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スポーツと「愛国心w」

少し前の「谷間の百合」記事の一部だが、慧眼だと思う。
そもそもスポーツとは勝敗を争うことが本質であり、それを拡大したのが戦争である。逆に、平時における戦争の代用品としてスポーツはあると言ってもいい。もっとも、私も「見るだけ」ならスポーツも戦争映画も大好きなのだがwww
いずれにしても、スポーツをしたり観戦したりすることが血を湧き立たせるのは、人間の血の中の闘争本能のためだろう。これは性別に関係は無い。まあ、闘争性を持たないスポーツは山登りくらいか。それさえも、何国の誰が一番乗りした、と昔は「国威発揚」の面もあったが、未踏峰の山が無くなった現在では、誰がどこに登ろうが、当人以外の誰も興味も持たない。
つまり、スポーツへの関心は、国籍と無関係ではありえない、という谷間の百合さんの指摘は実に鋭いと思う。そこからさまざまなヘイトや暴力行為や人権弾圧行為なども起こったりする。

ちなみに、私は「健康のための運動」は大事だと思っており、学校体育はスポーツ(勝敗)から切り離して「健康増進」のために存在するべきだと考えている。もともと「体を育てる」のが「体育」の目的だろうに、なぜ一位だの二位だの最下位だの勝っただの負けただのに拘る必要があるのか。まあ、それを価値づけないと参加者の興味が薄れる、と言われるだろうが、それはスポーツの苦手な子供を体育嫌いにしてまで守るべき価値だろうか。なお、「勝つための」練習が子供に運動障害を起こしたり死亡事故につながったりするのはよくあることである。


(以下引用)


オリンピックは金儲けに特化されて汚れてしまいました。
アスリートは金儲けの道具でしかありません。
それを隠すために、音楽に国境はないと同じでスポーツもそうだと言いたいのでしょうが、これも音楽と一緒でグローバリストによる洗脳です。
しかし、音楽では可能でもスポーツでは不可能です。
選手から国籍を取っ払ったら関心が半減します。

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いじめには寛容だが決闘には厳しい社会

途中のツィートを削除したが、きれいに削除されていないので見苦しいかと思う。
まあ、梵氏の言う通りである。「決闘罪」というのは私は決闘行為が「国家による暴力の独占」の邪魔になるから作られた法律だと思っている。肉体による反抗、自分自身での抵抗ができないということが日本社会を陰鬱なものにしている面があるのではないか。いじめ問題など、いじめ被害者自身が相手と「決闘」できるような社会なら、これほど陰湿にはならなかったと思う。
ただし、人間というのは案外虚弱で繊細なもので、「決闘」で打ちどころが悪いと死亡することもある。そういうことは子供に教えておくべきだろう。ただ、まあ、子供は体重が軽いし、体が柔軟だから、器物や刃物を使わないかぎり、多少の喧嘩などで死ぬことは無いと思うが、肉体的な喧嘩が完全に禁止されると口喧嘩の上手い奴が常に勝つことになるから困ったものである。
或る種の男は、原始時代のほうが幸せだったかもしれないwww


さんがリツイート

お互いにルールを決めて正々堂々と白黒つけるのは決闘罪になるのに ターゲットを数人で精神的(or身体的)に追い詰めて 鬱病にしようが自殺させようが 「いじめ」の一言で最悪済んでしまうのは ど〜〜考えてもバランスおかしいやろとは思っちゃいますよね‍♀️




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恩賜と恩師

私ももちろん戦後の生まれだが、戦後10年から20年くらいまでは戦争の匂いはまだ少し残っていた時代だったので、たとえば「兵隊ヤクザ」などの予告編(本編は一作見たかどうかで、あまり記憶にない。)を見ただけでも戦争や兵隊の実態は感じられた。だから、従軍慰安婦の存在など常識として知っていたりする。
だが、今の二十代三十代の人などにとっては太平洋戦争(あるいは大東亜戦争)というのは、まったくの過去の歴史なのだろう。「恩師の煙草」などというのがパソコンの変換で出てくると、それを疑いもしないわけだ。まあ、煙草自体が世界から消えつつある時代ではあるが、「恩師」が煙草を吸うことが、法律的に停止されるなどというのがあるのか、という疑問もおそらく起こらないのだろう。
もちろん、「恩賜の煙草」である。「恩賜」という言葉も死語であり、「恩賜の煙草」以外にはほとんど使われないので消えて当然ではあるが、やはり言葉の使用は正確であってほしい。







恩師のたばこは2006年で廃止されとる


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優れているからこそいじめの対象になったりする

「いじめはいじめられる側にも問題がある」論者というのは、こういう事例に対して、「おっぱいが大きいのが悪い」「美人であるのが悪い」と言うのだろうか。それとも「周囲(不良やDQN)のご機嫌取りをしないのが悪い」とでも言うのだろうか。



  1. さんがリツイート
    返信先: さん

    私の親戚の従姉妹は美人過ぎて苛められて高校は家からずっと離れた学校に通ってましたなあ;


  2. さんがリツイート

    おっぱいに関してはあれだなぁ
    姉貴は巨乳なのだが中学の時に
    同性から男子に媚び売ってんじゃねぇよ
    って言われの無いイジメ受けてて
    集団生活が嫌いになって高校には
    進学せず就職したのを思い出す(´・ω・`)


















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日本における平地の希少性

日本は本来平地の少ない地形だったのに、山を削り谷を拡張して無理やり平地にしたのが自然災害の多さにつながっているのだろう。本来、人が住むような場所でも村や町を作るような場所でもなかったということだ。
そのようにして住宅地となり、村や町となり、さらに時代の進展で過疎化した田舎の村や町はいっそのこと村や町ごと無料で移転できるという法案を作るのも荒唐無稽な話ではないと思う。少子化国家だからこそ、空き家が厖大にあり、それを奇貨として思い切った政策も作ることが可能だという提言だ。災害面からは比較的安全な都会にも空き家はたくさんあり、それを政府が買い取って、低廉な値段で災害頻発地帯の住民に貸与売却するという法案でもいい。
それはともかく、平地というものの希少性を考えると、陸上用のトラックや球技(サッカーや野球、ラグビーなど)のための広大な平地使用は反国民的行為だとすら思う。まあ、娯楽価値は認めるが。






平野に生まれ育った人間は、建物さえ取り払えば、平らな地面は確保出来ると思うだろうが、川が削った谷間に暮らす集落には、その平らな土地が無いのである。
ガキの頃住んでいた町では、中学校に校庭は無く、小学校も廊下の面積を圧縮するために円筒型の校舎だった。






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白虹の意味

「続日本紀」より転載。或る辞典によれば、白虹は兵乱の兆しとされたらしい。
白虹がかかった養老4年の出来事で際立つのは、初期の天皇家を後ろで操ったらしい人物、あるいは天皇を傀儡化して政治実権を握る政治手法の創始者と目される藤原不比等の死である。
白虹は今年から来年にかけての大きな政治的事件の勃発を意味するのかもしれない。
ただし、不比等の死の後にこそ藤原一族による政治の壟断は激しくなったとも言えるので、その動乱が国民にとってプラスかマイナスかは分からない。
令和という時代が日本という国にとって大変動の時代になりそうではある。


(以下引用)


《養老四年(七二〇)正月甲子【十一】》○甲子。授正五位下大伴宿禰宿奈麻呂。大伴宿禰道足。多治比真人広成並正五位上。従五位上三国真人人足。阿倍朝臣秋麻呂。佐味朝臣加佐麻呂。上毛野朝臣広人。大伴宿禰牛養並正五位下。従五位下民忌寸于志比。車持朝臣益。阿倍朝臣駿河。山田史三方。忍海連人成。榎井朝臣広国。中臣朝臣東人。粟田朝臣人上。鍜治造大隅。石川朝臣若子並従五位上。正六位上佐伯宿禰智連。猪名真人石楯。下毛野朝臣虫麻呂。美乃真人広道。高向朝臣人足。石川朝臣夫子。多治比真人占部。県犬養宿禰石次。当麻真人老。阿倍朝臣若足。巨勢朝臣真人。紀朝臣麻路。正六位下田中朝臣稲敷並従五位下。是日。白虹南北竟天。
《養老四年(七二〇)正月庚午【十七】》○庚午。〓惑逆行。
《養老四年(七二〇)正月丙子【廿三】》○丙子。遣渡嶋津軽津司従七位上諸君鞍男等六人於靺鞨国。観其風俗。
《養老四年(七二〇)正月庚辰【廿七】》○庚辰。始置授刀舍人寮医師一人。」大納言正三位阿倍朝臣宿奈麻呂薨。後岡本朝筑紫大宰帥大錦上比羅夫之子也。
《養老四年(七二〇)二月乙酉【甲申朔二】》○二月乙酉。令検校造器二司造釈奠器。充大膳職大炊寮。
《養老四年(七二〇)二月戊戌【十五】》戊戌。夜地動。
《養老四年(七二〇)二月壬子【廿九】》○壬子。大宰府奏言。隼人反、殺大隅国守陽侯史麻呂。
《養老四年(七二〇)三月丙辰【癸丑朔四】》○三月丙辰。以中納言正四位下大伴宿禰旅人。為征隼人持節大将軍。授刀助従五位下笠朝臣御室。民部少輔従五位下巨勢朝臣真人為副将軍。
《養老四年(七二〇)三月癸亥【十一】》○癸亥。勅度三百廿人出家。
《養老四年(七二〇)三月甲子【十二】》○甲子。有勅。特加右大臣正二位藤原朝臣不比等授刀資人卅人。
《養老四年(七二〇)三月己巳【十七】》○己巳。太政官奏。比来百姓例多乏少。至於公私不弁者衆。若不矜量。家道難存。望請。比年之間。令諸国毎年春初出税。貸与百姓。継其産業。至秋熟後。依数徴納。其稲既不息利。令当年納足。不得延引数有逋懸。又除租税外公稲。擬充国用。一概無利。恐其頓絶。望請。令諸国毎年出挙十束。取利三束。仍令当年本利倶納。又百姓之間。負稲者多。縁無可還。頻経歳月。若致切徴。因即逃散。望請。限養老二年以前。無論公私。皆従放免。庶使貧乏百姓。各存家業。」又謹検和銅四年十一月廿二日勅。出挙私稲者。自今以後。不得過半倍者。比来出挙多不依法。若臨時徴索。無稲可償者。令其子姪易名重挙。依此姦計。取利過本。積習成俗。深非道理。望請。其稲雖経多年。仍不過半倍。」又検養老二年六月四日案内云。庸調運脚者。量路程遠近。運物軽重。均出戸内脚獎資行人労費者。拠案。唯言運送庸調脚直。自余雑物送京。未有処分。但百姓運物入京。事了即令早還。為無帰国程糧。在路極難艱辛。望請。在京貯備官物。毎因公事送物還、准程給糧。庶免飢弊。早還本土。」又無知佰姓不閑条章。規避徭役。多有逃亡。渉歴他郷。積歳忘帰。其中縦有悔過還本貫者。縁其家業散失。無由存済。望請。逃経六年以上。能悔過帰者。給復一年。継其産業。奏可之。」改按察使典。号記事。
《養老四年(七二〇)三月乙亥【廿三】》○乙亥。按察使向京。及巡行属国之日。乗伝給食。因給常陸国十剋。遠江国七剋。伊豆・出雲二国鈴各一。
《養老四年(七二〇)四月庚戌【癸未朔廿八】》○夏四月庚戌。制。三位已上妻子及四位・五位妻。並聴服蘇芳色。
《養老四年(七二〇)五月辛酉【癸丑朔九】》○五月辛酉。制。皇親服制者。以王孫准五位。疎親准六位焉。
《養老四年(七二〇)五月壬戌【十】》○壬戌。改白猪史氏。賜葛井連姓。
《養老四年(七二〇)五月癸酉【廿一】》○癸酉。太政官奏。諸司下国小事之類。以白紙行下。於理不穏。更請内印。恐煩聖聴。望請。自今以後。文武百官下諸国符。自非大事。差逃走衛士・仕丁替。及催年料廻残物。并兵衛・采女養物等類事。便以太政官印印之。奏可之。」頒尺様于諸国。」先是。一品舍人親王奉勅。修日本紀。至是功成奏上。紀卅巻、系図一巻。
《養老四年(七二〇)五月乙亥【廿三】》○乙亥。給伊豆。駿河。伯耆国三剋鈴各一。
《養老四年(七二〇)六月壬辰【壬午朔十一】》○六月壬辰。文部黒麻呂等十一人賜文忌寸姓。
《養老四年(七二〇)六月戊戌【十七】》○戊戌。詔曰。蛮夷為害。自古有之。漢命五将。驕胡臣服。周労再駕。荒俗来王。今西隅小賊。怙乱逆化。屡害良民。因遣持節将軍正四位下中納言兼中務卿大伴宿禰旅人。誅罰其罪。尽彼巣居。治兵率衆。剪掃兇徒。酋帥面縛。請命下吏。寇党叩頭。争靡敦風。然将軍暴露原野。久延旬月。時属盛熱。豈無艱苦。使使慰問。宜念忠勤。
《養老四年(七二〇)六月甲辰【廿三】》○甲辰。始置神祇官史生四員。
《養老四年(七二〇)六月戊申【廿七】》○戊申。河内国若江郡人正八位上河内手人刀子作広麻呂。改賜下村主姓。免雑戸号。
《養老四年(七二〇)六月己酉【廿八】》○己酉。漆部司令史従八位上丈部路忌寸石勝。直丁秦犬麻呂坐盗司漆。並断流罪。於是、石勝男祖父麻呂年十二。安頭麻呂年九。乙麻呂年七。同言曰。父石勝為養己等。盗用司漆。縁其所犯。配役遠方。祖父麻呂等為慰父情、冒死上陳。請、兄弟三人没為官奴。贖父重罪。詔曰。人禀五常。仁義斯重。士有百行。孝敬為先。今祖父麻呂等。没身為奴。贖父犯罪。欲存骨肉。理在矜愍。宜依所請為官奴。即免父石勝罪。但犬麻呂依刑部断。発遣配処。
《養老四年(七二〇)七月甲寅【壬子朔三】》○秋七月甲寅。賜征西将軍已下至于抄士物各有差。
《養老四年(七二〇)七月壬申【廿一】》○壬申。免祖父麻呂・安頭麻呂等従良焉。
《養老四年(七二〇)八月辛巳朔》○八月辛巳朔。右大臣正二位藤原朝臣不比等病。賜度卅人。詔曰。右大臣正二位藤原朝臣疹疾漸留。寝膳不安。朕見疲労。惻隠於心。思其平復。計無所出。宜大赦天下。以救所患。養老四年八月一日午時以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚。未発覚。已結正。未結正。繋囚・見徒。私鋳銭。及盗人。并八虐。常赦所不免。咸悉赦除。其癈疾之徒。不能自存者。量加賑恤。因令長官親自慰問。量給湯薬。勤従寛優。僧尼亦同之。
《養老四年(七二〇)八月壬午【二】》○壬午。令都下〓八寺一日一夜読薬師経。免官戸十一人為良。除奴婢一十人従官戸。為救右大臣病也。
《養老四年(七二〇)八月壬辰【十二】》○壬辰。勅。征隼人持節将軍大伴宿禰旅人宜且入京。但副将軍已下者。隼人未平。宜留而己屯焉。
《養老四年(七二〇)八月癸未【三】》○癸未。詔。治部省奏。授公験僧尼多有濫吹。唯成学業者一十五人。宜授公験。自余停之。是日。右大臣正二位藤原朝臣不比等薨。帝深悼惜焉。為之廃朝。挙哀内寝。特有優勅。弔賻之礼異于群臣。大臣、近江朝内大臣大織冠鎌足之第二子也。
《養老四年(七二〇)八月甲申【四】》○甲申。詔以舍人親王為知太政官事。新田部親王為知五衛及授刀舍人事。
《養老四年(七二〇)八月丁亥【七】》○丁亥。詔。諸請内印。自今以後。応作両本。一本進内。一本施行。
《養老四年(七二〇)九月庚戌朔》○九月庚戌朔。日有蝕之。
《養老四年(七二〇)九月辛未【廿二】》○辛未。諸国申官公文。始乗駅言上。
《養老四年(七二〇)九月丁丑【廿八】》○丁丑。陸奥国奏言。蝦夷反乱。殺按察使正五位下上毛野朝臣広人。
《養老四年(七二〇)九月戊寅【廿九】》○戊寅。以播磨按察使正四位下多治比真人県守為持節征夷将軍。左京亮従五位下下毛野朝臣石代為副将軍。軍監三人。軍曹二人。以従五位上阿倍朝臣駿河。為持節鎮狄将軍。軍監二人。軍曹二人。即日授節刀。
《養老四年(七二〇)十月戊子【庚辰朔九】》○冬十月戊子。以従四位上石川朝臣石足。為左大弁。従四位上笠朝臣麻呂為右大弁。従五位上中臣朝臣東人為右中弁。従五位下小野朝臣老為右少弁。従五位下大伴宿禰祖父麻呂為式部少輔。従五位下巨勢朝臣足人為員外少輔。従五位上石川朝臣若子為兵部大輔。正五位上大伴宿禰道足為民部大輔。従五位下高向朝臣大足為少輔。従五位上車持朝臣益為主税頭。従五位上鍜治造大隅為刑部少輔。従五位下阿倍朝臣若足為大蔵少輔。従五位下高橋朝臣安麻呂為宮内少輔。従五位下当麻真人老為造宮少輔。従五位下県犬養宿禰石次為弾正弼。従五位下大宅朝臣大国為摂津守。従五位下高向朝臣人足為尾張守。従五位上忍海連人成為安木守。
《養老四年(七二〇)十月丙申【十七】》○丙申。始置養民。造器及造興福寺仏殿三司。
《養老四年(七二〇)十月壬寅【廿三】》○壬寅。詔遣大納言正三位長屋王。中納言正四位下大伴宿禰旅人。就右大臣第宣詔。贈太政大臣正一位。
《養老四年(七二〇)十一月丙辰【己酉朔八】》○十一月丙辰。南嶋人二百卅二人。授位各有差。懐遠人也。
《養老四年(七二〇)十一月乙亥【廿七】》○乙亥。河内国堅下・堅上二郡。更号大県郡。
《養老四年(七二〇)十二月己亥【己卯朔廿一】》○十二月己亥。詔除春宮坊少属少初位上朝妻金作大歳。同族河麻呂二人。并男女雑戸籍。賜大歳池上君姓。河麻呂河合君姓。
《養老四年(七二〇)十二月癸卯【廿五】》○癸卯。詔曰。釈典之道。教在甚深。転経唱礼。先伝恒規。理合遵承。不須輙改。比者。或僧尼自出方法。妄作別音。遂使後生之輩積習成俗。不肯変正。恐汚法門。従是始乎。宜依漢沙門道栄。学問僧勝暁等転経唱礼。余音並停之。







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「マナー」だから、ではなく、理由つきで子供に教えよ

安倍総理を弁護するわけではないが、私は「敷居を踏んではいけない」というマナーを知らなかった。そもそも、敷居を踏んだ記憶もあまり無い。こういうのは自己防衛の無意識で自然な行為であって、マナー扱いするようなことだろうか。
で、下の質問への回答を見ても、マナーと言うよりは、やはり、当人の安全のために生じた「日常生活の注意事項」でしかないものが、なぜか「礼儀作法」になっているようだ。「畳のへりを踏むな」などはもはや化石的マナーだろう。


(以下引用)


敷居や畳のへりを踏んではいけないのは何故ですか。 恥ずかしながら私は日本人で...


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  • 知恵コレ


cam********さん


2014/11/1808:47:27



敷居や畳のへりを踏んではいけないのは何故ですか。
恥ずかしながら私は日本人です。
できればこの質問に最もふさわしいカテゴリーも教えてください。


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ベストアンサーに選ばれた回答

2014/11/1810:33:17



マナー、作法というのには全て意味、目的、理由、歴史といった背景があります。

作法として語られる内容には全て「生活に密着した」狙いがあります。

例えば「布団を踏むな」「座布団を踏むな」という話。
このような戒めを語る場合、「布団にはその家の先祖が宿り…」というような説明をしてタブー視するようなことがありますが、こういうのはいわば方便。
そのような「宗教的な理由」ではなく、もっと現実的な理由があります。ただ「ご先祖様が…」と厳しく戒めておけば、より守るであろうということが期待出来ます。

寝具は寝るもの、座布団は座るもの。中に入っている綿は重みをかけるとつぶれてしまいます。
寝る、座るという使い方なら体重は分散されますが、踏む=立って乗ると一点に体重が集中し綿の劣化が早まります。これは「布団を長持ちさせるための知恵」です。

「畳の縁を踏むな」
よく言われるのは「昔の畳のヘリにはその家の家紋を入れる慣習も見られ、その場所を来客が踏むのは、訪問宅を侮辱するに等しい行為だ」という話。これが方便です。
確かにオオーダーメードの畳なら家紋を入れることもありましたがそれは本来の理由ではありません。
こちらももっと日常的です。
畳の縁というのは小さな段差になっています。今でこそ基礎や畳の性能も良くなりましたが、かつては畳の反りは縁の部分に発生するものでした。そこに足を引っかけると転倒したり滑ったりする恐れがあります。思わぬ事故を防ぐために日頃から踏まないように心がけるということです。

「敷居を踏むな」
柱が家屋を垂直面で支える構造物であるのと同様に、敷居というのは水平面で支える構造物です。
ここを踏むと「家が歪む」という物理的な不具合があったために戒めた訳です。
もちろん「敷居は段差になっているので躓きやすい」という意味においては畳と同じ要素もあります。

作法というのは全て意味がある訳ですから「畳の縁には家紋が…」などという縁起だけを云々して形だけ受け継いでもなんにもなりません。

しかし「綿が傷む」「転倒する」「家が傷みやすくなる」という部分については現代社会においても生きています。

形だけではなく意味とセットにして語り継いで行きたいです。


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男性
職業:
仙人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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