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「私に悪意がなければ、悪意として受け止めるあなたが悪い」論理

「温玉ブログ」というブログから転載。
長い記事だが、素晴らしく面白い。曽野綾子の例の文章を読んであきれかえったものの、そのどこがどうおかしいのか言語化できなかった私のような馬鹿には、こういう「リテラシーの達人」の書いたものは有り難い。
なお、カマヤンのツィッターの次の言葉も面白い。これが「温玉」氏の長文の見事なまとめになっている。

「ちょっと違う話書くけど、萩尾望都の姉と父が曾野綾子的キャラらしいんだよね。「私に悪意がなければ、悪意として受け止めるあなたが悪い」論理。それで萩尾望都は随分苦しんだようだ。 / “曽野綾子事件に見るコミュニケーション障害 - 温玉…” http://htn.to/FDmTZx


(以下引用)


曽野綾子事件に見るコミュニケーション障害

曽野綾子という人が産経新聞に寄せたアパルトヘイトを主張したコラムが話題になっている。日本ばかりか海外からも批判されているし、かつてアパルトヘイト政策をとっていた南アフリカからも抗議がくる有り様である。


 


曽野綾子は60年前に23歳で作家デビューした女流作家だ。僕は彼女の本は読んだことない。そしてどんな人なのかもよく知らない。今回の騒動で初めて知った。なんたる物知らずと思われるかもしれないけど、知らないものは知らないのでしょうがない。なにしろ日本には作家が死ぬほどいる。


 


だから慌ててウィキペディアで調べた。カトリック教徒。そして笹川良一の作った日本船舶振興会の会長を10年ほど務めている。「戸締まり用心火の用心」のCMソングで有名な(っていっても、今じゃ通用しなくなったかも)あのボートレースの協会だ。会長を務めている間に「日本財団」という通称を定めたそうだ。「日本財団」というネーミングはあまりにも凄すぎる。2009年からは日本郵政社外取締役に就任。そして2013年には安倍政権教育再生実行会議の委員にもなっている。なんか権力まみれのプロフィールだ。


 


僕は人を判断するときにいつも見ているのは、言葉よりも、やったことだ。だから権力まみれのプロフィールを見ると、権力とか名声が好きなんだなあと素直に判断する。


 


そんな曽野綾子だけど言ったこと(書いたこと)もすごかった。


 


いまさらだけど問題になった産経新聞のコラムを引用させてもらう。全文読んだことのない人もいるはずなので。


 


曽野綾子の透明な歳月の光

「適度な距離」保ち受け入れを

最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。
一方で、若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。


特に、高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと、資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。
つまり、高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。


どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には、衛生上の専門的な知識もない。
しかし、優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。
日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。


しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。


ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
黒人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。


爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。しかし、居住だけは別にした方がいい」


僕はこれを読んで、曽野綾子さんという人が、外国人と同じところに住みたくない気持ちがものすごく伝わってきた。それと同時に、これを個人的な感情として主張しているのではなく「そういう気持ちを持つのが当たり前!皆も持つべき!」という主義の持ち主であることもビンビン伝わってきた。


 


コラムの構成として、最後に、黒人と白人のマンションの話までわざわざ例に挙げて「人種差別の撤廃がこういうトラブルを生んだんだぜ!」と持論の正当性を主張するという念の入りよう。


 


あとでインタビューに答えたところ、このマンションの話は「誰かから伝え聞いた話」らしい。


 


昔よく大阪なんかでも広まっていた「在日朝鮮人に鼻に割り箸を刺された話」に似ている。僕らが子供のころ、「在日朝鮮人と喧嘩したら鼻に割り箸を刺されて死ぬから怖い」という話が実しやかにされていた。この話が実話かどうかは未だによくわかってない。大阪以外でも語られていたのだろうか。でもこれは決まって「友達の友達の話」としてよく展開されていた。完璧に都市伝説である。


 


「あいつら怒らせると鼻に割り箸を入れられるから。」


「へぇ朝鮮人はやっぱり怖いし残酷やねんなあ。近寄ったらあかんね。」


 


曽野綾子の書いたマンションの話は基本的にはこれと同じノリを感じる。


 


そして忘れてはいけないのが前半の介護の話。


 


僕がこれを読んで思ったのは、この人は外国人労働者をめちゃめちゃ見下しているやないかということ。


 


「出稼ぎにくるのだから法的に多少厳しくされるのは当たり前!」


「それを飲めないのなら来なくて良いよ!」


 


こういう偉ぶった態度にしか受け取れない。円も下がってきて、経済も破綻してきて、労働力も不足してるから来てくださいって話なのに、この自信の根拠はどこにあるのか。日本郵政社外取締役という圧倒的自信か。


 


ふと平均年収2500万という長野のレタス村の話が頭をよぎったりする。


 


もうひとつ伝わてきたのは、介護に呼ぶ外国人労働者だけではなく、「今現在、介護に従事している労働者を、圧倒的に見下している」ということだ。


 


特に、高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと、資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。


 


 


まるで介護従事者が、日本人ということと資格のバリアで守られて既得権益に預かっているみたいな言い草である。そのせいで介護が立ち行かないみたいな言い草である。


 


介護従事者はものすごい待遇が悪いということで度々話題になっているのに。そんな国にだれがしたのか。


 


バリアで守られているものがいるとしたら介護事業者だけである。そして外国人労働者を介護従事者として雇入れて得をするのは、バリアで守られた介護事業者ではないか。


 


どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には、衛生上の専門的な知識もない。
しかし、優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。 


 

介護をなめとんのか!と言いたい。

 


「おばあちゃん、これ食べれるか?」しか言えない専門知識もない外国人の娘さんが介護するのは、貧乏人の家庭のおばあちゃんだけである。それが曽野綾子の理想とする近未来SF社会なのだろう。


 


きっと自分がヨイヨイになった時は、医学専門知識も万全で、日本語も喋りまくれる人に介護してもらいたいと考えているはずだ。


 



貧困ビジネス化する日本の介護 - あたまがいっぱい


 


介護といえばもてらじ村民のハヤカワ氏である。ハヤカワ氏に曽野綾子を叱ってもらいたい。


 


しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。


 


非人道的なことを主張しておいて「非人道的なことではないのである」と展開する。これは誠に便利というか、あまりにも最強すぎる論理展開であるとしか言い様がない。これが将棋か何かだと「参りました!」と投了を宣言してしまいたくなる。そしてそんな人とは二度とゲームなんかしたくないと思わせる破壊力がある。


 


アパルトヘイトを主張しておいて「アパルトヘイトではないのである」とか。


 


区別という言い方で差別しておいて「差別ではないのである」とか。


 


安倍政権教育再生実行会議の委員をしておいて「安倍首相個人へアドバイスしたことないのでアドバイザーではないのである」とか。


 


南アフリカアパルトヘイトはどう思うかと訊かれて「アパルトヘイトとか知らない。見たこと無い。本気でわからない」とか。


 



荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビュー書き起こし - さかなの目


 


 


「こんなこと書いてどういうつもりだ!!」


「だってそんなこと書いたつもりは無いもん。。。」


 


モノスゴイ平行線。


 


その平行線ぶりときたら、大阪から広島まで行こうとしているときに、東京から宮城県あたりまで行こうとしている人に「道中で会えたら会おうな!」って言われるくらいの絶望感はある。少なくとも。


 


そしてトドメの一文。


 


 不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。


 


唐突に不法滞在!?何の話をしているのか本気でわからない。


 


日本人と差別されて厳重な管理下に置かれるのだけが合法の滞在だと言いたいのかこの人は……?


 


世界にどんな風にとられても「そう取られるなら仕方ないけど違う」で押し通すとか、強烈な自分世界がある人なのだろうけど、作家としては自分の世界は強固にある人の方が向いているのだろうけど、そういう方が、客観性や公平性が求められるはずの社会や政府の要職に就いているっていう実態はどうなのか。それが日本におけるスタンダードなのか。


 


「世界とか、お前とか、どう言われても知らない。偏った人が要職に就いているという意識はない」


 


偉い人にそう言われてしまいそう。それがニッポン。


 


なんか曽野綾子さん個人にどうこうなって欲しいとかは無いけど、あまりにも興味深かったので追いかけてしまった。人間というのは恐ろしいものだ。ついうっかり気を抜くと自分の世界に入り込んで出てこれなくなる。回りをイエスマンで固めてしまう人がよく陥る迷宮。歳をとって脳が硬くなることでも迷い込む。しかし元からそうだった人もおる。社会がそれを強要することもある。


 


従軍慰安婦とは認識してない」


 


今回の事件とは直接に関係はしないけど、なんか唐突にこういうフレーズが頭に浮かんでしまった!!!


 


やっぱり、日本て、世界基準でいうと、コミュニケーションに障害のあるような……。


 



対話もせずに戦争しか頭にない日本政府に誰が納得できるのか? - 温玉ブログ


 


これなんか「宣戦布告なんかしてない」だしなあ。


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もう、総理も米政府からの出向でいいんじゃね?

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」から転載。
サッカーの話が、面白い日本人論になっている。日本人の「羊的習性」をうまく動かすには、羊を統率者にしても無理で、シープドッグか羊飼いの「人間」が必要だ、ということである。(笑)日産のカルロス・ゴーンはその成功例、ソニーの何とか(名前失念)は失敗例か。要するに、相手が外人では仕方がない、と卑屈かつ長いものには巻かれろ主義の日本人は考えるということだ。
そのうち日本の総理大臣は外国人にしよう、となるのではないか。あ、「本物の外国人」、つまり白人のことね。日本人が自分より上だと無条件に思うのは白人だけだしwww
つまり、マッカーサーのようなのが米国から来れば、話はとても簡単で、日本がまだ占領下である事実が可視化される、ということである。


(以下引用)

日本代表監督に譲れない条件

>>バックナンバー


2015年2月13日(金)


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 サッカーの日本代表監督だったハビエル・アギーレさんが解任されて以来、サッカーの世界では、後任監督をめぐる話題が行ったり来たりしている。


 この件(代表監督の選任)についての私の意見は、5年前(←南アフリカW杯の直前のタイミング)の当欄で既に書いている


 つまり
「代表監督は、外国人でさえあればある程度誰でも良い」
 ということだ。


 この見解は、いま現在でも基本的には変わっていない。
 理由は、リンク先を読みに行ってもらえばおわかりになっていただけると思う。が、なにぶん古い原稿でもあるので、補足も含めて、あらためて概要を以下に書き起こしておく。

  1.  日本人のサッカー選手(ならびに日本人全般)について毎度のように言われる「没個性」「事なかれ主義」「リスク回避傾向」「横並び志向」といったアンチサッカー的な諸傾向は、実は、われら日本人の「国民性」の問題というよりは、わたくしども日本人が集団として振る舞う時の「マナー」の問題であると考えた方が理解しやすい。
  2.  事実、個々の選手(あるいは個人としての日本人)を個別に観察してみると、十分に個性的で、それぞれにトンがっていたり素っ頓狂だったりする。一人ひとりを見れば、決して海外のサッカー選手と比べて見劣りするものではない。ただ、その個性的であるはずの選手たちがひとつのチームとして動く段になると、やはり、お互いの顔色をうかがい、突出することを避けるようになる点は否定しがたい。
  3.  この傾向(集団内からの逸脱を回避しがちな傾向)は、小学校に入学するや最初の鉄則として、「教室内でのマナー」(具体的には「起立・礼・着席」)と、「校庭での整列の仕方」(「気をつけ」「前へならえ」)を叩き込まれる教育のあり方に起因するものでもあれば、わが国の社会全体に蔓延する「ヒトサマに迷惑をかけてはいけない」「場の雰囲気をかき乱してはならない」といった同調圧力がもたらしているものでもある。ゆえに、一朝一夕には解毒できない。
  4.  そこで、集団が自縄自縛の相互監視統一行動に陥ることからの抜け穴として、「外国人のボスを招聘する」(外圧を利用する)というソリューションがある。
  5.  古来、われわれは、明治時代のお雇い外国人(シーボルトとかコンドルとか)をはじめ、外国からやってきた異文化の伝導者の力を借りてブレイクスルーを果たしてきた。実際に、外資系企業に勤務する日本人社員や、海外で暮らす日本人留学生を見ても明らかな通り、われわれは、ボスが外国人だったり、住んでいる場所が異国だったりすると、おどろくほどすんなりと「外国人のマナー」に追随することができる人々でもある。
  6.  であるからして、外国人監督に率いられた日本人選手は、リスクを取ることを恐れなくなり、チャレンジングなパスや、自己責任のドリブル突破に果敢に挑む傾向を高める。
  7.  この際、監督自身の有能さや手腕の問題とは別に、監督が「外国人であること」がとりわけ重要になる。というのも、相手が外国人であれば、われわれは、その意図を先回りして忖度することをしなくなるし、悪い意味での日本人らしい従順さから解放されるからだ。

(以下略)

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飼い猫の死とフクシマ

「山崎淑子の「生き抜く!」ジャーナル」というサイトから転載。
これを転載したのは、私にはある疑惑があるからだ。
実は、うちの飼い猫が先日死んだのだが、死ぬ少し前に動物病院で見てもらったところ、診断は「腎不全、肝不全、白血病、猫エイズ」となっていたのである。
下の記事に出てくる放射能による病状とほとんど一致しているわけだ。
この「猫エイズ」を「チェルノブイリエイズ」(おそらく放射能内部被曝に由来する免疫不全症候群だろう。)と読み替えれば、これはフクシマや関東地域発の食材がペットフードに使われ、猫のような小動物は人間より早く放射能被害を受けて病死していっているのではないか、というのが私の疑惑なのである。
この猫はまったくの家猫で、家の外には出したこともほとんど無かったので、ペットフード以外には彼(雄猫であった)があのような状態になる原因は考えにくい。
たかが飼い猫の死だ、と思う人も多いだろうが、仮にフクシマや関東発の食材が様々な形で全国に配送され、販売されているならば、他地域の人々もとっくの昔に内部被曝している、ということだ。人間は体が大きいからその影響が犬や猫よりも遅いというだけのことである。
まあ、これは私の妄想かもしれないが、ペットフードの原料にはどうせ最安値の食材を使っているだろうから、放射能で病死した牛や豚の肉など、使われていて不思議はない、と私は思っている。


(以下引用)

【静かな死-癌だけではない、あらゆる病気で人々は死んでいく】『チェルノブイリ・エイズ』腎臓不全、肝不全。2~4歳の子供達が、20歳,25歳,30歳の若者が、急性心不全で死んで行く。なぜ日本の責任者が女性や子供の移住を実行しないのか、私には皆目理解が出来ません。2011/3/19チェルノブイリ救援活動を行っているドイツの女医ドルテ・ズィーデントプフさん


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◆ Das leise Sterben 静かな死


CANARD PLUS


Entelchen Quakelmann


 


 


@Entelchen Deutschland さんのサイト


VENDREDI 21 OCTOBRE 2011 (10/21)


http://vogelgarten.blogspot.com/2011/10/das-leise-sterben.html


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【引用開始】


これは3月、福島原発が爆発した直後にドイツのニュース専門チャンネルn-tv オンライン版に掲載された記事です。・・・略・・・福島から遠く離れた横浜でもストロンチウムの検出された今、翻訳してみることにしました。


ここでインタビューに答えているドイツの女医ドルテ・ズィーデントプフさんは同じ時期、ドイツ第一テレビARD局の『遺伝子の中で荒れ狂うチェルノブイリ』 にも登場されていました。


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ソース:Das leise Sterben


n-tv
SPEZIAL


Samstag, 19. März 2011


Das leise SterbenHorrorszenario wartet aufJapan


http://www.n-tv.de/Spezial/Horrorszenario-wartet-auf-Japan-article2887296.html


 


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Slow death


Fukushima Diary


Posted by Mochizuki on November 6th, 2011 ·


http://fukushima-diary.com/2011/11/slow-death/


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ドルテ・ズィーデントプフさんは20年来チェルノブイリ近郊の汚染地域を訪れ、現地とドイツとで、放射能の被害者達の救援活動を行っています。ズィーデントプフさんは核戦争防止国際医師会議 IPPNWのメンバーでもあります。n-tvとのインタビューでは

白ロシアの村の人々の悲しみに満ちた生活とその静かな死について

そして原発事故の起こった福島を待ち受けている将来について語ってくださいました。

n-tv:20年間チェルノブイリの放射能犠牲者をご覧になっていらっしゃる経験から、日本人を待ち受けている将来についてどのようにお考えになりますか?

急性放射線障害に脅かされている原発作業員達の運命については誰しも想像がつくでしょうけれども、

低線量被曝に晒される何千人、何万人もの人間にも着目しなければなりません。

事故のおぞましい映像や、遅かれ早かれ死に見舞われ、あるいは病に倒れるだろう作業員達の運命にも関わらず、私達はあまりにあっさりと、低量被曝を受けた人々の間に長い年月に渡って広がっていくことになる病気を忘れてしまいます。

n-tv:福島原発周辺地域の放射能汚染に関する具体的な報告はありますか?

残念ながら信頼できる情報はほとんどありません。セシウムが環境に放出されたとらしいというのが私が最近耳にした情報です。そこでセシウムを例にとって説明しましょう。セシウムは生物学的にカリウムと似ており、人間の体は良性のカリウムとセシウムとを区別出来ません。

セシウムは呼吸と食物を通して人体に侵入します。

セシウムの身体への侵入を防ぐことは出来ません。人間の体に入ったセシウムは独立して細胞に取り付き、細胞のエネルギー源を破壊します。肝臓であろうと膵臓または脳細胞であろうと問題ではありません。セシウムに取り付かれた細胞は、隣接する細胞を同様の状態にした後、死亡します。こうやって不気味な悪循環が始まるのです。生命は細胞から誕生しますが、この場合、細胞は死の出発点となるのです。

n-tv:細胞に取り付いたセシウムの潜伏期間はどれくらいですか?

それはセシウムを取り込んだ人の年齢によります。子供は細胞分裂を絶え間なく行っていますから、より大きな危険にさらされています。成長期にある子供は常にエネルギーを必要とし、常に傷ついた細胞と共存していかなければならないのです。すでに臓器の成長が終わり、細胞分裂の総数が少ない成人は、即座には脅かされません。そう言う訳で、

子供の方がずっと早い時期に悪性の疾患に見舞われます

チェルノブイリの経験から早ければ一年後から四年後とわかっています。成人の潜伏期間は20年から25年です。

n-tv:つまりチェルノブイリ事故から25年を経た今、当時いわゆる低線量被曝を受けた人間が発病しているということなのですか?

その通りです。当時の大人は25年間生き延び、今病気になっています。


私達はそれを”静かな死”と呼んでいます。

当時の子供達はもうとっくに発病しています。そして多くが死んでしまいました。

n-tv:人間の生殖活動にはどのような影響があるのでしょうか?

セシウムは遺伝細胞にも存在します。厄介なのはセシウムが女性の卵巣や卵細胞にも取り付くことです。これらは再生しない細胞なので、生涯傷つくことになります。


男性の精子は再生しますが、生殖活動の中で、傷ついた情報が伝達されていきます。そうなるとまったく子供が生まれなくなるか、または生まれても、父親と母親から傷ついた情報を受け継いでいるのです。その結果はとても想像できません。

日本の責任者達はとっくに女性や子供を南に移住させていなければなりません。何故彼らがそれを実行しないのか、私には皆目理解が出来ません。

将来大量の白血病が出現するでしょう。今回のセシウム雲は日本人にとって大変な惨劇です。しかもその他の放射性核種についてはまだ何もわかっていないのです。


n-tv:
ヨウ素とストロンチウムも話題に上っています。 

ヨウ素というのは放射性ヨウ素のことで、子供の甲状腺に様々な影響を与えます。子供達は成長途上にありますから、甲状腺は大人よりも多くの放射性ヨウ素を取り込んでしまいます。チェルノブイリの経験から、子供達の甲状腺癌が飛躍的に増加することが予測されます。残念ながら日本の方々は覚悟をしていなければなりません。

 n-tv:ストロンチウムは?

ストロンチウムもセシウムに似て、厄介極まりない核種です。人間の体はストロンチウムも区別することが出来ず、

食物に含まれていれば吸収してしまいます。ストロンチウムは骨と歯に取り付いて放射を続け、

血液(つまり赤血球や白血球、血小板と言った基本細胞)を製造する器官のある骨髄を攻撃

します。これらの血液細胞はストロンチウムによって傷つけられます。それも生涯に渡ってです。というのは

ストロンチウムは一度取り付いた場所を離れることは決してなく、そこで短いベータ線を放射し続ける

からです。

n-tv:事故を起こした原子炉の周辺地域がどれくらいの時間で再び清浄になったと言うことが出来るデータは存在しますか?

半減期というのは放射線の半分が消滅する期間を指すだけです。生物環境から放射性核種が完全に消滅する時期を想像するには、それぞれの半減期に10を掛けなければなりません。ストロンチウムとセシウムの場合はだいたい400年ということになります。つまり想像しうるあらゆる生物環境いたるところに低量の放射線が存在すると言うことです。もちろん地下水にも。

n-tv:汚染地域で生きること言うことを、どのように想像したらいいのでしょうか? 

生きるですって? 何よりも人々は死んで行くのです。

静かに死んでいきます。

主に癌が原因ですが、あらゆる病気で人々は死んでいきます。


ストロンチウムも大きく起因しています。例えばエネルギー交換が不可能となって心筋がやられます。ベラルーシーで行った診察は、

子供達が2歳、3歳、4歳にして急性心不全で死んで行くことを証明しています。

癌だけではないのです。

腎臓不全、肝不全や多くは血液製造障害が原因で人々は死んでいきます。これらは「チェルノブイリ・エイズ」という名称で知られ、生き延びられるチャンスはほとんどありません。

n-tv:事故との共存が社会的に受け入れられることが最終的にあるのでしょうか?

外見上はあります。私はかれこれ20年に渡って定期的にチェルノブイリの周辺地域を訪れていますが、今でも現地の人々は事故のこと、自分達の将来のことについて語るのを嫌います。彼らは身を小さくして、死と共に生きています。死人を出さない家族はありません。若い人々、うんと若い人々が本来は老人にしかありえない病に侵されています。チェルノブイリでは、家を出た途端倒れて死ぬ若者がいます。


急性の心不全です。20歳,25歳,30歳での心不全は決して珍しくありません。

n-tv: プルトニウムについてまだ話をしていません。もしも大爆発が起こったら環境に放出される可能性がありますね。

万一原子炉のひとつでも本当に爆発することになったら、私には想像したくもない惨事になるでしょう。プルトニウムはこの世で一番恐ろしい毒物です。福島の原子炉の燃料の半分はプルトニウムを含んでいるという話です。

ほんの少量でもプルトニウムが体内に侵入すると肺癌に発展します。

これに対して人間の体はまったく無防備です。そしてこれは不治です。何十万という人々が命を落とすことになるかもしれません。


(Peter Poprawa によるインタビュー)


【引用終了】


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曽野綾子の「誠実」とは何に対する誠実か

「晴耕雨読」に載った内田樹の文章の一節(たぶん、英語記事の翻訳)である。
曽野綾子が道徳の教科書に載っていることは知っていたが、よく考えるとこれは大問題である。人種差別主義者お仲間で言うならば、ヒトラーを道徳のモデルとして採り上げるようなものではないか。あちらはユダヤ人を差別し、こちらはアジア諸国の人々を差別(当人の反論では「差別ではなく区別だ」ということだが、差別と区別など同じとしか普通の人は思わないだろう。まあ、「差別は上下に分けること、区別は横に分けること」とでも定義したら、子供でも理解はできる。だが、黒人やアジア人を白人とは区別して扱ったかつての南アのアパルトヘイト政策は、実際には差別以外の何物でもなかったことは世界の常識だ。)しているという違いだけである。
中学生の白紙のような頭脳に、曽野綾子が道徳テキストの「誠実」のモデルとして刷り込まれるのはいかがなものか、と思うのだが、逆に考えれば、これは政府発行の「道徳テキスト」など読む価値も無い、という良識を彼らに与え、彼らを政府の洗脳から守る良薬となるかもしれないwww
しかし、曽野綾子が「誠実」のモデルとは、いったい何を根拠にして選んだのだろう。まさか、アフリカやどこかへの観光ついでの貧民視察旅行(「まあ、汚らしい連中ね!」としか思っていないが、「目的」のためには我慢、我慢。ついでに、ちょっとした土産を数人の貧民たちに与え、子供たちと一緒に写真に納まれば、「素晴らしい慈善行為」一丁上がりである。金なら、日本財団会長か何かをやっていた関係で、競艇収益の一部をがっぽり貰っていただろうし。)などだろうか。まあ、夫ともども保守エスタブリッシュ層の放送塔、代弁者としてその権益を守るための発言(庶民に対して「自分の分際を知り、奴隷としての道徳を守り、お上に逆らうな」というお説教をすること)を長年続けてきた、という意味では「権力に対して」誠実であったわけだ。
なお、山崎行太郎のブログで曽野綾子関連の記事を見れば、彼女の人格の卑しさ、不誠実さは丸分かりである。


(以下引用)


だが、日本最大の日刊紙である保守系の讀賣新聞は曾野綾子が安倍晋三首相の教育政策についてのアドバイザーであった事実も、彼女が日本の文科省によって昨年全国の中学に配布されたテキストブックに大きく取り上げられた事実も報道しなかった。

この「私たちの道徳」とタイトルされたテキストブックの中で彼女は「誠実」のモデルとして取り上げられていたのである。






(追記)前説で触れた山崎行太郎の曽野綾子に関する記事の一つを転載しておく。曽野綾子の妄言・暴言は大昔からであり、その意味では筋金入りの「女石原慎太郎」である。


2007-12-02

曽野綾子の「沖縄差別発言」を総括する。Add StarWallersteinnesskokechackmujinmujinhagakurekakugoo-kojo2nesskotraffickerdj19fabricea6zp1z80a6zp1z80Romance




佐藤優が、「月刊日本」12月号掲載の論文「吉野、加名生詣でと鎮魂」で、沖縄集団自決問題に関連して、「沖縄の人々は、われわれの同胞である……」「左右の対立という瑣末なレベルに拘泥して、同朋意識を失ってはいけない……」「今、右派の沖縄に対する見方が、朝鮮や中国に対する見方と同じになっている……」「沖縄に外国に対するように処すれば、これは沖縄の本土からの独立運動さえ誘発しかねない……」「現に、沖縄での集会の中心にいたのは、沖縄における保守の人々であり、自民党だった……」「まさに沖縄にける右翼の人々から、内地への不満がたくさん出ている。そしてこうした状況を見越して、中国が策動しています。彼らは沖縄にやつてきては、『こちらにも歴史認識の問題があるようですね、どうです、私たちの気持ちが分かるでしょう』と揺さぶりをかけてきている……」というような、かなり重大な発言をしているが、曽野綾子やその仲間達の発言の中にも、沖縄集団自決問題を論じていく過程で、理性的な思考力を失って感情的になり、沖縄や沖縄住民にに対する、差別的な発言が多く見られる。たとえば、小林よしのりも、つい先日、都内で行われた保守派グループ主催の「沖縄問題シンポジウム」会場で、聞くに堪えないような沖縄への差別発言が飛び交っていたと書いているが、曽野綾子も、こんな差別発言を行っている。


私は東京生まれの東京育ちですが、右も左も縦も横も、めいめい勝手にいろんなことを言って、その混沌たるものが人間の自由な生活だと思って来ました。でも沖縄だけ違いますね。今度の件でも、どなたがと名前は明かさないけど、ある沖縄の方が「反対意見は述べられない」とおっしゃった。


(「サピオ」11/28日号)


僕は、東京生まれでも東京育ちでもないから、東京生まれ東京育ち東京人と呼ぶべき人たちが、どれだけ自由奔放に物を考え、どれだけ自由闊達な発言をしているか知らないが、こういう馬鹿馬鹿しい差別的な発言を聞くと、自分達だけが自由に物を考え、自分達だけが自由に発言できる、なんてことは、たとえば言論統制、言論弾圧下にある北朝鮮の国民だってそう思っているはずであって、おそらく北朝鮮の国民だって、曽野綾子と同じようなことを言うだろうな……と思いつつ、ついでに江藤淳の『閉ざされた言語空間』は何処の国の話だっけと記憶を辿るうちに、思わず吹き出したくなった。むろん、曽野綾子が言っていることが、いわゆる独断と偏見に基づく俗論であって、理論的に考えるまでもなく、まったくのデタラメ妄想発言であることは言うまでもない。沖縄の人たちだって、自由に物を考え、自由に発言しているに決まっているじゃないか。沖縄には、曽野綾子が欲しくて欲しくてたまらなかったが、能力不足と才能不足でどうしても手が届かなかった芥川賞を、いとも易々と受賞した作家だって何人もいるじゃないか。むしろ、沖縄の人たちこそ、たとえば放浪差別を強いられたユダヤ人のように、その地理的、政治的、思想的な位置の特異性の故に、われわれより、あるいは「東京生まれ東京育ち東京人」より、はるかに「深く物を考えている」と見るべきだろう。逆に、沖縄の人たちが、自由に物を考えることができず、自由に発言できないとすれば、それは「東京生まれ東京育ち東京の人」たちだって同じことだろう。少なくとも、「東京生まれ東京育ち東京の人」たちが、沖縄の人たちより、深く物を考え、自由闊達に自己表現しているとはとても考えられない。たとえば、ここ一週間ぐらい日本中の目を釘付けにした「香川失踪事件」においては、日本国民の90パーセントが、「あのオヤジが犯人だろう……」と考えていたはずだと僕は思っているが、それは、われわれ日本国民が自由に物を考え、自由に発言出来るからではなく、マスコミの垂れ流すデマ情報によつて情報統制され、情報操作されているからで、われわれが、自分達だけは自由に物を考えていると思っているうちに、いつのまにか、自由に物を考える力を奪われていたということだろう。要するに、「自分達だけが自由に物を考え、自由に発言している……」という思考こそが、イデオロギーであり、妄想にすぎない。人間の思考は、様々な制度や物語の圧力によつて支配されコントロールされている。思考や言論への圧力や弾圧は、国家権力や国家暴力によってのみなされるのではなく、人間自身の中にも、そういう思考や言論への圧力や弾圧のシステムは、既に常に、形成されている。「東京生まれ東京育ち東京人」だけが、自由に物を考え、自由に発言しているという曽野綾子的な妄想こそ、まさしく病的な妄想であって、曽野綾子のような「東京生まれ東京育ち東京人」の思考こそが、もっとも類型的、紋切り型の思考に拘束され、薄っぺらな流行思想に、たとえば保守論壇を支配している「保守思想」という薄っぺらな流行思想に洗脳され、物を考える力を奪われている見本なのである。何故、「沖縄文学」や「在日文学」が、現代日本の文学で重要な位置を占めているのかを考えてみれば、それはすぐにわかることだろう。「東京生まれ東京育ち東京人」よりも、沖縄人や在日朝鮮・韓国人の方が、「物を深く考える」ように強いられているのだ。さて、話を元に戻そう。最近保守論壇には、沖縄への差別的な発言があふれかえっているが、曽野綾子だけではなく、たとえば、渡部昇一も、次のように言っている。


また沖縄は元来、天然資源があるわけでもなく産業が発達しているわけでもないので、豊かであり得たはずがありません。ですから、「基地問題」で騒げば必ずカネが出るということを学び、そのようなパターンができてしまいました。米軍基地の土地を持っている人たちは、基地反対運動で騒いでいる人たちを支援しているという構図もあるようです。「「騒げばカネが出る」というメンタリティーが相当広く沖縄の人たちの間に根付いてしまったということがあるように思います。


(『歴史教育を歪めるもの』「will」12月号)


僕は、何回も繰り返すが、「沖縄集団自決」において「軍命令があったか、なかったか……」とか、「歴史教科書に『軍命令・強制』を書くべきか、削除するべきか……」というような議論・論争にあまり興味がないが、「沖縄集団自決問題の本質はカネである」と言いたげな渡部昇一のような人間を見ると、心底から軽蔑したくなる。こういうことを書いたり発言したりする人を、「保守派」とか「保守思想家」と呼ぶのだとすれば、半ば冗談とは言えども、「保守思想家」という看板を二度と掲げたくないと思うと同時に、こういう似非保守、似非保守思想家を徹底的に叩き潰してやりたくなる。「保守」や「保守思想」の本質は、「下品」が売り物の僕が言うのもなんだが(笑)、人間品格だろう。曽野綾子や渡部昇一の発言に、「保守思想家」としての人間品格があるのか。









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権力と、それに媚び諂う事大主義者層

「阿修羅」の、或る記事に寄せられた幾つかのコメントを見ると、今回のISIS人質事件の真相を正しく推定している人がけっこういるようだ。これらのコメントを読むだけで、日本人も馬鹿ばかりではないと分かる。日本人全体が孔徳秋水氏言うところのチンパン国民というわけではなく、真実が分かっていても口に出さない層がけっこういるわけだ。
自民党支持者以外には、自分がどんな政治思想を持っているか口に出す人間はほとんどいないだろう。自民党支持者は、それを口に出せば出すほど社会的地位上昇や金銭的利益が見込めるからである。他はその逆だ。だが、自民党支持層のような事大主義者は、心ある人々からは腹の底では軽蔑されているのである。

コメント10の「日本政府と日本国民の間に国境がある」というフレーズは秀逸である。つまり、我々が日本政府と呼んでいるのは米政府の一部局にすぎないわけだ。だからこそ日本政府はあれほど反国民的政策・国民搾取政策・国民弾圧政策を平気で執り続けるのである。


(以下引用)


07. 2015年2月18日 21:37:58 : MzzjNilco2
後藤さんを殺したのは、やはり安倍だった。
安倍は、日本国民を守るどころか、殺害を促した。
アメリカ様に褒められるなら、日本人の命なんか屁とも思わない冷血売国奴だ。

08. 2015年2月18日 21:58:05 : edP5zs90NQ
たかが二人と>>02のボンクラは云うのだけれど、たかが二人も救えない政府に国を救えるわけがないと思うのが普通の人の考え方。
>>02にはそういうことがわからない。
安倍を支持する小僧や若造にはこういう情の機微に非常に乏しいバカなのに頭デッカチのクズが本当に多い。
そしてバカのクセに尊大な態度をとるのも皆一様に似通っている。

[32削除理由]:削除人:言葉使い
09. 2015年2月19日 00:22:03 : bfJT2ldgaI
安倍は殺人者であることは間違いない。今度は、あなたの番かも。

10. 2015年2月19日 01:12:50 : fpt8itpB5Q
おまいら何も判ってなくて脱力した
阿修羅ってこんなレベルだっけ?
安倍も日本政府も、集団的自衛権を得るために日本人を殺して見せる必要があった
安倍も日本政府もISIS側だ
日本政府と日本国民の間に国境があるのを知らんのか
ここはアメリカの植民地だぞ

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曽野綾子の「天国」頭脳

「空の続きはアフリカ」というブログから転載。
小田嶋隆ツィッターで知った記事だが、素晴らしく明晰で論理的な文章である。
曽野綾子の非論理的な感情的文章とは天と地の相違である。
曽野綾子の文章は偉そうなお説教口調だから、それだけで論理的だと思い込む読者もたくさんいそうである。また、自分の体験談、あるいは体験だとする話を混ぜることで、「現実的で冷徹だ」という錯覚も与える。だが、その作文の動機は常に党派的、党利党略的なものであり、その文章は常にプロパガンダである。要するに、右翼教布教の意図しかない。冷静なのは見かけだけで、内実はどす黒い感情だけだ、と言える。
彼女の頭脳は現実から遊離した奇妙なもので、悪い意味での「天国」だ。とは言っても、彼女がキリスト教を本気で信じている、という意味ではない。それは彼女の世渡りのための戦略の一つだろう。(偽キリスト教徒のセレブは欧米にはたくさんいる。)彼女が新約聖書を一度でも真面目に読んでいれば、あのような下層民差別的妄言は吐かないはずだ。
彼女の文章がいかに現実から遊離したものかは、下の記事に書かれたこと一つから分かるだろう。いわゆる「一事が万事」であり、「一斑を以って全豹を知る」である。


(以下引用)



南ア永住の日本人より曽野綾子さんへ

【2015.02.18 Wednesday
00:25
南ア永住の日本人から曾野綾子さんへ

曾野綾子さんが、アフリカのアパルトヘイトを見て、それからこういう考えを持つようになった、という記述があるので、日本に生まれ、その後、米国、欧州、アフリカ各地を生活した後、南アフリカを永住の地に選んでいる私からも、彼女のその意見がいかに現実を正しく“見ていない”かということを書いておくことにします。

**********************
曽野綾子さん、あなたの意見を要約すると、こうでしょうか。

*20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。

*南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃後、白人専用だったマンションに黒人家族が一族を呼び寄せたため、水が足りなくなり共同生活が破綻し、白人が逃げ出したという例を出し、人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい、と思うようになった。
(産経新聞 2015/02/11付 7面より)

他のアフリカに関係がある人たちもいろいろあなたの論点のずれているところを指摘していますが、南アフリカに永住し、ここの生活者である私が、指摘しておかなくてはいけない、と思ったのは、ここのところです。

【白人専用だったマンションに黒人家族が一族を呼び寄せたため、水が足りなくなり共同生活が破綻し、白人が逃げ出したという例】

確かに、いま私が住むダーバンのダウンタウン近くのかつては高級リゾートマンションであっただろう物件の中には、しばらくメインテナンスがされていないのが明白なものがいくつか目につきます。これは、所有者が共同でするビルの補修を何らかの理由で放棄し、その後に各国から来ている不法移民が入り込んでいる、というケースもあります。

ですが、あなたの言う、何十年も前に、白人専用だったマンションに黒人家族が入居し……、というくだりが私には胡散臭いのです。

何故かというと、アパルトヘイトが終焉を迎えた頃、白人専用の“高級”マンションに入居できるような裕福な黒人層はほとんど存在していなかったのです。職業の自由も住居の自由も黒人には許されていなかったアパルトヘイト政策下では当然のことです。が、万が一、そういう黒人がいたとしましょう。でも、そういう富裕層の黒人は、あえてマンションなど選ばず、一軒家の邸宅を選ぶはずなのです。

日本の国土の四倍の広さを持つ南アフリカです。都市部にたくさんマンションが必要になってきたのは最近のことだし、それに、そもそも、“高級マンション”という概念自体が日本のそれとはまったく違うことも指摘しておきます。日本で言えば、例えば都会の“億ション”と呼ばれる物件などがこの高級マンションになるのかもしれませんが、南アで高級マンションと言ったら、一フロアが一物件となるようなもので、こういうところであれば、家族が10数人いたとしても、何の問題もなく生活していけるでしょう。

でも、こんな簡単に話を終わらせる訳にもいきません。あえて、その白人専用の高級マンションに富裕層の黒人一家が移り住んだとしましょう。都会のマンションを選ぶような黒人は、かなり現代的で高等教育も終えているエリートでしょう。そういう黒人は日本や米国のようなエリートたちと同じで、ほとんどが都会では核家族で住んでいるのです。そして故郷には親兄弟のために立派な家を建てているはずです。

ですから、白人専用の高級マンションに大勢の黒人が入り込んでそのマンションの給水設備を破綻させた、というのはかなり特別な状況で、あなたが「人種は別に住んだほうがいい」という仰天するような論旨の根拠となるためにはかなり厳しいと思います。

もちろん、私がここにいて、人種間の軋轢を感じない日はありません。いまだに、まだ「アパルトヘイト時代が懐かしい」とまで言う人もいます。

曽野綾子さん、あなたは小説を書く人です。なので、あえて、私の想像も脹らませてみましょう。あなたがその20年~30年前に南アを訪問されたとき、きっとあなたたちを案内した現地の人間(白人を想定しています)がいたでしょう。そして、きっと、こんなことをささやいたのではないでしょうか。

「黒人たちは大家族で住むんですよ。白人の家族などはせいぜい4人から多くたって6人ですよね。だから、簡単にご想像してもらえると思うんですが、彼らが私たちが住むマンションに引っ越してきたら、水だって、電気だってすぐ足りなくなりますよ」

残念ながら、南アフリカでは、アパルトヘイトが終わってから21年経つ現在においてでさえ、人種間の壁はまだまだ高く、お互いの文化をよく知ろうとしない人たちが人種を限らず存在します。まして、30年前のアパルトヘイトを「良い政策」と信じていた白人だったら、実際の迷惑を受けたか受けなかったか、などまったく関係なく、憶測でこういうことを言ったかもしれません。

が、あなたは本もたくさん書かれる“作家”ではありませんか。こんな実際にはかなり現実的でない状況を引いてきて、人種は別々に住む方がいい、などという発言をされているとしたら、これはあまりにも軽率な行為ではないですか?作家としてだけでなく年長者としてもです。

最後に、2015年現在、私の娘がケープタウンで大学生をしています。ここには、あなたが提唱するまったく逆の毎日が繰り広げられています。

彼女の住む共同住宅用としての一軒家は、一人一部屋は日本でいう8畳くらい、そのほかに5名の他の同居人と共有で使う広いラウンジ、キっチンがついています。その一軒屋には、日本人の私の娘、南アの黒人女学生2名、白人男性2名、白人女性1名が、何の不都合もなく、共同生活をしています。全員がケープタウン大学生かその卒業生です。

曽野綾子さん、あなたには、命をかけてこういう現実が来るよう戦ってきた故ネルソン・マンデラさんはじめ多くの南アの人々にどんな説明をするのでしょうか。

私は日本で生まれ日本で育った人間ですが、南アに永住しております。そして、“日本人”だからといって、ある一定の場所に住め、などと南アの政府にも南アの知識人にも一般人にも言われたことはありません。この国では未来永劫そんなことを言われないでしょう。

南アではあなたのような“知識人”でも、また一般の人間でも、人種差別につながる今回のあなたのような暴言を吐くことは、法律的に許されておりません。
 

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ギリシアの取るべき道

私のブログは、思考過程をそのまま書いているだけだから、とりとめが無いのは当然である。(夏目漱石の『猫』の中で苦沙彌先生の文章を評した「行雲流水のごとし」式の文章だ。)本来なら他人に見せる必要も無いものだが、書いた後で読み直し、誤字や誤文の訂正、文章順序の入れ替えなども少しはする、というのはやはり他人に見せるからやることである。つまり、ブログとして公表することは、自分自身への多少の縛りにはなっていて、それはたぶんいいことだと思っている。そもそも、基本的に一日に一つはブログ記事を書くこと自体、自分への縛りではある。そういう縛りをしないと、私の頭はとめどなく退化していくだろう。
そういうのが私のブログだから、中にはただの思考素材をメモしただけのものも混ざることになる。いつでも、自分自身が設定した考察課題に集中できる心理状態であるとは限らないので、そういう時には目についた思考素材を拾って転記しておくだけになるわけだ。
下の記事は「ネットゲリラ」の或る記事のコメントの一部だが、そういう思考素材になりそうな事例である。

1)通常の場合、貿易損益は為替変動で自動調節されて穏当な水準に落ち着いていくものだが、EUの場合は為替変動による自動調節が機能しないため、貿易黒字国(ドイツなど)の黒字は実力以上にいっそう黒字化し、貿易赤字国(ギリシアなど)の赤字は実力よりもいっそう赤字化する。(部分的に森永卓郎の或る文章を参考にした。)
2)EU内の貿易赤字国は、国自体には通貨発行権は無いので、貿易赤字を通貨発行でしばらく誤魔化すこともできず、貿易赤字はそのまま国内流通通貨の減少となり、すぐさま国民生活を窮乏化させる。
3)しかし、食料自給率が高い国では、外国からの輸入品は、エネルギーを除けばいわば「生活には不要不急の物品」であり、贅沢さえしなければ、その窮乏生活は耐えられないほどではない。
4)当座の結論を出せば、ギリシアはEUに加盟するかぎり国家としての赤字は増大する一方であるようにシステム化されているので、ギリシアはEU離脱が賢明な道である。借金については、踏み倒せばいい。(笑)踏み倒しても、それを制裁する手段はEUには無い。せいぜい、ギリシアへの追加融資を拒否する程度であり、それはかえってギリシアの自立を促進する。

というのが、下の記事(コメント)から考察されることである。
以上はどちらかといえば「徽宗皇帝ブログ」向きの思考素材とそこからの当座の思考だが、メモとして書いた。
実は、最初は思考素材を転記するだけで、考察までする気は無かったが、思考は連想によって推移するものだから、素材を転記しながら読むうちに思考が自動的に動き出したのである。
物事はこういうものだ。
「やる気が出ない時にやる気を出す最高の方法は、まずやる事、懸案事項にとりあえず手をつけることである」というのは真理である。



(以下引用)



ギリシャがEUを脱退してアルゼンチン化しても、ギリシア国民は困らない
食糧自給率が高いから、問題なし
一方、ギリシアの抜けたEUは、ユーロ高になってドイツの輸出産業が苦しむ
-----------------------
さっさとユーロ抜けてユーロ終わらせた方がいい
ドイツと小国の通貨が同じという統一通貨構想自体がおかしい
日本ですら地方と東京の歪みが問題になってるのに
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ギリシャユーロ圏離脱カウントダウン
これでデフォルトが濃厚になりつつある      



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職業:
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趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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