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近現代哲学は「何を問題としているのか」

近現代哲学は何を問題としているのか、と言えば、「人間の生の意味は何か」「人間は自由な存在でありうるか」という2点で、これはどちらもキリスト教への信頼・信仰の崩壊(それはニーチェの「神は死んだ」という言葉で端的に表されるだろう。)と共に出てきたものだろう。つまり、もともとキリスト教と無縁の日本の哲学者が西洋哲学を有難がることはまったく無いわけだ。
ということは、私が近現代哲学にまったく興味を持てなかったのは当然であり、今さら考察する意味もあまりなさそうだが、キリスト教と切り離して「人間の生の意味は何か」「人間は自由な存在か」という考察をすることには少しは意味があるかもしれない。
だが、これにしても「人間の生の意味など無い(生の意味は個々人が主観的に作るものだ)」というのが自然な考えで、これは西洋では実存主義に近いだろう。何を大袈裟に「実存主義」などと言うのか、という感じだ。創造主という仮定が先にあるから「人間の使命(生きる意味)は何か」などと事々しく考える(創造主に作られた以上は、何か使命があるはずだ、という思考になる)のであり、近代以前の日本人や東洋人はそんなことなどまったく考えなかったと思う。
「人間は自由な存在か」というのも、日本人は最初から社会の義理と人情の束縛の中で生きている自分を当然視していたのであり、最初からポスト構造主義であったわけである。やっと西洋が日本人の精神レベルに追いついたわけだwww ただ、日本人は哲学的理屈をこねる習慣が無かっただけである。
というわけで、近現代哲学の考察はやめることにする。なお、「現象学」にはまったく興味が無い。

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