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「電気的宇宙論」における「直線伝達」と「蛇行伝達」

「ものセラ」から転載。色字や下線は夢人による強調で、同意する部分。当然、私はアインシュタイン的現代物理学(特に宇宙物理学)は瞞着だと思っている。
まあ、下記記事のように「ニュートリノ」という言葉を使うことに疑問はあるが、この宇宙全体が「エーテル」的な物質に満たされて(この言葉も誤解されそうなので、「長距離で連動する粒子でつながっている」でもいい。)いて、端から端までほぼ一瞬で情報伝達をするという可能性は高いと私は思っている。光速を超える速さは無い、というのはナンセンスの極みだろう。重力を含め、無時間で対象に到達する「力」は存在すると思う。それが電波のように「波」の形態を取った時に時間がかかるわけだ。それは「波とは蛇行である」ことから当然の話だろう。
「縦方向の力」と「横方向の力」という視点は(「縦方向」「横方向」は大雑把な言い方ではあるが)重要だと思う。「縦」「横」とは、正確には、起点と終点が「一直線」か「蛇行」かである。


(以下引用)

光の速度、エーテルの排除と再導入

ウォル:光の速度は、それが通過する媒質(媒体)の反応によって決定されます。さて、媒質というと、もちろん光の速度は、真空中を進む光子や横波の速度を表すと思われます。しかし、真空中で電界を維持することはできません。物質が存在しなければならないのです。それは帯電した物質という意味ではなく、歪んで小さな電気双極子を形成することができるものという意味です。ということは、真空というものは存在しないということです。
何もない空間は実はチームになっていて、ニュートリノとチームになっています。ニュートリノは標準的な粒子です。つまり、他のすべての素粒子と同じ構造をしていて、歪んで小さな電気双極子を形成することができます。ですから、光で見ているのは、ニュートリノという媒体を伝わってくる撹乱、横方向の撹乱です。


光の速度は、ガラスや水などを通過するときに変化することが分かっているため、光の速度は一定ではありません。通過する媒体によって変化するものです。
これによって、エーテルの考え方が再導入されました。マクスウェルの電磁気学の方程式にはエーテルが必要です。
アインシュタインはエーテルを排除し、具体的にどのように電磁波が動き続けるのかを説明しませんでした。そこでアインシュタインは、質量がない粒子であるはずの陽子を発明しましたが、質量がない粒子など宇宙には存在しません。そして、それに関して暴露されたことを忘れている。まったくもってナンセンスです。
すべての粒子には質量がなければなりません。なぜなら、粒子にはエネルギーが含まれており、そのエネルギーは粒子の中の粒子の運動に束縛されているからです。今度の場合も、繰り返されるパターンのようなものです。
これがエレクトリック・ユニバースの特徴であり、このような宇宙のフラクタル性なのです。掘り下げれば掘り下げるほど、より詳細なものが見えてきて、それが繰り返されるパターンです。

重力は縦方向に引っ張られることで作動し、電磁気や光はロープを振ることで作動する

それで、光の話をしましたが、この媒体を伝わるには時間がかかるわけです。一方、重力は素粒子の分極化です。ですから、真空中ではすべてのニュートリノが、端から端まで、このような歪み、縦方向の歪みを持ちます。それはまるで鎖のようです。
鎖を引っ張ると、反対側に立っている人は鎖が引っ張られた瞬間を感じることができますが、誰かが長い鎖やロープの端を振ると、その波が自分に届くまでに時間がかかるという違いがあることはご存じでしょう。これが、その違いです
重力は縦方向に引っ張られることで作動し、電磁気や光はロープを振ることで作動し、反対側の端まで届くのに時間がかかります。これが違いです。また、池に石を落とすようなものです。石を落とした場所から少し離れた水中にマイクがあると、マイクには石が落ちた音がすぐに聞こえますが、石の波紋は何秒か、何分かかかってあなたに届くので、その差は歴然です。

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自然との共存と「自然との戦い」

田舎への移住を人に勧めている「東海アマ」氏が体験している「僻地暮らし」の現実が、このようなものだと正直に書いているのが面白い。で、そういう生活を他人にも勧め、「防人」になれと勧めるのですか。
私は仕事から引退した人間に「園田の居」に帰ることを勧めるが、それは「自然が楽しめる」という「豊かさ」のためであり、下の記述のような「自然との戦い」を勧めているわけではない。日本の小都市、田舎には、無数に「文明と自然の共存した」土地があるのである。何も、辺境や僻地で苦労することはない。
ちなみに、私が「田園」でなく頑なに「園田」と書くのは、陶淵明の「園田の居に帰る」が念頭にあるからである。

陶淵明 帰園田居 其の一
 少無適俗韻
 性本愛丘山
 誤落塵網中
 一去十三年
 羈鳥戀舊林
 池魚思故淵
 開荒南野際
 守拙帰園田

 少きより俗に適う韻無く
 性 本と丘山を愛す
 誤って塵網の中に落ち
 一たび去って十三年
 羈鳥は舊林を恋い
 池魚は故淵を思う
 荒を南野の際に開かんとし
 拙を守って園田に帰る


(以下引用)   


 池や浄化槽に、天文学的な数のユスリカが湧く理由は、「自然の摂理」であって、水中の汚物、有機物をユスリカの体を使って、周辺の土壌に変えることだといわれる。
 つまり、池や浄化槽の汚染である。我家の池には小動物が争って、死骸が沈んでいた。
 これが分解されてユスリカが湧いたと思う。
 浄化槽にはネズミが飛び込んで死んでいた。なぜか浮かずに沈んでしまうので、浄化槽に死骸有機物が貯まり、それがユスリカの大発生を呼んだ。

 大発生を放置すると、上に書いたように、間質性アレルギー肺炎になって致死的に進行する可能性があるので、ユスリカの発生を抑止する必要がある。
 これにはデミリンという薬剤が有効である。錠剤と水和剤があり、どちらも同じだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%AD%E3%83%B3#:~:text=%E5%95%86%E5%93%81%E5%90%8D%E3%80%8C%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%90%8D,%E3%82%82%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82

 とりあえず10年近く使ってみて、浄化槽の性能を著しく劣化されることはないようだ。
 最近では改良型の新製品が出ている。
 https://item.rakuten.co.jp/hoeiyakuhin/m556/
 私の場合は、ユスリカの大発生が確認できたなら、毎週2錠ずつ浄化槽に投入している。これを暖かい期間続け、11月頃になったらやめる。

 田舎暮らしは、浄化槽を利用することが多いので、ユスリカ大発生のリスクはかなり大きい。大発生を数ヶ月も気づかないままで、間質性肺炎を発症してしまうと、もう取り返しがつかない。

 なお、田舎暮らしは、ネズミなど小動物の共存を強要されることになる。ネズミを完全防御するのは不可能だろう。一番効果があるのは毒餌だが、死骸がまた新しい災難を産み出す。

 床下などでネズミが死ぬと、微生物や虫が大量に寄ってきて食べてしまう。
 とりわけゴキブリが多い。そのゴキブリがムカデの大好物なので、死骸のあるところムカデが大量発生することになる。
 硫黄島など、日本軍兵士が数万人も殺され、米軍は遺体を回収せずに、そのままブルドーザで埋めてしまったので、これを食べに来るゴキブリを狙ってムカデが大発生した。
 硫黄島はムカデ天国になってしまったと、現地駐在兵士が述べている。

 我が家でも、ムカデがトラウマになるほど大発生した。原因は、床下で小動物が死んだことらしい。だから部屋にムカデが侵入してくるのだ。これは恐怖だ。
 田舎暮らしでは、ユスリカとともに、ムカデの恐怖と戦わなければならない。

 もう十数年も苦しんでいるのだが、杉や檜の家が新しいうちはムカデは侵入しない。ヒノキオールなど木の香りが嫌だからだ。10年もして、木の香りが消えると、ムカデが入ってくる。
 これを防止するには、農薬を利用することを拒絶する人は、木酢液を散布する人が多い。数倍に薄めて噴霧するが、数日程度で揮発してしまうので、毎週散布しなければならない。それにタールのような臭いが結構凄い。

 ムカデ駆除薬は、ネオニコチノイドが使われている可能性を覚悟しなければならないが、粉のまま家の周りに散布する。このときムカデの巣になっているのが落ち葉の固まりだが、ここを重点的に大量散布しておく。

 室内に入りそうな1ミリ以下の隙間には、私の場合は、虫除け剤やハッカ油薄め液などを散布している。これも二日くらいしか効果がない。アーススプレーは1日程度だ。
 また粘着剤捕獲は、ゴキブリ用はなぜか逃げ出してしまう。100円ショップのものは使い物にならない。高価なネズミ用は捕まることがある。私は粘着剤を5枚ほど床下に置いている。

 もしも寝ているとき、布団に入ってきて噛まれたなら、激痛が数時間も続き、大きく腫れあがる。これは、46度の湯で20分以上、毒を洗い流し、後はムヒアルファのようなステロイド剤を塗っておくが、リバウンドがあるので、ひどくかゆくなる。
 これをやると、正真正銘のトラウマになって、ベトナム戦争で米兵がベトコンにもの凄い銃弾を浴びせるように、ムカデに対して異常な恐怖心が成立してしまう。

 今でも、私は寝るとき、ムカデの有無を最初に考えてしまう。
 手元に、虫除けスプレーと、ハッカ油スプレーが手放せない。
 私のようなだらしない人間が書く資格はないのだが、ユスリカもムカデも、何より室内の清掃が、被害を防ぐ最大の方策だと思う。
 強力な真空掃除機で、ていねいにユスリカの死骸粉末を除去することが大切で、これで私のような激しいアレルギーの咳を回避できるかもしれない。

 田舎暮らしには、浄化槽のユスリカとムカデは、ほぼ避けることのできない試練だと覚悟する必要があると思う。
 とりわけ、アレルギー体質の人は、何事にも過敏なので、十分すぎる準備が必要だ。

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文脈から推定できない難語・難読語を使う愚劣さ

私は、問題となっている事件(出来事)についてまったく知識が無いが、ここでは単なる「言葉の問題」に興味があるので、それを書く。

まず、「アファーマティブ・アクション」という長いカタカナ語だが、affirmativeという言葉自体は「肯定の、賛成の」の意味で、それが米国で「affirmative action」という連語が「(積極的)平等施策」「差別解消積極措置」つまり、たとえば大学入学などに一定の人種枠を最初から設置するという、「全体的には(受験者全体に対しては)不平等行為だが、それによって人種間の数の平等に近づける」という施策になったようだ。で、最近は日本の大学でそれを真似ているところがあるのだろう。あるいは、それを推進すべきだという層(主にフェミニストか)があるのだと思われる。要するに、「アファーマティブアクション」という言葉だけでは、それがどういうものか想像できない類の名称だというのが、私の言いたいことだ。その結果、この運動について、世間の関心はゼロに等しいと私は推測する。
もうひとつは「悍ましい」という言葉の問題で、私の持っている国語辞書には、「おぞましい」に「悍ましい」という表記が無い。つまり、これはひらがな書きするのが当然の言葉だということだ。ところが、なぜかワープロ(パソコン)の語句変換機能で、「おぞましい」と打つと「悍ましい」と変換されるので、最近はこの漢字を使って書く例が多い。ついでに言えば、この漢字は「悍馬」や「剽悍」のように、「たけだけしい」意味の漢字であり、それを「おぞましい」と読ませるのは、誰が始めたのか、また、過去に有名著述家が「おぞましい」を「悍ましい」と書いた例があるのかどうか、私は知らない。おそらく、IME漢字変換機能を作った集団の誰かが、「惧」か「惶」(どちらも「おそれる」意がある)を「悍」と間違えたのではないか。

(以下引用)

若手男性研究者が、お茶の水女子大学ハラスメント告発の件に思う事

アファーマティブ・アクションという名の『トロッコ』の下敷きになっている一人であると同時に、


告発の発端となったDMの送り主と同じく、ちゅうしたいしえっちしたい(泣)騒動を当時間近で見聞きしていた一人として、


よくもまあそんなえらそうなことが言えたものだと、かねてより神山翼氏の厚顔無恥ポジショントークを大変苦々しく思っていたのですが、


あろうことか氏が女子学生不適切な関係にある上にハラスメントの加害当事者である蓋然性が高いだけでなく、


それが事実であった場合本来その被害者たちの最も心強い味方であるべき(特に同性の)研究者たちが


臆面もなく公然セカンドレイプを加えているというあるまじき惨状を目の当たりにし、あまりの悍ましさに筆を執らずにはいられませんでした。


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女性と女性の結婚

「はてな匿名ダイアリー」記事で、内容が面白いので、長文だが全文載せる。文章が上手いのに感心した。かなり知性と教養の高い女性だろう。ただ、私はADHDというのを詳しく知らないので、それを一種の遺伝とか精神病とか障害と捉えるのは妥当なのかどうか判断できない。本当に改善不可能なのだろうか。ただの欺瞞的自己弁護なのではないか、という気も少しする。
青年期に「自我の危機」があるのは普通であり、多くの人は年齢とともに改善される。自分の失敗を過大に考えるのも未熟さの特徴だ。つまり、当たり前である。この筆者は、一種の被害妄想、あるいは自己譴責から他者譴責へと移行しているのではないか。

なお、私は、「女性が女性と結婚する」のは、非常に賢明な選択のひとつだと考えている。家事とか秘書的仕事というのは一般的に女性に適している(つまり、その業務では男性が無能なことが多い)。


(以下引用)

anond:20240626154759

母親か、中学時代女友達か、総務部女性結婚したい 

多動と知的障害は無いけど、注意欠陥の酷い人生だった。


忘れ物


・提出物をやっていない


・次が移動教室であることを忘れる


履修登録ができない


単位を把握できない


グループウェアに外出予定を入れているのに遅刻しかける 


父親は私より酷く、落ち着きがなくて不注意だ。遺伝なのだろうと思う。


専業主婦母親は父の秘書のようだ。父が全くできない、書類手続きからスケジュール管理まで、母がやっている。


 


私は中学の頃、面倒見の良い友達に頼り切りだった。


移動教室の前に「移動だよ」と声をかけてくれ、提出物についても「持った?」と声をかけてくれる。


その友達が注意してくれるおかげで先生からの怒られが激減したし、


周囲からも要介護者と介護者のような関係とみられていて、私自身、ガイジを自称して、友達を神と呼んでた。


テストの点数が良くて提出物を出さな子供教師は憎む。


小学生の頃は、担任ガチャだった。不注意を特性とみるタイプと、「教師馬鹿にしている」とみるタイプがいて、


後者に当たったときはひたすらいじめられた。後者タイプテストの点数が悪くて不注意なのは仕方ないとしても、


テストの点数が良くて不注意なのは教師馬鹿にしているからと考える。


 


高校では友達と別の高校に進学することになり、日常のすべてが苦痛しかなく、私は自殺未遂した。


それからは母が、父だけでなく私の秘書もやるようになった。単位と持ち物の管理はすべて母がやった。


すべきことを整理して指摘してくれた。母に面倒を見てもらえなかったら高校大学卒業できていないと思う。


 


学歴はそこそこで、面接は得意なので、就職は上手くいった。でも一社目は不注意が酷くて針の筵になり退職した。


半年鬱状態で引きこもった。


再就職した二社目では、総務部女性が不注意を指摘してくれるおかげでなんとかミスなく続いている。


 


私の人生が「なんとかなっている」か「なんともならずに自殺を考える」かは、


母親か、中学時代女友達か、今の会社総務部女性のような人が、支援してくれるかが全てになっている。


幸福を感じられるか、鬱状態で常時希死念慮のある状態になるか。


「〇〇に気をつけろ」と指摘してくれる人が近くにいるかがすべて。


 


元彼は5人いる。


私との結婚を望んだ元彼もいるけど、「主婦になって俺を支えてくれ」か「今の年収を引き続き稼ぎながら俺を支えてくれ」という人だけ。


高校生で死のうとしたときも、一社目を辞めて鬱状態になったときも、彼氏はいたけど、救いにはならなかった。


「〇〇に気をつけろ」と指摘してくれる人がいるかどうかが私の幸福感のすべてで、励ましや褒めは何も影響しない。


具体的な指摘と、どうしても出来ないことを代わりにやってもらうこと、でしか私は助からない。


男は励ましと褒め言葉だけで片づけようとする。要らない。それでは何も解決しない。失敗の回避ができない。助からない。


 


中学時代女友達24歳で結婚した。総務部女性も既婚者だ。よく気づく面倒見の良い女性は、男性に確保されている。


男性はだいたい、女性に対しては、私の母親中学時代女友達総務部女性のような特性を持っていることを期待する。


私はむしろそういう女性必要としていて、日々助けられて、失ったら鬱・自殺未遂するような人間から男性の期待が重圧でしかない。


男性女性のことを、男性の面倒を見て子供を産む生き物、と認識している。私個人ガイであることが見えていない。


n=5に過ぎないけど、女性に対する期待が高すぎるから、私がガイであることを認識できない。


 


現在年収は600万円。専業主婦を養うにはギリギリラインだと思う。


でも私に注意喚起家事をしてくれる人を養えるものなら養いたい。


実家暮らしから母親から「私がボケたり死んだりしたらどうするの」と笑いながら言われたりする。


笑い事じゃなく、母親が死んだら破滅すると思う。母親には健康長生きして欲しいし、母より先に死にたい


母親が居ない状態で生きさせられるくらいなら、死んだ方がましだ。


あと総務部女性妊娠転職をしてしまうと、それも終わりだ。また仕事が成り立たなくなり、鬱、退職引きこもりになると思う。


総務部女性小学生の子供がいて、残業ゼロで働いている。職場ではそのせいで、軽い働き方という認識をされている。


私にとってはその女性いるかいないか職場のすべてで、死活問題なので、ことあるごとに褒めちぎるようにしている。


その女性がいないところで、「〇〇さんがいるから今のパフォーマンスが出せてる、〇〇さんが居なくなったらおしまい」と繰り返し主張している。


でも人の妊娠転職妨害なんてできない。そう考えると、非常に不安定年収600万円だ。


から必死貯金している。ADHDに多いとされる浪費傾向は私にはない。躁が出ることもない。


 


 


(容量限界のため以下省略)


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聖母子像

私は、夏目漱石的な「非人情」の観照を好む性質の、やや厭人癖のある人間だが、ユージン・スミスの「入浴する智子とその母」の写真を「ライフ」掲載写真集で見た時は、何とも言い難い荘厳の美に打たれたものである。下の記事にある、ミケランジェロの「ピエタ」を私も連想した。
「火葬場に立つ少年」の写真を後日見た時も、それに近い感動をした。カメラマンという存在に価値があるとしたら、このような写真を生涯に一枚でも撮ることだろう。つまり、人間性の崇高な「真」を写し取ることだ。

(以下引用)

ユージン・スミスの『入浴する智子と母』

2021-10-19 19:10:30 | 日記・エッセイ・コラム

 この私のブログを見て下さっている方々は、多分、この写真をご存知でしょう。もしそうでなければ、下のサイト:


http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/wsws/index.html


を開いて、ぜひ、この歴史的な写真を見てください。上の記事の日付は9月17日です。ついでに、この『マスコミに載らない海外記事』という必見のブログの常連読者になって下さい。私もその一人で毎朝読ませてもらっています。ここに翻訳転載された英語原文(8月4日)は


https://www.wsws.org/en/articles/2021/08/04/mina-a04.html


にあります。この写真については、英語のWikipedia にも『Tomoko and Mother in the Bath』という内容豊かな記事があります:


https://en.wikipedia.org/wiki/Tomoko_and_Mother_in_the_Bath


この写真のことは、朝日新聞の10月16日朝刊でも取り上げられています。MINAMATA あの1枚』と題するインタビュー記事です。この写真をめぐる幾つかの重要な問題を知ることが出来ます。この新聞記事を読むことが出来なければ、上の英文ウィキペディアに引用してあるアイリーン・スミスさん(ユージン・スミスさんの元妻)のアーカイブにある2つの記事:


http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_en/aboutus/tomoko_and_mother_in_the_bath.html


http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_en/aboutus/my_life_with_w-eugene-smith_reminiscences.html


を参考にしてください。また、この英文アーカイブと重なる内容の日本語の記事もありますので、ぜひ読んでください:


http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_jp/aboutus/interview.html


 この写真に、最初に私の関心を向けてくれたのは、九州大学での同僚の物理学者後藤賢一さんだったと思います。もう大昔の話です。後藤さんはこの写真をお部屋の壁に掲げて、「僕にとってこの写真は一番美しい写真だ。ミケランジロのピエタより美しい」と話してくれました。この貴重な思い出を、私は擬サイエンス・フィクション『オペおかめ』の中で小説の材料として使わせてもらいました。


 世の中のすべての人がこの母子像を美しいと感じるとは思いません。この写真を一種の踏み絵にして人間を試してみたいという意地悪い思いを私は抱きます。例えば、物理学者で試せば、オッペンハイマーやロートブラットはこの写真の美しさを感得できるでしょうが、テラーやシラードには醜い写真としか見えないのではないでしょうか?


 もう一枚、私の脳裏に焼き付いている美しい写真があります。それは、米国の従軍カメラマンであったジョー・オダネルが長崎の被爆者死体の焼き場で撮った『焼き場にて、長崎CREMATION SITE, NAGASAKI』という写真です。現ローマ教皇であるフランシス教皇がこの写真を讃えたことでも知られています。こちらの写真も多くの方々がご存知のことと思います。ネット上で見ることが出来ます。この写真について語ったオダネルさんの言葉を『トランクの中の日本』(小学館、1995年)という本から引用します:


「焼き場となっていた川岸には、浅い穴が掘られ、水がひたひたと寄せており、灰や木片や石炭がちらばっている。燃え残りの木片は風を受けると赤々と輝き、あたりにはまだぬくもりがただよう。白い大きなマスクをつけた係員は荷車から手と足をつかんで遺体を下ろすと、そのまま勢いをつけて火の中に投げ入れた。激しく炎を上げて燃え尽きる。それでお終いだ。燃え上がる遺体の発する強烈な熱に私はたじろいで後ずさりした。荷車を引いてきた人は台の上の体を投げ終えると帰っていった。だれも灰を持ち去ろうとするものはいない。残るのは、悲惨な死の生み出した一瞬の熱と耐え難い臭気だけだった。


 焼き場に10歳ぐらいの少年がやってきた。小さい体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っている様で見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。


 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐ背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。


 私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見てあゆみさった。一度もうしろを振り向かないまま。」


 もう一度、少年の写真をよく見てください。


 我々は、何故、この2枚の写真の美しさに感動するのか。それは、この2枚の写真のどちらにも、不条理の暴力の犠牲となった人間に対してもう一人の人間が注ぐ、注ぎ得る、無限の愛をそこに見るからです。ここで、私はアルベール・カミュのことをしきりと考えます。彼は、政治的イデオロギーからではなく、真正の人間としての立場から、この世界を支配する「不条理」に対して敢然と反抗することを説きました。ユージン・スミスもジョー・オダネルも、カミュの言う意味での、見事な『反抗的人間』であったと私は思います。


 


藤永茂(2021年10月19日)



 

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公平性の罠

私は、この話の「教育者」たちを断罪する気も擁護する気もまったく無いが、一般論として考えると面白い問題だと思う。これは法律家や教育者にありがちな、あるいは陥りがちな「公平性の陥穽(罠)」ということだ。これは心理的な罠で、自分自身が作って自分がその穴に落ち込むのである。そして、自分がその罠の中にいることにも気づかず、「自分は公平な人間だ」と得々としているわけだ。
要するに、被害者にも加害者にも「公平であろう」として、被害者に何の落ち度が無くても、その落ち度を(無理にでも)探し、加害者有利に物事を運ぶわけである。その結果、加害者は「軽罪」で済まされ、まったく反省などせず、むしろ、世間は甘いものだと考え、また犯罪を(今度はバレないように)重ねるのである。
なお、いじめがエスカレートして傷害や殺人に至って犯人が処罰されても、犯人の家族は「被害者のほうが悪い」と本気で思うものだ、と、知人で少年福祉施設(昔の少年院のようなものか)に勤める人物が言っていた、と私の親しい人に聞いたことがある。

基本的に犯罪者は更生などしない、と言う前提で犯罪には対処すべきだろう。そして、現代では一番有効な処罰は「金銭的処罰」だと思う。いじめ犯罪の犯人家族に高額の処罰金(被害者への慰謝料)の支払いを命じるのである。(同時に、被害者への復讐が無いように、犯人一家の他府県への「所払い」を命じる。)そうすれば、その家族も本気で犯人少年(少女)を叱責するだろうww
昔のように犯罪者には刺青を入れるという方法もあるが、それだと逆に「タダでタトゥーを入れた!」と大喜びするかもしれないww 他人への威嚇手段にもなるし。

(以下引用)

「イジメられる方に問題があったんじゃないの?w」とサラッと言える教育者に短期間で3人も遭遇した


2024年06月20日 22:35


今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 162度目
426 :おさかなくわえた名無しさん : 2018/03/17(土) 13:04:23.88 ID:lUPBi2q9.net




私は中学生の頃、男子にイジメられて不登校になった時期があった


当時ぽっちゃり体型とニキビに悩んでた
最初はデブ、ブス、キモイと悪口言われる程度だったけど
次第にボールぶつけてきたり
私にわざとぶつかり、その後「ニキビデブ菌鬼ごっこ」スタート
鞄投げられて中身ぶちまけられた事もあった

運悪くそういう男子が数人集まってしまったクラスになってしまったらしい
学年が上がり、クラスが変わったらそういうのも無くなったんだけど
そいつらはまた別の女子をターゲットにしてたみたいだった

ただ、結構長い期間不登校になったのが高校受験で響いてしまった
高校見学に何校か行ったんだけどやっぱり「休みが多い」と突っ込まれた
正直に、イジメられて不登校になった事を話すと
「えっ、イジメられるような子には見えないけどなんで!?」と聞かれることが多かった
(その頃はダイエットに成功して、ニキビも皮膚科に通い落ち着いてた)
なので、ニキビと太ってた事話して、そこからだんだんとイジメがエスカレートしていった事を伝えると
「えー、普通それだけでイジメるかなぁ?他に何か問題があったんじゃないの~?」
と言われ衝撃だった
しかもそれ、3校くらいから言われたんだよね。(全員おっさん)
いい年した大人が、そういうヤツも存在するという事を理解してない世間知らずっぷりに衝撃
私に何かしら問題があったとしてイジメたのだとしても
「イジメられる方に問題があったんじゃないの?w」とサラッと言える教育者に、
この短期間で3人も遭遇した事にも衝撃

427 :おさかなくわえた名無しさん : 2018/03/17(土) 13:16:38.43 ID:8/onbzzm.net
一種の圧迫面接だったのかも

428 :おさかなくわえた名無しさん : 2018/03/17(土) 13:31:39.33 ID:fd6R/JUf.net
教師って世間知らず多いから本当に
「ニキビと体型だけでいじめる人なんているわけないじゃーん」
と思ってそう

429 :おさかなくわえた名無しさん : 2018/03/17(土) 13:34:39.09 ID:ieca/KyH.net
学校の先生なんて、いじめる側だった人達か、普通の人達ばかりだよ
いじめられた人は辛い記憶よみがえるから学校から遠ざかるだろうし

431 :おさかなくわえた名無しさん : 2018/03/17(土) 13:48:37.90 ID:wcSyPF3z.net
>>429
いじめる側だったならそれだけの理由でいじめられることがあるってのもわかりそうなもんだ。
デリカシーがないジジイどもなんだよ。

430 :おさかなくわえた名無しさん : 2018/03/17(土) 13:37:07.06 ID:x84Kez3M.net
教師は一般的な社会とは違う世界で生きてるから普通の感覚とは違うのは仕方ないよ

432 :おさかなくわえた名無しさん : 2018/03/17(土) 14:26:06.92 ID:rmVXFVLB.net
>>426
子供の頃机に心無い落書きされたので担任に言ったら
何か心当たりないの?と聞かれたので、ないですと答えたら
理由もないのにそんな事されるわけないでしょ!?
となぜかこちらが怒られた時のこと思い出したw

そういう奴らって、もし自分の子供や孫がそういう目に遭っても同じ事言えるのかね
まぁ、十中八九、うちの子は全く悪くないのに!!っね騒ぎそうだけど

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刺青とハジチ(針突き)

togetterに「タトゥーをしていないと見下げられる界隈もある」というツィートがあって、それへのコメント(批判コメントが圧倒的)が多数あったのだが、最初の投稿主は在米者なので、それを言わないと誤解を招くだろう。
それらを読んで、そういえば沖縄にも昔は刺青文化があったなあ、と思い出して、下のNOTE記事を見つけた。なかなか真面目な論考である。ちなみに、私の祖母(母の母)も、下で言う「ハジチ(針突き)」を手の甲に入れていた。私の考えでは、消えるのが当然の旧習だと思っている。

(以下引用)写真の大半は省略。

沖縄の入墨文化「ハジチ」

Higashimori Aika
2022年4月12日 06:24

4月10日の琉球新報の記事とその反応に胸がざわついた。
ハジチャー(ハジチを施術する人)として活動する、沖縄にルーツをもつ女性が取り上げられていた。
その記事を見ての反応というのも賛否両論であり、私も一つ思うところがあってnoteを書き始めた。ただの与那国島人(どぅなんとぅ)の独り言なので、どうぞよしなに。



この琉球新報の記事は、ハジチをとりあげるにはちょいと雑で美化されすぎな印象を受けた。ハジチは手放しに誇りだとか、カッコイイとかで取り上げていいものじゃない。復興と見出しにかくべきではなかったように思う。全く知らない人からしたら、見た目で嫌悪感抱くか、見た目だけで好みにハマるか、そこから薄い歴史だけが独り歩きする危険があるのに、今回メディアがそれを手引きするようなカタチになってしまったんじゃないかな…。
ハジチをとりあげるな!というわけではなくて、扱い方には気をつけないといけない題材なのに、こういうふうに記事にしたことがなんとも…。もう少し伝え方があったはずなのに。
こんなの沖縄の文化じゃない!と言う人もいるかもしれないが、私は消えた沖縄の文化だと思う。ハジチをしないといけなかった社会に対して、当時の彼女たちが個人ではなくそれぞれの地域組織の中で精神的活動が行なわれた事実があるから。頭ごなしに現代人が否定はできないはずだ。
そんな中、若い世代がハジチに興味をもちだしているようにも思う。復興というよりは、ハジチの歴史のRESTARTだろうか。時代変わり、ハジチに惚れる人がでてきたのも(でてきてもいい時代になった)未来からしてハジチの歴史がちょびっと動いただけのこと。

記事の様々な反応の中には、ハジチを忌み嫌う人達が関係ないはずの彼女の容姿にまで口出しをしていて、それはそれで人としてどうなのか。匿名で発する責任のない言葉は何も問題じゃないと思っているのだろうか。差別を指摘しながら、自分のやっていることにきづいていないだなんて。
ドウカシテルゼ!!


まぁ、まぁ、ハジチを知るところからはじめますか。

◎「ハジチ」とは?

なんだこのいかつい入れ墨は?と思いの皆さんにざっくり説明。
ハジチは今はもう消滅してしまった沖縄の習俗であり、沖縄の若い女性たちがその昔、手の甲に入れていた入墨のことを指す。
その模様の意味合いは、成女儀礼や子孫繁栄、魔除けや、極楽浄土の願いなど様々であり、ひとくくりに沖縄といえないように、その模様も地域によって異なる。
明治32年(1899年)に日本政府から風俗改善のために「入墨禁止令」が出されたが、昭和の初期まで密かに行われていた。今現在、当時のハジチを施した女性はもういないと思われる。
"沖縄の昔の女性達が入れていた入墨"
と言ってしまえば簡単に伝わりやすいかもしれないが、どうもそうはいかない歴史的背景がある。ハジチを入墨と表記されることは多いが、本土の入墨とは歴史的観点から区別する必要があると私は思う。施術方法は似ていても、現代社会において単なる入墨と見た目で判断せざるを得ないとしても、できることならば混同せずにみれる人は、まずその背景をみてほしい。


ハジチ=針突


私は入墨に対して専門的知識があるわけではないが、近所の親戚のアブ(与那国語でアブ=おばあさん)に聞いた話ではハジチは墨と泡盛を混ぜたものが用いられ、痛みに耐えながら針で突いたそうだ。現在私が20代で、親が50代、祖父母世代は90を過ぎている。母が子供の時、おばあちゃんたちの手にハジチがあったのを覚えていると言っていた。もう当時のハジチを入れた女性の手は写真でしか見ることはできない。しかし、近所の親戚のアブ(98)の膝に青黒い点々があったので尋ねると、針治療の一環で突いたものだと言っていた。「アブーのこの膝多分すごい貴重な膝なんじゃない?」と縁側で話したのが2年前くらい。実際貴重な資料なんじゃないかと思っている⬇︎


 

与那国を含む八重山では民間医療の一つとして
”医療ハジチ”といわれるものが男女問わず盛んに行われており、その効果もあったとかなかったとかそれぞれ。


◎ハジチの語源

ハジチは”針突き” からきている。何も知らない人が恥手が語源じゃないかと書いているのをみて呆れた。ハジチには「彫る」という言葉は用いない。「突く」という。沖縄県内でも呼称は様々あるようだ。以下その例(他にも多く呼び名は存在するが言葉の響きはどれも似ている。針突き、手突き)


沖縄・奄美 ハジチ、ハジキ、ファジキ、パジキ宮古諸島  ピゾッキ、パーツク、ハイヅチ
八重山諸島 ティク、ティシキ、ティーツキ
与那国   ハディチ

◎多種多様なハジチ

奄美諸島から与那国島にかけて、その地域それぞれ模様が異なる。
↓山本芳美さんの論文より以下一例↓ 


画像
奄美諸島



画像
沖縄諸島



画像
宮古島



画像
八重山



画像
与那国

◎なぜ女性達はハジチを入れたのか

先にも書いたように、ハジチを入れた女性達の想いや当時の状況というのは様々である。ハジチは成女儀礼としての側面はあるが、明確に意識されていたとは言い難い。


・シマの外から来た人に連れて行かれないため


・ハジチを入れたら極楽浄土へいける信仰があったから(あの世への通行証)


・ハジチを入れることで一人前の女性として見られたから


・周りがやっていたから


・親に施術者(ハジチャー)のところへ連れて行かれたから


・婚姻や初潮の印として


・ハジチを入れてないと遊女にみられたから


・結婚条件の一つだったから


・厄払いのため


・ハジチの手に憧れていたから


南島全体から概観してイレズミは主に装い、厄払い、異境忌避、後生、婚姻などに関連しておこなわれていた。異境忌避とは、大和や薩摩、アメリカ、オランダ等の異境に連れていかれるのを防ぐため、との理由で施術を受けたことを指す。女の印、初潮を迎えた印、婚姻の印とされたところもある。厄が払われる、病気にならないとの理由で突く者もいた。イレズミをしない者は他界の神にしかられ後生に行けない、後生で葦や竹の根を掘らされ苦労すると、施術を受けた者も多い。婚姻を前提として突いたイレズミには、
「痛さを我慢するように、人付き合いも姑付き合いも辛抱できるように」との意を含むこともあった。
 だが女性たちがどのような理由を挙げようと、そのすべてに決定的に関わるのが「装い」である。美しくなるため、あるいは周囲の女性を羨んで突いた人は多い。イレズミが突きあがった後、女性たちは誰が一番美しい仕上がりか勝負したという。昭和の後半に亡くなったある婦人は「自分のもの(イレズミ)は、周りの人よりきれいに突いていた」と人が集まればいつも、手を見せ自慢したそうだ。 
引用元 山本芳美/文様の世界観一沖縄諸島のイレズミに関する一考察一 

◎憧れの存在から醜い存在へ

1871年(明治4年) 廃藩置県の話から進めよう。
それが発令された日本は中央集権国家へと大きな行政改革があり、琉球処分された沖縄、宮古、八重山諸島は1879年(明治12年)に沖縄県となった。
そんな政情不安な中で1899年(明治32年)に「入墨禁止令」が発令。
沖縄県では何度か見送られながらも「ハジチは野蛮なモノ」だとして風俗改良運動の進みや社会の変動が「入墨禁止令」を成立させた。禁止令前後は様々な不安(大和に連れて行かれる、極楽浄土へいけないなどの要素)に駆られながら禁止と分かりながらもハジチへの信仰が残る者は、世間の目に隠れてその手に祈りを突いた。そして多くの取締りの結果ハジチを突く者は減り、様々な想いが込められたその手は美しいモノから醜いモノへと社会の価値観が変化した。その後の彼女達は、人前では自分の手を隠す様に生きた。

当時の伝統的価値観に合わせて突いたはずのハジチは「蛮人」だと叱責された
自ら塩酸で焼却する様に仕向けられた
夫に離縁を言い渡された
ここまでのことが起こったことからハジチに対する悪印象は現代に続いていると思う。
その後の沖縄では、子供達が母や祖母など周囲の人に憧れて友達同士で突く「ハジチアシビ」が昭和初期まで行われ、ハジチ文化は静かに消滅していった。
その手にハジチを突いた女性達が生きた時代、その社会の変化はハジチに対する印象を大きく変えた。
”ハジチは女性軽蔑視の象徴”と一言で済ませることこそ当時の彼女達を軽蔑している気がしてならない。あの時、彼女達はほんとうに様々な状況や想いがあったけれど、その根本は祈りからくるものだったはずだ。ハジチをいれないといけない時代、そこに身体的にも精神的にも「痛み」があったことは忘れてはいけないし、可哀想だから、痛いから、怖いからと片付けるには信仰が強い時代があった。「痛み」を耐えること自体に意義が見出され、女性としての役割が定められていたことが普通な時代。今を生きる現代人の価値観と当時の彼女達の価値観が違うのは当たり前だろうに。彼女たちを馬鹿になんてできるのだろうか。



なぜ明治政府が「入墨禁止令」を出し、のちに廃止となったのか。
1870年頃の日本は西洋文化を取り入れ、近代化政策を推し進めていた。
殖産興業、富国強兵、いわゆる「文明開化」の中で、入れ墨、ちょんまげ、お歯黒、混浴、春画などがだんだんと取り締まられていった。晒し首や入墨刑もその頃に廃止になっている。そこに外から入ってくる海外の人たちから日本人が野蛮人と思われないように、とてもとても気にしていた明治政府は神経質なまでに庶民の行動を制限した。しかし「入墨禁止令」は1948年(昭和23年)に廃止となる。その成立から廃止まで日本は外の目を気にしていたからだったとか。(廃止に関して戦後のGHQの関与や、日本が恐れていたよりも入墨文化がIt's so cool と憧れた人たちがいたため)
私はそんな明治の近代化が無ければよかったのにと思っている訳ではないので…。その背景に日陰に押しやられた文化があり、「入墨禁止令」に関して振り回された沖縄県があり、それだけです。

現在ハジチはそのデザイン性からファッションにとりいれられてるのをよく見るようになった。アクセサリーや服やバックのデザインなど。
ハジチのデザイン性がいいことは共感するけれど、きゃーかわいいーでつけられたらたまったもんじゃないな。でもその綺麗だと思う感性は、昔の人にも通じるものがあったと思う。


日本のタトゥー史を約16000年前の新石器時代(縄文時代)から現在に至るまでを簡潔に説明している記事がありました。悪いものとばかり言いきれない過去があります。


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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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