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犯罪と合理的思考

前回の記事の「毒消し」として、「紙屋研究所」から次の記事を転載しておく。
ただし、世界的に犯罪自体が減っているわけではなく、「粗暴犯」が減っている、ということであり、知能犯、特に社会上層部の犯罪行為は、むしろ増加しているのではないか。もちろん、そうした権力者・権力階級の犯罪の大半は隠蔽されるのが当然であって、水面下で行われる犯罪は膨大なものだろう。
要するに、暴力的犯罪、特に殺人などというものは「割に合わない」から、時代精神が合理性に傾けば傾くほど粗暴犯は減るのが当然だ、というだけの話ではないか。それは慶賀すべきことだが、逆に言えば、殺人が経済合理性に合致すれば、「神無き時代」の合理的人間はためらわずに殺人を選ぶ、ということである。その種のニュースはマスコミ上でも枚挙に暇が無いだろう。しかも、東電による「放射能殺人」やアメリカによる「テロとの戦争」名目のイラク、リビア破壊に伴う殺人などは、誰からも裁かれないのである。
下記記事の後に、「余談」として、高齢者の犯罪が増えていることが書かれている(ここでは省略した。)が、これも「経済合理性」による犯罪がほとんどだろう。罪を犯して刑務所に入れば、飢え死にしなくて済む、という貧困老人が犯罪を行うのは、この上なく合理的な行動ではないか。


(以下引用)

2015-02-08 暴力はなぜ減っているのか? 『犯罪社会学研究』第38号

『犯罪社会学研究』第38号Add Starzakincogureneko




 保育園がいっしょだった親御さんと話していて、また地域で不審者情報が出たというので不安がっていた。その前日、ぼくはある学習会の講師で「犯罪は激減しています」としゃべっていたのであるが、その親御さんの意見をふんふんとうなずいて聞いていた。




 そういう話をしていたら福岡県で女子小学生が殺害され、この文書を書いている最中に和歌山県で男子小学生が殺された。「数十秒目を離したスキに…」「自宅のすぐそばで…」と報じられるので、うちのつれあいとかはもう四六時中娘に張り付いてないといけないかのような思いにとらわれている。



日本中、そして先進国で犯罪は減っている

 福岡市では犯罪が減っている。2002年をピークにして半分くらいに減っている。


 日本全国で同じような傾向をたどっている。


 さらにいうと先進国全体で犯罪は減っている


犯罪社会学研究 第38号(2013) 課題研究「犯罪率の低下は、日本社会の何を物語るのか?」 最初にそのことを知ったのは2013年7月3日の英誌「エコノミスト」の記事だった。それで関心をもって『犯罪社会学研究』という専門誌の竌38「犯罪率の低下は日本社会の中を物語るのか?」という特集(課題研究)を読んだ。





主要犯罪全体の発生率が低下しているのは、主要先進国に共通の現象である。(宮澤節生/同誌p.11) 


 ただ、先進国全体のこの傾向については、その原因は今一つよくわかっていないというのが結論のようだった。




結局、「国々の間での異同」と「各国の犯罪発生率の変化」を同時に計測する研究が現れるまで、多くの先進国において犯罪発生率が低下しているという現象に対する説得力のある説明は、得られないように思われる。(同前p.17)


 同誌では日本だけについていえば、いくつかの仮説が検証されている。研究者の文書なので「これがその原因だ!」みたいにセンセーショナルには書いてないけど、だいたいこんなところがその原因かな、というふうににおわせる、あるいは一定の結論を出している(以下はぼくの主観的なまとめなので、正確には同誌および個別の論文そのものを読んでほしい)。



警察のカウントの仕方

 一つは統制主体の問題。簡単に言うと、警察の側の方針変更で、統計数字がかわったんじゃないかということ。


 2000年代前半をピークに減っているのは刑法犯の「認知件数」である。


 認知は被害届を受理することによって変わる。だから、積極的に被害届を出すように促し、積極的に受理すれば増えていくのである。もう一つは、数え方。被害が連続して起きた場合にそれを1とするか2とするかは警察の裁量がはたらく。




 同誌の浜井浩一論文「なぜ犯罪は減少しているのか」では検挙人員がほとんど減っていないことを指摘する。




認知件数は、犯罪統計としての妥当性は高いかもしれないが、被害届の取り扱いなど、その時々の警察の事件に対する取り組み方針の影響を受けやすい。常に同じ対象を安定的に計測しているのかという信頼性からの観点から見ると、最も信頼性が高いのは実は検挙人員である。認知は、被害届を受けて事件を受理・記録しただけだが、事件ではなく人を検挙するためには、当該被疑者が罪を犯した事実を確認するなどきちんとした手続を踏まねばならないからである。(浜井/同誌p.56)




 1986年からの長期的な推移のグラフをみると、検挙人員はあまり動きがなく、認知件数だけが突如山をつくるように2000年代前半前後にもりあがり、元に戻り、やや減っていく傾向を示している。


この警察の方針の変化については、同誌で石塚伸一論文「日本の犯罪は減ったか? 減ったとすれば、その原因は何か?」のなかで少し触れている。また、浜井論文では4つの新聞沙汰になった事例をあげて、警察で統計の「操作」をしていたことを示している。




 警察の影響を除いた、本当のところはどうなのか。


 浜井は、「守備範囲は狭い」と断りながら、「犯罪被害調査」という統計を紹介する。この統計は、市民に対して犯罪に遭ったかどうかを調査して回り、そのサンプルから犯罪の発生率を推測するものである。これだと被害届を出したかどうかにはかかわりなく、被害の実態が浮かび上がることになる。街頭犯罪についていえば、次のようになっているという。




認知件数では、器物損壊を含めて街頭犯罪の多くにおいて2002-2003年をピークとして急上昇、急降下しているのに対して、実際の被害率は一貫して減少していることが確認できる。(浜井/同誌p.59)




 つまり、まあ、認知件数ほどじゃないけど、こうした犯罪は減少しているよっていうことになる。警察の方針変更とか統計いじりの影響をうけながらも、犯罪は減少しているとみていいってことだとぼくは感じた。



防犯技術の向上

 じゃあ、やっぱり、「なぜ犯罪は減ったのか?」。


 警察ががんばったとかいうことはあるだろうか。


 浜井論文では、警察白書で認知件数減少に大きく寄与している犯罪として、車上ねらい(29.6%)、自転車盗(15.7%)、自動販売機ねらい(14.8%)、オートバイ盗(13.1%)があげられていることを紹介している(認知件数の減少に対して、街頭犯罪全体が占める寄与率は85.6%で、つまり車上ねらいなどの街頭犯罪が減ったことがほぼそのまま認知件数全体の減少につながっているとしている)。


 浜井論文では、自動販売機堅牢化と駐車場における防犯カメラの効果についてのべている。自動販売機堅牢化は、2006年ごろに堅牢化が完了し、自動販売機ねらいの認知件数は他の犯罪と違った増減を示したという。




他の街頭犯罪とは明らかに異なる動きをしている。そして、それが自動販売機に占める堅牢化率と相関しており、自動販売機ねらいの認知件数の減少には、一定程度以上に堅牢化の効果があったものと推認できる。(浜井/同誌p.60)




 防犯カメラの効果については、浜井論文では、特に統計的な指摘はされていない。防犯カメラは導入に賛否があるものだが、浜井はキャンベル共同計画のレビューを参照し「防犯カメラは唯一駐車場における車両関係犯罪の防止に効果があることが確認されており」と述べている。この指摘は斉藤貴男『安心のファシズム』でも見られた。


 このような防犯技術の向上、それへの投資によって犯罪が減少していくことについては、「エコノミスト」にも指摘があった。




先進国で犯罪が急激に減少している。…最大の要因は、単純に警備対策が向上したことかもしれない。自動車のイモビライザ―は遊び半分の盗難を防いでいる。銀行強盗は、防弾スクリーン、警備員、印付き紙幣でほぼ姿を消した。警報機とDNAデータベース強盗の逮捕率を高めている。…小規模な店舗さえ、監視カメラセキュリティタグに投資している。一部の犯罪は今や極めてリスクの高いものとなっている。(「エコノミスト」2013年7月20日号)




 警察白書は、警察の側のさまざまな取り組みの強化を認知件数の減少と結びつけているが、それについての言及は浜井論文にはあまりない。



少子高齢化が影響

 浜井論文では「1960年以降1990年代半ばくらいまで殺人、強盗強姦、傷害などほとんどの伝統的暴力犯罪の認知件数は減少していた」(浜井/『犯罪社会学研究』第38号p.64)という事実の原因の一つを「少子・高齢化」ではないかとしている。




実は、年齢と犯罪は密接な関係があり、その関係を調べて見ると一般的な犯罪の過半数以上は30歳未満の若者によって行われるということがわかっている。…先進国のほとんどにおいて年齢階層別の検挙人員を人口比で見ると、10歳くらいから非行が始まり15-20歳でピークを迎え、就職・結婚とともに次第に減少していく現象が見られる。日本においても1990年までは、一般刑法犯(検挙人員)の約7割は30歳未満の青少年によって行われていた。つまり、少子・高齢化によって青少年人口が減少すれば、人口構成的に犯罪の担い手が減少することを意味している。(浜井/同誌p.64、強調は引用者)




 少子化は多くの先進国に共通する特徴であるから、これが原因の一つであるというのはうなずける。



人類史上最も暴力の少ない社会に生きている」

 ぼくが『犯罪社会学研究』の当該号を読んで一番びっくりしたのは、ここ千年近くのスパンでみると、暴力による殺人が減っていること、「人類史上最も暴力の少ない社会に生きている」(浜井/同誌p.66)という規定だった。




世界的に著名な心理学者であるピンカーは、様々な資料を駆使してヨーロッパでは西暦1200年ぐらいから、人口あたりの殺人率が減少していることを明らかにしている。(浜井/同誌p.66)




 ピンカーの議論は次のようにさらにくわしく紹介されている。




こうした長期的な暴力の減少は、殺人といった犯罪に限らず、戦争での死亡者数、死刑、拷問や奴隷においても同じように見られることを例示しながら、これらの人の生命身体や尊厳を傷つけるような力の行使の減少は、人類が種としても(文明)社会としても発展し続けていったことによって、あらゆる意味で暴力を回避する傾向が高まっていった結果であると主張している。(浜井同前)




 「いやあ第二次世界大戦で大量に人が死ぬ時代は別でしょう」とか思っていたので、なおびっくりした。さらに、最近の武装組織によるテロ事件の「頻発」などを連日のように聞けば「死亡者数、死刑、拷問や奴隷においても同じように見られる」という限定はとても重要だし、目を見開かされる思いだ。


 このデータが正しいと前提して、なぜこうした成果がかちとれたのか。




ピンカーは、人類の中で暴力が減少しているのは、私たちの中にある「内なる悪魔(inner demons)」と「より良き天使(better engles)」の戦いの結果、私たちを暴力へと駆り立てる「内なる悪魔」を、私たちを暴力から遠ざける「より良き天使」が凌駕した結果だと主張している。(浜井/同誌p.66-67)




 え? 「内なる悪魔」? 「より良き天使」?




ここで「内なる悪魔」と呼ばれているものは、個人レベルでは復讐心やサディズム、社会レベルではイデオロギーであり、「より良き天使」と呼ばれているものは、共感性、セルフコントロール、モラル感覚、理性といったものである。(浜井/同誌p.67)




 えー、人間の心が発達したっていうの? それはちょっとにわかに信じられないなあとこの浜井の要約だけ見るとそう感じる。


 しかし、ピンカーがこの結論を出すうえで、前提となる事実を述べている。そのことについて浜井は次のように要約している。




具体的には、統治機構、教育、貿易・経済、国際化といったものの発展が、復讐・暴力への衝動・情動や有毒なイデオロギーを制御し、理性の力によって暴力への誘惑を減退させることに成功したというのである。ピンカーは、これを文明化プロセス(civilizing process)や人間性の進化(humanitarian revolution)等の概念で説明している。(浜井/同誌p.66)




 これならわかる。というか、実感に沿っている。


 たとえば、戦争という巨大な暴力を発動させることを食いとめる条約、国家機構、国際機構がある。教育が浸透することで暴力をあおる団体がある日やってきてこれを煽動してもそれによって暴力には駆り立てられないような素地が生まれる。貿易や国際化がすすむことでお互いの国に依存するようになるし、お互いの民族や国を知る機会もふえる。


 日本だけを考えてみても、戦前と戦後ではこれらが果たしている役割は大きいだろう。 戦前には戦争を制御する装置が弱い国家機構と憲法しかなかった。戦後、これらは国家から起こるあらゆる戦争の原因を除去する構造をそなえた憲法にすげ替えられた。教育も日本という国家や「民族」を誇大視する偏狭な教育が反省された。貿易や交流の発展でとりわけ中国韓国の人たちがどのような人たちかを知る機会は増えている。いまヘイトスピーチのような煽動がされて暴力事件も起きているが、国全体が暴力へと駆り立てられるという事態にはいたっていない。予断は許されないが




 いずれにせよ、この千年、数百年の間に世界規模で殺人や暴力が減っているというのは、実にものすごいことではないだろうか。いや、素直に感動しない? 暴力によって人が殺されないということに人類は成功しつつあるっていうんだから。


 いま中東アフリカから大量に人が殺されたり死んだりしているニュースが頻繁に伝わってくる。テロ、内戦、暴力による死ばかり。


 しかし、ぼくらはそれに絶望しなくてよい、ということだ。いや、もちろんだからといって「いやー、よかった。めでたしめでたし」というわけではないが…。


 幸いにも、日本にいるぼくらは中東アフリカの出来事を距離をもって眺められる位置にいる。そこで起きている暴力を抑えるために、冷静なアプローチができるということだ。ピンカーが指摘したように「統治機構、教育、貿易・経済、国際化といったものの発展が、復讐・暴力への衝動・情動や有毒なイデオロギーを制御し、理性の力によって暴力への誘惑を減退させることに成功した」という確信にもとづいて、その道を強化していけばいいのである。


 この確信は、フランス風刺画事件や日本のヘイトスピーチのようなものも、克服できるのではないかという楽観を与えてくれる。


 もちろん、中東をどう平和にするか、ヘイトスピーチをどうなくしていくか、専門家でもないぼくには具体的な妙案があるわけではない。


 しかし、さっきあげた確信は、むちゃむちゃアホっぽい言い方になるけど、みんなでいろいろ知恵を出していけば何とかなっていくよ、という楽天的な気持ちをわかせてくれるのだ。




 ぼくはマルクス主義者なので、根本的にヘーゲルと同じような歴史観をもっている。つまり人間の歴史というのはジグザグはあっても対極的には理性が勝利していく、というものだ。*1


 この浜井論文に描かれていることは、犯罪学者の中では“常識”のようなものかもしれない。しかし、単なる犯罪の統計・傾向の問題だけでなく、この論文はぼくの歴史観まで裏打ちしてくれるものだった。


暴力の人類史 上 特にピンカーの著作は非常に興味深かった。注をみると、まだ日本語訳は出されていないようである。*2誰かやってくれないだろうか。……と思っていまググったら、あるな! 邦訳が! しかもつい最近! 


 タイトルが『暴力の人類史』。あー、売ることだけ考えたら原題のサブタイトル「暴力はなぜ減ってきたのか」がよかったかもねー。「なぜ世界から暴力は減ってきたのか」くらいにしたらバッチリでは。


 いや、まあこんな大部の本、『暴力の人類史』みたいなカタくて大仰な感じのタイトルにした方がいいのかな。ケチつけてすんませんでした。




 邦訳が出てるんだったら、上記にぼくが述べたことはピンカーの意図を正しく言い表しているかどうかわからんので、とりあえず読んで確認することにしよう。


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夜明け前の闇の中で

「ロシアの声」から転載。
こうしたまともな考えが聞けるのは、今やネット以外では非西側マスコミだけのようだ。そのネットも日本では情報操作と、政府に批判的なブログやサイトへの弾圧が激化しつつあるように見える。国会は今や「テロとの戦争」で大政翼賛会になりつつある。まったく、日本人というのは学習能力というのがないのか。
まあ、ボヤキはさておき、世界のテロ組織の活動やクーデターのほとんどは米国とイスラエルが背後にいることは、今や世界的な常識となりつつあるが、問題は、ではそれが常識となっても、それに対して何ができるか、ということがさっぱり分からないことである。だから世界はプーチンをひたすら頼みにし、彼なら何とかしてくれるのではないか、と彼に希望をつないでいるのだが、彼とて超人ではないし、まして神様ではない。少しだけ良い傾向が見えるとしたら、ここに来てEUの中からロシアに対して歩み寄りを見せる気運が生まれつつあるように思われることだ。ギリシアは言うまでもなく、フランスのオランドやドイツのメルケルもプーチンとの対話に前向きのようだ、という話もある。
世界はソ連崩壊から9.11を経てここまでの「米帝支配」(古いね、どうも)一辺倒でだけはなくなりつつあるようだ。
今の日本も世界も「夜明け前の闇」であると信じたい。


14:11

キエフ、ワシントンの支援をウクライナ人の血であがなう

キエフ、ワシントンの支援をウクライナ人の血であがなう

米国はウクライナ紛争の長期化を望んでいる。キエフ政権は米国のおかげで存在できている。その対価は、自国通貨が暴落しているので、ウクライナ人の血で支払う、ということらしい。以上のような、ポーランド人ジャーナリスト、ヤクブ・コレイバ氏による署名記事が、リア・ノーヴォスチのサイトに掲載されている。



ミンスク交渉は大失敗に終わった。ウクライナ南部・東部における流血の惨事がついに停止されるか、との期待は水泡に帰した。これでひとつのことがわかった。モスクワ以外だれひとり、戦争の停止を望んでいないのだ、ということ。欧米もウクライナ政府も、戦争の終結を望んではいない。彼らの行動そのものがそのことの証拠だ。むしろ戦争を、自分の政略に利用しようとしている。


キエフは戦争を終結させることが出来るのである。まずは命令一下、戦闘行為を停止させ、ついで諸地域と交渉を行い、国の未来を決めていく。簡単な二者択一だ。妥協するか、それとも、物理的に弱らせることによって、相手の立場を変えさせるか。紛争のこの半年の経過を見るに、キエフは緊張緩和に努めてはいない。和平の光明が見えたと思うそのたび、キエフは懲罰作戦を再開した。


何を隠そう、キエフではいま、まったく新しい国家イデオロギーの建設が進んでいるのである。ウクライナという国家の文化的存立基盤の根本的変造である。ウクライナ東部市民にとってはただでさえ容認しがたい、クーデターを出発点とする政権の上に、全く合法的とは認めがたい国家機構が樹立されようとしているのである。


キエフが戦争終結を望まない以上、流血の惨事の停止という重責は、国際社会の肩にかかる。その筆頭は、ウクライナにおける「民主主義の強化」に50億ドルを「融資」した、かの米国である。今やウクライナに対し政治的・また技術的影響力を持ち、ウクライナを平和への途に赴かしめることが出来るのは、ひとり米国のみである。問題なのは、ウクライナで戦争が続くと、世界における米国の覇権が強化される、という構造があることである。米国の国家戦略についての深い洞察で知られるジョージ・フリードマン氏は言う。「米国には、戦争で勝つことなど必要ではないのである。必要なのは、戦争によって、地政学上のライバルに問題を抱えさせ、その潜在力の開花を妨げることだけだ」。


米国はここ10年、ロシアの経済的台頭を、また、時を追うごとに「頑固さを募らせていく」、つまり独立性を高めていくその外交政策を、警戒心をもって観察し続けた。国家戦略の立案を担うものたち、政治工学者たちは、このままではまずい、「国際関係における独立した引力源たるロシアは、無力化されなければならない」と考えられるようになった。そのためには、ロシア国境に戦争を起こすのが一番いい。主要な貿易相手国における、難民の大量発生、人道危機、経済破綻、これにまさる物はない。


膨大な資本投下と工作によって米国は戦争の扇動者たちを大統領・首相・将官の席につかせた。紛争が長期化し、血みどろになればなるほど、この「遠くの」、そして「小さな」戦争に、ロシアはどんどん資本を奪われ、「ビッグ・ポリティクス」にはますます手が回らなくなる。それが米国の狙いである。


今やノヴォロシアの側さえ、紛争終結を望んでいない。ドネツクもルガンスクも、キエフの現政権が続く限り、自分たちに政治的未来はない、どころか、物理的生存さえ危うい、そう理解している。


ウクライナ紛争の終結は遠い。もはやとうの昔に、国内の特定の地域の地位うんぬんの話ではなくなっているのである。ウクライナも、ウクライナ国内の諸権力も、グローバル規模の仁義なきチェス・ゲームに組み込まれてしまっている。ワシントンのグランドマスターが東欧の歩兵にチェックをかけている。その最終目標はモスクワ陥落だ。


ワシントンはウクライナ人が最後の一人になるまでモスクワとの戦争をやめない。そのことを、ヤツェニュークもポロシェンコも理解していない。


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マスコミとネット界に吹き荒れる情報弾圧の嵐

「大摩邇」から転載。「つむじ風」の記事に引用されていた記事らしい。
さて、ネットに存在するあらゆる「真実の情報」をすべて弾圧し、消し去ろうという日本政府の試みは、それをやればやるほどそれらの情報が真実であったことを浮き彫りにするものだ、と私は思っている。まあ、ご苦労なことである。
今は戦前なのか、それともすでに戦中なのか。
茶色の朝がすでに来ていることだけは確かなようだ。


(以下引用)


【転載開始】2015年2月5日木曜日

日本政府 テレビ朝日のYoutubeチャンネル「重大な違反」で全ての動画削除

 
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/363741/

 YouTubeでテレビ朝日のニュース映像を配信する「ANNnewsCH」が4日、一時アカウント停止状態になった。サイトでは「YouTubeのポリシーに複数回のまたは重大な違反をしたため、このアカウントを停止しました」というメッセージが表示され、これまで公開された動画など一切表示されなかった。

 YouTubeのポリシーでは、「生々しい描画や暴力的なコンテンツ」について「状況に関する説明や教育的な情報が示されていなければ、それは過激な映像と見なされてサイトから削除される可能性があります」としている。

 同チャンネルのどの動画が「ポリシー違反」に該当したのか不明だが、「イスラム国」関連の処刑シーン(の一部)が問題視された可能性がある。

 同日午後4時ごろ、復旧した同チャンネルでは「『イスラム国』日本人拘束・殺害事件」だけでなく全ての動画が削除されていた。


湯川のニセモノ外人首切り写真をYoutubeにアップした際に、私のYoutubeアカウントが2週間、停止にさせられて、未だにReptilianIsRealのアカウントではYoutube自体が見れなくなってますが、日本政府ってやる事が汚いですね。
 
あのフェイクな首切り映像を、なるべく国民に見られないに、あちらこちらにプレッシャーを掛け、消しまくっているんですよね。日本政府がニセモノの合成写真で、国民を脅かして、戦争に邁進しようという魂胆がバレたら日本政府はお終い。
 
嘘をテレビで何百回も流せば真実になる。テレビでくだらないシナリオ付のお涙頂戴劇をして、クライシス・アクター達を英雄の様に褒め称え、「後藤さんは世界的な勇気のあるジャーナリスト」などと持ち上げ、英雄扱い。この首切り劇にご出演の方々は、すべて日本人ではなく、在日朝鮮人(もちろん特権爬虫類人達)だというではないか。
 
後藤も湯川も、犯罪組織日本政府のエージェントだったという事を、国民の皆さんは知らされるべきだし、すべての国民が、あのくだらない合成でできた首切り写真を見るべきですね。湯川の写真は、湯川では無いのは100%確かだし、後藤の首切りに関しても、まったくの無血の首切りごっこだった。
 
ではなぜ、日本政府がテレビ朝日に報復したのか?
それは下の記事に対して、日本政府が激怒したからだ。
 
 

背景の砂漠に人物後付けか 

               人質映像を専門家解析 「イスラム国」事件

 
イスラム過激派組織「イスラム国」がインターネット上で公開した映像を筑波大学システム情報系の蔡東生(さいとうせい)准教授(55)が独自に解析したところ、人物の映像がそれぞれ背景の映像に後付けで合成された可能性が高いことがわかった。
 
この情報は、日本政府にとって非常にヤバイ記事だ。なぜなら警察庁科学警察研究所が、「写真が合成された痕跡は一切無し」と断定した事になっているからだ。朝日デジタルが載せた記事により、警察庁科学警察研究所が嘘をつき、国民を騙した事がバレバレになり、日本政府と警察も含めて犯罪組織という事が露呈してしまった結果となった。
 
 
この点に関して日本政府は、緊急閣僚会議を開き、何とか朝日テレビに罰則を課そうと企んだ。この緊急閣僚会議では、もちろんわたくしReptilianIsRealがアップした湯川の首切り外人コラビデオに関しても、罰則を課する事を決めたらしい。
 
内閣が一番危険と指定しているネット暴露組織またはブログは
1.テレビ朝日
2.東スポ
3.宇宙への旅立ち
4.さゆふらっとまうんど
5.飯山一郎
 
なぜかリチャード・コシミズのブログは、内閣が指定する危険ブログには指定されていなかったという。ジャパン・ハンドラーのエージェントのベンジャミン・フルフォードが、しっかりコシミズをコントロールしているからだ。ただ、彼のブログに張り付いている何人かの危険コメンテーターに関しては、これからも監視していく事で一致したらしい。
 
その他、小規模なブログは、記事だけでなく、ブログそのものも消されてしまったところもあるという。
 
ハッキリ言って、合成首切り処刑コラがみれるのは、現在、私のブログのみに近い状態になっている。ほとんどのブログ管理者達が、日本政府による報復を恐れて合成首切り処刑コラを載せない、または載せても消してしまったところが多い。
 
 
これからも犯罪組織の日本政府は、Youtube、そして危険ブログを監視し、自分達の嘘を隠蔽し続けるだろう。


そして私達は、日本政府からの情報弾圧テロに決して屈してはならない。日本政府からの情報弾圧テロに対して、断固として立ち向かう姿勢が大事だと肝に命じるべきだ。消費税も含めて、日本政府による横暴を許してはならない。
 
日本人を騙す日本政府に抗議の電話を!
 

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「後藤健二」教の邪気

「世に倦む日々」から転載。(冒頭部省略)
素晴らしい記事である。今の日本を覆う狂気じみた「後藤健二」教の邪気を払う清涼剤だ。


(以下引用)



けれども、安倍晋三に対する批判の自粛などよりもはるかに巨大で圧倒的な同調圧力が、事件発生後のこの国を覆っていて、それに誰も抗えなくなっている現実をわれわれは見落としていないか。それは、後藤健二に対する批判と考察の禁忌であり、昨年10月末の後藤健二の不審な行動経過に対する検証の自粛だ。私は、事件直後の早い段階から、このような思想状況になることを危惧し、後藤健二に対する英雄視や神聖化の動きに警戒警報を発してきた。果たせるかな、マスコミによる後藤健二への美化と礼賛の怒濤は収まりを見せず、連日連夜、これでもかと洪水のように押し出され、同じ映像とコメントがニュース番組を埋め、後藤健二は神格化されて行った。「後藤さんは常に子どもに寄り添った」「弱者の味方だった」「戦争で傷ついた子どもを支援した」、このフレーズが幾度も幾度もテレビから流され、同じ映像が使われ、事件についてのテレビ報道は、真相を解明したり追跡したりするものではなく、後藤健二を絶賛するもの一色に染まった。特に、殺害された2/1以降は際立っていて、今や後藤健二に対しては尊敬と共感の言葉以外は言えない環境になっている。疑問を差し挟む余地のない、絶対的な無謬の英雄として仰ぐしかない空気が醸成され、それが固まってしまった。

後藤健二を崇拝する同調圧力は、マスコミ以上にネットが強烈で、それも左翼方面ほど熱狂的に昂奮していて、まるで、後藤健二の悪口を言う者を見つけて制裁する自警団が組織されているかの如くだ。イスラム国のラッカと同じ恐怖の言論統制。この空気が国民全体でセメント化されると、最早、どれだけ10月末からの後藤健二の不審な行動を検証する情報が出てきても、誰もそれを信用しなくなり、頭から論外なデマだと決めつけて切り捨ててしまう状況になる。偉大な神である後藤健二を相対化したり、そのシンボルに傷がつくような情報は、たとえそれが信憑性のあるものでも、主観的に無価値と即断されるようになり、見向きされなくなってしまうのだ。今、日本国民は後藤健二を自己と同一化する心理状態になっていて、無条件に肯定して帰依することが当然な態度になっている。本来、10/22-29のたった一週間で湯川遥菜を連れ戻す計画はおかしいし、10/25-27のイスラム国潜入で、湯川遥菜と接触して安否確認した上でラッカを取材撮影して帰還するなどあり得ない。個人の力で、単独のスクラッチで、2泊3日の短期工程でそこまでの成果を上げることは不可能だ。資金を出し、イスラム国とコンタクトして日程を調整し、プロジェクトを企画差配した者がいて、後藤健二はミッションとして役割を演じている。

つまり、政府(外務省とNHK)による派遣工作員説だ。だが、そうした合理的な推理と試論は、この国の国教となった後藤健二真理教の前では、全く無意味なデマとして排斥され、神である後藤健二への冒涜や暴言とされて非難され、仮説としてさえも言論の居場所を失う事態になってしまった。まるで、イスラム教徒がモスクで集団礼拝するように、全員が同じ方向を向き、全員が揃って信仰の拝跪を繰り返している。毎夜毎夜、NHKの7時と9時のニュースで、10時からの報ステで、その教義が刷り込まれ、国民的確信と信仰が固められている。私にはこの現象がファシズムに見え、例の北朝鮮拉致報道とそこから醸成された社会観念と同じ異常な病理に見える。後藤健二は、これまで特に有名な「ジャーナリスト」だったわけではなかった。マスコミには何度か登場していたようだが、その顔と名前と活躍を知っていた者は少ない。後藤健二の過去の取材映像が、拘束後に溢れるほどテレビで反復放映されるが、それを見ても、基本的に平板凡庸で、特に評価をつけるものではなく、印象に残る報道営為ではないのだ。だから、私も過去の報ステで後藤健二の(シリアやイラクの)レポートを見ていたに違いないが、何も記憶に残ってないのであり、顔と名前を覚えてないのである。正直、スキルが高い「ジャーナリスト」とは思えない。

後藤健二の取材レポートを見て気づくのは、と言うより違和感を覚える特徴は、撮影している構図に、やたら自分(後藤健二)の顔を大きく入れて映していることだ。トルコの国境の町からシリア側(イスラム国側)を撮って説明する映像 - 報ステで放送されたもの - があるが、「向こうがイスラム国の支配地域です」という案内をするとき、カメラは一瞬だけ国境方面の風景を捉え、その後はずっと後藤健二の顔にフォーカスしている。「イスラム国の支配地域です」の音声とセットされている映像は、後藤健二の大きなアップの顔なのだ。自分の顔ばかり撮って映像にしている。車の後部座席から戦場になったシリアの町を紹介するレポートもある。「この町では」、と後藤健二は説明するのだが、撮影している動画は後藤健二のアップの顔ばかりで、車の外のシリアの町は映像として全く登場しない。自分ばかりを撮って映像にし、それをマスコミ(テレビ局)の報道素材に提供している。今、後藤健二が死んだ後だから、後藤健二を追悼して共感を煽るためにマスコミが使う映像としては、後藤健二が主人公として制作されているこれらの取材映像は都合がいい。しかし、本来、紛争地の報道でわれわれが見たいのは、現場を撮影したドキュメント映像であり、フリージャーナリストの姿ではないのだ。実は、この手法は後藤健二だけのものではない。

これも報ステで見たが、別の若いフリージャーナリストがシリア北部の戦場の町を取材したレポートでもそうだった。古館伊知郎と繋がった生中継で、町や人々の様子をカメラで捕捉しようとせず、ずっと自分の顔のアップを固定したまま動かそうとしない。町の絵を撮らず、しつこく自分の顔を撮る。何をやっているのか、視聴者としておおよその察しはつく。自分を売り込んでいるのだ。大手のテレビで顔を放送させ、少しでも有名になろうとしているのだ。売名と宣伝なのであり、戦争の現場は出汁なのだ。最近のフリージャーナリストなる者の、中東紛争地の取材というのは、一事が万事この調子で、それが慣例で常態になっていて、われわれは特に驚かなくなり、不自然や不都合を感じなくなった。だが、私は古い感性を維持していて、昔ながらのジャーナリズムの概念に拘りがあるため、こうしたフリージャーナリストの所作が耐えられないし、そのレベルの低さと志操の低さに呆れる。紛争地を取材する「ジャーナリスト」なりフリージャーナリストの表象と通念が、この国ですっかり変わってしまったのは、イラク戦争の頃だっただろうか。嘗てのそれは、本多勝一であり、岡村昭彦であり石川文洋だった。彼らの思想と行動の類型が戦場ジャーナリストだった。だが、それがいつの間にか、渡部陽一や山路徹の範疇に変わっている。お笑い芸人のテレビタレントに。

「フリージャーナリスト」や「戦場ジャーナリスト」の表象と通念がこの国で変わったから、今では、われわれはその営みに岡村昭彦や石川文洋のクォリティとレベルを求めようとせず、現地で自分の顔ばかり撮って売名と宣伝に勤しむフリージャーナリストに卑しさや怪しさを感じない。私の後藤健二に対する猜疑と隔意は、こうして、そもそも、この国の「ジャーナリスト」の言葉や現実に対する不信と拒絶から生じている。そのことをまず前提として申し上げ、そして次のことを言いたい。当Blogの読者の多くは、森住卓の業績と人柄についてよくご存知の方が多いだろう。森住卓。この名前が、後藤健二を考察する上でのキーワードだと私は直観する。森住卓。私の中では、岡村昭彦や石川文洋や福島菊次郎に連なる範疇の一人であり、理念的なジャーナリストの存在だ。森住卓、この名前を聞いてピンと来る者はいないだろうか。後藤健二は森住卓の模倣ではないのか。湾岸戦争のときに米軍がイラクで使用した劣化ウラン弾、それによって白血病になった多くの子どもたちがいて、森住卓が現地を取材して秀逸な報道作品に仕上げた。「イラク・湾岸戦争の子どもたち」。その写真の感動を忘れた者はいないはずだ。後藤健二の仕事の履歴を見ると、ほとんどがイラク戦争より後のもので、JICAと日本ユニセフのコネクションのものだということが窺える。二人目の(現在の)妻と関係する。

森住卓の作品はヒットした。非情で冷酷な言い方になるが、戦場の子どもたちの健気な表情は売れるのだ。この退廃した日本で、その感動はビジネスになる。さて、森住卓の次にもう一人の「ジャーナリスト」の名前を挙げよう。山本美香だ。シリアで反政府軍に騙されて殺害された山本美香。彼女は正直なところがあり、こんな本音を漏らしていた。それは私の記憶にあり、ネットの検索で証拠を掘り出せるか自信がない。その本音とは、一つは、危険な「戦場ジャーナリスト」の仕事は、食べていくためにやっている稼業であり、これをするしか自分には生きる道がなく、収入を得る職業が他にないから、だからやっているのだという告白だった。崇高な正義感とか、平和のためにとか、戦争で苦しむ子どもを救うためとか、そういうのは本当は飾り文句で二の次なのだと、そう語っていた。もう一つ、真実を証言していた。私は女なので、子どもは安心して打ち解けてくれ、被写体になってくれると。カメラの前で表情を綻ばせてくれると。山本美香は、自身の仕事の偽善性に対して正直な態度を持った人間だった。後藤健二の真実を考えるとき、山本美香の告白は参考になる。日本のいわゆる「戦場ジャーナリスト」たちは、どうして戦場の子どもたちを追いかけて撮るのか。理由は二つだ。一つは、それが大きな需要と市場があるからであり、もう一つは、子どもを被写体にすれば戦場でも自分自身が安全だからである。

最前線で戦闘を追いかける戦場ジャーナリストには身の危険が及ぶ。銃弾が当たる心配がある。しかし、子どものいる場所では銃弾は飛ばない。子どもを撮るのは安全だからだ。自身に身の危険が及ばないからだ。それでいて、子どもの写真は喜ばれて売れるのだ。カネになるのだ。危険がなく商売になる。これほど効率のいい「戦場ジャーナリズム」は他にないのだ。そしてまた、子どもを撮る「ジャーナリスト」は、山本美香にせよ、後藤健二にせよ、マスコミと世論によって聖人のように崇められ、立派で偉大な人間だと称賛される。だが、森住卓と後藤健二には全く違う点がある。二人の異なるところは、森住卓の場合は、作品の中に自分を主人公としてデカデカと構図化しない点である。

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ギリシア政治経済情勢についての或る論評

「谷間の百合」ブログに、素晴らしい文章(同ブログ愛読者のコメントらしい)があったので転載させてもらう。これほどの知性と良識と「本物の」知識を持った人は、マスコミなどにはほとんどいない。まさに、野に遺賢あり、である。こうした読者がいる、というのも「谷間の百合」さんの人徳だろう。


(以下引用)



以下、「コメント」(by machidanooka)から転載。

財政基盤の弱いギリシャの国債は、欧米金融・投機筋の標的となり、たびたび財政危機に陥った。

政府(他国同様二大政党・財界・エリート層が握っている)は、そのつど欧米金融資本(ドイツ主導のEU,ECB,英米系のIMF)の財政支援を仰いできた。

この援助は緊縮財政と国有企業・国家資産の民営化(海外の投資家が国家資産を安値で買う)を条件に貸し出されるのだが、融資の半分は国債の金利払いに、残りの大半は国内銀行救済資金に充当され、ギリシャ政府と国民の救済に回る資金は一割強にすぎなかった。

つまり国民は緊縮財政を余儀なくされるが、融資の多くは米英などの投資家が以前に貸した資金に対する利払いとして投資家に戻ってくるという構図である。


こうした「援助」のスキームにノーを表明、左翼シリザと右翼の独立ギリシャ人党は「緊縮策を中止する」という一点で共闘し、選挙民はこれに賭けた。

左翼と右翼の提携は例がなく、議会と首相を失ったとはいえ司法・検察・マスコミは依然二大政党・財界・エリートの手中にあり新政権の前途は予断を許さない。


が、2大政党制(二党談合)の外側にいた勢力が政権を取り、従来の財政支援のスキームは結局のところ国民にはプラスしないと明言したことは、同じ問題を抱える南欧諸国に強いメッセージとなる。

首相に指名されてからもネクタイ着用などしないツィプラスは、(私などには胸のすく)果敢な動きを見せている。

曰くギリシャはNATOから手を引く。

EU理事会では、ロシア経済制裁の強化に反対した。

ウクライナ問題は米英・NATOの自作自演と知りつつ米英追随を断ち切れぬEU指導者たちに在って、ギリシャが初めてまともな見解を示した。


政権が最初に面接したのはロシア・中国大使だった。

これは、今後ギリシャは米英支配グループには属さず、ロシア・中国、Brics経済圏を重視するということだ。孤軍奮闘するプーチンに加勢する国が一つ増えた。


「借金国の分際で何を勝手いうか」今後はEUの実力者・独のメルケルとのつばぜり合いとなるが、ツィプラスは、独はナチ占領時の補償を実行していない。

現在ギリシャが負っているドイツからの支援額2540億ユーロをこれで相殺しようと先制パンチをかました。

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後藤氏「遺体」写真の検証(閲覧注意)

後藤氏関連の記事はもう終わりにする予定だったが、後藤氏「遺体写真」についての飯岡助五郎氏の見事な検証が「阿修羅」に投稿されていたので、転載しておく。
まるで、すぐれた推理小説を読むような感銘を受ける考察である。確かに、肩と尻の異常な厚みは、詰め物が入ってると考えれば納得できる。
私のような平凡人は、何よりも頭部のリアリティに目が奪われ、その他の細かい部分の整合性にまで目が行かなくなる。手品で容易に騙されるのが普通の人間なのだろう。
まあ、後藤さんが生きているなら(ハルナもそうだが)結構な話である。結構でないのは、これから彼らの「死」を名目として日本でも「テロとの戦い」が始まることだ。そういう意味では彼らは国家犯罪の共犯者である。(こう言うと、後藤氏に同情的な人々から猛攻撃を受けそうだ。「人道主義者」の看板は強力だから。まあ、私に言わせれば「営業人道主義」だが。)



(以下引用)コメント欄の最初の部分には例によって自民党工作員(世耕スタッフ?w)のクソコメントが殺到しているので、それはカット。工作員でなさそうでも、つまらないコメントはカットした。



見て、後藤さんの殺人映像もフェイクでした。グロさ閲覧注意レベル。こんな偽物を口実に中近東の子供たちを空爆しちゃダメだ。
http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/206.html
投稿者 飯岡助五郎 日時 2015 年 2 月 02 日 02:48:01: VssSC.kx7zq3c
   
 
   

2015年2月1日早朝に公開された後藤健二さん殺人映像も、フェイクでした。


■跪いている後藤さんのシャツとパンツは、朱色の濃さが異なる。一方、横たわる人のシャツとパンツは同じ色➡横たわる人は後藤さんの遺体ではない


■生首の下以外に、シャツとパンツに血が滲みこんだあとが見あたらない➡横たわる人は首を切断されていない


■上腕の端にくぼみ➡肩関節の左側にニセモノの肩がついている


■見かけの左肩を覆うシャツのしわやくぼみ➡シャツの中に隠した頭のてっぺんと肩関節の間の小さな空間に、ずさんな詰め物。それによって形作られたのがニセモノの肩


■肩関節より上の妙な膨らみ何?➡うつ伏せの人の頭部


■尻に比べて太腿が老人のように細い➡太腿が細いのではなく、尻がでかい


■尻がでかい➡尻に詰め物の痕が見える


■尻に詰め物➡尻がリアルサイズだと、背の妙な膨らみが目立ってしまう。尻もでかいとそのふくらみが目立たなくなる。


■横たわる中の人が後藤さんだとすると、その太腿に比べて、生首の倍率がやや大きすぎ


◆太陽が二つあるような合成された身代金要求映像
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/836.html
◆湯川さん殺害画像はニセモノ
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/815.html
◆後藤さん殺害画像はニセモノ


 



   
 



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コメント
 







06. 2015年2月02日 12:46:35 : fHW8ed67vk
殺害写真一枚で、政府メディアは、もちろん、母親、妻、親族、友人まで、後藤氏の死亡を納得しているのが面妖だ。

法的には、湯川氏、後藤氏の両名は行方不明者に分類される。


政府も、裁判所も、医者の死亡確認なしに、勝手に死亡宣告を出すことはできない。


フェイクの可能性を指摘した。


http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/169.html#c5




08. 2015年2月02日 23:39:44 : tYEyIuqs7Y
下のブログはネトウヨ風味なのが気になるが、イイところを突いてた。今、見たらこの記事が消えて無くなっていた。

Kazumoto Iguchi's blog


2015年 02月 01日


ISISによる在日韓国人殺害画像もやはり偽旗作戦工作の可能性大か?:英タビストックの手口のようですナ。
http://quasimoto.exblog.jp/22772742/


2012年11月アメリカ人ジャーナリストのジェームズライト・フォーリーの使い回しということらしい。サンダルの位置、体の特徴、血痕の位置まで同じ。




07. 2015年2月02日 12:51:29 : EAkIk2fULU


おれも直観的に感じたのは、脱臼してんのか?っていうぐらいの肩関節の違和感。さん
同じように感じました。


あるいは他の可能性として典型的な翼状肩甲骨ではありませんか。
だれかご専門の方がおられたら参考に教えてほしい。
ものすごく違和感がある。


翼状肩甲骨
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%BF%BC%E7%8A%B6%E8%82%A9%E7%94%B2%E9%AA%A8&ie=utf-8&oe=utf-8&hl=ja


翼状肩甲骨 の画像検索結果
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%BF%BC%E7%8A%B6%E8%82%A9%E7%94%B2%E9%AA%A8&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=VCHPVLj2EcXPmwXlnoDYAQ&ved=0CCYQsAQ&biw=872&bih=552


「翼状肩甲骨(翼状肩甲)」
http://www.joa.or.jp/jp/public/sick/condition/winged_scapula.html


腕を挙上する時に肩甲骨の内側縁が浮き上がって、天使の羽根や折り畳んだ鳥の羽根のように見えるので、このように呼ばれます。


原因と病態


前鋸筋の単独麻痺はこの筋を支配する長胸神経が、テニスのサーブやゴルフのクラブスイングのようなスポーツや、


産褥期の腕を挙上した側臥位での新生児との添い寝などによって伸張されて麻痺するのが主な原因です。<<<=== ここ大事。


スポーツではテニス、ゴルフの他に、体操の吊り輪、重量挙げ、アイスホッケー、それにバレエの連続した横とんぼ返りなどが原因として報告されています。
産褥期の新生児との添え寝と同様な肢位になる、ほほ杖をついての側臥位で本を読むなどの動作も原因となります。


後藤健二さん関連の写真を見ると体系はスポーツマンタイプでは無くてズン胴に見える。
画像では翼状肩甲骨(翼状肩甲)?の凸部が左右同じように出ている。


後藤健二さんも翼状肩甲骨(翼状肩甲)?の持ち主なんでしょうか。
これだけ大きいと恐らく知っている方が日本国内に絶対におられるはず。


指摘のとおりヒップの箇所は寝ている状態でも確かにでかい。
寝ている状態でこれだと立ち上がれば更にデカクなるだろう。
比率から見て男性のヒップのようにはとうてい見えない。
腹部との比率で見たら簡単に見当がつくと思います。
腰相当箇所にはこれを隠すように首のような物が乗っているが凹部に上手く嵌っているように見える。
これでは確かに女性特有のクビレ相当箇所があるのかもしれない。
感じとしては外人女性のようにも見えます。
これって映像制作会社所属のタレント屋のおねーちゃんの写真ではありませんか。
手も男のゴツゴツした感じでは無くてオカマのオッサンかと思うような女性的な質感です。
修正するのを忘れたのか手の肘箇所近くの影が他よりもなぜか薄い。
首の切断箇所と思わせたい大事な部分のはずなのに太陽光線の強度にも微妙に差があるのかここの影の描き方が不自然。
後藤健二さんの髪の毛は真っ黒ですがこの箇所の人物が茶髪系なら納得出来る。
画像を拡大したら分かりますがこの近くで水平に写っているパーツ?が耳のようにも見える。
日に焼けたような跡が顔を含めてありません。
首のような物がチョコンと乗っているが不自然にこの周りだけは黒い線で丁寧に囲まれている。
まるで手抜きの画像処理そのままで切り取っただけのようです。
ターゲットは新鮮?で当然多量の血が出ているはずであるのにこれが滲んで服地に染み込んだような跡もありません。


また確かに服の色が明らかに違うし首を切断した後で服を着せ替えるのも不自然。


要するに前回のオカマのオッサンの写真は世界的に馬鹿にされて絶好調だったからスタッフ一同が集まってミーテイングをして少しだけでも手の込んだ映像にしようと考えてドジしただけでしょう。


ワンパターンで確かにまたしても首の大きさだけは異様にアホでも分かるくらいデカい。


血管の浮き上がりの指摘は余りにも単純すぎて誰でも分かる事で日本人を馬鹿にするな、、、ボケタレのレベルであり書き込む必要もないはず。


怖がっている人がもしいたらジーと真面目に眺めてみましょう。


全然怖く無いから、、、落ち着いたらタネあかしに参加しましょう。


第2回クソコラグランプリ開催で矛盾だらけの塊が見えてくると思う。









16. 2015年2月03日 11:20:50 : ESEkXPrv6g
指摘のように、遺体写真の左肩甲骨が突起している。

左右どちらかの腕を背中に回して、同じ側の肩甲骨に触れようとすると、肩甲骨が隆起することが分かる。


その腕で反対側の肩甲骨を触っても、それは隆起しない。


http://www.easyvigour.net.nz/fitness/pilatessketches/ScapTiltWing2.jpg


隆起する場合は、翼状肩甲骨と呼ばれる病的な状態になる。


http://www.easyvigour.net.nz/fitness/pilatessketches/ScapTiltWing1.jpg


自分で行ってみると分かるが、遺体写真のような腕の状態では、どちらの肩甲骨も隆起することはない。


翼状肩甲骨が生まれつきであった場合は、母親に聞けば分かる。


つい最近であれば、妻である城後倫子氏に聞けば分かる。


遺体写真から、後藤氏本人であるかどうか確認できるにも関わらず、政府マスコミを含めて、死亡を既成事実化しようとしている。





20. 2015年2月03日 19:19:01 : LhqxRQmDmc
こんな記事みつけました

映像専門家による鑑定
http://reptilianisreal.blogspot.jp/2015/02/blog-post_2.html?m=1


21. 2015年2月03日 19:26:32 : G6tcs9dZYQ
殺人罪はフェイクでは適応できない。

フェイクかどうかの確認が必要。


しかし、こんな画像の使い回しようやるのー。


小保方を潰したやつらに画像の確認を依頼しろ!


安倍晋三


22. 2015年2月03日 19:59:59 : ESEkXPrv6g
フォックスニューズは、イスラム国が最初に公開したビデオに関して、フェイクであるとの専門家の見解を紹介している。

① テロリズム調査分析協会の編集ディレクター、ヴェリアン・カーン氏によれば、ジハーディ・ジョンが、メッセージを伝える部分は、室内でグリーン・スクリーンと模造背景を使って撮影された。


② 光が、太陽光とは異なって、2つの方向から来ている。


③ 屋外で自然光の下で撮影された場合、影は、一つの方向を示す。代わりに(映像では)一点に集中している。


④ 捕虜たち(後藤氏と湯川氏)は、明らかに強い照明に戸惑っている。


⑤ 捕虜の一人(湯川氏)のジャンプスーツは風になびくが、これは、扇風機によるものだ。


⑥ 砂漠の風は騒がしく、ジハーディ・ジョンの音声に干渉する。


⑦ 風は、砂漠の埃を巻き上げるが、それは見られない。


>The hostage video showing the hostages wearing orange jump suits and kneeling before a masked, black-clad jihadist may have been faked, experts said. New analysis of the video appears to reveal the message was shot indoors using a "green screen," and a phony backdrop, according to Veryan Khan, editorial director for the Terrorism Research and Analysis Consortium. She told The Associated Press the light source on the men in the latest videos appears to be coming from two different directions ― as opposed to one bright sun, and said if the video was made outdoors in natural light, the shadows behind them should be going in one direction. Instead, they converge.


"The hostages are visibly bothered by" the bright light, she said.


Although one of the hostage's jumpsuits flutters in a breeze, Khan said she believes a fan caused the movement and noted that wind in the desert would be noisy and affect the sound quality of the statements being made by the knife-wielding man. It would also kick up dust, and none seems apparent, she said.


Experts poring over the slickly-produced videos believe they were made in an area south of Raqqa in northern Syria, the self-declared capital of the Islamic State group.


http://www.foxnews.com/world/2015/01/23/isis-affiliated-militants-say-countdown-began-for-group-to-kill-japanese/


確か、日本国の警察科学研究所は、次のような見解を発表していた。


>20日の映像「合成の痕跡なし」科警研分析、撮影日は不明


科学警察研究所(科警研)が「合成、加工の痕跡はない」との分析結果を出していた・・・・


http://www.sankei.com/world/news/150128/wor1501280020-n1.html


立派な政府、優秀な警察、忠実なマスコミですこと。


23. 2015年2月03日 20:26:59 : G6tcs9dZYQ
少し写真の知識があるなら、誰でも分かる。

見事な解説です。


今年の流行語大賞確定


 フェイク


おめでとう。
 


24. 2015年2月03日 22:24:27 : EAkIk2fULU
おい、これがフェイクだから何とか言ってる工作員、

フェイクかどうか関係大有りだろがw


じゃあ後藤はどうなったのか?という流れになるだろ。後藤も湯川も生きて
いたら、その理由が追及される。


自衛隊海外派兵のための政府とイスラム国とのやらせではないか、という
追及がされることになる。イスラム国とイスラエルとの繋がりも噂される。


やらせがバレるんだが?


そうすると、とうぜん政権も終わるんだが?


まあ、画像検証はふつうにちゃんとやらないと。なんでこういうとこで
手を抜くのかわからん。子どもか。


25. 2015年2月04日 00:26:41 : XXhldHt4HI
警視庁(科捜研?)もすぐさま、本物って言ってましたな。

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二つの死へのあまりの差別待遇

「世に倦む日々」から転載。
御説の通り、である。
なぜ世間の人間は「私は後藤健二だ」のプラカードは掲げるのに、「私は湯川遥菜だ」のプラカードは掲げないのか。
イケメンヒューマニストジャーナリストと自分を同一化はできても、いかがわしい民間軍事会社社長の軍事オタクでオカマでチンポコ自己切断の不細工な顔の小太り男と自分は同一化できないのか。(笑)
ふだん差別にうるさい人々は、なぜこの大々的差別に異論の声を上げないのか。なぜオカマたち、ネット右翼たちは自分たちの仲間の湯川ハルナの受けたこの屈辱に対し抗議の声を上げないのか。
後藤健二がやってきた仕事は確かに世間から称賛され易いものだ。戦争被害者の味方、子供の味方、自然災害被害者の味方。(私のようなひねくれ者にはこういう人間は少々気持ち悪いのだが。)だからと言って、マスコミの、この二つの死に対する扱いの差はあまりにひどすぎるだろう。もちろん、後藤健二神格化、ヒーロー化の背後には「英霊」を利用して日本を戦争へと導くいつもの手法が見え透いているのだが。
湯川ハルナでは「英霊」としての神格化は無理、という扱いを湯川氏は受けたわけで、可哀そうと言えば可哀そうだが、自分のしてきたことの当然の報いを受けたわけである。彼の扱いの方が正当なのであり、問題は、後藤健二神格化・ヒーロー化の方だ。
もっとも、今回の記事タイトルの「二つの死」という言い方は、この二人とも本当に死んだ、殺されたという前提での話である。何しろ、政府はISISに対して二人の遺体返還を要求しないことを決定したのだから、二人の死の真偽の確かめようもない。


(以下引用)

湯川遥菜と後藤健二の命の尊厳の格差 - 差別に抵抗を感じない世論

後藤健二が殺害された動画が公開された直後、昨日(2/1)早朝、安倍晋三は官邸での会見と閣議で、「(テロリストたちに)罪を償わせる」と発言、その部分の映像を何度もテレビの報道番組で流させた。日本政府が、邦人に危害を加えた外国の犯人や組織に対して、「罪を償わせる」という復讐の意思と感情を露わにした声明を出したのは初めてのことだ。ちょうど2年前、アルジェリアでテロ事件が起き、10人の日本人が人質にされ殺害されたが、そのときの安倍晋三のコメントは「痛恨の極み」と「断固非難」に止まっている。今回の報復宣言は異例のことで、マスコミ報道は誰もこの点に注意を向けないが、われわれはこの表現に警戒が必要だろう。明らかにテロリストに対する敵意と憎悪を剥き出しにした言葉で、売られた喧嘩は買うという意思表示がされている。簡単に言えばイスラム国に対する宣戦布告の表現である。邦人がテロ集団に誘拐され殺害されたことは幾度かあるが、日本政府は嘗て一度もこのような声明は発したことはない。日本の安全保障政策の原理が憲法9条から「積極的平和主義」に変わったことを、安倍晋三はこの報復宣言で国民に知らしめている。「罪を償わせる」という政府の反応は、テロ事件が起きたときに米国や英国がよく使う表現だ。安倍晋三は言葉を英米と合わせたのであり、対策も英米とコンパチブルにするという含意が看取できる。

つまり、イスラム国に対して武力で報復するという意味だ。昨日(2/1)の安倍晋三の声明は、この挑発的で好戦的な文案が早くから準備されたものであったことが窺われる。また、オバマからの声明も異例のスピードで発表され、米国政府のあまりに素早い対応に驚かされた。TBSのサンデーモーニングで橋谷能理子がそれを伝えたのは、午前9時前だっただろうか。DCは週末土曜の夜だ。後藤健二の殺害が明らかになった時点で、間髪を置かず即メッセージを発信するよう、両国政府が文面を調整して周到に準備していたことがよく分かる。オバマの声明文の中の後藤健二に対する賛美の部分は、明らかに日本の外務省が原稿を挿入したもので、オバマに無理にリップサービスさせたものだ。今回、安倍晋三の声明や反応には「テロとの戦い」の一語はなく、対テロ戦争の宣告までには至らなかったが、国民の中にイスラム国への憎悪と敵意を煽り立て、復讐感情で国民を一つに結束(fascio)させ、安倍晋三による中東安保政策(軍事出動)への支持へと世論を引っ張ろうとする思惑は丸見えと言える。2週間後の2/18、DCで対テロ首脳級会議が開催される。これは、パリでのテロ事件を受けて対策を協議する会合だったが、これでオランドと並んで安倍晋三が準ホストの位置になるのは確実だ。

2/18のDCの会議は、イスラム過激派に対して主要国が「テロとの戦争」を宣言する場になり、12年前のブッシュに続いて、オバマが法王として中東に十字軍を派遣する儀式が演出されるこになるだろう。日本がどういう軍事的役割を担うべきかは、すでに昨年末の報ステで新参のジャパンハンドラーによって予告(マスコミ辞令)されている。今、日本は岐路に立っている。有志連合に加わってイスラム国と戦争するか、それとも憲法9条に即して軍を出さず、「テロとの戦争」に参加を見送って局外中立を貫くか、二者択一の瀬戸際に立っている。マスコミは、安倍晋三の意向に従って世論調査を巧妙に繰り出し、2/18のDCの会議の前後にキャンペーンを張り、自衛隊を中東に派遣しろという世論の多数化を図ってくるだろう。また、菅義偉は、中東での集団的自衛権の行使を国会で野党に認めさせるべく国対工作を仕掛けるに違いない。後藤健二が殺害される前、1/24までのマスコミの空気は、古賀茂明や金平茂紀の論調が支配的で、11月から人質を取られていることを知りながら1月にイスラム国を挑発した安倍晋三の中東外交に批判的なものだった。マスコミがこの線を維持し、民主党がこの姿勢と論点で安倍晋三を国会で追及すれば、世論は「テロとの戦争」に反対が多数になるだろう。どっちに転ぶか、まさに岐路だ。

この岐路は、民主党の岐路でもある。民主党は、事件の認識と対策で党内が割れるのではないか。細野豪志ら右派は、例によって、「テロ対策と安全保障に与党も野党もない」の論法を言い上げ、安倍晋三の路線と方向にぴったり準拠させ、陸自を砂漠での戦闘 - 後方支援だのPKFだのの名目の - に出そうとするに違いない。一方、長妻昭らは、9.11後の米国の失敗を日本が繰り返してはならぬという立場で、中東への自衛隊派遣に慎重論を言い、それを自民党と民主党の対立軸にしようとするだろう。蛇足ながら、細野豪志や前原誠司ら右派は、常に「この基本政策に与党も野党もない」のフレーズで自己を正当化するのが特徴で、消費税の増税も社会保障の切り下げもそれで押し切り、NHKや日テレやフジのキャスターを喜ばせてきた。日本の重要政策上の岐路というのは、常に民主党の政策決定の岐路としてミクロに反映される。民主党に問いたいのは、もし民主党が政権与党であったときに事件に遭遇したらどうしたかということだ。11月に後藤健二が人質に捕らわれ、身代金を払えという要求を受けて政府は対応していた。民主党政権であったなら、英米型の拒否見殺し策を選んだのか、仏西型の身代金支払い策を選んだのか、どちらを選択したのか。おそらく、細野豪志は英米型、長妻昭は仏西型だろう。岡田克也はどちらを決断するのか。

さて、オバマの声明はこう言っている。「米国はISILによる日本国民でジャーナリストの後藤健二氏の許し難い殺害を非難する。後藤氏は報道を通じ、勇気を持ってシリアの人々の窮状を外部の世界に伝えようとした。われわれの心は後藤氏の家族や彼を愛する人々と共にあり、米国は今日、こうした野蛮な行為を糾弾することで、安倍首相や日本の人々と連帯する」。これを見て、最初に違和感を覚えたのは、後藤健二に対しては世界の指導者である米国大統領が絶賛の辞を送って悼んでいるのに、同じく殺害された湯川遥菜の名が一言も出ていないことだった。まるで、イスラム国のテロで殺害された日本人は一人で、後藤健二だけだったような文面になっている。二人殺されたという事実認識が声明文の中にない。これは、米国だけでなく、政府とマスコミの反応と態度が全く同じで、さらにネットの言論が同じだった。後藤健二の殺害と湯川遥菜の殺害の二つが、あまりに扱いに差がありすぎる。湯川遥菜が殺害されたのは、もう一週間以上前の1/24の深夜だった。殺害の一報のとき、マスコミは、首と胴体が離れた湯川遥菜の写真をそのまま公開し、画像をボカす処理を施す配慮をしなかった。血だらけの残酷な写真は、解像度が粗い点が多少とも救いとなってはいたけれど、後藤健二が両手で持った形で、隠さずマスコミの記事や映像に登場した。

「いいのかな」と思った人間は何人かいたはずだが、その露出について咎める議論があったということはない。後藤健二については、殺害の動画をイスラム国が上げた2/1の朝、マスコミは首と胴体が離れた写真を公開しなかった。明らかに、後藤健二については政府がマスコミに配慮と自粛を要請していることが察せられる。私がそれをネットで発見しTwで告知したところ、「後藤さん殺害のビデオを拡散しないでください。彼の尊厳を守ってください」という反論が入った。マスコミに対して、湯川遥菜の遺体の映像を出すなという苦情が一度でも上がっただろうか。湯川遥菜殺害の報道が写真と共に出た後、マスコミも世論も湯川遥菜には全く関心を向けず、リシャウィと後藤健二の人質交換の解説と話題に夢中になっていた。残酷な死に様を躊躇なく曝された湯川遥菜は、報道と言論の対象から除外され、誰からも注目されず、まるでネコの死骸のように傍らにうち捨てられた。命の重さは同じであり、人の尊厳に違いはないはずなのに、どう考えても異常ではないか。後藤健二の殺害に対しては、国中が上を下への大騒ぎで、ホワイトハウスまで巻き込んで大々的な追悼の狂躁が盛り上がるのに、湯川遥菜が殺害された一報があったとき、その事実には誰も衝撃を受けなかった。テレビのキャスターも中東専門家も、政府の人間も、そのとき沈痛な表情や言葉を示すことはなかった。

どうして、同じ日本人なのに、同じ被害者なのにこれほど差別されるのだろう。後藤健二に対しては、マスコミによる尊厳への配慮がされ、首相のヤラセの「目に涙」と米大統領による絶賛の辞が与えられ、左翼による救命運動のプラカードの山ができるのに、どうして湯川遥菜にはそれがハプンしないのか。ネコの死骸のように無視されて扱われるのか。そのことを誰も不自然と思わないのか。昨日(2/1)からの日本の世論は、マスコミもネットも、後藤健二の人格と業績を称えて美化する声で一色だ。人質にされた動画が公開された時点から、後藤健二を過剰に称賛する運動は始まっていたが、今ではそれが沸騰して、まるで神様のような国民的英雄になってしまっている。後藤健二を相対化する声は、自己責任論を喚くネット右翼と経歴を取材した一部の週刊誌のみに止まり、政府、マスコミ、左翼リベラルと、ほぼ全体が過熱した偶像崇拝のムーブメントに漬っている。本来、二人は同じ政府系工作員であり、二人はワンセットのコンビだった。湯川遥菜のBlogを精査すれば、湯川遥菜の中東工作には常に後藤健二が付き添っていたことが分かる。4月のシリア、6月のイラク、7月のシリア、それぞれ2週間ほどの湯川遥菜のミッションの全てに後藤健二は密着している。湯川遥菜のBlogで、途中から偶然に後藤健二と会ったり、あるいは後藤健二と別れたりという記述があるのは、真実を隠すための湯川遥菜の脚色だ。

途中で後藤健二と別れた場合、単独で行動できない湯川遥菜は誰に通訳してもらうのか。湯川遥菜のBlogは、この事件の真相を解明するきわめて有意味な証拠資料だが、そこに全て真実が書かれているわけではない。公開のBlogだからこそ、大事な秘密は隠し、意図的に虚構を真実のように書き、ストーリーで読者を目眩ましさせているのである。後藤健二を異常に聖人化して「ジャーナリストの鏡」にして宣伝していること、そして、湯川遥菜を異常に無視し、無価値化してうち捨てていること、この二つは一つの作為の構図の中にある。意図的に政府とマスコミがそうしている。湯川遥菜には関心を向けさせず、後藤健二はひたすら賛美させ崇拝させる。一方は薄暗い像に、一方は極端に明るい像に。これは、1/20に事件が起きたときからの政府の計画的な情報工作だ。


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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