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言うまいと思えど今日の寒さかな

「晴耕雨読」というブログから転載。しかし、ワードの馬鹿ぶりにもうんざりだ。「性向ウ独」だとさ。そんな言葉どこにあるんだ。この程度の四文字熟語さえ出すのに四苦八苦するワープロソフトがデフォルトなんだから、日本人の日本語能力が今後どんどん劣化していくのは確実だ。そういう私自身、ワードのせいで、気付かずに誤字を書いていることもある。
それはともかく、談志はやはり鋭いね。実はプーチンも同じことを言っていて、地球が温暖化するなら、それはロシアにとっては福音であり、温暖化のどこが悪いのか、と欧州の科学者に聞いて、相手をしどろもどろにさせたという。
ついでながら、私が父親から聞いた英語謎々である。答えは下の談志の話の中にもある。

「次の英文を訳せ。

You might or more head today’s some fish. 」

何? この程度の英文が訳せなくて、それで中学生か!
答えは「ゆうまいと思へど 今日の 寒さかな」である。
わからん人は、上の英文をもう一度音読してみよ。ただし、「today’s」と「fish」だけは日本語でね。日本語表記を「思へど」にするのもポイント。
ついでながら

「You might or more head today’s as fish.」なら「今日の 暑さかな」になる。
「あずさかな」だろう、などと細かいことを言うんじゃない。

これも蛇足だが、現在地球は新生代第四紀の冲積世であるが、これは氷河時代の第四の氷河期、ウルムが終わって、次の氷河期になるまでの「第四間氷期」(おお、安部公房!)であり、つまり地球はこれから第五氷河期に入るはずである。であるから、温暖化が来るなんて嘘っぱちだよ~ん。
もっとも、上の考えは、私が中学生の理科の参考書を解読して出した結論であるし、私は理科の劣等生だったから、あまり当てにはならない。


(以下引用)


「追悼:元政治家・立川談志~「地球温暖化論」の大ウソを見抜いていた。」 
 エネルギー問題
追悼:元政治家・立川談志~「地球温暖化論」の大ウソを見抜いていた。
投稿者 長岡京・豊 日時 2011 年 11 月 26 日 から転載します。

地球温暖化の話題で騒がしかった頃、科学のことばを全くつかわないで、ウソ話を喝破していた立川談志、時事放談・「地球温暖化」(週刊現代)、面白かったので、そのまま転載して、元政治家・立川談志の冥福を祈ります。



「地球温暖化」だとサ、笑わせやがる。早い話、寒いよりゃ暖ったかいほうがいいに決まってる。

第一寒いと風邪をひく。氷屋が儲からないし、冷蔵庫も売れない。暖ったかけりゃあ裸で暮らせる。貧乏人にゃもってこいだ。

裸一貫とか、裸で話し合おうなんざぁ暖かくなきゃできないこった。

今年の春(注・原文のまま)も寒かった、嫌だった。チベットの地震も寒くなきゃ被害が少なかったろうに…。

寒いところよりゃ、暖かいほうが住みやすい。「常夏の国」にどれだけ日本人は憧れたか。早い話、それがハワイであったり、アメリカ人も南へ南へという心持ちがどっかにあるのだろう。だからフロリダは夢の場所だった。

寒くていいのは…何かあるかい? 毛皮屋かネ、けど、毛皮ぁ取りすぎて今日の姿である。

志ん生の小噺に長屋の女房の会話で、

女A「ねぇ、お前さん、あんな亭主と一緒にいるけど、先々、何か脈あるのかい?」
女B「ないよ、あんなもなぁ…」
女A「それじゃ、何だって一緒にいるのだい?」
女B「…だって…寒いんだもの…」

大好きなフレーズだ。寒いなぁ本当だった。日本中寒かった。

「おお寒、小寒、山から小僧が泣いてくるっていうが、小僧どころか船頭が泣いてらぁ…」、これは「夢金」、吹雪の夜に船を漕がねばならない船頭の愚痴だった。

今も昔も変わらない。人はどれだけ春を待ったか、暖かい日々を待ったか、夏の暑さも貧乏人にゃさほど苦でもないし寒いよりゃいい。

人間暑けりゃ裸一貫で暮らせる。が、雪ン中、冬の寒さに浴衣一枚ではもつまいに。

湯だってそうだ。熱けりゃうめりゃいいが冷たいのは焚かなきゃなるまい、沸かさにゃなるまい?

「談志、馬鹿いうな、地球だぞ。話は我々が住んでいるこの地球だぞ。それが温暖化してるんだぞぉ!」

「知らねえよ、暖っかいのと寒いのとどっちがいいというこった。答えは簡単だろ」

だいたい、学問なんてあんなものは貧乏人の暇つぶし、未来なんて手塚治虫の漫画で知ってらぁ。

あの人は天才。
議論するのは勝手だけど、この頃日本人、生意気に手塚さんになったつもりが多すぎて…、つまり、地球温暖化はねえ…等々。こういう奴に限って飲み屋に借金があるもんだ。

歌謡曲だって南の唄はいい。北国の唄なんて、「エリモの春は何もない春です……」だとさ。もっと古くなりゃ、「興安おろし吹きすさび 戦闘服は凍るとも 我等祖国の前衛は ここにあくまで頑張って 冬を越します 左様なら」

上原謙の便りシリーズ「北満便り」である。知らねぇだろうなぁ、この懐メロ……、まあいいや。地球温暖化、なるようにしかならない。いいよ、氷山なんか溶けたって、日本の夏が暑すぎたって。

暑いネ、暑いよ、言うまいと思えど今日の暑さかな。この文句、冬にもあるよ。言うまいと思えど今日の寒さかな。くどいが暖っかいほうがいい。雪の見たい奴は寒いところに行きゃいい。(以下略)

北半球の今年の冬、厳しい寒波が襲来すると予測されています。地球寒冷化論が優勢になりつつあるらしいです。「CO2排出25%削減」のホラ話、始末はどうするのですかね。

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空の幽霊騎士たち

酔生夢人という名前にふさわしく、たまには夢の話でも書こう。といっても「私には夢がある」というあの夢ではない。私は「実現目標」という言葉は好きだが「夢」という言葉は嫌いだ。そういう夢はたいてい夢のままで終わるものだからだ。
しかし、本物の夢は映画やテレビを見るのと同じであり、それ以上に奇妙な切実感があるから面白い。
で、下記の記事は私が別にやっているブログに今朝掲載したものだが、(私は4つほどブログをやっている。そのうち「徽宗皇帝の娯楽的語学ブログ」は現在休止中だ。)なかなか書くのに手間がかかったので勿体ないからここでも使わせてもらう。実際に今朝見た夢の話である。


他人の見た夢の話など馬鹿馬鹿しくて聞いていられないものだが、今朝がた見た夢が面白かったんで備忘のために書いておく。
それはクリント・イーストウッドの遺作となるべき映画の夢である。つまりその映画そのものを夢で見たのだ。というより、これはもちろん私が夢の中でその映画を創造したということだ。
私はべつにイーストウッドのファンではないが、彼が現在の最高の映画監督の一人であり、映画そのものを代表する人間であると思っている。そして、彼は映画というジャンルの最後を看取る人間だろうと思っている。
CGによって映画は死んだのである。映画の持つ、「作り物であることが分かっていながらの、いや、作り物だからこそのワクワク感」がCGには見事に無い。それは映画そのものの死である。
で、イーストウッドには最後の映画でCGを使い、映画というジャンルがこれでお終いであることを語ってほしいわけだ。

さて、この映画のポイントは最後の10分間にある。映画のエピローグ部分だ。本編はありきたりのB級西部劇でいい。その内容は、イーストウッドが西部の保安官、あるいは賞金稼ぎの西部男で、それとコンビを組む若者がいる。で、イーストウッドは本編の中で死ぬかどこかに去っていって本編は終るのだが、実はここからが本当のテーマだ。
エンディングクレジットが流れた後、画面には、今は老人となったかつてのイーストウッドの仲間の若者の部屋が映る。その老人はおそらく自分のヒーローであった西部男(イーストウッド)の伝記でも書こうとしていたようで、机や棚にはタイプされた紙が堆積して埃をかぶっている。
ある日、老人は過去の記録を書き遺すことをあきらめ、自分の小屋に火を点けて旅に出る。
そして老人はある田舎町に来る。
そこで老人はイーストウッドによく似た若者が仲間と談笑しながら通り過ぎるのを見て驚く。もちろん、ただの田舎の青年で、鉄工所かガレージにでも勤める平凡な若者にすぎない。
老人は首を振って町のかなたに目をやる。
小さな丘の向こうに赤い小山のようなものが見える。
すぐにそれは巨大な、枯れたアカマツのような巨木であることが分かる。しかし、高さは500メートルほどもある巨木なのである。(もっと馬鹿馬鹿しく大きくてもいい)
その巨木はゆっくりと倒れていく。と同時に、その巨木の枯れた枝が赤い雲のようになって空に飛散し、赤い吹雪となって流れていく。次の瞬間にその赤い吹雪は無数の騎馬の西部男の姿になる。(ここから軽快な音楽が流れるが、一連の単調な音の繰り返しであり、高揚感とドライブ感はあるが、実は「葬送曲」なのである)次にその赤い雲は無数の騎馬のインディアンの姿になり、空の彼方に駈けていく。
こうしていわば「GHOST RIDERS IN THE SKY」の姿を残像に残し、映画は終わる。
そしてそれと共に映画というジャンル、西部劇というジャンルも終わるのである。

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飯山一郎伝授の健康法

闘う老人飯山一郎のブログから転載。
さすがに癌は人生を豊かにするとまでは思わないし、下に書いた方法が本当に癌の対策になるかどうかは分からないが、むしろ一般的健康法、特に老人の健康法としては理想的だろうと思う。特に過食は万病の元だと私は思っている。
消化能力の衰えた年齢の人間が食べ過ぎると肥満が起こり、高血圧、糖尿病、そしてこれは私だけの考えだが腰痛などの原因になる。腰痛はウェストへの不要な肉や脂肪の蓄積が原因であると私は考えているのだ。というのは、私自身かつて肥満気味だった頃は腰痛に悩んでいたが、8キロほど減量し、ウェストも6センチほど細くしてからは腰痛が起こらなくなったからである。
ついでに言うと、ダイエットには食事量を減らすしかないというのが私の考えだ。「食べながら痩せる」という虫のいいダイエット法はすべてインチキである。まあ、さすがに毎食コンニャクだけを食うか野菜だけを食えばある程度は痩せるだろうが、そういう食事にいつまでも我慢できるはずはない。運動によるダイエットも長続きはしないものだ。
食事量を少しづつ減らすことで、「胃袋を縮める」のが中年以降のダイエットの基本だ。胃袋は習慣によって容量が変化するのである。大食が習慣の人間は胃袋がいつも大食を要求するから小食が苦痛になるわけだ。その胃袋の要求に屈服して大食しているのが世間の肥満者なのである。要するに、自己コントロールができない意志薄弱な連中にすぎない。もちろん肥満している自分に満足しているなら、その限りにあらず、だが。
ついでに言えば、寒さは健康の大敵であるから、地球温暖化は全人類にとって福音なのである。だが、残念ながら地球は温暖化などしていない。
私などのように、冬でも凍死することのない沖縄で暮らすことは恵まれたことなのだが、ここにはまた四季の区別の面白さが無い。すべてを一度に手に入れることはできないわけだ。


(以下引用)


このところ、掲示板:『放知技(ほうちぎ)』での論争を楽しんでいる。
ところが、別のスレッドに深刻な書き込みが投稿された。それは次の文章だ。

飯山先生へ
いつもブログ拝読させていただいています。
自家製豆乳ヨーグルトで日々免疫力を高めています。
おかげさまでこの冬は、風邪をひくこともありませんでした。
感謝しております。
実はお聞きしたい事があるのですが、私の家内が本日の検診にて
乳がん(初期段階)を言い渡されまして、不思議に思っております。
マクロファージががん細胞を駆逐してくれていると思っていました。
摂取量が少ないかもしれませんが・・・・。

これを読んだ私は、全ての作業を中止し、しばし黙想したあと、一気に書いた。
最愛の家族と親友に読ませるつもりで書いた。以下の文章である。

        『癌は人生を豊かにする病気』

清水さん
世の中のお医者さんに嫌われるのを覚悟で懸命に書きます。
先ず…、
癌は、昔と違って、今は「死に至る病」ではないということ。
私の親友のヤン教授のように、乳酸菌と春ウコンと散歩と入浴。これだけ
で癌が完治しました。このような完治例は少なくありません。
次に…、
最大の問題は、日本の医療システムにあります。
最初は検診の結果、厳(おごそ)かに告知されます。
そして、告知する医師は必ず言います。
「まだ初期段階ですから心配要りません! ただし、早期発見、早期治療の
原則どおりに早めに治療を受けて下さい!」
こうして患者は、「早期治療」を受けることになります。どんな治療なのか?

  1.患部の切除  2.抗癌剤の投与  3.放射線の照射

  上の3つの「治療法」しか、日本の医療システムはもっていません。
どれも、大変な荒療治です。荒療治すぎて、身体は免疫力が落ちてしまい
自然治癒力もなくなります。
ですから、私でしたら、上の3つの荒療治は、頑として拒否! します。

さて…、
清水さんの奥さんの乳がんは、初期段階ですから、乳房に癌が形成され
はじめたのは、5~10年前のことです。
つまり、清水さんの奥さんの乳癌は、5年~10年かかって、やっと検診に
引っかかるだけの大きさになったのです。…これはどうしてなのか?

癌細胞は、活性酸素や放射線によって正常細胞が癌化したものです。
この癌化する細胞は、正常な人間でも、一日に5~7千個できます。
それで、この癌細胞は、マクロファージやNK細胞という白血球やリンパ球
が、どんどん呑食していきます。
清水さんの奥さんの場合、マクロファージやNK細胞の数が少なかったか?
癌細胞の生成数が多かったか? …で、乳部において癌が育ってしまった、
ということです。

では、今後どうしたらいいか?
 1.先ず、上に書いた3つの荒療治は、絶対に受けてはいけません。
 2.次に、免疫力(=血中のマクロファージやNK細胞の数)を上げるために
   腸内の乳酸菌の密度を濃くすること。
   そのためには、乳酸菌の密度が濃い豆乳ヨーグルトが最適。
   普通、米とぎ汁乳酸菌の乳酸菌密度は、1cc当たり、数百万個。
   ところが、良く発酵して酸っぱい豆乳ヨーグルトは、1cc中数億個!
   この濃密な乳酸菌が腸内に入ると、血中マクロファージが激増する!
 3.あとは、激増した血中マクロファージが癌細胞を呑食します。
   これを自然治癒力と言います。癌が自然に治る力です。
   この自然治癒力は、癌が消失するまで続きます!
 4.そのほかに、気をつけることは…、
   A.少食。食べ過ぎると癌細胞が喜んで増える。
   B.温暖。身体が冷えると免疫力が落ちる。
         身体が温まると癌細胞は増えない。
   C.散歩。速足・大股で汗が出るまで歩くと新陳代謝が亢進し、身体が
         温まり、免疫力があがり、癌細胞が減ってゆく。
   D.色素。春ウコンなど、色素、ミネラル、ポリフェノールの多い食材は
         血中のマクロファージやNK細胞の数を増大させる。
   E.感性。そうなんだ!貴男が飯山さんに聞いた方法でEんだ!という
         自信と確信をもって二人して生き抜いていく仕合せ…。

清水さん、以上の文章を何度も読んで、自信と確信をもって、奥様と二人、
力をあわせ、心をあわせながら実行して下さい。必ず!長生きします。

                             飯山一郎 拝む

上の文章をココに載せた理由は、もう一つある。
今後7~8年後から、日本における癌の発症率は激増する。
その時、私たちは、どう対処したらいいのか?
上の文章は、その時の一つのシナリオとしても活用できる。
わずか1時間弱で一気に書き上げたが、日頃から自分のこととして考えていた
ことなので、文章は悪文だが、内容というか、闘病哲学的には自信がある。
上の文章は、清水さんのほか、最愛の家族と、年老いた親友たちに捧げたい。

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日本と世界の今年を占う

私は趣味で易をやっているので、今年度(立春以降に変化は現われてくると思う)の日本と世界の運勢を占ってみた。で、出た卦に驚いたのだが、まさしく現在の世界情勢にぴったりな卦なのである。
最初に安心させておくが、日本の卦は素晴らしい卦であるから、日本人にとっては良い1年になりそうだ。(去年が最悪だから、今年は良くなって当然と思うだろうが、去年より悪化することだってありうるのだ。)だが、世界全体の卦は最悪に近い。

日本の卦は「地天泰」であり、安泰・安心の卦だ。

世界の卦は「山地剥」で、すべてが剥がれ落ちるという卦である。つまり剥奪される卦だ。

詳しく言うと、日本の卦は「地天泰」の五爻で、全体運は「小往き大来る。吉にして亨る。」というもの。日本を駄目にしていた小人物どもは去り、大人物が主導権を握る。吉であり、願いは通る、ということである。つまり、現民主党や官僚の中の泥棒的支配者どもが一掃され、信頼できる指導者(小沢一郎か?)が日本を導いてくれるだろう。五爻は婚姻の卦で吉の卦だが、国家に置き換えれば、日本にとって好ましい国際同盟や友好関係が結ばれるかもしれない。相手はロシアか中国ではないかと思われる。小沢一郎や鈴木宗男が政治の表舞台に復帰すれば、その可能性はある。世界情勢が最悪の中で、おそらく日本と少数の国だけ(南米の反アメリカ政府連合と中国、ロシアくらいか)がその災厄から免れるだろう。あるいは世界的大恐慌の中で、日本だけが安泰となるかもしれない。それには日本の指導者となる人間が毅然としてNWOの世界的侵略に立ち向かうことが必要になる。

世界全体の卦は「山地剥」の4爻で、全体運を簡単にまとめると「往くところあるによろしからず。小人長ずればなり」で、4爻は危険がその身辺近くに迫っている、という卦だ。おそらくIMFや世界銀行による世界収奪が大恐慌を引き起こすということだろう。「剝」は彼らによる富の収奪だろうと思われる。ロックフェラーやロスチャイルドその他の大金持ちたちが強盗のように庶民からなけなしの金を剥ぎとるわけだ。あるいは戦争などもあるかもしれない。
しかし、一方では「剝」は隠していたものが現れる意味もあるから、NWOの正体が世界的に知られることにもなるだろう。NWO対地球市民の全面戦争になるかもしれない。つまり「オキュパイ・ウォールストリート」の世界的運動化だ。マルクスの予言した資本家対プロレタリアートの階級闘争がはっきりと形になるわけだ。
「山地剥」の4爻が変ずれば「火地晋」となり、太陽が地上に出て、物事が好ましい方向に進んでいくような時代が到来することを暗示しているので、この「剥」はむしろ陰謀的な世界支配者の正体が世界全体の目に明らかになることを意味し、本年はその最後の戦いの年になるとも考えられる。もちろん、今年一杯はNWOが暴威を振るうが、その後は彼らの敗北になるわけである。
まあ、そううまく行くかどうか。楽しみに見ることにしよう。

というわけで、まあお遊びと思ってもらえばいいのだが、なかなか面白い卦ではないか。
易というのは、それ自体が予言を与えるというよりは「考えのヒント」になるというのがその一番の利点だと私は思っている。つまり、何も無いところから発想するのは困難だが、易の言葉を手掛かりにすることで考えを発展させることができる。そういう思考のマトリックス(分母・母胎、あるいは順列組み合わせの表)として利用できるのが易の面白さであり、有益なところである。

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「沖縄」と「琉球」の名前の起源

「沖縄」と「琉球」の名前の由来についての冗談半分の一考察

高良倉吉氏の『琉球王国』を読んで、ふと思いついたことだが、『唐大和尚東征伝』に記載された「阿児奈波」の発音は「あこなわ」ではなく、「あこなは」ではなかったろうか。
「わ」と読める漢字は幾つもあるのに、「波」の字を充てたのは、それが「は」という発音を表すためだったのではないかと推理したわけである。私の記憶が確かなら、「ひらがな」の「は」は「波」の崩し字が由来であり、「波」を「は」と読むのは当時の人には自然なことであっただろう。とすれば、「阿児奈波」を「あこなわ」と読んだという前提で明治政府が今の沖縄に「おきなわ」という名を与えたのは誤りであったことになる。
まあ、「沖縄」の語がどういういきさつで選ばれたのかは良く知らないのだが、少なくとも発音の上では「オキナワ」ではなく「オキナハ」であるべきだったのではなかろうか。
というのは、おそらくこの「オキナハ」の「ナハ」は現在の「那覇」に由来すると思われるからである。「おき」や「あこ」が何を意味するかは分からないが、当時の沖縄人(日本では奈良時代末期)にとって沖縄という島全体を意識することはほとんど無かったと考えるのが自然だろう。とすれば、『唐大和尚東征伝』の筆者が島の人間に島の名前を聞いたのに対し、聞かれた方は自分の住む地域、いわば「那覇村」とでも言うべき場所の名を答えたことは大いにありそうなことである。沖縄方言、あるいは沖縄南部方言で「あこ」に近い言葉があるとすれば、「あこなは」が「あこ+那覇」である可能性が出てくるわけだ。もちろん、「縄」などという漢字を当てる意味はない。それこそ、沖縄は改名して「那覇県」とでもするほうがいい。そうすれば県名と県庁所在地名が一致して覚えやすい。まあ、「那覇」の字は漢字が難しいから「奈波県」でも「那波県」でもいいが。ついでに那覇市も改名して「那波市」にすればいい。字が書きやすくて小学生たちが喜ぶだろう。
さて、同じく『琉球王国』を読んでのもう一つの推理だが、同書に一説として書かれているように「琉球」とは本来は台湾を指したのではないだろうか。『隋書』にある「流求」の記述には沖縄には生息しない動植物の記述があるという話だ。とすれば、中国王朝から勘違いで「流求」という名で呼ばれた古代沖縄の族長(まあ、王様と言ってもいいが)がその名を受け入れ、字を「琉球」に変えたという推理ができる。
これも「流求」でもべつにいいが、そうするとその後の沖縄(琉球)の歴史的流浪を予言する名称であったわけである。我々は薩摩に支配され明治政府に支配され米軍管理下に置かれ、祖国復帰し、などさまざまに流浪する沖縄の中で、その未来を求め続けるわけだ。

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頭髪の衰退阻止のために

「つむじ風」ブログから転載。
フルボ酸についての記事の一部で、フルボ酸には興味はないが、禿についての発言は聞き捨てにできない。
私は大昔には(セルフイメージ上は)美少年で美青年で美中年だったが、頭髪の衰退によって美老人になることはあきらめた男である。禿はショーン・コネリーのような男性的風貌の美男子には似合うが、キムタクやら二宮やら岡田准一やらといった優男(やさおとこ)タイプにはまったく似合わない。で、私は残念ながら後者のタイプであったわけである。(まあ、これも自称だが)
しかし、禿は知性の証明である、という下記発言は、我々のような頭髪障害者、頭髪に不自由な人間には実にいい言葉ではないか。
そうか、私が頭髪に不自由なのは、知性をハゲしく使っているからで、年を取っても頭髪のフサフサとした連中はまったく頭を使っていないからなのだ。となれば、五木寛之や鳥越俊太郎のような頭髪優越者は、実はあれは馬鹿だったのだと気持ちよくテレビ画面や写真を眺めることができる。
まあ、いつも世情を怒ってばかりいる記事を書いている当ブログだが、その怒りがストレスとなって私本人に頭髪衰退をもたらしているのかもしれないから今後はもう少し穏やかな心で生きるように心がけよう。


(以下引用)



Dr.ディック・ミヤヤマ博士が、何故、フルボ酸に行き着いたかというと、元は毛生え薬の研究であると言うから面白い。そして、その分野に関しては、「誰一人、外したことがない」と言う。






 つまり、



 禿の救世主である。



 写真にもあるように、ご本人はお年の割に毛がふさふさだ。知行合一だ。



 その種明かしは、ストレスの解消→リラックス→睡眠との流れから、フルボ酸に行き着いたという。睡眠→リラックス→ストレスの解消の流れになると、神経が再生するから毛が生えると言う寸法だ。それにはフルボ酸が卓効がある。



 極めて簡単な発毛法があったものである。



 確かに、神経を使う人には禿が多い。神経は知性だけではない。神経をすり減らすことで、神経細胞が死滅する。すると毛が育たない。あるいは抜け落ちる。細毛化する。禿げる。と言う理屈である。

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セロリの簡単料理

今日は料理の話である。野菜の好き嫌いと、その解消法の話だ。

私は嫌いな食べ物がまったく無いか、と言えば、それはある。というより私が食べる気になれないのは「昆虫」と「爬虫類」と「両生類」である。まあ、「漂流教室」みたいな状況になったら、昆虫でも爬虫類でも両生類でも食うかもしれないが、平和な世界でわざわざそんな「サバイバル食い物」を食う気にはなれない。というより、まず側に寄るのもいやだ。特に昆虫の幼虫など大嫌いで、オーストラリアのアボリジニーが芋虫を食うなどというのは、傍で見たくもない。またアラスカのエスキモーが、セイウチか何かを解体する時に、その皮膚の下の寄生虫が奥に逃げ込もうとするのを素早く捕えてぱっと口に放り込んで食べる、というのも気味が悪い。
こういうのは幸い、日本では普通の食べ物ではないから、料亭でセイウチの寄生虫の生き作りを出す、ということは無い。
もちろん、日本でも地方に行けば、「蜂の子」や「イナゴ」などを食うところはあるし、蛙を食うところもあるだろう。そんな野蛮な土地には旅行しないに限る。晩飯に蜂の幼虫やイナゴの佃煮など出されたら、私は卒倒する。まあ、おフランスのように上品ぶっていてもカタツムリを食う野蛮な土地もあるが。
しかし、野菜に限っては、どんな野菜でもそういう「気味悪さ」は無いのだが、嫌いな野菜のある人は非常に多い。これは概して、親の料理下手によるトラウマのためだ。最初に下手な料理をしたもので、子供はそれを野菜自体の不味さとして頭に刷り込んだのである。ゴーヤーなどはもちろん、「苦さ」という、子供の苦手とする味であるから、そのままでは子供が受け入れるわけはない。薄切りにして水でさらすなどして、少しでもその苦味を和らげる工夫が要る。そしてもちろん、卵や麩や三枚肉やポーク缶詰などと一緒にチャンプルーにすれば、子供はゴーヤー以外の物を中心に食べ、「うっかり」ゴーヤーを食べて、それが案外いけることに気づくのである。そうなれば、ゴーヤー好きになるまで時間はかからない。(ここまで私が「ゴーヤ」でなく、「ゴーヤー」と表記していたことからも分かる通り、私は沖縄の人間である。まあ、沖縄でも「ゴーヤ」と発音する人もいるが、それは「ゴーヤ・チャンプルー」などの場合で、単独では普通「ゴーヤー」と発音する。)

セロリが嫌いな子供を持つ人に、いい料理法を二つ教えよう。

1 セロリの葉を味噌汁の具にする。これは、お雑煮のミツバなどと同じくらいに少しでいい。一椀に3~4枚程度がベストか。あまり入れすぎると、子供をうんざりさせる。セロリの香りによって「洋風味噌汁」とも言うべき不思議な味わいになる。これで、子供のセロリへの抵抗感を減らすわけだ。
ついでだが、一般に女性の作る味噌汁は具が多すぎて、汁ではなくオカズになってしまう傾向があるので、注意したい。汁の中の具は全体の4分の1以下がいい。

2 セロリの茎を短冊に切って、(輪切りにしてはいけない。味が変わる。野菜の切り方は舌ざわりや噛み心地に関係し、味覚に大きな影響を与える。短冊の長さは5~6センチで、幅は適当、厚みは2~4ミリ程度。薄い方がいい)油で炒める。味付けは塩と化学調味料だけ。胡椒を加えてもいい。セロリ以外の野菜を加えないこと。肉なども不要。ただセロリだけを油でいためるのである。炒め方の程度は適当でいい。生でも食えるのだから、気にすることはない。まあ、少し黄ばむ程度がベストだろう。酒のツマミにもなる。油はバターでもサラダ油でもいい。ごま油などを試すのもいいだろう。
注意しておくが、「炒める」のであって、「蒸す」のではない。間違っても蓋などして蒸してはいけない。蒸気をどんどん発散させ、汁は出ないようにすること。

一般に、複数の野菜を同時に炒めると、味が濁って、それぞれの野菜の味わいがなくなるものである。料理下手な主婦が作る「野菜炒め」はたいてい子供が嫌うものだが、たいてい、その中には、人参だのブロッコリーだの、子供が嫌う野菜が紛れ込んでいるので、子供は野菜炒めを見ただけで食欲を無くすのである。しかも、味は幾つもの野菜の味が混じったわけのわからない味だから、不味いのだ。沖縄の「味クーター(ごちゃまぜの味)」がいいなど、味覚の鈍感な人間の言い草だ。
それに、「野菜炒め」と言いながら、フライパンに蓋をして「蒸す」馬鹿もいる。蒸したら汁気が野菜の外に出て、野菜自体の旨味は無くなるのである。そして、その汁は捨てられるだけなのだ。
セロリには、それ自体のおいしさがある。そのおいしさを引き出すには、塩だけの味付けが一番だ。だが、化学調味料を使えば、もっとおいしくなるのだから、遠慮せずに使って、子供にセロリのおいしさを教えればいい。化学調味料を使う時点で、私の言葉は聞くに値しないって? まあ、それで結構。化学調味料を使わないレストランがどれだけあるだろうか。化学調味料がいやなら、別のダシを使えばいいが、自然食品的なダシは料理との相性があって使うのが難しいのである。まあ、べつに塩だけを使ってもいいのだが。


(以下「ネットゲリラ」から引用)



1 ◆zzzbb2c.e6 (東京都) 2011/09/30(金) 20:28:00.76 ID:IaCa4p7v0
■セロリ、ゴーヤに続きトマトがランクイン
子どものころに苦手だった野菜で、今でも食べられないものはありますか?
はい……39.4%(343票)
いいえ……60.6%(528票)
なんと4割もの人が、今でも苦手とする野菜があるということです。子どものころ嫌いだった野菜の定番といえばニンジン、ピーマンなどが浮かびますが、大人になった今、はどうなのでしょうか。
Q.嫌いな野菜を教えてください(複数回答)
1位 セロリ  36.1%(124票)
2位 ゴーヤ  20.1%(69票)
3位 トマト  15.2%(52票)
4位 ピーマン 12.5%(43票)
5位 オクラ  10.5%(36票)
6位 ナス   9.0%(31票)
7位 ニンジン 6.1%(21票)
7位 キュウリ 6.1%(21票)
9位 ブロッコリー 5.5%(19票)
10位 ニラ   4.1%(14票)
その他   22.7%(78票)
1位、2位はセロリやゴーヤのように苦みのある野菜でした。3位のトマトは意外な気もしますが、言われてみると、「トマトが苦手で」という友人や同僚が周りにいます。
そのたの野菜としては、しいたけ(10票)、グリーンピース(6票)、カリフラワー(4票)、かぼちゃ(3票)が続き、パクチー、ホワイトアスパラガス、モロヘイヤなどがありました。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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