ふと、疑問に思ったのだが、今のアメリカに「大作家」というものはいるのだろうか。
私はもともと現代文学を読まない人間だが、少し前まではカート・ヴォネガットとかジョン・アービングなどの新刊が出るたびに話題になった気がする。しかし、今は、たとえば大衆小説でも、そういう「大御所」的な存在はいないのではないか。SFでも推理小説でもだ。スチーブン・キングも、もはや「終わった存在」に思える。
これはイギリス文学でも同じで、カズオ・イシグロあたりがせいぜいではないか。それ以外で高名なイギリス人作家は誰かいるのだろうか。
先に書いたアービングやヴォネガットにしても、大作家かと言われると首をひねってしまう。そのどこに偉大なところがあるのか。単に部分部分に「誇張の面白さ」があるだけで、それを読んで物凄く面白いとか、読む者の世界が広がったというところはあっただろうか。あの程度なら、太宰治や筒井康隆のほうがずっと上だろう。いや、私は実はアービングやヴォネガットの小説は読んだ経験が無く、その映画化されたもの(「ガープの世界」や「スローターハウス」)しか知らないが、そこから推測するだけで十分にその世界は分かると思う。映画自体は十分に面白かったのだ。だが、その小説版を読む気はまったく起こらない、ということだ。
要するに、小説で書けることはほぼ種が尽きたのではないか、とすら思う。もはや神はいないし、人類が宇宙に出ていける可能性も、ほとんど無いだろう。ならば、相も変らぬ人間関係の小事件をSF的な描写やほら話を入れて事々しく描くしかない。
つまり、細部を少し変えるだけで、縮小再生産を延々と続けるだけではないか。したがって、大文学も大作家ももはや生まれないだろう、ということである。
私はもともと現代文学を読まない人間だが、少し前まではカート・ヴォネガットとかジョン・アービングなどの新刊が出るたびに話題になった気がする。しかし、今は、たとえば大衆小説でも、そういう「大御所」的な存在はいないのではないか。SFでも推理小説でもだ。スチーブン・キングも、もはや「終わった存在」に思える。
これはイギリス文学でも同じで、カズオ・イシグロあたりがせいぜいではないか。それ以外で高名なイギリス人作家は誰かいるのだろうか。
先に書いたアービングやヴォネガットにしても、大作家かと言われると首をひねってしまう。そのどこに偉大なところがあるのか。単に部分部分に「誇張の面白さ」があるだけで、それを読んで物凄く面白いとか、読む者の世界が広がったというところはあっただろうか。あの程度なら、太宰治や筒井康隆のほうがずっと上だろう。いや、私は実はアービングやヴォネガットの小説は読んだ経験が無く、その映画化されたもの(「ガープの世界」や「スローターハウス」)しか知らないが、そこから推測するだけで十分にその世界は分かると思う。映画自体は十分に面白かったのだ。だが、その小説版を読む気はまったく起こらない、ということだ。
要するに、小説で書けることはほぼ種が尽きたのではないか、とすら思う。もはや神はいないし、人類が宇宙に出ていける可能性も、ほとんど無いだろう。ならば、相も変らぬ人間関係の小事件をSF的な描写やほら話を入れて事々しく描くしかない。
つまり、細部を少し変えるだけで、縮小再生産を延々と続けるだけではないか。したがって、大文学も大作家ももはや生まれないだろう、ということである。
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