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曙光が見えてきた、か?

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
現代社会は「金融詐欺経済」であると言っていいかと思うが、米国の横暴もドルが基軸通貨であることを背景としている。で、欧米は対ロ経済制裁をしている最中だが、そのロシアの対抗策はなんと「物々交換」であった。
原始時代かよ、と笑うのもいいが、そもそも貨幣というものがなぜ通用するかと言えば、そこには一種の幻想が働いており、たとえば貝殻が貨幣であった頃には、鹿の肉などをこの貝殻で売ってくれ、と言うと、なぜ俺が苦労して獲った鹿の肉を、その辺の海岸に転がっている貝殻と交換しなけりゃならんのだ、と拒否された場合も多々あっただろう。その貝殻が珍しい宝貝であろうと、そんなものには興味が無い、という人も多かったはずだ。それが貨幣として広まったのは、「この貝はお金というもので、これはどんな品物とも交換できる不思議なものだ」という話が広まっていった結果で、つまり人間は大昔から嘘と噂で動かされ、洗脳される存在だ、ということを貨幣というものは表しているわけだ。
前置きが長くなったが、「物々交換」は原始的どころか、もっとも正しい経済行動だと言える。そして、中露のこの「物々交換」貿易は、これまでの八百長金融経済(今日の「徽宗皇帝のブログ」参照)から転換した新しい世界経済の幕開きとなるのかもしれない。世界の夜明け、の曙光だろうか。


(以下引用)




さて、はて?

◆http://www.asyura2.com/14/cult13/msg/787.html
投稿者: 小沢内閣待望論 日時: 2014 年 12 月 26 日 4sIKljvd9SgGs
露が同盟外に輸出停止、同盟国と物々交換開始、
 ルーブル安無意味化
正月返上で、サプライズがあるようです



役所も今日で終わりで、日本はのんびりムードで、
国際政治もハーフタイムかと思われましたが、
ロシア政府は正月返上だそうで、柔道8段は勝負どころを逃しません。

それにしても、米国に対していくらでもカードのある中露が
古くて新しい 物々交換 とは、すごいカードを切ります。

その意味する所は、為替市場も株式市場も商品市場もスルーという、
米英の一番恐れている事を両大国が即断即決でしてしまうのですから、
スマホ時代をよく分かっています。

これでは、経済制裁、金融制裁の意味が全くなくなり、
同盟国だけがウハウハ状態です。

そして、これは八百長市場やドル詐欺への痛烈な皮肉で、
存在意義がない事がバレバレとなり、世界が物々交換ブームとなれば、
八百長賭博の胴元である米英は一夜にしてアウト
で、
コンマ何秒で取引される現代は、ドル体制の崩壊など一瞬です。

これで、連中が最後の切り札にしていた金融大恐慌も
物々交換に阻まれ、胴元周辺が一人負けするだけのパニックしか起きず、
世界はドル詐欺から解放される事になります。

実体経済の国に、架空経済の多重債務国が挑んでも、
最初から勝負にならない
という事です。



(追記)同記事に対する「阿修羅」コメントの一つが面白いので転載する。ふざけた文章(「ポスト米英時代」風か。)だが、言っていることはまともで、しかも鋭い。正論、かつ卓論である。



09. 2014年12月27日 19:20:55 : rJ0b5mSsxw
本文>「為替市場も株式市場も商品市場もスルーという、米英の一番恐れている事を両大国が即断即決でしてしまう」

「トップクラスのエース級政治家の出番」


  
   基軸通貨国は規律失い、その魔力に溺れれば、忽ちアル中化・麻薬患者化する。加えて、その基軸通貨の通貨発行権(シノリエージ、seigniorage)も持つ分けだから、真面目にやれよと言う方が無理だ。ドル紙屑を刷りに刷って流通させちょる様は、狐が木の葉を紙幣に化けさせてバラマいてるのにソックリだ。問題は、この紙屑でもって現物商品が買える分けだから、買う方は笑いが止まらない、売り方はトホホ!貴重な価値実物が紙屑に変えられちゃったよと、切歯扼腕になる点だ。買い方は、極端に言えば、世界中の金あるいは銀の買占めを、濡れ手に粟で紙屑でできないこともない。価値実物の生産側は、バカバシくて最早やってらんねえよ、となる。為替市場も株式市場も商品市場も、印刷紙屑をベースに、先物ペーパーの誤魔化し操作が横行だ。もう結構だと、サラバ紙屑で、こっからは実物のバーターで、その最終決済は金現物でやろうと、こうなるのは必然の流れだ。NYSE側は、刷りに刷った紙屑で、天まで揚がれのさだまさしで、ダウ史上最高値更新で永遠に揚がる勢いだが、どうぞご勝手に、こしとらは関係ねえよ、こっちは実体と実物の経済体制だ、そっちとは最早分かれよう。と、有り体にいえば、プーさんや習さんは、こう決断したようだ。
   問題は、安倍の頭が、世界の変化に就いていけるかだ。従来は、5年や6年かかった変化が、最近は2ケ月・3ケ月だ。こんな時は時代錯誤の鈍ら頭じゃあ、ダメじゃろう。我が国の、トップクラスのエース級政治家を起用しないと、国家の損失は莫大じゃな。最低でも本来は、小沢さんクラスが出るところだろう。小沢さんが無理なら,憲法の制約あるが、こうなったら、世界最高のペイシスト天皇あるいは皇后に、舵取り願いたいくらいだ。鈍ら頭に任せたら、年金パー・郵貯簡保パーだけでなく、日本沈没小松ワールドだ。もっとも沈没は、実際にも迫っている。電力業界トップが、来年こそ何としても再稼働をと言う発言聞いて、プルトニニューム・ストロンチューム・HPでバタバタ始まりで東日本が居住不可に向かッチョルのに、活断層・空前大地震前に再稼働たあ、正気かと思ったよ、まちげえなく日本沈没だ。まあ、小沢・山本チームと、上げ潮共産党に期待するしかねっか。










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「報道ステーション」書き起こし

「大摩邇」から転載。貴重な記事である。要保存。要拡散。「報道ステーション」は立派な仕事をした。


(以下引用)



子どもが甲状腺がんに・・・ 母が苦悩の告白3/11報道ステーション(内容書き出し)

「お母さん放射能は調べないでくれ」って泣いて訴えるんです。
だからうちではもう、放射能の話はタブーなんです。

子どもが甲状腺がんに……。
母が苦悩の告白




福島の、18歳までの若い方の甲状腺がんについて、今日はお伝えしたい事があります。

まず、現在の考え方からです。
福島原発の事故由来の放射能と、当時18歳よりも若かった、福島の方々の甲状腺がんが出た、と、
この因果関係は「考えにくい」というんですね。
「考えにくい」というより「分からない」ではないか、という疑念を、番組では持ちました。

これは「因果関係がある」とか「ない」とか、
「どちらも分からないのではないか」というところから、福島での取材を始めました。

そして今まではですね、若い方の甲状腺がん、子どもの甲状腺がんというのは、
「100万人にひとりかふたり」、と言われていました。
福島では、現段階で、27万人の方が検査を受けて、
うち33人が甲状腺がんと分かり、摘出手術を受けています。


33人
これまで、およそ27万人の子どもが受けた、福島県での甲状腺検査で、癌と確定した人数だ。
すでに、摘出手術を終えている。
子どもの甲状腺癌は、年間100万人に1人から2人とされてきたが、今、その数字は大きく覆されている。
33人




古舘:
お子さんの甲状腺がんが発見されて、摘出手術を受けたという親御さんに、この番組では接触を試みました。
7人の方に接触させていただいたんですが、
やはり、インタビューをお願いすると、ことごとく断られました
いろんな事情があると思います。

そしてある方は、こういう事をおっしゃいました。
担当したお医者さんに、
こういう事に関しては、周囲にしゃべらない方がいいだろう」と。
お子さんの就職の際などは、マイナスになるから」という様なアドバイスを受けた、という方もいらっしゃいました。

そういう中で、番組では、お一人のあるお母さん、やはりお子さんが甲状腺がんだったんですが、
その方は迷いながらも、音声を変えて、そして顔を映さないなど、様々な条件がクリアされれば、
「この胸の内を語ってもいい」と言って下さいました。
その方にお話を伺います。


10代の子どもを持つ、田中佳子さん(仮名)
県の検査で、子どもの甲状腺に、5mmを超えるしこりが見つかった。
甲状腺がんだった。
周辺のリンパ節の一部を切除した。


田中:
小さい10代の子どもでも、「がん」と聞けば、「なぜだ」って
「なぜだ、自分だけがなぜなんだ」
「どうせがんなんだから、死んでしまう」

そこまで言われました。

古舘:
はぁ……。

田中:
親として、励ます言葉をどうやってかけていいか、分かりませんでした。
だから一緒に、「死ぬときは一緒だからな」って、言いました

古舘:
あぁ……、そこまでおっしゃいましたか。



田中:
夫と子どもは、私に、
「放射能の話はするな」
「お母さん、放射能は調べないでくれ」

泣いて訴えているんです。
だからうちではもう、放射能の話はタブーなんです。
毎日が喧嘩になります。
夫は、
知らないのが一番幸せなんだ」って、
知らないで生活するのが一番いいんだ

古舘:
「つきつめていけばいくほど辛いじゃないか」っていう考えなんでしょうかね……。

田中:
そうです。
だって、なってしまったんです。
取ってしまったんです。
戻ってこないんです。



田中さんは、日々の様子を、詳細にノートに記している。
事故当時、家の近くは、年間の線量でおよそ40ミリシーベルト
家の雨どい付近では、85ミリシーベルトという高い値だった。
子どもは部活に熱心で、原発事故で学校が休みになっている間も、ひとり雪の中練習していた。


古舘:
2011年3月15日。
大変な量の放射線が降り注いだという時も、全く普通と、今お話し下さったような日常だった。

田中:
そうです。
あの、その日は雪が降ったんです。
で、その日は、近所の奥さんが「うちの井戸水を使っていいよ」っていうことで、
みんなして(水を)汲みに行きましたから。
そして、「ああ、雪が降ってきたね」っていうかたちで、
とにかく、水はあらゆるところを探して歩きました

古舘:
ああ、そうですか。



その震災から7カ月後、県の甲状腺検査が始まった。
1次検査で異常がないとされると、A1判定
5mm以下のしこりや、甲状腺に水分が溜まってできるのう胞が、20mm以下の小さいものがあると、A2判定になる。


 

それを超える大きなしこりや、のう胞が見つかると、B判定、C判定とされ、二次検査が必要になる。
癌の疑いもあるため、さらに詳細な検査が行われる。
そもそも、なぜ甲状腺検査が必要なのかといえば、原発事故と深い関係があるからだ。

甲状腺は、成長や発達を促すと同時に、全身の新陳代謝を調整する、甲状腺ホルモンを作りだす。
問題なのは、この甲状腺が必要とする栄養素が、「ヨウ素」だということ。
原発事故で放出された「放射性ヨウ素」も、甲状腺は、区別なく取り込んでしまう。
甲状腺に集まった放射性ヨウ素は、放射線を出し続け、癌の要因の一つとなる。
新陳代謝が活発な子どもほど、放射線の影響を受けやすくなる。

田中さんの子どもは、1次検査でB判定
つまり、5mmを超えるしこりが見つかった。
しかし、手元に届いた通知は、このわずか1枚。



何の説明もなかった。
2次検査まで半年以上待たされた。

田中さんは半年も待てず、他の病院を探したが、そこで思いもよらない事を言われたという。


田中:
いざ、そこに行きましたら、
(病院の)事務所の手違いです、ここでは検査する事はできません
(県が)決めている事なので、個人の病院では検査することはできません
と言われました。
(病院の)事務所では、「どうぞ検査に来られてください」と、予約までとりましたので、
いざ先生とお会いしたら、先生は、
うちは出来ません。ここでは出来ません。(県が)決めている事なので


県内で、甲状腺の一時検査を行えるのは、県立医大のみ。
来年度から増やす予定があるが、それに選ばれるためには条件がある。



エコー検査をするだけで診断はせず、検査データはすべて医大に送らなければならない。
甲状腺に問題があるかどうかの診断は、医大が一括して判定する
仕組みだ。

なぜ、県立医大だけに、診断の権限が集中しているのか?
甲状腺の第一人者で、検査の責任者でもある、県立医大の鈴木教授に話を聞いた。



福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
お母さん方が、心配でどこかで調べる。
するとそこの先生が、今度は、「のう胞じゃなくて結節だ、しこりだ」と言って、もう一回(県立医大に)まわる。
で、そうすると、それは全然違う、あの、おー、
小さいお子さんに特徴的な、甲状腺の中に認められる胸腺であったり、あの、血管であったり。
血管をのう胞と言っている。
「私どものところでやった検査と、同じレベルの事をやって下さいね」ということも、理解してもらわなければいけない


つまり、県立医大と同じやり方で検査しなければ、異なる診断が出て混乱を招く、というのだ。
しかしそれは、県立医大以外での客観的な診断を、抑えつける結果になるのではないか?



県立医大の検査については、不信感を持っている住民もいる
県の検査で、20mm以下ののう胞が見つかった中学生の女の子の母親が、取材に応じてくれた。



のう胞が見つかった中学生:
(県の検査は)人数も多かったので、しょうがないかなと思ったんですけど、
やっぱり3分や5分では、足りないのかなって思いました
流れ作業のようだったです。

娘にのう胞が見つかった母親:
どこにどれくらいの大きさのものがあるとか、たとえばこれから、これ(のう胞)がこういうふうになる可能性がありますとか、
そういう説明は一切無く、あの、「説明してほしい」と言っても無く

ただこの文章、2行の文章だけ
「検査はしません」ということで、



20mm以下ののう胞は、県の基準ではA2判定で、二次検査の必要はない
しかし、不安を抱いた母親は、県立医大とは距離を置き、県の検査には批判的な診療所を訪ねた。


のう胞が見つかった中学生:
検査の時間が倍以上かかったので、流れ作業っていう訳ではなくて、
時間をかけてじっくり診てくれるっていうのが安心しました。




親子が再検査を受けた診療所。
松江院長は、排他的な県立医大の診療方法を強く批判している。



松江寛人院長 ふくしま共同診療所:
検査を受けたけれども「不安だ」っていうのは、当然なんですよ。
(県立医大は)「患者に直接説明するな」って言っているんですよ。
それ(患者への説明)も我々がやりますと。
それもね、検査の結果を文章で、我々が渡しますと。
なので「(受診者に)直接説明をするな」っていうんですよ。
こんなことありえないですよ。


親子は、定期的に検査を続けている。



娘にのう胞が見つかった母親:
先月、3ヶ月ぶりに検査をしたんですけど、しこりが突然っていうか、出来てて
「あ、そういうこともあるんだ」というのを知って、
この先、どういうふうに変わっていくのか、という不安な気持ちと、
なにも終わっていないっていうか、この先も続く、という思い
で生活をしています。


原発事故後、体調を崩した娘は、学校の先生に、「放射能への不安」を相談したが、
「心配し過ぎだ」と、相手にされなかった
という。
不信感が募り、今は学校に行けなくなっている。
この女の子が今、望んでいる事。


のう胞が見つかった中学生:
包み隠さず、その情報を公開してほしいです。
その情報を公開することで、救われる人たちもいると思うし、
やっぱり、これから生まれてくる人達の事も心配
なので、


県の甲状腺検査では、この情報公開についても後ろ向きだ。
たとえ、検査を受けた本人であっても、自分のデータを受け取るためには、
県に対して、情報開示請求までしなければならなかった
批判を受けて、手続きは簡素化されたが、
それでも申請書類が必要で、受け取るのに3週間ほどかかる


県立医大に理由を聞いた。



鈴木眞一:
甲状腺のエコーの場合には、渡さないのが一般的です。
渡すとなると、渡し方に責任があるので、えーっとこれは、何度も検討しました。
決して我々は、渡したくない訳ではないので、渡すんなら渡そうと思ったんですけど、
そうすると、それによる不利益や齟齬(そご)もある場合が非常に多いので、現実的には、あの、実現しなかったという事です。


再び冒頭で紹介した母親の話を聞く。



田中さんの子どもは、甲状腺癌にかかり、すでに切除手術を受けた。
その手術の前に言われた事を、今もはっきりと覚えている。
医師が、「甲状腺がんの進行は遅く、危険な癌ではない」と説明したうえで、こう話したそうだ。


田中:
今大きくなる様なことはまず心配はありませんから、焦らなくていいですよ」
今ここで切らなければ、(症状が出る)30歳、40歳になってから、
『見つかった時に切ればよかったな』っていうふうに思わないですか
」とまで尋ねられました。
だったら、そんなに急がなくてもいいんじゃないですか、と思いましたので、
じゃあ、2~3年待って下さい」
「子どもが、もう少し冷静に、判断能力が付くようになってから手術しても、かまわないんじゃないですか?」

ともお尋ねしました。
そしたら、
前例がありませんから
発見されてから放置しておくという前例がないので、見つかったんだから、やはり直ちに切る、というのが本当でしょう」と

古舘:
うわぁ……、その両方を言われた訳ですか。

田中:
あんまり時間をおいて悩んでいるよりは、早く解決したかったので、半年以内に、手術に挑みました。


今見つかっている子どもの甲状腺がんについて、県の第三者委員会は、
「原発事故の影響は考えにくい」としている。




星北斗座長 県民健康管理調査検討委員会:
放射線の影響はどうかという事については、今後、きちんと検証する必要があると思いますが、
これまでの知見から言うと、「考えにくい」という表現を使っております。
「分からない」というのが正しい表現、というのもありますけど、
でも、今現時点で、我々が知っているこれまでの知見の積み重ねから言えば、想定内だろうというふうに言えます。


田中さんは、やり場のない思いを抱えている。

田中:
「まだ放射能の事をしゃべるの?心配しているの?」
「まだそんなことばっかり考えてるのかい?それじゃ前に進めないじゃない」

そういう方がいらっしゃいますね。
信頼や信用のおける親戚でも、頼りにしている方でも、
「大したことないんじゃない、そんな事」
「切れば治るんでしょ!死ぬわけじゃないんでしょ!」
「言っちゃ悪いけど、大したことないじゃない!」

3回言われました。

大したことあるんです。
それが悔しいです。

だから私は、自分で罪なのかと思っています。

「本当の事を知るのが罪なんだろうな」って。



古舘:
例えばですね、福島県以外で、別の県で、たとえばお子さんが甲状腺がんになった。
これが分かった時にはですね、病院は、福島県のケースよりも手厚く、と言いますか
丁寧に相談に乗ってくれる可能性、というものがみえてくるんです。
福島県で、こういう状況になった子どもが邪険にされている、その件。
もしそうだとしたら、こんな不条理はありません

それに付随して言える事はですね、やはり、親御さんで、お子さんが甲状腺がんだった方で危惧するのは、
18歳を過ぎて大きくなった場合には、検査、あるいは治療、そういう事が有料になる可能性がある、という事。
これもおかしな話です

引き続き、チェルノブイリの例を見ながら、こちらをご覧ください。  

■「チェルノブイリは4~5年後」甲状腺がんと事故の関係は?

福島県平田村
そこに、福島県立医大と距離を置き、子どもたちの甲状腺検査などを無償で行っている病院がある。(ひらた中央病院)
エコー検査にかける時間は、県の検査よりもはるかに長い。
内部被ばくを測るホールボディカウンターも、子ども用の物を導入。





3歳と5歳の子どもを持つ母親:
チェルノブイリでも、後から甲状腺の癌が出たとかあったので、
小さいうちから検査を受けておいて、早めに分かれば、治療なりなんなり出来るのかなと思って……。





ひらた中央病院を運営する 佐川文彦理事長:
今、原発事故が起きて、あれからまだ3年しか経っていないんですよ。
まだ終結していないんですよ。
「放射能は心配ありません」「これは問題ありませんから」と言い切れる問題ではないと思う。



27万人を検査して33人
子どもの甲状腺がんとは、年間100万人に一人か二人という、極めてまれな病気ではなかったのか。

被ばく医療の専門家として、福島県のアドバイザーを務めた山下氏は。

2014年2月23日


長崎大学 山下俊一副学長:
これはまさに、スクリーニング効果そのものであります。
スクリーニングした事がありませんでしたから、その頻度がまだ分からなかった。
一見増えたように見えますけれども、多分子どもたちが、ある頻度を持っていたんだろうと。

山下氏の説明はこうだ。



これまでも甲状腺癌は、自覚症状が現れることなどで、初めて見つかっていた。
それに比べて今回は、スクリーニングと言われる処方がとられた。
スクリーニングとは、ある集団の全員を調べて、病気を見つけ出すこと。
つまり、今回の場合は、福島県の子ども全員を調べる事で、甲状腺に異変のある子どもを見つけることです。
そのため、自覚症状がなかった甲状腺がんも見つかり、数が多く見えるという。

さらに、県立医大の鈴木教授が繰り返すのが、「チェルノブイリ」だ。


福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
チェルノブイリで、4~5年目から、小児の甲状腺がんが多発したっていうこともありまして、


福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
最短で、チェルノブイリで、4年、5年で甲状腺がんが増加した。

1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故。
大量の放射性物質がまき散らされた後、実は4~5年後から、子どもの甲状腺がんが増えたとされている



年齢層では、事故当時のゼロ歳から4歳が最も多かったが、福島では、この年齢層は発生していない。
こうしたことから鈴木教授は、現在福島で見つかっている甲状腺癌は、「事故の影響とは考えにくい」としている。



福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
もちろん、えーっと、放射線との関係影響があるかないかを見ていくために始めた検査ですから、ある程度の事は言及しなければいけない訳ですけど、
まだその時期ではないというのがひとつ。
まだ、チェルノブイリでの、先程話した事故のデータでも、4~5年から急増したという事ですので
今、出ているものに関しては、(放射能が影響した)可能性は、非常に低いんじゃないかと。


しかし、福島の子どもたちの健康調査を、独自に行っているある医師は、チェルノブイリのデータに疑問を抱いている。


北海道深川市立病院 松崎道幸医師:
チェルノブイリ事故が起きた時には、原発事故の後に、子どもに甲状腺がんが激増するという想定は、全くありませんでした
最初の4,5年の甲状腺のデータには、非常に疑いがありますので、
それを根拠にして、ものを断定してはいけないと思います。


■チェルノブイリ・甲状腺がんの“真実”

原発事故からの4年間。
放射線の影響による甲状腺癌は、本当になかったのか?
真相を確かめるため、私たちは、事故から28年目を迎えるチェルノブイリへ向かった。



1986年4月26日
チェルノブイリ原発の4号機が、爆発炎上。
莫大な量の放射性物質が、放出された。
かろうじて、石棺と呼ばれる分厚いコンクリートで覆ったものの、中には今も溶け落ちた核燃料が、手つかずで残されたままだ。


緊急事態省の担当者:
翌日、住民は避難させられ、これからも絶対に、誰も住む事はない


■「甲状腺がん増加は4~5年後」
チェルノブイリの“知見”検証


チェルノブイリ原発の周辺にあった、いくつもの町や村。
あの日、放射性物質は、容赦なく人々の元に降り注いだ。
未曾有の原発事故を経験したこの地で、
“子どもの甲状腺がん”と“被爆”の関係は、どのような結論に至ったのか?

ウクライナの首都キエフにある、内分泌代謝研究センター。
ここには、国中から、甲状腺の病気を抱える患者が集まる。
甲状腺が専門のこの機関で、特に調べ続けているのが、チェルノブイリ原発事故の当時子どもだった世代


この男性は、現在30歳
事故で被ばくした時は2歳だ。

Q:チェルノブイリ事故への不安は?


事故当時2歳の男性:
もちろん気にしている
故郷は立ち入り禁止で、検問所もある
妻も、甲状腺の手術を受けているので、気をつけないと


原発事故のあと、異変が見え始めたのは、4~5年後の事だった。
甲状腺がんと診断される人々が、急激に増え始めたのだ。



特に顕著だったのが子どもたち。
極めて稀なはずの子どもの甲状腺がんが、なぜ増えたのか?

当時から、研究所の所長を務めるトロンコ医師は、いち早く放射線の影響を疑い、世界に訴えた
しかし、なかなか認めてもらえなかったという。


ウクライナ内分泌代謝研究センター ミコラ・トロンコ所長:
事故で浴びた放射線の量で、ある学者は「甲状腺がんが発症する」と言い、ある学者は「発症しない」と言った
大論争が巻き起こった。
原爆を投下された、広島や長崎の調査データをもとにしてだ。

この時、医学会の常識とされていたのは、原爆被害を受けた広島や長崎の“知見”
「放射線による甲状腺がんの発症は、早くても8年後以降」というものだった。

そのため、「事故後4~5年で見つかった癌は、放射線とは関係ない」とされた。
高性能な機器で大規模な検査、つまりスクリーニングを行ったため、「もともとあった癌が多く見つかっただけだ」と。


しかし、現実は違った


トロンコ所長:
4年で発症するとは、思ってもいなかった。
しかし、その思い込みは間違いで、子どもたちの潜伏期間はもっと短かったのだ。
様々なデータを集め、事故後4年でも発症している事を実証した。


着目したのは、甲状腺がんの原因となる放射性ヨウ素だ。
その半減期は、非常に短い。
そこで、放射性ヨウ素が消えた後に生まれた子どもたちが、殆ど発病していないのに比べ、
放射性ヨウ素が消える前に生まれていた子どもたちは、発病率が高い
ことを突き止めた。



こうして、事故から10年経ってようやく、子どもの甲状腺がんと放射線の因果関係が、国際機関にも認められた
(国際原子力機関の報告 1996年)

この、チェルノブイリの“知見”。
つまり、事故後4~5年以上に甲状腺がんが増えた事等から、
いま福島で見つかっている甲状腺癌は「被ばくが原因とは考えにくい」とされている



取材を続ける中、気になる情報が出てきた。
原発から西へ110kmにあるコロステン
放射能で汚染されたが、居住は許されている地域だ。



最前線に当たる、検診センター(コロステン検診センター)。
事故以来、甲状腺がんの検査は、どのように行われてきたのか?
副所長が語ってくれた。


コロステン検診センター アレクサンドル・グテーヴィチ副所長:
当時は、何の機器もなかったので、“触診”で診察するしかなかった。
1990年位に初めて、エコー診断装置や線量測定器が入り、検査の態勢ができた。



この地域に、高性能の検査機器が納入されたのは、事故から4~5年経ってから。
“触診”だけで、癌が見逃される事はなかったのか?
実は、早い時期から、子どもの甲状腺がんが増えていた可能性はないのだろうか?



グテーヴィチ副所長:
検査機器がいいと、患者は見つかりやすい。

Q:甲状腺がんを、もっと早く発見できた?

グテーヴィチ副所長:
当然、可能だったろう。


内分泌研究センターのトロンコ所長も、事故直後の検査体制は、十分でなかったことを認める。


トロンコ所長:
当時のソ連に、高性能のエコー診断装置はなかった。
1989年か90年になって、アメリカの大富豪などから、エコー診断装置の寄贈を受けた。



それでは、
福島で、4~5年を待たずに、早い時期から見つかっている“子どもの甲状腺がん”は、本当に“放射線”と関係ないのか?


トロンコ所長:
可能性は低い。
私たちが知る福島の線量は、僅かだ。
ただ、調査はすべきだ。
科学は、予想外のデータを提示する事がある。
28年経つが、私たちは得た回答より、疑問点の方がはるかに多い


チェルノブイリで調査した経験もある、京都大学の今中助教は
当時起きた事が、今の福島に重なって見える」という。


京都大学原子炉実験所 今中哲二助教:
西側のオーソリティー(権威)、日本のオーソリティーも含めて、どういう反応をしたかというと、
「広島・長崎に比べたら早すぎる」と。

また、同時に、いわゆる今でも言われている、スクリーニング効果ですよね。
「熱心に検査検診をすれば、それだけがんも見つかる」という事も言われましたけれども、
(今回)福島関係の方々は、「それは福島の事故が原因ではない」
「なぜならば、チェルノブイリに比べたら早すぎる」とおっしゃったんですよね。
それを聞いて、皆さん、20年前におっしゃった事を忘れたのかなと。


福島で起きている事態は、事故の影響なのか、そうではないのか
だが、それを検証するための重要なデータが、実は、決定的に不足しているのだ。
かつて、詳しい検査を目指した研究者がいた
しかし、そこにストップがかけられたという。

ーーつづく

http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/8c94e84da1aa4ffa1735a7892e4d0e92
文字制限のため、前回の記事『3.11・報道ステーション/子どもが甲状腺がんに… 母が苦悩の告白「甲状腺がん増加は4~5年後」チェルノブイリの“知見”検証』の続きの部分を、
ここに分けて転載させていただきます。
きーこさん、本当に、本当に、お疲れさまでした。ありがとうございます!

「不安あおる」と県に止められた、甲状腺初期被ばく調査・3/11報道ステーション(内容書き出し)

■「不安あおる」
止められた調査


福島県で見つかった甲状腺癌は、事故と関係あるのか?
だが、その検証に必要な、初期の内部被ばくのデータが、決定的に不足していた。


■被ばく検査「不安あおる」
データ不足 国・県の責任は?


国会の、事故調査委員会の委員だった崎山氏は、行政による初期の検査体制を、厳しく指摘する。


元原発事故調査委員会委員 崎山比早子氏:
一生懸命やろうと思えばできたはずなのに、それを止める力が働いた



原子力災害対策本部では2011年3月
飯舘村など、3つの自治体で、1080人の子どもに対して、甲状腺の被ばく調査を行っている。
あくまで簡易的な検査だったが、比較的被ばく線量の高い子どもが、3人見つかったのだ。
基準値は下回っていたものの、原子力安全委員会は、甲状腺モニターを使った詳しい検査をするよう助言



しかし、対策本部は検査を行わなかった
なぜなのか?

これは、当時、対策本部から、原子力安全委員会に送られた文書。


詳しい検査をしない理由について、

甲状腺モニターは、相当の重量物(約1トン)であり、その移動が困難である。
このような追跡調査を行う事が、本人、家族、及び地域社会に、多大な不安・いわれなき差別を与える恐れがある。



崎山氏:
常套手段ですよ。
いつもそうじゃないですか。
なにかの時に「やらない」という事の言い訳に、「不安を与えるから」ということを言うわけですよ。
きちんとちゃんと測ってもらった方が、不安はないんですよ。


国の動きとは別に、震災直後から福島に入り、放射線の影響を調べた研究者がいた。
弘前大学の床次(とこなみ)眞司教授だ。


弘前大学被ばく医療総合研究所 床次眞司教授:
まず、その初期の状況下で、住民の人達は、果たしてどれだけ被ばくしたのか?という事を知ろうと思いました。


甲状腺がんの原因となる、放射性ヨウ素の半減期は8日
物質が消える前の、早期の被ばく検査が重要だ。
床次教授は、浪江町などで調査を始めた。


しかし、横やりが入る
福島県の担当者からストップがかけられた
のだ。


床次教授:
そこは「もうやめてくれ」、という事だったです。
「これ以上やらないでくれ」と。
要は、人に関する事についてはやっぱり、「不安をあおる」というようなね、
そういったところ(行政)の協力がなければ、それ以上、これ以上勝手にやるわけにはいかないです。

こうして、貴重なデータを得る機会は失われた

崎山氏:
放射性ヨウ素の被ばく線量が分かっていないという事は
たとえばがんが出来ても、それが「放射線の影響ですよ」とも言えないし、「そうじゃない」とも言えない。
なんの根拠もない、という事です。


当時の放射線検査をめぐる異様な空気を、床次教授は覚えている。

床次教授:
なんか知らないですけど、その、静かだったんですよ。
静寂だったんですよ、研究者の世界で。
本来、普通だったら、甲状腺検査をやらなければいけないのは分かっているはずなんですけど、
誰も何も言わなかったんですよ、それを。
おかしいな」って思ったんですけど、その雰囲気が。


福島県は床次教授にストップをかけたのか?
県に聞いた。

Q:床次さんがおっしゃるには、調査を県側から止められたという事で、


福島県県民健康管理課 小谷尚克主幹:
私としては、「そこを止めたという話はない」というふうに聞いて、あの、聞いていますというか、あの…そうですね…。

その福島県こそが、様々な問題が指摘される甲状腺検査を、県立医大と二人三脚で進めてきた。



県による健康調査の問題点を取材してきた、毎日新聞の日野記者は、こう語る。


毎日新聞社会部 日野行介記者:
私が着目したのは、その(県による)情報の管理ですよね。
非常に、情報の公開度が低いというレベルではない程の、情報の管理。
自分たちで情報を独占して、評価は全部、自分たちでやる。


Q:独占することによって、何が得られるんでしょうか?

日野記者:
それはもう、「被ばくの影響はやはりない」という事を前提にする。
で、結論を付けられる、という事が可能になるのだと思います、このシステムだと。


Q:放射線の影響事態を、出来るだけ少なく見せようということが、
なにかしら命題としてあってやってらっしゃるという指摘については、どうお考えになりますか?


小谷主幹:
そういう批判があることも承知しているんですが、
わたくしどもにとって、そういうふうにする事が何のメリットもないという事は、あの、理解していただきたいなというふうには思います。


しかし日野記者は、県の目指すものについて、こう指摘する。

日野記者:
最近、住民の帰還、避難指示解除、もしくは自主避難も含めた部分でですね、
住民の帰還という事が、議論になっているんですけど、
人口減少を防ぐ、もしくはその先にある産業復興。
福島県が産業を立て直すという事以外に、(目的は)多分ない
と思うんですね。


原発事故から3年。
先の見えない日々を過ごしてきた、福島の人達。
放射能の影響とどう向き合うのか?
その答えもいまだ見えていない。


古舘:
恵村さん、ご覧になって、どういうご意見をお持ちになりますか?


恵村:
「被ばくで甲状腺がんになるには、何年もかかる」という通説ですよね。
これに、私自身が捕らわれていたなという事に、VTRであらためて気付かされました。
で、3つの事を思ったんですね。
ひとつは、被ばくによる子どもの甲状腺への影響について、
私たち、人間がですね、知っている事ってあまりにも少ない、という事なんですね。
広島・長崎では、十分な測定はしなかったでしょうし、チェルノブイリでは、何年も測定が遅れたし、
今回福島では、国や県が初期の検査ですね、これをやらなかったりさせなかったりという事が、VTRに紹介がありましたけれども、
ま、そういうことですよね。
それは極めて残念なことです。
それから、乏しい知見で判断すれば、間違える可能性というのは、常にあるわけですから、
今も福島で、「違う病院で検査がしにくい」という事が現状であればですね、
それは直ちに是正していただきたい、ということですね。

二つ目は、被災者が100人おられれば、100通りの悩みがある、という事なんですね。
しかもその悩みというのは、長ーく続いていく訳で、
国や県と医学会、それから学校もですね、可能な限り、一人一人の思いに添った検査とか治療とかですね、それから心のケアですね、
みていただきたいという事があります。

それから三つ目は、原発がひとたび事故を起こせばですね、本当に多くの人に苦労を背負わせるという、原発の罪深さですね。
原発再稼働というものに対する、根本的な疑問にもつながってくると思います。


古舘:
あの…、お子さんが癌になられたお母さんに取材して、つくづく思いましたのは、みんな、周りの方も悩んで苦しい。
だけど、さっきの毎日新聞の記者の方がおっしゃっていたように、
産業振興も含めて、前向きにやらなきゃってなった時
お子さんが癌になってこんなに悩んでいるっていう方に対して、人間っていうのは、無理解が始まってしまう
そして、家族の中で、お母さんが孤立していく
放射能っていうのは恵村さん、人間関係にひびを入れますね

恵村:
そうですね……分断を招いてしまいますよね、暮らしや心に。

古舘:
この件はですね、ここで終わる話では到底ありません。

ーーおわりーー

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政府と東電のフクシマ対策は「被害者死亡」を待つ水俣方式

「東海アマツィッター」で知った記事である。
3年間で238人が死亡って、あまりに多すぎる。どう考えても福島原発事故に由来する死が大半だろう。「全町避難が続く」とあるから、避難先での生活のストレスなども原因の一部だろうが、放射能による健康被害が、この死亡者数の多さの大きな理由ではないかと思う。ニュースとして出てこないが、乳幼児、青少年の死亡もかなりありそうな気がする。
東電と政府はこうしてフクシマの被害者がどんどん死んでいくのを待っているのだろう。



(以下引用)


和解前に238人死亡、浪江町民
  • 2014年 12月25日 02時00分
  • 提供元:共同通信
 福島県浪江町民が避難生活を送る仮設住宅=19日、福島県二本松市

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 福島県浪江町民が避難生活を送る仮設住宅=19日、福島県二本松市


東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町の約1万5千人が賠償増額を求めて原子力損害賠償紛争解決センターに申し立てた裁判外紛争解決手続き(ADR)で、申立人のうち238人が東電との和解前に亡くなったことが24日、関係者への取材で分かった。 紛争解決センターは今年3月に慰謝料の増額を認める和解案を提示。東電は「原子力損害賠償紛争審査会の中間指針に基づき賠償を受ける他の避難者との間で公平性を欠き、影響が大きい」などとしてこれまで2回、和解案を拒否し、現在も協議が続いている。

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「愛子さま」の学校制度破壊テロ(笑)

ちょっと面白い話である。
愛子親王(というのか? 皇族の女性をそう呼んだと思うが、「愛子さま」という言い方の方が私には不自然に思える。「親王」ならただの称号だが、「さま」には尊敬の強制を感じる。)にはこのまま中学校中退していただいて、日本の教育のあり方や意義について一石を投じてもらいたいものである。
つまり、「中学校中退で何が悪い?」ということだ。そもそも、結婚して家庭の主婦にでも収まるなら、小学校卒で十分だ。社会についての実際的知識など、公教育では何一つ得られないのだから、小学校で読み書き算術を覚えればそれだけでいい。いや、家庭の主婦に限らずたいていの人間はだいたい小学校までの知識だけで生きるのには十分ではないのか。
一番悪いのは、愛子親王がこういう学業状態であるのに、学校側がそのまま進級させ、「中学卒」の資格を与えるという特別待遇をすることだろう。それは嫉妬と批判の元になる。いや、既になっている。下の記事自体がそれである。
とかく世間は他人の粗探しをしたがるものだが、「他人を批判する」ことの公正な利点が無い場合にまで他人を批判するのは感心しない。下記記事で言うなら、愛子親王がどうであろうと、それが他の生徒にどんな不利益を及ぼしているかと言えば、それは何一つ無いのである。ただ、「自分は苦しんで勉強し、真面目に無遅刻無欠席で登校しているのに、そうでない人と同じ扱いを受けるのは嫌だ」ということである。つまり、「本当なら勉強などしたくない。学校など来たくない」というのが彼女たちの本音であり、そうは言えないから「不平等な扱い」に文句を言っているのである。彼女らにとって学校がそういう存在であるところに、現在の「学校」という制度の無意味さや有害さの一端が表れている。


愛子親王は知的障碍者(とは言っても、幅広くあるはずだが)だという話もあるようだが、仮にそうだとしても、それも問題ではないだろう。皇族と言っても普通の人々と同じ確率でそういう人は生まれるというだけであり、公的活動はできないだろうが、私的生活だけで生きていかれればいいだけだ。





(以下引用)

愛子さま 二学期の期末テストの3日間8教科分を欠席された


 冬晴れの空が広がった12月22日、学習院女子中等科は二学期の終業式を迎えた。8時25分頃、お車で登校されたマスク姿の愛子さまは、ポニーテールを揺らしながら、全力ダッシュで校門をくぐられた。


 終業式は8時30分スタートで、この日はギリギリではあるが、他の生徒たちと同じように定刻通りに登校された。


 だが、この二学期、愛子さまはさまざまな問題を抱えながらの学校生活をお過ごしになった──。


 一学期後半から始まった愛子さまの“不規則登校”問題。二学期の始業式こそ、定刻前に元気に登校されたものの、その後は再び逆戻り。遅刻や欠席の回数が増え始め、9月末頃からは午後に登校されることもあった。


 12月1日の誕生日は、学校をお休みになったが、夕方には天皇皇后両陛下に誕生日のご挨拶をされるために皇居を訪ねられている。


「沿道に駆けつけた人々に、車から元気に手を振られる愛子さまの姿を拝見して、少なからず違和感を覚えました。やはり、この日学校を欠席されている以上、公の場に出てこられるのは不自然ですよ。愛子さまは今、学校で誰からも叱られることなく、自由な振る舞いをされているように思え、実に心配でなりません」(学習院関係者)


 この関係者が指摘する通り、学習院女子中等科では、愛子さまは過剰なまでの“特別扱い”を受けていて、遅刻、欠席を繰り返しても学校側が愛子さまを叱ったり、母親である雅子さまを呼び出して注意することは、一切ないという。


 こんな状況に、すでに本誌がお伝えした通り、一部の生徒たちから不満の声が出てきている。


「私たちは遅刻しないようにまじめに登校しているのに、なぜ愛子さまだけが自由な時間に登校しても許されるのでしょうか?」


 しかし、学校側は明確な答えを出すことはできなかった。そして12月5日から4日間にわたり、二学期の期末テストが行われたが、愛子さまは5日、6日、9日の3日間、計8教科分の試験を欠席された。


 この期末テスト欠席に関して、東宮大夫は定例会見で、風邪で発熱や咳があったためと説明している。結局、愛子さまは後日、数日に分けて追試を受けられたという。


※女性セブン2015年1月8・15日号



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ピケティがわざと言わないこと

今日も「世に倦む日々」からの抜粋転載である。
「世に倦む日々」氏は経済学についての理解が深いようで、学問的素養も本格的なようだ。いろいろと勉強になる。ただし、こちらは自分にとって興味深いところだけを聞きかじりするだけだが。
「世に倦む日々」ブログの著者(管理人氏)は、他のブログやサイトのように社会主義への闇雲な嫌悪感を持たず、右も左も冷静に批評してる。やや、社会主義寄り、か。そういう点は私に似ているかもしれない。だからこそ、こうして引用することも多いのだろう。
下記記事は最近ブームのピケティの著作(「21世紀の資本」だったか?)についての(というよりは、その解説本についての)批評だが、これを読むとピケティの著作には人々を大きくミスリードするところがあるようだ。
確かに、20世紀中盤の労働者待遇の改善、福祉政策の増進は、誰が考えても「ソ連の躍進」に怯えた資本主義国家が、自国の共産主義化(赤化)を恐れた結果だろう。一方では「赤狩り」を行いつつ、一方では労働者待遇の向上によって資本主義の優位をアピールするという「アメと鞭」である。そういう基本を(わざと)無視しているところに、この本が世界的ベストセラーになることが「許された」背景があるのではないだろうか。


(以下引用)赤字部分は夢人による強調。



以上は、竹信三恵子の要約をさらに要約したもので、ネット等の整理でも同じ中味が書かれているに違いないのだが、説明の内容に少し首を傾げる部分がある。それは、ピケティの論述に問題があるのか、竹信三恵子の要約に欠落があるのか、よく分からないが、議論全体のポイントとなるところの、20世紀の格差縮小の原因について、社会主義の要素がクローズアップされてない点だ。戦争のため、軍備に税を徴収しなくてはならず、富裕層への課税が大きくなったとか、戦争が国民を平等な方向に持って行ったという説明がされている。これは、歴史の事実とは少し違うし、米国のニューディール政策や日本の戦後改革の意味を見誤る点だろう。この時代は、ロシア革命が各国に波及することのないよう、とにかく社会主義革命を防ごうとして、各国が社会政策を充実させ、中間層を作って行ったのであり、すなわち修正資本主義の時代なのだ。何より強調されるべきなのは、ケインズ主義に他ならない。ピケティの原著の方は不明だが、なぜか竹信三恵子の要約ではケインズの名前が上がらない。この時代がケインズの時代であった一般論が確認されず、ケインズを否定するハイエクとフリードマンという経済学史の流れが出て来ない。このことは、普通の者には奇異に感じられる。マルクスとケインズという一般的な図式ではなく、マルクスとクズネッツという図式が持ち出されていて、その意図を訝る不思議な説明になっている。

1980年代以降、世界の諸国で格差が拡大していくのは、社会主義革命の危機や脅威が消え失せたからであり、資本側が労働側に遠慮することなく、規制を取っ払って自由自在に搾取できるようになったからだ。日本では、その波は中曽根政権から始まり、小泉改革で劇的な形となって現れ、製造業での派遣労働が法律で解禁されるに至る。どれほど輸出で利益が出ても、資本側は労働側に春闘で妥協することなく、賃金は上げずに内部留保に蓄えこんで行った。それに対して、総評を潰された労働側の抵抗は弱く、労働側の利益を担った政治勢力(革新)も衰退と縮小の一途を辿り、資本主義のあり方は19世紀の原初の姿に戻って行く。今度は、いよいよ残業代がゼロにされる搾取が合法化されようとしている。労働側は、20世紀(日本では戦後)に獲得した権利を次々と失い、収入を減らされ、中間層たる地位と基盤を失い、19世紀の無一物のプロレタリアへと没落させられている。これが格差拡大の実態だ。ケインズ的な、ニューディール的な、資本主義を修正させる契機が否定されて、ハイエク・フリードマン的な世界が出現したということだ。これが、新自由主義の台頭と制圧についての基本認識というものだろう。なぜ、クズネッツがそこで注目されて特筆される必要があるのか、論理と意味がよく分からない。20世紀の修正資本主義(格差是正と中間層育成のシステム)は、ロシア革命と社会主義とケインズとニューディールで説明されるのが当然だ。




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若者の自己防衛としての政治敬遠

「世に倦む日々」記事から、「若者と政治」の部分に焦点を絞って抜粋転載。
この分析は正確無比だと思う。
政治家に欲しいのはこうした「大衆心理」への洞察力だ。それが自分に無いなら、それのできる「軍師」を身近に置くことである。安倍自民党の世耕などは、その能力があるが、残念ながら野党政治家にはまったくそうした能力が無い。それが野党が敗北し続ける根本の理由である。


(以下引用)


この国では若者ほど甚だしく右傾化している。そして、若者ほど体制に順応的な生き方を身につけている。彼らは、安倍晋三や右翼の方向性を支持しているというよりも、多数の意見や全体の意向に逆らわないのだ。異議を唱えないのである。今の政治における多数が何かはマスコミが教えている。異端が何かもテレビとネットを見れば一目瞭然だ。彼らは、生き抜くために、自身が異端の位置に属することを極端に恐れるのであり、自己防衛に過敏になるのであって、場の空気に合わせて、全体が自分に要請する配役や立場を素早く感知して、それを積極的に引き受けるのだ。その習性と態度をしっかり体得していないと、例えば、就職時の会社面接で脱落してしまう。そこで人生が決まる。われわれの頃と違って、面接は個人ではなくグループでやる。チェックされるのは、どれだけ集団での即興の振る舞いで、面接側の期待に応える役割演技ができるかだ。今はその能力を「コミュ力」と呼ぶらしい。若いときに身につける習性と態度とは、その人間の終生の生き方を意味する。

例えば、こんな場面を想像しよう。ある若者が投票に行ったとする。仲間同士の会話の中で選挙が話題になったとき、「選挙、行った?」という質問に、正直に「言ったよ」と答えたら、残りの者たちは、「えー、行ったの!?」と驚き、「どこに投票したの?」と尋ねてくるだろう。若者は答えなくてはいけないが、「自民に投票した」と答えたら、「どうして?」と続けて訊かれ、動機や理由を説明しなくてはいけない。説明すれば、その内容が他の者たちに話題として伝わってネタにされる。「あいつ、自民に投票したんだって。安倍でいいからだって」という具合に。具体的な場面を少しでも想像すれば分かるが、若者たちの一般的態度は棄権なのだ。それがマジョリティなのだ。投票には行かないのが普通であり、行った者が特殊で、興味を持たれ、面白がられて、その行動の中味の説明を求められる。その説明は、聞いて噂にする方は軽いネタだが、説明した方は個人情報として残り、あとあと厄介でリスクのある不安になる。尾ひれが付いて回る可能性がある。さて、このとき、正直に「共産に投票した」などと言えるだろうか。言えない。口が裂けても言えない。理由を訊かれ、説明を始めたら大変なことになる。だから、仮に投票をしていても、仲間で話題になったときは、「行ってないよ」と答えるのが無難なのであり、「投票したい党がないから」と言っておけば安全に済むのだ。無用なトラブルを引き受ける必要はない。

こうした環境や関係のあり方は、若者たちに、選挙に行かないように意識を方向づける。政治に関心や知識を持たないように仕向けて行く。関心を持たない方がいいという判断と思考になる。関心を持たないことが安全だからであり、将来的に身を守るサバイバルに繋がるからだ。関心を持てば、選挙に行くという行動に必然的に導かれる。コミットの責任を持つ。投票に行けば、リスクを冒してその説明(選択の意義・正当性)を友人たちの前でするか、あるいは、「行ってない」と方便のウソを言わないといけない。友人を騙すことは多少とも苦痛が伴うものだ。だから、テレビで大人たちが言うところの、「選挙に行きなさい」という説教は、若者たちにとっては欺瞞的なタテマエ論なのであり、若者には負担の重い、大人の世界で通用する無責任な原則論なのだ。現実の社会は、就職面接がそうであるように、どこまでも漂白された人間像を求めるのであり、社会的な理念を持たない、言挙げしない、異議申立を決してしない、ただ機械のように働く無色透明な若者像を要求する。TOEICのスコアが700で、ITスキルが万全で、早慶一橋卒の学歴が履歴書にある、「コミュ力」の十分な学生を求める。就職面接の真実こそが大人のホンネ論だ。今の若者たちは、中学で、高校で、大学で、理念の重要性を教育されていない。理想を持つことを教育されていない。むしろ逆で、理念や理想を持たないことを教育されている。場に適応して生きることを教育されている。







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キューバは地獄の門を開けたのか

「大摩邇」から転載。
私もキューバと米の国交回復を単純に喜んでいた馬鹿の一人であったが、この記事を読んで、これはキューバにとっては悪い選択になったかな、と考えた。もちろん、これでおそらく実現する「体制転覆」の後でキューバは完全に資本主義(経済的自由主義)体制となり、経済的にも発展する可能性は高い。だが、キューバ国民にとってそれが本当に幸福な道かどうかは疑問なところだ。
「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」と言った古人がいたが、今の「平等に貧しい」キューバははたして「富める1%対貧しい99%の格差社会」より不幸なのかどうか。精神的な面では、もしかしたら「平等に貧しい」社会の方が、妬みと恨みと他人を蹴落とす争いの社会よりも幸福かもしれないのである。
もちろん、一番いいのは全員がほどほどに豊かになる社会である。政治がまともなら、それは容易に実現できるはずだと私は思っているのだが。



(以下引用)

キューバにおける体制転覆

マスコミに載らない海外記事さんのサイトより
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-3210.html
<転載開始>

Paul Craig Roberts
2014年12月19日


キューバとの国交正常化は、外交上の飛躍的進展の結果でもなければ、ワシントン側の心変わりでもない。正常化は、アメリカ大企業が、キューバにおけるブロードバンド・インターネット市場開発等、キューバで利益を上げる機会を求めた結果に過ぎない。


アメリカの左翼やキューバ政府は、正常化を幸いだと考える前に、正常化すれば、アメリカの資金とアメリカ大使館がやってくることに思いをいたすべきだ。アメリカの資金が、キューバ経済を乗っ取るだろう。大使館は、キューバ政府を転覆させる為のCIA工作員の巣窟となるだろう。大使館は、アメリカが、キエフでの様に、だまされやすい参加者達を、適切な時期に街頭抗議行動に繰り出させることが可能なNGOをたちあげるための基地となり、大使館開設で、ワシントンは新たな政治指導部の一団を育てることが可能になる。


要するに、国交正常化とは、キューバの政権転覆を意味している。まもなく、キューバは、もう一つのワシントンの属国になるだろう。






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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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