健康血圧や肥満の度合いなど「平均値」を物事の判断基準にする思想もこの「悪平等」に似ている。世間の常識から離れた思想や行動を害悪視するのも同様だ。
(以下引用)
気の赴くままにつれづれと。
メルマガなどでも何度か記させていただいていますが、何らかの感染症が大流行していたり、あるいはパンデミック下の理想的な生活というのは、以下のようになります。
・十分な太陽光を浴びる
・過剰なストレスを避ける
・病原体に対しての恐れを抱かない
・適度な人間関係を保ち、孤独に陥らない
・なるべく笑いを絶やさない ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
・適切な栄養
・十分な睡眠
・若い人なら恋をする (恋愛はとても免疫を高めることが各国の研究でわかっています)
・お年寄りたちはドンマイ(これはなんだよ)
いやいや、私もそろそろ高齢者ですけれど、私たちのようなものはもういいのです。
若い人たちを守らなければならない。
仮に社会がいつの日か再生することがあるにしても、それを担うのは私たちなどではなく、若い人たちです。
若い人たちこそがいつか真実に気づかなければならない。
そういえば、先ほどのピンク・フロイドの「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」の映像は、「子どもたちが目覚める」ところで終わります。
支配されることをやめ、自ら生きることを選択し、そして彼らは学校を破壊し、旅立ちます。
・Another Brick In The Wall / Pink Floyd
破壊したりするようなことはしなくても、若い人たちには「自分に課されているスタイルに合理的な理由があるのかどうか」を考えていただきたいとは思います。
もしそこに矛盾を感じたならば、世界とご自分との関係、そして「自分が人間として生きている理由」に気づかれてほしいとも思います。
お年寄りは……ドンマイ(またかよ)。
若い世代の言語運用能力の低下は、古代ギリシャ以来いつの時代でも嘆かれてきたが、昨今のインターネット、ケータイ、スマホといった伝達手段の急速な発達はこれに拍車をかけた。言語が最も理想的な伝達方法かどうかはたしかに議論の余地がある。
しかし、今までの人類の歴史においては、言語が最も重要で、最も信頼性のある情報伝達手段であったことは間違いない。
一方、言語以上に イメージが “雄弁” に語ることがある のも事実である。たしかに 「百聞は一見にしかず」 である。
しかし、言葉なしのイメージだけで会話が成立するだろうか?コンピュータが動かせるだろうか?現時点では人を動かし、世の中を動かし、コンピュータを動かすことができるのはやはり言語である。
イメージでは人工知能のプログラムは書けない。その意味でも “言語優先主義” は今後も簡単には崩れない と言える。
言語の持つ、規則的体系性、肯定と否定の二値性、デジタル的発展性は比類がない。何といっても “テキスト” が “本文” であり、“イメージ” はしょせん、“挿絵” の地位でしかないのだ。
そもそも、“イメージ反応” は “言語思考” とは根本的に異なる。“イメージ反応” は、言語や論理を媒介しないという意味では非常に “原始的” な反応である。チンパンジーも羊もトンボもみなイメージで判断して反射的に行動する。
“言語” はまるで “人工知能” のために人間が長い時間をかけて用意したようなものである。そして、当の人間は原始的な “イメージ反応” に退化して “低脳化” しつつある。
そう考えると、“言語思考” を軽んじ、“イメージ反応” 優先で生きているスマホゾンビーという低脳層 は、高度資本主義社会に跋扈する無数の企業の 誘惑的戦略に原始的に反応して飛びつくカモになっている とも言える。
逆に言うと、こうした低脳層は高度資本主義のシステムによって不断に “家畜化” されているのである。
「part 1」 でみてきたように、 家畜化=低脳化 である。
アナログ志向といえば聞こえはいいですが、全くIT関連が駄目な私は、
もう随分前から最新の情報機器の操作についていけず、完全にその取得努力を放擲しています。
数年前に買ったPCも電源を入れた後から画面が進まず、今では埃を被っています。
携帯もガラケーのままで、もう修理できませんと案内が来ても、ギリギリまでスマートフォンに変える気はありません。
幸い仕事は律令制時代からある手仕事力仕事がメインの絶滅危惧種の職人仕事ですので、
工作機械内蔵のROM基盤を除けば、すべて肉体アナログ方式でやっています。
手足に痛風発作が出なければ、とりあえず何とかなります。
(もっとも、コロナ騒動以前に最近は仕事の依頼自体がめっきり減ってきていて、今はくだらないコメントを入力するのが日常業務です。そろそろ生活保護の申請準備を考えなければいけない時期にきています)
そんなことで、自分が極度のIT音痴なのをいいことに、
私はむしろ、日本は積極的にデジタルの流れから遅れるほうがいいんじゃないかとも考えています。
外国からFAX使用を嗤われようと、アメリカ標準仕様(思考)のWindowsやMacオペレーションを基軸としたデジタル覇権に対しては、私は何故か本能的にそれを忌避する感覚があります。
まぁ、和製OSのトロンとか汎用性のあるLinuxとかならやる気も出るでしょうが、なにせ知能不足でスキルが付いてきません。
どうせやるなら、自家サーバーのシステム構築・運用くらいまでいかないと満足できませんので…
前にも少し書きましたが、私は一時期、NECのM式(森田式)キーボード入力に凝っていたことがあって、
思考と言語が直結する、パソコン等の入力インターフェイス部分にはちょっと関心があります。
キーボードは楽器のようなもので、習熟しないと思考レベル(速度)では操れません。
かといって、今どきのスマートフォンのフリック入力などは完全にダメですので、思考がダイレクトに言葉に変換できないとイラつきを感じます。
さらに、今まではアナログの非効率的な部分で飯を食ってきた人々が、ITデジタルの効率化という社会的要求によって、多くの部分で淘汰されて仕事を失ってきた状況を見てきました。
私の基本的な考えは「人にできることはまず人にやらせ、機械はその補助的・補佐的なもの」という感じですので、
効率優先の一方的なIT(AI)推進社会は、結果として人間そのものを非効率なものとして排除・排斥・疎外する方向に進んでいくと考えています。
ということで、
人間は、ITによってきれいに整序されるような、合理的で効率的な存在ではないと思っていますので…
デジタル社会にすっかり遅れて、もはやとても追いつけないご老体としては、
もともとIT(デジタル)の全面推進には批判的という無理くりの理由をこじつけて、
アリゾナの爆弾魔・ユナボマーまでとはいきませんが、
気分は「ネオ・ラッダイド」ということになっております。
電磁兵器一発で、IT機器も産業機器も家電も、電気もガスも水道も交通などの他のインフラも、そのすべて壊滅ようなシステムに、軸足の体重をすべて掛ける気にはなりません。