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宮崎市定の文章論

「カマヤンの燻る日記」から転載。
宮崎市定は私の好きな学者だが、私は彼の本を新刊で買ったことはない。古本としては見つけにくい著者だが、いずれ出遭うこともあるだろう。彼の「東洋史」は古本で下巻だか中巻だかの一冊だけ買ったが面白かった記憶がある。この本で、元帝国が世界の半分を征服できたことの「理屈」が分かった。歴史書を読んで、物事や出来事の「理屈」が分かるというのは実に得難い経験である。
下の記事の文章論は半分くらいは同感する。だが、書く側の事情と読む時の印象はそれほど直結的だとは思わない。単に、「気持ちよく書きたい」という、書く側の希望や我が儘にすぎないのではないかwww

記事の一番最後の「読むべかり」は転記ミスではないか。少し前にある「読むべかりけり」が正しい。「べかり」は連用形で、文末には不適である。「読むべし」なら可。


(以下引用)


2016-10-06

[]宮崎市定の文章論 22:57 宮崎市定の文章論を含むブックマーク 宮崎市定の文章論のブックマークコメントAdd StarBUNTENwatto

1

宮崎市定『東風西雅抄』に以下記述がある。これは宮崎市定の文章論だと言っていい。以下記す。


概説と同時代史


概説書ならどの時代でも書いて見せる、といった失言がたたって、罰として今まで書いたことのない近代史の部分〔略*1〕を書かねばならぬ破目に陥った。〔略〕


読者に興味をもって読ませるためには、著者がその問題に興味をもつばかりでなく、書くこと自身に興味をもって当たらなければならない。〔略〕ただし此方で面白がって話をしても、相手がともすれば居ねむりをするのと同じように、たとえ書く方が興味をもって書いた場合でも、読者が喜んで読んでくれるとは限らない。


概説を書く自信があるからといって、書こうとすることが全部頭の中にしまってあって、何でもすらすらと引き出せる、というわけにはいかない。どういうところに問題があるかの点に、大体の見当がついているだけのことである。そこで原稿を書きながら、どうしても途中でやめて調べ直さなければならぬ個所がでてくるわけであるが、それをどう処理するかが、一番の問題である。


というのは、執筆の途中で筆を休めると、文章がどうしてもそこで腰折れになる。文章を書くにはやはり、ある程度の速度が必要である。書いてはやめ、書いてはやめした文章ほど読みにくいものはない。原勝郎教授がその名著、英文『日本歴史』を書いていたときのこと、三浦周行教授の部屋にいきなりとびこんできて、応仁の乱の東軍、兵力何万、西軍の兵力何万、すぐ言ってくれ、と尋ねる。三浦教授が、ちょっと待って、今調べるから、と答えると、


見込みでいい、見込みでいい、


とせきたてたのは有名な話だが、この気持はよくわかる。本当はブランクにしておいて後でうずめればよいのだが、やはり実数を書いておかぬと書く気分がのらない。すぐ近くに尋ねられる人があれば仕合せだが、それがないときは、しばらく当てずっぽうの数を入れておく。あとで直すつもりでも、時間が経つとそれを忘れてしまって、つい大きなまちがいをしでかすことがよくある。こうしたケアレス・ミステークはそれがきわめて重要な意味を持ったものでない限りは、あんまり深く咎めないでもらいたいと思う。参考書を全部手もとへ引きよせておいて、調べては書き、調べては書きすれば、そうした誤りはなくてすむのだが、そういう本は読みものにはならない。〔略〕〔136-138p〕



読書日録 十二月十八日


〔略〕読むための本にはリズムが必要である。人類の歴史にはリズムがある。それをどう捉え、どう表現するかが、現在の私の関心ごとである。一日五枚は少し早すぎるようだが、これ位でないと、思考の流を文章のリズムに写すことはできないのだ。本を書くのはもちろん、人に読んで貰う為だが、同時に著者が自己を表現する為でもある。自己を抑えてまで、有益な本を書かねばならぬ理由もない。


書く方では興に乗って書いたつもりでも、読者のほうは、何だ詰まらない、と思うかもしれぬ。併し買ったからには読まねば損です。コンチキショ、コンチキショと唱えながら読むと印象が深くて反ってよい。狐灯の下、


  本は身銭で 読むべかりけり 〔319p〕


2

なお同書に以下のような読書論が記述されているのでそれも記す。


読書目録 一月七日


〔略〕『漢籍国字解全書』の中の「易経周易釈故」を見付けて買う。こんな大事な文献が二厚冊で只の二千五百円とは、どうしたことだろう。もっとも易経は本気になって読むべき本ではない。無理に分かろうとと思って苦心して読むと、必ず頭を悪くするとは、ある先輩からの教え。だからこれですぐ勉強に取りかかるというのではなく、何かの折の参照のために備えておくのが目的なのだ。世には難解の書が多過ぎる。君、うっかり手を出し給うな、


  本は題だけ 読むべかり  〔321p〕


東風西雅 抄 (岩波現代文庫)

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自然と人間



この一件(夢人注:カネを出して薪を買うという「不可解」なことを目撃したこと。)は彼にとって、大変な衝撃であった。町では自分の思いどおりではなく、他人が望むように生きねばならぬことを、思い知らされたのである。四方八方から、他人が自分を取り囲み、一挙手一投足に至るまで、制限を加える。デルスはもの想いに沈み、引き籠るようになった。痩せて、頬がこけ、何だかぐっと老け込んだようだ。
次に起きた小さな出来事で、デルスはすっかり心の均衡を乱されてしまった。彼は、私が水の代金を払っているのを見たのである。
「何てこと!?」デルスは、またしても叫んだ、「水の代も、払うか? 川、見なさい」と、彼は、アムール川を指差した。「水、たくさんある。地べたと水と空気、神様ただでくれたもの。どうして金、払うか?
彼は、最後まで言い切らぬうちに、両手で顔を覆い、自分の部屋に引き下がってしまった。



     (アルセニエフ「デルス・ウザラ」安岡治子訳より)



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言葉の破壊はナショナルアイデンティティの破壊

批判的な意味で転載しておく。
言葉に誤用は無い、という思想は、言葉を破壊するものだろう。詩人などによる意図的な言語破壊ならまだ言葉の可能性を広げるかもしれないが、使っている当人たちが間違いに気づいていないならば、言語学者たちは「それは正統的な表現ではない」と指摘し続けないと、言葉がどんどん乱脈になり、言語によって保たれる国民的アイデンティティも失われる。
確かに言葉は不変のものではないが、その変化は「道理にかなっていて、使う意味がある」場合にのみ許容される、というのが私の考えだ。
「的を得る」のような言葉は、はっきりと「誤用。だが、広く使われている」としておけばいいのである。


(以下引用)

「的を得た」って50年以上前から使われているけど、それでも誤用なの?専門家に聞く

2016/7/23 19:01 ネタりかコンテンツ部

こんにちは、ネタりかコンテンツ部の菊池良(@kossetsu)です。


あなたは「的を得る」という言葉を使ったことありますか? 使ったことはなくても、聞いたことはあるのではないでしょうか。


一般的にこの言葉は誤用だと言われ、「的を射る」が正しいとされています。


 


東京外国語大学教授で、NHK放送用語委員も務めていた吉沢典男の『どこかおかしい日本語』(1987年)にはこう書かれています。


 


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吉沢典男『どこかおかしい日本語』(ごま書房)11pより引用


 


的は「射」るものであるから、「得」るのは変だ、「当を得る」と混同しているのでは、という指摘です。これはいろんな日本語本でなされている説明です。東京大学名誉教授の国広哲弥による『日本語誤用・慣用小辞典』でも、同様の指摘がされています。


 

半数以上が「的を得た」を正しいと思っている

1996年11月にNHK放送文化研究所が第7回「ことばのゆれ」全国調査を行っています。
約1400人の成人男女に「的を射る・得る」のどちらが正しいか聞いたところ、以下の結果となりました。


 


mato_3

『放送研究と調査』1997年5月号(NHK出版)55pより引用


 


「的を射た」よりも、誤用とされる「的を得た」の方が回答を集めています。年代別にみると、30代では半数以上が「的を得た」が正しいと答えたそうです。


文化庁が2004年に行った「国語に関する世論調査」でも54.3%の人が「的を得る」が正しいと回答しています。


 


 

新聞や雑誌では「的を得る」は使われているのか?

「言葉のプロ」とも言える新聞や雑誌でも、実は「的を得る」が用いられています。


1985年8月16日の朝刊に載せられた「北朝鮮、両にらみ外交」という記事では、


 


「ソ朝関係に比べ中朝関係が後退したなどと観測するのは的を得ていないだろう」


 


と「得る」の方が使われています。また、1995年12月10日の朝刊でも「ガリ国連事務総長を痛烈批判」という記事でも、「ひとつずつ事例に沿って反論する声明を発表し、批判が的を得てないことを強調した」とあります。


朝日新聞だけではありません。毎日新聞でも「的を得る」という表現は確認できました。


雑誌でも使われています。『日経ビジネス』の1972年9月4日号。


 


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『日経ビジネス』1972年9月4日号(日経BP社)14pより引用


 


「悲観説が的を得ているようにもみえる」とあります。このように新聞や雑誌でも古くから「的を得る」は使われています。


 

口語ではいつから使われている?

文章だけではなく、口に出す言葉ではいつごろから使われているのでしょうか。
1947年の第1回国会以降、すべての本会議、委員会の議事録を検索できる「国会議事録検索システム」で調べてみました。


議事録での初出は1951年11月5日。発言者は参議院議員の岡本愛祐。


 


「答弁かあつたときにはどうも腑に落ちないくらいで済んだのですが、よく読んで見ると、やつぱり腑に落ちないのが当然であつて、はつきり、つまり的を得た答弁をしてくれてないのです。」


 


このように発言しています。今から約60年前には「誤用」されていたのです。


その後も議事録上で「的を得る」は絶えず確認され、最新のものですと2016年5月12日、おおさか維新の会所属の室井邦彦が「まさに、潮流に乗ったというか、的を得た結果といいますか」と発言しています。


 

「的を得る」って誤用なの?専門家に聞いてみた

これほど古くから多くの人間が誤用しているとなると、もはや誤用ではないんじゃないでしょうか?


日本語学者・国語辞典編纂者の飯間浩明さんに聞いてみました。


 


お話を聞いた人:飯間浩明さん(@IIMA_Hiroaki
1967年、香川県高松市生まれ。日本語学者・辞書編纂者。『三省堂国語辞典』編集委員。著書に『辞書を編む』『三省堂国語辞典のひみつ』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』などがある。


 


──そもそも言葉にとって「誤用」とはどんな状態のことですか。


 言語学的には「ことばの誤用」についての一般的な定義はありません。「『見れる』は誤りか」という問題は、新聞の投書欄のテーマとしてはあり得ても、それを論文として取り扱うことはできません。学問的対象になるのは、「『見れる』という語形は何年頃から増加してきたか」といったような客観的事実だけです。


 学問的には、「誤用」の定義はないのですが、一般の人々の頭には、それぞれぼんやりと「誤用」の定義があるはずです。それはさしずめ、


  1. 昔(自分が習い覚えた頃)とは違う新しい言い方である


  2. 自分にとって不合理と思われる言い方である


という2点です。


 このような「一般に言われる誤用」とは、あくまで「その人にとっての誤用」であることに注意が必要です。絶対的ではなく、相対的なものです。


 


──辞書編纂者が特定の言葉を「誤用」と判断するのは、どういう要件を満たしたときなのでしょうか。


 『三省堂国語辞典』の場合、絶対的な基準に基づくことのできない「誤用」という表現はなるべく避けようという方向に進んでいます。むしろ、「何年頃からの言い方」「この言い方は文章語(硬い書きことば)、この言い方は俗語(仲間内のことば)」といった情報をつけることを重視しています。こういった情報があれば、辞書の利用者の好みで「新しい言い方なのか、じゃあ、自分は使うのをやめよう」というように選択することができるからです。したがって、『三国』には、「誤用認定のための基準」そのものがありません。


 


──「誤用」とされる言葉を世の中の大半の人が使っていたとします。多数派が使っていても誤用なのでしょうか。


 ある古いことばを使う少数派の人にとっては、新しいことばを使う人がいくら多数派になっても、その言い方は誤用と感じられます。


 一方、多数派の新しいことばを日常的に使う人にとっては、そのことばこそが普通で、古い少数派のことばは死語、化石語と感じられます。


 そのどちらかを誤用、どちらかを正用、と客観的にジャッジできる人はどこにもいないでしょう。正誤のジャッジは、主観的にしかできないものです。


 「年配の教授に出すレポートならば古めのことばで書く」「仲間内の雑談では仲間のことばに合わせる」といったように、ことばを臨機応変に使い分けることも必要です。


 


──古い言葉を習っていると、現代の用法と違う言葉がありますが、今ではそちらが正しいとされています。「意味が変わった」「誤用じゃなくなった」という判断はどの時点でなされるものなのでしょうか。


 「当初一般的でなかった意味が、後に普通になった」というパターンは、古来いくらでもありますね。「ありがたし」は、「有ること難(かた)し」で「稀だ」という意味だったのが、いつの間にか「(そういう稀な恩恵を受けて)感謝したい気持ちだ」という意味に変化しました。問題は、この新しい意味が現れたとき、世間の人が「誤用だ」と言ったかどうか、ということです。


 長い日本語の歴史を通じて、新しい意味が「誤用」と批判されることは、ほとんどありませんでした。人々は、周囲の人が使う意味で自分も使い、その意味が知らず知らずちょっとずつズレていきました。『枕草子』『徒然草』などに「今の人のことば」を批判する文章はありますが、全体として、そういうことに世間の関心は向かいませんでした。


 そもそも、昔の人にとって「正しいことば」とは、大昔の古典語でした。歌学者は大昔の正しいことばを研究して歌を作ろうとしました。一方、自分たちの使っていることばは「今の世の俗語」でした。その俗語について「正しいの、間違いの」と言っても始まりません。


 「そのことばは誤用です」というような批判のしかたが一般に広まったのは、戦後、特に1970年代以降です。それまでは、校正の本を見ても「同音語を取り違えないように書こう」というように、ひたすら「漢字を間違えないように」ということばかり注意されていました。ところが、70年代の「日本語ブーム」に乗って、日本語の誤用を論難する本が数多く出版されるよにうなりました。たとえば、「おそらく晴れるでしょう」は誤用だ(「おそらく」とは「恐れること」が原義だから)、というような言いがかりに近いものも含めた「日本語の誤用本」が商売として成立する(読者が興味を示す)ようになりはじめました。


 この時期から、ある新しいことば、耳慣れないことばを、「誤用本」の著者などの「識者」が指摘した時点で、そのことばが「誤用」認定される、というシステムができあがりました。


 面白いのは、識者に指摘されていなければ、似たような言い方でも、あまり批判の対象にならないということです。「汚名挽回」という言い方は、「汚名を取り戻してどうする」という批判が70年代に現れて以来、誤用認定されています。一方、「劣勢挽回」は、たまたま識者がこの言い方を批判しなかったために、いまだに誤用とは見なされていません。


 現代、「誤用」認定されたことばが「誤用じゃなくなった」とされる事例は、あまり知りません。


 ただ、今後はどうでしょうか。現在、誤用を指摘する人に対して「誤用警察」と揶揄することばも生まれ、やみくもに「誤用」認定することは今後減っていくのではないか(減っていけばいいな)と思っています。その時には、もと「誤用」とされていたけれど、「誤用じゃなくなった」ということばも少なからず出てくるのではないでしょうか。


 


──「的を得る」は誤用なのでしょうか。


 誤用とする理由はない、と言えます。従来、「的を射る」「当を得る」の混用、という論拠で「誤用」とされていましたが、「正鵠を得る」「当を得る」「要領を得る」「時宜を得る」などの「得る」は、「うまくとらえる」という意味と考えれば、「的を得る」も十分合理的に解釈できます。


 あることばを「誤用」と客観的に主張することは困難ですが、「べつに誤用でない」と主張するためには、その語が広く受け入れられており、また、一定の合理性があることが認められさえすれば、それで十分です。


 


──ありがとうございました。


 


(文:菊池良、写真:アフロ)



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私の好きな世界名作映画100






私の選ぶ世界名作映画100選 2016/06/22 (Wed)


どうも、年を取ると感受性が鈍るせいか、最近の映画を見ても、「上手いな」とは思っても、心が揺すぶられない。いかにも感動を狙ったような作品にもうんざりする。
やはり、若いころに見た作品が、自分の中に刻み込まれている。
そういう作品を100本挙げてみる。上位ほど評価は高いが、同じくらいの位置にある作品には順位ほどの差は無い。

1位 第三の男(リード)
2位 野いちご(ベルイマン)
3位 東京物語(安二郎)
4位 道(フェリーニ)
5位 ローマの休日(ワイラー)
6位 七人の侍(明)
7位 時計仕掛けのオレンジ(キューブリック)
8位 お熱いのがお好き(ワイルダー)
9位 会議は踊る(監督名失念)→「無法松の一生」(浩)に変更。以下、順位ズレ。
10位 独裁者(チャップリン)
11位 太陽がいっぱい(クレマン)
12位 用心棒(明)
13位 殺人狂時代(チャップリン)
14位 天国と地獄(明)
15位 エデンの東(カザン)
16位 大いなる西部(ワイラー)
17位 椿三十郎(明)
18位 2001年宇宙の旅(キューブリック)
19位 バルカン超特急(ヒッチコック)
20位 西部の男(ワイラー)


とりあえず、思いつくまま、20位まで書いたところでいったん公開しておく。同じ画面にこの後、時間を置いて追加していく。


上のものに追加も順位変更もあるが、とりあえず、順位は後で確定することにして、思いつくだけ並べていく。

21位 マイ・フェア・レディ(マンキーヴィッツ他)
22位 ダーティ・ハリー(シーゲル)
23位 知りすぎた男(ヒッチコック)
24位 シザーハンズ
25位 明日に向かって撃て(ヒル)
26位 卒業(ニコルズ)
27位 フルメタルジャケット(キューブリック)
28位 荒野の決闘(フォード)
29位 シャイニング(キューブリック)
30位 ベンハー(ワイラー)

31位 バンドワゴン
32位 天井桟敷の人々(カルネ)→「サンセット大通り」(ワイルダー)に変更。以下順位繰り下げ。
33位 ライムライト(チャップリン)
34位 禁じられた遊び(クレマン)
35位 オズの魔法使い
36位 ウェストサイド物語(ワイズ)
37位 風とともに去りぬ
38位 ニノチカ
39位 ドラゴン怒りの鉄拳
40位 バック・トゥ・ザ・フューチャー(ゼメキス)


41位 赤ひげ(明)
42位 切腹(正樹)
43位 砂の器(芳太郎)
44位 戦場のメリークリスマス(渚)
45位 スタンドバイミー
46位 ショーシャンクの空に
47位 生きる(明)
48位 ライムライト(チャップリン)
49位 上流階級
50位 素晴らしき哉人生(キャプラ)
51位 アマデウス
52位 ギャラクシークエスト
53位 OK牧場の決闘
54位 荒野の七人(スタージェス)
55位 大脱走(スタージェス)
56位 ナバロンの要塞(トンプソン)
57位 雨に唄えば
58位 さらば友よ
59位 昼下がりの情事(ワイルダー)
60位 アンダルシアの犬(ブニュエル)
61位 ティファニーで朝食を
62位 スティング(ヒル)
63位 ジーザス・クライスト・スーパースター
64位 フォレスト・ガンプ
65位 禁断の惑星
66位 バーバレラ
67位 リバティ・バランスを撃った男(フォード)
68位 黄色いリボン(フォード)
69位 駅馬車(フォード)
70位 課外授業(邦題は不確か。ルイ・マルがハリウッドで作ったもの。原題を訳せば、「列を作った可愛い子ちゃんたち」ロック・ハドソン出演)
71位 ロッキー・ホラー・ショー
72位 81/2(フェリーニ)
73位 市民ケーン(ウェルズ)
74位 恐怖の報酬
75位 魔法にかけられて→「博士の異常な愛情」(キューブリック)に変更。以下繰り下げ。
76位 モダンタイムス(チャップリン)
77位 アイズ・ワイド・シャット(キューブリック)
78位 或る夜の出来事(キャプラ)
79位 スミス都に行く
80位 レイダース 失われたアーク
81位 カサブランカ
82位 エルビス・オン・ステージ
83位 嵐が丘(ワイラー)
84位 東京オリンピック(昆)
85位 酔いどれ天使(明)
86位 小さな恋のメロディ
87位 戦争と人間(薩夫)
88位 北北西に進路をとれ(ヒッチコック)
89位 地獄の黙示録(コッポラ)
90位 ベストフレンドウェディング
91位 真夏の夜のジャズ
92位 罪と罰(クリジャーノフ)
93位 灰とダイヤモンド(ワイダ)
94位 毒薬と老嬢
95位 アマルコルド(フェリーニ)
96位 去年マリエンバードで
97位 仁義なき戦い(欣二)


「太陽を盗んだ男」を入れようかどうか迷ったのだが、細部の雑さ、部分的なセンスの悪さという点で、「世界名作」レベルではないと判断。たとえば、「魔法にかけられて」の作りの完璧さとは比較にならない。パワーはあるが、どうしても日本映画的な貧相さがあり、名作とは言い難いのである。なお、大ヒット作品であっても私の好みではない監督やその作品は当然入れていない。また、歴史的な重要性があるものも、「名作」のポイントとしている。「禁断の惑星」などはそれである。特撮技術など、今の目から見たら幼稚だろうが、あの当時の技術でここまで行ったのが素晴らしいし、話としても面白い、ということだ。
スピルバーグ作品は一つも入れていないというのは、彼の場合、私の考える「名作」とは合致しないからである。コッポラの「ゴッドファーザー」なども然り。上滑りする面白さというか、見ている間は感心するが、見た後に「長続きする感銘」や「長続きする快さ、わくわく感」が無いのは私にとっては名作ではない、ということだ。なお、少し格好をつけて「芸術映画」を入れているのは、それらには「歴史的重要性」があることと、「観たものの心に、理解はできなくても強い印象を残し、それがその人の心の財産になる」からである。


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白黒映画の名作群

好んで白黒映画を見るくらいだから、筋金入りの映画好きたちが投稿しているようだ。ここに挙げられた映画の8割くらいは私も見ていて、知っている作品の中では、ここに挙げられた名前の9割以上に私も賛成だ。
ただ、私が映画史上の「マイ・ベスト10」に入れているフェリーニの「道」や、稲垣浩の「無法松の一生」、監督名は失念したが「会議は踊る」などが入っていないのは物足りない。
稿を改めて、私自身の「マイ・ベスト100」(カラー作品も含む)を次回に載せたい。別ブログに載せたものを転載する予定だ。



(以下引用)残念だが、字数制限のため画像は割愛。テレビ番組も割愛。解説の大半も割愛。





Comment by seanderlust

今見ても凄く良いクラシックな白黒テレビ番組もしくは映画ってどんなのがある?





Comment by Aroto 502 ポイント

「十二人の怒れる男」はお気に入りの作品の一つ。
http://www.imdb.com/title/tt0050083/

 Comment by Stamboolie[S] 32 ポイント

 ↑この作品は今まで見たことないな。視聴してみるよ。ありがとう。

  Comment by MewnSplash 46 ポイント

  ↑見るべき。すぐに見るべき。

  君はこの作品を見たことがないと言ってるけど、君が見たことのある色んな番組や映画でこの作品はパロディされてるからそのネタ元を見た方が良い!

   Comment by NimbleWalrus 1 ポイント

   ↑「ヘイ・アーノルド!」にはほとんど子供向けの「十二人の怒れる男」って感じのエピソードがあるよ。

 Comment by CJRBirdie 14 ポイント

 ↑これは大好きな作品!全体的によく脚本が練られているし、60年経っても輝きを放ってる。

 Comment by spots10784 3 ポイント

 ↑第八学年の公民の授業でこれ視聴しなくちゃいけなかったんだけどビックリするくらい良かった。



十二人の怒れる男




Comment by Munninnu 91 ポイント

「七人の侍」

 Comment by armtamz 11 ポイント

 ↑「羅生門」もかなり良かった。

 Comment by Seyr 6 ポイント

 ↑「生きる」も。

 Comment by rsyay 3 ポイント

 ↑視聴したいとは思ってるんだけど楽しめるかな?

  Comment by Munninnu 6 ポイント

  ↑君の趣味にもよるだろうけど多分楽しめると思うよ。

  黒澤の遅い展開が好きじゃない人の間でもこの作品は高く評価されてるからね。

  個人的には英語字幕のついた日本語版で視聴するのが良いと思う。



Comment by cjeffcoatjr 15 ポイント

「イレイザーヘッド」



イレイザーヘッド


Comment by FrankstonGirls 11 ポイント

「メトロポリス」

この作品のテーマが現代でも当てはめることが出来るってのが凄い。

オープニングシーンでの労働者の一糸乱れぬ行進の様子が第二次世界大戦の時の強制収容所とほとんど一致するってのも指摘するまでもない。この作品が製作されたのは第二次世界大戦より20年も前の話なのに。

 Comment by kllr 1 ポイント

 ↑一番興味深いのはその監督がユダヤ人だったのにもかかわらずヒトラーのお気に入りの映画のうちの一本だったって事。




メトロポリス (1927年の映画)


Comment by Mutant80 5 ポイント

恐怖の報酬(1953)




恐怖の報酬(1953)


Comment by ValorousVagabond 18 ポイント

「第七の封印」



第七の封印 (1956)

Comment by alanfinger 19 ポイント

「第三の男」





第三の男

Comment by inksmudgedhands 64 ポイント

「毒薬と老嬢」
「お熱いのがお好き」

 Comment by nakedjay 4 ポイント

 ↑「毒薬と老嬢」が書き込まれているのを見れて良かった。ダークコメディの金字塔だよこの作品は。





毒薬と老嬢






お熱いのがお好き

Comment by sammerguySG 78 ポイント





Comment by binder673 55 ポイント

「三ばか大将」

 Comment by hmmgross 6 ポイント

 ↑他の書き込まれてる作品を評価しないってわけじゃないけど、これが高評価されてないのがちょっとモヤッとする。




三ばか大将


Comment by dom__d 45 ポイント

「サンセット大通り」







Comment by toysjoe 78 ポイント

「アラバマ物語」

 Comment by _coyotes_ 2 ポイント

 ↑僕もこの映画大好きだった。原作を読んで得る時に頭で思い描いていたのがほとんど映画と同じ。




アラバマ物語


Comment by Zediac 119 ポイント

大体1937年までのマルクス兄弟の映画。

「我輩はカモである」もしくは「けだもの組合」から始めると良い。

 Comment by Penguin_Out_Of_A_Zoo 6 ポイント

 ↑「オペラは踊る」は今後ずっと自分のお気に入りの作品。



マルクス兄弟





我輩はカモである





けだもの組合(1930)




オペラは踊る


Comment by ralphhosking 241 ポイント

「カサブランカ」

 Comment by Irememberedmypw 76 ポイント

 ↑この映画はありとあらゆる有名な陳腐ネタを使ってるぞ!

  Comment by kyarmentari 63 ポイント

  ↑この映画を最初に見た時思ったのがこれだった。

  うわー、この映画陳腐なネタばかりじゃないか・・・って。それからその陳腐なネタはこの映画が源になったんだってことに気が付いた。



カサブランカ (1942)

Comment by bubble_rap 159 ポイント



Comment by Quillon 43 ポイント

「吸血鬼ノスフェラトゥ」

 Comment by Daddy_Caine 16 ポイント

 ↑古いホラー映画なら「カリガリ博士」が頭一つ抜けてる。

 ドイツの古いサイレント映画。映画界でもどんでん返しの結末がある作品としては初期のものだと思う。



吸血鬼ノスフェラトゥ






カリガリ博士

Comment by bluemancanoeman 43 ポイント

「地球の静止する日」

当然だけどオリジナル版のことね。
http://www.imdb.com/title/tt0043456/?ref_=nv_sr_2




地球の静止する日

Comment by I-amOnly-joking 33 ポイント

「シンドラーのリスト」

 Comment by YouDontFuckWithKyle 1 ポイント

 ↑これ。何年もの間この作品の評判の良さを聞いて視聴したけどほんとに良かった。

 かなり悲しみで心にくるけど、それでも素晴らしい映画。

 Comment by [deleted] 1 ポイント

 ↑これ新入生のころ歴史の授業で初めて見た。

 どうもクラスにいた馬鹿の半数はカラー映画を作れるのにわざわざ白黒にしたのは馬鹿げてると考えたらしい。



シンドラーのリスト

Comment by OFFICIALDonaldJTrump 21 ポイント

「市民ケーン」


 Comment by -eDgAR- 3 ポイント

 ↑よね!この作品初めて見た時その撮影技術とこれが如何に現代の映画に影響を与えているかってことに気が付いて衝撃を受けた。

  Comment by Artiemes 3 ポイント

  ↑「市民ケーン」は映画の中の映画みたいな作品だからな。

  これくらい影響力のある作品を作ることは全映画製作者の夢だよ。





市民ケーン

Comment by BoxBopChallenge 24 ポイント

「何がジェーンに起ったか?」

これは怖い。心が真っ暗になるように怖い。





何がジェーンに起ったか? (1962)

Comment by jneu2012 21 ポイント

「ペーパー・ムーン」

 Comment by Katerwurst 4 ポイント

 ↑だね。「ペーパー・ムーン」以上に完璧な映画は僕じゃ思いつかない。

 Comment by windy496 1 ポイント

 ↑彼女(今は奥さん)と公開された時に映画館に見に行った。ああ、僕らは結構歳だよ。

 最初白黒だったからガッカリしたんだけど数分でそれがカラーじゃないってことを気にしなくなった。

 今ではテレビで放送されると毎回見てる。




ペーパー・ムーン


Comment by Namyag 10 ポイント

「イヴの総て」

 Comment by Electric_Nachos 3 ポイント

 ↑俺はこれで白黒映画にハマるようになった。ベティ・デイヴィスはすげえよ。



イヴの総て

Comment by starlight_midori 7 ポイント

「市民ケーン」と「二十四時間の情事」

 Comment by bazoid 2 ポイント

 ↑「二十四時間の情事」は多分自分の中でもお気に入りの中のお気に入りの映画。

 最初の20分だけでもかなりグッとくる。

 Comment by nakedcellist 2 ポイント

 ↑「二十四時間の情事」は大好き。

 アラン・レネと言えば「去年マリエンバートで」もお勧めする。




二十四時間の情事



去年マリエンバートで


Comment by RyanTesone 3 ポイント

「ゴジラ(1954年のオリジナル版)」

残念ながらオリジナル版は英語字幕でしか見られないけどこれを考えても面白い映画だって事には変わりない。


Comment by EnFlagranteDelicto 7 ポイント

白黒のサイレント映画。

「戦艦ポチョムキン」という1917年のエイゼンシュテイン映画。

みんなこれつまらなさそうと思うかもしれないけど実際これかなり食い入るように見ることになるよ。

映画史上でもトップクラスの映画。

 Comment by Stamboolie[S] 1 ポイント

 ↑これは聞いたことなかった。探してみるよ、ありがとう。




戦艦ポチョムキン


Comment by lokeruper 6 ポイント

「アメリカン・ヒストリーX」




アメリカン・ヒストリーX

Comment by murderousbudgie 7 ポイント

「アルジェの戦い」



Comment by Bonhomie3 7 ポイント

「赤ちゃん教育」は歴代でも有数のスクリューボール・コメディ






Comment by sjhock 7 ポイント

「駅馬車(1939)」はガチの傑作。




駅馬車 (1939年の映画)


Comment by fakint 413 ポイント

「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(1964)」
http://www.imdb.com/title/tt0057012/

それと「アラバマ物語(1962)」
http://www.imdb.com/title/tt0056592/

 Comment by OidaOukEidos 21 ポイント

 ↑「博士の異常な愛情」からキューブリックの作品に入るようになった。

 いやつまり何を言いたいかって核のアポカリプスについて狂気的に面白い映画を作れる人なら作れない作品なんてほとんどないだろうからさ。

 Comment by ecafsub 2 ポイント
 ↑
 

 Comment by kkostele 2 ポイント

 ↑「博士の異常な愛情」を書き込むだけのためにこのスレ開いた。




博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

Comment by FearOfAllSums 157 ポイント

「サイコ(1960)」

 Comment by Stamboolie[S] 12 ポイント

 ↑疑問の余地なく、ヒッチコック作品は全部。

  Comment by WaGgoggles 9 ポイント

  ↑僕は「見知らぬ乗客」のファン。

   Comment by TivosFrank 2 ポイント

   ↑「バルカン超特急」は面白い。

  Comment by ImOnlyBleeding 1 ポイント

  ↑>>「ヒッチコック作品は全部。」

  俺はそうは言えないな。確かに一級の作品をかなり製作してるけど駄作もいくつか作ってる。

  Comment by yupyepyupyep 1 ポイント

  ↑「汚名」は傑作。

  Comment by FlyWildlyInCircles 1 ポイント

  ↑「ダイヤルMを廻せ!」も良い作品だよ。





サイコ (1960)






見知らぬ乗客





バルカン超特急





汚名





Comment by PM_ME_UR_KIDNEYS 113 ポイント

「素晴らしき哉、人生!(1946)」

 Comment by TiffanyCassels 2 ポイント

 ↑クリスマスの時期に恋人とこの作品を見たんだけど、ガン泣きする心の準備が出来てなかった。

 いや、ほんと良い作品だよこれ。

  Comment by PM_ME_UR_KIDNEYS 5 ポイント

  ↑この25年間クリスマスにはこの作品見るけど毎回泣いてしまう。

 Comment by HalfLife1MasterRace 13 ポイント

 ↑基本的にジェームズ・ステュアートが出てる作品はどれも粒揃い。





素晴らしき哉、人生!


Comment by The_Evil_Inside_You 24 ポイント

「マルタの鷹」
「アウター・リミッツ」




マルタの鷹 (1941年の映画)

アウター・リミッツ (1963年)

Comment by CharlyOwl 22 ポイント

「欲望という名の電車」

 Comment by anhayes 3 ポイント

 ↑最近これ視聴したばかりだけどどのシーンも好きになった。

 作品全体の雰囲気とか演技が実に良い。





欲望という名の電車

Comment by rsohne 15 ポイント

僕と奥さんは「或る夜の出来事」が大好き。

これはクラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールが出演してるロマンスコメディ。1934年の映画。




或る夜の出来事 (1934)


Comment by BreakingBased 16 ポイント

「ラ・ジュテ」




ラ・ジュテ


Comment by edmanet 305 ポイント

「ヤング・フランケンシュタイン」

 Comment by PineappleSlices 3 ポイント

 ↑そりゃチートしてる。その作品はあえて白黒を選んだのであって、映画に色が付くより前の作品だったからじゃないだろ。




Comment by brazthemad 149 ポイント

「七人の侍」
「乱」
「羅生門」
「用心棒」
「椿三十郎」

・・・要は黒澤作品は大体どれも。

 Comment by FUCKBOY_JIHAD 17 ポイント

 ↑それに追加でこれも

 「野良犬」
 「醉いどれ天使」
 「蜘蛛巣城」
 「隠し砦の三悪人(これがスターウォーズのインスピレーションになった)」
 「生きる」
 「天国と地獄」

 Comment by RoninRobot 16 ポイント

 ↑まあ「乱」はカラーだけど素晴らしい映画であるって事には変わりないからな。


Comment by FortyYearOldGoosey 589 ポイント

「トワイライト・ゾーン」

 Comment by bsuorangecrush1150 46 ポイント

 ↑これNetflixで視聴し始めたばかりだけど脚本がよく練られてるわ。

  Comment by ggthelegend 48 ポイント

  ↑それ視聴し終わったら「アルフレッド・ヒッチコック・プレゼンツ」も似たようなスタイルでよく話が作られてるから見てみると良い。

   Comment by SirRogers 2 ポイント

   ↑でもNetflix(アメリカ合衆国)じゃ七シーズンのうちたった一シーズンしか置いてないから他の手段で入手しないといけないんだよなぁ。

 Comment by somethingtooclever 36 ポイント

 ↑ウィリアム・シャトナーの飛行機回がその作品のなかで一番好き。

 Comment by Chillout010 19 ポイント

 ↑この作品好き。今の規準だと視聴に耐えないようなエピソードもいくつかあるけど半分くらいは問題ないし衝撃を受ける。

 


Comment by LurkingFool 65 ポイント

チャーリー・チャップリンの「独裁者」

 Comment by TenochX 17 ポイント

 ↑「モダン・タイムス」や「街の灯」もかなりの傑作。




モダン・タイムス




Comment by VictorBlimpmuscle 76 ポイント

ビリー・ワイルダーという最高峰の映画監督(であり象徴的な映画の製作者)の作品をチェックするべき。

「深夜の告白(1944)」
http://www.imdb.com/title/tt0036775/

「失われた週末(1945)」
http://www.imdb.com/title/tt0037884/

「サンセット大通り(1950)」
http://www.imdb.com/title/tt0043014/

「地獄の英雄(1951)」
http://www.imdb.com/title/tt0043338/

「第十七捕虜収容所(1953)」
http://www.imdb.com/title/tt0046359/

「情婦(1957)」
http://www.imdb.com/title/tt0051201/

「お熱いのがお好き(1959)」
http://www.imdb.com/title/tt0053291/

「アパートの鍵貸します(1960)」
http://www.imdb.com/title/tt0053604/

 Comment by TornadoApe 23 ポイント

 ↑「サンセット大通り」は傑作。受けられる栄誉を全て受けるに値する。

 Comment by Namesarenotmyforte 22 ポイント

 ↑「お熱いのがお好き」は相当良い!

 この白黒映画は他の人が白黒映画を視聴する切っ掛けとしては完璧だと思う。

 それにマリリン・モンローも。

 Comment by brian1987 5 ポイント

 ↑「アパートの鍵貸します」が個人的に大好きな作品。ジャック・レモンは素晴らしい俳優だったわ。





Comment by Chilled_Beverage 35 ポイント

「リバティ・バランスを射った男」
「ヤング・フランケンシュタイン」
「黒い罠」

 Comment by mister_atoms 2 ポイント

 ↑「黒い罠」はガチで名作。オーソン・ウェルズがだらしないデブを容易く演じてるのが大好き。




黒い罠





リバティ・バランスを射った男

Comment by Seeyouyeah 14 ポイント

「憎しみ」

掛け値なしに傑作。

 Comment by JimmlyWibblie 2 ポイント

 ↑この書き込みがこんな下の方にあるってことが信じられない!



憎しみ


Comment by Philofelinist 29 ポイント

「麗しのサブリナ」と「ローマの休日」

 Comment by cheeseburgerwaffles 8 ポイント

 ↑「ローマの休日」は間違いない。自分が古い映画をここまで好きになるとは自分でも思ってなかった。

 Comment by woodpony 4 ポイント

 ↑「おしゃれ泥棒」もその二作と結構似てるよ。

 Comment by alexdinhogaucho 2 ポイント

 ↑「昼下りの情事」もね。




麗しのサブリナ





昼下りの情事


Comment by diegojones4 35 ポイント

「影なき男」!

 Comment by foodandporn 13 ポイント

 ↑これが書き込まれて居なかったら書き込むつもりでこのサイトにログインした。

 今でも現在視聴できるシリーズを全部視聴してる。

 ウィリアム・パウエルとマーナ・ロイが共演してる作品は大体素晴らしい(他にあと五作品でこの二人は共演してる。)




影なき男 (1934年の映画)

Comment by Cyrustheaugur 34 ポイント

「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」



ナイト・オブ・ザ・リビングデッド

Comment by Frenchpasta 87 ポイント

「アダムス・ファミリー」とか?

 Comment by TheAdamantArchvile 22 ポイント

 ↑豆知識:アダムスの家は実際は鮮烈なピンク色をしていた。

 こんな色にしたのは鮮やかな色だと白黒作品のなかでは皮肉的なことにより死者っぽくなるから。





アダムス・ファミリー

Comment by VeryStrangeQuark 22 ポイント

「ヒズ・ガール・フライデー」







Comment by Dinosaur_Wrangler 14 ポイント

「我等の生涯の最良の年」は1946年の映画としては驚くほど良い。
http://www.imdb.com/title/tt0036868/

古い作品だけどそのテーマについてしっかりと描いてる。映画の内容は第二次世界大戦から戻った三人の男性が社会に再び溶け込むために努力するってもの。

「軍隊板」のPTSDに対処するスレでこの映画のことを知った。






Comment by PM_ME_LEGAL_PAPERS 12 ポイント

「風の遺産」

これはスコープス・モンキー裁判をドラマにしたもので凄く良い。かなり考えさせられる。

 Comment by irritabletom 1 ポイント

 ↑これが書き込まれてないか探してた。自分の中ではお気に入りのクラシック映画の一本。




Comment by milakoplusdrencrum 11 ポイント

「狩人の夜」

ロバート・ミッチャム映画ではトップクラスに気に入ってる。

 Comment by APeacefulWarrior 1 ポイント

 ↑ロバート・ミッチャムと言えば「過去を逃れて」も忘れるべきじゃない。

 一部のコアなファン以外からは忘れられてる最高のノワール映画だよこれ。

 カーク・ダグラスがニコニコと微笑むサイコパスという滅多にやらないような秀逸な悪役を演じているって言うのは触れるまでもない。

 (真面目に言うけど「過去を逃れて」や「地獄の英雄」を続けざまに見てからカーク・ダグラスがヒーロー的な役割を中心にしてるってのはかなり残念に思う。彼がそうしようとした時の悪役ぶりはハマりまくってるから)

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牡丹切りて気の衰えし夕べかな

蕪村の次の句は、私は昔から、「上手く、ある何かを言い当てているなあ」と思っているのだが、それが何か、考えてみる。


   牡丹切りて気の衰えし夕べかな



ここで「気が衰えて」いるのは何か。牡丹か、作者自身か。
私自身は、これを読んだ最初から「作者の気が衰えたのだ」としか解釈しなかったのだが、もしかしたら、間違いかもしれない。牡丹を切って花活けにでも入れれば、夕方にはその生気が衰えているだろうから、気が衰えたのは牡丹だ、という解釈も無理ではないだろう。だが、そうすると、この句の生命(意義)そのものが無くなる気がする。
牡丹を切った。その夕方に、何となく自分の気が衰えたような気がした、という解釈でいいのではないか。なぜ気が衰えるのか。そもそも牡丹を切ったのはなぜか。まあ、後者については、生け花のため、でいいと思うが、あるいは枯れた牡丹の花を切り捨てたのかもしれない。その枯れた牡丹に自分自身の姿を見て、気が衰えたように思った、という解釈はどうか。生命の盛りの牡丹の花を切ったのと、枯れた牡丹の花を切るのとでは、句の意味合いに大きな違いが出るような気がする。
ところで、「気」とは何か。生命力だ、というのが私の解釈だが、これは「生命感」と言ってもいい。自分が今まさに生きている、という実感だ。もともと夕方という時間は、その生命感が世界から失われる時間ではないか。すべてが薄闇の中に埋没していく時間である。灯火をともしても、それは偽りの光だ。生命感はやはり太陽の光から生まれるのである。
「牡丹切りて」という字余りの「て」の字が、だらりとした感じ、生命の退潮を感じさせる。

  牡丹切り、気の衰えし夕べかな

だともう少し生命感が生まれ、逆にこの句の意義は無くなるのではないか。これは生命の退潮を主意とした句だろうから。

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本を読むことと本を理解すること

「日々平安録」から転載。
私も「罪と罰」は一度しか読んでいないし、それも高校時代か浪人時代のことだから、今読めばもっと深い理解ができるかもしれない。完全に暇になったら(と言うより、自由になったら、つまり経済的問題から完全に解放され、働く必要が無くなったら)、昔読んで感銘を受けた本や観た映画などをもう一度読み直し、観直したい、というのが私の願いだ。
どんな作品でも、それを理解できる年齢というものがあるので、「日々平安録」筆者のように、中学生で「罪と罰」を読んでもそれが理解できるはずはない。面白さは分かっても完全な理解はとうてい無理だろう。私が高校一年の時に習った先生は詩人で、文学に造詣の深い人だったが、「ドストエフスキーが理解できたら死んでもいい」と言っていたくらいだ。
本を読んで大筋が分かることと理解できることはまったく別なのである。まあ、それでもまったく読まないよりはマシだが。
たとえば、私は小学生の時にメルヴィルの「白鯨」(これも下記記事にあるモームの選んだ「世界の十大小説」のひとつだ。)の分厚い本を読んで、書かれている言葉の10分の1くらいしか理解できなかったが、それでも「面白い」と思ったのである。言葉にはならなかったが、イメージを作ることは十分にできたのだ。イシュマエル、クィークェグ、エイハブ、スタッブ、フラスク、スターバック、おそらくその時に映画の「白鯨」を見たら、「こんなのは『白鯨』ではない」と文句を言っただろう。特に、グレゴリー・ペック(好きな俳優ではあるが)のエイハブ船長など最悪である。なぜ、スペンサー・トレイシーあたりにしなかったのか。有名俳優でなくても、エイハブの風貌を持つ俳優は探せたはずだ。(イシュマエル役の俳優だけは良かった。ええと、リチャード・ベイスハートか。あの名作「道」でも好演した俳優だ。ジェルソミナたちが旅の途中で出会う綱渡り芸人の役の人。)
興奮して話が脱線した。
要するに、「書かれた言葉の10分の1しか理解できなくても、本のエッセンスを読み取ることは十分に可能だ」ということを言いたいのである。だから、幼いころ、若いころの読書は大事だ。だが、それが「本物の理解」ではないことを十分に知る必要もある。
だから、優れた本は何度でも読むべきなのである。(映画も同様だ。)幼いころ、若いころ、とは違った理解が年を取れば得られるだろう。それが年を取ることのほとんど唯一の利点である。


(以下引用)

2015-12-11

[]今日入手した本 岸本佐知子ら 「『罪と罰』を読まない」Add Star

 


 実は、今日入手してもう読み終わってしまったのだが、何とも奇妙な本で、岸本佐知子氏、三浦しをん氏ら、小説を書いていたり、文学に関する仕事をしていたりする人たち4人が、実は「罪と罰」を読んでいないといって、しかし有名な作品であるので、何らか噂をきいたことがあって、青年がおばあさんを殺す話というくらいは知っていて、それでそれぞれが断片的な知識を持ち寄って話し合いながら、「罪と罰」がどんな小説であるか推理していくというものである。結局、この4人ともにその推理会議の後にはじめて「罪と罰」を読み、「げっ、違っていた! 凄い作だ! 脱帽した!」といって終わるというものである。


 まあ面白いのは三浦氏のような小説の実作者が、この長さの小説なら、この辺りで一度山場をもってこないともたないといった「書く人間」でないと持たない感想を述べているあたりなのだが、驚くのが、みなドストエフスキーの思想傾向といったものについてもあまり知らないように思える点で、ドストエフスキーが分類すれば「保守反動」のほうに属するといった方向についても知識がないようなのである。それでラスコリニコフ(本書ではラスコさん)が老婆を殺す理由についても「革命の大義」のためというような想像を展開している。


 それでわたくしはといえば、たぶん中学三年くらいで読んだのではあるが、もうきれいさっぱり何も覚えていない。ラスコさんが殺したのが一人ではなく、二人だったというのも、本書を読んでそうだったのかなという程度なのだから酷い話である。それでわたくしはラスコさんが人を殺すのは「超人」思想のような観念によってであったように思っているのだが、これもまた違っているかもしれない。


 中三くらいで「罪と罰」は読んだのだが、その後、「罪と罰」について、あるいはドストエフスキーについていろいろなひとが様々に書いているものをかなりたくさん読んできたため、それからの影響のほうがずっと強く残っていて、自分が読んで印象などどこかにいってしまっている。


 たとえば、モームの「世界の十大小説」ではドストエフスキーは作品は「カラマゾフの兄弟」が取りあげられているのだが、その前に40ページほどのドストエフスキーについてのモームの評が収められている。その程度の知識があるだけでも、本書でいわれていることのかなりはでてこないのではないかと思うのだが、もう「世界の十大小説」などはあまり読まれなくなっているのだろうか?


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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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