「上野千鶴子さん×かがみすと」企画について

気の赴くままにつれづれと。
11月20日から始まった「上野千鶴子さん×かがみすと」企画の「上野千鶴子さんに質問『ベッドの上では男が求める女を演じてしまう』」記事について、いくつかお問い合わせ・ご意見をいただきました。ちょっと長くなりますが、かがみよかがみ編集長の私の考えを聞いていただければと思います。
ご指摘いただいたのは、上野さんの下記の発言です。
セックスの基本の「き」はね、欲望っていうものが自分の中にあることを認識して、その欲望の主体になれるかどうか。男は欲望をあからさまに出してくるから、主体性を持っていないと女は「やらせてあげる」になっちゃう。だから、「やらせてあげた」自分に満足することになってしまうのよね。欲望の客体となって「やらせてあげた」セックスよりも、欲望の主体になるセックスの方が、クオリティは上がる。上げるためには、お互いのシナリオのすりあわせをしないといけないけど、そのすりあわせは1回や2回のカジュアルセックスじゃできないでしょう。
私がセックスワークや少女売春になぜ賛成できないかというと、「そのセックス、やってて楽しいの?あなたにとって何なの?」って思っちゃうからなのよ。
自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなことはしないほうがいいと思う。自分を粗末に扱わない男を選んでほしい、だってそっちの方が絶対セックスのクオリティが高いもん。
この発言について、「セックスワークは自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなことと言いたいのか」「セックスワーカーを侮蔑している」といったご意見をいただきました。
このインタビューに同席した私の見解としては、上野さんは「主体性がないセックス」は「自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなこと」という趣旨で発言されていたと理解しています。ですので、「同席したインタビュアーの4人がなぜ反論しなかったのか」というご意見もいただきましたが、セックスワークを侮蔑する流れでの発言ではなかったので、反論しようがない、というのが私の意見です。
編集部としては、セックスワークについて取り上げたとしても、職業差別や侮蔑につながるような表現はしません。ですので、「セックスワークは肉体と精神をどぶに捨てるようなこと」という発言であれば掲載していませんでした。
一方、「主体性がないセックス」の是非については、特定の誰かについてではなく、行為についての議論なので、「肉体と精神をどぶに捨てるようなこと」という強い比喩表現もあり得ると考えました。
しかし、結果として、職業差別や侮蔑ではないかとのご指摘をいただくことになったのは事実です。主語を補うなどして、誤解されないようにするべきでした。編集上の不手際でした。申し訳ありません。
こうしたことを踏まえて、発言者である上野千鶴子さんに、改めてお話を聞きました。
上野さんの答えは「文脈から判断して下されば誤読はないはずです。発言した以上でも以下でもありません。弁解の要を認めません」とのことでした。編集部としては上野さんの意思を尊重し、補足や削除といった対応はしないことにしました。
全ての記事について言えることですが、「インタビュイー(今回でいう上野さん)の発言」がすなわち「サイト(編集部)の意見」ではありません。
上野さんは「自分に性欲があることを女が認められないなんて、何が現代のフェミニズムよ、冗談じゃない(笑)」と発言されていますが、これに対するインタビュアーの「話したくないです」「話したくないことは話さなくていい」という答えや感想文も載せています。
上野さんも事前にこうした記事や感想文を読んだ上で、「このままどうぞ」とおっしゃっていました。ご自身の「私はフェミニストが一枚岩でいるよりも、多様性があるほうがずっといいと思う」という発言どおり、自身への批判も含め、誰の考えも否定していません。
上野さんのインタビューに同席した編集部員のなかでも意見は様々でした。例えば、マスターベーションについての議論の際、編集長の私は「(上野さんに)聞かれちゃったら答えるしかないなあ」とどきどきしていましたし、ほかの編集部員は「私は答えたくない」と言っていました。いろいろあっていいと思います。編集部内でも意見はひとつじゃありません。当たり前です。
どの考えに対しても、正解、不正解はないというのは、「かがみよかがみ」の主軸となる投稿者からのエッセイでもそうです。
美容整形に賛成のひともいれば、反対のひともいます。
ブスという言葉をなくしたいというひともいれば、ブスという言葉をなくすことで傷ついた過去までなくなってしまう気がするからなくしたくないというひともいます。
恋愛の悩みを綴ってくれるひともいれば、恋愛感情を持ったことがないというひともいます。
寄せられたいろんな感情や考えを読むことで、いろんな価値観に出合える場所になればいいなと思います。
もちろん私も自分の意見が絶対に正しいとも思っていません。私とは異なる意見もたくさんあると思います。そこで、予定していた連載が終わったいま、私の思いを書かせていただきました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
申し訳ない
私は皇帝になりたくない
私は誰も支配したくないのだ
できることなら助けたい
ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も
人類は互いに助け合うべきなのだ
人間とは本来はそういうものなのだ
人間は、他人の幸福を願って生きるものだ
他人の不幸を願ったり、互いに憎み合ったりしてはならない
この世界には全人類が暮らせる場所があり、大地は富に満ちている
人生の生き方は自由で美しく楽しいものであるべきだ
しかし、私たちは生き方を見失ってしまっている
貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血へと私たちを行進させた
私たちはスピードを手にしたが、それによって自分たちの意志を孤立させた
機械は貧富の差を作り、知識を得たことにより人類は懐疑的になった
思想だけがあって感情がなく、人間性が失われた
賢さよりも、優しさや愛と思いやりが必要なのだ
思いやりがないと暴力だけが残り、すべてが失われてしまう。
飛行機やラジオが私たちの距離を縮めたが、それらの発明の本質は、人間の良心に呼びかけて、世界がひとつになれることを呼びかける力があることだ
今も私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに届いている
その中には、絶望している人たちもいるはずだ
男性たち、女性たち、子供たち、罪のない人たちを拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとにも私の声は届いている
私の声が聞こえる人たちに言いたい
「絶望してはいけない」
私たちに覆いかぶさっている貪欲はやがて過ぎ去り、恐怖もやがて消える
それらの貪欲や恐怖は、人類の進化を恐れる者たちの嫌悪なのだ
憎しみは消え去り、独裁者の獣たちは死に絶える
人々から奪いとられた権力は、ふたたび人々のもとに返されるだろう
自由は決して滅ばない!
兵士諸君!
獣たちの犠牲になるな!
やつらは諸君を欺き、見下し、奴隷にし、人生を操り、諸君を家畜のように追い回している
諸君が何をして、何を考えて、何を感じるかさえも指図し、そして、諸君に対して、食べる物まで制限する者たちは、諸君を単なるコマとして扱うのだ!
やつらは人間ではない!
心も頭も機械に等しい!
諸君は、そのような機械の心を持った機械人間たちの犠牲になってはならない
諸君は機械ではない!
諸君は家畜ではない!
諸君は人間だ!
心に愛を抱く人間なのだ!
憎んではいけない
愛されない者だけが憎むのだ
独裁を排し、自由のために戦え!
神の王国は人間の中にある
すべての人間の中にあるのだ!
諸君すべての中に神の国があるのだ!
すべての諸君は幸福を生み出す力を持っている
人生は美しく自由であり、素晴らしいものなのだ!
それを創り出す力を諸君は持っている!
民主国家の名のもとに、その力を集結させよう!
良い世界の実現のために戦おう!
若い人たちには希望を与え、老人たちには安定を与えよう
獣たちも同じ約束をしながら権力を伸ばしてきた
しかし、獣たちは約束を守らないし、これからも同じだろう
やつらは野心を満たし、大衆を奴隷にした!
今こそ戦おう!
約束を実現させるために!
世界に自由をもたらし、国境を取り除き、この世から貪欲と憎悪を追放しよう!
良識のために戦おう
文化の進歩が全人類を幸福に導く世界になるために戦おう
兵士諸君!
民主国家のために団結しよう!
ここまでです。
なお、このチャップリンは、戦後、アメリカから「追放」されています。
いずれにしましても、今しばらく、皆様もお心を強く持たれるよう希望します。
33. TondaMonta[2218] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2020年7月17日 01:26:01 : VglHEhgoCE : L3Fud2wxYXFXc1U=[15] 報告 |