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気の赴くままにつれづれと。
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「風俗に落ちた」といった言葉はよく聞くが、「風俗から抜けた」後の話を聞くことは少ない。風俗をやめた後、彼女たちはどんなセカンドキャリアを過ごしているのだろう。ある地方都市で介護福祉士として働き、特別養護老人ホームでプロジェクトリーダーを担う女性に話を聞いた。
風俗嬢のセカンドキャリア#3
介護福祉士として働きながら、県からの任命で介護の特別チームのメンバーを兼任する吉田裕子さん(55歳、仮名)。彼女がかつて22歳から41歳までソープランドの人気嬢として働いていたことを知る人は、夫以外、誰もいない。
IT産業がカースト・フリーで能力主義に基づいた平等な働き場所だという自己イメージは、統計などで証明されてはいない。そもそも、IT産業内部には出身カーストを聞かれること自体を嫌悪する風潮が根強いと研究者たちからしばしば指摘されている。
それには、IT産業が留保制度(リザベーションシステム:ダリトや低カースト出身者に職を一定数確保するアファーマティブ・アクション)の導入に強く反発しているという事実が背後にある。IT産業で働く人たちの多くは、留保制度によって、それまで良い職とされてきた公務員職、さらに高級官僚の職までも低カーストに「不当に」奪われたという感情を持っているのだ。
一方で、アメリカなどからの下請けという側面があることは否めないとはいえ、IT産業に職を得ればインド人の平均収入の何倍あるいは何十倍にもなる給与を得ることができる。2000年代には郵便局長の娘さんがコールセンターで働き出し、初めての給与が父親の給与の4、5倍だったというような話をよく聞いた。
つまり高カースト出身者が、留保制度によってそれまで享受してきたホワイト・カラーの職を得にくくなったとしても、自由主義経済の拡張によってより良い職が用意されていたわけである。
公立学校の教師や大学教員、公務員の給与は2010年代以降徐々に上昇し、IT産業の技術者との差は縮まりつつあるが、それでも後者の方が依然として圧倒的に高額である。自由主義経済の恩恵を最も直接に受けたのは、高学歴・高カーストの中間層なのである。
IT産業の花形であるソフトウェア技術者の出身カーストについては統計資料もなく、また調査することも困難であるという。それでも、少ないサンプル数ではあるがいくつかの社会学的調査が行われている。
2000年代半ばに行われたインドのシリコンバレーと呼ばれる南インド・ベンガルール市で働くソフトウェア技術者に関する調査(Carol Upadhya, ‘Employment, Exclusion and 'Merit' in the Indian IT Industry’, Economic and Political Weekly, Vol.42, No.20, 2007)では、132人の技術者の出身カーストを聞いたところ、48%が最上位カーストのバラモンで、先進カーストとも呼ばれる「再生族(バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ)」は実に71%にも上った。
親の学歴では父親の80%、母親の56%が大卒以上。技術者の36%がインドの5大都市(デリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、ベンガルール)出身で、29%がマイスールやプネーのような2級(tier two)と呼ばれる都市の出身であった(最近はプネーもハイデラバードなどとともに人口500万以上の1級都市に含まれる)。農村出身者はわずか5%であった。
コメント 137魔人
中学3年の終わり頃、高校の下見に遠くの街に電車で出かけた。遠くの高校に行くかもしれなかったのはぼくともう一人の生徒だったので2人で出かけた。親友というわけではないが、生徒会の役員を一緒にやる程度には友達だった。
その街はぼくの中学のあった田舎とは格段の差のある「都会」で、景色に圧倒されながらその街を歩いていた。
その時、前の方から自転車に乗った若者、おそらくぼくと同じ年頃の一団が奇声を発しながらやってきた。10人くらいの集団だっただろうか。彼らは自転車に乗ったまま、ぼくらとすれ違いざまにぼくの腹をわざわざ蹴って通り過ぎていった。
「何すんだこのやろう!」
と大声をあげたのはぼくであった。
その罵声を聞きつけ、彼らは自転車を止めた。
そして、降りてこっち向かって走ってきたのである。
ぼくは青くなって逃げ出した。
ところが、もう一人は駈け出さなかった。自分が発言したのではないと考えたのだろう。
しかしその一団にそんな「道理」は通用しない。たちまち友人は取り囲まれ、殴られ、蹴られ始めた。
ぼくは見捨てて逃げるわけにもいかず、戻るしかなかった。今考えれば110番通報したり大人に助けを呼んでから戻ればよかったのだと思うのだが、そんなことを考える余裕はなかった。
戻るや否や、ぼくもボコボコにされた。
「金を出せ」と言われた。
「ありません。勘弁してください」と弱々しくぼくは哀願した。結局財布を巻き上げるまではしなかったが、ふんという感じで彼らは立ち去った。鼻血が出たので、派手な絵面となった。ただ、「全治●ヶ月」というようなことはなかった。
どうやって帰ったのかもあまり覚えていないが、その友達とはあまり話さなくなってしまった。二度と思い出したくない、つらい記憶となったのだ。
ぼくは優等生意識の裏返しもあったのだろうが、「不良ども」を心の底から軽蔑していた。「そんな奴ら」から暴力を受け、屈服させられ、哀れがましく許しを請うたことで、プライドがズタズタになった。はじめにイキがっただけに、その落差を思うと、その時は震えるほどに悔しかった。早く忘れよう、なんでもなかったんだ、という思いが交錯した。
直接的な暴力はなおさらだろうが、人を理不尽な力によって屈服させること、それによってどう尊厳がが踏みにじられるのかということを、そんな経験からも少しばかりわかるような気がする。もちろんレイプ被害はその何倍・何十倍も苦しいものなのだろうが。
繰り返すが、直接的な暴力に限らない。
圧倒的な力の非対称性を背景に、押さえつけられるということの屈辱感を想像するとき、体が熱くなる。
リモート読書会で読んだ大江健三郎『芽むしり仔撃ち』で最も印象的な箇所はラストの第十章「審判と追放」である。
戦争中、感化院の少年たちが疎開ということで送られた村で、感染症が流行り、少年たちは感染した動物の死体の処理の仕事をさせられた挙句、村人たちが計画的に避難する中で村に強制的に隔離される。やがて村人たちが戻ってきて、村長は、少年たちをなじり始め、一緒にいた脱走兵の行方などを糾問する。
「この汚ならしい感化院のがきども」と村長が突然怒りくるって叫んだ。「お前らは何一つ正直に白状しない。俺たちを甘く見るつもりか。俺たちは、お前らの痩せた首を一締めでつぶしてしまうことができるんだぞ、叩き殺すこともできるんだぞ」
(大江健三郎『芽むしり仔撃ち』新潮文庫、p.170 Kindle 版)
しかししばらくして戻ってくると村長は恩着せがましく、お前らを許してやると述べた。感化院の教官が戻ってくるので、少年たちを置いてけぼりにして閉じ込めたことを他人に言うなと少年たちを脅すのである。
主人公の「僕」は、許してやると言われた一瞬は心を開きかけたが、急に態度を硬化させた。
僕の心の中で開きかかっていた蓋が急速に固く閉じた。そしてそれは僕の躰のまわりへ伝染し、僕の仲間たちみんなが村長への硬く対抗する態度、しっかりした姿勢を取戻した。僕らはうまくはめこまれようとしていたのだ。そして《はめこまれる》ことほど屈辱的でのろくさでみっともないことはないのだ。…
「おい、いいな。そういえよ」と僕らの無反応にその装われた冷静さをかきみだされた村長が僕らを見まわしていった時、僕ら仲間たちはすっかり態勢を挽回し、内部の同志としての固い結束をとり戻し、村長に対して挑戦的に胸をはり眼をきらきらさせていた。(大江p.173)
しかし結束は長く続かなかった。村人が圧倒的な暴力を見せつけた後、従う者は握り飯を食わせてやると言い出した。次々に崩れ、最後に抵抗の意思を示し続けるのは「僕」一人になる。鼻先に熱い汁と握り飯を出すが、「僕」はそれをはたき落とす。
「ふざけるな」と村長は喚いた。「おい、ふざけるな。おいお前は自分を何だと思ってる。お前のような奴はほんとの人間じゃない。悪い遺伝をひろげるだけしかない出来ぞこないだ。育ってもどんな役にもたたない」
村長は僕の胸ぐらをつかみ、僕を殆ど窒息させ、自分自身も怒りに息をはずませていた。
「いいか、お前のような奴は、子供の時分に締めころしたほうがいいんだ。出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしりとってしまう」(大江pp.178-179)
「いいか、おい?俺たちはな」と村長は喚いた。「お前を崖から追い落すこともできるんだぞ、お前を殺して誰一人それをとがめる奴はいないぞ」
彼は短く白髪を刈りこんだ頭を振り、怒りにみちた声で叫んだ。
「お前たち、俺がこいつを殺してそれを巡査にうったえるものがいるか?」
首をしめつけられてのけぞった僕のまえで僕の仲間たちはおびえて黙りこみ僕を裏切った。
「分ったか、おい、これでわかったか」
僕は眼をつむり、苦い涙を睫にからませてうなずいた。僕には自分が最後の土壇場でまで見すてられたことがわかりすぎるほどわかっていた。僕の胸ぐらをしめつけていた腕がゆるみ、僕は深い息と小さい咳をして躰をたてなおした。(大江p.179 )
そして「僕」は追放という審判を受け、追放される。しかし、実際には追放ですらなく、いつまでも抵抗し続けていた「僕」を、村人たちは他の少年の見えないところで殺してしまおうとしていたのである。すんでのところで「僕」はそれを免れるが、一瞬免れただけで、逃げられたのかどうかすらわからないまま結末が閉じられる。
逆らった者を、徹底的に力で封じ込め、ジャッジし、追放し、抹殺する。
抵抗に立ち上がった人々が崩れる無様で情けのない瞬間、どうやっても逃げきれない力の網の中で抵抗を続ける無力感、悔しさが活写されている。
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