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仮想教室:「ドリトル先生航海記」を読む(その2)

(前回の続き。全部で3回の予定です。)




生徒A「『Sailing ships came up this river from the sea and anchored near the bridge.』」



生徒B「『Sailing ship』は帆船でいいんですか?」



先生「いいんじゃない?」



生徒B「『帆船がこの川を海から遡ってきては、この橋の近くに錨を下ろすのだった。』」



先生「いいねえ。『おろした』ではなく、『おろすのだった。』というところがいい。――日本語の困るのは複数表現がしにくいところだな。『帆船』を『帆船たち』とするわけにはいかないからねえ。もっとも、最近では、物にも『何々たち』という言い方をする表現者も多いようだけど、まだ日本語としては熟していない表現だな。次行こう」



生徒C「『I would sit on the riverwall with my feet dangling over the water and watch the sailors unloading the ships and listen to their songs until I too could sing them by heart.』」



生徒A「このwouldは習慣を表すのですね?」



先生「まあ、そうだろうね」



生徒A「『私はその川の壁に……』先生、川の壁って何ですか」



先生「堤だけど、挿絵で見ると、ブロック造りの、文字通りの壁だな。でも、どう訳そう。そのまま『川壁』としておいて。井伏先生だって、後に出てくる『catsmeetman』を『猫肉屋』と訳していたからね」



生徒A「『私はその川壁に座って、足を水の上で『danglimg』させながら,水夫たちが船を『unloading』しながら歌うのを、それを私自身も覚えてしまうまで聞いていた。』」



先生「ここは辞書に頼らないで考えてみようか。こういうのも翻訳の楽しみだからね。A君、『dangling』はどういう動作だと思う?」



生徒A「挿絵から見て、『ぶらぶらさせる』ですかね」



先生「そうだろうね。挿絵のある本は、こういう時、本当に助かる。もっとも『川壁』に座って、足のできる動作と言えば、ぶらぶらさせるしかないけどね。でも、英訳の際に、その程度の頭さえも使わない生徒は結構いるよ。じゃあ、『unloading』は?」



生徒A「『荷下ろし』ですかね。loadigが『負担する』とか『負荷する』だし、それに否定の『un-』がついているわけだから」



先生「いいねえ。頭ってのは、そういう具合に使うんだ。ゲームをする人間なら、『now loading』という表示はおなじみだけど、そういう身近な英語も、ちゃんと意味を調べる生徒は少ないよ。これでこの段落は終わりだ。じゃあ、次の段落に行こう」



生徒B「『When they set sail again I longed to go with them and would sit dreaming of the wonderful lands I had never seen.』」



生徒C「『その船たちが再び出帆する時は、私は彼らと一緒に行きたいと心から願い、そして、私のまだ見たことのない素晴らしい世界を夢見ながら座っていたものだった。』」



先生「おっと、『物―たち』表現で来たね。まあ、それほど違和感もないからいいか。『wonderful』は、まあ、『素晴らしい』が一般的な訳だろうけど、ここは文字通り『wonderful』な、つまり、驚異に満ちた世界のイメージだろうね」



生徒A「次行きますよ」



先生「ちょっと待って。この段落は、この一文だけで一段落だ。つまり、ここでのトミー・スタビンスのこの述懐が、『ドリトル先生航海記』の、素晴らしい、『wonderful』な航海を予告していることに注意しておこうか。おっと、だいぶ、時間もたった。今日はここまでにしておこう。じゃあまた」









 



 



 



 


 


 

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仮想教室:「ドリトル先生航海記」を読む

古いフラッシュメモリーの中で、内容が無事に保存されているものが少々見つかり、それをこの前から読んでいるのだが、中には我ながら面白いと思うものもある。下の文章は例によって三日坊主に終わった試みの一つであるが、今読んでも結構面白く、続けなかったのが悔やまれる。と言っても、京都への引っ越しの際に英語の原書は処分したので、今さら再開もできない。しかし、せっかく書いたのを死蔵し、誰も知らないまま消え去らせるのも空しいから、ここに公開しておく。自分が高校生くらいの頃に、こんな形で英語の勉強をしたかったと思う。






   仮想教室:「ドリトル先生航海記」を読む   2006年3月12日開始



 





 



 私の夢は、英語の原書をすらすら読めるようになることであるが、これはまさしく夢であり、ろくに勉強もしていないのだから、その夢は50歳を過ぎた今でも実現していない。兼好法師は、「齢40になるまでに物にならない技芸は捨てよ」と言っているから、そろそろあきらめてもいい頃ではある。それに、ほとんどの本は日本語訳で読めるのだから、無理して今さら英語の勉強をする必要も、本当は無いのである。しかし、今でも「英語で」読むこと自体は嫌いではないから、楽しみのための勉強(「勉強」とは、「勉め、強いる」ことだから、これは矛盾だが)として英語の本を読むことは少しはやっている。古本屋に行けば、面白そうな英語の本が良く見つかるから、それを少しずつ読むのが私の趣味の一つだ。そうした本の一つにヒュー・ロフティングの「ドリトル先生航海記」があった。



 この「ドリトル先生航海記」は、おそらく現在の大人の多くが、子供の頃に夢中になって読んだ本の一つだろう。動物と会話が出来る人間の話というアイデアも素晴らしいが、ストーリーの細部に見られるドリトル先生の温かな人間性の魅力は、凡百の児童文学には見られないものである。もう一つ、この作品が日本で迎えられたのは、井伏鱒二の名訳のおかげもあると思う。これは石井桃子が戦争中に、井伏鱒二に頼み込んでやらせた仕事らしい。私の考えでは、井伏鱒二の仕事の中で、一番長い生命を持つのは、「山椒魚」以外では、この翻訳ではないかと思う。



 さて、これから私がやろうとしているのは、この「ドリトル先生航海記」を教材とした架空授業である。授業というよりは、セミナーというか、雑談形式あるいは、輪読のような感じで、原書を読み解いていこうという趣向だ。それを架空授業の形で文章化していけば、私自身が飽きないでできるのではないかという狙いである。原書を読みながら、私自身が疑問に思ったことを記録し、それを後で井伏鱒二の訳と対照すれば、私は井伏鱒二から英訳の授業を習うという、素晴らしい体験ができることになる。これは英語の学習法としても、相当に面白い趣向ではないだろうか。もちろん、私の英語の学力は高卒レベルだから、とんでもない間違いを人前にさらすことになるが、この年になれば、恥をさらすことへの恐れはあまり無い。それが年をとることの一つのメリットだ。では、始めよう。



  



第一回目の授業  ( 第一章 The cobblers son )



 



 先生「まず、第一章の題名からして、分からないね。Cobbler って何だろう。辞書を引いてごらん」



 生徒A「靴の修繕屋ですね。靴直し。ついでに言うと、Cobbleには舗道の丸い敷石の意味があります」



 先生「そういえば、確か、サイモンとガーファンクルの歌の何かに、cobble stoneってのが出てきたな。第一章の題名は、そうすると、『靴屋の息子』かな」



生徒A「『靴屋』と『靴の修繕屋』は違うでしょう。靴の修繕屋の方が、より貧しい感じではないですか?」



先生「そうだな。井伏先生がどう訳しているかは後で見ることにして、ここは『靴直しの息子』にしよう。では、とりあえず本文を、一文ずつ読んでいこうか。B君、読んでごらん」



生徒B「First of all I must tell you something about myself.」



先生「特に問題は無いね。A君、訳してごらん」



生徒A「『まず最初に、私は自分自身について何かを言わねばならない。』」



先生「うーん、間違いじゃないけど、硬いね。いちいち、原文に忠実に訳すと、かえって原文のニュアンスが失われてしまうこともあると思うよ。このmustは、それほど重々しい感じは無いと思う。単に、語り手が読み手に、物語の進行のために必要な情報を語っておこう、というだけだろう。B君、訳し直して」



生徒B「『まずはじめに、私は自分自身のことを語っておこう。』くらいのものですかね」



先生「『まず』と『はじめに』は同じ意味だから、いわゆる『馬から落馬した』式の重言になるけど、これは日常的によくでてくる言い方だし、細かいことにこだわりすぎても話が長くなるから、あまり細かいことは言わないで先に進もう。Cさん、次を読んで」



生徒CMy name is Tommy Stabbinsson of Jacob Stabbinsthe cobbler of PuddlebyontheMarshand I was nine and a half years old when I first met the famous Doctor Dolittle.」



先生「A君、訳してごらん」



生徒A「ええと、『私の名前はトミー・スタビンス、パドルビー・オン・ザ・マーシュという町の、ジェイコブ・スタビンスの息子で、あの有名なドリトル先生に最初に会った時は九歳半であった。』」



先生「なかなかいいね。井伏先生はこの町の名前を『沼の上のパドルビー』と訳していたけど、Marshを一応調べてみようか。Cさん、辞書を引いてごらん」



生徒C「『低湿地、沼地』とありますね」



先生「じゃあ、やはり『沼の上のパドルビー』だ。でも、ここで『上』というのは、『ほとり』の意味だから気をつけてね。それから、トミーの父親の名前は、ジェイコブでもいいけど、ヤコブと読めば、この家族が多分ユダヤ系だということがわかりやすい。ユダヤ人というと、我々は、ロスチャイルドみたいな金持ちを想像しがちだけど、一般のユダヤ人は、この家族のような貧しい人々が多かったのではないかと思われるね。ここで第一段落は終わりだ。では、第二段落の第一文をB君、読んでごらん」



生徒C「先生、ちょっといいですか」



先生「何かな、Cさん」



生徒C「セミコロンにはどういう意味があるんですか。コンマやコロンとの違いが良く分からないんですけど」



先生「難しいことを聞くなあ。ぼくがそんなの知ってるわけはないでしょう。とりあえず、推測で言うけど、コンマは短い句を並列する場合、セミコロンは、長めの句を並列する場合って感じじゃない? コロンは文章の区切り目というよりは、時刻の時と分の区切り目とか、算数の比の何対何の対の記号に使うんじゃないのかな」



生徒C「……」(疑惑の眼差し)



先生「先に行こう。B君、読んで」



生徒BAt that time Puddleby was only quite a small town.」



先生「問題ないな。『その当時、パドルビィはただの、とても小さな町だった。』。A君、次を読んで」



生徒A「A river ran through the middle of it ; and over this river there was a very old stone bridgecalled Kingsbridge.」



先生「Cさん、訳してごらん」



生徒C「『一本の川がその間を流れていた。そして、その川の上にはとても古い石の橋がかかっており、それはキングスブリッジと呼ばれていた。』」



先生「いいね。でも、『その間を』というところは、『町の中を』としたほうがいいかもしれない」



生徒C「先生、私、やっぱりセミコロンが気になるんですけど、ここ、2文に分けていいんでしょうか」



先生「いいんじゃないの。まあ、1文でも訳せそうだけどね。細かいことは気にせず、次にいこう。次は第三段落だな。面倒だから、もう、いちいち指示はしないよ。A君B君Cさんの順に一文ずつ読んで訳してもらおうか。次はA君が読んで、B君が訳す番だ」


 

 


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ハリーはなぜホリーを呼んだのか

「第三の男」はもっとも好きな映画の一つなので、こういう問題提起には黙ってはおられない。この問題は考えたこともなかったが、単純に、(まあ、今さらネタバレを気にすることもない古典だからネタバレしてしまうが)ハリーは自分の死亡(実は偽装死)の証人を「一般市民」から作っておきたかっただけではないか。麻薬密売仲間や偽パスポートによる不法滞在中の愛人以外にも「普通の」葬儀参列者がいたほうが本物の葬式らしい、という判断だろう。ところが、自分が馬鹿にしていたホリー・マーチンスが、意外に頭が良く、しかも友達思いで、この偽装死を詮索しはじめてしまったために本当に自ら「墓穴を掘った」という皮肉である。


(以下引用)


竹熊健太郎《編集家》 @kentaro666  ·  5 時間

久し振りに『第三の男』をDVDで鑑賞しましたが、ひとつ腑に落ちないことが。何故ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)は旧友のホリー(ジョセフ・コットン)を冒頭ウィーンに呼び寄せたのでしょう? わざわざ呼ばなければ、ホリーがあれこれ詮索せず、最後は下水道で死ぬこともなかったのに。


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盆に寄せて


生きて世にひとの年忌や初茄子    几董「五車反古」

玉棚の奥なつかしや親の顔   去来「韻塞」







(補足)某ネットサイトより転載。


年忌法要とは、故人の祥月命日に行う法要のうち主な年度に行うものをさします。

[祥月命日とは]…「しょうつきめいにち」と読む。故人の命日と同じ月・同じ日をさす。年に一回来る命日のこと。
〈例〉亡くなった日が9月1日であれば毎年9月1日が祥月命日となる。

(ちなみに月命日とは各月ごとの命日で、「つきめいにち」と読む。毎月の故人が亡くなった日と同じ日をさす。一年に12回ある。
〈例〉亡くなった日が9月1日であれば毎月1日が月命日となる。)




魂祭/たままつり



魂祭


初秋

霊祭/玉祭/聖霊祭/聖霊盆棚/盆棚/魂棚/聖霊棚/棚経
棚経僧/掛素麺/苧殻の箸/瓜の馬/茄子の牛/手向け/水向
七月十二日の草市で買いととのえた品で精霊棚をつくり、祖先の霊
を招く。棚を略して仏壇の前に供物をする所もある。みそ萩、枝
豆、瓜茄子等を供え、門火を焚く。僧は各檀家を廻り棚経をあげ
る。掛素麺は供物のひとつ。瓜茄子の馬は聖霊の乗物。

 


まざまざといますがごとしたままつり 季吟 「師走の月夜」
蓮池や折らで其まゝ玉まつり 芭蕉 「千鳥掛」
熊坂がゆかりやいつの玉まつり 芭蕉 「笈日記」
玉祭りけふも焼場のけぶり哉芭蕉 「笈日記」
棚経や遍照が讃し杖さゝげ 言水 「富士石」
数ならぬ身とな思ひそ魂祭 芭蕉 「有磯海」
玉棚の奥なつかしや親の顔去来 「韻塞」
遺言の酒そなへけり魂まつり太祇 「太祇句選」
魂棚をほどけばもとの座敷かな 蕪村 「蕪村句集」
なき父の膝もとうれし魂祭 樗良 「まだら雁」
さし汐や茄子の馬の流れよる一茶 「享和句帳」

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水俣の聖母子像

少し前に書いた、コムギと王の死の情景から連想した、写真家ユージン・スミスのピエタ(聖母子像)、こと「水俣の母子像」(入浴する母子像)をネットで確認しようとすると、この写真はモデルとなった娘の遺族の意思で公開制限されているらしい。これは当時遺族への周囲の嫌がらせなどがあったことからの決定らしいが、これほどの名作を公開制限するのは、世界的文化遺産を破壊する行為のように思う。たとえば、カフカが自分の死後にはその著作をすべて破棄してくれと友人に依頼して死んだ時、友人はその著作の(全人類的)価値を鑑みて、あえてカフカの遺志に反してそれを公開した。はたして、この友人の行為は非難されるべきかどうか、難しい問題だ。
もう一つは、アイリーン・スミスに亡夫ユージン・スミスの作品の公開非公開を決定する権利(正確には、その決定権をモデル家族に委任したのだが)が本当にあるのかどうか、つまり、著作権が著作者の遺族の手に渡ることはおかしいのではないか、という問題もある。ユージン・スミス自身が生きていたら、自分の作品(代表作の一つであり、世界的な名作)が地上から消滅することは、芸術家としての自分自身の否定だと思っただろう。たとえ遺族であっても、そのような決定をする権利があるとは思えない。
もちろん、モデル家族が受けた迫害自体が言語道断なものであり、生きている人間の人権や生存権がすべてに優先するのは当然だが、かつてはベートーヴェンの「交響曲第七番」がこの世に存在するためには全人類が滅亡してもかまわない、と思っていた私には、至高の芸術作品の一つがこうして世界から消し去られたことを正当だと見ることはできないのである。




(以下引用)

【もう限界】九州電力・玄海原子力発電所 21

837 :名無電力14001:2012/07/31(火) 15:19:46.61
●解説「ユージン・スミス」

 著名な写真家。1918年、米国カンザス州ウィチタ生まれ。78年死亡。
 太平洋戦争に従軍し、沖縄戦で負傷。戦後、ヒューマニズムに基づく視点から多くの「フォ ト・エッセイ」を「ライフ」誌を中心に発表し、グラフジャーナリズムの全盛を創った。
 人間の生活の表情をカメラにおさめ、「スペインの村」「仕事ちゅうのチャップリン」「慈 悲のひとシュバイツァー」などが有名。従軍した太平洋戦争のドキュメントも発表した。
 61年、日立のPR写真撮影のために来日し、日本に関心を抱く。
 熊本・水俣で広がっていた水俣病を追跡し、患者の悲惨な状況や、元凶のチッソをしつこく 取材し、水俣病の悲劇を世界に伝えた。
 71年から74年まで、妻で日系二世のアイリーン・美緒子・スミス(1950年、東京生 まれ)とともに水俣に住みながら撮影を続け、英語版「MINAMATA」、日本版「水俣」を出版 した。
 水俣は市民のほとんどがチッソ関連企業で生計を立てており、企業と行政と市民世論の壁に、 患者らは諦めを強くしていたが、米国から来た写真家の精力的な活動に勇気づけられた。
 胎児性水俣病の少女を被写体にした有名な「入浴する母子像」は、水俣病を象徴する悲劇と して、国内外のメディア、教科書などに掲載された。この影響で少女や家族に対する中傷も
相次ぎ、少女の逝去後、98年に、アイリーンさんは「写された人の人権を尊重する」として、 写真の決定権を両親に与え、自著で再掲載しないことを約束し、写真集を収蔵する美術館など
にも展示への配慮を要請した。
 72年、ユージン・スミスはチッソ五井工場を訪問し、患者と会社側との交渉を撮影中、同 社従業員(従業員の姿をした雇われ暴力団員とも言われる)から暴行を受け、
片目失明の大け がをした。このときの傷がもとで、帰国後、脳出血で死亡した。暴行した従業員は逮捕されず、 この時抗議した患者が逮捕された。ユージン・スミスは、
この時の暴行を告訴せず、写真撮影に没頭した。
 母方の祖母がインディアンの血をひく。父親が破産し銃自殺したこともあり、市井の人間の 命や生活に関心を持ち続けた。
 死後、ユージン・スミス・メモリアル基金により、ユージン・スミス賞が制定された。人間 性や社会性に焦点を当てた写真が受賞対象。

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劇場型恋愛について(承前)

さて、右近の下の和歌だが、


わすらるるみをばおもはずちかひてしひとのいのちのをしくもあるかな


多くの人は、句読点や分かち書き、漢字無しでこの歌を読むと次のように読むのではないだろうか。漢字交じりで書くと、こんな感じ。(って、これは駄洒落ではない。)


忘らるる身をば思はず誓ひてし。人の命の惜しくもあるかな。


この読み方で、最初の句点の位置が間違っている、と判断できる人がどれくらいいるだろうか。
というのは、現代語で「思わず」は、「思わず○○してしまった」のように副詞的に使われることが多いから、「思わず」を「誓ひてし」に掛かる修飾語だ、と判断するのは大いにありそうだ、と私は思うのである。しかも、前回書いたように、我々は和歌の上の句と下の句の切れ目をそのまま意味の切れ目(句切れ)として読みがちだから、「~誓ひてし。」と句切ってしまうのではないか。
もちろん、古文に堪能な方なら、「誓ひてし」の「し」は、過去の助動詞「き」の連体形で、終止形ではないから、ここが句切れではなく、「誓ひてし」は、次の「人」という名詞(体言)を修飾するものだ、と分かるのだが、ここでは「一般人」つまり、古文の勉強など、いい加減にしかしなかった人のことを言っている。
言うまでもなく、正しい読みは、「思はず」の「ず」が終止形だから、ここが句切れで、次のようになる。

忘らるる身をば思はず。誓ひてし人の命も惜しくもあるかな。


しかし、問題はそれでは終わらない。いったい「忘らるる」の主語(主体)は誰、「人」とは誰、という問題がある。それが分からないと、この歌は意味不明である。
そこで必要なのが、「古文世界の理解」というもので、言い換えれば、王朝(平安)文学の世界の(生活習慣・生活感情)理解だ。ただし、以下に書くことは、私の個人的な理解であり、こんなことは古文の参考書にはほとんど書いていないと思う。あるいは、私が無知なだけで、古文常識かもしれないが、私は読んだことは無い。
それは、「和歌とは基本的には個人的詠嘆を歌うものではなく、何よりも、誰かに宛てたメッセージである」ということ、「それらの歌が残ったということは、そのメッセージが、たとえ個人的なものでも、それは他の人にも知られることを前提として詠まれたものだ」ということである。これが恋の歌であるならば、それは「自分たちの恋を他人に披露する」という側面があった、というのが、私の「古文常識」なのである。
特に、平安文学における(いや、大和・奈良時代も含めて)歌に詠まれた恋愛は、その恋愛を「他人に披露し、人々を面白がらせる」という側面があったというのが私の推測である。これを私は「劇場型恋愛」と呼ぶことにする。
たとえば、額田王の有名な「茜さす紫野ゆき標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る」は、おそらく宴会の席上で、座興として詠まれたものだろう、というのは、誰だったかは忘れたが、高名な大学の先生が言っていた説だ。私もそう思う。額田王をめぐる天智天皇と天武天皇(当時はまだ天皇ではないが)の心理的闘争が無かったとは言わないが、この歌が詠まれた時点では、額田王はかなりな年齢であり、大海人皇子(後の天武天皇)が額田王に「袖を振った」のも冗談なら、額田王が即座にそれを「たしなめて」みせたのも冗談に対する当意即妙の応答だったというのがたぶん、正しい解釈なのである。
これが「劇場型恋愛」の典型的なものだが、さて、「忘らるる」の歌もまた劇場型恋愛の歌だ、と私が思う理由は、そう解釈しないと、腑に落ちないからである。
前に書いた句切れで読むと、解釈は次のようになる。



現代語訳
あなたに忘れられる我が身のことは何ほどのこともありませんが、ただ神にかけて (わたしをいつまでも愛してくださると) 誓ったあなたの命が、はたして神罰を受けはしないかと、借しく思われてなりません。


上の解釈(現代語訳)の中の「借しく」はもちろん「惜しく」の誤植だが、原典を尊重してそのままにしておく。
それはともかく、この歌を純粋に個人的な歌(メッセージ)だと考えると、不自然に思わないだろうか。「あなた(ここでは『人』と言っている。つまり、『誰かさん』だ。)は私との恋の誓いを破ったのだから、神罰で死にますよ」と言っているのである。いかに、自分を振った相手だからと言って、ここまで言うだろうか。だから、私はこれを「多くの人に披露し、ウケることを狙った歌だ」と推理するのである。
現代人は恋愛というと、中島みゆきの或る歌のように「道に倒れて誰かの名を呼び続ける」ような壮絶なもの、あるいは失恋というと、『よつばと!』のよつばが言うように「あの、殺したり、死んだりするやつな」と思っているから、恋愛の和歌というものもその手の重苦しい、生きるか死ぬかのものと想像しがちだが、平安朝廷における恋愛の大半は、「遊戯的恋愛」だった、というのが私の考えだ。むしろ『蜻蛉日記』の作者のような、陰鬱な恋愛は稀な例外だったのではないか。もちろん、「死ぬの生きるの」という恋愛歌が和歌には多いのだが、それを本気で詠んだ、とは私は思わないのである。なぜなら、それらが「人々に知られ、遺されている」からだ。
そもそも、恋愛の和歌にはパターンがあり、それは「私はこんなにあなたを愛しているのに、あなたは私を愛していない」ということを手を換え品を換え言い表すことである。
だからといって、その恋愛が本気でないとは言えない。言えないが、「外野席をかなり意識した恋愛」であることは確かだ、と私は思っている。何しろ、狭い世界だから、それは当然ではないだろうか。
そもそも、「汝(なれ)の命」とか「君(公とも書く)の命」と言わないで、「人(誰かさん)の命」とぼやかしたところに、この歌が個人に宛てたメッセージではなく、自分の失恋をネタにして周囲の人々の笑いを誘う目的の歌だったという、私の「非常識」な解釈の出発点があるのである。
この歌に深い思い入れのある人には申し訳ない「実も蓋もない」解釈だが、それでこの歌の価値が下がるものではないだろう。
平安の恋愛和歌の解釈として、この『劇場型恋愛』の概念は、あるいは、なかなか画期的で有用なものではないだろうか。












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みつくくるとは

休日くらいは、のんびりとした話でも書くことにする。
最近、ネットテレビで私が見ているのは「ちはやふる」というアニメである。ちはやという芸者に振られた竜田川という相撲取りが豆腐屋になる、という話ではない。高校のカルタ部の話である。と言うより、カルタ・クイーンを目指す少女の話だ。その少女は顔はきれいだが色気の無い「残念美人」で、彼女をめぐって精神的暗闘をする二人の少年がいる、というような内容だが、まあ、恋愛になりそうで恋愛にならないモヤモヤ感がなかなか楽しい少女マンガのアニメである。いい年をした男がこんなのを見るのか、と笑われそうだが、漫画やアニメを楽しむのは年齢や性別とは無関係だ。その作品の出来が良ければ、多くの層に受け入れられる、ということである。
娘から聞いたところでは、この作品は海外でのファンが非常に多いらしい。百人一首(カルタ取り)という、日本人でも現代ではあまりやらないゲームが外国人に理解できるのか、不思議だが、このアニメの随所に出てくる「日本的な美」「日本的な詩情」が外国人を魅了するのではないか、と思う。そういう日本的な美感(風景の美、和歌の美)を実にうまく表現したアニメなのである。
さて、実はここからが本題である。
和歌はわからん、(これ、駄洒落ね)という人は案外多いのではないか?
実は私もそうだった。いや、今でもあまり分からないのだが、多分日本人の平均レベルよりは分かっていると思う。その程度の人間が言うのも何だが、和歌を理解できない、というのは一生の損である。もちろん、俳句も漢詩もすべてそうなのだが、古典文学というものは、少しでも理解できれば、それは一生の精神的財産になるのである。
で、和歌がわからん、というのにも理由があり、それは「歴史的仮名遣い」と「句読点の不使用」のためだ、ということを書いておきたいわけだ。その好例となりそうなことを、この前、仕事(単純な肉体労働で、何かを夢想しながらでもできる、という利点がある。)をしながらつらつら考えた。それが今回の駄文の動機だ。
先に、もう一つ和歌の読解のポイントを書いておけば、それは「初心者は、上の句と下の句の切れ目に捉われすぎる(囚われ過ぎる、と書くべきか)」ということである。和歌の意味の切れ目は必ずしも上の句と下の句で都合よく切れているわけではない。これは「句切れ」という、中学古典初歩の知識だが、これが理解できていない人は非常に多いと思う。それほど、我々は「5・7・5/7・7」という分け方が生理的に沁み付いているのである。これは俳句(あるいは連歌)の影響だろう。
さて、その例となる和歌だが、これについて書く内容についてはかなりな構想を頭の中で作り上げたはずなのに、肝心のその和歌が何だったのか、思い出せない。まあ、落語に出てくる、「ちはやふる」についての横丁のご隠居の講釈レベルだろうから、失われても日本の文学史にとっての大損失というほどではない。思い出したら、また書くことにする。


(追記)

歌だけは、今ネットで探し出したので、先に掲載しておく。和歌に不案内な方にこそチャレンジしていただきたいのだが、ぜひ、自分でこの歌の解釈をしてみてほしい。歌はひらがな書き(これが本来のものだろう。平安時代の貴族女性は漢字の知識はあまり無かったというから。ただし、厳密には、本来は濁点も用いていなかったはずである。)と、漢字交じりの二つを、少し離して転記しておく。




038 右近
原文

わすらるるみをばおもはずちかひてしひとのいのちのをしくもあるかな



忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな
 




*句切れではないが、意味上の切れ目のヒントとして分かち書きにしたのが下のもの。ここまでくれば、解釈にかなり近づけるだろう。




忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな











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職業:
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考えること
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それだけで人生は生きるに値します。

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