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超訳「老子」7

7 天は長く、地は久しい。
  天地が長久である理由は、
  自ら生じることがないからである。
  
そこで聖人は
その身を後にすることによって身を先にし、
その身を度外視することによって身を長らえる。
私心がないことによって私を成す。

[解説]
 ここは少し面白い。自ら生じないからこそ長久である、という逆説は考えてみる価値がある。すべて創造は、自らの消耗を代償としている。たとえば、土地は作物を生じるために地味の低下を来たす。(老子の言う「地」は、すべてを載せている大地の意味である。)また、作家は自分の頭の中のものを作品に書けば、それをもう一度使うことはできず、書けば書くほど、書くネタは無くなっていく。その一方で、自らは創作(創造)しない編集者は、作家がどんどん潰れても、自分は生き残る。物を作る産業は、他社との淘汰や需要の低下でどんどん潰れていくが、自らは作らず、金を貸して利子と元本を回収する金融業は、なかなか潰れない。などなど、世の中は、生産する人間に厳しく、生産しない人間に有利にできていることは確かだ。
 だが、この一節の後半になると、前半との関連がよくわからなくなる。単に逆説的な思いつきを並べただけという感じである。サラリーマン的な人生訓としてなら、「会社のために滅私奉公すれば、それが会社から評価されて出世するぞ」という話としても読めるが、「聖人」の話としては意味がわからない。書いた本人自体、意味がわかっていないのではないかと思う。老子だけでなく、「孟子」などにも、そういった前後撞着や論理の飛躍は多いのである。古典を絶対視し、その中にまったく誤りが無いというような捉え方は、かえって古典の理解を誤らせるものだろう。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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