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この世界の片隅にはこういう世界もまた存在する

映画「この世界の片隅に」で泣いて、片淵監督の他の作品をレンタルDVDで見ようと思った心やさしいお爺さんお婆さんが「ブラックラグーン」を見たら、心臓が止まるのではないかwww
何しろ、メイド服姿のターミネーターが暴れるわ、片目アイパッチの修道院シスターが銃を打ちまくるわ、可愛い銀髪の双子姉妹(?)が人を殺しまくるわ、というアニメで、弾丸消費量は全アニメの中でもトップクラスな作品なのだから。しかし、その暴力世界の中だからこそ見えてくるこの世界の真実や人間性の真実、というのも描かれているからこそ片淵監督なのである。それに、何より先に、「面白い」作品なのだ。特に「強い女性」の出る作品が好きな女性にはお勧めだ。この作品には強い女性しか出ない、と言ってもいいくらいで、一番のヘタレ(本当は芯は強いのだが、根が平和愛好者)は男の主人公なのである。
こういう作品の世界像を絵空事だと思っている人は、シリアや南スーダンなどの現状を想起してみればいい。「戦時」や「非常時」がまさしく現在である世界が、今もあちこちにあるのだ。




            

この世界の片隅にがキネ旬ベストテン授賞したので片渕監督特設コーナー出来てたが、ラッシーもアリーテ姫も無くマイマイ1本だけなのでこんなことに・・・(;・∀・)


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白い灯篭の意味

凄いね。こういうところまで神経が行き届いているのか。
なお、キネマ旬報作品賞と監督賞を獲得したらしい。作品賞受賞はアニメ映画としては「トトロ」以来という稀な例になったとか。
返す返す、クラウドファウンディングが始まったころにそれを知らないで、「喜捨」ができなかったのが残念だ。まあ、その罪滅ぼしに、自分の無名ブログで何度も書いて宣伝にささやかな協力をしてきた、というところはあるのだが。結果的には、日本映画史に確実に残る作品を宣伝してきたのだから、誰かを騙すような宣伝にならなかったのは幸いだ。

「この世界」の功績のひとつは、「真面目な映画でも面白いのだ」ということを多くの人に教えた点にもあると思う。嘘八百、荒唐無稽こそが面白い、という「娯楽作品」への固定観念は捨てるべきだろう。面白さには多くの種類がある。ドストエフスキーも筒井康隆も、イングマール・ベルイマンもマルクス兄弟も「面白い」のである。


            

「この世界の片隅に」映画のやつは広島人しかわからないゾッとするポイントがあるんだよな。お砂糖騒動で一瞬映るお墓に立ってる灯籠、あれ全部初盆なんだよ。広島では初盆の際お墓に白い灯籠をたてるの。面白い日常のなかに一瞬映る戦争の光景はほんとゾッとするから知らなかった人は2回目観に行こ。


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実写版「この世界の片隅に」のこと

前にも引用した細馬氏の論考(現在、11回まで書かれていると思う)の一部を転載。

原作漫画にあってアニメ版からほとんど消えているものが、すずをめぐる男女の葛藤である。簡単に言えば、これは2種類ある。「周作・すず・水原」の三角関係と「りん・周作・すず」の三角関係だ。前者は、初恋的な思慕の情を寄せていた相手と現在の夫の間ですずが悩む、つまり「不倫」をするべきか否かという問題で、しかもその「不倫」は、実は相手はこれから死地(戦場)に向かうということが前提されている。結果的にはすずは、死を目前にしている初恋の人とすずを一夜共にさせようとした夫周作への怒りの気持ちを水原に言うことで逆に現在の周作への愛情を水原に知らせることになり、水原も潔くすずへの思慕や未練をあきらめることになる。こちらは、アニメでも描かれていたのだが、すずと水原の精神的なつながりの描き方が希薄だったため、アニメの中に出てくる白鷺が、水原の象徴、すずの水原への思いの象徴であることが観客に伝わっていない可能性が高いと私は思う。
戦争末期にすずの家に舞い降りて去っていった白鷺は水原の魂だったのである。だから、すずはあの白鷺を追って駆け出したのだが、あの場面で観客の何人が白鷺と水原を結び付けて理解しただろうか。
一方、「りん・周作・すず」の三角関係は、りんが遊女であるために、特殊な三角関係となっている。昔の男たちにとって、独身だろうが家庭持ちだろうが、遊女を買うことはべつに問題となる行為ではなかった、ということが現在の人間に伝わるかどうか、疑問だが、それにしても、夫が遊女と関係を持っているということは当時の妻たちにとっても不愉快だったことは確かだろう。
そして、アニメでは、りんと周作の間に関係があるらしい、ということに関するエピソードはほとんどカットされ、すずが親切な遊女と仲良くなるだけの「微笑ましい」エピソードに見える形で描かれ、それはそれで家族鑑賞アニメとしては正しいやり方だと思うが、それによって原作の複雑さ、「北条すず」の「北条」ではないが、「豊穣さ」を幾分か犠牲にしているわけである。

で、以上、長々と書いたのは、実はほんの少し前にテレビドラマ版「この世界の片隅に」をHuluで見て、これが予想以上に優れた作品、いや、ほとんど傑作だったので、それをお知らせするためである。
主演の北川景子はすず役としては美人すぎるし、「ぼんやり」感にやや欠けるが、好演であり、脇役も脚本も演出もすべていい。特に、エンディングは、原作を少し変えているが、こちらのエンディングのほうが、実写版テレビドラマには合っているな、と思う。なお、篠田三郎が周作の父親役をやっているが、実にぴったりである。いい中年(もう老年か)役者になったものだ。径子役のりょうも、彼女しか適役はいないだろう、というはまり役である。
で、最初に書いた「男女関係の機微」という、アニメからはかなり抜け落ちたものが、この実写版ではきちんと描かれ、しかも、俗な改悪はされていない。見事な脚本、演出である。
なお、最後に出てくる拾い子は芦田真菜である。よく似た顔だなあ、と思ったら本人だったww 晴美をやった子役は、地味な顔で内気そうな感じが晴美役にぴったりで、これも良かった。
映画と違って、こうした「シリーズ物でないテレビドラマ」は、どんな傑作でも多くの人に見逃され、適切な評価をされない可能性があるので、ネットテレビに加入されている方に視聴をお勧めしておく。

なお、幾つかの点で実写版には小さな改変があるが、それは視聴者に納得しやすくするための「合理化」であり、それはそれで、「一回きりで消えていく」のが普通であるテレビドラマとしては「あり」だと私は思う。たとえば、冒頭のすずの幼時の「人さらい」の話は完全に合理化されていて、これは上手い改変だ、と私は思った。もちろん、それによって原作漫画の持つ「不思議な味わい」も消えることになるが、視聴者に謎を残さないほうが、つまり合理性を重視するほうが、テレビドラマではいいと思う。原作ファンの中には小さな改変も許さない「原作原理主義者」もいるだろうが、この脚本は最大限に原作を尊重していることは見ればわかるかと思う。

まあ、原作漫画、アニメ、実写版すべてが傑作、あるいは名作という作品はこれまで「デスノート」くらいしかなかったが、「この世界の片隅に」もそうなったようだ。ただ、実写版の評価をほとんど聞いたことが無いので、ここに書いた次第だ。実写版も劇場公開してもいいのではないだろうか。


(以下引用)




(図1:『この世界の片隅に』 下巻 p. 19)

 だから、周作が「すずさんは小まいのう」「立っても小まいのう」と言うとき、そこに物理的な小ささ以上の意味を読み取ってしまう。それは、しゃがんでも立っても変わることのないすずの属性を指しているようであり、それはかつて径子がすずのことを突き放すように言った「放っとき、まだ子供なんよ」ということばに含まれる「幼さ」に通じているようでもある。義父の円太郎が居なくなったあとに家を三ヶ月空けることになった周作は「大丈夫かのすずさん こがいに小もうて こがいに細うて わしも父ちゃんも居らんことなって この家を守りきれるかの」とすずの手を握るのだが、ここで「細い」という女手を思わせることばと組み合わされている「小まい」にも、ある種の非大人性が表されているように思う。

 そう考えると、周作を見送るすずが唇に紅をさす行為(第7回「紅の器」参照)に、「小まい」ということばに対する対抗を見ることもできるだろう。紅は、女性を強調する化粧であると同時に、子供のような属性を否定してみせる化粧でもある。

 しかし、呉弁に多少触れたことのある人ならともかく、そうでない人にこの「小まい」の感じは伝わるだろうか。まして漢字表記を用いることのできないアニメーションで、「こまい」という音から「小まい」という意味を即座に思い浮かべることができるだろうか。


 周作の「すずさんは小まいのう」ということばをきいて、わたしたちは、確かこれと似た言い回しを前にも見たことを思い出す。それはかつて水原がすずを抱き寄せながら言った「すずは温いのう」である。そしてどちらのことばも、すずの体に触れながら言われていることにも気づく。周作の言う「小まい」は、視覚的な小ささではなく、すずに触れその感触によって実感される体性感覚を言い当てている。それが、水原の「温い」を思い出させるのだ。


(図2: 『この世界の片隅に』中巻 p. 86)

 そしてこの二人の似たことばを並べるとき、わたしたちはもう一つのことに気づく。それは周作がずっと「すずさん」とすずをさん付けしているのに対して、水原が「すず」と呼び捨てにしていることだ。周作にとってすずは「すずさん/あんた」であるのに対し、水原にとってすずは「すず/お前」である。



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戦後72年目の正月に

ラジオ番組「たまむすび」での「この世界の片隅に」の解説だが、ストーリーの細部の掘り下げはしながら、極力根幹のネタバレはしないようにしている苦心の解説である。
この映画に関しては、前情報無しに見たほうがいいと思うが、すでにあちこちで断片的に語られており、それだけ「語るに値する」映画だ、ということだから、未見の人は安心して見に行くといい。前情報の嫌いな人は、見た後で下の記事を読むといい。そうすれば、自分がいかに映画の表面のストーリーしか追っていなかったかが分かるだろう。まあ、それでももちろんいいのである。映画はお勉強ではないし、この映画は何よりまず娯楽作品として優秀なのである。
年明けからは上映館数も大幅に増えたようだし、老人から子供まで見られる希少な傑作アニメ映画(おそらく、ジブリ作品もすべて含め、日本アニメのベスト10級だろう。この種の作品としては、ワン&オンリーでもある。)でもあるから、家族や親子で是非どうぞ。


(以下引用)



町山智浩 『この世界の片隅に』徹底解説

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町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』で映画『この世界の片隅に』を徹底解説。すでにこの映画を見た赤江珠緒さん、山里亮太さんとその素晴らしさや隠された意味について話していました。



(町山智浩)で、今日はですね、本年度のレコード大賞……じゃなかった。間違えた(笑)。町山大賞の発表です!

(赤江珠緒)町山大賞? わー!

(町山智浩)『この世界の片隅に』! アニメーション映画ですね。

(赤江珠緒)ここに来て、来ましたね!

(町山智浩)はい。もう、これは1億円もらっても、これにあげたいという。よくわからないですけど。

(赤江珠緒)うわーっ(笑)。

(山里亮太)どういうシステムか、わからないですけども。

2016年 町山大賞受賞作品

(町山智浩)そういうシステムなんですけども(笑)。で、これはどういう映画か? といいますと、こうの史代さんという人の漫画の映画化なんですが。ざっと説明すると、第二次大戦中の広島を舞台に……こうのさん自身が広島の方なんですね。で、呉にお嫁に行った18才の女の子、すずちゃんの日常の物語です。ただですね、この映画がすごいのはまずですね、普通のファンの人によって作られた映画なんですよ。『この世界の片隅に』って。

(山里亮太)はい。

(町山智浩)これ、監督が片渕須直という監督なんですか。この前に作った映画が『マイマイ新子と千年の魔法』というアニメーションで。で、そちらの方もね、ほとんどメディアで取り上げられなくてひっそりと公開されたんですが、口コミで「いいよ! いいよ!」という感じで話題がひろがっていって、最終的にはカルトヒットで、かなりロングランになったというアニメーションで。で、今回、『この世界の片隅に』もインターネットで「この映画を見たいという人、お金を寄付してください」っていうクラウドファンディングでお金を集めて。で、そのお金を使って短い短編のテストフィルム――パイロットっていうんですが――を作って。で、それを出資してくれる人に見せて、出資を募ったと。

(赤江珠緒)あ、そうなんですね。じゃあ本当に草の根というか。

(町山智浩)草の根で作られた、本当に手作り映画なんですけども。TBSラジオもその時に、パイロットを見て出資しているんですね。で、この映画は本当にすごいんです。

(山里亮太)いやー、僕らも……

(町山智浩)ご覧になりました?

(山里亮太)はい。見ました。むっちゃくちゃよかったです!

(赤江珠緒)よかった。本当によかった。

(町山智浩)涙ボロボロでした?

(赤江珠緒)はい。もう泣きました。

(町山智浩)ねえ。本当に素晴らしい映画なんでね。で、町山大賞ってなんの権威もないです(笑)。

(赤江珠緒)(笑)。なんて言うんだろう? やっぱり戦争を題材にした映画とかアニメとか、いろいろとありますけども。ちょっとまた、一味違うというかね。

(町山智浩)違うんですよ。普通に生きていた女の子の目から見ているんですね。で、この映画、見てたぶんいちばんみんな気がついたのは、ものすごいテンポがいいんです。

(山里亮太)そう!

(町山智浩)パッパッパッパッて進んでいくんですよ。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』タイプの編集ですよね。で、いままでだったらゆったりゆったり行くと思うんですけど、すごいスピードで話が進んでいくんですけど……ゆったりしているんです。

(赤江珠緒)そう。

(山里亮太)なんでなんですかね? あれね。

(赤江珠緒)ねえ。登場人物のすずちゃんがちょっとおっとりしててね。

(町山智浩)おっとりした、本当にトロい……「トロくせえな、このアマ」っていう感じの女の子なんですけども(笑)。

(赤江珠緒)そこまで言わんでも(笑)。

(山里亮太)いや、それがまたいいのよ!

(赤江珠緒)ちょっと夢見がちなね、すずちゃん。

(町山智浩)ホワーっとして、ふんわかしててね。ふんわりと、笑っているんですよね。

(山里亮太)その子がね、時折っていうか、パッと見せるすごいところとかが、もう……

(町山智浩)そうなんです。で、失敗するじゃないですか。このすずちゃんが。失敗する時、「ありゃ~」って顔をするでしょう? あの「ありゃ~」顔! 僕、いま絵に描けるんですが……

(山里亮太)絵に描いてますよ!

(町山智浩)絵に描けるんですけども。この顔! 「ありゃ~」顔! これ、テレビじゃなくてすいません。全くラジオで意味のない……

「ありゃ~」顔



(赤江珠緒)(笑)

(町山智浩)「ありゃ~」顔がもうかわいいんですよ。このすずちゃんの。ねえ。で、このフワフワの女の子の声を吹き替えているのが、能年玲奈ちゃん……いま、「能年玲奈」ちゃんって言っちゃいけない。

(赤江珠緒)改め、のんちゃんですね。

(町山智浩)そう。『千と千尋(の神隠し)』状態になっていますけども。

(赤江・山里)(笑)

(町山智浩)もう本当に一体となっているんですよ。2人が。

(赤江珠緒)そうそうそう!

(山里亮太)ぴったり!

(町山智浩)ぴったり! 本人が出ているような感じですよ。本当に。

(赤江珠緒)で、言葉も広島弁なんだけど、すっごくお上手で。

(町山智浩)すごく自然。ホワホワ、フワフワしたね(笑)。

(赤江珠緒)柔らかい感じのね。

(町山智浩)で、すごく困ることがあっても、「困ったなあ~」って言って笑っているんですよね(笑)。それがまた、いいんです。まあ、第一の魅力は声の魅力ですね。これね、魅力がいっぱいある映画で、それを順番に言っていきますと……

(山里亮太)はい。

(町山智浩)まず、そのすずちゃんは15才の時。1941年に太平洋戦争が始まるんですよ。で、1944年に18才になって、会ったこともない男の子と結婚をすることになるんですね。

(赤江珠緒)見初められて。

(町山智浩)見初められて。自分は覚えていないんですけど、「一目惚れした」っていう男の子のところへ。それが、広島からちょっと離れたところにある街で、呉市にお嫁入りに行くんですけど。またこの子、すずちゃんがもう本当にボケてて。自分が嫁入りする嫁入り先の名字も覚えていない(笑)。自分がどこの家にお嫁に行くのかがわかっていないっていう(笑)。

(赤江珠緒)そうそう(笑)。住所も「ええと、こちらのお宅は住所、なんでしたっけ?」みたいな。

(町山智浩)そうそうそう。で、自分が誰に結婚を申し込まれているかもわかっていないのに、行くんですよ。とにかく逆らわないんですよ。状況に。で、ニコニコと「はは~」とか言いながら。「困ったなあ~」って言いながら、どんどん状況に流されていく子なんですけども。それで、呉っていうところがね、海軍の街なんですよね。で、海軍の基地もあるし、工場があって、軍港もあって、戦艦大和もそこで作ったところなんですね。

(赤江珠緒)はい。

(町山智浩)で、そこで旦那さんが働いているんですね。で、その呉と瀬戸内……この女の子は広島出身なんですよ。で、最初に住んでいる広島の海とか、もう瀬戸内の風景がすっごいきれい。

(赤江珠緒)そうですね!

(町山智浩)この映画の魅力のふたつ目は風景の美しさです。

(山里亮太)表現の仕方がいいんですよね! また景色の。

(赤江珠緒)当時の広島ってこんな感じなんだっていうのが。

(町山智浩)そうそう。デパートがあって、サンタさんがいて、おもちゃがあって、お菓子があって。本当にいまと全く変わらない広島なんですよね。戦前の広島はね。で、それもきれいだし。そうそう。広島の街とか呉の街は実際に写真を撮ったものを元にしただけじゃなくて、そこに住んでいた人とかにインタビューをしていって、全部本当にあった通りに再現しているらしいんですよ。監督が。

(赤江珠緒)やっぱり広島は焼けたものがほとんどだから、写真とかもなかなか残っていない中で、いろんな方の話を聞きながら再現されたそうですね。

(町山智浩)あのね、道を普通に歩いている人とかも全部、特定しているらしいんですよ。

(赤江珠緒)あ、このお店にこういう人たちがいて……って?

(町山智浩)そうなんですよ。存命している人たちにインタビューしてきて。ただのモブじゃない、群衆じゃないらしいんですよ。

(山里亮太)へー!

(町山智浩)これはまあ、片渕監督がすごいこだわりの人なんで。で、またその風景がすごくきれいなのは、すずちゃんは水彩画を描くのが大好きなんですよ。絵を描くのが大好きで。で、彼女が瀬戸内の風景を書いた絵のまんまのような風景なんですね。この映画の風景が。水彩画のようなね。で、それがまたほんわかと、淡い色で。で、線も柔らかいですね。人の体の。

(赤江珠緒)そうですね。

(町山智浩)で、その柔らかい、淡い感じがすごいきれいなんですよ。

(赤江珠緒)でね、瀬戸内――私も兵庫県なんで、瀬戸内の方ですけど――瀬戸内の海の色合いってあんな感じなんですよ。夕焼けとか夕陽がかかると、あのあたりはやっぱり穏やかなので、同じ海でも全然違って。あの色合いなんですよ。本当に。

(町山智浩)ああー。あれ、でも濃い青ですよね? かなりね。

(赤江珠緒)うん。で、そこにオレンジがフワーッとかかったような、あの柔らかい色合いなんですよ。海が。

(町山智浩)ああー。その海と空とね。青い空と白い雲の風景がすごくきれいで。あと、すごく動物とかね……ヒバリが鳴きながら空を飛んでいったり、白鷺がいたり。あと、虫がすごくいっぱい出てきたの、気がつきました?

(山里亮太)あの、アリンコ?

(赤江珠緒)ああ、そうね。アリンコね。

虫の描写の意味

(町山智浩)アリンコのシーンも笑うんですけど。あと、トンボ。ミツバチ。で、チョウチョ。あと、カブトムシとか出てくるんですけど、それがね、全部演出でそのシーンの裏の意味を描いているんですよ。よく見ると。

(山里亮太)ええっ?

(町山智浩)この映画ね、すごいのは僕、3回見直したんですけど、3回ごとに新しい発見があるんですよ。

(赤江珠緒)そうですか!

(町山智浩)たとえば、砂糖がなくなっちゃうシーンがあるんですけど。ネタバレしないように言いますけども。そうすると、その時に甘い木の蜜を吸っているカブトムシが一瞬映るんですよ。カブトムシは甘い蜜を舐めているのに、なぜ人間が砂糖も食べられない状況なの?って。戦争ですけども。

(赤江珠緒)ああーっ! そっかー!

(町山智浩)そう。人間がひどいことをやっていると、楽しくチョウチョとかトンボが飛んでいるんですよ。

(赤江珠緒)あっ、そうだ。そう。で、いま戦争中だけど、夏はきているし。本当に普通の生活っていうか、自然は普通通りにやっているのに……みたいな。

(町山智浩)自然は関係ないよっていうね。まあ、いろんな意味が虫に込められているんで。虫ファンは……違うか(笑)。

(山里亮太)あ、虫ファン、いますよ。ここに。

(赤江珠緒)うん。わかる、わかる。

(町山智浩)で、もうひとつね、魅力はね、これ戦時中の食料が欠乏している生活なんですけども、楽しそうに描いているんですよ。

(赤江珠緒)そうですね。うん。

(山里亮太)笑えるところ、ありますもんね。食事のところで。

(町山智浩)そうそう。もう食べ物は本当になにもないから、途中から道端に生えているタンポポを抜いて、それを料理にしなきゃなんないような状況になるんですけども。でも、その時にすごく楽しそうに工夫して、「どんな料理を作ろうかしら?」って。このすずちゃんは。で、まな板をね、あごの下に入れてバイオリンを弾くようにしてトントントントン……って切って、音楽を奏でているような遊びをしながら切っていくところとか。本当は食べ物は全くなくて、もう飢えているにもかかわらず、そこのところで楽しもうとするんですよ。すずちゃんは。

(赤江珠緒)そうだ。

(山里亮太)戦争を描いているのに、「うわっ、悲しいな。戦争って怖いな」という印象をあんまり、押しつけてこないんですよね。

(町山智浩)それは、キャラクター本人たちがそう思わないようにしているからなんですよ。そう思ったら、おしまいじゃないですか。だから、楽しく生きようとしていて。だってその時に食べているのって、道端のタンポポと、大根の皮と、梅干しの種ですよ。

(山里亮太)そうだ。

(赤江珠緒)で、スミレをお味噌汁に入れて……みたいな。

(町山智浩)そうそう。スミレの花もお味噌汁に入れて、お味噌汁に紫の花が浮かんでいるんですよ。で、考えてみたらこれ、地獄の飢餓状態なんだけども、それを楽しそうに切り抜けようとするんですよ。

(赤江珠緒)そう。だからね、この映画を見ていて、自分のおじいさん、おばあさん。祖父母も、ああ、こういう生活をしていたんだろうな。場所は違えど。あの時代の人たちってこうだったんだなって。

(町山智浩)すごい調べたらしいんですよ。これは原作者のこうのさんが調べたらしいんですけど。ただこれ、『とと姉ちゃん』の中に出てきた『暮しの手帖』で戦時中の暮しの手帖っていうのが出たじゃないですか。いろんな人の声を集めた。たぶん、ああいったものが残っているんで、それがたぶん反映されていると思うんですけども。あと、僕がすごくいちばん泣けたのはね、スイカやキャラメルが要するに贅沢品として禁じられているじゃないですか。

(山里亮太)はい。

(町山智浩)スイカなんてそこらへんに植えればいいのに……要するに、贅沢品だから植えちゃいけないんですよ。だからね、スイカやキャラメルを絵に描くんですよ。すずちゃんが。絵が上手で、絵が大好きなので。彼女はなんでも、辛いことは絵にしていくことでその辛さを乗り越えていくんですよね。それを見るとみんな、「美味しそうだね」ってその絵を見て我慢するっていうところが泣けるんですよ!

(赤江珠緒)ねえ。

(町山智浩)ただ、その絵を描いていると憲兵が「スパイだろ!?」って来るんですよ。

(赤江珠緒)そうそうそう!

(山里亮太)で、その「スパイだろ!?」ってなった後のやり取りも、すごいんですよね。

(町山智浩)そうそう! いいんですよ。まあ、あんまり言えないですが(笑)。で、一生懸命、絵を描くことしか楽しみがないのに、「スパイだろ!?」って来るところとかね、怖いんですけど。ただ、怖いだけじゃなくて……それでNHKの朝ドラだと、「戦争って、いけないんです!」とか言うじゃない? 後知恵で。戦争がいけないっていうことになった後の、戦後民主主義の後知恵で、「戦争っていうのはよくない!」とかってヒロインが言ったりする。「そんなことは、よくないと思います!」とか言ったりするんだけど、それはこの映画では、ない。

(赤江珠緒)ないですね。

(町山智浩)それは、後知恵ですよ。その時はそんなこと、みんな思っていなくて、なんとかその状況を、なんとか生きようとしていたと思うんですよ。だからそれがリアルなんですよ。この映画は。

(赤江珠緒)そうですね。なんとか普段の生活をしようとする。そこですもんね。

(町山智浩)そうそうそう。だからリアルさで言うとね、これね、さっきから聞いている人で、たとえばスタローンの映画とか好きな人は「関係ねえや!」とか。『ガンダム』を好きな人とか「関係ねえや!」って思うかもしれないですけど。この映画は『ガンダム』が好きな人、絶対に見るべき映画なんですよ。『艦これ』見る人も、見るべきなんですよ。『ガルパン』とか好きな人も、見た方がいいですよ。

(山里亮太)ああーっ! 兵器出てきますもんね。

(町山智浩)兵器描写が超リアル! すっごいですよ。

(山里亮太)大和とか、めっちゃくちゃ……

超リアルな兵器描写

(町山智浩)大和とかもリアルだし、すっごいきっちり描き込んである上に描写がリアルで。米軍機が、要するに空襲しに来るんですよね。で、それをこっちから高射砲、高角砲っていうので撃ち落とそうとするんですけども、空中で砲弾が爆発するんですよ。それで、その破片で敵機を落とそうとするんですけど、その破片が地面に降ってくる感じがすっごいリアルで。ピュンピュンピュンピュン!って降ってきて、瓦とかを打ち破ったりとか。あと、米軍のB29爆撃機が飛んでくる時にB29っていうのはものすごい高い空を飛んでくるんですよ。で、あまりにも高すぎて、日本軍はそこまで上がれないんですよ。だからもう、どうしようもないんですけど。すごく高いかららしいんですけど、ターボプロップエンジンっていうエンジンの独特の飛行機雲が出ているんですよ。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)だからあのシーンで、「あれは、初めて見る!」って言うんですよ。

(山里亮太)言ってました! 言ってました!

(赤江珠緒)ああー、そうなんだ。

(町山智浩)すっごいそういうところがすごくて。いちいち、これは監督の片渕さんがもともとそういう人なんですよ。この人は『魔女の宅急便』のスタッフだったし、そういうメルヘンチックな映画も得意なんですけども、その一方で『BLACK LAGOON(ブラック・ラグーン)』っていうものすごいリアルな銃撃戦アニメも監督していて。しかも、『エースコンバット』っていう戦闘機の空中戦ゲームのアニメの監督もしている人で。この人、航空マニアで。すっごいマニアなんですよ。

(赤江珠緒)あっ、そうか!

(町山智浩)だから戦闘シーン、超リアルなんですよ!

(赤江珠緒)たしかに。ねえ。

(町山智浩)機銃掃射のシーンとか、すごくリアルで。甘く見ちゃいけないっていう感じになっているんですよ。

(赤江珠緒)そうか。で、すずさんの義理のお父さんがね、「日本のエンジンがいい」みたいなね。

(町山智浩)あ、そうそう。いま、ネタバレをするのかと思って、俺はすごくビビりましたが(笑)。はい。で、どんどんどんどん戦争がひどくなっていって、追い詰められていくんですね。っていうのは、呉は軍港だから、ものすごい量の爆撃なんですよ。あれを見ると、毎日のように爆撃されて。あの爆撃の日にちとか、空襲の状況は全部事実通りなんですって。天候の状況から、全部。

(赤江珠緒)寝てられないぐらいですもんね。最後の方ね。

(町山智浩)そう。だから、焼夷弾じゃないんですよ。ものすごい何トン級の爆弾をバンバンバンバン打ち込んでくるんですよ。戦艦を壊すためだから。で、もうおかしくなっちゃうわけですよ。それがずーっと続くから。で、こう言われるんですよね。「呉はもうこんなに爆撃されて大変だ。実家のある広島に帰った方がいいよ。8月6日はお祭りだから」って言うんですよ。

(赤江珠緒)そうですね。これがもう、もう……うん。

(町山智浩)8月6日ですよ。

(赤江珠緒)そうなんですよ。いま、わかっている人からしたら、広島……

(町山智浩)ゾッとするんですよ。それを聞いた瞬間に。だからその、能年ちゃんの『あまちゃん』は3月11日に向かって突き進む話だったんですよ。で、この『この世界の片隅に』は8月6日に向かって突き進む話なんですよ。だから、見ていてものすごい……見ている方だけ、サスペンス。本人たちはあまり感じていない。

(赤江珠緒)そうそうそう。当時の人たちはね。「呉は大変だ」っていう話で。

(町山智浩)そう。だからもう、言いたくなりますよ。「すずちゃん、ダメだよ!」って。

(山里亮太)「志村、後ろ!」みたいな感じで。

(町山智浩)そうそうそう(笑)。

(赤江珠緒)そうそう。みんなそうですよね。

(山里亮太)みんな思ってましたもん。「ダメ!」って。

(町山智浩)そうなんです。いろいろね、言いたくなるんですよ。画面を見ていると。たとえば、戦争に行くことになった兵隊さんに対して、みんなが「おめでとう!」って言うんですよね。「バンザイ!」って言うんですよ。「バンザイじゃねえだろ、この野郎!」っていう。「おめでとうじゃねえだろ、お前! 死にに行くんだよ!」っていう。でも、みんなわかっているんですよ。その時。わかっているんだけど、その嘘。インチキの中で生きているんですよね。わかりつつも。逆らったってしょうがない。この映画、人前で泣くシーンがないんですよね。

(赤江珠緒)ああー、そっか。畑で1人で……とかだ。

(町山智浩)泣けないんです。戦争とかで人が死んだ時に泣くっていうことは、反戦だから。人前で泣くことを許さなかったんです。当時は。戦争に反対している。戦争のことを嫌がっているの?って言うことになるから。だから、身内が殺されても、影で、誰もいないところでしか泣けないんですよ。これはひどい……

(山里亮太)そういうリアル。

(町山智浩)あんまりひどいから、すずちゃん、最初はホワーっとしていて、ポワーっとしていたのに、だんだんだんだん、笑顔がなくなっていくんですよ。で、とうとう最後の方で……これは、だからネタバレでもなんでもないから言いますけども。ずーっとほんわか、ポワーっと笑っている子でいたかったよ!って。

(山里亮太)そうだ!

(赤江珠緒)……そうね。そうね! これ、ちょっと見た我々も「ううっ……」ってなりましたよ。そこね。

(町山智浩)もうなんにも逆らわない。世の中に逆らわない子だったのに、「なぜこんな暴力に屈しなきゃいけないの!」って。そこまで、この子に言わせるか!? と。すっごいですよ。これ。で、主題歌、ちょっとオンしてもらえますか?

(赤江珠緒)はい。

(主題歌が流れる)

(赤江珠緒)また、これが泣けるのよ!

コトリンゴ『悲しくてやりきれない』


(町山智浩)これですね、主題歌はコトリンゴさんが歌う『悲しくてやりきれない』という歌なんですけども。この歌は、元歌が1968年のフォーク・クルセダーズっていうフォークバンドが作った歌なんですけども。これ、もともとは最初は『イムジン河』という歌を出すはずだったのが、代わりに作った歌なんですよ。どうしてか?っていうと、『イムジン河』っていうのは北朝鮮の歌なんですよ。で、北朝鮮を流れる川なんですよね。で、その歌詞の中で「誰が祖国を2つにわけてしまったの?」ていう歌詞が出てくるんで、南北朝鮮の分断について歌っているということで、レコード会社が「これは非常に政治的な論争を呼ぶから、危険だから出すのをやめよう」って急遽発売中止にして。すぐその場で曲を作れと言われて。


その時に、フォーク・クルセダーズの人が、その時の気持ちをそのまま歌ったのが『悲しくてやりきれない』。「なんでこんなところで、こんな政治が絡んで来て、歌が歌えないんだ?」という思いを込めて作った歌なんですね。

(赤江珠緒)ふーん!

(町山智浩)で、歌詞の内容をまとめると、「こんなにきれいな空。こんなにきれいな雲。自然はこんなに美しいのに、悲しくてやりきれない。この悔しさ、虚しさに救いはないのか? いつまで続くんだ?」っていう歌詞なんですね。で、これはこの映画のヒロインの心の叫びですよね。

(赤江珠緒)そうですね。

(町山智浩)そう聞くと、まあとんでもない映画のような気がするかもしれないんですけど……「パンドラの箱」という話があるじゃないですか。あらゆる不幸がパンドラの箱から出ていった後に、箱の片隅にちいさな希望が残っているっていう。そういう映画ですよ、この映画は。

(赤江珠緒)そうですね。だからすずちゃんが、タンポポの話がちょっと出てくるじゃないですか。だから、綿毛みたいに、本当に流されてどこに行くかわからないんだけども。

(町山智浩)そう。綿毛みたいな子ですよね。

(赤江珠緒)ねえ。で、最後、でもちゃんとどこか地について、そこで根を張ってちゃんと生きていくっていう……

(町山智浩)だから、『この世界の片隅に』っていうタイトルは、「この世界の片隅で、ほんのちっちゃい居場所があればいいんだよ」と。だけど、その居場所を奪おうとするやつがいっぱい出てくるわけですよ。この『Unfair World』でね。で、彼女はその中で、絵を描ければ幸せだったんですよ。まあ、みんなそうですよね。歌が歌えれば幸せだし、演技ができれば幸せなんだけど。そういうちっちゃい居場所さえ、奪おうとする。そういう映画で、そういうタイトルなんですよ。

(赤江珠緒)そうなんですよね!

(町山智浩)まあいまは、戦時中じゃないんだからね。暴力に屈しちゃいけないと思いますよ。

(赤江珠緒)そうですね。

(山里亮太)また、漫画もいいんだけど、漫画と映画のいいところが見事にこう……

(町山智浩)そう。あと、たぶんね、いまの僕の世代でもギリギリ全部の意味がわかるっていう感じなんですよ。たぶん、わからない人はいっぱいいると思って。妹さんの腕にアザができる意味がわからないっていう人もいるでしょう? たぶん。なんの説明もないですよ。

(赤江珠緒)ああーっ。ない。

(町山智浩)あと、途中で廓。遊郭が出てくるんですよ。あれの意味も、わからないですよね?

(赤江珠緒)説明はしないですよね。

(町山智浩)原作の中では、遊郭の意味はもっと深く出てきます。あと、いっぱいこの映画ね、裏の意味、裏の意味があるんで。何度も何度も見たり、あと世代の違う人と一緒に見て、話し合いをしたりする中でわかってくる映画です。

(赤江珠緒)だって、すずちゃんの夫婦の恋愛観ですら、もう我々世代とは違うんですね。

(町山智浩)だいぶ違うんですよ。

(山里亮太)あのジョークもそうですよね。おばあちゃんが教えたやつが、ちょっとこう……

(町山智浩)あ、そうそうそう(笑)。初夜のたしなみですね。この映画ね、エロチックなんです。もうひとつの売りは、エロチックなんですよ。

(赤江珠緒)そうなんですよね。その恋愛的なところが……旦那さんがまた、「周作、いいな!」みたいになるところがあるんですよ。

(町山智浩)そうそう。あと、初恋の男の子が周作のあの……あの、もう微妙なエロチシズムとかね。すっごいですよ。これ。

(山里亮太)ドキドキしますもんね。

(町山智浩)ドキドキしますよ。あれ、見ているとね。

(山里亮太)「ああああっ!」っていう。

(赤江珠緒)そうですよね。

(町山智浩)そうなんですよ。そういうね、まあすごい映画ですよ。これは。

(赤江珠緒)ふんわりして見えて、人間の生々しさみたいな。

(町山智浩)見えて、実はどんどん深いところがあるんで。まあ、1回見てわからないところは、何回も何回も見るといいと思います。

(赤江珠緒)いやー、これはやっぱり来ましたか。町山賞。

(町山智浩)町山賞。

(山里亮太)受賞、おめでとうございます!

(町山智浩)1億円です! 持っていません!(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(町山智浩)『この世界の片隅に』、11月12日から公開です。

(赤江珠緒)はい。今日は改めて言いますが町山さんに11月12日から全国で公開されるアニメーション映画『この世界の片隅に』、紹介していただきました。本当に、泣きました。

(町山智浩)みなさん、かならず、ご家族で。

(赤江珠緒)見るべき映画。

(町山智浩)素晴らしかった。

(赤江珠緒)町山さん、ありがとうございました。

(町山智浩)どうもでした。

(中略)

(赤江珠緒)午後1時からお送りしてまいりましたTBSラジオ『たまむすび』。町山さんとの話がちょっと尽きない映画ということで。

(山里亮太)そのまま残ってもらいました。

(町山智浩)戦艦大和が出てくる時に、「乗組員が2700人ね」って言うんですけど。それもすっごいショックなんですよ。2700人、死ぬんだっていうことですよ。

(山里亮太)歴史上、大和はそうなるって知っているから。

(赤江珠緒)もう結末がわかっているからね。歴史上のことで。

(町山智浩)そう。でもそこは、なんでもないシーンなんですよ。その映画の中では。

(赤江珠緒)そうなんですよね!

(町山智浩)でも、たぶん知らない人にとってはなんでもないシーンなんですよ。だからこの映画は何度も見て、勉強して。何度も見ると、どんどんどんどん深くなる映画ですね。

(山里亮太)11月12日ですよ、みなさん!

(町山智浩)と、思います。

<書き起こしおわり>
※この放送はradikoタイムフリー機能でお聴きになれます!(1週間限定)



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憲法より礼儀が大事?

まあ、この校長の発言がうっかりミスなのか、意識的な憲法disりなのかの判定は不可能だろうが、結果だけ見れば、生徒に憲法軽視思想を植え付ける効果は明白にあるだろうから、問題視され、場合によっては何かの処罰を受ける必要はあるのではないか。これは、教育者である人間が、公的発言としてやったから問題行動なのであり、その「ミス」(ミスだったか確信犯だったかは知らないが)に対して責任は問われるべきだ、ということだ。
ついでに言っておくと、コメントの中に、同様に憲法を軽視するコメント(校長の行動を擁護する発言)もある(最後のコメントがそれ。わざと掲載した。他の右翼工作員コメントは汚物として処理。これも汚物だが、サンプル。)が、べつに憲法を神聖不可侵視するのではなくとも、憲法は国の法律の基本精神であり、憲法軽視は法律軽視であるわけだ。青少年を指導する立場の人間がそういう問題行動を取れば、問題視されて当然だ、という単純な話である。


コメントの中にもあるが、「礼儀」のほとんどは「上長への服従」を意味するものである。上下関係を常に意識させるために礼儀が作られた、と言ってもいい。相手へのいたわりや愛情があれば、儀礼的に決められていなくても、相手を尊重したふるまいを自然にするだろう。そして、「目下をも尊重する、礼儀正しいふるまい」も生まれたはずだ。だが、実際には、上のものがふんぞりかえり、下のものは土下座する、というのが「礼儀」となってしまっている。

私は歴史的人物の中で大久保利通がわりと好きなのだが、彼は非常に威厳のある人間で、彼が役所にいる時といない時では、役所の雰囲気がまるで違ったそうである。だが、それで部下が委縮しないように、彼は部下には常に笑顔で接するように心がけていたそうだ。そういうのが本当の礼儀だろう。


なお、このツィートは2015年のものらしく、なぜ今になって浮上してきたのか知らないが、安倍右翼政権下で起こる現象のひとつとして、類似した出来事はあちこちで起こっているだろうから、水面下にあるそれらの現象の代表として取り上げる価値はあるかと思う。


(以下引用)こういう記事を転載すると、必ず「字数が長すぎて掲載できません」と表示される。やむなく、大部分をカットした。


坂井和歌子@waka929 2015年7月31日

埼玉の公立中学校の学校だよりで校長が「憲法より礼儀が大事」という文章を掲載。学生時代の埼玉在住の友人がFacebookで「え?…(゚Д゚)」と紹介したところ話題となり、今日の埼玉新聞に掲載されたそうです。


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人の善意に付け込むゲスたち

いやいや、面白い。記事の末尾にある寺と参拝客のいたちごっこは、筒井康隆のドタバタ小説を読んでいるようだ。日本の流行は去年の「ゲスの極み」から、今年は「アホの極み」に移行したか。小学五年生を載せた乳母車なんて、想像してもおかしい。だが、それを大真面目にやる一家というのも不気味である。初詣でで、新年早々こうした小さな不正行為をやって、神や仏の御利益があるとでも思っているのか。
そもそも、ふだんは神も仏も信じていないくせに、初詣でには行くというその神経も分からない。まあ、クリスマスを男女がラブホテルに行く日だと思っている阿呆もたくさんいるし。



(以下引用)

2017年01月05日

初詣「ベビーカー自粛」要請で大論争 乙武氏「肩身が狭い。不寛容な社会」

1 名前:リアーナ ★:2017/01/05(木) 19:07:54.49 ID:CAP_USER9.net
2017年の年開け早々、ネット上で大論争に発展したのが、ベビーカーに赤ちゃんを乗せて大勢が集まる場所で初詣に参拝することの是非についてだ。それが障害者差別、少子化問題といったことにまで議論が広がっていった。

発端となったのは東京板橋区の乗蓮寺が「ベビーカーご利用自粛のお願い」の看板を出した、とツイートされたこと。乗蓮寺は2年前まではベビーカー優先の寺だった。看板を出したことであらぬ方向まで話題が沸騰していることに住職は頭を抱えている。

「ベビーカーご利用自粛のお願い」の看板の写真と共に、


「何の落ち度もない単に小さい子供を連れたママさんが初詣に来て、これを見て嫌な気持ちになると想像できないだろうか。なら松葉杖の人も、車椅子の人も足の悪い高齢者も、視覚障害者も全部遠慮しろと?」

というツイートが出たのは2017年1月1日。それが瞬く間に拡散し、ネット上で大論争に発展した。意見は賛否両論あり、人ごみにベビーカーは邪魔で危険、赤ちゃんがかわいそうだから神社の対応は当然だ、との意見の方が多いのだが、赤ちゃんを持つ親に対し親切でない寺だ、とか、なんとなく気分が悪いから参拝に行かない、などといった反発も出た。そして、看板に「ほじょ犬は除く」とあることから、

「ベビーカーだけを自粛にしたら 差別になりますよね」

などといった議論にも発展した。

http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html?p=all
乙武洋匡さんはこうした騒ぎに関して1月4日にツイッターで、

「『混雑時のベビーカーは自粛すべきだ』という意見を耳にするたび、車椅子も同じように思われているのだろうと肩身の狭さを感じる。不寛容な社会になればなるほど、『生きづらさ』を感じる人が多くなっていく」

などと感想を述べた。東京都議会の音喜多駿議員は、「初詣ベビーカー論争」だとし、ブログで、


「少子化の最大の原因は、わが国が『子どもを産めば産むほど不自由になる社会』であることだと考えています」

と訴えた。

寺の住職によれば、2年前まではベビーカー、車椅子での参拝を優先させていて、専用通路を作り、係員を配置し安全に努めるという布陣を取っていた。ところが思わぬトラブルが起こる。ベビーカー1台にファミリーが5人、10人と付いてきて専用通路を通り参拝し始めたのだ。混んでいる時にはお参りするまで1時間待たなければならないため、それを見た参拝客が腹を立て「なんだあいつらは!!」と寺の担当者と小競り合いになった。

また、ベビーカーがあれば優遇される寺ということが知れ渡り、小学5年生くらいの子供をベビーカーに乗せて現れる親が相次ぐことになった。親は優先通路に入るとベビーカーをたたみ、降りた子供は敷地内を駆け回った。そこで寺は優先通路を通れるのは押している1人だけ、という制限を設けた。ところが、ファミリーは2手に分かれて参拝することになり、先に参拝を終えたベビーカー組の中には境内近くで合流のため待機する、ということが起こった。

そしてとうとう一昨年(2015年)、お年寄りがベビーカーに躓き、ベビーカーに抱き着く形で倒れてしまった。幸い軽傷で済んだのだがけが人を出したことには変わりがなく、「警察からの要請」もあり、昨年から「ベビーカーご利用自粛」の看板を出すことになった、という。


(抜粋。全文はソースで)
http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html?p=all


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今年の日本の運勢

「混沌堂主人雑記」から転載。
面白い卦である。
4爻と言うと「骨付きの肉を噛んで金の矢を得る。困難もあるが(そのプロジェクトを)我慢して続けると利益がある」というような趣旨(私が適当に訳したww)のものだ。今の日本で上の歯と下の歯の間に挟まって上下を隔てる邪魔者はたくさんある。
官僚、マスコミ、御用学者、御用評論家、頭の悪い教育者、銀行(これはおカネの流通の阻害者)、そして混沌堂主人の指摘するジャパンハンドラーズ。ほかにも無数にいるだろう。
こうした連中に適切な裁きを与え、「獄を用いる」(裁くと言うより、処罰する意だと思う。)のが、今の日本に一番必要なことであり、この卦が今年の卦として出てきたのは実に適切である。さて、金の矢が出てくるかどうか。歯が折れたりしないかどうかwww



実は私も今年の世界の運勢と日本の運勢を易占してみたが、私には至誠が無いのか、私の易はあまり当たらないと念押しした上で一応書いておくと、

今年の世界:山水蒙4爻
今年の日本:天水訟3爻

だった。

山水蒙4爻は「蒙に苦しむ。吝なり」つまり、無知蒙昧さのゆえに苦しむ、ということだが、「吝」というのはけち臭い、ということで、何事にも不徹底、不十分なのを批判する言葉と思えばいいかと思う。つまり、世界は強欲資本主義との戦いに踏み出したが、無知蒙昧さゆえに不徹底に終わる、ということか。少なくとも、今年中に満足する結果は出ないだろう。むしろ、混乱状態になるだけだ、と思われる。
天水訟3爻は「旧徳に食(は)む。貞なれば危うけれども終わりには吉なり。あるいは王事に従うも成すこと無し」で、「訟」という卦自体が、下の者が上の者の不正を「裁き手」に訴える卦だから、この4爻は下の者が「訟」を為す際の戒めと考えられる。「旧徳に食む」とは、目上に従っていれば吉、というような意味らしい。あまり頑固に訴えていると危ないが、終わりは吉。「王事に従う」は「王命に従う」と同じで、「成すこと無し」は、本田済の「易」(朝日新聞社)では「成功しない」と常識的に解釈し、岩波書店の「易」では「(たとえ王命を奉じて事に従う場合でも)あえて成功を我物顔に誇ったりしてはならぬ」と、まるで成功するかのように書いていて、正反対だ。
まあ、最初に書いたように、私の易占はあまり的中しないので、ただの座興である。
混沌堂主人の易占のほうが、今回の卦にしても、ずっといい。


(以下引用)



今年の日本の運勢を易に問うと、

火雷噬嗑  の4爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-26.html より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・

21 火雷噬嗑(からいぜいこう)
karai.gif噬嗑 震下離上(しんか りじょう)

八卦のshinrai-n.gif震(しん)の上に、rika-n.gif離(り)を重ねた形。

噬嗑とは、噛み合わせる、という意である。
この卦は来往生卦法によれば、元は山雷頤より来たものとする。
山雷頤は頤(い=おとがい)すなわち口の形の卦であり、その頤口の中へ九四の一陽爻が内卦の外から入り来て、上下を隔てて障りをなしている様子である。
頤の中に物があり、隔て障りをなすときには、必ずこれを噛み砕き、その後に上下相合うことを得るものである。
だから、噛み砕いて合うという意で、噬嗑と名付けられた。
ちなみに、口は、上の歯は動かず、下の歯(顎)だけが動いて、口の中の物を噛み砕くものである。
この卦は、上卦の離は付着、下卦の震は動くとすれば、九四の一陽爻は上の歯に付着していて、それを下の歯が震で動いて噛み砕く様子である。
だから、噬嗑と名付けられた。

卦辞
噬嗑、亨、利用獄、

噬嗑(かみあわせ)れば、亨(とお)る、獄(訴えを聞く)に用(もち)いるに利(よ)ろし、

噬嗑、亨、というのは、直ちに亨ることではない。
口の中に物があれば、それを噛み砕いた後に亨る、ということである。
自分と相手との間に何かがあり、それが障りとして両者を隔て、和合できないような場合は、口の中に物があるのと同じようなことである。
だから、その物を噛み合わせて砕いてしまえば、その後に、両者は心が通じ、和合もできようというものである。
獄とは、牢獄のことであり、罪人を入れて置く場所である。
罪人とするか否かは、訴えを聞いて、その理非曲直を断じて決するものである。
そこで、この場合の獄の字は、訴えを聞いて、その理非曲直を断じることを、指し示すのである。
そもそも訴えは、自分と相手との間に障壁があり、両者を隔て塞ぎ、彼我上下相合うことができないから、その情も互いに乖離し、不和となり、起こるのである。
今、訴えを聞くというのは、頤の中の一物を噛み砕いて、上下相合わせるようなものである。
とすると、訴えを聞く人は、威厳と文明を兼ね備えていなければ、その任に耐えないものである。
しかしこの卦は、震の威厳と離の文明を兼ね備えている。
そして、六五の君の爻は柔中の仁徳がある。
その威厳と文明と仁徳は、訴えを聞くにあたっては、とても重要なことである。
文明でなければ、相手の言いなりになってしまい、偽りを察し、理非曲直を分かつことができない。
威厳がなければ、侮られ軽視され信服されない。
仁徳がなければ、明徳威断に過ぎて、人々はビクビクしていなければならない。
この卦には、これら重要なことが全部揃っているわけだが、訴えを聞くためには、その罪状により、牢獄を用いることもある。
火雷噬嗑は、最上最下の二陽爻は剛実であり、中は空虚の間に九四の一陽があるが、これは牢獄の中に一人の囚人がいる様子でもある。
だから、獄を用いるに利ろし、という。
また、交代生卦法によると、元は天地否から来たものとする。
天地否の九五が下にやって来て、初爻の位に居り、初六が上に往き、五爻に居るのが、この火雷噬嗑である。
天地否のときには、坤は純陰、乾は純陽であり、両者は否塞して理非も分らない様子だが、これが今、剛柔分かち動き、明らかになったのが火雷噬嗑である。
また、来往生卦法によれば、元は天雷无妄から来たとする。
天雷无妄のときは、上卦の乾は剛強なだけで明徳がないが、今、内卦の外から一陰がやってきて、六五となり火雷噬嗑となると、五爻は離明の主となり、柔中の徳も有することになったのである。
もとより訴えを聞く者は、剛決であることを要するが、それだけではなく、文明も仁徳も必要である。
この三つが揃ってこそ、適正な裁きができるのである。


・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


参考 よい

上記文抜粋
・・・・・・・・

【読みかた】
・からいぜいごう の しこうへん、さんらいい に ゆく

【キーワード】
・火雷噬嗑:噛み砕く
・山雷頤:あご、食を養う

【表面に表れたヒント】
・思い切って障害を排除しなければならない。
・一掃すると辺りは一瞬緊張で震えるが、次第に明るくなり、風通しが良くなってくる。
・安易な妥協は後で悔やむことになる。

【ヒントを解釈する指針】
・甘く見ていると障害は日増しに増大する。情にほだされないよう気をつけること。

【背後に隠された微妙な機微】
・何を信条としているか、それさえ見ればその人の見当はつく。世間の評価などあてにはならない。私情を捨てて決断すべき時である。


・・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり




粛清の日炙りだ!!


マイケル・ミドリ。カーチスやら・・・日本ハンドラーが一発目の日炙りだろうかな。



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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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