テロに関する発言や批評を抹殺するとは、「テロが起こった根本原因」への批判を不可能にすることである。それはテロ以外の政治現象でも同様だ。政治では原則として言葉だけが頼りであるが、言葉が無能化した時にはテロしか政治的表現は存在しない。つまり、テロへの批評(言語)を圧殺するとは、政治批判を不可能にする最悪の圧制・悪政なのである。第二次大戦中の日本社会全体の大政翼賛会状態がそれである。
(以下引用)
気の赴くままにつれづれと。
上のツィートはShin Hori氏(弁護士)のもの。知念ミキトは新コロワクチン推進者の中でもわりと有名人。まあ、医者で推理小説作家というのが売りである。完全に体制御用達人間。
下のツィートとは少し別の話になるが、社会変革を志す若者に共通するのが「弁論不足」である。「弁論能力不足」と言ってもいい。社会を良い方向に変えたいという素晴らしい意志と夢を持っていながら、やることは、はたから見たらただのテロリストという場合が多すぎる。
あなたは、連合赤軍事件の若者たちに共感するか? おそらく、99%の人は、嫌悪感しか抱かないだろう。
では、あなたはこの日本の政府や社会に満足し、少しも変革したくないと思っているか? 下層階級の人間のほとんどはそうは思わないだろう。では、なぜ社会変革の行動をする若者に少しも共感できないのか。それは、彼らの「言い分」が少しもマスコミに出て来ないからである。何かの本には彼らの言い分も出ているかもしれないが、買って読む気はしないだろう。つまり、タダで得られるテレビ(現代ならネットも)や新聞の情報以外は、普通の人の耳には入ってこないのである。
で、たとえテレビが彼らのインタビューをしても、まともに話せる若者はほとんどいないだろうと私は思う。彼らの頭は常人には理解不能の政治用語だけで満たされており、一般人に通じる言葉で話せないはずだからだ。これは「三島由紀夫対東大全共闘」(正確なタイトルは忘れた)というドキュメンタリーを見て感じたことだ。学生側の人間は、まともな弁論ができる者はひとりもいなかった。単に相手を冷笑するか、議論を誤魔化すだけだったのである。若者の弁論能力とはそういうものだ。
学生運動の若者(赤軍派かもしれない)が、イスラエルの空港で銃を乱射した事件があった。当時子供だった私は、日本の若者がなぜわざわざ自分と無関係な外国に行って、銃を乱射する必要があるのか、と驚き、不思議に思ったものである。
今考えれば、パレスチナの住人を追い出し、虐殺もしていたイスラエルという国の非道性は明白だが、当時、そういう事情を伝えたテレビは無かったと思う。だから、キチガイ若者が外国で国辱的な蛮行をした、という印象だけが日本人には刻みこまれたわけだ。もちろん、いくら正義感のためとはいえ、やはり自分と無関係な国で銃を乱射するのはキチガイ行為だが、イスラエルとパレスチナの問題をテレビできちんと説明した番組はあっただろうか。
まあ、話が散漫になったが、要するに、「若者に弁論の機会を与えよ」と私は言いたいだけだ。そして、政治を志す若者や社会変革を志す若者は、まず自分の弁論能力を鍛えろ、ということである。相手の揚げ足取りで勝つだけのディベート能力ではなく、理路整然と自分の思想を述べる能力を身に付けろ、ということである。
(以下引用)
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40代くらいまで 地方では普通にヤンキーが恐喝やってた時代なんだから | ||
犯人は維新の雇われ、闇バイトでは? 国家警察に威信を示すための演技。 | ||
自作自演だな。 |