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中東におけるサウジアラビアの役割

「イランラジオ」から転載。
長い記事だが、中東におけるサウジアラビアという国の意味がよく分かる、いい記事である。
私はイスラム教には詳しくないので思想内容自体については何とも言えないが、ワッハーブ派とかタクフィール主義というものが、中東における政治紛争や内乱と大きな関係があるらしい、ということは分かった。
まあ、要するに、かつて大航海時代から植民地時代にかけて欧州が世界を侵略した際に、土地の豪族を利用してその国を滅ぼした、その地元豪族の立場に今のサウジアラビアはいる、と考えれば分かりやすい。簡単に言えば、欧米の手羽先。(「手先」というよりも、「手羽先」のほうが書き手の満腔の軽蔑を伝える表現で、これを発明した人は偉いwww)



(以下引用)


2015/03/09(月曜) 17:10

ISISの結成へのサウジアラビアの関わり方


前回の番組では、ISISがどのように結成され、後にどのようにしてアルカイダと決別したのかについてお話ししました。


今回の番組では、ISISの結成へのサウジアラビアの関わり方について見ていくことにいたしましょう。



 


サウジアラビアを支配するワッハーブ派は、この30年間、イスラム世界でのタクフィール主義グループの強化に大きく関わってきました。ワッハーブ派は、非常に視野の狭い保守的な思想を有しており、暴力的な方法を用います。タクフィール思想を持つ組織強化へのワッハーブ派の関与は、イスラム諸国、それも、経済や文化面での貧困に苦しむ国々で、より多く見られます。アフガニスタン、パキスタン、イエメン、その他、アフリカの貧しいイスラム諸国は、サウジアラビア政府にとって、ワッハーブ派の狭量で過激な思想を広める学校や教育機関を設置するのに格好の標的でした。


一方で、ワッハーブ派は、トルコのような、良好な経済状況を持つイスラム諸国や、非イスラム諸国での少数派のイスラム教徒社会でも積極的に活動しています。彼らはこうした社会のイスラム教徒が、正しいイスラムを知らないことを最大限に利用し、タクフィール思想を広めているのです。


ワッハーブ派は初め、イギリスの支援を得てアラビア半島に広がり、イギリス、後にアメリカの地域における政策や利益に沿って行動していました。ワッハーブ派は、イスラムの預言者ムハンマドの伝統を復活させ、先人たちの価値観に回帰すると言って、様々な問題を提起していますが、それらは聖典コーランや預言者ムハンマドの教えとは何の関係もありません。彼らは、イスラムの真の戒律に反する、ワッハーブ派の偏った思想を否定する他の宗派の信者たちを不信心者と見なします。しかし、サウジアラビアのワッハーブ派のイスラム法学者・ムフティは、パレスチナのイスラム領土が占領され、西側の植民地主義者、特にアメリカが、サウジアラビアや他のイスラム諸国に駐留していることには沈黙を守っています。


実際、タクフィール主義とは、サウジアラビアにとっての武器になっており、それによって彼らは、イランのイスラム革命後、地域において危うくなった自らの立場を強化しようとしています。イラクでサッダームフセインが拡張主義政策によって力を握っていた頃、彼らはある程度、イスラム革命が地域に浸透するのを防げると考えていました。と同時に、その頃彼らは、アフガニスタンのアルカイダやタリバン、パキスタンの一部のタクフィール主義グループのことも考慮に入れていました。パキスタンのペシャワルに、タリバンやアルカイダのためのワッハーブ主義の学校を作り、そこから、アルカイダのテロリストたちを、世界各地、特にイスラム諸国に送り出し、こうして地域でのサウジアラビアの影響力を拡大しようとしていました。そしてこのようなサウジアラビアの政策は、アメリカ、イギリス、パキスタンの治安機関の全面的な支援を受けて行われていました。


アメリカは、サウジアラビアとの関係を非常に重視しています。9.11事件後、この事件のハイジャック犯の19人全員がサウジアラビア国籍の保有者であったにも拘わらず、この国の王子数名を、アメリカから専用機で逃がし、サウジアラビアとの関係がこの事件によって揺らぐのを防ごうとしました。


2003年のアメリカのイラク侵攻とサッダームフセイン政権の崩壊により、サウジアラビアは、イラクが真のイスラム陣営の同盟国となり、シオニストやワッハーブ派のタクフィール主義思想を脅かす存在になるのではないかという懸念を抱きました。アメリカがイラクを占領してからしばらくのち、イラクの人々は、サウジアラビアから直接支援を受けたタクフィール主義のテログループの大規模な攻撃を受けました。そうしたグループの一つが、後にISISと名乗るようになったグループでした。何人ものイラク人が、連日、テロリストの攻撃の犠牲になりました。


ここで注目に値するのは、この攻撃が、アメリカ兵10万人近くがイラクに駐留している中で行われたことです。この攻撃の中で、アメリカ兵が死亡したこともありましたが、アメリカ兵の死者数は、テロ作戦で、日々、殺害されるイラク人の男女や子供の数に比べれば、注目に値する数ではありませんでした。


2011年にチュニジアやその他の独裁国で始まったイスラムの目覚めの運動は、自らをアラブ諸国の長兄と考えるサウジアラビアを強く懸念させました。サウジアラビアの指導部は、オイルマネーによって、可能な限り、この運動を阻止しようと努めました。タクフィール主義の動きの拡大、シーア派教徒の殺害、イスラムの宗教施設の破壊、これらは、イスラムの目覚めの運動を逸脱させ、公正を追求し、人間を形成する至高なるイスラムのイメージを壊すことで、人々の運動を阻止するために行われました。


サウジアラビアとその西側の同盟国、シオニスト政権イスラエルが敵対している国の一つが、シリアです。シリアは、シオニスト政権との闘争の第一線にいます。サウジアラビア、カタール、トルコ、西側諸国の政治、資金、軍事面での支援を受け、タクフィール主義のテログループが組織化され、シリアへと送られました。イラクからシリアへと活動を広げた組織の一つが、ISISでした。ISISは、サウジアラビアの支援なくしては、最新の軍備を手に入れることも、シリアとイラクの大部分を占領することも不可能でした。彼らはイラクの分離、そしてイラクとシリアの民主政権の弱体化を狙っています。シリアとイラクの占領地域で、イスラム・カリフ制の樹立を宣言したのも、それを目的としています。


サウジアラビア政府は、地域での立場を維持し、預言者ムハンマドの純粋なイスラムの教えや思想が広まるのを防ぐための手段を、一つしか有していません。それは、タクフィール主義のテログループを強化するために、オイルマネーを使用することです。ISISは、サウジアラビアのワッハーブ派の産物です。ISISがシリアやイラクで占領している地域の学校では、サウジアラビアの教科書が使われています。これは、ISISが、サウジアラビアのワッハーブ派の逸脱した思想に依存していることの、ほんの小さな一例に過ぎません。


では、サウジアラビア政府が、世界における人権や自由の擁護を謳う西側諸国の政治的、軍事的な支援を受けずに、地域でこのような混乱を作り出すことは果たして可能なのでしょうか?


サウジアラビアの統治体制は、中世に遡ります。この国の人々は、最低限の市民権さえ有していません。2015年の現在、そのような国が単独で、地域に混乱や情勢不安を作り出し、世界最大のテログループを結成するきっかけとなることなどできるのでしょうか?サウジアラビアの政治体制は、数千人の皇太子のいるサウード家という一族によって構成されています。なぜそのような体制が、博愛主義や民主主義を謳うアメリカやヨーロッパの緊密な同盟国となり、西側から最新の兵器を供与されているのでしょうか?それは、サウジアラビアが、中東という戦略的な地域で、アメリカやヨーロッパの不当な利益を守る存在であるからです。ISISとサウジアラビア、そしてサウジアラビアと西側諸国のこのような結びつきを見てもなお、これらの政府による対ISIS有志連合の結成という政策を信じることができるのでしょうか?


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頑張る人が報われる社会(笑)

「世に倦む日々」から抜粋転載。
私は「頑張らなくていい」派であり、おそらく「左翼リベラル」派に分類されるかと思う。もっとも、「世に倦む日々」氏自体が左翼リベラル派であり、これは自陣営への批判である。つまり、安保闘争世代の左翼リベラルからの、「脱構築」世代左翼リベラル批判だ。もっとも、私は筆者の言う「脱構築」なるものがよく分からないのだが、要するに教条的な政治思想(大きな物語)を否定し、もっと自然な人間性を大事にしよう、という思想かと思う。私は「脱構築」を論じた文章をまったく読んだことが無いので、これは単なる想像である。下記文章の「頑張らなくていい」思想が脱構築派のものとされているから、そう想像しただけだ。そして、それならば私は脱構築派である。
安保闘争世代の猪突猛進的な政治行動に対しては、その勇気だけは尊敬するが、あまりにも頭が悪すぎる行動だった、というのが私の評価だ。あのおかげで日本の民主主義はむしろ悪化したのではないか。つまり、政治的行動など無意味だ、むしろ害悪(自分や周囲の損になる行動)だ、という思想を日本国民に植え付けたのが学生運動、すなわち安保闘争だったのだ。
もちろん、私は日米安全保障条約こそが日本を属国状態に縛り付けている根幹だ、と思っている。それはいずれ清算し、新たな日米関係を築かねばならないだろう。しかし、私が言うのは、安保のことではなく、安保闘争、すなわち学生運動のことである。あれほど拙劣な政治運動はかつてなかったと思う。百姓一揆のほうがはるかにマシである。しかも、百姓一揆は、ある程度の良い政治的結果を残したが、学生運動が遺したのは政治への絶望と虚無感だけだ。それは今なお日本人の政治意識を汚染している。
ところで、私は、下記文章は論理のズレがあると思う。「君たちはどう生きるか」に代表される戦後民主主義の人間精神の「頑張る」思想とは、要するに、社会の現実を知る努力をし、より良い社会を作るために生きて行こうという思想である。それが現在の自分の状態を否定するという苦痛を伴うから、そこに「頑張る」という精神的営為が必要とされることになる。脱構築派(?)がもしも筆者が言うように「頑張るな」と言うならば、それは「無意味な頑張りはする必要が無い。それどころか有害だ」という意味ではないか。意味のある頑張りまで否定するような「頑張るな」派がいるとは思えない。
すなわち、この文章において、筆者自身、「脱構築派をどうしても否定したい」というセンチメントに支配されて、論理や理性を失ってしまったのではないか、と思われるのである。(笑)

しかし、


「「がんばらなくていい」の発想と諦観の裏側には、「がんばっても変われない」という経済社会の構造の真実がある。新自由主義の支配が社会の隅々まで及び、アリ地獄のように弱者が抜け出せない物理的な実態がある。」


という指摘は重要である。で、筆者は「がんばっても変われない」経済社会を、どうすれば変えられると言うのだろうか。



(以下引用)



この国の左翼リベラルの思考はセンチメントに支配されるようになった。論理や理性を中心に置かなくなった。正義と真実をひたむきに追求する、戦後民主主義的な市民の知性と態度を失った。退嬰して、感情で動く生きものになった。

丸山真男の「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」の中に、こういう一節がある。「けれども、『君たちは・・・』の叙述は、過去の自分の魂の傷口をあらためて生々しく開いて見せるだけでなく、そうした心の傷つき自体が人間の尊厳の楯の反面をなしている、という、いってみれば精神の弁証法を説くことによって、何とも頼りなく弱々しい自我にも限りない慰めと励ましを与えてくれます。パスカルの有名な言葉に始まる『人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて』と題する『おじさんのノート』(第七章)はその凝縮です。自分の弱さが過ちを犯させたことを正面から見つめ、その苦しさに耐える思いの中から、新たな自信を汲み出していく生き方です。(略)どんなに弱く臆病な人間でも、それを自覚させるような経験を通じて、モラルの面でわずかなりとも『成長』が可能なのだ、ということを学んだ点で、中学一年生のコペル君と、大学の助手の私との間には、あきらかに共鳴現象が働いたのです」(岩波文庫 P.321-323)。吉野源三郎のこの古典が戦後日本の教育思想の原点であるという点、異論はないだろう。戦後民主主義の時代、丸山真男や吉野源三郎の人格教育の考え方は、弱い者が苦悩を克服して強い者に転化するという、弁証法的な、ベートーベン的な変化と成長の認識が根底にあった。弱い者が力をつけ、生きる強さを獲得し、市民社会を健全に担う主体性になり、社会をより善く改造していくのだという、そういう人間観のコンセンサスがあった。

こうした戦後民主主義の思想の下で、現在の50代以上の世代は教育され、精神のカーネルを構成している。が、最近は様子が変わり、人間論の言説が変化し、「がんばらなくていい」の思想が一般化した。頑張らなくていい、無理しなくていい、世界中に一つだけの花、の思想に旋回し、広範に受容され共感され、現代日本の支配的思想として定着している。私はこれを、脱構築主義の思想系として批判的に捕捉し規定する。左翼リベラルの業界のコードとプロトコルは、すでにマルクス主義でも戦後民主主義でもなく、内田樹などに典型的な脱構築主義のそれに取って代わった。脱構築主義はマルクスと丸山真男の否定であり、「君たちはどう生きるか」にある近代的なヒューマニズムを否定した言説体系として積み上がっている。それを悪しき近代主義として排斥する。とまれ、丸山真男や吉野源三郎の視角からすれば、この事件の被害者の少年の母親は、コペル君のように、自らの魂の傷口を開いて見つめ、精神の弁証法で成長しなくてはならないのである。そのことが期待され当為されているのだ。だが、「がんばらなくていい」の思想は、そんな無理をすることは鬱病になるだけだからやめろと言い、精神の弁証法による成長の論理を否定するのである。弱者は弱者のままでよく、行政が貧困対策のメニューを揃えているから、それに頼りながら無理せず分相応に生きろと、そう諭すのだ。弱者は弱者のままでよい。この思想からは、弱者が市民的主体として社会を改造する担い手に転生する契機は出ない。

「がんばらなくていい」の発想と諦観の裏側には、「がんばっても変われない」という経済社会の構造の真実がある。新自由主義の支配が社会の隅々まで及び、アリ地獄のように弱者が抜け出せない物理的な実態がある。戦後民主主義の人間論の背景と土台には、個人が努力すれば報われる大塚久雄的な中産階級の社会原理があった。人に対する優しさ、人に対する厳しさ、その意味がすっかり変わり、戦後民主主義の基礎にあった弁証法的な人間論が消え、「母親も被害者でかわいそうだから責めるのはよせ」が結論になり、その認識と感性が社会の合意になった。「がんばらなくていい」の合唱、弱者への同情論とセンチメントの人工的な横溢、その中で、残酷な殺人事件を媒介したあらゆる責任者の不作為が不問にされ、霞をかけたように周到に不可視化され免責されてゆく。警察とマスコミの手で。正義と真実を求める市民的な態度が無意味化され、ステイブルな骨格と筋肉を持っていた日本人の精神が脆く崩されるままにされている。脱構築主義の阿片的毒素に蝕まれて。

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政治家になりたければ、親を選んで生まれるしかない

子供が親を選んで生まれる、ということで思い出したのが芥川龍之介(竜之介だったか。まあ、どちらでも同じことだ。)の「河童」だが、龍之介の作品の中でもこれはあまり読まれていないのではないか。
学校教育のせいで、龍之介イコール「トロッコ」「蜜柑」という刷り込みがあるから芥川龍之介を真面目作家と思い込んでいる人は多いと思うが、シニカルなユーモアに満ちた風刺的作品もたくさん書いていて、私はそちらのほうが好きだ。それはユーモア作家としての太宰治が好きだ、というのと同様である。なんで学校教育では、そういうユーモアが遠ざけられるのだろう。まあ、ユーモアは反権力、反常識だから、教育には不都合だ、ということかもしれない。学校教育は昔から、国家に忠実、かつ自分の頭では考えない人間を製造する工場だったのだろう。
「河童」に描かれた内容によれば、河童の世界では、お産の時に医者が子供の生まれ口に伝声器を当て、胎児に「この世に生まれてきたいか」どうかを聞くことになっている。すると胎児は「親がアル中気味で自分もその遺伝を受けているだろうし、家が貧乏だから、生まれたくない」とか何とか答えると、薬を注射し、人工流産させる、という、まるで今の「DNA検査で生むかどうかを決める」を先取りした話が書かれている。違いは、現実世界では子供が決めるのではなく、親が決めるということだ。本来なら、生まれるかどうかは子供の権利だろうから、これは作家の想像のほうが道理ではないか。(笑)



(以下引用)


小田嶋隆 @tako_ashi  ·  3月7日

(笑) RT 高校のときの担任が禿げない方法として「親を選ぶ」を挙げていましたが,それと似たようなものかと.RT : 仮に「努力した人が報われる社会」の実現…その内閣に占める世襲閣僚の割合が5割を超えている場合、「努力」というのは……

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リストラのあるべき姿

「ロシアの声」から転載。
一部公務員とは、上級公務員、「高給与」公務員のことかと思われる。
リストラとはすべからくこうあるべきである。(この「すべからく」とは、「ぜひとも~必要がある」の意味。まあ、ここでは「すべて」の意味でも通じるが、「すべて」の意味で使うのは、本来は誤用だと知らない人がたくさんいる。誤用もそれがあまりに多いと正用になるから、そのうち、「すべからく=すべて」が正用になるかもしれない。なお、漢文では「須らく」と書くから、これが「必須」の意味であって「全て」の意味でないことがすぐに分かる。)
なお、「リストラ」も本来は「再構築」の意味であって、首切りなどの意味ではないのはもちろんだ。

私が言葉にうるさいのは(もちろん、無意識の言葉間違いは私もたくさんしているだろうが)、荀子の思想に心から賛同するからだ。

「けれども今は、もう聖王(夢人注:堯舜のこと)の時代ではない。ことばは疎かにされ、でたらめなことばがつくりだされて、『ことば』と、『ことばが本来指してした実体』が遊離してしまった。これでは正邪の判断の下しようがない。法を護るべき役人や書物を読むべき学者でさえ、正しいことばを乱している」(荀子「正名」篇)
(今聖王没、名守慢、奇辞起、名実乱、是非之形不明、則雖守法之吏誦数之儒亦皆乱也)

これはまさしく、現代の日本の姿ではないか。荀子が言うように、正名(言葉や名称を正すこと)こそが政治の出発点である。


(以下引用)


6.03.2015, 14:09

プーチン大統領、国家公務員の給料を減らす、まずは自分から

プーチン大統領、国家公務員の給料を減らす、まずは自分から

ロシアのプーチン大統領は3月1日から12月31日まで大統領および一部国家公務員の歳費を1割削減することに関する命令に調印した。



首相、検事総長、捜査委員会長官、大統領府職員、会計局員の俸給が削減される。


命令は調印の日に発効する。危機が深まったら給料削減はさらに続く可能性もあるという。


インターファクス
続きを読む: http://japanese.ruvr.ru/news/2015_03_06/283223496/


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伝承は、すべて新しい目で見直せ

「ギャラリー酔いどれ」から抜粋転載。近藤誠医師の著作の引用らしい。
なるほど、言われてみれば、お産の時仰臥するのは不自然な姿勢である。下記記事で触れている「お産椅子」のようなものに座って、下から胎児を受ける方が、楽に分娩できるのではないか。医学に限らず、このルイ14世の事例のように、恣意的な理由で始まった事柄が、権威化され、その後も伝統として盲目的に続いていくことはたくさんありそうな気がする。
まあ、私はビッグバン説も進化論も信じない、という人間だが。(笑)特にビッグバン説など、ユダヤ教の神による天地創造という話と大同小異だと思っている。たぶん、ユダヤ人物理学者が言い出したのだろう。誰にも証明のしようが無いことが学問的な定説となっている馬鹿げた状況だとしか私には思えない。何とかの赤方偏移がどうこう、とか、「預言者、二人会えば、笑う」式の誤魔化しだろう。同様に新しい迷信である地球温暖化論がインチキであることはまもなく世界的に受け入れられるだろう。すべて、「専門家」による商売にすぎない。
私のような、学問には懐疑的な人間が易は信じるのか、と言われそうだが、信じているのではなく、「天にいる何者かのアドバイスかもしれない」と考えているだけだ。「天にいる誰かが俺を好いている」はポール・ニューマンの或るボクシング映画の原題の直訳である。(日本題は忘れた。)別に、その誰かは天にいなくてもいい。自分自身の中の無意識的直観でもいいのである。それを引き出すきっかけが易の言葉なのである。ある種のブレインストーミング(古い言葉だな)とも言える。
学問(や専門家)は真実めかして人を騙すからタチが悪いし、その被害も甚大だ。
例によってとっ散らかった文章になったが、まあ、そのまま載せることにする。ここは、その程度の駄弁ブログである。


(以下引用)


☆お産の聖域が男に取り上げられてしまった

女性の忍耐強さは、副作用があっても耐える人が多いことから、
医者からは扱いやすいと思われています。その一つがお産の現場であり、
そこでは女性の人権を無視した医療がまかり通っています。

その象徴が分娩台です。
病院で行なうお産は分娩台に仰向けになって行なうのが一般的とされていますが、
本来、お産は仰向けになって行なうものではないのです。

お産は太古の昔から、立って行なうか座ってするものでした。
なぜならその形のほうが重力をかけやすく、あまり力まなくてもすむからです

時々ニュースで、妊娠していた女子高生が
トイレで産んでしまったという話を聞きますが、
座って前かがみのほうが自然に降りてきやすいのです。
ウンチだって、のけぞってする人はいないでしょう。

それが仰向けになってしまうと、産道が上(のぼ)り坂になり、
重力に逆らって子宮の収縮力と腹圧だけで産まなければならない。
そのためにあんなにイキんでも、なかなか生まれないのです。
ではなぜ、いつから、仰向けで産むようになったのか? 

事の発端はヨーロッパです。
それは女性たちの聖域であったお産の現場に、
男が介入してくるようになったことが始まりだったのです。
有史以前から、お産は女性同士の相互の援助によって行なわれてきましたが、
16世紀にイギリスで男性の助産師が登場しました。
彼らは本来、散髪屋であったことから”床屋外科医”と呼ばれ、
彼らが考案した「鉗子」
(かんし・胎児の頭をはさんで引き出す金属製のトングのようなもの)を用い、
難産の外科的処置を行ないました。

17世紀にはフランス国王ルイ14世が、愛妾のお産に男性の助産師を招集し、
王の命令で、妊婦を台の上に仰向けにして出産させたことから、
仰向けの分娩が始まりました。
そこにはルイ14世の性的嗜好があったと言われています。

以後、ヨーロッパの上流階級では王様にならい、
男性の助産師を呼ぶのがトレンドとなり、
それまで伝統的に行なわれていた分娩椅子は姿を消し、
分娩台に仰向けになるのが主流になっていきました。

19世紀に産科学会が設立されると、男たちは医師としてお産に介入を始めました。
   
このようにして女性たちは病院で男性の産科医によって管理されるようになり、
(妊婦には不都合な姿勢であるにもかかわらず)、
医療処置がしやすい分娩台の上で仰向けになってお産するようになったのです。
(『それでも医者にお産をまかせますか?』ロバート・メンデルソン著 草思社)

こうして日本で行なわれていた伝統的な産婆術も、
敗戦後のGHQの指導のもと西洋式に大きく転換が行なわれ、
自宅出産から医療施設での出産へと移行することになりました

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安倍総理よ、現実世界をちゃんと見なさい

ソニーが発表した、ヴァーチャルリアリティを見るためのゴーグルである。新年号のエコノミスト表紙で安倍総理らしき人物(オバマと習近平の後ろ)がかけているのが、まさにこれ。つまり、「安倍総理に見えているのは仮想現実だけ」、という皮肉だ、というのは前に書いたことだ。だが、エコノミスト社はソニーの発表前に、このゴーグルのことを知っていた、というのも何だかモヤモヤする。すべてのことは、あらかじめ仕組まれている、という感じである。





頭に「モーフィアス」をつけ、コントローラーを使ってゲームを体験する人=米サンフランシスコ





















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日露戦争の勝者は誰か

「ギャラリー酔いどれ」所載の「るいネット」記事から抜粋転載。
いい記事である。
この部分の前には明治維新とロスチャイルドの関係が書かれていた。

明治政府を作らせた後に今度は、外国と戦わせます。

明治維新そのものが西洋(ロスチャイルド)による日本侵略であり、これはまったく同じ形でシリアなどで現在も行われているわけだ。つまり、ISIS=薩長軍(笑)。
だが、明治維新のことは最近はあちこちのブログでその背景が暴かれているから、ここではあまり言われていない日露戦争とロスチャイルドの関係(現在は、ロスチャイルドは背後に隠れて裏から操作しているようなので、私は簡単に「ユダ金」と言っている。名前が分かれても、水源は同じロスチャイルドだろう。ロックフェラーもロスチャイルドのアメリカ代理人だと私は思っている。ビル・ゲイツなど、みな同じだろう。日本で言えば、孫正義なども同じだと思っている。資本はロスチャイルドが出し、企業経営は子分にやらせる、ということだ。世界の名の知れた大金持ちは、みなロスチャイルドの子分だろう。なにしろ、ロスチャイルドは20世紀初頭にはすでに世界の富の半分以上を握っていたと言われているのだから。)を解説した部分を抜粋した。
知っている人は知っているが、知らない人はまったく知らない(当たり前だww)学校では教えない経済面の、裏の世界史、そして日本史だ。
個人塾でなら、こういう世界史や日本史を教えてもいいのではないか。受験にはまったく役立たないどころか、頭を混乱させ、受験の邪魔だが、どうせ今後は大学全入時代で、塾や予備校の需要も減少するだろうから、好きなことを好きに教える塾が増えていけば結構だ。




(以下引用)


☆日露戦争におけるロスチャイルド家の暗躍

さらにこの後、明治政府を作らせた後に今度は、外国と戦わせます。

日露戦争です。小国の日本が大国ロシアを相手に戦いました。

この戦争は、有色人種が白人相手に勝利した初めての戦争ということもあり、
当時の日本国民はおろか、
白人の支配下にあった東南アジアをはじめとする植民地の国々は狂喜乱舞しました。

当時の日本は、この戦争の戦費を調達するために、
増税に次ぐ増税を国民に 課しました 。

それでも足りず、ひいては国債まで強制的に国民に買わせる始末で、
市町村は係員に一戸一戸、訪問させていたほどです。

買わない者は、国家への忠誠心を問われる雰囲気だったそうです。
この頃の日本は軍事国家街道をまっしぐらで
国家予算のうちの軍事費の占める割合が51%を超え、世界一になっていました。

さらなる戦費の調達に困っていた当時の日本銀行副総裁、高橋是清は
日本の国債を外国に買ってもらうために、イギリス・アメリカへと渡ります。

アメリカでは、ロスチャイルド家と血縁関係のある大銀行家ジェイコブ・シフから
500万ポンドの国債を買ってもらいました。

国債を買ってもらうということは、後で利子をつけて返す、
つまりお金を借りることと同じです。

同様にイギリスではロスチャイルド支配下の銀行団から500万ポンド、
後にロスチャイルド本家からもさらなる融資を受けます。

このように戦費を調達した日本は、ロスチャイルド系列の軍需企業から
主力戦艦・三笠(英・ヴィッカーズ社製:当時のお金で88万ポンド)などを購入し、
ロシアと戦争をします。

日露戦争もロスチャイルド家の視点からみると、イギリスやアメリカのように、
まだ支配下にない大国ロシアを、育て上げた日本と戦わせ、封じ込めるための戦争だったのです


そのために日本に戦費を貸し付け、自分たちの会社の武器を買わせ、ロシアと戦わせ、
ロシアを叩いた上で日本からも巨額の利子を取り上げるという構図
です。

形として、戦争には勝ったものの戦勝国の利権である賠償金は
ロシアから一切もらえませんでした。

その結果、政府はロスチャイルド家とシフ家に高い利子と元金を払い続ける羽目になりました
おかげで、国家財政は火の車、不満を持った国民が東京で暴動を起こし、
戒厳令が敷かれたほどです。

ロシアは戦争に負け、日本は経済的な大打撃を受けるだけに終わり、
結局この戦争で勝ったのは、ロスチャイルド家だけだったのです。

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酔生夢人
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男性
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仙人
趣味:
考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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