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気の赴くままにつれづれと。
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現代の日本社会における浄土教についての一般的理解がどのようなものであるかは、容易にまとめることができる。浄土教とは西方極楽浄土への「往生」を説く大乗仏教の一形態であり、死後にこの現実世界とは隔絶した彼岸に往き生まれることを教えの中心とし、そのための手段として念仏を位置づけ、それを称える人間を阿弥陀仏という同じく現実世界には不在の超越的存在が摂取しその慈悲深い心で浄福を授けてくれると考える、そんな宗教であるというのが広く共有されている図式であるだろう。今日の世俗化社会にあって、それは端的に神話的世界観の表現であり、それを前にして問われるのはその非―現実的な物語を信ずるか信じないかという選択だけであると言ってよい。
だが、そのような理解に立つとき、私たちは浄土の教えをたんなる精神的ないし心的領域における救済論に矮小化することになる。なぜなら、そのとき私たちは近代的な理性の範疇と前近代的な説話の範疇とを区別したうえで、後者をそれが想像界にもたらす平安と慰めにおいてのみ肯定し顕揚していることになるからだ。そして、なるほど現代社会が宗教を許容するのは、その効果が精神的―想像的なものであるかぎりにおいてだと言える。すなわち、宗教が現実的な力をもつことは現代市民社会において望ましいことではなく、宗教者の側がその教えをみずから無力化することと社会の側がその教えの無力さを前提とすることが共犯関係にあり、その帰結として宗教の無害な安全圏への囲い込みが生じているというのが今日の状況である。宗教が現実的な力をもつとき、それは――宗教的原理主義に対する社会の警戒に現れているように――危険だと見なされるのである。
しかし私たちは、このような区別、このような境界画定に甘んじていてよいのか。否、法然が「凡夫」往生を約束したとき、親鸞が「屠沽の下類」との連帯を宣言したとき、そして一遍が「他力称名に帰しぬれば、自他彼此の人我なし」と断言したとき、それらの言葉が社会の現実を見据えたものであり、そのヒエラルキーや差別や搾取の諸構造を打破する根本的変革の意志に貫かれていたことを忘れるべきではない。この偉大な宗教家たちにとって、その〈信〉は社会秩序とその常識、その規範化する通念に抗う闘い以外のものではなかった。だが、そうだとすれば、現代の私たちが打破すべき常識・通念はどこにあり、どのような構造をしているか。
超越への欲望とそれに起因する人間中心主義を解体すること――最重要の賭札はそこにある。そして、浄土教におけるその具体的課題は、なによりもまず阿弥陀仏を超越的〈一者〉と見なす通念的理解を突き崩すことに存する。実際、阿弥陀仏を西方十万億土の彼岸にいる存在、それもキリスト教における人格神イエスと同じような唯一の超越者と見なし、それを人間的形姿によって表象することは、今日最も広く行われており、教団としての浄土宗における公的教義さえもそのような理解を支持している。しかし、これは完全な誤謬、しかも日本浄土教をキリスト教と同じ一神教的構造をもつと人々に誤解させその教えを神話的物語に縮減する点で、きわめて大きな弊害をもたらす根本的に誤った認識である。
阿弥陀仏とはなにか。言うまでもなくそれは「無量寿」「無量光」という本来的に物質性を一切もたない「法身」であり、衆生済度のために時と場所に「応」じて仮の身体となって現れる「応身」、さらに仏となるための果てしない修行を積んだ結果「報」れて現れる「報身」とは、いずれも衆生の理解を容易にするための方便に過ぎない。この点を明確化すべく錬成されたのが、法然・親鸞・一遍における「自然(じねん)」概念である。
「自然」とはなにか。それはスピノザが「神あるいは自然(しぜん)」というテーゼにおいて示した「能産的自然」にきわめて近いなにかである。すなわちキリスト教における神が、最高度の知性と自由な意志においてあらゆる産出の選択を可能性としてもつ超越者であるとすれば、スピノザ的「神」はまったく反対に、事物のそれぞれに変様し、様態化する「内在的原因」であり、それはあらゆるものを必然という様相において産出する。そしてそれゆえに、私たち人間存在にできるのは、ただその「自然」の生成に内在することだけであり、その必然を肯定することだけである。法然のあとを承けて親鸞が「自然(じねん)」とは「おのづから」「しからしむ」はたらき、すなわち「行者のはからひ」の外で作動する自律的な生成のプロセスだと述べるとき、それはまさにスピノザ的「自然(しぜん)」の原理を指していると言ってよい。「無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは申すなり」と言うとき親鸞は、阿弥陀仏がいかなる擬人化される存在でもないことをはっきり認識している。すなわち、「自然」である阿弥陀仏とは、形相なき力能にほかならないのである。
そのような「かたち」なき生成する力として認識し直された阿弥陀仏は、したがって、浄土教における〈信〉のあり方そのものに変更を迫り、私たち衆生に現実を変革する力を与え返してくれるだろう。阿弥陀仏を超越的〈一者〉として表象し、その疑似人格的意志によって救われたいと欲望するかぎり、浄土教は神話的説話体系にとどまり、その救いの力はどこまでも精神的―心的な慰藉であるほかない。
しかし、衆生が阿弥陀仏への〈信〉を「自然」の生成への内在として実践し、その必然を留保なく肯定するとき、浄土教は神話的世界から脱却し、「自然」の論理と倫理を説くすぐれて現実的な教えへと変貌を遂げる。実際、阿弥陀仏がその仮定され捏造された超越的意志によって衆生を救うという論理は、衆生がみずからの超越への欲望を阿弥陀仏に投影し、阿弥陀仏をみずからの似姿として理解してしまうことから生じる妄念に過ぎず、それは衆生を人間中心主義的なイデオロギーの内部に閉じ込め続けるだろう。そのイデオロギーの最も深刻な現れが、今日の世界における自然環境破壊であることは言うまでもない。「自然(じねん)」=「自然(しぜん)」から超越してあり、そのすべてを対象化し操作し利用し続けることが可能だと信ずる傲慢――その典型が、たとえば「持続可能な開発目標SDGs」という空疎なスローガンである。
しかし、この妄念から目覚めるとき、衆生はまったく新たな認識を獲得し、まったく新たな世界を生き始めることができる。
たとえば「浄土」――それはもはや、はるか彼岸に位置する実在性を欠いた幻想の領土ではない。そうではなくそれは、阿弥陀仏の大慈悲の力が貫徹しているすべての実在の場、衆生が称名念仏の声とともに生成変化していくすべての内在性の平面となるだろう。
たとえば「往生」――それはもはや、死の瞬間に来迎する阿弥陀仏によって摂取され来世における安楽を約束されることではない。そうではなくそれは、衆生がこの世界において念仏を称えることで阿弥陀仏の「本願」の構造にほかならない閉じざる未来完了の中へ身を投げ入れ、新たな誕生を繰り返しつつ、この穢土そのものを「浄土」へと生成させていくプロセスと化すだろう。いかなる超越への欲望も知らない内在性の領野に立ち現れる、この真の仏国土……。
宗教が本来的にもつ現実的な力を回復すること――ここにこそ、今日の日本浄土教の使命と課題はある。
かれらはしばしば、日本人は動物に残酷であると非難する。竹山道雄が、「日本人でも小鳥ぐらいなら頭からかじる」といって、反対に残酷だと逆襲されているのも、その一例である。
このような相違は、「残酷」という言葉の意味・内容が、日本人とヨーロッパ人ではまるでちがうからである。動物愛護というと、日本人は、ともすれば、動物を人間と同じように扱い、動物を絶対に殺さないことだ、と考えやすい。なかには菜食主義を動物愛護の極致だと主張したりする人もたくさんある。
欧米諸国の動物愛護運動は、そうではない。そこでは動物を殺すこと自体はけっして残酷ではない。残酷なのは不必要な苦痛をあたえることである。
(中略)
事実、ヨーロッパ人なら、飼犬などの面倒をみきれなくなると、あっさりと殺してしまう。しかし、日本人はちがう。殺すのは残酷だと考え、だれかが拾ってくれるのをあてにして、生かしたまま捨てる。その結果は野犬の増加である。ヨーロッパ人にはこれがわからないという。かれらにとって、飼犬を野犬にするぐらい残酷なことはないのである。
『肉食の思想』は20世紀に書かれた書籍であり、ヴィーガニズムが日本にやって来る前の書籍である点に留意していただきたい。しかし、ここに記されたヨーロッパの動物愛護は、たとえば日本人になじみ深い(大乗仏教の)慈悲の考え方とは根本的に異なっているし、ヨーロッパの食文化や生活とコンテキストを共有している。その後継であるヴィーガニズムもまた、同様にコンテキストを共有しているだろう。表向き、ヴィーガニズムが精進料理や慈悲に似ているとしても、それは似て非なるものだし、欧米に格別の関心を持たない日本人には容易に飲み込める思想ではないはずである。少なくとも私は、自分のなかにある慈悲や菩薩道の考え方とヴィーガニズムの間に、重ならない何かをいつも予感している。
そしてヴィーガニズムがワールドワイドになり得るとしても、慈悲や菩薩道がワールドワイドになり得るとは到底思えないのだ。そしてこれらは、大乗仏教の衰退とともに(思想として)化石になっていくのだろうと悲観する。
東京藝術大学の学生生活は本当に病むから気をつけた方がいいを読んで思うところがあったので書きます。
百数十万人の同い年に生まれた子供のうち、3000人くらいしか入れない大学です。
そこに入るには、日本でトップクラスの学力を要するといわれています。
芸術よりも、お勉強の道を選ぶ人は多いので、まあ、入学するには最難関の大学の一つですね。
東大に入ると、せっかく東大に入ったのに自信がなくなるのは、当たり前です。
なんせ、駿台模試とか東大オープンとかで、自分の点数(440点満点で220点くらい)から見ると理解困難な点数(330点とか)を取っていた秀才がリアルに目の前にいるのです。
人の学力をけなすような低劣な人格だったらまだ溜飲が下がるってもんですが、そういうのに限っていいやつなんだな。
そういう秀才を目の前にして、ひがんで屈折してしまう自分の、人格的な弱さと、その根底にある学力の弱さに涙した東大一年生は何百人もいるはずです。
誰もそんな恥ずかしいことは口にしませんが、そうやって自分のせいで人間不信になって、大学に来れなくなったり第二外国語をさぼって放校になる駒場生は何十人もいます。
それでも、学力という、偏差値という唯一の物差しを信じて人生18年生きてきた東大生は、病むほどに勉強します。
だって進振りがあるんだもん。教養の平均点を偏差値に置き換え、平均点の優劣で人生が決まると思って勉強します。
病むほどに点数は上がります。病むほど勉強しないと、同級生の秀才たちには太刀打ちできないのです。
東北の某県で無敵を知られた秀才君も、九州で男子を蹴散らし英語無敵を謳われた彼女も、ここではただの一東大生。
そんなレベルは、男女御三家(武蔵を除く)やツッコマには掃いて捨てるほどいるのです。
田舎から出てきた東大生は、東京というものに強い憧れを抱いていたんですね。
クリームがいっぱいに乗ったパンケーキ、お洒落なブティックとかドラマで見る東京の恋愛に、ただ漠然といいなぁ素敵だなぁと胸にトキメキを馳せておりました。
実験し大教室に通う毎日と、倒しても倒しても出てくる自分より賢い同級生の前にひれ伏す毎日を過ごします。
東京という街は、そういうところなんですよね。
実際、東京大学に対しても大きな憧れを抱いていました。その理由はやはり「日本トップの国立大学だから」というのがあったと思います
そういう理由で大学にきてしまったので、憧れの理想と現実の差に心を痛めました。
日本トップの授業があるわけでは無いし、合格したからと言って自分の学力が日本のトップになるわけでは無かったからです。
大切なのは、自分が将来何になりたいかであって、東大は通過点でしかないということを身にしみて感じています。
この年になるといろいろなものを見てきました。
キラキラしていた秀才が、国家公務員試験を上位で合格し、某省で組織防衛に身も心もさいなまれ、書類の書き換えの何が悪いと言い放つ姿も。
誰もがかなわないと思った研究者が、研究に疲れ果てたタイミングで引っ掛かった男に身も心も搾取され、売春でその彼に貢ぐようになってしまった姿も。
勉強ができたから、当然のように理学部物理学科に進学しあるいは司法試験に受かったのに、それらの職が本来求める対人調整能力がなかったがゆえに、人生で唯一得意な受験勉強で食ってくために予備校講師になった姿も。
18歳の時に知り合ったキラキラした秀才が、そういう風にして、堕ちていく姿をたくさん見てきた。
きっと彼らも、キラキラして見えたけど、東大にいた四年間に何か病むことがあって、そうして社会に出たときに、単に幸せを追求することができなくて、不幸せになっていったんだと思う。
上には上がいる。
そして、一つの物差しで「上」を計ろうと思うと、全体として自分が如何にあれば幸せになれたのかということが分からなくなってしまうのだと思う。
勉強が出来過ぎたがゆえに、勉強の物差しで人生は幸せになれると思い込まされる。
そして、自分より勉強ができる数多の秀才に出会ったが故に、もっと上に行きたくて勉強して、結果、勉強への過剰適応で世の中に適応できない若者を量産する。
それが東大。
キリスト教の信仰と思想のなかに社会主義思想をみいだし、それに基づいて資本主義の抱える社会労働問題の解決を図ろうとする思想と運動の総称。ただし資本主義の矛盾を批判し、教会事業の一環として労働組合や協同組合を設立するなどして社会労働問題の独自の解決を志向しているカトリック教会の活動は広義のキリスト教社会主義の一種とみられないことはないが、キリスト教社会主義とはいわない。したがってキリスト教社会主義は新教の国に限られている。その発端は1840年代の終わりごろイギリスで『キリスト教社会主義者』Christian Socialist誌(1849創刊)を中心に、社会主義は本来キリスト教の事業であるとして、労働者の自主的闘争を否定し、労働者の啓蒙(けいもう)活動や協同組合活動を展開したモーリス、キングズリー、ルッドローらの活動である。それはまもなく消滅したが、しかしスイス、オランダ、ドイツにも類似した活動が広がっていった。とりわけドイツでは、社会民主党の躍進に対抗して労働者階級への社会主義の影響を阻止するために、シュテッカーを中心とする保守的・国粋的なキリスト教社会主義や、F・ナウマンを中心とする自由主義的な福音(ふくいん)社会主義が19世紀後半に展開された。そして第一次世界大戦後ワイマール・ドイツでは、キリスト教社会主義の一つの注目すべき流れとして宗教的社会主義Religiöser Sozialismusがパウル・ティリヒを中心に主張された。それは、社会主義の宗教的根源を明らかにし、資本主義的な生産と消費の原子化された過程における人間の非人格化と物化の危険を指摘し、それを克服する神学とその実践的提言を行った。さらにそれは、社会主義を倫理的課題として規定して社会主義運動への意志の倫理的根拠づけを与えたことで、受動主義に陥っていたドイツ社会民主党の活性化に寄与するところがあった。
他方、新大陸のアメリカでも、1860年代から1890年代にかけて、プロテスタントの間でキリスト教社会主義が台頭していたが、1890年代にアメリカの神学校に留学中であった村井知至(ともよし)、安部磯雄(いそお)、片山潜(せん)がこれに影響されて帰国後、社会主義思想の研究と普及に努め、日本の創生期社会主義運動に大きな影響を与えた。しかし社会主義運動の成長とともに、キリスト教社会主義と同時に受容された社会改良主義やマルクス主義が運動の支配的潮流になるにつれて、キリスト教社会主義者は脇役(わきやく)に追いやられるか、脱落していった。その代表的な人は、上記の人々のほかに木下尚江(なおえ)、賀川豊彦(とよひこ)などである。
[安 世舟]
『古屋安雄・栗林輝夫訳『ティリッヒ著作集 第1巻 キリスト教と社会主義』(1978・白水社)』
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