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「アリストテレス『形而上学』」批判

アリストテレスの「形而上学」を考察しようかと思っている。カント的に言えば「批判」である。批判は「批難」ではない。検討することだ。


(以下引用と考察)

形而上学(第一哲学)

原因について

アリストテレスの師プラトンは、感覚界を超越したイデアが個物から離れて実在するというイデア論を唱えたが、アリストテレスはイデア論を批判して、個物に内在するエイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱した。


(考察)

まあ、イデアというのは曖昧な概念だと私も思うし、たとえば石ころのイデアとかウンコのイデアは何だ、と聞かれても答えようは無いだろう。石ころは石ころだしウンコはウンコだ。しかし、その一方で、人間の想念の中には或る種の「理想形」が存在するわけで、それが芸術として結実したりする。まあ、その「理想形」がプラトンの言うイデアと同じか別かは私には分からない。とにかく、「洞窟の比喩」で言われるように、我々が見ている世界は仮象であり、俗人には見えない(感覚から超越した)イデアが存在する、と言われても証明のしようは無い。
だが、アリストテレスの「現実主義」もまた「形相と質料」だけで世界を説明して本当にいいのか、という気はする。後で出て来る「最高善」なるものは、この思想とどうつながるのか、あるいはまったくつながりを無視したものだろうか。


また、アリストテレスは、世界に生起する現象の原因には「質料因」と「形相因」があるとし、後者をさらに「動力因(作用因)」、「形相因」、「目的因」の3つに分けて、都合4つの原因(アイティア aitia)があるとした(四原因説)(『形而上学』A巻『自然学』第2巻第3章等)。



(考察)
「質料」と「形相」の概念の説明が引用したウィキペディアの文章中に無いので、次の引用に出て来る「質料因」と「形相因」の説明で代用すると「事物が何でできているのかが質料因」「そのものの実体であり本質であるのが形相因」となっていて、これはそのまま「質料」と「形相」の説明なのではないか。それを「世界に生起する現象の原因」として分類したのが「質料因」と「形相因」だろう。つまり、何かの「質料」や「形相」そのものが現象の原因となるわけだ。しかしまた「形相因」が「動力因(作用因)」、「形相因」、「目的因」に分類されると書かれており、「形相因」の中にまた「形相因」があるというおかしな分類になっている。これは分類狂のアリストテレスの手抜かりだろうか。ウィキ記述者の誤りだろうか。
しかし、「形相」を「そのものの実体であり本質である」とするのがおかしいのであり、これは文字通り「形や姿」としてなら、「動力」や「目的」や「質料」や「形相」を包括するすべてを「現象」とすることで分類が完全になるかと思う。まあ、仏教で言う「色」である。
まあ、「何かの本質は何か」という思考そのものが無益なのであり、「現象がそのまま本質だ」と見るべきだろう。単にその現象の中で重要性の高いものと低いものがあるだけだろう。要するに「本質を考える」とはほとんどの場合「現象を要約する」ことであり、その要約によって取りこぼされるものがあり、そうするとそれは現実そのものと乖離するわけである。胃袋やペニスが私の本質だとはならないわけだ。
言っておくが、私は「分類」は否定しない。それどころか、これはデカルトの「分析と総合」という基本的思考法の「分析」と同類の思考法なのである。



事物が何でできているかが「質料因」、そのものの実体であり本質であるのが「形相因」、運動や変化を引き起こす始源(アルケー・キネーセオース)は「動力因」(ト・ディア・ティ)、そして、それが目指している終局(ト・テロス)が「目的因」(ト・フー・ヘネカ)である。存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが、素材としての可能態(デュナミス)であり、それと、すでに生成したもので思考が具体化した現実態(エネルゲイア)とを区別した。



(考察)

「可能態」と「現実態」というこの分類は面白い。ほとんどの若者は自分の可能態を高く見積もり、その「現実態」に絶望するwww


万物が可能態から現実態への生成のうちにあり、質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは、「」(不動の動者)と呼ばれる

(考察)

「神」については、ほとんど考察に値しない、「証明抜きの主張」あるいはただの「個人的定義」である。

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衆愚政治化したデモクラシーとポリティア(舛添要一のブログより)

2018-03-01 11:20:04
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 アリストテレスは、貴族政(アリストクラティア)を国家の理想的な制度とし、それを担うのが「最善の人たち(アリストイ)」だとした。しかし、名望家や貴族のように裕福でなければ政治家になれないというのでは、現代民主主義においては通用しない。


 そこで、アリストテレスも、現実に可能な最善の制度として、中産階級の人々が中心として運営するポリティア(混合政体)をあげたのである。なぜ「混合」なのか。まず、王制や貴族政は、利己的な利益の追求に終始し、僭主政や寡頭政に堕落する危険性がある。逆に、貧しい「無頼の徒」(大衆)による政治は、下手をすると衆愚政治(デモクラティア)になってしまう。


 そこで、この双方の危険性を排除するために、多様な集団が自由に統治に参加することができるポリティアのほうが好ましいとしたのである。その統治形態が機能するためには、政治によって定期的に収入が保証される必要がある。


 そうしなければ、裕福な人たちしか政治家になれないからである。今の日本では、議員歳費の削減を唱える大衆迎合主義が広がっているが、それは「職業としての政治」の根幹を揺るがすものである。


 またひと握りの有徳者(アリストイ)が支配する貴族政や寡頭政の場合、全国民の利益になる政治が行われるとは限らない。広汎な国民が参加しない政治は永続できない。そこで、J.S.ミルが主張するような主権在民、民主主義という考え方が出てくる。


 ミルは、『代議政治論』の中で、「最善の統治形態は、主権(究極的な最高支配権力)が社会全体に付与されている統治形態である」とし、すべての市民が「主権に対して発言力を持っている」のみならず、「少なくともときどきは、地方的または一般的な若干の公的な機能を果たすことによって、統治に実際に参与する」ことが要請されるような統治形態であると言う。


 現代民主主義諸国においては、19世紀半ばのこのミルの主張は必ずしも実現されていないが、古代ギリシャのアリストテレスが言うポリティアは、近代ではミルの思想につながっている。一方で民主主義の、他方で貴族主義の要素を含んだポリティアは、民主主義が衆愚政治に陥らないための統治形態だと言ってもよい。


 古代から近代を経て、現代の政治においては、貴族主義的要素がますます希薄になっている。まさに大衆民主主義の時代であり、それは容易に衆愚政治に陥る危険性を孕んでいる。一昔前までは、高度な教育、専門的知識、幅広い教養が「統治する選良(ruling elite)」、つまり「現代の貴族」の資格であった。しかし、マスメディアが発達した今日、大衆の人気取りが選挙での最大の戦略となってしまい、その資格要件すらなくなってきている。


 フランスでは、ENA(国立行政学院)などのGrandes Ecoles 出身者が今なお官界、政界を牛耳っているが、日本では、官界はともかく、政界では東大閥が幅をきかせる状態ではもはやない。「貴族主義」は、ますます失われていっており、衆愚政治への歯止めがきかなくなりつつある。


 


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アリストテレスによる「述語」の分類

考察の対象が思いつかないので、アリストテレスの思想の一部をウィキペディアから転載しておく。その自然科学についての思想は現代では考察に値しないだろう。

哲学とは煎じ詰めれば「AはBである」という命題(真偽の判断が可能な文)になると思うが、その述語を分類したのが面白い。

すなわち「実体」「性質」「量」「関係」「能動」「受動」「場所」「時間」「姿勢」「所有」

まあ、この分類で妥当かどうか、他の要素もあるとは思うが、かなり思考のガイドラインにはなる分類だと思う。
つまり、何かを考えるとき、その対象の

1:実体は何か
2:性質は何か
3:量はどうか
4:他者との関係はどうか
5:能動的か
6:受動的か
7:時間とどう関係するか
8:姿勢はどうか

を考えるわけだ。まあ、これは私が下の記述から今適当に考えたものである。創造や創作や研究を試みる際のいい手引きになるのではないか。たとえば、小説でキャラを作る場合だと「量」とは体型や体格や体重になるだろうし、内面的な「器量」「包容力」でもあるわけだ。また、たとえばシャーロック・ホームズの「本質(実体)」とは何かと言えば「思考機械で、かつ冒険家」だろう。


(以下引用)

形而上学(第一哲学)

原因について

アリストテレスの師プラトンは、感覚界を超越したイデアが個物から離れて実在するというイデア論を唱えたが、アリストテレスはイデア論を批判して、個物に内在するエイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱した。


また、アリストテレスは、世界に生起する現象の原因には「質料因」と「形相因」があるとし、後者をさらに「動力因(作用因)」、「形相因」、「目的因」の3つに分けて、都合4つの原因(アイティア aitia)があるとした(四原因説)(『形而上学』A巻『自然学』第2巻第3章等)。


事物が何でできているかが「質料因」、そのものの実体であり本質であるのが「形相因」、運動や変化を引き起こす始源(アルケー・キネーセオース)は「動力因」(ト・ディア・ティ)、そして、それが目指している終局(ト・テロス)が「目的因」(ト・フー・ヘネカ)である。存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが、素材としての可能態(デュナミス)であり、それと、すでに生成したもので思考が具体化した現実態(エネルゲイア)とを区別した。


万物が可能態から現実態への生成のうちにあり、質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは、「」(不動の動者)と呼ばれる。イブン・スィーナーら中世のイスラム哲学者・神学者や、トマス・アクィナス等の中世のキリスト教神学者は、この「神」概念に影響を受け、彼らの宗教(キリスト教イスラム教)の神(ヤハウェアッラーフ)と同一視した。

範疇論

アリストテレスは、述語(AはBであるというときのBにあたる)の種類を、範疇として下記のように区分する。すなわち「実体」「性質」「量」「関係」「能動」「受動」「場所」「時間」「姿勢」「所有」(『カテゴリー論』第4章)。ここでいう「実体」は普遍者であって、種や類をあらわし、述語としても用いられる(第二実体)。これに対して、述語としては用いられない基体としての第一実体があり、形相と質料の両者からなる個物がこれに対応する。

倫理学

アリストテレスは、倫理学を創始した[12]。 一定の住み処で人々が暮らすためには慣習や道徳、規範が生まれる[13]。古代ギリシャではそれぞれのポリスがその母体であったのだが、アリストテレスは、エートス(住み処)の基底となるものが何かを問い、人間存在にとって求めるに値するもの(善)が数ある中で、それらを統括する究極の善(最高善)を明らかにし、基礎付ける哲学を実践哲学として確立した[13]


アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的(善)があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは、幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた(幸福主義)。


また、理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとも説いた。中庸に当たるのは、

  • 恐怖と平然に関しては勇敢、
  • 快楽と苦痛に関しては節制、
  • 財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、
  • 名誉に関しては矜持、
  • 怒りに関しては温和、
  • 交際に関しては親愛と真実と機知

である。ただし、羞恥は情念であっても徳ではなく、羞恥は仮言的にだけよきものであり、徳においては醜い行為そのものが許されないとした。


また、各々にふさわしい分け前を配分する配分的正義(幾何学的比例)と、損なわれた均衡を回復するための裁判官的な矯正的正義(算術的比例)、これに加えて〈等価〉交換的正義とを区別した。


アリストテレスの倫理学は、ダンテ・アリギエーリにも大きな影響を与えた。ダンテは『帝政論』において『ニコマコス倫理学』を継承しており、『神曲』地獄篇における地獄の階層構造も、この『倫理学』の分類に拠っている。 なお、彼の著作である『ニコマコス倫理学』の「ニコマコス」とは、アリストテレスの父の名前であり、子の名前でもあるニコマスから命名された。

政治学

アリストテレスは『政治学』を著したが、政治学を倫理学の延長線上に考えた。「人間は政治的生物である」とかれは定義する。自足して、共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である。両者とは異なって、人間はあくまでも社会的存在である。国家のあり方は王制、貴族制、ポリティア、その逸脱としての僭主制、寡頭制、民主制に区分される。王制は、父と息子、貴族制は夫と妻、ポリティアは兄と弟の関係にその原型をもつと言われる(ニコマコス倫理学)。


アリストテレス自身は、ひと目で見渡せる小規模のポリスを理想としたが、アレクサンドロス大王の登場と退場の舞台となったこの時代、情勢は世界国家の形成へ向かっており、古代ギリシアの伝統的都市国家体制は過去のものとなりつつあった。

*夢人注:「ポリティア」について舛添要一は「混合政体」としている。特に根拠は無いが、政治意識のある中産階級を「市民」として、「市民政治」と訳しても良さそうだ。それは「民主政治」とは違って、或る程度の知性と教養を政治参加の必要条件とするわけである。ポリス(都市)の運営が政治(ポリティクス)の起源だろう。奴隷には政治を考える心理的余地は無い。市民に政治参加の資格はある。現代では奴隷としての頭脳しかない人間に選挙権が与えられている。それが民主主義を崩壊させている。

2018/02/28 — そこで、アリストテレスも、現実に可能な最善の制度として、中産階級の人々が中心として運営するポリティア(混合政体)をあげたのである。

文学

アリストテレスによれば、芸術創作活動の基本的原理は模倣(ミメーシス)である。文学は言語を使用しての模倣であり、理想像の模倣が悲劇の成立には必要不可欠である。作品受容の目的は心情の浄化としてのカタルシスであり、悲劇の効果は急転(ペリペテイア)と、人物再認(アナグノーリシス)との巧拙によるという。古典的作劇術の三一致の法則は、かれの『詩学』にその根拠を求めている。

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ニーチェについて

ニーチェの思想を考察してみようか、と思っているのだが、手元にあるのが「善悪の彼岸」だけなので、先にニーチェの思想の全体像のようなものをウィキペディアから転載しておく。まあ、誤解や誤読、あるいは下手な要約かもしれない。
私は彼の著作を完読したことが一度も無いが、仄聞する情報だけで考えると、

1:キリスト教思想の全否定
2:キリスト教に基づく倫理の否定。
3:その後の実存主義哲学の起点のひとつ。

程度であり、その「超人思想」というのが、多くの娯楽メディアにおける「中二病」タイプキャラの原型ではないか、と思っている。ただし、その「超人」という言葉が独り歩きしたものだろう。ヒーローは多かれ少なかれ「超人的」キャラなのである。そして、過去の哲学や倫理学を否定した彼の思想が「善悪の彼岸」にあるとしたら、それはあらゆる強者の非倫理性を正当化する思想でもあり、現在の「新自由主義」の生みの親でもある、と思う。


(以下引用)

思想[編集]

ニーチェはソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学アルトゥル・ショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。先行の哲学者マックス・シュティルナーとの間に思想的類似点(ニーチェによる「超人」とシュティルナーによる「唯一者」との思想的類似点等々)を見出され、シュティルナーからの影響がしばしば指摘されるが、ニーチェによる明確な言及はない。そのことはフリードリヒ・ニーチェとマックス・シュティルナーとの関係性の記事に詳しい。


ニーチェは、真理理性価値権力自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンスニヒリズムルサンチマン超人永劫回帰力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。

解釈の多様性[編集]

ニーチェは、唯一の真実なるものはなく、解釈があるのみだと考えた[12]。ニーチェにとって、解釈とは、価値、意味を創り出す行為である[12]。そして、解釈は多様である。世界はどのようにも解釈される可能性があり、世界は無数の意味を持つ[12]。 ニーチェがこのように考える背景には、従来的な認識・真理に対する懐疑があった[13]

永劫回帰[編集]

ニーチェは、キリスト教が目標とするような彼岸的な世界を否定し、ただこの世界のみを考え、そしてこの世界を生成の世界と捉えた[14]永劫回帰(永遠回帰)とは、この世界は、全てのものにおいて、まったく同じことが永遠にくり返されるとする考え方である[14]


これは、生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうキリスト教的世界観の悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。


彼は、ソクラテス以前のギリシャに終生憧れ、『ツァラトゥストラ』などの著作の中で「神は死んだ」と宣言し、西洋文明が始まって以来、特にソクラテス以降の哲学道徳科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。

超人[編集]

それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情(ルサンチマン)によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとした。ニーチェ思想において力の貴族主義思想を廃することはできない。さらには絶対的原理を廃し、次々と生まれ出る真理の中で、それに戯れ遊ぶ人間を超人とした。


すなわちニーチェは、クリスチャニズム、ルサンチマンに満たされた人間の持つ価値、及び長らく西洋思想を支配してきた形而上学的価値といったものは、現にここにある生から人間を遠ざけるものであるとする。そして人間は、合理的な基礎を持つ普遍的な価値を手に入れることができない、流転する価値、生存の前提となる価値を、承認し続けなければならない悲劇的な存在(喜劇的な存在でもある)であるとするのである。だが一方で、そういった悲劇的認識に達することは、既存の価値から離れ自由なる精神を獲得したことであるとする。その流転する世界の中、流転する真理を直視することは全て「力への意志」と言い換えられる。いわばニーチェの思想は、自身の中に(その瞬間では全世界の中に)自身の生存の前提となる価値を持ち、その世界の意志によるすべての結果を受け入れ続けることによって、現にここにある生を肯定し続けていくことを目指したものであり、そういった生の理想的なあり方として提示されたものが「超人」であると言える。

古代インド思想[編集]

ニーチェは『ヴェーダ』『ウパニシャッド』『マヌ法典』『スッタニパータ』などの古代インド思想に傾倒、ゴータマ・シッダールタを尊敬していた。度々、忌み嫌う西洋キリスト教文明と対比する形で仏教等の古代インド思想を礼賛し、「ヨーロッパはまだ仏教を受け入れるまでに成熟していない」と語っている[15]

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近現代哲学は「何を問題としているのか」

近現代哲学は何を問題としているのか、と言えば、「人間の生の意味は何か」「人間は自由な存在でありうるか」という2点で、これはどちらもキリスト教への信頼・信仰の崩壊(それはニーチェの「神は死んだ」という言葉で端的に表されるだろう。)と共に出てきたものだろう。つまり、もともとキリスト教と無縁の日本の哲学者が西洋哲学を有難がることはまったく無いわけだ。
ということは、私が近現代哲学にまったく興味を持てなかったのは当然であり、今さら考察する意味もあまりなさそうだが、キリスト教と切り離して「人間の生の意味は何か」「人間は自由な存在か」という考察をすることには少しは意味があるかもしれない。
だが、これにしても「人間の生の意味など無い(生の意味は個々人が主観的に作るものだ)」というのが自然な考えで、これは西洋では実存主義に近いだろう。何を大袈裟に「実存主義」などと言うのか、という感じだ。創造主という仮定が先にあるから「人間の使命(生きる意味)は何か」などと事々しく考える(創造主に作られた以上は、何か使命があるはずだ、という思考になる)のであり、近代以前の日本人や東洋人はそんなことなどまったく考えなかったと思う。
「人間は自由な存在か」というのも、日本人は最初から社会の義理と人情の束縛の中で生きている自分を当然視していたのであり、最初からポスト構造主義であったわけである。やっと西洋が日本人の精神レベルに追いついたわけだwww ただ、日本人は哲学的理屈をこねる習慣が無かっただけである。
というわけで、近現代哲学の考察はやめることにする。なお、「現象学」にはまったく興味が無い。

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現代哲学の流れ

高橋医院という哲学好きらしいお医者さんのブログから転載。
現代哲学の興隆や潮流が分かりやすく説明されている。もちろん、超簡単な説明だから抜け落ちや誤解もあるだろうが、概観するにはちょうどいい。


(以下引用)


その前に 現代哲学の誕生に大きな影響を及ぼした
あの超有名な哲学者について言及します

<ニーチェ>

ニーチェは
多面的なところがある
仮面を好む哲学者と言われています


神は死んだ

今までの生き方に
妥当性がなくなった世界を生きていくために

自分自身で価値を作っていかなければならない

と主張しました

神は死んだ というニーチェの主張が示されたポスター


このニーチェの考え方は パースペクティブ論と呼ばれ

あらゆる認識はどこから見るかで変化するという
相対主義の最たるものと言えます

どれが正しいなんてことは基本的にはない
絶対的な正しさはなく 
全ての知識は相対的なものである


ニーチェは
ポストモダニズムの相対主義を準備したのです

二ーチェの肖像画



ニーチェはまた

道徳的事実なんてない

絶対に正しい道徳などはなく
解釈の仕方により 何が正しいかは変わってしまう

正しさを決定するのは 人それぞれの感情だが
好きか嫌いかに留まり
正しいか正しくないかを決定するには至らない

とも述べていて
これは 分析哲学の基本的な立場につながる考え方と言えます

このように
ニーチェは現代哲学に大きな影響を及ぼしました


<実存主義>

19世紀のデンマークの哲学者のキルケゴールが始め
20世紀になりドイツで議論され


キルケゴールの肖像画

大戦後に 
フランスでサルトルらが中心になり発展しました


@サルトル

実存が本質に先立つ

まず実存し そこからさまざまな本質を作り上げていく

自分の在り方は 
あらかじめ決まっているわけではなく

自分自身でそれぞれ作り上げていくものである
(人間以外のものは 全て本質が先立つ)

実存は個別的 本質は普遍的


サルトルの写真

そう訴えて
世界に大きなムーブメントを巻き起こしたサルトルは

途中から実存主義的マルクス主義になり
自分が行為することで社会を変えることを
大きな方向性 目標にしました

1960年代は まさに実存主義の時代でしたが
書き手はまだ小学生だったので 流行に乗り遅れました(笑)

でも1970年代になり
実存主義の流れをくむカミュの小説とかは
夢中で読んでいましたが

カミュの写真


1970年以降 実存主義は下火になり
現代哲学の流れは
構造主義 ポスト構造主義へと引き継がれていきます

ポストモダン の時代です

ポストモダンについて説明する図


<構造主義>

1960年代から1970年代にかけて
構造主義が大きなムーブメントになりました

構造主義は まさに相対主義的な考え方で
やがて言語学に基づいた理論展開に発展していきます


人の生き方は
社会の中ですでに決まっているのではないか?

というのが 構造主義が投げかけた問いです


自分は自由に行動しているつもりでも
社会的なもの 構造的な様々な要因により
行動がある程度決められているのではないか?

個人の自由というより
個人を成り立たせている様々な関係の枠組み 
構造の分析こそ重要である


という考え方です

社会とは
歴史的にずっと続いている変化のないもので
理論的に 数学的に取り扱うことができる
ひとつの大きな枠組みである

構造主義について説明する図



書き手は中学生の頃
こうした考え方に 妙に魅かれていました(笑)


@レヴィ・ストロース

構造主義の雄のレヴィ・ストロースは
フィールドワークで
未開民族の親族構造 社会構造の分析を行い


人間の自由は幻想で 社会構造の中で決められている
と述べました

個人的な自由 決断が先立つのではなく
社会や言葉が行動を決定する

レヴィ・ストロースの写真



とても魅力的でした(笑)

彼の思想は
ソシュールの言語学や 記号論につながっていきます


<ポスト構造主義>

やがて 構造主義に疑問を投げかける動きが出てきます

個人の自由を規定する構造が 変わることはないのか?
構造を変えるにはどうすればいいのか?

@ジャック・デリタ

ポスト構造主義の雄のデリタは
レヴィ・ストロースの分析を 
裏返しの西洋中心主義と批判しました


未開民族をリスペクトして 
非常に優れているかのように描くことが

実は西洋中心主義の裏返しに他ならない
というのです

個人というものも 
ひとつのものとしてあるだけでなく

その中にいろいろな要素があって 色々な組み合わせ方がある

構造主義的ではあるものの
組み合わせの違いによって 個人の在り方が変わる

というのです

デリタの写真


ちょっと 混沌としてきました(笑)

 

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「デカンショ」から実存哲学へ

「デカンショ」は「そうでがんしょ(そうでしょうね)」の意味だという説もあるが、旧制高校の「デカンショ節」の解釈としてはやはり「デカルト・カント・ショーペンハウアー」の頭を並べたものだ、という説のほうが合理的だろう。で、私は高校時代だったか浪人時代だったかにデカルトの「方法序説」とショーペンハウアーの「自殺について」「読書について」を読んで大きな感銘を受けたのが、その後の思想的ナビゲーターとなっている。で、カントについて先に考察したので、これで「デカンショ」は一応卒業したことにする。やっと旧制高校の劣等生レベルにはなったと自己評価しておく。
で、次にはやはり戦後日本の思潮界を席巻した「実存主義」の考察に行くのがベストだろうと思って、ウィキペディアで少し調べたのでその一部を転載する。
「実存」とは要するに「現実存在」であり、「概念(表象)」と対立するものだと把握していいのではないか。そして有名な「実存は本質に先立つ」とは簡単に言えば「現実存在はイデアより重視されるべきだ」という「非理想主義」「現実主義」だというのが私の解釈だ。つまり、それは現実の悪も醜さも、それなりの意味がある、という思想を含んでいるわけで、実存主義が文学と馴染みやすい所以である。しかし、それは実に醜いものを熟視するわけだから、気持ちのいい文学にはなりようがない。ロマン主義や理想主義の対極だろう。
だが、哲学としては一応その重要性を認めるべきではある(その後に重要な哲学の学派は出ていないはずである。つまり「最後の哲学」かもしれない。)だろうから、気が向けば考察する。

(以下引用)



ダーウィンの『種の起源』以降、ヨーロッパは古代以来の聖書的世界から輝かしい科学と進歩の時代へと向かった。しかし、国民国家という新しい世界体制は第一次世界大戦国家総力戦による大量破壊へ繋がり、19世紀以来続いた西欧の進歩主義への信仰は大きく揺らぐこととなった。とりわけ国土が直接、戦場となった独仏、わけても敗戦国としての重い負債を背負わされたドイツにとって、進歩主義への信頼の崩壊は強い衝撃を与えた。大陸ヨーロッパの知識人キリスト教の精神的伝統を進歩主義によって破棄した後の、進歩主義の無残な残骸を前に途方にくれることとなった。このようなドイツにおいてまず、一時代前の人物であるキルケゴールなどが注目を浴びるようになる。


「主体性が真理である」としてから与えられた可能性を実現することに生の意義を見出したキルケゴールの主体志向に加えて、さらに、第一次世界大戦において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、神の死(「神は死んだ」)を宣言し、能動的なニヒリズム (運命愛) の思想を展開したニーチェを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者としつつ、1930年代ドイツマルティン・ハイデッガーカール・ヤスパースらによって「実存」の導入が図られた。大事なことだが、ハイデッガーの意味づけの実存は、個人主体実存という本来性から離れて、「民族の」実存になっている。各個人が自由な実存のうちに民族の実存を求めているのであればよい。しかしここでは、民族の実存を希求して先導するハイデッガーが、先導される個人の私性を否認している。(Martin Heidegger, Logik als die Frage nach dem Wesen der Sprache, VittorioKlostermann, Frankfurt am Main, Gesamtausgabe Band 38. p163.) ここには真の実存はハイデガーにしかないのだが、こうした曲折を経て、実存の考え方は第二次世界大戦後、世界的に広がりをみせることになった。


第二次大戦後、フランスに輸入され、サルトルらによって広まった実存主義は、サルトルのアンガージュマン(他の実存と共に生きるための自己拘束)の思想に見られるようにマルクシストとしての社会参加色が強く、それに呼応しない者には説得力がなかったが、1960年代学生運動の思想的バックボーンとなった。サルトルの『実存主義とは何か』は実存主義のマニフェストであり入門書ともいわれ、1945年10月パリクラブ・マントナンで行われた講演が元になっており、多数の聴衆が押しかけたため、入りきれない人々が入口に座り込むほどで、翌日の新聞に大見出しで「文化的な事件」として伝えられ、時ならぬサルトルブームを巻き起こした。第二次世界大戦直後のヨーロッパでは、巨大な歴史の流れの中での人間存在の小ささが意識され、戦前までの近代思想や既存の価値観が崩壊し、人々の多くが心のよりどころを喪失しかかっていた。サルトルの思想は、実存に新たな光を当て当時の人々の根源的な不安を直視しそれに立ち向かい、自由に生きることの意味を追求し、人間の尊厳を取り戻す術として人々に受け入れられることになった[2]


この、支配制度に対する被支配的個人の重視は、サルトルの思想が1970年代に入ると、 構造主義などから批判を受け、低調になっていくものの、広く受け入れられている。他者を支配管理する実存はあり得ない。


また、同じく「私」に焦点を当てる芸術や文学心理療法との相性も良く、特にカール・ロジャーズらが始めた心理療法には「今、現にここに存在している私」を問題とする実存主義の強い影響が見られる。


実存主義を哲学のみならず、文学芸術などにも拡大解釈する場合(ボルノウなど) 、パスカルドストエフスキー等も実存主義者だと解される場合もある[3]


第一次世界大戦の敗者であるドイツや戦勝国であっても大きな痛手を受けたフランスなどとは異なり、勝利者である英米にとって、第一次世界大戦の惨事は進歩主義への信仰を決定的に揺るがすことはなかった。しかし、スペイン内戦に参加するなどヨーロッパの情勢に積極的に関与したアーネスト・ヘミングウェイを代表とする一群のアメリカ知識人もまた、自らを実存主義者と見なした。日本では当時、文学者として国際的な評価も受けていた芥川龍之介が第一次大戦後に「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺している。





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