太宰治の随筆だけを収めた本を図書館から借りたのだが、小説と違って彼の随筆は譫言めいた文章で、しかも韜晦がひどいので、意図が汲みにくい。まあ、真面目に読むような文章ではないが、ところどころ鋭い言葉があるのは、やはり才能だろう。たとえば、徒党について、次のような言葉がある。赤字太字にしておく。
徒党は、政治である。
友情。信頼。私は、それを「徒党」の中に見たことが無い。
これは政治を志す者が心に刻むべき言葉ではないだろうか。政治に限らず、あらゆる徒党に言える言葉だろう。というのは、「徒党」とは、何よりも「利益集団」だからである。同じ利益を有すると思うから徒党を組むわけだ。その中で利益が反すれば、その相手は即座に敵になる。同じ共産党でもスターリンとトロツキーが敵対したようなものだ。つまり、友情や信頼が徒党の中にあるはずがない。自民党でも立憲民主党でも同じだろう。
とすれば、「政党政治」というのは、実にナンセンスなものではないだろうか。本来は個々の問題について、議員個々が自分の信念に従って賛成反対を表明すべきであり、あらゆる議題について、同じ政党だから賛成する、というのでは、それは「その政党の利益」しか追及しなくなるのは自明の理だろう。つまり、政党自体が国民の敵になるわけだ。これがまさに今の国会ではないか。
徒党は、政治である。
友情。信頼。私は、それを「徒党」の中に見たことが無い。
これは政治を志す者が心に刻むべき言葉ではないだろうか。政治に限らず、あらゆる徒党に言える言葉だろう。というのは、「徒党」とは、何よりも「利益集団」だからである。同じ利益を有すると思うから徒党を組むわけだ。その中で利益が反すれば、その相手は即座に敵になる。同じ共産党でもスターリンとトロツキーが敵対したようなものだ。つまり、友情や信頼が徒党の中にあるはずがない。自民党でも立憲民主党でも同じだろう。
とすれば、「政党政治」というのは、実にナンセンスなものではないだろうか。本来は個々の問題について、議員個々が自分の信念に従って賛成反対を表明すべきであり、あらゆる議題について、同じ政党だから賛成する、というのでは、それは「その政党の利益」しか追及しなくなるのは自明の理だろう。つまり、政党自体が国民の敵になるわけだ。これがまさに今の国会ではないか。
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