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「発達障害」という視点はなぜコミュニケーション能力しか見ないのか

私は自己愛というのは人間の最も基本的な本能だと思っているので、「自己愛性パーソナリティ」という、それをまるで異常性質であるかのように言うレッテル貼りは大嫌いなのだが、「過剰自己防御パーソナリティ」とでも言うのがいいのではないか。つまり、自分の周囲や世界を過剰に恐れる気質である。私はまさしくそれだ。
幼児期から成人するまで、私の心的世界は恐怖だけしか無かった。いや、自然に対しては別だったから、主に「人間への恐怖」である。その原因もだいたい分かっていて、幼児期に引っ越しをして、その地域のコミュニティに違和感を覚えていたのが主な原因だったと思う。特に、言葉(方言)の違いである。子供同士の会話は方言混じりだったから、その言葉が理解できないというのは、外国の社会に投げ込まれたようなものだ。私は幼年期に他の子供と遊んだ経験がまったく無い。で、寝転んで本ばかり読んでいたものだから運動能力がまったく発達せず、小学校に入ってからは運動面で物凄い劣等感を持つようになった。まあ、今でも、本の中の世界のほうが現実の人間世界よりはるかに気楽で楽しい。
しかし、暴力傾向の強い人間や他者支配的人間は「発達障害」とされないのに、コミュニケーション能力の低い人間は異常者(障害者)扱いであるというのは何とも不可解である。

(以下引用)

anond:20220526025040

発達障害(特に自閉症アスペ)と自己愛パーソナリティ障害って違うものだが、重なるとこが多く、併せ持ってることも多いそうな


ちなどっちも遺伝的傾向が強いとのこと


 

Autism & Narcissism: The Connection & Differences

https://www.elemy.com/studio/mood-disorders/autism-and-narcissism/


 

Mass Violence in Individuals With Autism Spectrum Disorder and Narcissistic Personality Disorder: A Case Analysis of Anders Breivik Using the ‘Path to Intended and Terroristic Violence’ Model. (2016). University of Salford Manchester.

http://usir.salford.ac.uk/id/eprint/40449/1/Faccini%20%26%20Allely%20%282016%29.%20.pdf


 


 


ストレスのない生活を送るためにと言った切り口ではなく、直球で『テロ』とか『引きこもり』ってワード研究がばんばか出てきちゃうので


病識があるなら治療にあたった方が良いと思う


そして『自己愛性』のパーソナリティ傾向です。「私は特別、私はすごい」という思いが前面に出るパーソナリティ傾向のことですが、


こうした万能的な自己像が損なわれることを恐れて、対人関係回避する、試される場を回避するといった受身的な形で表れる


自己愛性の高さもありますひきこもりの背景要因となる自己愛性とはこの傷つきやす受身的・回避的な自己資性パーソナリティ傾向だと思われます


これは、甘やかして育てら れた人、傷つくことなく育てられた人のパーソナリティ傾向と誤解されがちですが、


実際 には健全自己愛の展開を阻まれたり踏みにじられたりした経験を通じて、


特に思春期青 年期のある局面で均衡を欠くほど高い自己愛性を顕わにするという形成過程を持つの普通です。


から自己愛パーソナリティ障害の人は、自分特別であるということにこだわりながら、傷つくことを非常に恐れているのです。


なお、ひきこもる中でこうした自己愛性が二次的に高まっていく心理過程もありうると思われます


 


思春期ひきこもりをもたらす精神科疾患の実態把握と精神医学治療・ 援助システムの構築に関する研究 | 内閣府


https://www8.cao.go.jp/youth/suisin/pdf/shien/k_1/k1.pdf


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「骨太の方針」=殴打で死ぬような骨細の国民は死ね

つまり、マイナンバーカードを持たないと医者にもかかれないことになるわけだ。で、そのマイナンバーカードにはいずれあらゆる個人情報が書き込まれ、銀行の預金残高から入金履歴引き出し履歴、通院記録(つまり、梅毒にかかったとか堕胎したとかまで)から図書館の読書履歴から犯罪履歴からネット検索履歴(エロサイトを見たとかww)まで全部書き込まれ、一部の人間(主に公務員)の目には国民のすべてのプライバシーがさらされるわけであるwww
「骨太の方針」は小泉総理の時代から使われてきた言葉だが、その意味は「国民に痛みを与える」政策のことである。つまり「国民に打撃を与えるから、それに耐えられるように国民は骨太でいろ」というわけだwww

(以下引用)

政府 「健康保険証の原則廃止」 骨太の方針に明記する方向


配信

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毎日新聞

首相官邸=竹内幹撮影



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量子コンピューターは本当に実現可能か

日立のホームページ記事だが、これを読んでも「量子コンピューター」の概念がさっぱり分からない。「1でもあり0でもある」という概念が分からないし、その概念を使ったコンピューターがなぜ高速性や大量処理機能を持つのかも分からない。
まあ、例によって仏教を持ち出せば、「色即是空」と「空即是色」は重なっている、という感じかwww
あるいは「マクベス」の魔女のように「きれいは汚い、汚いはきれい」ということか。それとも絶対矛盾の自己同一か。
で、問題は、このコンピューターが本当に実用化された場合、従来のコンピューターの情報を保護していた暗号が容易に解かれる、つまりIT社会の安全性がゼロになる、ということだろう。ITの発展がIT社会を崩壊させるという、ここにも「きれいは汚い」という暗黒面がある。

(以下引用)

量子コンピューターとは? メリット・デメリットを解説







量子コンピューターとは? メリット・デメリットを解説

量子コンピューターの開発が加速しています。実用化されれば、交通渋滞の解消、医薬品の開発、ビッグデータの解析、AIの開発などに大きな進展をもたらすと言われています。量子コンピューターとはどのようなコンピューターなのか、その登場が与える社会へのインパクトや実用化により生まれるメリット・デメリットについて解説します。

量子コンピューターのメリットとは

量子コンピューターは量子ビットを使って計算することで桁違いの処理能力を発揮します。その速度は従来のコンピューターの実に約1億倍と言われています。


従来のコンピューターにおいて、処理速度の高速化はやがて限界がくると言われていました。その限界を超え、従来のコンピューターでは成し得ないレベルの計算、例えば数えきれないほどのパターン(新薬開発のために行われる膨大な数の素材の組み合わせ、複数のチェックポイントを経由する交通ルートなど)から、最適なパターンを一つ見つけ出すといった計算を瞬時に行えるようにするのが量子コンピューターです。


これによりビッグデータの解析技術やAIの能力向上が見込め、新薬の開発スピードを飛躍的に上げたり、交通システムを改善したりといった活用へとつなげられると考えられます。


また量子コンピューターは電力消費が極めて小さいというメリットがあります。量子コンピューターの「D-Wave」は、冷却装置によりごく低温で動作し、消費電力は冷却装置も含めて25kW 以下だとされています。

従来のコンピューターと量子コンピューターの違い

従来のコンピューター(古典コンピューター)は情報を「0か1」という2通りの状態で表す「ビット」を最小単位として扱っています。これに対し、量子コンピューターは、量子力学の基本性質である「0と1の両方を重ね合わせた状態」をとる「量子ビット」を使って計算します。「0と1の両方を重ね合わせた状態」とは、「0であり、かつ1である」という状態のことを言います。この2つまたはそれ以上の状態を同時に表すことができる性質を、「重ね合わせ」と呼びます。


現在、量子コンピューターには「量子ゲート方式」と呼ばれるタイプと、「量子アニーリング方式」と呼ばれるタイプの2種類が存在します。


量子ゲート方式は1990年代頃から研究開発が進み、最近ではIBMやGoogleも実用化に向けた研究を行っています。量子ビットや重ね合わせを利用するのはこの方式の量子コンピューターです。


1994年にアメリカの論理計算科学者ピーター・ショアは、因数分解用のアルゴリズム「ショアのアルゴリズム」を発表しました。このことが大きな反響を呼んだのは、従来のコンピューターにとって因数分解のような計算は、計算可能ではあるけれどとてつもなく時間がかかるものだったためです。量子ゲート方式の量子コンピューターは「0と1」だけではない理論と方法を用いることで、因数分解を実用的な速さで行う新しいコンピューターとしての可能性を示しました。


一方の量子アニーリング方式は、2011年にカナダのベンチャー企業、D-Waveシステムズが量子コンピューター「D-Wave」の開発に成功したと発表して有名になりました。その原理は、1998年に東京工業大学の西森秀稔教授と門脇正史氏が提唱した理論が基になっています。量子アニーリング方式は量子ゲート方式よりもさらに用途が限られ、複数の選択肢から組み合わせた結果を評価し、その中から最適な組み合わせを決める「組み合わせ最適化問題」を解くことに特化した量子コンピューターだとも言われています。


2015年、NASA(航空宇宙局)のエイムズ研究センターで行われたNASA、USRA(大学宇宙研究連合)、Googleによる記者会見で、性能テストを行った結果、D-Waveの量子コンピューターは従来のコンピューターに比べて1億倍高速であると発表されました。

量子コンピューターの実用化がもたらす変化とは

量子ゲート方式によって因数分解が現実的な処理速度で行えるようになると、現在、金融分野を中心に広く採用されている暗号が容易に解読可能になると言われています。一部の専門家は、10年以内に量子コンピューターがそれらの暗号を破るのではないかと予測しています。具体的には「RSA」や「楕円曲線暗号」のような公開鍵暗号、「ディフィー・ヘルマン」などの鍵共有による方式が役に立たなくなるとされています。


そのため、量子コンピューターの実用化に対抗して、これまでの暗号やセキュリティ対策に代わる新暗号方式や新セキュリティ対策の開発が急がれています。このことは量子コンピューターがもたらすデメリットの一つとも言えるでしょう。

量子コンピューターの可能性

しかし一方で、社会に新しい希望をもたらすような可能性も開けています。


量子アニーリング方式が解く組み合わせ最適化問題は、例えばセールスマンの訪問先が複数あるとき、最も短い時間ですべてを巡回するルートを見つけるために役立つとされています。この巡回セールスマン問題が簡単に解けるようになれば、次は自動運転における交通渋滞緩和や、分子の構造分析を通じて進められる新薬の開発にも応用できると期待されています。


また量子コンピューターによって、ビッグデータの解析が今よりもずっと容易になるという観測もあります。ビッグデータ以外にも膨大なデータを掛け合わせたシミュレーションが可能になることから、まったく新しい製品の研究開発が進んで技術革新が起こったり、正確な未来予測ができるようになったりといったことも実現するかもしれません。


そしてもう一つ、大きな期待をされているのが、AIと量子コンピューターの組み合わせによる技術革新です。とくに機械学習の分野には組み合わせ最適化問題を含む要素が多くあり、量子コンピューターによってAIの開発が飛躍的な発展を遂げる可能性が指摘されています。


量子コンピューターの実用化にはまだまだ多くの課題も残されています。しかし、量子コンピューターが切り拓こうとしている未来への道筋はおぼろげながら見えており、その開発は急ピッチで進んでいくと考えられます。量子コンピューターが身近なものになれば産業と社会に変革が起きるでしょう。それによって私たちの生活もまた大きく変化するに違いありません。



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EU加盟国と「欧州委員会」

駐スロバキア大使新見潤氏の書いた記事の一部である。
EUの内蔵する問題への大事な視点だと思う。「欧州委員会」という存在ほど「民主主義」と乖離したものはないと私は思っている。つまり、今のEUでは民主主義は存在していない。

(以下引用)


【EU内における「三つの軸」】


 スロバキアをはじめとする中東欧の多くの国々は民主化後一定の時期を経てEUやNATOに加盟した。政治を民主化し市場経済を導入して、西欧諸国に追いつけ追い越せと急速な経済発展を続けている。欧州委員会から受け取る種々の補助金、そしてEUメンバーとしてEU内の四つの自由(人の移動の自由、モノの移動の自由、サービスの移動の自由、資本の移動の自由)を享受していることも、経済の高い成長率に貢献している。


 しかし、「EUに加盟して順調に経済が発展している」といった単眼だけで中東欧諸国を捉えることは若干危険である。


 私はEU諸国内には「3つの軸」があるのではないかと考えている。第1は「豊かな西側の諸国 対 発展途上の中東欧諸国」という東西の軸、第2は「独仏英などの大国 対 多くの中小国」という軸、第3は「ブラッセル(欧州委員会) 対 加盟各国」、という軸である。スロバキアを始めEU加盟中東欧諸国の多くは、この三つの軸のいずれにおいても後者に属する。


 多くの中東欧諸国において、EUに加盟したことは国全体の発展や安定、国民の福利厚生増加には資しているという大まかなコンセンサスがあると思う。同時に、


(イ)西側の相対的に豊かな国からEU補助金という形で種々の金銭的支援は受けているが、西欧諸国に経済的にキャッチアップしていくとともにこれら支援は今後目減りしていくことが確実視されていること。


(ロ)加盟28ヵ国とEUが巨大化していく中でEU外交内政に関わる重要政策の多くが独、仏等の主要な大国の先導によって決められてしまう傾向が益々強まっていること。


(ハ)市場統合はじめEU統合が深化していくほど、加盟各国の国内経済や社会、国民の生活に直接影響のある法律や規則がブラッセルの欧州委員会によって決められてしまう傾向が強まっていること。


といった点についてのフラストレーションも増大しつつあるように思われる。


 政治の右傾化とポピュリズム化は先進民主主義国の多くに共通する世界的傾向であるが、特にEU、就中中東欧諸国では、このような要因も、EU懐疑派、あるいは反EUといった右よりの世論を高め、ポピュリスト政治家や政党が各国内で影響力を強める背景になっていると考える。

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詩人はなぜ追放すべきなのか

「せかいしそう」というWEBマガジンの記事だが、思考材料としてメモしておく。ざっと読んでいって同感するところも多かったが、トランプへの評価の部分で、やはり俗物思想家だな、と感じた。つまり、リベラル系マスメディアが伝える情報を無批判に受け入れているわけだ。

(以下引用)

古代の哲学者たちは、どのように書き、伝え、受容されたのか

第4回 プラトンの告発


SNSに動画と、様々な形態のメディアが我々を取り巻く昨今。これまでの連載では、知を取り巻く環境と知の関係について、古代ギリシャを例に取り上げてきましたが、それでは我々自身はどういう状況のなかにいるのでしょうか。最終回となる第4回では、古代ギリシャへの目線を通して、現在の問題が浮かび上がってきます。


第1回はこちら


第2回はこちら


第3回はこちら

現代はどういう文化的状況か?

 さて、今までは古代ギリシャにおける知的状況と環境のつながりを見てきたのですが、それが現代においてどういう意味をもっているのかということをちょっと考えてみましょう。


 現在の「知を巡る文化状況」というものをどう捉えるかは、人によってさまざまでしょう。ただきょうは、oralとliteralの文化、そしてそのなかでの哲学者の思考について話してきたので、それを踏まえて考えてみることもできると思います。


 そういう視点から見たとき、マスメディアなども含めて、書かれた文字よりビジュアルなものが重視され、とくにインターネットにおいては画像や動画などが強い影響力をもっている状況は否定できないと思います。文字情報ももちろん豊富ですが、それもSNSなどでは非常に短い形のものが支配的になっている。


 こうした状況を、これまで触れたoralとliteralというような区別の下で考えてみると、これはoralな文化とデジタルテクノロジーが連携したような形で、大きな影響力を持っているんじゃないか、と思います。


 先ほど話したように、oralな文化のなかでは、情報はただ口伝えだけで伝わるものではありませんでした。ホメロス以前から、詩の朗誦にはキタラの伴奏が伴ったり、劇では俳優の演技に加えてコロスというコーラス団がついて、彼らが歌に加え踊りも添えていました。その意味で視覚にも聴覚にも訴える一種の総合芸術に近い面もあった。そういったパフォーマンスとしてのoralな文化がいまや巨大な力をもっているように見える。そしてよく口にされるように、書物を中心としたliteralな文化は後退しているようにも見えます。


 かりにそうだとして、こうした状況が個人や社会にどのような影響を及ぼしているのかは、今後さまざまに分析されるべきことです。しかし、何かはっきりとしたことを言うには、実際の認知科学や社会学などさまざまな角度からの研究を俟たなければならないでしょう。

oralな文化と「詩人追放論」

 しかしともかく、こうした状況に対して、「古代の哲学者だったらどういう態度を取ったんだろうか?」というようなことを考えてみると、プラトンの詩人追放論というものを思い浮かべます。


 プラトンの詩人追放論というのは、『国家』という作品の最後の巻に出てくるものです。ここでプラトンは、彼が理想国として築き上げる国家から、「詩人というものを追放すべき」と言っています。この詩人というのは、前述したように韻律のある文章を書く全ての人たちです。とりわけプラトンが狙いを定めているのはホメロスや悲劇詩人ですが、広い意味でoralな文化の営みである、叙事詩・抒情詩・悲劇・喜劇というメディアとしての詩全体がターゲットになっています。


 「詩人追放」というのは一種の検閲です。ただし、名古屋のほうの展覧会の問題のようにろくに作品を見ないで非難を浴びせたり中止させようとしたりしているのではありません。むしろプラトンはこの講義の最初のほうで述べてきた、「ホメロスなどの詩がいかに古代ギリシャの文化と教育に深く根づいているのか」ということを強く実感し自覚した上で、こういう主張をしているわけです。もちろんその主張には必ずしも賛成できない部分も多いと思いますが、一応聞いてください。


 プラトンの分析は、これら広い意味の詩に対して、「魂はどういう反応をするのか」という分析から始まります。


 プラトンは、魂には詩に反応する2つの部分があると考えます。この2つは「ロゴスに従う部分」と「非理知的な部分」です。これはよく片方がロゴス(理性)で、片方はパトス(感情)だというふうに考えられるんですが、そういった単純な対立ではありません。


 ロゴスとか理知的部分を持っていたとしても、たとえば大切な人を亡くしたとき、悲しいといった感情をもつことを、プラトンはもちろん否定しません。彼が問題としているのは、そういった感情に対して、どういう態度を取るのかという点です。このような場合の心の動きを、プラトンは、劇を見たり、音楽を聴いたりするときに感じる場合と実生活において感じる場合とを重ねあわせて考えることで解明しようとしました。人生も演じられるドラーマ(ギリシャ語ではおこなうことも演ずることも意味します)なのです。


 彼によれば、われわれの魂あるいは心のある部分というのは、そういった悲しみにも耐えようとしている。あるいはそういった悲しみと戦おうとする。ところが、もう一方の魂の部分は、詩人たちによって満足を与えられてそれを喜ぶ。悲しみを与えられても、それに引きずられて、むしろその悲しみにふけろうとすると。劇を見ているときが典型的ですが、実生活においても、心ゆくまで泣いて満たされることを飢え求めるというふうに、強い感情を欲求するのがこの部分の本性である。──これがプラトンの診断です。

プラトンの告発

 そして劇をはじめとした「詩」としてのメディアは、この感情を欲する部分に訴えてくる。それによって感情というのがある種自己増殖的に、「もっと感情を動かしてほしい」と求め、そしてこのパトス的な部分を増強させる。詩は、パトスを求め、それに溺れようとする部分を、「呼び覚まし、育て、強力にする」。プラトンはこう主張します。


 たしかに、このように劇や朗誦のかたちで「詩」が演じられているとき、その間聴衆の魂は、言わば「我を忘れて」、つまりロゴス的なはたらきは封印され、詩作品の呼び起こす感情や心の動きに支配されます。しかも魂の一方のパトス的部分は、むしろそのことに喜びを見出す。さらに、そうした詩によって幼少から教育されていく人々は、知的な反省を経る以前に、その性格や基本的な態度、いわば人格の形成においてその影響を受けるでしょう。すでにみたように、それが暗誦や朗誦を求めるかたちでおこなわれるなら、とくにその影響は大きいでしょう。じっさいそれが、ホメロスら詩人と呼ばれる人びとが当時の教育や文化環境において果たしていた役割です。そしてその影響力は、それのもつoralな要素に負うところが大きいことは、容易にみてとれるでしょう。


 プラトンが告発し追放すべきだと主張したのは、このような性格をもつ詩であり、それを作る詩人たちでした。


 詩がこのようなかたちで聴衆とかかわるものであるとすれば、それはプラトンが対話篇というかたちでつくろうとした読者との関係と、対照的であると言えるのではないでしょうか。プラトンが読者に求めたのは、それを読む人がそれを読み、自分自身で考えるということだったからです。


 少し具体的に考えてみると、たとえば劇といった詩的パフォーマンスでは、演ずる側に聴衆に対するいわば支配権があります。演じられている間、聴衆の心はそれにわしづかみにされ、揺さぶられ、喚起される。そして、プラトンが言うように、それにふけろうとするのがわれわれの詩に対する態度です。だから、詩的パフォーマンスを途中で止めていったん反省してというようなことはあまりない。さらに詩が考え方に及ぼす影響は、長期にわたる教育によっていわば血肉化して、とくに反省することなく、それにもとづいてわれわれは自然と物事を考えるようになる。


 ひるがえって、そもそも読書というのは、その人の時間に従って、そしてその人の理解に応じて、読みすすめる行為です。もちろん没頭して読むということはありますが、理解と時間の基本的な支配権は読者の側にある。そしてとりわけプラトンは、語られることを読者自身が思考を働かせて読むように工夫しました。その意味で、プラトンが対話篇を通じて人々に伝え、実際に試みようとしたことは、彼が批判した意味での詩的パフォーマンスに対してある意味で対極にあったと言ってもよい。


 そしてこういったプラトン哲学に見られる哲学のあり方は、文化批判、さらに内在的な文化批判として考えることができるでしょう。プラトンは広い意味でのoralな文化の重要性と影響力を認めていましたし、たぶんプラトンほどこれを深く痛感している人はいなかったかもしれません。そして自身の作品も、そのようなoralな文化とかかわり、その要素を生かしてもいた。そのうえでなお、彼はその影響を分析し、批判を試みました。こうしたプラトン哲学は、いま述べている知的な環境においても、われわれを考えさせる視点をもっているのではないか。少なくとも、このような批判をしたプラトンが、より高度になったoralな文化を備えている現代に登場したら、現在の状況をどう診断し批判するのか、考えるに値するのではないでしょうか。


 そして最後に、反省と自戒の念をたっぷりこめてお話しするんですが、プラトンやアリストテレスの哲学のあり方は、いま哲学を学んだり研究したりする者に対して、より知的な環境そして伝える媒体に意識的であることを求めるものだと思います。哲学ないしはそうしたことを含めて考える営みなのだろう、あるいはそうあるべきであろうと。これが、きょうのお話の、とりあえずの自分自身に対する結論です。

付録 ポストトゥルースと「知的な悪徳」

 今日の話とも関連するので、いまの文化状況ないしは情報伝達について、一部の哲学者の間で最近話題になっていることをちょっとだけ紹介しておきます。


 現代は非常に情報が氾濫しています。そのなかでそれがどのように伝達され、受容されるのかがいろいろの角度から問題とされている。たとえば、情報の格差というものがあるということがよく口にされています。一方の人々はたくさん情報を持っていて物事に通じているが、他方の人はちょっとしか持っていない、あるいは渡されていないという状況ですね。


 こうした問題に対して、「人々が情報に対してどういう態度を取るのか」という切り口で考えることができます。政治の場面では、ポストトゥルース・ポリティクスと呼ばれるような状況、トランプみたいな人が出てきて、事実の確認(ファクト・チェック)とは関係ない形でどんどん発言していくというような状況があります。そこでは、一方の人がそうした発言を信じていて、他方の人はそれを信じていない。ワクチンの接種の問題にしても、いろんな情報が出回っていて、一方の人たちは一方の情報だけを信じ、他方の人はそれを信じていない。あるいは陰謀論と呼ばれるような、さまざまな現象の背後には実は密かな陰謀があるというようなことを、少なくない人が信じたりもしている。


 こうした状況に対して、それは知識量とか情報へのアクセスができるかどうかということよりも、むしろ「さまざまな情報がある状況に対して、どういう態度を取るのか」という「その人のあり方の問題」が非常に大きいのではないか、という議論が出てきます。そのなかでepistemic vices(知的な悪徳)という概念が、哲学が扱う認識論のなかで論じられるようになっています。


 知的な悪徳とは、偏見とか、心を開かない閉鎖性、特定のドグマへの固執といったような知に対する態度を言います。ある情報を根拠なく完全に無視するとか、細かな事実に対して注意を払わないという態度も含まれます。


 知というものは、アリストテレスやプラトンの場合は特にそうなんですが、単なる抽象的な命題の体系じゃなくて、その人の一つの徳というようなものとして考えられています。知識は、「その人が自分で理解し説明できる能力」だということですね。今日お話ししたプラトンの対話篇の特質も、そういう知に対する理解と連携しています。逆に言うと、ある情報をえただけでは「知っている」とはならない。こうした見方からすると、先に述べた情報の量や偏りという問題よりも、それを受けとめる人のあり方(それを徳や悪徳と言うわけですが)の問題としてこの知の問題を考えようというアイデアが出てきます。


 たとえば、「『消毒液を注射するとコロナウイルスを退治できる』という、トランプが言った理論をどのぐらい信じますか?」という質問に対する答え方と、各個人のもつさまざまな資質との間はどのような関係があるかを考える。そのときに信じるか信じないかを左右するのは、政治的な信条(右翼か左翼か)の違い、あるいは信仰する宗教の相違などよりも、上記の知的悪徳の有無といったことが大きく左右している、という調査結果もあります。このような議論は、「知的悪徳」を(循環論とならないように)どのように定義し、またどのように調べるのかといった問題も含めてまだまだ議論の余地が大きいと思いますが、提供される情報の量や偏りよりも、受け取る側のいわば知にかかわる人のあり方(「性格」などの比較的恒常的な態度)に目を向けるもので、古代的な視点を含んでもいることもあり、注目してよいのではないかと思っています。

素早く刺激的な情報が飛び交う時代だからこそ、本の持つ役割はより重要になるのではないでしょうか。出版に携わる者としても、大変興味深いお話でした。中畑先生、どうもありがとうございました。

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岸田総理の「経済政策」www

「阿修羅」から転載。
「徽宗皇帝のブログ」向きの話だが、あちらは最近一日に多数の記事を載せすぎている傾向があるので、ここに載せる。すべてご説ごもっともの内容で前説の必要もないが、紹介はしておきたい記事なので転載するわけだ。
岸田総理は何がやりたくて総理になったのだろうか。

(以下引用)

叩き起こされる筋合いはない(コラム狙撃兵・長周新聞)
http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/443.html
投稿者 赤かぶ 日時 2022 年 5 月 11 日 20:20:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

叩き起こされる筋合いはない
https://www.chosyu-journal.jp/column/23515
2022年5月11日 コラム狙撃兵 長周新聞


 


 「この男は何をのたまっているのだろうか?」――。岸田首相がロンドンの金融街でぶち上げた「資産所得倍増プラン」には、多くの国民がキョトンとしたのではないだろうか。昨年の自民党総裁選時期から「新しい資本主義」などという曖昧模糊としたスローガンを標榜し、池田勇人にならったのか「所得倍増」なんて言葉も飛び交っていたなかで、なんのことはない。意図していたのは単純に賃金が増えることによる所得倍増ではなく「“資産”所得倍増」であって、2000兆円ある日本国民の金融資産について「眠っている預貯金を叩き起こし」、制度変更も伴ってNISAなどの投資熱を煽るといって、金融街の猛者たちに「餌がありますよ」アピールをしているのである。第一に資本主義として新しくもないばかりか、リーマン・ショックからこの方、強欲資本主義といわれてきた実体経済をも蝕む擬制経済の領域をさらに拡大させるというにすぎない。そのために「日本国民の2000兆円の金融資産」を誘導していくという世界に向けた宣言なのである。これは博打のテラ銭として国民の金融資産を差し出すことを意味しており、ふざけるのも大概にしろ! といわなければならない話である。


 そもそも国民の預貯金を誰の金だと思っているのか? である。バカみたいに長期にわたる低金利政策を続け、今時は銀行に預金しても雀の涙ほどの金利もつかない。否、むしろ引き出しや預け入れの度に利息以上に手数料をとられ、カネを預けてもらっているくせに取るばっかりで、引き出し額には制限まで加わる。銀行とは何様なのだろうか? と思うほどである。「その昔は一定のまとまった金額を定期預金なんてしていたら、結構な利息がついていた時期もあった」とバブル期を経験した世代の人たちは教えてくれるものの、社会人になって口座をつくってからこの方、超低金利しか経験したことのない者としてはまるで別世界の話を聞いているような感覚すらある。いうなればこの四半世紀にも及ぶ超低金利政策によって、本来なら社会に、国民の懐に回るべき利息収入は問答無用で奪い上げられてきたに等しいわけだが、さらに踏み込んで、預貯金そのものも投資に振り向けさせ、みなの虎の子をマネーゲームの餌食として吐き出させるというのである。


 その場合、資産が増えるばかりか減ることもあり得るのが投資であり、ハゲタカファンドたちが「ミセス・ワタナベ」(日本の素人投資家の呼称)などといって合法的に資産をせしめていく可能性の方がはるかに高いことはいうまでもない。資産の横取りゲームにおいて、素人はネギを背負ったカモなのである。そして、投資したのは自己責任であって、資産が目減りしてもそれは本人の責任で片付けられる。2000兆円が4000兆円に倍増する可能性よりも、食い物にされて1000兆円とか500兆円に目減りすることの方が現実的にあり得る話であろうし、果たして「資産所得倍増」などという博打に身を委ねる人間がどれだけいるのかも疑問である。


 「眠っている預貯金を叩き起こす」――。何度もいうように、そのカネは眠っていようが起きていようが国民一人一人の大切な預貯金であって、そもそも岸田文雄に叩き起こされる筋合いはない。社会が閉塞して将来不安も払拭されないがために、防衛的心理が働いて大切に貯めているカネであり、むしろあえて眠らせている性質のものともいえる。マネーゲームの狂騒に叩き起こされてスッテンテンにされるくらいなら、雑音から距離を置いて眠っていた方がはるかにマシであろう。


 ただここまで「叩き起こされる筋合いはない」なんて散々書きつつ、ふと我が身を重ねて考えてみると、そもそも眠らせるほどの預貯金すらない者は、眠るとか起きる以前に資産自体がない部外者であって、何も関係のない話なのだった。要はミドルクラスの小金持ちから剥ぎ取ろうという算段なのだろう。


 吉田充春
 




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男はヤクザか兵隊、女は売春婦という日本の未来

「ネットゲリラ」から転載。
まあ、独身時代は若い男というのは性欲の塊だから、売春婦という存在が無ければ一生童貞だったという人も多いだろう。あるいは婦女暴行常習犯になるとか。つまり、性交というのは女性との同意を取り付ける交渉技能(もちろん、嘘とおべんちゃらの技術含む)が必要なわけで、学校でしか学んだことのない真面目な若い男にはほぼ無理である。こういうのはヤンキーやチンピラや不良のほうが上手いだろう。ホストは言うまでもない。若い女はそういう性欲魔獣の下心を知らないから簡単に騙されて水商売落ち、売春婦落ちになったりする。
なお、売春婦で思い出すのは最近読んだばかりの松本清張の「天城越え」で、これは映画化やテレビドラマ化を何度もされるほどの名作である。三島という土地の名前も出てきた記憶がある。あるいは水上勉の「飢餓海峡」なども名作。
「パパ活」という素人売春にはこういう「女の悲哀」が無い(少し我慢すればやらなくてもいい売春である)から同情もしにくいが、日本の貧困が原因であるという点では同情できないこともない。フェミニストはなぜか売春を「セックスワーク」とか呼んで、「格上げ」することに熱心で、女性が売春せざるを得ない状況(芸能界の枕営業もそれ)を批判しようとしない。


(以下引用)

令和の廃娼たち

| コメント(3)

立ちん坊売春オンナの更生、というんだが、歌舞伎町とか新大久保とか、売春婦だらけでみっともない。中国にも立ちん坊はいるが、ひっそりと目立たないところでやってる。日本はソープランドやらデリヘルやら、組織売春が街なかにてんこ盛りの上に、立ちん坊までウヨウヨしてる。まぁ、こんな恥知らずの街はアジアではバンコクと東京だけだなw
 警視庁は4月、生活の困窮から繁華街近くで路上売春する女性を福祉支援につなぐ「専門相談員」を全国で初めて配置した。役割を担うのは3月の定年退職後、再任用された非常勤女性職員(60)。同庁保安課で通算14年、売春捜査に携わった経験があり、「親しみやすい存在として話を聞きたい」と意気込む。
 同課は2020年11月、東京・歌舞伎町の歓楽街に近い新宿区立大久保公園周辺などで客を待つ女性に話を聞き、自治体の相談窓口につなぐ取り組みを試験的に開始。今年4月から相談員を置き本格運用に乗り出した。
 「彼女たちにとって路上売春は手っ取り早く金銭を得られる手段。動機は生活困窮やホストクラブへの支払いなどさまざまだ」と相談員は話す。20年秋以降は「勤め先の衣料品店が廃業した」「風俗店で稼げなくなった」など、新型コロナウイルス禍による生活の行き詰まりを理由に挙げる女性も目立つようになったという。
さて、昔は女郎屋というのが商売として認められておりまして、おいらのウチから徒歩10分くらいのところにも女郎屋があって、それが廃止されておいらが小学生になった頃には、失職した女郎の更生が社会問題になっていて、彼女たちが生活費を稼げるようにと、三島の街に小さい飲み屋がたくさん作られた。客が3人くらいしか入れないような小さな店だ。その名残りで、今でも三島は小さい飲み屋が多い。さて、令和の廃娼たちはどこに行くのか?



【警視庁】売春女性の福祉支援、全国初の相談員「親しみやすい存在に」 というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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まず逮捕したら?
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↑ 売春って罰則のない法律違反だから逮捕されん
売春そのものは売る女も買う男も刑罰がない
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↑ 路上やネット上で客待ちをすれば
勧誘等になり6ヶ月以下の懲役または1万円以下の罰金だよ
それを取り締まる為に男性の私服警官が歌舞伎街やインターネットで買春奴のフリして歩き回ってる
摘発だけでは再犯防止できないと、同課は昨年11月、経済事情などを聞き、東京都や区の相談窓口を紹介したり、同行したりする活動を開始。
警視庁が借りる雑居ビルの一室へと向かった。
 窓のすぐ外に歓楽街が広がる部屋では、別の女性捜査員が待機していた。「ゆっくり聞かせてね」。優しく声を掛け、女性の話に耳を傾けた。
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> かつて路上に立つ女性は風俗店で働けなくなった30~40代や外国人が多かったが、近年は20代前半の日本人女性が大半

つまりたちんぼの質が向上してしまったんだな!!
あらゆるものの品質低下が著しい日本なのにここだけ品質向上w
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優良パパを紹介してあげたほうがよい
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フランスの様にワゴン路上販売、屋台等の許可を優先権を与えるシステムですかね
またそこに利権が絡むんでしょうけど
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ホモの売春婦は?
男女平等は?
差別なの?
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境界線界隈の人々はけっこういるが、男は肉体労働ができるからそれが受け皿になっている
でも女には受け皿がないんだよな

売春でしか生きていけない女はたしかにいるんだけどな
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これ無理だぞ。ガチの池沼とかいて支援した人がナマポの審査受けさせて5日間分の食費として1万役所が渡したら、その日の内に美容院でエクステ付けに行って全部使い果たした
勿論ナマポの審査も落ちたし、本人はそのまま女衒や他の売春婦達の元へ戻った
ただ利用されてるだけなのに本人は理解出来て居ないし楽しいからとDQN達といる方を選んでいる
要するにそういう人生を送って来た人を支援するのは無理
すぐに人を裏切るしね、周りも危険な奴等ばっかだからトラブルに巻き込まれたくなかったら何もしない事
実際ナマポを貰いながら売春続けてホストクラブに通ってる立ちんぼもいる
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↑ これ
いるいる
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↑ アットホームチャンネルのマナミ
ナマポ受けてから20キロは肥えててナマポでホストに通ってるって堂々と話してる
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バカみたい
金が無いと言いながら髪染めて化粧して高い服着てさ擁護する気にもならんクズばかり
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タダマンさせてくれるくれって話じゃないんか
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署長新しい子入りました

うむ
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金もツテもなかったころ、ヤマト運輸のベースっていうでかいところで2ヶ月契約(一か月あけてまた申し込んでリピートする)のバイトしてた。
ハードな肉体労働だったが、細い女性もたくさんいてみんな必死に働いてた。
以来、ちゃらちゃら逃げてる女は軽蔑するようになった。
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↑ 池沼売春婦てのはそういう仕事が出来ないレベルの外事なのよ
なので外事売春婦がよく言うのは「私は能力が無さ過ぎて普通の仕事が出来ない」て事
実際俺も仕事で本当にどうしようもないレベルの無能外事と働いた事があって、それ以降こういう人達が存在するのは仕方がないと思ってる
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社会でこういう人たちの面倒見るのどれだけ大変か
遅刻常習、言葉遣いめちゃくちゃ、言われたことすぐ忘れてケロッとしてる、文句だけは一丁前
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風俗業界はセフティネット
それでよくね?
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郵政民営化
風俗国営化
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結果的に生活保護もらいながら追加の小遣いを売春で稼ぐ方式になりましたとさ
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国家公務員試験(風俗職)を新設

一種:ソープ
二種:ヘルス
三種:ピンサロ

教養試験、専門試験、実技試験、人物試験
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逮捕されるような売春をして
税金も払わず高額な品物を買い高額な食事をして
ホストに貢ぐような女たち
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ホストクラブのツケ払いは禁止にした方がいいと思う
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駄目だこの国
ロシアや中国攻めてきたらこんな国のために絶対戦わんからな
何なら寝返るわ
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デジタル庁とか子ども庁とかいらないから、風俗庁作れよ
初代長官は角海老の社長
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AV女優というのもこういう娘たちの受け皿になっていたわけだが、なにやらヤヤコシイ規制で縛って、こういう知恵遅れ娘を追い出そうとしていて、撮影後一年間はキャンセルできる、というんだが、そうなったらギャラ払う方だって一年後まで払わないだろw その場でカネが欲しいオンナのAVへの途を閉ざしたら、ホント、あとは立ちん坊しかない。その立ちん坊もこうやって邪魔されて、アタマの弱いオンナも生きて行くのは楽じゃないw

コメント(3)


>バンコクと東京だけだなw


藤枝あたりも猥雑だと思うけどなあwまあ三島とか沼津に比べればいいオンナが多いからわりと好きだったりしてwいいオンナ度でいったら新潟の古町に敵うところはないかなあ



ま<見たか夜鷹>の汚国がら股ぐら堕w
大目にみちょぱギャルじゃまいかW



いまどき街頭立ちんぼなんか一番知恵のない女のやる商売の仕方で、今やデジタル立ちんぼ、ネットの出会い系、いやパパ活サイトで男引っ掛けるのが一番早い。
個人売春が流行りだすと、一番困るのが実は風俗産業で嬢が独立してしまったり、競業の素人に太い客全部持ってかれる。


だから腐りきった闇の中のソープもホストクラブも放置で、ケーサツは歌舞伎町ではせっせと立ちんぼを捕まえる。
なにケーサツも風俗でしのぐヤクザとグルなんですな。
で、キャッチに押し付けられた無料券でホストにハメられ風呂に沈められた若い娘が、毎月歌舞伎町で飛び降り自殺。


これがトンキンクオリティーなんですなあ。
ああ、汚え。


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