第四十六章 父マリス
あわてて中に入ると、下に転落していただろう。室内はさらに五メートルほど下がっており、入り口の横にある、壁際の階段で降りるようになっていた。下は、井戸のように暗くて、よく見えない。
「誰かいるか?」
ミゼルは声を掛けた。返事はない。
ピオが、ミゼルの後ろから下に声を掛ける。
「おーい、マリスさんとやらはいないか。あんたの息子のミゼルが助けに来たぜ」
一瞬の沈黙の後、枯れ木の間を流れる風のようなかすれたか細い声が聞こえた。
「ミゼルだと? 本当に、私の息子のミゼルがそこにいるのか」
ミゼルは、階段を駆け下りた。
壁に長い鎖で結びつけられて蹲っている男がそこにいた。男は腰布以外はまったくの裸で、その体は痩せこけ、頭髪は伸び放題に伸びて、肩の下まである。その顔はぼうぼうと髭に覆われていたが、その顔立ちには見覚えがあった。祖父のシゼルにも似たその顔は、やはり父のマリスである。
ミゼルは男に抱きついて、涙を流した。
「お父さん、何て哀れな姿だろう。十一年も、こんな姿で生きていたのですね」
「ミゼル、ミゼル、よく来てくれた。ずいぶん大きくなったな。お母さんは、ナディアは元気か」
ミゼルは言葉に詰まった。
「……いいえ。お母さんは、お父さんが行方不明になってすぐ、病気で死にました」
「……そうか。お父さんは、お前のお祖父さんのシゼルは?」
「元気です。ぼくがお父さんを連れて帰るのを待ってます」
「有り難い。お父さんは生きてらっしゃったか。随分心配をかけた」
二人が話している間に、ピオが細い金属棒を使ってマリスの腕と足の鉄の枷を外し、マリスを自由な体にしてやっていた。
「この方は?」
「友人のピオです」
「こんな危険な所にミゼルと一緒に来て下さるとは、義侠心のある方だ。感謝する」
「いやあ、単なる命知らずの物好きでさあ。おい、ミゼル、積もる話は後でゆっくりして貰おう。見張りの番兵がいなくなっているのを怪しまれて、城内が大騒動になる前に脱出しようぜ。どうです、マリスさん、歩けそうですか」
「ああ……大丈夫だ。体が弱って、走るのは難しいが、歩くくらいなら」
「なら、行きましょう」
三人は、ピオを先頭に、ミゼルがマリスに肩を貸して支えながら、地下牢を出た。
ピオの言った通り、侵入者に気づいたのか、城の中は騒然としていた。
「まずいな。もうばれていたか。どうする、もう一度城壁の上まで行って、そこから降りるか、それとも門を中から開けて出るか」
ピオが言った。
「門を開けよう。お父さんは、走れない。城から出ても、追っ手にすぐに追いつかれるだろう。馬を盗もう」
「よしきた。ならば、お前さんは、馬小屋に行って、馬を盗んで来い。お前が門まで来ると同時に、俺が門を開ける。いいか、馬は二頭だぞ」
「いや、三頭だ。わしも馬には乗れる」
ミゼルに代わってマリスが言った。
ミゼルは頷いて、マリスと共に、城の西側にある馬小屋に向かった。
馬小屋には兵士は一人もいなかった。ほとんどが城内の捜索に駆り出されているのだろう。馬飼いの男が一人、ミゼルたちの物音を聞いて小屋から出てきたが、すぐにミゼルに殴り倒された。
ミゼルとマリスは、手頃な馬を三頭選んで手早く手綱を付けると、その二頭に乗り、一頭はマリスが手綱を引いて後から付いて来させた。
正門前の広場まで来ると、二人が走っていく姿は敵に気づかれ、兵士たちが剣を抜いて彼らに向かってきた。
ミゼルも剣を抜いて応戦するが、武器を持たないマリスは、兵士たちの剣を避けるだけである。しかし、長い牢獄生活で体が衰えているものの、その乗馬術や身のこなしは、さすがにヤラベアム一の騎士と謳われた見事なものである。
ミゼルたちが来るのを見て、物陰に潜んでいたピオが門扉を上げ下げする大きな木の機械を動かして門を開けたが、ミゼルたちは兵士たちに前を遮られて、動けない。そして、ピオもまた兵士たちに攻撃を受けて苦戦している。ミゼルは、神の武具を置いてきたことを後悔した。
その時、城外の闇の中から、光り輝く姿が現れた。闇の中に浮かび上がるように輝く白銀色の騎士である。馬に乗ったその騎士は、城内に躍り込むと、周りの兵士たちに剣を浴びせた。その、何という強さだろう。
兵士たちは、その騎士の剣の前に、野菜でも切るように簡単に切り倒されていくではないか。盾も鎧も、スパッ、スパッと紙細工のように切られていく。
救援の騎士によって開いた道に、ミゼルとマリスは馬を走らせた。途中で、ピオも馬に飛び乗る。
しばらく馬を走らせて、もはや追っ手が来ない事を確認した一行は、馬から下りて息をついた。
白銀の騎士も兜を脱いだ。そこに現れたのは、美しいブロンドの髪のリリアであった。
「リリア、君のお陰で助かったよ」
「ええ、あなた方が危険だと感じて、助けに行ったの。でも、この鎧は、私には無理ね。たったあれだけで死ぬほど疲れちゃった」
リリアはミゼルに笑った。
物問いたげな顔で二人を見ているマリスに、ミゼルはリリアを紹介した。
「お前の恋人か?」
マリスは、面白そうな顔でミゼルに聞いた。
ミゼルは顔を赤らめた。
「ええ、そうですわ。お父様、初めまして。リリアと申します」
「こんな美しい方は初めて見た。ミゼルは果報者だな。素晴らしい友人と素晴らしい恋人がいるとは」
「初めてではありませんわ。お父様とは、十一年前にヘブロンでお目に掛かっています」
「風の島、ヘブロンで? では、あの時のあの可愛い小さな女の子が、あなたなのか。これは何という巡り合わせだろう」
「まあ、話は後にして、姿を隠してゆっくり休める場所を探そうぜ」
ピオの言葉に三人は頷いた。
いつの間に現れたのか、ライオンのライザもリリアの後ろに付き従っていた。
あわてて中に入ると、下に転落していただろう。室内はさらに五メートルほど下がっており、入り口の横にある、壁際の階段で降りるようになっていた。下は、井戸のように暗くて、よく見えない。
「誰かいるか?」
ミゼルは声を掛けた。返事はない。
ピオが、ミゼルの後ろから下に声を掛ける。
「おーい、マリスさんとやらはいないか。あんたの息子のミゼルが助けに来たぜ」
一瞬の沈黙の後、枯れ木の間を流れる風のようなかすれたか細い声が聞こえた。
「ミゼルだと? 本当に、私の息子のミゼルがそこにいるのか」
ミゼルは、階段を駆け下りた。
壁に長い鎖で結びつけられて蹲っている男がそこにいた。男は腰布以外はまったくの裸で、その体は痩せこけ、頭髪は伸び放題に伸びて、肩の下まである。その顔はぼうぼうと髭に覆われていたが、その顔立ちには見覚えがあった。祖父のシゼルにも似たその顔は、やはり父のマリスである。
ミゼルは男に抱きついて、涙を流した。
「お父さん、何て哀れな姿だろう。十一年も、こんな姿で生きていたのですね」
「ミゼル、ミゼル、よく来てくれた。ずいぶん大きくなったな。お母さんは、ナディアは元気か」
ミゼルは言葉に詰まった。
「……いいえ。お母さんは、お父さんが行方不明になってすぐ、病気で死にました」
「……そうか。お父さんは、お前のお祖父さんのシゼルは?」
「元気です。ぼくがお父さんを連れて帰るのを待ってます」
「有り難い。お父さんは生きてらっしゃったか。随分心配をかけた」
二人が話している間に、ピオが細い金属棒を使ってマリスの腕と足の鉄の枷を外し、マリスを自由な体にしてやっていた。
「この方は?」
「友人のピオです」
「こんな危険な所にミゼルと一緒に来て下さるとは、義侠心のある方だ。感謝する」
「いやあ、単なる命知らずの物好きでさあ。おい、ミゼル、積もる話は後でゆっくりして貰おう。見張りの番兵がいなくなっているのを怪しまれて、城内が大騒動になる前に脱出しようぜ。どうです、マリスさん、歩けそうですか」
「ああ……大丈夫だ。体が弱って、走るのは難しいが、歩くくらいなら」
「なら、行きましょう」
三人は、ピオを先頭に、ミゼルがマリスに肩を貸して支えながら、地下牢を出た。
ピオの言った通り、侵入者に気づいたのか、城の中は騒然としていた。
「まずいな。もうばれていたか。どうする、もう一度城壁の上まで行って、そこから降りるか、それとも門を中から開けて出るか」
ピオが言った。
「門を開けよう。お父さんは、走れない。城から出ても、追っ手にすぐに追いつかれるだろう。馬を盗もう」
「よしきた。ならば、お前さんは、馬小屋に行って、馬を盗んで来い。お前が門まで来ると同時に、俺が門を開ける。いいか、馬は二頭だぞ」
「いや、三頭だ。わしも馬には乗れる」
ミゼルに代わってマリスが言った。
ミゼルは頷いて、マリスと共に、城の西側にある馬小屋に向かった。
馬小屋には兵士は一人もいなかった。ほとんどが城内の捜索に駆り出されているのだろう。馬飼いの男が一人、ミゼルたちの物音を聞いて小屋から出てきたが、すぐにミゼルに殴り倒された。
ミゼルとマリスは、手頃な馬を三頭選んで手早く手綱を付けると、その二頭に乗り、一頭はマリスが手綱を引いて後から付いて来させた。
正門前の広場まで来ると、二人が走っていく姿は敵に気づかれ、兵士たちが剣を抜いて彼らに向かってきた。
ミゼルも剣を抜いて応戦するが、武器を持たないマリスは、兵士たちの剣を避けるだけである。しかし、長い牢獄生活で体が衰えているものの、その乗馬術や身のこなしは、さすがにヤラベアム一の騎士と謳われた見事なものである。
ミゼルたちが来るのを見て、物陰に潜んでいたピオが門扉を上げ下げする大きな木の機械を動かして門を開けたが、ミゼルたちは兵士たちに前を遮られて、動けない。そして、ピオもまた兵士たちに攻撃を受けて苦戦している。ミゼルは、神の武具を置いてきたことを後悔した。
その時、城外の闇の中から、光り輝く姿が現れた。闇の中に浮かび上がるように輝く白銀色の騎士である。馬に乗ったその騎士は、城内に躍り込むと、周りの兵士たちに剣を浴びせた。その、何という強さだろう。
兵士たちは、その騎士の剣の前に、野菜でも切るように簡単に切り倒されていくではないか。盾も鎧も、スパッ、スパッと紙細工のように切られていく。
救援の騎士によって開いた道に、ミゼルとマリスは馬を走らせた。途中で、ピオも馬に飛び乗る。
しばらく馬を走らせて、もはや追っ手が来ない事を確認した一行は、馬から下りて息をついた。
白銀の騎士も兜を脱いだ。そこに現れたのは、美しいブロンドの髪のリリアであった。
「リリア、君のお陰で助かったよ」
「ええ、あなた方が危険だと感じて、助けに行ったの。でも、この鎧は、私には無理ね。たったあれだけで死ぬほど疲れちゃった」
リリアはミゼルに笑った。
物問いたげな顔で二人を見ているマリスに、ミゼルはリリアを紹介した。
「お前の恋人か?」
マリスは、面白そうな顔でミゼルに聞いた。
ミゼルは顔を赤らめた。
「ええ、そうですわ。お父様、初めまして。リリアと申します」
「こんな美しい方は初めて見た。ミゼルは果報者だな。素晴らしい友人と素晴らしい恋人がいるとは」
「初めてではありませんわ。お父様とは、十一年前にヘブロンでお目に掛かっています」
「風の島、ヘブロンで? では、あの時のあの可愛い小さな女の子が、あなたなのか。これは何という巡り合わせだろう」
「まあ、話は後にして、姿を隠してゆっくり休める場所を探そうぜ」
ピオの言葉に三人は頷いた。
いつの間に現れたのか、ライオンのライザもリリアの後ろに付き従っていた。
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