私は古代日本に関する本や文献などあまり読んでいないので、これから書くことはすべてうろ覚えの知識を元にした妄想である。
1:古代の日本には最初、縄文人だけが住んでいた。しかし、朝鮮半島との往来は少しはあり、朝鮮半島の文化や物品が日本に伝えられた。ただし、その文化は、朝鮮半島自体が古代中国との距離が近く陸続きであったために生まれた、中国文化の模倣やアレンジである。
2:朝鮮半島では国家が日本より早く成立したが、幾つかの国に分裂し、争闘を繰り広げていた。その争闘に敗れた国の上級国民は難を逃れて日本にやってきた。それに伴って、古代朝鮮の文化や物品が日本にたくさん流入した。
3:日本に来た朝鮮人たちは「戦争の技術」に優れ、長年の戦争体験で闘争的性質を持っていたため、古代日本の縄文人たちとの闘争に勝ち続け、東征して奈良に大和朝廷を作った。その朝廷に帰服した土着豪族のナンバーワンが蘇我氏である。(これで仏教受容に起因する蘇我氏と物部氏の争いや、「大化の改新」の意味が分かるだろう。)
4:すなわち、日本の上級国民は基本的に「他所から来て日本を征服した」人々であり、当然、その血脈は現代でも続いている。ただし、その征服の事実は「記紀」で巧みに装飾されて隠され、日韓併合以後は下級国民まで朝鮮人への軽蔑の習慣がついたため、日本の上級国民が朝鮮人の子孫であることに一般人は気づいていなかったわけだ。もちろん、長い間に上級国民と平民(主に女性)の間の子供が生まれ、朝鮮の血はどんどん薄く広くなっていった。
5:こうした「古代朝鮮人」と、日韓併合以降に日本に来た朝鮮人は区別され、日本で長い歴史を持つ「古代朝鮮人の子孫」は既に自分たちを「日本人」と考えているので、新しく日本に来た朝鮮人に特に共感や同情心は持っていないと思う。それが「在日」という言葉や在日朝鮮人への差別が横行している所以だろう。つまり、「葉はあまた茂れど根はひとつ」であるわけだ。
*縄文人の時代にはほとんど戦争の形跡が無いらしい。狩猟漁労採集生活が基本の縄文人の世界では、同じ人間同士が争う意味や他者に嘘をつく理由が無かっただろう。その温和で正直な性質が、縄文人が弥生人(渡来人)との戦争に負け続けた原因だと思う。「古事記」の中の朝廷側の勝利はほとんどが「騙し打ち」なのである。これが「戦上手」なのであり、正直な集団が戦争に勝てるはずはない。で、日本人の基本的な性質である温和さも、根底には縄文人の血があると思う。
*仏教伝来当時の仏教は「呪術」であり、当時の縄文人の目からは、まさにカルトだっただろう。蘇我氏が仏教受け入れに反対したのを「愚か」だったとは言えないわけだ。土着民族代表としては、「国家仏教」によって朝廷の力が強まり、土着豪族の力が弱まるのを座視できなかったのだろう。