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どういう人間が維新の会を支持するのか?

「反戦な家づくり」から一部転載。大阪維新の会に牛耳られた吹田市が今、どのようなことになっているかという記事である。まあ、維新の会だけでなく自民公明みんなの党など、すべて維新の会と同じ穴のムジナだが。
要するに、福祉関係予算はすべてばっさり切られて、貧困者の生活はいっそう貧困化したということである。今どき、新自由主義を支持する人間などそうはいないだろう、と思っていたら、超新自由主義の大阪維新の会を吹田市住民は第一党にしてしまったわけだが、その結果がこれである。
自分は貧乏人ではないからいいさ、と思っていたら大間違いで、いつ自分がそういう身に転落するか分かったものではない。それ以前に、弱者への同情という自然な感情を持たない人間が吹田市にはそんなに多いのだろうか。
まあ、この政治的実験が今後どうなっていくか、見ものである。


(以下引用)

そんな事情もあって、吹田市は維新の会の市議はいないにもかかわらず、自・公・み・など維新の会になびく勢力が過半数を占めている。

大阪市は、維新が第一党とは言え、他が対立しているから過半数にはならない。その意味では、吹田市は大阪市以上にこの男の支配下に置かれているのである。

それゆえに、9月には吹田版事業仕分けが行われ、モノの見事に福祉関係だけを切り捨てた。
見出しを見ると、高齢者、生活困窮者、保育園、小学校、幼稚園、安全対策、学校給食、介護、障害者、ゴミ回収。
福祉や子どもに関係しない分野は、市民会館くらいだ。

ちなみにゴミ回収というのは、地域の子ども会が古新聞などを回収したモノに少額の報奨金をだしているのをやめようと言うせこい話。
その割に、回収業者は随意契約だったり、しかも年に4億円も補助金出していたり、しかもしかもその都市クリエイトという会社は、藤木という自民党市議のスポンサーだったりする。

それ以外にも、無駄な箱物とか、事業見直しするものはいくらでもあるのに、よりによって福祉と子どもだけを狙い撃ちにして切り捨てにかかるところが、いかにもあのファシスト一派らしい。

そんなわけで、吹田の保育園も民営化が始まることが、ほぼ間違いないということになった。
今後7年間で5つの公立保育園を民営化するのだという。職員(保育士)も90人削減。

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左の奴隷に殴りかかる右の奴隷

「ブロゴス」から転載。長い記事の一部である。
小林よしのりにはあまり興味はないが、どちらかというと右翼系の思想の持ち主だと思っていたので、ネット右翼に対する下記記事のような発言は面白く思った。右翼もいろいろなのか、それとも保守と右翼は別と見るべきか。
自分が社会的に恵まれないことの怒りを、自分たちをそういうどん底に陥れた社会体制や富裕者にではなくその社会を改革しようという左翼に向ける、右翼の若者たちの逆立ちした思考はどうにもアホらしいものだが、まあ彼らには彼らの論理があるのだろう。
憲法が悪いから、日教組が悪いから、民主主義が悪いから、左翼が悪いからこの社会はどんどん悪化してきたのだ、とか。
そのうちに、自分たちの給料が悪いのは日教組や労働組合のせいだ、と言いだしかねない。
小林よしのりではないが、「なんかこう、もっと有効に怒ったほうがいいんじゃない?」という感じである。有効に、というのは、自分の本当の敵が誰なのか考えなさいよ、ということだ。

(以下引用)

なんかこう、もっと有効に怒ったほうがいいんじゃないかなっていう気がするね。

―有効に怒る、とい言いますと?

小林:そういうネトウヨ系のヤツは、強硬なことを言っときさえすれば保守なんだ、愛国者なんだ、と思ってるから、「原発推進だ!」とか簡単に言うけれども、だったらもう、お前たち経団連の思うままに操られるだけだよっていうことであって。左翼と一緒になって「原発反対!」って言ったほうが、世の中それこそすっかり変わるんじゃない?と思いますけどね。

しかも、君たち年収200万円以下の下層でしょ?っていう。それでいいわけ?と。自分が選んでるんだよそれをって。お前らもう30、40(代)になってるだろ、ほんとはよっていう。匿名でやってるけども若くはねんだぞっていう。結婚もできないっていうような身分に置かれてそれで満足してるわけ?って。全然何に対して怒ってるのか全くわからない。怒らなければいけないのは、違うところにあるんじゃないかっていう。自分の立場に対して満足してないって、そこをちゃんと怒れよって言いたくなるよね。

―メディア批判が不満のはけ口というか、すっきりするためだけになってしまっていると。

小林:長いこと君たちは階層の下におかれるんだよ、あんたたちどんどんオッサンになるよ、醜くなるよ、っていう話でね。デモなんかに出かけられないよ醜くって、ということになるよね。

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高齢社会の産業化

日本の進路について、これまで何度も考えてきたが、「高齢社会」の観点から考えたことはあまりなかった。「岸田コラム」というコラムを読んで、少し考えさせられたので、今日はこの観点から考えてみる。
ただし、きっかけとなった「岸田コラム」はコピー不許可なので、転載や紹介はできない。私は、自分の言葉をネット上に発表するのは、多くの人に読んでもらいたいためだろうと思うから、コピー禁止のものをネットに載せるということの意味がよく分からない。「きっこの日記」なども同様だ。コピーされ、転載されて多くの人に読まれるほうがネット言論としては望ましいのではないか。だが、人それぞれだから、それはどうでもいいだろう。私は、自分の考えなど、誰かの考えの焼き直しでしかないと自覚しているから、断片的発言にまで著作権を主張するのは愚劣だと思っているのだが。

さて、「岸田コラム」で私が面白く思ったのは、日本は社会全体の構造を高齢社会向きに作り替えるべきだ、という考えである。産業なども、高齢者向けの製品を、本腰入れて作る努力をするべきではないか。何しろ、あと数年も経てば、全人口の4分の1くらいが高齢者になるのに、今の工業製品も文化も、そういう老人市場をほとんど考えていない。というような主張である。
私もそれに賛成である。
今時の老人は、ロックを聞き、漫画を読み、アニメを見るのが普通かもしれないが、だからと言って、「若者向けに作れば、それで老人にも対応できる」とばかりは限らない。たとえば、電子機器なら、複雑な多機能電子機器よりも、シンプルで分かりやすい機器が老人には必要だ。もちろん、携帯などには老人向け商品もあるが、まだまだ老人向け商品は少ない。それに、社会システム全体は、言うまでもなく健康な生産年齢の人間を念頭に置いて作られている。老人など、町に出るな、と言わんばかりだから、老人は家に引きこもり、ボケていく。
私は「アンファニズム」というブログも持っていて、そのタイトルの意味は、「子供主義」というような造語である。つまり、我々は肉体年齢がどんなに老いても、頭の中身は子供の部分がある。むしろ、そういう子供の要素こそが物事への生き生きとした興味や想像力や創造力、ひいては生命力や精神の健康につながるのではないか、ということだ。
しかし、精神的には若々しくても、肉体的には老いることは避けられない。今の社会は、そういう「精神子供、肉体老人」という生き物に対応していないように思われる。
まあ、そういうボヤキを言うくらいなら、自分でそれをチャンスとして、商売でも考えるのがよい、と言われそうだが、残念ながら、私は商売事には頭が働かない人間のようなのである。そこで、誰かもっと頭のいい人間に、この高齢社会を明るくするような商売や社会システムを考えてもらいたい、と思う。

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工業中心の日本の終焉

「阿修羅」記事のコメント欄から転載。
日本の工業の空洞化は最終段階に来ている、というわけだが、役人や政治家はそれに対してまったく無関心なのではないか。彼らにとっては自分の生活さえ安泰であれば、国民生活がどん底に陥ろうが、平気なのだろう。
では、この工業の空洞化に、どのように対処するか。
私は、工業の空洞化には抵抗しても無駄だと思っている。すべて産業は人件費の高い先進国から人件費の安い後進国へ中心が移っていくものであり、「技術」や「知識」は、それこそ「マニュアル」として簡単に移転できるものである。IT社会となり、情報が世界を飛び交う現在では、物造りの「秘伝」など隠しようはない。資本さえあれば後進国でも物造りはできる。
では、工業の衰退した日本社会を今後どのように運営していくか。
それは、何度も言ってきたように第一次産業へのシフトと、「教育・看護・環境」がちゃんと利益産業になるような社会体制造りをすることによってである。その詳細については、私より頭のいい人々にまかせるが、この大筋は間違っていないことには自信がある。


(以下引用)


06. 2011年9月29日 23:01:00: Pj82T22SRI
2011年09月29日 10:32 am JST

空洞化は最終段階
投稿者 久保信博

タグ: 企業, 自動車, 通貨政策, 金融市場, 雇用, ドル, 円高, 海外投資, 輸出産業, 韓国

JAPAN-AUTOS/

「円高で空洞化がさらに加速する?いや、空洞化はもう最終段階を迎えたと思う」──久しぶりに会った旧知の自動車メーカー関係者は、ビールを飲みながらこう語った。

このメーカーは年内に主力車を全面改良する。企画が始まったのは2009年。国内では年間20万台弱のペースで生産する計画だったが、2年が経過した今、計画を大幅に変更した。国内での生産予定数を8割減らし、海外生産に切り替える。

当時対ドルで90円台後半だった円相場は、76円台と20円以上の円高に。新モデルは国内向けの販売がごくわずか。ほとんどを輸出に振り向けるため、採算が合わない。「日本で生産するのはやめたいという話も出た」と、同氏は語った。

とりわけ今は対韓国ウォンでの円高が韓国車との競争で不利に働き、日本から輸出していたのでは対抗するのが難しくなっているという。

電機業界で起きたのと同様、自動車業界でも韓国メーカーに人材が流出している。今や電子部品のかたまりと言われる自動車だが、基本は機械。サスペンションの微妙な調整やドアが閉まる音など、数値化できない熟練エンジニアの技によるところが大きく、日本からの人材獲得は韓国車の品質を向上させた。

「少し値段が高くても日本車が選ばれてきたが、差別化できなくなってきた」と、同氏は語る。そこに円高/ウォン安による韓国車の一段の価格優位性が追い打ちをかけているという。

1台当たり2万─3万点の部品で構成されている自動車の生産には、約79万人がかかわっている。原材料メーカーも含めれば、100万人以上に膨らむ。生産の海外移転は、当然ながら国内の雇用が減ることを意味する。

日本では産業構造の転換の必要性がずっと叫ばれてきた。しかし空洞化が「最終段階を迎えた」今も、製造業に取って代わる産業は育っていない。政府がピーアールに力を入れる観光は、豊富な観光資源を抱えるギリシャの状況を見る限り、柱の産業になれるかどうか疑問符がつく。

アニメや映画、音楽などソフト産業はどうか。「俺はミュージシャンで生きていく──そんな風に言う子供の姿と重なる」と話す同氏に、筆者も思わずうなずいた。

暗い話ばかりがさかなでは酒もまずく、2人とも2杯目を注文せずに店を出た。

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なぜ彼らは「国連救援」を拒否するのか

「つれづればな」というブログから転載。外国在住の60代の女性のブログらしい。
ソマリアという国は、いわば「無政府国家」に等しいと私は思っているのだが、その惨状を見れば、日本のような腐敗国家でさえ天国に見える。やはり、国家には政府が必要であり、官僚も必要ではある。大事なのは、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」というテーゼを我々が常に意識し、政府や国家システムを監視する方法を構築していくことだろう。
それにしても、ソマリアへの仕打ちを見れば、国連やユネスコの正体が欧米の利権擁護組織でしかないのは明らかだろう。世界中の善意の寄付は、こうしてソマリアを苦しめることに使われてきたのである。


(以下引用)


この三年で一滴の雨もふらない、そんなひどいことが日本人の思い浮かぼうか。



「ソマリア」「飢餓」で検索すればソマリアの惨状の写真がご覧いただける。やせ細って衰弱した子供の写真などは子を持つ身にしてみれば胸の潰れる思いがする。

ただ、アフリカの草原の民が飢えに苦しむ写真や映像は、とても悪い言い方をすれば「見慣れて」しまっている。視覚情報の氾濫がもたらす弊害とも考えることができるが、いま骨と皮だけになった子供たちの写真を見せられても多少こころが痛みこそすれ「アフリカだから仕方ない」、「何とかするのは国連の仕事」というせりふがすぐに我々の口をついて出る。

なにかがおかしくはないだろうか。

本稿はソマリア飢餓への寄付を募ることを目的としているわけではない。
援助を必要とする人々は日本のなかにも溢れており、善意の行動は各自の良心ある判断によってなされるべきである。
ただ、日本では知り得ないいくつかの事をぜひ書きとめておきたい。

西欧諸国からの救援物資が避難民に届かない―――その原因は欧米からテロ組織と指定されている「アル・シャバブ」の妨害によるものだという。
アル・シャバブはイスラム過激派組織の一つに数えられているが、アルカイダのようなアメリカ製のインチキ組織とは異なり、ソマリアというイスラム社会の内部から興ったものである。ではその敬虔なイスラム教徒のアル・シャハブがなぜ苦しむ同胞たちに差し伸べられた手を払いのけるような真似をするのか?

以前から、WFP(国連世界食糧計画)によってソマリア国民に対して食料の援助が行われていた。2006年、あろうことかWFPはソマリアの農民がその年の穀物を市場に出荷するのと時を同じくして一年分の穀類を援助し配布した。当然市場は凍りつき農民は大打撃を受けた。激しく抗議する農民に対しWFPはその非を認め、必要な調査を行い二度と同じ事態を招かぬことを約束した。だが2007年の出荷時、WFPは前の年と同様に一年分の穀類の分配を行った。ただ、エチオピアの軍隊を護衛に配備していたことが唯一の違いだった。

アル・シャバブはこの時点で彼らの活動拠点であるソマリア南部からWFPを追い出し一切の援助を拒否する方針を固めた。が、食糧難が深刻化した二年前からふたたび救援を受け入れるようにはなっていた。しかしその後、WFPから配布された食料から健康障害を引き起こす物質が検出されたという理由から、非イスラム国家および団体からの救援を強硬手段を用いて遮断するようになった。

近年世界を騒がせたソマリア海賊、その所以となった核廃棄物投棄事件を思い出していただきたい。
海賊の正体は窮地に立たされたソマリアの漁民であった。1991年、内戦によりソマリア政府が崩壊し国家としての機能しなくなった隙をねらい西欧アジア諸国の船がこぞって核廃棄物をソマリア海に投棄した。それだけではない。豊かな漁礁に目をつけた諸国は乱獲を重ね、禁漁の季節は無視され、魚介類は激減し、ソマリアは漁業という重要な収入源をも剥奪された。そして放射能による汚染は刻一刻と進み人々は被爆という悪夢に晒され今もそれは続いている。
国連は彼らを救済するどころか調査にもやって来ない。

不特定多数国家の船をソマリア海から駆逐する目的ではじまった自衛行動はその後海賊行為へと変容した。いったいどちらが海賊か考えてみて欲しい。皮肉なことに、この事態は西欧諸国の海軍に海賊を取り締まるという名目でアラビア海からソマリア海をうろつきまわる権限を与えてしまうことになる。ちなみにアル・シャバブは海賊行為はイスラム法に反する、海賊に組してはならない、と漁民たちに説いている。

国連をはじめユネスコなどの団体は飢餓写真を公表し飢餓救済キャンペーンを催してはパタリとやめてしまう。そしてそれを何年かごとに定期的に繰り返す。なぜか?自ら「飢え」を加速させ、自ら「救世主」を名乗り手を差し伸べる。その手をはたくイスラム教徒を「告発」し、西欧の理念をより崇高なものと世界に見せ付ける。
我々といえば、今にも折れそうな子供たちの脚を見てももはや驚かなくなっている。戦争映画の虐殺場面と同じ頻度でそれを見慣れて(見慣れさせられて)いるからだ。ソマリアが、あるいは他の国が飢えに苦しむ事実は理解できても心が動かない。

人を愚鈍にさせる術はよく研究されている。

弱者に対し悪事を働いた者たちはいずれ神に罰せれれよう。しかし、この悪事に「無知」という形で加担した我々は、果たして同じ罰をうけることになるのだろうか。

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ヒトラーと「ユダヤプロトコル」

iguchi kazumotoブログから転載。前にも引用したかもしれないが、ヒトラーの「我が闘争」再出版論争に関連して、ヒトラー再研究がブームになりそうな気がするので、掲載する。
なにしろ、ヒトラーは「ユダヤプロトコル」の実践者であり、本人もユダヤ人であるという疑いがありながら、ユダヤ人粛清をもやったという奇妙な存在である。しかしこれを奇妙に感じるのは、我々がユダヤ人という場合に「金持ちユダヤ人」と「ユダヤ民族」を混同していることから来るもので、金持ちユダヤ人がユダヤ民族を迫害するのに加担してもおかしいことはない。旧ソ連でユダヤ人迫害を行ったスターリンもロス茶の子供だとも言う。ユダヤ人はユダヤ人によって迫害されてきたわけだ。そして、その迫害の歴史が「金持ちユダヤ人」に利用されて、彼らへの批判の防波堤になってきたのである。
ヒトラーの大衆支配の方式は、「ユダヤプロトコル」そのままであり、それが米国によって日本でも用いられてきたのは言うまでもない。
我々はその支配から脱するために、まず「ユダヤプロトコル」をあらゆる人々に伝え、一般常識にすることから始めねばならないだろう。


(以下引用)


そして、いよいよその筋では非常に有名らしい「ヒトラーの山荘予言」の話につながる。この「山荘予言」は例のヘキサゴン・インリのサイトの詳しいので、ここでは「1999年以後」の「今もあてはまるヒトラーの法則」というセクションにある「ヒトラーの悪魔の法則」というものをまずメモしておこう。

これは俗に「ウソは大きいほどいい」とか、「小さなウソならばれるが、大きなウソならばれない」とかいう言葉で知られたヒトラーの言葉のもっとも核心部分であったらしい。選挙で勝つにはどうするか?大衆を動かすにはどうすれば良いか?というようなことに対する、ヒトラーの考え方である。

ヒトラーは次のようなことを述べたという。


どうだ、わたしの言ったとおりだろう。選挙の極意とはこういうものだ。つまり大衆は限りなく愚かだ。大衆は女のように感情だけで動く。だから女をモノにするときのように、優しくしたり威圧したりすれば、大衆も政権も簡単にモノにできるのだ。

青少年も同様に愚かだ。彼らには車とオートバイと美しいスターと、音楽と流行と競争だけを与えてやればいいのだ。
 それでシャンペンの空気を抜くように、かれらの頭から”考える力”を抜き取る。あとは車とスターと流行と音楽の力を借りて、ワッとけしかければ、彼らは武器を抱いて地獄の底へでも突っ込んで行くよ。

そのためにも、大衆や青少年には、真に必要なことを何も教えるな。必要がないバカのようなことだけを毎日毎日教えろ。それで競争させろ。笑わせろ。ものを考えられなくさせろ。真に必要なことは、大衆と青少年を操るものだけが知っていればいい。

そしてあとは、”国家のため!”と何千回も呼びかけて、戦わせ殺し合わせるのだ。1人の人間を殺せば殺人犯だが、戦争で100万人を1度に殺せば、その男は必ず国家から最高の勲章をもらえるぞ。

このヒトラーの政策上の言葉が「ヒトラーの法則」あるいは「ヒトラー地獄の法則」と呼ばれたようである。

いやはや、この「ヒトラーの法則」は、今まさに世界中の国々、それも先進国で行われていることである。「どうでもいい、バカなこと」に「アニメ」や「映画」や「CG」や「マンガ」や「カラオケ」などが加わっただけのことである。

日本の在日電通、アメリカのハリウッド、こういう場所でやっていることがすべて「ヒトラーの法則」である。

はたしてこのアイデアもまた「あいつ」が教えたのだろうか? あるいは、ヒトラーを裏からコントロールさせたというイギリスのロスチャイルドの手による一種のマインドコントロールのせいなのだろうか?

おそらく、これについては、後者だろうと私は見ている。これはユダヤ人の「シオン議定書」とか「ロスチャイルドの行動計画プロトコル」とか、ジョン・コールマン博士の見つけたユダヤ人の「人類牧場化計画」とか、そういった数々のものにある基本的な考え方と同一だからである。ヒトラー自身がロスチャイルドの子孫だったという説もあるほどだから、特に驚くことはないだろう。

しかしながら、日本では、小泉純一郎時代になって、あからさまに「ヒトラーの法則」と同じような方法で選挙戦略を練ってきたのだからこれには恐れ入る。いわゆる「B層戦略」というものである。民主党の鳩山/小沢政権、そして今の菅直人政権もまったく同様である。そしてアメリカの「3S戦略」も同じである。「セックス、スクリーン、スポーツ」だけを国民に与えて、アメリカ人を馬鹿者の豚野郎にしてしまったというユダヤ戦略である。

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ワクチンを打った。さあ安全だ

「thinker blog」から転載。
久し振りに子宮頸がんワクチンの話だが、まだ性行為などしてはいけない年齢の少女たちに、性行為を前提とするワクチン接種を義務付けることにも疑問があるし、そもそもそのワクチンは子宮頸がん対策に有効であるどころか体にとっては明らかに有害である。だが、その話はネットで調べればいくらでも出てくるから、今さらここでは言わない。今考えるべきことは、このワクチン接種の義務化・強制化からいかにして国民が逃れるか、ということである。
今の時代、アメリカのどの地方自治体も財政的に余裕のあるところなど無い。にも関わらず、ワクチンの「無料接種」を行う、というのは要するに税金から支払うということだ。こういう不要不急の題目に、乏しい財政から優先的に支出する意味がどこにあるのか。まあ、誰でも分かるように、これは企業と政治の癒着による金儲けに住民の税金が使われるということだ。しかも、その結果、住民に健康被害が出ても、企業が責任を問われることはない。そのように法律が作られているのである。
下記記事はアメリカの話だが、ワクチンの「半強制接種」は日本のあちこちですでに行われている。馬鹿な母親たちは、お上の言いつけだからと、まだ子供でしかない自分の娘たちにいそいそと「性交前提のワクチン」を接種させているのである。そうですか、ワクチンを接種したからもう大丈夫、どんどん性交しなさい、と言うわけですな。しかし、ワクチンでは性病は防げません。梅毒、淋病、エイズ、妊娠、の危険性のほうが、「子宮頸がん」よりははるかに起こる確率は高いのです。


(以下引用)

NVIC(ナショナル・ワクチン・インフォメーション・センター)の代表バーバラ・
フィッシャーさんは、NVICのHPでこう警告しています。

「すべての母親の子に対する思いは、どの国の法律や価値観や信条よりも深く、
本能に刻み込まれたものです。

ワクチンとワクチン政策は、実際に国民全体や個人を健康に保つような安全で
効果的なものなのでしょうか。21世紀のワクチンに関する議論は、純粋に科学
に基づいたものではありません。

医療製薬業界のロビイスト達によって、カリフォルニア州では親の承諾なしに子
供たちにワクチンを接種できる法律の制定が裏で急速に進められています。

もし、この法律が制定されれば、ガーダシルとB型肝炎ワクチン、また将来に開
発される性感染症ワクチンが、保護者への説明と同意を得ることなく12歳以上
の児童に接種されることになります。これらの接種にかかる費用はカリフォルニ
ア州政府の負担となり、その利益の大半は、ガーダシルを製造するメルク社など
の大手製薬企業の手に渡ります。その上、彼らはワクチンの副反応の責任を負う
こともありません。

これは、全米の親への警鐘です。カリフォルリニア州で起きていることは、他の
州でも起こり得ることです。ワクチンについての説明を受ける権利、接種を選択
する権利のために立ち上がってください。」

ワクチンがある程度、危険でも実際に効果があるのであればそれなりの正当性も
あります。

しかし、そもそも子宮頸がん予防ワクチンが予防するとされているのは子宮頸がん
になる前の前駆病変。

精神科医の遠山高史氏の著書『医者が薦める不養生』の中にこうあります。

「癌の中で取り扱いが容易とされる子宮頸癌は早期の癌と診断されると、通常はことごとく手術となってしまう。取ってなくなってしまうので、早期の癌に自然消滅があるなどと確かめられない。集団検診によって、子宮頸部の上皮内癌(早期の癌)と診断されながら、治療を受けなかった女性を、20年間追跡したニュージーランドの疫学調査がある。このような女性750人のうち、子宮頸癌となった者は、10人(1.3%)しかいなかった。しかも、検診で見つけられた上皮内癌から本当の癌に進展したと認められたのは2例しかなく、他は、当初の上皮内癌とは関係なく起こったものと考えられたという。むろん、ニュージーランドの疫学調査を100%うのみにはできないにしても、日本の癌学者がこの論文を否定しうる根拠を示し得ないことは確かなのである。従って、日本の癌医学は定量的に未来の予測をなし得ておらず、科学とはまだいえる段階に達していない」
 
ワクチンが予防するとされる前駆病変(早期の子宮頸がん)が実際に子宮頸がん
に進行するという科学的証拠がないにもかかわらず、「子宮頸がん予防ワクチン」
と称した商品を公費助成で児童に接種することについて、我々は疑問を持った方が
よいでしょう。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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