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自然の中で迷子になった人間

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
私は、「ギャラリー酔いどれ」に、見慣れたタッチだが初見の絵が出ていると、誰の作品か、名前を見る前に推理する、ということをよくやるのだが、この絵の風景の不穏な感じが、「酔いどれ」ブログにしばしば出てくるアーロン・ウィーセンフェルドとか何とかいう画家の感じだなあ、と思っていたら、大間違いで、有名画家のシスレーであった。まあ、シスレーの絵を熟視したことは無いので、こんな画風だったか、と初めて知った。

なぜ、この風景画が不安感を与えるのか、と言えば、風景の中に描かれた人間の姿が、「異物感」があるせいではないだろうか。何のために、この人物がそこにいるのか、という感じだ。自然を楽しむとか、自然と一体化している、という感じではない。ただ、そこに放り出されているだけ、偶然そこにいるだけ、という感じ。さらに言えば、その途方に暮れたようなポーズのせいか、迷子になったような感じ。もちろん、風景画の中の点描人物は本来、偶然的にそこにいるだけではあるのだが、シスレーのこの絵では人物が単独である(よく見るとその人物の後方に二人いるようだが、人間に見えない。)から、その「異物性」が目につくのではないか。
木の枝が四方八方に気ままに手を伸ばしているのも、「人間は自然の中心ではない」と主張しているかのようだし、空の雲の流れも同様だ。
つまり、人間存在の本来的な孤独、というものが、この絵には感じられるような気がする。



 画は Alfred Sisley アルフレッド・シスレー

 1839~1899 / イギリス(フランスで活動) / 印象派     作


  「春の小さな草地―ビィ」です。



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わざと意味不明にするのもひとつの創作コンセプト

甲斐谷氏の理論だと「ねじ式」などのつげ義春の作品など、どうなるのかね。あれの「意味」を論理的に説明してみろ、と言いたい。そもそも「ねじ式」という題名と漫画内容との関係は何だよ。吉田戦車のギャグ漫画も、意味を考えて笑うというものではないだろう。
意味とは、個人の心の中で作られるものであり、対象物が意味を持っているわけではない。ある対象を見て、それにどのような意味づけをするかは個々人の内面の問題だ。前にも書いたが、私の友人は満開の桜を見ても「白いだけ」としか思わないそうである。世間の多くの人は「素敵、美しい」と思うのだろうが、どちらの感じ方も間違いというわけではない。物事の感じ方が千差万別だからこそ豊穣な創作物がこの世にはあるのである。創作物の意味など、会社のお偉方やスポンサーに説明する時にこじつければいい。
ただし、甲斐谷氏が構成を重視する意図は分かる。構成意識が無いというのが、多くの素人創作家の欠点だろうから。
要するに、「構成が適切だから、大きな効果がある」と言うべきであって、「意味不明だが面白い」というのもまた構成が適切だからだろう。意味不明だから構成が悪いとは限らないわけだ。






  1. この理論が正しいとすると楳図先生やジョージ秋山先生の作品のほとんどは駄作になるな!
  2. 2件のリツイート
  3.  
  1. 意味とかよりも「なんかよく分かんなかったけどスゲーよ!ありがとな!」的な感動を大事にしたい。
  2. 3件のリツイート 6 いいね
  3.  
  1. うるせーよタコ!
  2. 1件のリツイート 1 いいね
  3.  
  1. もしあなたが自分の漫画を人に読んでもらって「よく意味が分かんなかった」という感想をもらったら、あなたの構成力はほぼ0点です。「まずは意味を理解してもらう」は構成において最低限守らなければいけないハードルです。「わかんない」は「面白くない」より深刻にダメです。


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「帰郷」

「外国を歩いている間にもよく考えたことだった。日本の女ぐらい不幸に強い女はない。弱いようでいて強いのだ。日本の男が強がっていて実は一様に意気地なかったのとは逆なのだね。不思議に思われるくらいさ。今、往来で見かけるピカピカした新しい女たちのことは俺は知らぬ。おっ母さんのような古い女の時代には、男の方から頼り得た。弱いと見えていて頼り得た。世界のどこへ出しても一番立派だったのじゃないかな」(大佛次郎「帰郷」より)




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アニメは現代日本の文化の極点

ある映画紹介サイトのレビューコーナーから転載。なお、作品満足度では圧倒的1位である。
この作品のレビューだけで300件近くあるので、他のレビューにはまだほとんど目を通していない。このレビューは、この作品の紹介として、非常に適切だと思う。最近の邦画の一般的な欠点についての指摘は、まさに私と同じ認識で、邦画不振とアニメのヒット作連発の原因はそのあたりにもあると思う。ただし、一番の原因は、映画会社のお偉方が阿呆であること、細かく言えば企画の無能(ジャニタレやAKBなど雑魚俳優優先の企画)、脚本の貧困(脚本にカネをかけないこと)にあると私は思っている。


(以下引用)

この世界の片隅に

劇場公開日 2016年11月12日
全297件中、4件目を表示
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昭和日本女性を蘇らせる奇跡

この映画はある昭和女性の人生の一部をそのまま切り取り現代に再現することに成功した稀有な作品です。

映画・アニメとして優れているだけでなく文化的な価値、日本人として記録すべき情報を残すことが出来た日本人の文化的な財産であると思います。

・人生をそのまま再生出来たことの凄まじさ

邦画では特に顕著ですが、役者の過剰な芝居やテンプレート化した演出により本来表現した人物像が偽物のように見えてそこに「人生」を感じることは出来ません。しかしこの映画はとにかく徹底的に細部に情報と人々の感情を丁寧に積み上げた結果、創作物を超えて「昭和の女性の人生の一部」を切り取って再現することに成功しています。例えば着衣や料理一つとっても通常では有り得ないレベルの細部や作り方が描かれており、人物や風景の作画描き込みも半端ではありません。また、のんさんの演技に代表される役者さんたちの「普通に昭和に生きていた人々」としての演技が素晴らしく、邦画特有の過剰な演技や演出が抑えられています。その結果本来映画が描くべき、物語の登場人物の「人生」を実体験として感じられます。そういった意味で本作はアニメ映画だけでなくテンプレート化した邦画全てをおきざりにして「本来あるべき戦争映画・時代映画」のフラグシップ的な作品となったと思います。「作品に魂がやどる」とはまさにこのように綿密な努力による徹底的な作り込みにより達成される境地なのだと実感しました。

・のんさんの演技の素晴らしさ

正直私は事務所のゴタゴタが始まってからの能年さんの印象はあまり良くはありませんでしたが、そういったことは一切抜きにしてのんさんの女優・声優としての演技は素晴らしいものがあります。先程も述べましたが日本人の俳優はおしなべて過剰な演技やテンプレート化した演技が多く、金太郎飴のような演技が多く見られます。しかしのんさんは最初から主人公の「すず」そのものとなって登場しました。一言目から「昭和に居たすずという可愛らしい女性が喋っている」ことのハマり方が尋常ではないのです。これはキャスティングもそうですがのんさん自身が他の俳優、声優さんでは真似出来ないような「本当にその人物になり切る」能力がずば抜けているのだと思います。過剰な演技ではなく自然体として感じられる「すず」そのものがいきなり完成されているのです。私は声優さんも好きなので正直、俳優さんが声優をやることに肯定的では無いですがのんさんのずば抜けた「その人そのものになる」演技を見ると声優、俳優というい垣根を超えて演者としての圧倒的なのんさんの演技力を感じてしまうのです。

・コトリンゴさんの音楽の素晴らしさ

私は以前からコトリンゴさんの楽曲を聴いたことがあり好きでしたが、ここまでの劇伴と相性が良いことは知りませんでした。元々超絶技巧のピアノを弾きながら余裕な感じで歌う圧倒的才能というイメージでしたが、今回は超絶技巧というよりはあくまで劇伴に徹しており、素直に聴いていて涙が出るような素晴らしい楽曲が随所に登場します。また録音状態も非常によくユーロスペースの音響も良かったのかピアノ鍵盤の響く音が非常に心地よかったのが印象的でした。

・オープニングで既に泣ける

この映画はとにかくどこを切り取っても「すず」という女性の人生を丸ごと持ってきていて素晴らしいのですが、やはり一番印象に残るのはオープニングです。まずのんさんの恐ろしいまでの自然体の「すず」としての発声の素晴らしさ心地よさ、可愛らしさに打ちのめされ、圧倒的な描き込みの作画に打ちのめされたころにコトリンゴさんのオープニング曲が流れ始め、正直この時点で映画館ではすすり泣きが聴こえてくるほど圧倒的な「情緒」が表現されています。このオープニングだけでも1800円払って満足というレベルです。

以上、べた褒めしましたが最初にも述べた通りこの映画は日本人の文化的な財産であると思います。このように昭和に生きる日本女性を描ききった作家のこうのさん及びアニメスタッフ、キャスト、コトリンゴさんには尊敬しかありません。本当に素晴らしい。

loveone
さん / 2016年12月3日 / PCから投稿
  • 評価: 5.0 50
  • 印象:  泣ける 興奮 幸せ
  • 鑑賞方法:映画館

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What will I do?

Huluで「華麗なるギャッツビー」(昔の訳どおり「偉大なるギャッツビー」と訳するべきだろう。)の映画を途中まで見たのだが、その主題曲として使われた、たぶん古いジャズかポップスの曲だと思われる曲が実に良かったので、それらしいと思われるものをネットで拾ってみた。
たぶん「What will I do」という曲だと思う。作曲はアービング・バーリンらしいから、いい曲なのも当然だ。フランク・シナトラなどが歌っているようだが、アービング・バーリンならば、もっと古くからのスタンダードナンバーだろう。
ちょっと訳してみる。



Gone is the romance that was so divine. 過ぎ去ったロマンス、それは神聖なもの
’tis broken and cannot be mended.   壊れたロマンスは、元には戻らない 
You must go your way,        あなたはあなたの道を行く 
And I must go mine.          そして僕は僕の道を
But now that our love dreams have ended... だが、恋の夢は今はもう終わり

What’ll I do              どうしたらいいのだろう
When you are far away        あなたは遠くにいて
And I am blue             僕はブルーな気持ち
What’ll I do?              どうしたらいいのだろう

What’ll I do?             どうしたらいいのだろう
When I am wond’ring who      あなたが今
Is kissing you            ほかの誰かにキスしているのなら
What’ll I do?             僕はどうしたらいいのだろう

What’ll I do with just a photograph  どうしたらいいのだろう
To tell my troubles to?        写真だけが僕の悩みを訴えるすべてだなんて

When I’m alone          僕はたった一人で
With only dreams of you      あなたを夢見ているだけなんて
That won’t come true        そんなのは嘘であってほしい
What’ll I do?            僕はどうしたらいいのだろう

<instrumental-one verse>

What’ll I do with just a photograph  どうしたらいいのだろう
To tell my troubles to?        写真だけが僕の悩みを訴えるすべてだなんて

When I’m alone          僕はたった一人で
With only dreams of you      あなたを夢見ているだけなんて
That won’t come true       そんなことがあるはずない
What’ll I do?           僕はどうしたらいいのだろう



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愛とは何でしょう

小田嶋隆のブログの過去記事を転載。
ボブ・ディランよりも、私にはビートルズの歌詞やサイモンとガーファンクルの歌詞のほうが親しいのだが、ポップスの歌詞がノーベル賞の対象となったのは、社会の進歩と見做せそうだ。もちろん、ノーベル賞がユダ金賞であることはさておいての話。

ぼくはその人に心を捧げた
なのに彼女はぼくの魂を欲しがった


は、いい詞である。
愛に貪欲なのは女性の側であり、男の心だけでなく魂まで要求する、というのは何となく分かるような気がする。(つまり、完全服従の要求。奴隷化の要求www)男は心や魂より相手の体だけ得られれば満足するから無欲なものだwww もっとも、それは愛とか恋とはまったく別のものであるのは言うまでもない。

愛は漱石の「猫」の末尾で言及された「大和魂」に似ている。誰もがそれを口にするが、誰も見た者はいないwww

「愛とは何でしょう」は古いジャズソングの一つのタイトル。


(以下引用)

2005/11/05

歌詞


 先日、コメント欄のやりとりの中で、Lou Reedという人の歌詞を引用した。で、つい懐かしくなって、しばらくぶりにブックマークしてあった歌詞サイトを巡回して、びっくり。なんと、優良歌詞サイトの多くが、いつのまにやら、消えているではないか。
 インターネットがもたらした福音のひとつに、古いロックミュージックの歌詞が、いつでも閲覧可能になったということがある。Lou Reedみたいなマイナーなミュージシャンの曲も、だ。google検索の「Web全体」で「"Lou reed" "I'm waiting for the man" "lyric"」を検索すると、436件のページがヒットする。全部が全部歌詞掲載サイトではないが、たどって行けば色々と面白いページにぶつかる。
 訳詞についても、ちょっとしたアーティストに関しては、マニアが自分なりの翻訳を発表していたりして、その中には、非常に高レベルな仕事も含まれている。
 私の知っている例では、ポールサイモンについて、それはそれは素晴らしいウェブサイトがあった(←過去形)。
 7~8年前にweb上でそのサイト("Think too much"。管理人はプロの翻訳家で、「庭師チェシャ猫」という名前でサイトを運営しておられた)を発見した時、私は狂喜したものだ。レコードのライナーノーツに載っている訳詞で、なんとなく納得できずにいた部分や、「誤訳じゃないのか?」と疑っていた(とはいえ、正確な訳を自力で見つける力は無かった)歌についての20年来の疑問が、このサイト載せられていた訳詞のおかげで、いくつも氷解した。
 そのThink too muchが、無くなっている。
 移転を疑って、サイト名、管理人のハンドル名、記憶している訳詞のフレーズなどをキーにさんざん探したが、どうしてもみつからない。おそらく、データを削除して、サイトを畳んだのだと思う。残念。


 海外のウェブサイトでは、様々な歌詞が自由にやりとりされている。
 それどころか、bobdylan.comや、loureed.comといったアーティスト本人の公式サイトに、全作品の歌詞が掲載されているケースも珍しくない。
 なのに、この国(←と、他人行儀な言い方をしたくなる)では、なぜかインターネット空間での歌詞共有文化が、絶滅に追い込まれようとしている。


 詳しくは、ここを見てほしい。
http://sevenz.com/iHateJasrac.html

 
 このページも素晴らしい歌詞紹介サイトだったのだが、リンクしたページに書いてある通り、ある日JASRACからのクレームが来て、掲載済みの歌詞を削除せざるを得なくなっている。
 結局、JASRACは、アーティスト本人が自分の公式サイトで無料公開している歌詞を、なぜか、日本のサイトでは「掲載してはいけない」と言っているわけだ。何なんだあんたたちは? 何の権利があってそういうことを言うんだ?
 自分の好きなミュージシャンの大好きな歌について、みんなに知ってほしくて、内容を紹介しているページのどこが著作権を侵害しているというのだろう。
 どうかしていると思う。
 
 というわけで、問題提起と言ってはナンだが、Don't think twice,It's all rightの訳詞を掲載してみることにする。JASRACがどう言ってくるのか、ちょっと楽しみですね。
 原詞については、公式サイトへのリンクを貼る。まさか、シャイロックじゃなかったジャスラックもリンクに著作権があるとは言わないだろうから。


Don't think twice,it's all right


    くよくよするなよ
                       by Bob Dylan


座り込んで考えても仕方がないよ、ベイビー
そんなことをしてもどうにもならない
なぜなのか答えを探してもムダだよ、ベイビー
いまだにわかっていないようじゃね
夜明けにニワトリが鳴く時
窓の外を見てごらん
ぼくはもういなくなっている
ぼくが出発する理由は君
もうこれ以上考えない
これでいいんだ


明かりをつけても役に立たないよ、ベイビー
ぼくにはとどかないから
明かりをつけてもどうにもならないよ、ベイビー
ぼくは道の暗い側にいるんだから
ぼくの決心を変えさせて、引き止めるために、きみが何かを言ったりしたりすることを、ぼくはいまだに心のどこかで期待している
でも、ぼくたちはあんまり多く語りあうこともなかった いずれにしても
だから、もうこれ以上考えないことにしよう これでいいんだ


ぼくの名前を叫んでも無駄だよ
いままでしたこともないのに
ねえ、ぼくの名前を叫んでもどうにもならないよ
もうぼくには聞こえないから
ぼくは、考えながら、いぶかりながら、道を歩き、進んでいる
かつて一人の女性を愛した
彼女はぼくを子供と呼んだ
ぼくはその人に心を捧げた
なのに彼女はぼくの魂を欲しがった
くよくよし考えてもしかたがない
これでいいんだ


長いひとりぼっちの道を、ぼくはあるいている
どこに行くのかを 教えることはできない
さようならは、キミには上等すぎる
だからたったひとこと、さらばと言おう
君が不親切だったと言うつもりはない
もっと良くできたはずだけれど、別に気にしてはいない
きみはぼくの大切な時間を浪費しただけだった
もう二度と思い出さない
これでいいんだ



 許諾は、ボブ・ディラン氏本人から取ってある。なあに、オレとボビーの仲だ。何も心配することはない。
 証拠と言うわけでもないが、ボビーとのやりとりを以下に掲載しておく。
「先生、お久しゅうございます」
「おお、タカーシか。変わりはないか?」
「おかげさまで。先生もご壮健で何よりです」
「その”先生”というのをやめろよ。同じ詩人同士、立場は対等なんだから」
「……とんでもない。私が詩人だなんて」
「一度でも詩を書いたことのある人間は詩人だよ。いいかね、タカーシ。詩人は国家資格じゃない。自称だ。誰が決めるものでもない。ある日詩人たることを決意した人間は、その日から詩人なのだ」
「……でも、私のゴミみたいな詩は……」
「詩に優劣はないよ。すべての詩は宝石だ」
「ありがとうございます。でしたら、詩人同士ということで……ディランさん」
「ボビーと呼んでくれ」
「では、ボビー。さっそくお願いがあるのですが」
「OKだ」
「要件を聞かずに承諾するのですか?」
「詩人は詩人の申し出を断らない。それがどんな内容であっても、だ」
「実は、ボビー、あなたの歌詞を引用させて欲しいのです」
「引用? 変なことを言うじゃないか。詩は詩人の口から外に出た瞬間に万人の共有財産になる。違うか? それとも、私の詩が人類の財産ではないと?」
「ああ、ボビー。わかっているんです。あなたの詩は、私の血肉です。でも、ジャスラックが」
「ん? シャイロックがどうかしたのか?」
「いえ、ジャスラックです。日本音楽著作権協会、あなたの作品の日本における著作権を管理している財団社団法人です」
「私は、自分の作品を他人にまかせたおぼえはないぞ」
「でも、ジャスラックは、あなたの歌の引用を許諾しないと言うのです」
「タカーシよ、イエスキリストがペテロに託したものが何だったか知っているか?」
「信仰の権威でしょうか?」
「違う。誰もイエスキリストの代理はできないということを、イエスはペテロに伝えたのだ。だから、みだりに主の名をかたる者はニセ者だということのみが、ペテロの立場のすべてなのだ」
「では、ボビーの言葉を私のブログに書いてもいいのですね?」
「私の言葉はキミの言葉だ。聖書も同じだ。主のみことばは、生きとし生けるすべての子らの心のうちにある。聖書に著作権があるか? そのジャスラックという偽預言者は、人々の日々の祈りにも著作権使用料を要求しているのか? タカーシよ。私の歌を歌う者は私の権利を害する者ではない。私の歌を歌う者は、私の兄弟だ」
「ありがとうボビー」
「礼なら詩の神に言ってくれ。私もきみも、詩神のしもべにすぎない」



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名作は別の名作の水源となる

ネット文化が出てきて、「天上界の住人」だったクリエイターの方々の、こういう楽屋話とか創作秘話がよく聞けるようになったのは嬉しい。
「潮見朝子」は「汐見朝子」じゃなかったかな。漫画はほとんど読んでいないが、名前だけは何となく記憶にある。
銭形警部(最初の思いつきでは多分「銭形刑事」?)が、作者本人が言っている「トムとジェリー」の「トム」である、より、弓月光氏の言う「コヨーテ」のほうがしっくりくるのが面白い。作者の無意識の中にあったのも「コヨーテ」の方ではないか。
「銭形平次」が「銭形刑事」になり、「銭型警部」になり、「トムとジェリー」の追っかけごっこが「ルパン三世」のメインプロットになる。すべて、創作は二次創作の面があり、原型からヒントを得ていても、どこかで新機軸を打ち出せば、それはオリジナルと見做せるわけだ。
「腹の減った若い絵師を雇うだよ」も面白い。実際、物語を作るほうの才能のある漫画家は、原作の方に廻ることが最近は増えている。たぶん、「ハンター×ハンター」の作者なども近いうちに原作に廻るのではないか。実際、彼は、漫画家志望者に対して「漫画が上達したければ絵など描いている暇は無いはずだ」、と言うくらい、ストーリーを重視しているのである。

なお、「七人の侍」は世界中で映画の教科書とされるくらいの作品だが、このような「チーム物アクション映画」がそれまであまりハリウッド映画に無かったのは、「俺様主義」の欧米人種にはあまり無い発想だったからかと思う。しかも、主人公は「一番強い」わけではないのだから、脳筋アメリカ人は思いつきもしなかったのだろう。「荒野の七人」だと、ユル・ブリンナーが一番強くてハンサムでカッコよくて、志村喬に似ていたのはハゲ頭だけwww


(以下引用)


弓月 光 @h_yuzuki 11時間前

  1. トムというよりは「ロードランナー」のコヨーテだと思ってましたw
  2. 6件のリツイート 9 いいね
  3.  
  1. 次元大介はもろ久蔵系でしょうね(^^
  2. 1件のリツイート 4 いいね
  1. そういや大昔風間宏子とか潮見朝子とかと仕事してて、漫画家養老院の話になってジジイだかババアだかになった作家の元に原稿依頼が来て、寄る年波でろくに絵が描けず「腹を空かせた絵の上手いアシスタント雇うだ」って探しに行く馬鹿話やってたなぁ(^^;)
  2. 33件のリツイート 33 いいね
    1. 例えば「七人の侍」だってあの設定で現代のお話ならどうするか?を考えるのも面白いし、うまくやれば結構いいお話ができるような気がします。(もともと作る人の個性や感性の違いで決して「同じ話」にはならないんですが)
    2. 18件のリツイート 34 いいね
    3.  
    1. 定番や王道の設定を使って自分なりの新しいお話を考えるのも結構楽しいです(^^
    2. 11件のリツイート 11 いいね
    3.  


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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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