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易経 1

現代人のための「易教」簡単ガイド

1 はじめに~「易経」の人生知 

 我々が人生の途上で出会う問題について、頭のいい人間は問題を熟考することで見事な解決を見出すのだろうが、我々のように頭の悪い人間はどうすればいいのだろうか。

もっとも、頭がいいはずの官僚や政治家や大企業経営者があれほど失敗ばかりやっているところを見ると、頭の良し悪しは現実問題を解決する上で、それほど大きな条件にはならないのかもしれないが。(さらに邪推すれば、彼らの「失敗」は国民や顧客に損害を与えるという点では失敗だが、その陰で自分たちは利益を得ている「大成功」なのかもしれない。)
 ともあれ、凡人である我々は目の前の些細な問題でも自信を持って答えを出すことはできないことが多いものだ。そこで、こうした場合に我々が取る手段が「占い」である。星占い、四柱推命、タロット占い、etc。金を出して他人に占って貰うだけの余裕が無ければ、自分でトランプ占いなどをするという手もある。しかし、それよりも面白いのが、「易占い」である。

 「易経」という本自体は文庫本でも売っているから、千円もかからないで入手できる。ただし、問題は、易経の言葉は非常に謎めいているから、「専門家」でないと理解が難しいことだ。もっとも、その「専門家」が本当に理解できているかどうか、怪しいものだが。
 たとえば、最初にある「乾為天」はこのようなものだ。書き下し文も含めて書こう。

乾、元享利貞。(乾は元いに亨りて貞しきに利ろし。)
初九。潜龍。勿用。(初九。潜龍なり。用うるなかれ。)
九ニ。見龍在田。利見大人。(九ニ。見龍田に在り。大人を見るに利ろし。)
九三。君子終日乾乾、夕惕若。厲无咎。(九三。君子終日乾乾し、夕べには惕若たり。厲うけれども咎なし。)
九四。或躍在淵。无咎。(九四。或いは躍りて淵に在り。咎なし。)
九五。飛龍在天。利見大人。(九五。飛龍天に在り。大人を見るに利ろし。)
上九。亢龍有悔。(上九。亢龍悔い有り。)
用九。見羣龍无首。吉。(用九。羣龍首なきを見る。吉。)

 おわかりになっただろうか? 書き下し文(おそらく訳文や解説も)を読んでも意味がわからん、という人が世間の九割九分だろう。私だって、そのままでは分からない。
 そこで、私がお勧めするのは、我流で易経の解釈をするということである。
「下手の考え休むに似たり」で、どうせ当面の問題に対して、考えても答えが出ないのだから、易占いをして、出た卦に自分で判断を下そうという、一種の遊びだ。人生の重大事になるほど、判断は難しくなるもので、そういう場合に易に頼るのも、悪くはない。もしかしたら、〈宇宙の神秘的な力〉が、あなたの問題にいい答えを出してくれるかもしれないという期待も持てるし。この〈宇宙の神秘的な力〉を信じること自体が遊びである。森鷗外は日常茶飯事を遊びの態度で楽しむことをモットーとしていたらしいが、遊びの姿勢は人生を生きやすくする秘訣である。重大な問題ほど軽く決断しろ、という名言もあるくらいで、なぜかというと、重大な問題になればなるほど、人は無数の要素や可能性を考えて、決断不能になるからである。そういう場合は直感に従うのが一番いいし、その直感が生じないならば占いに頼るのも悪いことではない。どうせ判断不可能な状態なのだから、それで決断すれば、少なくとも先に進むことはできる。それが大事なところだ。

現代人の悪いところは、データさえ大量に集めれば、それで正しい決断ができると思い込んでいるところである。データを有効にするのは、実は直感的な判断力であり、易はそのヒントとして、大いに利用できるのである。
 易を用いることのいい所は、易経という書物は占いの書であると同時に、人生哲学の書でもあるという点だ。孔子も「五十にして、もって易を習えば、大過無かるべし」と言っているくらいで、易の言葉には優れた人生知が多々含まれている。それを読むだけでも、処世についての何かの指針は得られるのである。つまり、易の理念が判断や決断に常に伴うことで、その判断は太古の賢人をアドバイザーとしたような、安全性の高いものになるわけだ。
もちろん、たとえば孔子を企業アドバイザーとして雇うかどうかと言えば、二の足を踏む人も多いだろう。なにしろ、勝つことが使命である企業戦争に道義的判断をされてはたまったものではないのだから。しかし、一般人の人生にとって、太古の賢人の人生知は大いに役立つと言える。
 たとえば、易経の中で私の一番好きな言葉は「霜を踏みて堅氷至る。」という言葉である。これは、柔らかな霜が人に踏まれているうちに、堅い氷となるということで、些細な事の積み重ねが大きな結果につながっていくという趣旨だ。要するに、「塵も積もれば山となる。」のことだが、「塵」という汚い言葉を使った俚諺よりも、ずっときれいな表現ではないか。有名な「積善の家には余慶あり。」など、易経の中には名言も多いのである。
 
 易経の基本姿勢は「謙虚さを重んじる」ということであり、またその基本思想は、物事は変化するものだということである。だから、現在幸運な状態であっても、やがて来る衰運への備えが必要だし、現在不運であっても、やがて事態が好転するのだから、絶望することはないのである。「易」という文字自体が変化を意味する字であり、「易経」の英語タイトルは、「The Book of Change」である。また、謙虚さが処世上、どれほど大事かは、世の中に生きた時間が長くなるほど痛感することだ。
 では、どのような変化がこれから来るのか。これを教えるのが易経の文言である。すなわち、易経はやはり占いの書でもあるのだ。つまり、哲学的占いとでも言えばいいだろう。
 
 以下に書くのは、易についての説明と、現代風にアレンジした、易教の各卦についての私の解釈だ。私は漢学者でも何でもないから、私の解釈には何の権威もないが、これまでの易の解釈の本ではあまりにも意味不明の文が多いので、易占いを身近なものにするために、普通の人間でも理解できる文章にすることを心がけた。それでも、現代の人間には、大昔の学者には無い利点があり、それはたとえば、漢和辞典が簡単に利用できるということなどだ。また、学者であれば漢文読解の常識に縛られて意味不明の無理な読み方をしてしまうところも、素人なら、合理性を重視して大胆に解釈できるという利点もある。たとえば、易の卦の文章はほとんどの場合、2字ずつに分けて読むが、場合によってはそれに従わないほうが筋の通った文になることもある。もともと、漢文に句読点は無いのだから、文の区切りは読む側が判断すればいいのである。

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