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ジョン・レノンの夢想(理想)はいつか現実になるだろうか

「愛知企業全員集合!」という変な名前のブログから転載。

(以下引用)赤字は夢人による強調。


もう何百回聞いただろう?イマジンを.... 全世界では何千億回聞かれているだろうか?
1971年の曲だが、今も色あせることがない。
人類の平和を願った歌だけど、悲しいかな何十年経ってもなおイマジンの願いは届かない。
でもきっといつかは....と、イマジンは永遠に問いかける。
米国テロ後、放送自粛にもなったイマジンを改めて聞いてみよう。
2001/11/15

※2020/9/3 SSL化しURL変更しました。
英語の苦手な僕でも「イマジン」の歌詞の内容は理解しているつもりです。
そこで、いろんな訳を参考にして、平和を想いながら僕なりに訳してみました....
曲は聞いたことがあるけどよく知らない...という方、ぜひ参考にしてみてください。

 

Imagine / John Lennon & Yoko Ono

和訳 Akihiro Oba

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...
 
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
 
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
 
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
 
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
 



想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...
 
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
 
想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ 


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宮城野の

トイレで「新古今和歌集」を見ていて、類想の歌が多いなあ、と思って、自分でも作ってみる気になり、1分で作った歌が下の歌である。
なお、初句の「宮城野の」は音調がいい(後の部分も含めてM音N音の、つまり類音の連続)ので使っただけで、私は宮城野など行ったことも見たこともない。王朝和歌はその類(想像だけで作ること)が普通だったはずだ。


宮城野の野辺の秋風身に沁みて
      衣手寒しゆふぐれの空 (夢人)

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なぜ小説は衰退するか

ふと、疑問に思ったのだが、今のアメリカに「大作家」というものはいるのだろうか。
私はもともと現代文学を読まない人間だが、少し前まではカート・ヴォネガットとかジョン・アービングなどの新刊が出るたびに話題になった気がする。しかし、今は、たとえば大衆小説でも、そういう「大御所」的な存在はいないのではないか。SFでも推理小説でもだ。スチーブン・キングも、もはや「終わった存在」に思える。
これはイギリス文学でも同じで、カズオ・イシグロあたりがせいぜいではないか。それ以外で高名なイギリス人作家は誰かいるのだろうか。
先に書いたアービングやヴォネガットにしても、大作家かと言われると首をひねってしまう。そのどこに偉大なところがあるのか。単に部分部分に「誇張の面白さ」があるだけで、それを読んで物凄く面白いとか、読む者の世界が広がったというところはあっただろうか。あの程度なら、太宰治や筒井康隆のほうがずっと上だろう。いや、私は実はアービングやヴォネガットの小説は読んだ経験が無く、その映画化されたもの(「ガープの世界」や「スローターハウス」)しか知らないが、そこから推測するだけで十分にその世界は分かると思う。映画自体は十分に面白かったのだ。だが、その小説版を読む気はまったく起こらない、ということだ。
要するに、小説で書けることはほぼ種が尽きたのではないか、とすら思う。もはや神はいないし、人類が宇宙に出ていける可能性も、ほとんど無いだろう。ならば、相も変らぬ人間関係の小事件をSF的な描写やほら話を入れて事々しく描くしかない。
つまり、細部を少し変えるだけで、縮小再生産を延々と続けるだけではないか。したがって、大文学も大作家ももはや生まれないだろう、ということである。

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恋愛遊戯の手段としての相問歌

「新古今和歌集」の夏の歌の最後に紀貫之のこういう歌がある。

みそぎする河の瀬見れば唐衣ひもゆふぐれに波ぞたちける

特に優れた歌でもないとは思うが、この歌を見て、何か気づかないだろうか。
言うまでもなく、少し前に雑談として書いた、藤原清輔の歌である。


おのづから涼しくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨のなごりに

この歌を推理して、「ひもゆふぐれの」の「ひも」が夏衣の縁語で、「ゆふぐれ」は上の「紐」に続けて「紐を結う」と、「夕暮れ」を掛けていると考察したわけだが、これとまったく同じと言っていいパターンで紀貫之も歌を作っているわけだ。「夏衣」と「唐衣」が違うだけと言っていい。
では、これはどちらかがどちらかの真似をしたのか、と言うと、別にそうではなく、こういうのは当時の「共通に利用できる知識」だったわけだろう。「衣」ときたら「紐」で、「ひも」ときたら「夕暮れ」と続くわけだ。
要するに、和歌とは当時の優雅な遊びだったというだけの話である。

これと関連して言えば、恋愛も遊びだったと思う。上級国民にとって結婚と恋愛はまったく別の話で、結婚は家と家とを結ぶのが第一義である。恋愛感情の有無はほとんど問題にならない。
では、和歌にはあれほど恋愛歌が多いのはなぜかと言うと、これは「恋愛ごっこ」という遊びだからである。男が「私はあなたをこれほど愛しています」と詠むと、女は「どうせそれは軽いお気持ちだったのでしょう。それに真剣になった私はこれほど惨めに泣いています」と返すわけだ。このパターンがあきれるほど多いのである。「相問歌」というのは、ほかに詠み様は無いのか、と言いたくなるほどだ。

上級国民(地位と財産が第一義である)の間では恋愛が遊戯化するというのは洋の東西を問わない。
上古の宮中の女性は、高級キャバレーのホステスのようなものとでも思えばいい。ただ、上品に歌のやりとりができるのが現代の上級国民やその相手女性との差だろう。





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「魔術はささやく」考察(ネタバレありなので注意)

別ブログに書いた記事だが、そちらはメモ的ブログなので、こちらに「一般公開」しておく。


(以下自己引用)

作者名は忘れたが、昨日読んだばかりの「魔術はささやく」が、不快な読後感を残したので、その考察をしてみる。
この作者は非常に達者な小説家で、書いた作品の多くがベストセラーになっている。小説家としての手腕は折り紙付きである。実際、内容の緻密さ、(表面的な)破綻の無さは、大衆小説作家の中でもトップレベルだろう。

問題は、先に「破綻の無さ」にカッコを付けて「(表面的な)破綻の無さ」としたところだ。(表面的な)と言う理由は、他の人は知らないが、私には「読後感の悪さ」である。
つまり、根本的な部分が何か間違っているという感じで、それは「何のために小説を書いているのか」という疑問にもつながる。もちろん「カネのために決まっているだろ」と言えばそれでおしまいだが、小説を書くこと自体が好きでないと、小説家を職業にしてはいないだろうし、彼女(女性作家である)は、本当に自分の書いてきた作品に満足しているのだろうか。ならば、それらの作品の読後感の悪さは何に起因するのだろうか。

いや、推理小説というのはもともと人間の悪を描くのだから、読後感が悪いのは当然で、「読後感がいい」などというのは昔の「勧善懲悪小説」という低レベルの小説だけだ、と言う人もいるだろう。はたしてそうか? 「勧善懲悪」は低レベルの小説か?

具体的に書こう。「魔術はささやく」の主人公は、実質的に殺人を犯しているのである。つまり、殺人の決意をして(催眠術殺人なので決意自体が殺人行為になる)、その後で発作的にその殺人を中止する(自殺命令から自殺まで時間差があるので、相手の自殺を「阻止」する)のだが、なぜ中止したのかは分からない。そして、自分が実は既に殺人をしたのと同様の行為をしたことへの反省はまったくない。
その少年に催眠術での殺人手段を与えた老人も自分自身で「復讐のために」数人の人間を殺し、その行為への反省はまったく無い。

ここに、作者の「無道徳性」があり、それを気色悪いと私は感じているようだ。

さて、「復讐殺人」について考えてみる。

我々はどうやら「復讐殺人は正当だ」と考える傾向があるようだ。それは「自分がひどい行為をされたら復讐するのは当然だろう」という心理があると思われ、それはほぼ万人に共通する心理だからだろう。ところが、「復讐」と「復讐殺人」は実は問題が別なのである。

復讐の法的応用は「目には目を、歯には歯を」であることはたいていの人が同意すると思う。で、一般的な「復讐」は被害を受けた当人が害を与えた人間に復讐する。

ところが、一般人による「復讐殺人」は実は根本が異なるのである。それは「復讐の権利を持っている被害者は既に死んでいて、その権利の無い他人(親戚友人含む)が復讐として相手を殺す」という、非応報性が存在することだ。これはかつてのコルシカ島やその心理的子孫であるマフィアでは正当とされただろうが、法的(というより法哲学的)には不当であるのは言うまでもない。


しかも、「魔術はささやく」では、主人公を捨てた父親を交通事故で殺してしまい、その場から逃走したが、後悔して主人公家族を長い間面倒を見てきた人物を、主人公が「何の心理的葛藤もなく」殺す(催眠術で自殺を命じるがすぐに自分で阻止する)のである。

ここに私は作者のアモラルさを感じるわけで、それはまた、あまりに心理的に不合理だと思うわけだ。小説の人物が、作者の道具でしかない、と言ってもいい。それは当たり前だと思う人が多いとは思うが、問題はそうした小説の与える「毒物的効果」である。いや、私も「一般的な復讐」は正当だと思うし、むしろ国家による「復讐権利の占有」は問題だと思ってはいるが、問題は「復讐殺人」の哲学的不合理性なのだ。

なお、催眠術殺人を発明した老博士も、同様の「犯罪と釣り合わない復讐を平気で行う」人間であり、詐欺行為の被害で自殺した馬鹿な若い男のために、その詐欺行為をした4人の若い女性を殺すのである。これはつまり「私刑(リンチ)」を肯定的に長々と描いた小説なのだが、なぜ肯定的にと言うかというと、その私刑の犯罪性や復讐殺人の犯罪性、あるいは不当さに対する一言の言及も無いからだ。

極論すれば、「どんな小悪でも死刑に相当し、私刑もまた肯定できる」という思想が、この小説には垣間見える、と言えるように思う。

推理小説的に言えば「催眠術殺人」自体がルール違反だとは思うが、まあ、それは古い考え方かもしれない。

(追記)呉智英の「バカに唾をかけろ」を読んでいたら、呉が、その中の記事のひとつで「復讐権」を国家から個人(民間)に取り戻せ、というような論説をしていたが、そもそも「復讐権」という権利は存在しない。上記文中では私も「復讐の権利」などと書いてはいるが、それは国家が公認したものではないのは明白だろう。そして、凶悪犯罪に対して国家が行う「死刑」は、国家が「復讐権」を行使したのではなく、社会秩序維持のための「処罰」なのである。
仮に民間人に「復讐権」を認めたら(特に遺族による犯人への私刑を認めたら)、どれほど社会が無秩序になり、また逆にそれを利用した犯罪がどれほど生じるか、少し想像力を働かせたらいい。



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「Unchained melody」の解釈

アメリカのスタンダードナンバーには優れた歌詞を持つものが多いが、その中で「アンチェインドメロディ」の歌詞はなかなか解釈が難しい。それは、黒人の祈禱曲、つまり神への祈りの唄であるゴスペル的な意味を持つ歌詞が、日本人には意味不明だからではないだろうか。つまり、歌われているのは恋の成就の願いという世俗的なものだが、それを「神への祈り」にしているわけだ。
というのが私の解釈だが、それを基本線として歌詞全体を解釈・翻訳してみる。
まあ、早朝散歩の中で考えた内容が大半だが、先に、記憶で書いてみて、後で訂正する、かもしれない。(言うまでもないが、英単語は誤字だらけだろうとは思う。)

「Unchained Melody」

Oh,my love,my darling
I'm hunger for your touch
Are you still mine?

I need your love
I need your love
God,speed your love to me……

Lonely river flows to the sea, to the sea
to the open arms of the sea

Lonely river sighs ,"Wait for me,wait for me,
I'll be coming home ,wait for me"

Oh, my love, my darling
I'm hunger for your touch
Are you still mine?

I need your love
I need your love
God,speed your love, to me…… 

(解釈)

歌のタイトルからして難問だが、これは「解放の歌」とでも訳してみる。恋の成就(を願うの)がなぜ「解放」かというと、それは「恋の焦燥や苦痛からの解放」だからである(と解釈する。以降は、この「解釈である」は省略する。)そして、その解放を神に願うからゴスペルだとするわけだ。

第一節は簡単な内容なので訳だけにする。「love」を「恋人」と訳したのだけが私の解釈だ。

「おお、私の恋人、私の愛しい人
私は君に触れてほしいと飢えるように望んでいる
君はまだ僕のものだろうか?」

第二節の「God speed your love」が難しいが、これは「God」の後にコンマを入れれば明瞭になる。つまり、「God,save the queen」(神よ、女王を守りたまえ)と同様の「祈願文」なのである。さらに動詞としての「speed」の訳が難しいが、直訳すれば「加速する」ではないだろうか。つまり、彼女が自分を愛してるらしいことは分かるが、それが不明瞭なのでこの男は焦慮に駆られているわけである。だから神に「彼女の愛を加速させてほしい」と祈願するわけだ。だが、これだと歌らしい訳にならないので困ったものである。とりあえず、訳してみる。

「私は君の愛がほしい
私は君の愛がほしい
神よ、君の愛が私の目に見えるようにしてくれないか」

次の一節は「象徴詩」である。つまり、自分を川にたとえ、彼女を海にたとえているわけだ。

「孤独な川は海に向かって流れていく、海へと流れていく
海の広げた腕の中へと流れていく」

次の一節も同様だ。

「孤独な川は溜め息をつく、『私を、私を待ってておくれ
私はやがて海という故郷の家に帰る、私を待ってておくれ』と」

以下は第一節第二節の繰り返しなので省略する。




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村上春樹のお勧め本

今日は、この時間までこのブログに何も書いていないのに今気づいたので、自分の別ブログから軽い読み物というか、雑文を転載する。
なお、先ほどまで読んでいたのが小谷野敦(敦は「たく」と読む)の「病む女はなぜ村上春樹を読むか」という、文芸批評の新書だが、全体の8割くらいが村上春樹の悪口で、なかなか面白かった。下に書いてあるように私は村上春樹の傑作は「踊る小人」だと思っていて、その「超訳」をこのブログにも載せてあるので、一読をお勧めする。

(以下自己引用)
村上春樹は、作品のお洒落さに似合わない百姓顔と、作品に匂う、顔に似合わないナルシシズムが嫌いなのだが、優れた才能の作家だと思っている。まあ、長編はほとんど読んでいないが、「踊る小人」には感心した。メルヘンとホラーとファンタジーと残酷さとSF性とファシズムの見事な融合で、ユーモアも見事である。前半のメルヘン性のために、結末のホラー性が実に際立っている。

(以下引用)彼の好きな作品の7割くらいは私と一致しているし、残りは読んでいないので、読めば好きになるかもしれない。赤字は私による強調。

村上春樹が作家人生で大きな影響を受けておすすめする本まとめ
村上春樹 おすすめ本・映画・アイテム

 村上春樹が作家人生で影響を受けておすすめする本をまとめてみた。


人生で巡り合ったもっとも重要な3冊
①『グレート・ギャツビー』(スコット・フィッツジェラルド)
②『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)
③『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー)
影響を受けた本・作家
■『城』(フランツ・カフカ)
■カート・ヴォネガット作品
■『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.Dサリンジャー)
■カズオ・イシグロ作品
■『雨月物語』(上田秋成)
■『呪われた町』(スティーブン・キング)
■『シャイニング』(スティーブン・キング)
■『最後の瞬間のすごく大きな変化』(グレイス・ペイリー)
人生で巡り合ったもっとも重要な3冊
 村上は、人生で巡り合ったもっとも重要な本として3冊を上げている。

村上:もし『これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ』と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャツビー』と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。(『グレート・ギャツビー』村上春樹訳 あとがきより)

①『グレート・ギャツビー』(スコット・フィッツジェラルド)
グレート・ギャツビー(新潮文庫)
グレート・ギャツビー(新潮文庫)

作者:フィツジェラルド
新潮社
Amazon

『グレート・ギャツビー』内容
ーーーーーーーーーーーーーーー
ただ恋を成就させるため、巨万の富を築いた男。
虚栄に満ちた人生の儚さを描く、アメリカ文学の代表的傑作。

豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビー。彼の胸にはかつて一途に愛情を捧げ、失った恋人デイズィへの異常な執念が育まれていた……。
第一次世界大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描き、何度も映画化された20世紀文学最大の問題作。滅びゆくものの美しさと、青春の憂愁を華やかに謳いあげる世界文学の最高峰。(BOOKデータベースより)
ーーーーーーーーーーーーーーー
 村上は『グレート・ギャツビー』作者スコット・フィッツジェラルドから得た大きな影響を一作目の長編作『風の歌を聴け』の群像新人文学賞受賞の言葉で語っている。

村上:学校を出て以来殆どペンを取ったこともなかったので、初めのうち文章を書くのにひどく手間取った。フィッツジェラルドの「他人と違う何かを語りたければ、他人と違った言葉で語れ」という文句だけが僕の頼りだったけれど(村上春樹 群像新人文学賞受賞の言葉より)

村上:半世紀以上の歳月を経て、今なお多くの読者がフィッツジェラルドの作品群に惹きつけられる最大の理由は、その「滅びの美学」にではなく、おそらくはそれを凌駕する「救済の確信」にあるはずだと僕は考えている。

グレート・ギャツビー(新潮文庫)
グレート・ギャツビー(新潮文庫)

作者:フィツジェラルド
新潮社
Amazon

②『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)
カラマーゾフの兄弟(上)(新潮文庫)
カラマーゾフの兄弟(上)(新潮文庫)

作者:ドストエフスキー
新潮社
Amazon
『カラマーゾフの兄弟』内容
ーーーーーーーーーーーーーーー
物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフの血を、それぞれ相異なりながらも色濃く引いた三人の兄弟。放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ、冷徹な知性人イワン、敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ。そして、フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ。これらの人物の交錯が作り出す愛憎の地獄図絵の中に、神と人間という根本問題を据え置いた世界文学屈指の名作。(BOOKデータベースより)
ーーーーーーーーーーーーーーー
 村上春樹は『カラマーゾフの兄弟』をこう評している。

村上:世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。(村上春樹訳『ペット・サウンズ』あとがき より)

カラマーゾフの兄弟(上)(新潮文庫)
カラマーゾフの兄弟(上)(新潮文庫)

作者:ドストエフスキー
新潮社
Amazon
カラマーゾフの兄弟(1)
カラマーゾフの兄弟(1)

作者:ドストエフスキー,岩下博美
講談社
Amazon

③『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー)
ロング・グッドバイ フィリップ・マーロウ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ロング・グッドバイ フィリップ・マーロウ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

作者:レイモンド チャンドラー
早川書房
Amazon
『ロング・グッドバイ』内容
ーーーーーーーーーーーーー
私立探偵のフィリップ・マーロウは、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックスと知り合う。あり余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い蔭を宿していた。何度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう。が、その裏には悲しくも奥深い真相が隠されていた……(BOOKデータベースより)
ーーーーーーーーーーーーー
 村上春樹は『ロング・グッドバイ』をこう評している。

村上:チャンドラーの『ロング・グッドバイ(長いお別れ)』を最初に読んだのは高校生のときだった。正確には覚えていないのだが(当時あまりにも多くの数の本を読んでいたので、記憶は混濁している)、たぶん十六歳か十七歳くらいだったと思う。それ以来四十年ほどにわたって、折に触れてはこの本を繰り返し手にとってきた。(村上春樹訳『ロング・グッドバイ』あとがき より)

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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