップ」のお陰で日本人貧困者の生活が大きく救われている、という事実を重視すべきだろう。そして、その製品はおそらく中国で大半が作られているとしたら、日本の庶民は中国にいくら感謝してもしきれないのである。(私の生活必需品というか、消耗品の半分くらいは100円ショップで間に合うのだ。)で、今後中国の労働者の賃金が向上していけば、日本ではインフレが起こり、「低賃金の上にインフレ(物価高)」という地獄状態になる、ということを今のうちにきちんと理解する必要がある。既に中国は日本の恩人(命の綱)なのである。なお、日本の普通の製造業も、部品の大半の製造は中国に依存している。それほど今の日本にとって中国は重要な存在なのだ。中国との戦争とかいうキチガイ思想を撒き散らしているのは、豊かな生活をしている連中だろう。まあ、世間を騒がせることで利益を得るわけだ。もちろん、それが仕事というdappiのような存在もいるし、ただの馬鹿もたくさんいる。

(以下引用)


→チープな日本の代表が100円ショップ。日本人は低賃金で購買力がないから格安じゃないと売れない。低価格だと会社が儲からないから低賃金という悪循環。とはいえ法人税は安く大企業は儲かってるし株価も高い。国民の半分が非正規で新たな貧困層となった。日本は貧困の国に陥ってしまった



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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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