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「選挙を支配する者が政治を支配する」

前の記事の補足で、野田民主党の自殺行為(増税言明)の後の選挙だったから、与党民主党の敗北は当たり前ではあったが、自民党が勝利を確実にするために、その選挙からムサシが(本格的に?)使われたようだ。ひとつの党が単独過半数なら、もはや国会そのものが無意味化するわけで、実際、その後は、すべて「閣議決定」で政治が行われるという、国会が存在しないも同然の安倍菅岸田政治になった。つまり、日本は与党独裁国家になったのである。その後の政治的不祥事はあまりに膨大で、もはや国民はアノミー(無感動・無反応)状態だろう。
*アノミーは、正確には混沌状態を意味するようだが、一般的に「無感動、無反応」状態の意味で使っていることが多いと思う。つまり、ゾンビ化である。

(以下引用)


ムサシにまつわるウワサが目立つようになったのは、確認される限り、2012年からだ。
 
この年、民主党・野田佳彦内閣のもとでおこなわれた衆院選で、野党第一党の自民党が単独過半数を得て大勝。3年4カ月ぶりに自民党が公明党と共に政権を奪還した。
「自民党1強体制のもと、弱小野党が林立するといった現在の政治体制がここから始まった」と、当時選挙取材に奔走していた全国紙記者は振り返る。

政権を奪還したのは今から7年前(photo by gettyimages)


このような状況にあって、主に反自民党勢力の一部から漏れ出たのが、不正選挙を疑う声だった。民主党政権のあまりの短命と、強すぎる自民党の”選挙力”には、なにか不自然な”大仕掛け”が存在するのではと考えられたのだ。そうでもしなければ、自民党一強の理由を紐解くことができなかったのだろう。
 
そこで「反自民」のネットユーザーが疑惑の目を向けたのが、ムサシだった。多くの自治体に投票用紙の交付機、読み取り分類機、さらには投票箱なども納入する同社は、確かに特定の勢力と手を汲めば、やりたい放題できるのではと考えられても当然だ。
 
前述した衆院選後すぐに、ネット上ではムサシの不正を疑う書き込みが増えていく。ムサシの選挙機器には、自民党を有利に導く不正のタネが仕組まれているという指摘だ。
 
では、どのような不正があったというのか。

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学校という異世界を「社会化」すべし

元記事は見ていないが、ここに書かれた内容は、私がかなり前に書いたのとほぼ同じである。なぜ大学ではいじめが無くなるか、と言えば、他者との距離を自分で作れるからだ。つまり、自分の意思で孤立できる。高校までは孤立できないのである。同じ空間から脱出できない。いじめ被害者には出口無しの地獄だろう。甲本ヒロトの言葉が、いじめ問題の本質を言いつくしている。そもそも、学校は教育を受けるところであって、友達を作る目的の場所ではない。「友達を作れ」という暗黙の強制が、子供を苦しめている面もある。
ただし、学校という場で起こる様々な問題について気安く相談できる人間の存在は大事である。学校外の人間は、子供の両親も「学校問題」には無知だし、子供は当然無知の極みなのだから。教師が子供の友達的存在であれば一番だが、教師は教えるだけで手いっぱいだから、校長や教頭がその役目になるのが一番いい。入学式や卒業式以外で校長や教頭の顔も姿も見たことがないという子供はたくさんいるだろう。彼らは何のために存在しているのか?
そして、学校で起こる犯罪は犯罪として社会のルールで対処するべきである。できれば、退職警官を常任させるのがいい。体育会系の暴力教師が子供に睨みを利かすという、昭和のあの理不尽さも、必要性があったからそういう習慣になったのである。港湾の土方(荷揚げ人夫)の管理にヤクザが使われたようなものだ。不良をヒーロー扱いするヤンキー漫画は、そうして管理された子供が大人になってからのうっぷん晴らしだろう。しかし、「普通の子供」は、学校の不良の存在に大迷惑を蒙っていたのである。学校外だろうが学校内だろうが、犯罪は犯罪なのだ。

(以下引用)




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なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか…たった2つの「シンプルかつ納得の理由」
(中略)きわめてシンプルな「いじめ対策」

いじめを蔓延させる要因は、きわめて単純で簡単だ。

一言でいえば、

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(1)市民社会のまっとうな秩序から遮断した閉鎖空間に閉じこめ、
(2)逃げることができず、ちょうどよい具合に対人距離を調整できないようにして、強制的にベタベタさせる生活環境が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる。
----------

対策は、次のこと以外にはまったくありえない。

すなわち、

----------
(1)学校独自の反市民的な「学校らしい」秩序を許さず、学校を市民社会のまっとうな秩序で運営させる。
(2)閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせることをせず、ひとりひとりが対人距離を自由に調節できるようにする。
----------


※全文はリンク先で
https://news.yahoo.co.jp/articles/fcd618596a08807466d8afeedbf347c5a85cf3c8
3: ななしさん@発達中 ID:HYVfPkwc0
強要や暴行は即通報しろよ
学校内は治外法権かよ
7: ななしさん@発達中 ID:BFCddJhF0
いじめは断固警察に通報するようにとの文部科学省の通知が出てる
いじめは犯罪だ
これが国家の意志
193: ななしさん@発達中 ID:99f9R8xT0
大学みたいに小学校から単位制にしとけばいい
4: ななしさん@発達中 ID:1MR/Kuag0
それは問題の解決にはならないだろw
863: ななしさん@発達中 ID:0NXmsXUG0
>>4
なると思う
大学行ったらいじめが全くなかったから
まあ個人的な範囲で観測してないだけかもしれんが
他人から離れたいと思ったら任意で離れられる環境はでかいと感じた
15: ななしさん@発達中 ID:wE9vWRph0
>(2)閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせることをせず、ひとりひとりが対人距離を自由に調節できるようにする。

これ、社会に出てから困るのでは?会社の人間関係、家族関係、嫁姑、友達関係みたいに全部に影響する
203: ななしさん@発達中 ID:/1Cssp/w0
>>15
家族関係はともかく会社や友人、義理の家族や親戚とは距離を置いても問題は無かった
そもそもの関係を築けないならちょっと困難は出るかもしれないけど生きていけないこともないよwそんな人は社会にゴロゴロいる
25: ななしさん@発達中 ID:36vi1E3x0
甲本ヒロト
「居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。友達なんていなくて当たり前なんだから。友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。」

「趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。」

「ただ、友達じゃないけどさ、喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。だからいいよ、友達なんかいなくても。」
39: ななしさん@発達中 ID:CA9v419a0
>>25
すごく良いこと言ってる…

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「天皇無答責」の根拠

私の別ブログに書いた記事だが、明治憲法下での「国家(天皇)無答責原則」と、基本的法理である「法の不遡及原則」を知らない人が多いかと思うので、こちらにも載せておく。

(以下引用)一部追加


太平洋戦争と「責任問題」



この本は持っているが未読である。まあ、天皇の戦争責任をどう論じているかだけは読んでみたい気がする。
私の意見は、「責任はあったが、法的に『無答責』だったのだから、無罪である」というものだ。つまり、責任があることと、「責任に応える(罰を受ける)責任」はイコールではない。前者は道義と法の問題であり、後者は、罰則契約が存在するかどうかの問題だ。当時の法律(あるいは今もか?)には「命令者責任」は無かったのである。それを問題視した政治家も学者もいなかったと思う。
そして、法律は「不遡及」原則がある。つまり、過去に無かった法律(現在の法律)を根拠に過去の事件を裁いてはいけないわけだ。戦争の勝者が敗者を裁くことの法的根拠も無いはずだ。つまり、東京裁判などは「無理が通れば道理が引っ込む」話にすぎない。米国は日本への原爆投下(非武装民間人大量殺戮)で裁かれたか?
なお、私は、天皇制は「象徴天皇制」としてこのまま存続すれば、それでいいと思う。天皇や天皇家が政治に関与しなければ、単なる日本文化の一部である。まあ、一度失ったら二度と得られない貴重な「日本の飾り」のようなものだ。まさしく「象徴」なのである。
あるいは、いつの日か天皇を担いで「令和維新」を起こすのも、悪くはない気がする。今の腐り切った社会と政治を正すには、それが一番というか、それしかないのかもしれない。「維新」という言葉自体がすっかり汚されたので、あまり使いたい言葉ではないが。それとも「維新」ではなく「ご一新」とするか。


国の権力行使により個人が損害を受けた場合でも、昭和22年(1947)国家賠償法施行以前の行為であれば国は賠償責任を負わないとする原則。国家無答責の原理。


(以下引用)
かつての日本が何故、勝ち目のない太平洋戦争に突き進んだのかを、歴史学者の加藤陽子氏が、高校生との質疑応答形式を採りながら平易に解説したのが、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』2009 でした。 それ故か、菅政権は2020年度の日本学術会議の新会員候補だった加藤氏の任命を拒否しました。
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引用ツイート
吉 井 よ し 子 ❤ #大阪を返せ!カジノはいらん!
@yoshi_yoshi4414
私が日本の教育の敗北だな、と思うのは、あんな悲惨な太平洋戦争になぜ突入してしまったのか、それを学ぶ場がないということです。 なぜ、負けるとわかっていた戦争に引きずり込まれ、国民は狂喜乱舞させられ、そして何もかも失ったのか。 それを学ぶ機会がなければ同じことを繰り返す。

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「力」信仰の社会で言辞がまともな意味を持ちうるか

前の記事の補足的記事で、アメリカと銃(武器・武装主義)の関係に興味の無い人のほうが多いだろう。しかし、アメリカ人の世界的な戦争関与にはアメリカ人のメンタルも関係していると思う。つまり、力こそ正義という思想である。弱者が軽蔑される社会だ。で、その力とは、銃であり、金力である。スポーツも、アメフトのような「パワー重視」スポーツが人気になる。映画の中では暴力が美化される。言論は詐欺(自己正当化)のためにしか用いられない。そういう社会で民主主義が可能なはずがないだろう。
銃による被害者は、結局「弱者」としか見られないのである。被害者になること自体が弱者の証明であり、恥なのだ。ただし、裁判に訴えて巨額の賠償金を得たら、勝者になり、賞賛される。

(以下引用)

数字で見る「米国における銃乱射事件の実態」

>> 関連記事「規制・流通・発生場所――米国で多発する銃乱射、その背景は」はこちら

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世界中で米国より多くの銃乱射事件が発生する国はない。あまりにもありふれた米国の現実の一部を紹介する。

銃乱射事件は主に米国の現象

2016年の研究によれば、1966年から2012年にかけて起きた世界の銃乱射事件の約3分の1が米国で発生した。この研究では「銃乱射」について、下記の米連邦捜査局(FBI)の定義を使っている。研究は292件の事件について調査し、このうちの90件が米国で起きたことが分かった。言い換えれば、米国の人口は世界の5%だが、そこで全ての公共の場で発生した銃乱射事件の31%が起きているということだ。

「銃乱射事件」の件数は定義の仕方によって変わる

政府は単独のカテゴリーとして「銃乱射」を定義したことがない。そのため、どの非公式な定義を使うかによって集計は大きく変化する。銃による暴力について情報収集を行っているウェブサイト「ガン・バイオレンス・アーカイブ」によれば、「銃乱射事件」は4人以上の死傷者が出た事件を指す。この数には銃撃犯も含まれる可能性がある。この定義によれば、2016年は最初の164日間に136件の銃乱射事件が発生していることになる。

政府が採用するいくつかの用語の使い方を見てみよう。連邦法では、3人以上の死者が出た事件を「大量殺人」と定義している。FBIが2013年まで使っていた、一般的に受け入れられている定義では、4人以上の死者が出た銃撃事件を指す。議会の報告書では、ギャングが関連した事件や家庭内の事件は除かれる場合があり、そこでは「犠牲者を無差別に選んだ銃撃犯」に力点が置かれる。これに基づくと、全ての集計はひとけたにまで減る。

米国で過去10年に起きた最も死者数の多い銃撃事件

今回のオーランドの銃乱射事件は米国史上で最も死者数の多い銃撃事件だった(死者49人)。2007年に起きたバージニア工科大銃乱射事件(死者32人)や2012年のサンディフック小学校銃乱射事件(死者27人)から10年と離れていない。実際、1949年までさかのぼった死者数上位30件の銃撃事件のうち16件が過去10年のうちに起こっている。

学校か仕事場にいる場合、銃乱射事件で死亡する可能性が高くなる

2013年のデータによれば、銃乱射事件の10件中7件が学校や職場で起きていた。米国で最も知られている銃乱射事件は、サンディフック小学校やコロンバイン高校、バージニア工科大、サンバーナディノのインランド・リージョナル・センターなどで起きている。海外ではこうした事件は基本的に軍事施設の近くで起きている。

銃撃犯の多くは自殺するか殺されている

「アクティブ・シューター」による銃撃事件の約70%は銃撃犯が死亡して終わる。「アクティブ」というのは法執行機関や市民の対応が事件の結果に影響を及ぼす可能性がある側面を示している。

銃規制の議論が盛んになると、銃器に対する需要も高まる

銃器販売のための身元調査の件数に関するFBIのデータは需要のパターンに関して多くのことを教えてくれそうだ。こうしたパターンは世間の注目を集める銃乱射事件の直後、銃規制についての公共の場での議論が盛んになったときに上昇する傾向がある。最近、身元調査の件数が最高を記録したのは、月別では2015年12月のサンバーナディノの事件後だった。しかし、16年は15年の記録を上回るペースで推移している。

事実、米国人は他国の市民よりも多くの銃を保有している

スイスに拠点を置く銃器関連の情報センター「スモール・アームズ・サーベイ」の2007年の調査によれば、米国市民は約2億7000万丁の銃を保有している。これは、インドネシア国民全員に1丁ずつ銃を持たせてもまだ余りが出る量だ。そして、1人当たりの銃器の数としては米国が1位だ。そしてまた、米国の銃乱射事件の半数以上で、銃撃犯は2丁以上の銃器を保有していた。世界的に見ると、銃撃犯はたいてい銃を1丁しか持っていない。

結果として、銃器ビジネスは栄える

銃器への需要が急増すると、銃器の販売業者とメーカーのビジネスも栄える。スミス&ウェッソンの株価は2015年のサンバーナディノ銃乱射事件の後で急騰した。実際、過去8年間の株価の動きは、アップルやグーグルのような人気のIT企業の株価よりも劇的な割合で上昇した。

※本ページは、2016年06月13日時点のCNN.comの「US home to nearly a third of world's mass shootings」を翻訳し、掲載しています。

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「一般常識ではないカタカナ語の使用」というインテリの悪習慣

「シロクマの屑籠」というブログ記事の末尾で、筆者は精神分析医か精神科医だと思う。ゲームやアニメも好きなようだ。
下の記事はひろゆきというカリスマ弁論家と一般人のネットリテラシーを論じたもので、なかなか面白く思って読んでいたら、最後の節で、「サバルタン」という聞きなれないカタカナ語が出てきて面食らった。そもそも、これが英語なのかフランス語なのか、その他の言語かも分からないし、文脈から意味を推定するという作業も何だか癪に障る。何で、そんな面倒な作業を読み手に押し付けるのだという憤慨である。まあ、「お前は俺の読者として想定していない」という、書き手からの拒絶のサインだ、とも考えられるが、そこまでは非常に分かりやすい内容だったので、この一語で突然、目の前のドアを閉められたわけである。単純に「知的気取り(カッコつけ)」のためのカタカナ語だという気はするが、それとも、日本人の中で「サバルタン」というカタカナ語を知らないのは私だけなのだろうか。サバイバルともサルタンともサルバルサンとも関係は無いよなあ。そんなに、一般に熟知された言葉か? ちなみに、サルバルサンは梅毒の特効薬で、末尾は「酸」ではない。
一応、言っておくが、こうしたカタカナ語の使用は百害あって一利なし、とまでは言わないが、害のほうがはるかに多いと私は思っている。一般人があまり知らないカタカナ語を使うなら、原語で書くべきである。それなら調べようもある。まあ、単なる知的気取りである、と私は思っている。インテリ層の唾棄すべき悪習慣である。あるいは、ゲーム界あたりでは常識の言葉なのかもしれない。
これも一応言っておくが、文脈から推定するなら、サバルタンは「有象無象」という感じではないだろうか。もっと限定的に「知的劣等者」「無知蒙昧な輩」かもしれない。あるいは、それを象徴するような人名の可能性もある。

(以下引用)

結局彼等はサバルタンのままでしかない

 
インターネットが完全に普及し、誰でも情報発信ができる時代が到来したとは、よく言われることだった。実際、シェアや「いいね」機能をとおして、何も書けない人でもインターネット上のオピニオンやメンションに vote できる時代になったという点では、確かに情報発信は万人に開かれた、のだろう。
 
他方、あまりにもインターネットが普及し、そこにアメリカ大統領やらイーロンマスクやらひろゆきさんやらがひしめいている状況となった結果、インターネットは影響力争奪戦の戦場となり、カリスマや雄弁家の草刈り場になり果ててもいる。カリスマや雄弁家が間近に感じられる今の環境のなかで、彼等の劣化コピーとならないこと、誰かの意見ではなく自分自身の意見を持つことは、本当は難しいはずである。だとしたら。
 
だとしたら、ネットのカリスマや雄弁家に出会ったことで何かを言えるようになったと感じている人は、結局、もの言えぬ人々のままなのではないか。彼等が何かを言っているつもりでいて、実はカリスマや雄弁家のスピーカーになり果ててしまっているとしたら、結局彼ら自身は物言わぬ人々のままでしかない。なまじ、カリスマや雄弁家が間近に感じられるものだから、自分自身の意見とカリスマや雄弁家の意見の境界は曖昧になりやすい。リテラシーが乏しければ、そうした傾向に拍車もかかろう。
 
弁論術も含め、リテラシーとは、自己主張していくためのツールとして必要不可欠なわけだけど、そのリテラシーが欠如している限り、SNSがあろうとも、自分の意見を代弁してくれている誰かの追っかけをやろうと、結局自己主張は困難なのだと思う。のみならず、リテラシーが欠如しているからこそ、カリスマや雄弁家の巧みな弁舌から自分の意見を守ることも難しい。そうやって、タイトルしか読めない人やタイトルすら読めない人がネットのカリスマや雄弁家に浸食されているのが、ここ十数年の間にできあがったインターネットの風景だと思う。
 
もしそうだとしたら、「大衆の声」に相当するものは今、どこで聞こえるのだろうか。いや、そもそも大衆とここで言われる人々に、声や意見は持ち得るのだろうか。インターネットをとおして影響力が刈り取られまくっている現在の環境下で、自分自身であること、自分の意見を持つことはどこまで可能だろうか。それは他人に問うだけでなく、自分自身にも問わなければならないことだ。たとえば私がここに書いてあることだって、冒頭の小山さんの影響下にあって書いたものと疑ってかからなければならない。
 
ネットに限らずだが、このメディア全盛の時代、緊密に人と人とが繋がり合った時代において、声とは、いったい誰のものなのだろう? そして自分の意見とは?
 


(夢人追記)気になる人のために、一応調べてみた。まあ、私の推定は正解ではないが、大きく外れてもいなかったようだ。要するにインテリ用語である。
ちなみに、少し意味は違うが、「無告の民」という言葉もある。サバルタンよりは分かりやすい。


四字熟語無告之民
読み方むこくのたみ
意味貧しい人や老人、孤児などの弱者のこと。
苦しみを訴える相手や手段が存在しない人たちのことから。
「無告」は苦しみを訴える相手が誰もいないこと。

サバルタン

  

[subaltern]

2015/03





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岩手の人々の精神に与えた宮沢賢治の影響

「東海アマ」ブログ記事で、途中のユダヤ批判の部分は割愛する。不同意のためではなく、他の部分で書かれた宮沢賢治(なぜMと書いたのか不明)の精神が汚される感じだからだ。
「イーハトーブ」が「イートハーブ」だという説はどこから持ってきたのだろうか。彼の時代には「ハーブ」という言葉自体がそれほど知名度があったとは思えない。それに、普通に考えて、「岩手=いはて(いわて)」から作った造語だろうと思うのが自然ではないか。まあ、「いはて東部」とまでは言わない。ただ、些事への批判はともかく岩手の子供が幼いころから宮沢賢治の思想に触れているというのは確かだろう。それが、理想の「道徳教育」なのである。

(以下引用)




 日本の北の方に「イーハトーブ」と名付けられた国がある。面積は日本の県のなかで一番大きい。四国よりほんの少し小さく、イスラエル国よりも少しだけ小さいほどだ。
 そんなイーハトーブ国からは、少ない人口に見合わず、人口比で当然といえる東京都を除けば、山口県に次いで二番目という、たくさんの総理大臣を輩出している。

 有名人も数多いのだが、この数年になって、とんでもない物凄い野球キャラクターが数名登場してきて、世界中にイーハトーブの名が一気に広まった。
 それが大谷翔平と佐々木朗希で、もう一人菊池雄星もいる。後に続く佐々木麟太郎も三名に匹敵する活躍が予想されている。
 すぐ隣の地域でも、落合博満という凄い選手を出した。

 そもそもイーハトーブとは「葉っぱを食べる国」(イート・ハーブ)という意味で、その理由は名付け親の童話作家Mが仏教の敬虔な信者で、殺生を嫌い、精進食を好んだからといわれている。
 でも、葉っぱを食べて2m近い高身長の世界的スポーツ選手が育つとは思えないのだが。
 イーハトーブ国からは、随分前だが、三船久蔵と藤原敏男という、これも歴史に残る物凄い格闘家を輩出している。しかし彼らがイーハトーブ食だったかは分からない。

 私は大谷翔平の報道を見ていて、日本中が夢中になっているなかで、彼の純粋な精神性に惹かれるのだが、それは名付け親のMに共通するものを感じるのだ。
 Mは、生きているうちには誰からも、何一つ正当な評価を受けず、無名で貧しいまま結核で死んでいったが、とてつもない純粋純真な心根だけをこの世に残していった。
 まるで大谷が、Mに与えられるべきだった評価を、まとめて受けて無念を晴らしているようにさえ見える。

 イーハトーブの住民は、全員が子供の頃からMの純真さに打たれ、その心を受け継いでいるように見える。だから、政府に割り当てられた県名よりも、Mの名付けたイーハトーブ国という名前に誇りを持っているのだ。
 イーハトーブは、Mの精神を受け継いで、とてつもなく優しい人が多い。
 だから、全国犯罪率ランキングでも、隣の「もうアキター国」と並んで47都道府県中最低なのだ。
 http://area-info.jpn.org/CrimPerPop.html

 イーハトーブの小学校では、全員がMの残した詩を朗読して記憶するので、大人になっても淀みなく話せる人が多い。
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノノ
 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒドリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ
 南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 
******************************
 こんな詩を、幼い頃から暗誦していれば、いったいどんな子供が育つだろうか?
 それが、イーハトーブの犯罪率が日本最低であることの秘密だと私は思う。
 そして大谷や佐々木を輩出した本当の秘密なのだ。

(中略)

 もう一つ、イーハトーブの人々の人間性を定めてきた、Mの悲しい詩がある。
 日本の詩集の最高傑作として、知らない人はいないのだが、こんな詩を読みながら育ったイーハトーブの人々の人間性が、どうして大谷翔平や佐々木朗希につながるのか、あえて説明する必要もないだろう。

 永訣の朝
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html

 けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
 みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (*あめゆじゆとてちてけんじや)
 うすあかくいつそう陰惨いんざんな雲から
 みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

 青い蓴菜じゆんさいのもやうのついた
 これらふたつのかけた陶椀たうわんに
 おまへがたべるあめゆきをとらうとして
 わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
 このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

 蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
 みぞれはびちよびちよ沈んでくる
 ああとし子
 死ぬといふいまごろになつて
 わたくしをいつしやうあかるくするために
 こんなさつぱりした雪のひとわんを
 おまへはわたくしにたのんだのだ

 ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
 わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
 はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
 おまへはわたくしにたのんだのだ

 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
 そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
 みぞれはさびしくたまつてゐる
 わたくしはそのうへにあぶなくたち
 雪と水とのまつしろな二相系にさうけいをたもち
 すきとほるつめたい雫にみちた
 このつややかな松のえだから
 わたくしのやさしいいもうとの
 さいごのたべものをもらつていかう

 わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
 みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
 もうけふおまへはわかれてしまふ
(*Ora Orade Shitori egumo)

 ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
 あああのとざされた病室の
 くらいびやうぶやかやのなかに
 やさしくあをじろく燃えてゐる
 わたくしのけなげないもうとよ

 この雪はどこをえらばうにも
 あんまりどこもまつしろなのだ
 あんなおそろしいみだれたそらから
 このうつくしい雪がきたのだ
  (*うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで     くるしまなあよにうまれてくる)

 おまへがたべるこのふたわんのゆきに
 わたくしはいまこころからいのる
 どうかこれが天上のアイスクリームになつて
 おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
 わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
*******************************

 私はMが書いた「銀河鉄道の夜」を読んでいて、大谷翔平が、この世の小さな欲望の交錯するカオスのなかで、まっすぐに銀河だけを見つめて、ひたすら登ってゆく姿を見せているような気がする。
 大谷も佐々木も、たぶんMの人間界を超越した壮大なビジョンのなかで、ジョバンニとカンパネルラのように、銀河鉄道の乗客になっているのだと思える。
 それがイーハトーブの人々なのだ。

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紙おむつを買う金もない41歳巡査部長

41歳の巡査部長が紙おむつなど「2300円」分を万引き。
あまりの情けなさに気の毒になる。日本の下級国民はこういう状況なのに、コメント群の冷酷さにも呆れる。まあ、そういうコメントをサイト管理人が選んでいるのかもしれない。

(以下引用)

【和歌山】41歳巡査部長を万引き疑いで逮捕 スーパーで紙おむつなど2300円分盗んだか 和歌山県警

1: すりみ ★ 2023/05/06(土) 12:00:06.89 ID:Wwpqn7Jm9
和歌山市内のスーパーで紙おむつなどを万引きしたとして、和歌山県警の巡査部長が逮捕されました。


《中略》


松井容疑者は5日、和歌山市内のスーパーで、紙おむつや飲料水、合わせて約2300円分の商品を盗んだ疑いがもたれています。


警察によりますと、松井容疑者は買い物カートに商品を乗せたまま支払いをせずに店を出て、その様子を確認した従業員が警察に通報したということです。


松井容疑者は調べに対し、「間違いありません」と容疑を認めているということです。


全文はソース元でご覧ください
ABCニュース|05/05 21:51 配信|最終更新:05/05 21:51
https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_19515.html


引用元: ・【和歌山】41歳巡査部長を万引き疑いで逮捕 スーパーで紙おむつなど2300円分盗んだか 和歌山県警 [すりみ★]


2: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:01:17.51 ID:HrLZCA/L0
アホなやつ
3: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:01:35.95 ID:hd8j8/5A0
部長です
4: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:01:40.86 ID:U0wT6Mvz0
子ども用?親の介護用?自分のプレイ用?
5: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:02:33.16 ID:xogaY8MH0
泥棒ジャッ○が警察にも浸透
6: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:02:46.93 ID:uw4Rc++B0
あれだね、職業とまともさって比例しないね


無職より犯罪犯しまくってる有職者が多いのはなぜ?


13: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:08:02.04 ID:lt5a3Gk+0
>>6
仕事と人格は何の関係もないだろ
何の経験もないオタクがカテゴリ分けして何か言ってるだけだぞ
7: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:03:06.66 ID:gSgdKBM80
41歳の警官なら良い給料もらってるだろ。
8: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:04:04.84 ID:2IOEN84B0
大原部長ぉ~
9: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:04:19.37 ID:Sv+nCJTr0
どうせ依願退職して退職金をガッポリだろ
10: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/06(土) 12:04:34.00 ID:HIl7i7WJ0
41で紙おむつ買うって結婚するの遅かったんだろ?
それがこんなことで…

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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