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気の赴くままにつれづれと。
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大塚国際美術館、名前だけは聞いたことがあった。世界中の名画を原寸大で陶板に焼き付けた作品が並ぶ美術館だという。徳島にあるという。大塚製薬の創業者が一念発起して作った美術館だという。正直、偽物がずらずら並んでるだけかー、なんか変なお金持ちの道楽か?珍スポットの一種か?と思っていたんですよ。しかし、行った人はみんな大いに満足しているらしい。そしてこんな記事である
君は「行ってよかった美術館ランキング」1位の大塚国際美術館を知っているか。 - いまトピ
これは一度は行ってみなければなるまい…これまで47都道府県のうち、徳島と宮崎が未踏の身としては、徳島に行く機会にもなるし。と、阿波踊りの熱狂が通り過ぎた後の日曜日。阿波踊りのイメージが氾濫する徳島阿波踊り空港に降り立ち
路線バスで鳴門市にある大塚国際美術館に向かう。途中、大塚国際美術館がある島に渡る橋の手前に、巨大な大塚製薬の倉庫が並び、その壁面にポカリスエットやオロナミンCやボンカレーの壁画が並ぶのを見ると、ああもう戻れないのだ、と、MIHOミュージアムにバスで向かった時のような緊張感と高揚感に包まれてくる。
MIHOミュージアム『中国・山東省の仏像-飛鳥仏の面影』 - 日毎に敵と懶惰に戦う
そして美術館に近づくにつれて、目の前にインパクトのある建物が迫って来て『いったいどっちなんだろう…』と不安になってくる。一つは山の下に竜宮城のような大伽藍、もう一つは山の上に某学会の記念講堂のようなギリシア風大伽藍。結論からいうと、両方なのである
竜宮城は、大塚グループの保養所か何かであるらしい。そして目の前に大塚国際美術館、エントランスどーん
瀬戸内海国立公園の敷地内にあるために高い建物は建てられなかったというその美術館は、山の下にエントランスがあり、山をくりぬいて地下三階までの巨大空間が広がり、山の上にギリシア風…と言ったらいいのだろうか、2階建ての建物からなる、延べ床面積29,412平方メートルの美術館である。これは翌日、展望台からみた美術館です
3,240円と相当お高い入場料を払い、エントランスを入ると、地下三階の展示スペースに向かう長大なエスカレーターがどーん。そしてエスカレーターを登りきると、巨大なフロアがどーん、そして目の前に、この美術館の目玉でもある、原寸大システィーナ礼拝堂がどーん
建物が目に入った時から『ふぁー』みたいな頭の悪そうな声しか出なくなっており、これはちょっと、気持ちを落ち着かせてから見学したほうがいいのではないか、レストランがあるので飯を食ってからにしよう…と、案内の人にレストランの場所を聴く。目の前のエレベータではなく、その通路を入った先に大きめのエレベーターがありますから、それで上がっていただければー、というので脇の通路に入るとですね。いくつか写真パネルがあって、なぜかシスティーナ礼拝堂で歌舞伎
大塚国際美術館 「第六回システィーナ歌舞伎」鑑賞ツアー|国内旅行(ツアー)|ANA SKY WEB TOUR
なんなんだここは。そして『大きめのエレベーター』は50人は乗るのではという、本当に大きなエレベーターで、このあたりで圧倒されすぎて、もうなんか、展示物ちゃんと見る前から負けましたという感じになってきて、笑いが止まらなくなってくる。なかなか美味しいレストランのお食事をいただきつつ(最後の晩餐をイメージしたメニューもあるけどやめておきました…)、お庭を眺めてしばし
展示スペースの広さ…普通に順路を巡るだけで4kmぐらい歩くらしい…に軽く眩暈がしてくるようなカラーの『館内のご案内』と、16ページ1,074点に渡る『展示作品リスト』、ひたすら名前を聞いたことのある名画が目白押しな、地球を征服した宇宙人が押収した地球の壁画絵画リストかな?というような展示作品リストを読み込みつつ、さてだいぶん、元気も回復してきたので地下3階に戻り、展示作品を見て行きましょう
システィーナ礼拝堂である。ミケランジェロである。もちろん、偽物である。偽物ではあるけれど、陶板に転写焼成されたその出来栄えはなかなか見事なもので、そしてこのスケールである。原寸大のスケールである。『はー』『ほへー』『すごいねえ…』と感嘆の声ばかりあがる。
この地下三階の空間、『環境展示』と名付けられた、展示空間をそのまま再現した空間が売り物になっている。システィーナ礼拝堂を出ると、古代中世の作品たち、聖マルタン聖堂
さらには、ポンペイの秘儀の間やら、鳥占い師の墓やら…カッパドキアの聖テオドール聖堂などは、洞窟までそのまま再現されてしまって、もう笑うしかない、いや笑ってる場合じゃないけど、よくまあここまでやったわ!と感嘆するしかないのであった。そしてこれらが、写真撮り放題、触り放題なのである。明るい光で空いている空間でいくらでも見放題なのである。
もちろん現物を見るのが一番なのであるけれど、大混雑していて照明も暗く…という現物にはないアドバンテージがここに。そして原寸大環境再現の偉大さよ、現地に実物を見に行く研究者が、全体をじっくり見てイメージを形成するために、さきにこの美術館を訪れてから行くこともあるらしい。そういう使い方があるんですね…
系統展示と称して、時代の作品をずらりと並べた空間も、どこまでもどこまでも作品が並び、どれもこれも、あ、教科書で見たことある!みたいな作品ばかりであり。地下三階だけでもかなり満腹感があるのに、さらにこれが地下二階のルネサンス、バロックへと続き…
レンブラントばかり集まった部屋、受胎告知ばかり集まった部屋、最後の晩餐は修復前後が両方あるぞ…
修復前後を並べて展示するという、普通ならできないような体験を原寸大でできる、すごい
なんかもう、このあたりまで来ると、途中で止まらなくなってとりあえず名画という名画は全部再現しちゃいましょうか、みたいな狂気に近い情熱になっているのだろうか…と、とにかくすごいものを見せられているなあ、と。展示スペースがわりと複雑な構成になっていて、もうその奥まで行かなくてもいいか…と思いつつ入り込むと突然大空間が出てきて大作品に圧倒されたりですね。さすがに疲れてきて
1/4くらいのあたりから、まだあるのか…と途方に暮れる規模なのである。よもや、途方に暮れ具合でルーブルやウフィツィや大英博物館を疑似体験できる施設が日本にあるとは思いませんでしたよ…。
陶板画の作成方法について解説しているスペースもなかなか興味深いものがあったし
そうだよなあ、キトラ古墳の再現とか、まさにこの技術を使うためにある、って感じだよなあ…。このあとは近代の作品になってくるので、ちょっと、そこまでする必要はあったのかな…みたいな気にもなるけれど、あ、これこないだ日本の美術館に来ているのを見た!みたいな楽しみ方もできるのだった
ゲルニカにポロックまであるんですからね…なんだかんだ言って、原寸大って偉大だわ
全1,074点、ゆっくりまわっても数時間、歩く距離だけで4km、3,240円という入場料がまったく高いとは思わない、一大エンタテイメントだったのです。話のネタに、だまされたと思って一度は来る価値のある美術館であります、大塚国際美術館
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裂音(れつおん)忽(たち)まち舎内(しゃない)火と化す 1千難民逃げるに所なく 金庫の中の如(ごと)し 親は愛児を庇(かば)い 子は親に縋(すが)る 「お父ちゃーん」「お母ちゃーん」 子は親にすがって親をよべ共(ども) 親の応(こた)えは呻(うめ)き声のみ 教室校庭に焼き殺される… 白骨死体如火(ひのごとし) 火葬場生焼女人(にょにん)全裸 腹裂(はらさけ)胎児露出 悲惨(ひさん)極此(これきわめり) 生残者虚脱 声涙不湧(せいるいふゆう) 噫(ああ)何の故あってか無辜(むこ)を殺戮(さくりく)するか…
書「噫横川国民学校」
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アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東部忽化火海江東一帯焦熱地獄 茲本所区横川国民学校 避難人民一千有余 猛火包囲 老若男女声なく再度脱出の気力もなし 舎内火のため昼の如く 鉄窓硝子一挙破壊 一瞬裂音忽ち舎内火と化す 一千難民逃げるに所なく 金庫の中の如し 親は愛児を庇い子は親に縋る 「お父ちゃーん」「お母ちゃ―ん」 子は親にすがって親をよべ共 親の応えは呻き声のみ 全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる 夜明け火焼け尽き 静寂虚脱 余燼瓦礫のみ一千難民悉焼殺 一塊炭素如猿黒焼 白骨死体如火葬場生焼女人全裸腹裂胎児露出 悲惨極此 生残者虚脱 声涙不湧 噫呼何の故あってか無辜を殺戮するのか 翌十一日トラック来たり一千死体トラックへ投げ上げる 血族の者叫声今も耳にあり右昭和二十年三月十日未明 米機東京夜間大空襲を記す 当夜下町一帯無差別焼夷弾爆撃 死者実に十万 我前夜横川国民学校宿直にて奇蹟生残 倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし
ゆういち(井上有一=1945年3月10日横川小学校で教員として宿直業務付いていたが奇跡的に助かった。書「噫横川国民学校」は群馬県立近代美術館蔵)。
芥 川 龍 之 介
また立ちかへる水無月の
歎きを誰にかたるべき。
沙羅のみづ枝に花さけば、
かなしき人の目ぞ見ゆる。
私は、これの第四行を「恋しき人の」と覚えていたが、この「かなしき人」は、漢字表記すれば、おそらく「悲しき人」ではなく「愛(かな)しき人」と書かれたのではないか。だからこそ「相聞歌」(=「恋歌」)なのである。
なんで、この歌の話をするかと言えば、言うまでもなく、「水無月」となれば、この詩をいつも思い出すからである。(特に「また立ち返る水無月の」の調子の良さには惚れ惚れする。「花」と「目」の重ね合わせのイメージも素晴らしい。[注:旧暦では今年の水無月は7月16日からで、今はまだ卯月らしいが。]
さて、もう一つの芥川の「相聞」だが、
風に舞ひたるすげ笠の
何かは道に落ちざらん
わが名はいかで惜しむべき
惜しむは君が名のみとよ。
というもので、一読して「梁塵秘抄」の有名な歌の影響が感じられる。
それはこういうものだ。
君が愛せし綾藺笠、落ちにけり、落ちにけり
賀茂川に、川中に、
それを求むと尋ぬとせし程に、
明けにけり、明けにけり、
さらさらさやけの秋の夜は。
まあ、森村誠一の「人間の条件」で有名になった西条八十の詩などもそうだが、これまであったものが無くなったという喪失感をもっとも感じさせるのが、笠などが風に奪い取られる瞬間なのだろう。
芥川龍之介の「朱儒の言葉」(「朱儒」は「小人」の意味で、芥川が自分自身の臆病な一面を自嘲したものだろう。)の中に、「老練家」というのがあって、「彼は恋をしそうになると、叙情詩を作って、それを忘れることにしていた」とかいう風な内容だったと思うが、下の回答中の
「彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等の叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。」
が、まさにそれで、面白い。恋愛についての男女の意識の違いというものもあるが、芥川個人の性格が分かる。恋愛詩を作る人間が恋愛に有能なわけではないようだ。
もっとも、創作物と作者の実人生(人格や生き方)は別物だ、というのは当然である。創作物(小説や詩)は作者のイデア(理想、アイデア)であって、彼自身の人格水準とは別問題だ。言葉は言葉として優れていれば、それでいいのである。作者の実生活など、作品の価値とは無関係なのだ。(とは言っても、私はかつていじめっ子だったと自白している人間の書く、「上手い」人情話など、嫌悪感が先立って読む気もしないのだが。人間の心には『一杯のかけそば』的な「感動のポイント」があって、それを利用すれば、泣ける話は筆達者な人間なら容易に書けるようだが、そういう「相手の手の上で踊らされる」ような感動というものは、御免蒙りたい。まあ、良寛が「嫌いなもの」に「書家の書」を挙げるようなもので、「上手いけど嫌いだ」ということはあるのである。)
(以下「教えてgoo」より引用)
芥川龍之介作『相聞《そうもん》』の「風に舞いたる菅笠の/なにかは路《みち》に落ちざらん。/わが名はいかで惜しむべき。/惜しむは君が名のみとよ。」
この詩の意味、背景をご存じの方おられましたら教えてください。
大正14年4月に発表された「澄江堂雑詠」 では
恋人ぶり
風に舞ひたるきぬ笠の
なにかは道に落ちざらむ。
わが名はいかで惜しむべき。
惜しむは君が名のみとよ。
とあります。
しかしその前月 大正14年3月発表の「越びと」には 収録されていません。
ところが 自死後に 発見された 「或阿呆の一生」 には
三十七 越し人
彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等の叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落すように切ない心もちのするものだった。
風に舞ひたるすげ笠の
何かは道に落ちざらん
わが名はいかで惜しむべき
惜しむは君が名のみとよ。
とありますから
越し人 は 歌人の 片山広子であり アイルランド文学翻訳家の松村みね子である となります。
芥川龍之介は 若い頃 同人誌の新思潮に 片山広子時代の歌集「翡翠」の 書評を書いている。
また、堀辰雄の「聖家族」は 芥川龍之介と片山広子(松村みね子)の および 堀辰雄のことなどを 描いたものとされている。
以上が背景など。
意味は、「叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落すように切ない心もちのするものだった。」で、充分でしょう。
ノヴァーリスの 1968年の記述より
すべての空間に存在する形は、水晶から人間に至るまで、動きをさえぎられた音として説明できないだろうか? したがって空間的な形は音楽の表象的な表れにすぎないのでは?
この世にある「形は音そのもの」なのではないか
人間だけではなく、宇宙も言葉を話す。すべてのものは言葉を話している。無数の言葉を。
| 交感 自然は荘厳な寺院のようだ 列柱は厳かな言葉をおりなし 人は柱の間を静かに歩む 象徴の森をゆくが如くに 遠くから響き来るこだまのように 暗然として深い調和のなかに 夜の闇 昼の光のように果てしなく 五感のすべてが反響する 嬰児の肉のような鮮烈な匂い オーボエのようにやさしく 草原のように青く 甘酸っぱく 豊かに勝ち誇った匂い 無限へと広がりゆく力をもって こはく 麝香 安息香の匂いが 知性と感性の共感を奏でる |
| 「交感」 Correspondances は、ボードレールの詩の中でも、もっとも議論を呼んだものであって、多くの批評家によって、夥しい言及がなされてきた。それらにほぼ共通するのは、この詩が、ボードレールの象徴主義的考えを、もっとも良く示していると見る点である。 Correspondances (万物照応とも訳される)は、自然と人間との共感であり、視覚や臭覚など人間の感覚器官相互の共感であり、また理性と感性との共感でもある。人はこの何重にもわたってめぐらされた共感の森の中で、自然の一部としての生を生きる。 この詩はボードレールの比較的若い頃に書かれていたとする説もあるが、1855年に「両世界評論」に発表した18篇の中には含まれていない。おそらく、初版の刊行に併せて、新たに書いたものだと思われる。 |

生徒B「次行きます。『He knew everybody in Puddleby,and he knew all the dogs and all the cats.』」
生徒C「『彼はパドルビーのすべての人間とすべての犬や猫を知っていた。』」
生徒A「次行きます。『In those times being a cats-meet-man was a regular business.』」
生徒B「『その当時、猫肉屋はありふれた商売だった』」
生徒C「次行きます。『And you could see one nearly any day going through the streets with a wooden tray full of pieces of meat stuck on skewers and crying ,“Meat! M―e―a―t!”』」
生徒A「『そして、ほとんど毎日のように、その猫肉屋が、木の盆の上に『stuck on skewers』された一杯の肉を手にして『肉! に、い、く、う!』と叫びながら大通りを行くのを見ることができた』」
先生「苦心の訳だな。でも、『skewers』は、多分荷車か何かだな。つまり、木の盆の上にあるものじゃなくて、逆に木の盆が『skewers』に『stuck』されているわけだ。」
生徒C(辞書を引いて)「先生、間違ってます。『skewer』は『串に刺す』ですね」
先生「あれ、そうだっけ? 僕の頭の中には猫肉屋が荷車を引いているイメージがあったんだけどな。じゃあ、そういうことで訳して」
生徒A「『そして、ほとんど毎日のように、その猫肉屋が、木の盆の上に載せた、肉の串刺しを持って『肉! に、い、く、う!!』と叫びながら大通りを行くのを見ることができた』」
生徒B「次行きますよ。『People paid him to give this meat to their cats and dogs instead of feeding them on dog biscuits or the scraps from the table.』」
生徒C「『人々は自分たちの猫や犬に犬用のビスケットやテーブルの残飯をやる代わりに、彼に金を払ってその肉を買うのだった。』」
先生「いい訳だね。『買う』という言葉は原文にはないけど、確かにここでは、それを入れた方が原文の意図を伝えている。『犬用のビスケット』は、現代なら『ペットフード』となるところだけど、時代色を出すためには、『犬用のビスケット』の方がいいね。『scraps』を『残飯』としたのもいい」
生徒A「次行きます。段落が変わります。『My third great friend was the Luke the Hermit.』」
生徒B「『私の三人目の友達は、ルーク・ザ・ハーミットであった。』……先生、『Hermit』って何ですか?」
先生「さあ、何だろう。辞書を引いてみようか。『隠遁者、隠者』とあるな。『隠者のルーク』とでもしておくか」
生徒C「先生、隠者って何ですか?」
先生「世を逃れて孤独に住んでいる人間だ」
生徒C「乞食ではないんですね?」
先生「乞食は生活の手段だから、関係ないね。まあ、隠者が乞食をすることもあるだろうけどね」
生徒C「段落が変わります。『I did not go to school,because my father was not rich enough to send me.』」
生徒A「『私は学校には行っていなかった。なぜなら、私の父は、私を学校にやるほど金持ちではなかったからだ。』」
生徒B「先生、この話はいつ頃の話なんですか?」
先生「さあ、19世紀の終わり頃じゃないかな。つまり、シャーロック・ホームズと同じ頃だ。20世紀初め頃かもしれない」
生徒B「イギリスでは義務教育制度はなかったんですかね」
先生「まあ、そうかもしれないね。後進国の日本が義務教育制度を実施したのは英断だったと思うよ。そのおかげで日本は20世紀に先進国の仲間入りできたんだ。それより、もう少し進めておこうか」
生徒B「『But Ⅰ was extremely fond of animals.』」
生徒C「『しかし私は特別に動物が好きだった。』…うーん、あまりいい訳じゃないな。」
先生「悪くはないさ。『でも、私はとても動物が好きだった』とすれば口語的な自然な感じにはなるけどね」
生徒A「『So Ⅰ used to spend my time collecting bird‘s egg and butterflies , fishing in the river , rambling through the countryside after blackberries and mushrooms and helping the mussel-man mend his nets .』」
生徒B「『だから私はいつも鳥の卵や蝶々を集めたり、川で釣りをしたり、田舎でブラックベリーやマッシュルームを探してぶらぶらしたり、貝掘りが彼の網を修繕するのを手伝っては時間を過ごしていた。』」
先生「いいところとわるいところがあるね。全体的にはこなれた訳だけど、『countryside』を田舎とするのはおかしいだろう。子供の足でいきなり町から田舎に行くのは変だから、ここは『町のひなびたところ』くらいがいいんじゃないかな」
生徒B「『ひなびた』ってどういう意味ですか?」
先生「田舎じみたところってことさ」
生徒B「うーん、あまり変わらないような気がするけど……」
先生「そうかい? まあ、じゃあ今日はここまでにしておこう」
第二回目の授業 (第一章の続き)
先生「じゃあ、前回の続きを行こうか。前回は、語り手の少年、トミー・スタビンスが、
見たことのない世界にあこがれていた、という所までだったね。例によって、A君、B君、Cさんの順に、一文ずつ読んで、訳してもらおうか」
生徒A「『Three great friends I had in Puddleby in those days.』」
生徒B「『三人の偉大な友人を、その当時私はパドルビィの町で持っていた。』?」
先生「『great』は、『偉大な』ではなく、『大人の』か、『大きな』がいいだろうね。後でわかるけど、その三人のうち二人はまったくの貧民だからね。英語の『great』には、我々が思うほどの賛嘆の気持ちは無いようだよ。プラターズの歌にも、『great pritender』ってのがあるけど、これも『偉大な嘘つき』とすると変だしね.次行こうか」
生徒C「『One was Joe ,the mussel-man ,who lived in a tiny hut by the edge of the water under the bridge.』」
生徒A「『そのうちの一人はジョーで、彼は『mussel-man』で、川沿いの、例の橋の下の小さな『hut』に住んでいた。』」
先生「A君、『hut』は何だと思う?」
生徒A「小屋でしょうね。橋の下にあるんだから」
先生「多分ね。『mussel-man』は私も分からない。ええと、辞書では『mussel』しかないけど、『イガイ科二枚貝の総称』となっている。わけがわからないね。しゃくだけど、本の後ろの注釈に頼ろう。ええと、『貝を掘る男』だって。なあんだ。でも、なあんだ、と言っちゃあ、本当はいけない。「解体新書」の「フルッヘンド」の話にもあるように、初めて翻訳する時は、意外な、単純なところに苦労するものだし、後から来た人間がそうした先人の苦労の遺産の有難味を忘れてはいけないんだ。おっと、次に行こう」
生徒B「『This old man was simply marvellous at making things.』」
生徒C「先生、この『simply』は、『単純に』と訳していいんですか?」
先生「よくないだろうね。次の『marvellous』と矛盾する。これは強調の副詞だろうから、『とても』とでもすれば?」
生徒C「『この老人は物を作ることにかけてはとても素晴らしかった。』」
先生「OK、次」
生徒A「『I never saw a man so clever with his hands.』」
生徒B「『手仕事については、これほど優れた人間を私はかつて見たことがない』」
先生「いいね。『clever』を『賢い』としなかったところは偉い。多くの生徒の欠点は、自分が知っている訳語にこだわって、文脈をまったく考えない訳をしてしまうことだ.『hands』を『手仕事』としたのもいい」
生徒C「『He used to mend my toy ships for me which I sailed upon the river ;he built windmills out of packing-cases and barrel-staves ; and he could make the most wonderful kites from old umbrellas.』」
生徒A「『彼は私のために、私が川の上を走らせるためのおもちゃの船をいつも修繕してくれたし、荷箱や『barrel-staves』から風車を作ってくれたし、古い傘から最高に素晴らしい凧を作ってくれた』」
先生「『stave』は『樽板』だと辞書にはあるね。まあ、『barrel』が樽だということくらいは分かっていただろうけど。ここで、“out of”を『~から』としたのはいいね。まあ、常識だろうけど、“of”自体が、“out”を起源としているという説があるね。つまり、その物が何から出て来たかを表す前置詞だ。“チーズは牛乳から出来る”とかね。だから、ある人間の出身地や、帰属する集団なども“何とかof何々”というように表すね。……これは脱線だな。次いこうか」
生徒B「段落が変わります。『Another friend I had was Matthew Mugg,the cats-meet-man.』」
生徒C「『cats-meet-man』の訳は『猫肉屋』でいいんですね?」
先生「それしかないね。井伏先生の名訳だからね。これを『ペットフード屋』としちゃあ、この話の雰囲気が変わってしまう」
生徒C「『私の持っていたもう一人の友人は、猫肉屋のマシュー・マグであった。』」
生徒A「続けますよ。『He was a funny old person with a bad squint.』」
生徒B「『彼は『bad squint』な面白い老人だった』」
先生「辞書では、『squint』は斜視、やぶにらみの事だな。それに、ここでのoldは、語り手のトミーから見ての話だから、『老人』とするよりは『大人』とするほうがいい」
生徒B「『彼は、ひどいやぶにらみの面白い大人だった』」
生徒C「続けます。『He looked rather awful but he was really quite nice to talk to.』」
生徒A「『rather』は『やや』ですか、『かなり』ですか?」
先生「困ったな。辞書には両方出ている。『やや』と『かなり』は正反対だのに、二つとも『rather』の訳になるってのが問題だよな。こうしたことから英語が嫌いになる生徒も多いんだけどね。まあ、『ひどい斜視だ』とあるから、『かなりawfulだ』にしておこう」
生徒A「『彼はかなり恐ろしい顔をしていたが、話してみるととても素敵な人間だった』それとも『話すには素敵な人間だった』がいいですかね」
先生「どっちかな。まあ、どっちでもいいさ。それより、『nice』を『素敵』とするのはどうかな。どうも女性的な感じの表現だから、『感じのいい』くらいがいいかもしれない」
生徒B「先生、『nice』には、『愉快な』という訳もありますよ」
先生「えっ、そうなの? なら、マシュー・マグのキャラクターなら、そっちがいいな」
生徒A「『彼はかなり恐ろしい顔をしていたが、話すととても愉快な人間だった。』」
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