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東大に行くことの意味

まあ、「原子力村」ではないが、東大には「東大村」の子弟しか行かないんじゃないの? 東大村とは官僚村である。東大出の研究者など、学会の官僚になる以外に使い道は無いwww
地方出身者で東大を目指す者は、自分の目的は何なのか、よく考えることである。官僚養成機関である東大に行くなら官僚を目指す以外には有意義な目的は無い。そして、東大に入ったら入ったで、周りは「東大村の子弟」ばかりで、孤立することになるだろう。女子なら女子で、下の記事にあるように、将来像がまったく描けない。
私は、姪の進路指導の相談を受けて、(成績の良かった子なのでそういう選択肢があったのだが)東大か地元大学かの選択で地元大学を勧めたことを、判断が正しかったか間違っていたかずっと悩み続けていたのだが、下の記事でその長年の悩みが解消されたwww



(以下「スカイヲーカー」さんのブログから転載)

東大に進学して不幸になろう。

東大家庭

















「東京大学は来年4月から、一人暮らしの女子学生向けに月額3万円の家賃を補助する制度を初めて導入する。志願者、在籍者ともに約20%にとどまる女子学生の比率を高める狙いで、「まずは女子の志願者増につなげたい」(同大)という。」



女子がなぜ東大に行かないのかって・・

東大に行くことにメリットがないからだ。

東大生になっても、どうせ嫁の貰い手がなく、

一生独身で暮らすほかなく、

職を求めるも、公務員、研究職、教職、などしかなく、

民間にはほとんど需要なし。(企業は東大女子など欲しくない)

いくら家賃3万円補助してくれたって、

ロクなことがないから、東大なんかに行かない。

不幸になるから・・

当然の選択だ。

それに、実質、東大は東京に住む基地外が行く学校で、

地方民には何ら関係がない。

つまり、地方民女子は東大には全く縁がない。

年間100万円をくれるといっても、誰も東大には行かない。

誰も不幸になりたくない。




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ネット検閲

例の事件だが、下のコピーの続きは「自殺で決着」つまり、警察が自殺で処理した、という記事タイトルなのだが、記事そのものは閲覧不可能(このページは表示できません)となっている。すなわち、明らかにネット検閲が行われている、ということだと私は推測している。



(以下引用)





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空から暴力が降ってきた

実は、昨日、一般公開初日に「この世界の片隅に」を見てきたのだが、その感想をここで書くつもりは無い。全日本国民が国民的義務としてでも一度は見るべき作品であり、見たことをけっして後悔はしない、それどころか一生の心の財産の一つになるだろう(原作漫画も同様である。)とだけ言っておく。
今日になって、この映画のことを振り返った時、思い出したのが、何と、私が馬鹿にしていたオバマ大統領の広島演説の言葉「空から死が舞い降りてきた」だった。いや、私はそれを「空から暴力が降ってきた」として想起したのだが、これこそが、あの映画の中でもっとも印象的な呉市の空爆シーンを表す言葉であり、それは戦争が庶民にとってどういうものであるかをもっとも適切に表したものだ、と私には思える。「戦争が廊下の端に立っている(いた?)」という有名な川柳(反戦川柳とでも言うのか)があるが、戦争というものは廊下の端に「カオナシ」のように不気味に立っているものというより、空から、突然我々の頭上に舞い降りてくる、というのが庶民にとっての戦争の実感ではないか。それは空爆だけのことではない。我々の手の届かないところで誰かが勝手に決定したことによって、我々の存在のすべてが或る日突然に奪われる、そういう極限的な暴力が戦争なのではないだろうか。

下に、オバマ大統領の広島演説の全文を和訳と英文と両方とも載せておく。ここに並んだ言葉の中には、もちろん原爆を落とした国としての謝罪の言葉など無い。米国の大統領として、そんな謝罪などできるわけもないのである。大統領の立場とはそういうものだ。だが、現役大統領として初めて広島慰霊祭に出席し、このスピーチを残したことは、彼の数少ない功績の一つだ、と今の私は思う。そして、このスピーチの内容は、スピーチライターが書いたものとはいえ、戦争を否定する気持ちは十分に表れている。今の今も、世界のどこかで戦争を続けることが国家事業化している米国の大統領が反戦の気持ちを表明するという、苦しい課題に、見事に応えている文章だと言えるだろう。もちろん、あちこちに、米国の立場を顧慮した、曖昧な表現、いわば、ごまかしの部分はたくさんある。しかし、その中にも、「庶民にとっての戦争の意味」と「戦争という罪悪を否定したい気持ち」は明瞭に表れていると思う。そうした、いわばモザイク模様のスピーチとしての傑作なのではないだろうか。


(以下引用)私が特に「価値あり」と思う部分を色文字にしておく。その色字部分だけをつなぎあわせて読めば、それが「この世界の片隅に」の私の感想だ。

オバマ大統領演説(和訳)


71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。閃光(せんこう)と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。


われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。


その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。


広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。


いずれの大陸も文明の歴史は戦争で満ちており、食糧不足や黄金への渇望に駆り立てられ、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせき立てられた。帝国は台頭し、そして衰退した。民族は支配下に置かれ、解放されたりしてきた。転換点において罪のない人々が苦しみ、数え切れない多くの人が犠牲となり、彼らの名前は時がたつと忘れ去られてきた。


広島と長崎で残酷な終焉(しゅうえん)を迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国家間で勃発した。彼らの文明は偉大な都市と素晴らしい芸術を育んでいた。思想家は正義と調和、真実という理念を発達させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同様に支配あるいは征服の基本的本能により生じてきた。抑制を伴わない新たな能力が、昔からのパターンを増幅させた。


ほんの数年の間で約6千万人が死んだ。男性、女性、子供たちはわれわれと変わるところがない人たちだった。撃たれたり、殴られたり、連行されたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えさせられたり、毒ガスを使われたりして死んだ。


世界各地には、勇気や勇敢な行動を伝える記念碑や、言葉にできないような悪行を映す墓や空っぽの収容所など、この戦争を記録する場所が多くある。


しかし、この空に上がった、きのこ雲のイメージが、われわれに人類の根本的な矛盾を想起させた。われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然とは違う能力、自然をわれわれの意志に従わせる能力、これらのものが無類の破壊能力をわれわれにもたらした。


物質的進歩や社会革新がこの真実から、われわれの目を曇らせることがどれほど多いであろうか。高邁(こうまい)な理由で暴力を正当化することはどれほど安易なことか。


偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。一方で、どの宗教もその信仰が殺人を許容していると主張するような信者の存在から逃れることはない。


国家は、犠牲と協力を結び付ける物語をつむぎながら発展してきた。さまざまな偉業を生んだが、この物語が抑圧や相違を持つ人々の人間性を奪うことにも使われてきた。科学はわれわれに海を越えてコミュニケーションを取ることを可能にし、空を飛び、病気を治し、宇宙を理解することを可能にした。しかし同じ発見は、より効果的な殺人機械へとなり得る。


現代の戦争はこうした真実をわれわれに伝える。広島はこの真実を伝える。人間社会の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。


だからこそわれわれはこの地に来た。この街の中心に立ち、爆弾が投下されたときの瞬間について考えることを自らに強いる。惨禍を目にした子供たちの恐怖を感じることを自らに課す。


無言の泣き声に耳を澄ませる。われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。


単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかし、われわれは歴史を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならないかを問う共通の責任がある。


いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろう。しかし1945年8月6日の朝の記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像力を養い、われわれを変えさせてくれる。


あの運命の日以来、われわれは希望をもたらす選択もしてきた。米国と日本は同盟関係を築くだけでなく、戦争を通じて得られるものよりももっと多くのものを国民にもたらす友情を築いた。


欧州の国々は戦場に代わって、交易や民主主義により結ばれている。抑圧された人々や国々は自由を勝ち取った。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を規制、削減し、完全に廃絶するための機関を創設し協定を結んだ。


それにも関わらず、世界中で見られる国家間のテロや腐敗、残虐行為や抑圧は、われわれがすべきことには終わりがないことを示している。われわれは人類が悪事を働く能力を除去することはできないかもしれないし、われわれが同盟を組んでいる国々は自らを守る手段を持たなければならない。


しかし、わが国を含む、それらの国々は核兵器を貯蔵しており、われわれは恐怖の論理から抜け出し、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければならない。こうした目標は私の生きている間は実現しないかもしれないが、粘り強い取り組みが惨禍の可能性を引き下げる。


われわれはこうした保有核兵器の廃棄に導く道筋を描くことができる。われわれは、新たな国々に拡散したり、致死性の高い物質が狂信者の手に渡ったりするのを防ぐことができる。しかし、まだそれでは不十分だ。なぜなら、われわれは今日、世界中で原始的なライフル銃やたる爆弾でさえ恐るべきスケールの暴力をもたらすことができることを、目の当たりにしているからだ。


われわれは戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。外交を通じて紛争を予防し、始まってしまった紛争を終わらせる努力するために。増大していくわれわれの相互依存関係を、暴力的な競争でなく、平和的な協力の理由として理解するために。破壊する能力によってではなく、築くものによってわれわれの国家を定義するために。そして何よりも、われわれは一つの人類として、お互いの関係を再び認識しなければならない。このことこそが、われわれ人類を独自なものにするのだ。


われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない。われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる。われわれは子供たちに違う話をすることができ、それは共通の人間性を描き出すことであり、戦争を今より少なくなるようにすること、残酷さをたやすく受け入れることを今よりも少なくすることである。


われわれはこれらの話をヒバクシャ(被爆者)の中に見ることができる。ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許した。本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからだ。ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからだ。


わが国は単純な言葉で始まった。「人類は全て、創造主によって平等につくられ、生きること、自由、そして幸福を希求することを含む、奪うことのできない権利を与えられている


理想は、自分たちの国内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して容易ではない。しかし誠実であることには、努力に値する。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。


全ての人にとってかけがえのない価値、全ての命が大切であるという主張、われわれは人類という一つの家族の仲間であるという根本的で必要な概念。われわれはこれら全ての話を伝えなければならない。


だからこそ、われわれは広島に来たのだ。われわれが愛する人々のことを考えられるように。朝起きた子供たちの笑顔をまず考えられるように。食卓越しに、夫婦が優しく触れ合うことを考えられるように。両親の温かい抱擁を考えられるように。


われわれがこうしたことを考えるとき71年前にもここで同じように貴重な時間があったことを思い起こすことができる。亡くなった人々はわれわれと同じ人たちだ。


普通の人々はこれを理解すると私は思う。彼らは、さらなる戦争を望んでいない。彼らは、科学は生活をより良いものにすることに集中すべきで、生活を台無しにすることに集中してはならないと考えるだろう。


各国の選択が、あるいは指導者たちの選択がこの単純な分別を反映すれば、広島の教訓は生かされる。


世界はここ広島で永久に変わってしまったが、この街の子供たちは平和に日常を過ごしている。なんと貴重なことであろうか。これは守るに値し、すべての子供たちに広げていくに値する。これはわれわれが選択できる未来なのだ。


広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになるだろう。そうした未来をわれわれは選び取る。


出典:産経新聞

オバマ大統領演説(英文)


Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.


Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner.


Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.


It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.


On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.


The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.


In the span of a few years some 60 million people would die: men, women, children -- no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.


There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.


Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction.


How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause?


Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.


Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.


The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.


That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.


We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.


Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.


Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.


And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war.


The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.


Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to defend ourselves.


Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.


We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.


We must change our mindset about war itself -- to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps above all we must reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this too is what makes our species unique.


We're not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.


We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.


My own nation's story began with simple words: "All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness."


Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.


The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.


That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.


We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us.


Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.


When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.


The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.


That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.


出典:共同通信



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世界経済の中のシーソー関係

「しいたげられたしいたけ」氏のブログから転載。
論旨には必ずしも同意しない、と言うか、同意も否定もしないが、このグラフが少し面白いので転載しておく。つまり、グローバリズムの意味を視覚的に表現しているところが有益だ、と思うわけだ。視覚的に、とは直覚に訴える形での表現だということで、それだけに理解が体に浸み込む。ただし、このグラフ自体がどの程度正確なものか、保証は無いとも思う。特に先進国の中低位層の所得はこのグラフの言うように「わずかな増加にとどまっている」のではなく、「明白に低下している」はずである。だからこそ世界的に移民排斥運動や排外主義的傾向などが起こっているのだ。

それはそれとして、先進国の中低所得層の所得減少は、後進国の中低所得層(後進国上位所得層よりこちらが重要)の所得増加との交換関係、あちらが上がればこちらは下がるというシーソー的関係だ、という点はもっと掘り下げて論じる必要がありそうだ。
そりゃあ、お手手つないで一緒にゴールインみたいな幼稚園的「全員平等主義的競争」ができるならそうしてもいいが、それじゃあ「競争」にも「競走」にもならないwww


(以下引用)


2016-11-11

米大統領選におけるトランプ氏勝利と「グローバル化の象」

政治 社会

トランプ氏が下馬評を覆しての勝利を収めた米大統領選が11月8日、奇しくもその2日前の朝日新聞朝刊別刷り「Globe」11月6日付に、こんな記事が載っていた。


globe.asahi.com


記事中のグラフが、とても印象的だった。記事によると、元世界銀行エコノミストのブランコ・ミラノビッチ氏が作成したものとのこと。


f:id:watto:20161111200357j:plain


上掲記事より


現代の国際社会が途方もない複雑系であることは、肝に銘じておかなければならないと常々思っている。わかりやすすぎるものは、時として危険だ。しかし、このグラフはトランプ氏勝因の一端を、わかりやすく示唆しているとは言えないだろうか。


「サンダース上院議員が民主党の大統領候補予備選に敗れたので、共和党のトランプ氏を支持した」とされる層が、少なからず存在すると言われる。それらは、上掲グラフの横軸目盛り80~90%に相当する層だと想像すれば…サンダース氏への期待は100%付近の成長の再分配を期待したものであり、トランプ氏への鞍替えは同氏が50~60%付近を叩いてくれると期待してのことと…


上記は根拠のない私のただの想像である。「Globe」の記事は、米大統領選に直接言及したものではない。記事がどのような文脈でグラフに言及しているかは、直接リンク先を読んでもらうのが一番早いだろう(同日付「Globe」中には米大統領選の記事もあった「[Part3]トランプに託す過去の栄光/米国 -- 反発する民意 -- 朝日新聞GLOBE」)。


ただし、あえて想像を重ねるとしたら、もしトランプ氏が大統領就任後もこれまでの主張に固執するのであれば、同氏の政策が奏効するとは思えないことも述べておきたい。なぜなら上掲グラフ50~60%付近の成長著しい部分と、同氏が選挙戦において攻撃してきた相手は、とうてい一致しているとは言えないからだ。


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今こそが日本独立の最初で最後の機会かもしれない

ダニエル・スナイダーという外国人は写真などを見たことが無いので、本物の外国人か、日本人の偽名かは分からない(その手法を日本のマスコミはしばしば使う。)が、書かれている内容は、まるで日本の官僚が書いたような内容である。
しかし、そうした中にも、幾つか興味深いところはあるので、資料の一種として保存しておく。
まったく、趣旨(日米安保同盟堅持すべし、TPP推進すべし、など)に賛同しての転載ではないが、トランプの日本観、日本人観は、おそらくここに書かれたとおりだとは思う。
さて、こうした日本観を持ち、日本が安保ただ乗りをしている、とトランプが思っているなら、今こそ日米安保条約解消の最初で最後の機会かもしれない。その機会を安倍総理はうまくつかめるだろうか。それとも、どこまでも安保官僚の傀儡のままでいるだろうか。
まあ、谷間の百合さんのように、安倍総理による国軍創設に危惧の念を持つ考えも理解できるが、どうせ安倍などあと数年で死ぬ(笑)のだから、日本が対米自立した後に軍国主義化するかどうかは、新しい時代の人々の問題でいいのではないだろうか。私は、安倍と麻生あたりが死ねば、日本の軍国主義化は退潮すると思っている。とすれば、対米自立こそが、当面の最大の目標でいいのではないだろうか。




(以下引用)





日本人は、「トランプ大統領」を甘くみている 過去の「トンデモ発言」には信念がある
 
 
「トランプ大統領」誕生で、米国と日本、アジア諸国との関係はどう変わるのか(写真: Carlo Allegri/ロイター)© 東洋経済オンライン 「トランプ大統領」誕生で、米国と日本、アジア諸国との関係はどう変わるの…  

 ドナルド・トランプ氏が米大統領選で衝撃的な勝利をはたしてから3日。安倍晋三首相がトランプ氏と電話会談し、米ニューヨークで現地時間17日に会談することが決まった。「緊急会談」の目的は明らかにされていないうえ、政権移行の準備も本格化していない中での会談がはたして良いアイデアかどうかもわからない。ただ、ひとつだけハッキリしていることがある。今回の会談を通じて安倍首相が、米国でいったい何が起きているのか、そしてこれが日米関係にどう影響するのかを知りたがっているということだ。


 トランプ氏の勝利は、民主党、エリート層、さらには共和党員の多くが大敗を喫したというような単純な話ではない。それよりも衝撃的なのは、同氏の当選により、冷戦以降二大政党共通の外交政策の柱となってきた、介入による国際協調主義が明確に否定されたということだ。

「米国は日本にやられてばかりだ」

 2015年6月16日にトランプ・タワーで行った立候補表明の冒頭から、トランプ氏はグローバルな自由貿易システムや、欧州、アジアでの同盟体制の堅持、独裁政治への反対といった国際協調主義の根幹部分のいくつかをやり玉に挙げていた。


 インタビューや演説、討論会、さらにはツイートに至るまで、トランプは繰り返し自らの世界観、すなわち孤立主義へと至るナショナリズムを明確に表明していた。排他主義や人種差別ともとれる言動の対象は、メキシコ人にかぎらず、イスラム教徒、アジア系、最終的にはすべての「外国人」に及んだ。11月8日には相当数の米国人がこのイデオロギーを受け入れ、トランプ氏に票を投じたのである。


 さて、「トランプ大統領誕生」は日本にとって、さらにはすべてのアジア諸国にとってどういうことを意味するのだろうか。それを知るにはまず、トランプ氏の立候補表明演説を思い出してもらいたい。


 「わが国は深刻な事態に陥っています。米国はもはや負けてばかりです。以前は勝っていましたが、今は違います。米国が最後に勝ったのはいつのことでしょうか――強いて言えば、中国と貿易協定を結んだときでしょうか。米国は中国のせいで破綻しています。私はつねに中国をたたいています。ずっとです。米国が日本に勝ったためしがあるでしょうか? 日本は何百万台単位で(米国に)自動車を送り込んで来ますが、それに対して米国はどう対処しているでしょうか。東京をシボレーが走っているのを最後に見かけたのはいつでしょうか。皆さん、シボレーは消えたのです。米国は日本にやられてばかりなのです」


 今回の選挙戦中、トランプ氏は、環太平洋経済連携協定(TPP)を中止し、協定を破棄しないとすれば、再交渉を行うと誓い、北米自由貿易協定(NAFTA)も同様に破棄すると宣言した。NAFTAのせいで日本企業がメキシコに工場を設立し、米国に輸出するに至ったと言うのが彼の言い分だ。


 その数カ月後、英エコノミスト誌とのインタビューで、トランプ氏は日本についての見解を詳しく述べ、米国が軍事同盟を結ぶ必要性に疑問を呈し、貿易不均衡と「雇用流出」について非難。なぜ米国が中国から日本を守っているのか理解に苦しむとして、こう述べている。


 「米国が日本と結んでいる条約は興味深い。なぜなら米国がどこからか攻撃されても、日本には米国を助ける義務はないのだから。それでいて、もし日本がどこからか攻撃されたら、米国は日本を守らなければいけない。そんな取引を米国はしているのだ」


 また、今年3月には、トランプ氏はニューヨーク・タイムズ紙の記者に「もし日本と韓国がさらなる自衛措置を行わなければならない事態が生じたとき、中国と北朝鮮に対処するために日韓が核の開発をしたとしたら反対するか」と質問されている。このときの同氏は、「核兵器拡散に反対」という長年に渡る米国の立場を捨て去ることにほとんど無頓着で、米国の状況次第では、「日韓の核兵器保有はあり得る」と答えている。

外交政策関係者はすでにトランプシフト

 こう見ていくと、トランプ氏が米国と北東アジアの間で結ばれている同盟の歴史的な成り立ちについて、ほぼ無知であることがよくわかる。米メデイアでも指摘されてきたように、日韓が自国に拠点を置く米軍の支援に多大な貢献をしているのを、トランプ氏は無視している。さらに深刻なのは、東アジア全体の平和の維持と安定のために、こういった軍事力が果たす戦略的役割を、どうやら理解していないらしいということだ。


 トランプ氏のこうした見解は、日本ではすでによく知られており、選挙中には米国の外交関係者らが、日本やアジア諸国の指導者・関係者に対して、「(トランプ氏やヒラリー・クリントン氏の言動は)選挙活動のために誇張されているだけ」と伝え、安心させる努力をしてきた。


 彼らはもともと、クリントン氏が当選することを前提に動いていたが、選挙結果が判明した数時間後には、トランプ氏の「後援」にまわり、同盟国や友好国に対して「トランプはああ言っているが、結局は戦後の国際主義に戻る」と伝えると同時に、進行中の外交政策を共和党ベテラン勢に引き継ぐ作業を始めた。たとえば、知日派で知られるリチャード・アーミテージ氏は選挙中トランプ氏を批判していたが、すでに接触可能なトランプ陣営の高官たちに歩み寄ろうとしているようだ。


 これは非常に堅実なアイデアであるうえ、トランプ氏側がこれを受け入れる可能性もある。同氏の側近には、外交や安全保障、そして国際経済政策を担える人材も少なからずいる。が、多くの役職を埋めるには、共和党の保守本流の人材(その多くは独断的な米国による介入など、いまだに古典的な外交政策の原則を支持している)を使わなければならない。


 一方で、トランプ氏が外交政策において、共和党保守本流に「外注」を頼むことはないだろうという、理由もいくつかある。第一に、トランプ氏はこうした高官たちから何も恩恵を受けていない。同氏は彼らから資金援助を受けていないし、選挙スタッフにも共和党の中核派は含まれていない。同氏は、自ら共和党の支持基盤やイデオロギーを変えることで同党のリーダーになったのである。


 もうひとつの理由は、少なくとも1980年代後半の日米貿易摩擦の時代から一貫して、トランプ氏は上記の述べたような見解を示してきたことだ。つまり、彼が言っていることは、選挙対策でペンシルベニア州の元製鉄所工員たちにアピールするために作られたスローガンではない。これは、トランプ氏の強固な信念であり、それを放棄する気配は今のところ見られない。

「日本人に食い物にされている」

 トランプ氏のゴーストライターが書いた『The Art of the Deal』(1987年)では同氏がどのようにビジネスを行うのかが説明されているが、その中で同氏は日本人とのビジネスがどれだけ難しかったか不平をもらしている。その年、同氏はニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、ボストン・グローブ紙に、日本の防衛のために米国がカネを出しているすきに、意図的に安くされた円を基盤に日本が強い経済を築いたと、日本人を非難する全面広告を出した。


 さらに翌年、テレビ番組の司会者として彼はこう言った。「われわれは、日本を祖国に入れて、何でもかんでも投げ売りさせている。こんなのは自由貿易じゃない。もし日本に行って何か売ろうとしているなら、そんなことはやめちまえ」。


 さらに、日本人がニューヨークの不動産を買いあさっていた1990年に行われたプレイボーイ誌のインタビューでは、トランプ氏は日本を信用ができない、二枚舌の同盟国であると辛らつな表現を使って非難した。


 「日本人は最も優秀な科学者にクルマやビデオ機器を作らせている。そしてわれわれは最も優秀な科学者にミサイルを作らせて日本を守らせている。なぜわれわれは、支払った費用の補償を受けていないんだ? 日本人は米国を2重に食い物にしている。まず米国人に消費財を売ってカネを得て、そのカネを使ってマンハッタンを丸ごと買おうとしている。どちらにしても、われわれの負けだ」。


 彼の最近の言動から見ると、トランプ氏の考えや日本への見解は1980年代からまったく変わっていない。変わったのは、中国や韓国、ベトナムに対しても同様の見解を持つようになったことくらいだ。


 ここで重要なのは、実際にトランプ氏がこうした見解を維持したまま大統領に就任し、この見解に基づいた政策を実行するかどうかである。まず、貿易については、トランプ氏がTPPの批准を支持するとは考えがたい。続けるとすれば、振り出しに戻して交渉を再び行うことを求めるだろうが、最悪の場合はTPP自体を単純に拒否するだろう。


 さらに最悪な場合は、NAFTAの撤回もありうる。そうなった場合、日本政府は現実を受け入れなくてはならない。メキシコやカナダに工場を持っている企業も、大きな戦略転換を迫られるかもしれない。

中国は「プーチン化」する?

 より予測が困難なのは、日本と米国の安保体制だ。米首都ワシントンの当局者たちは間違いなくトランプ氏に、日米同盟が、台頭する中国を押さえるために必要不可欠であることを説明するだろう。すでに、トランプ政権による準孤立主義を利用して、中国がより積極的な行動に出るのではないか、との憶測が広がっている。米フォーリン・ポリシー誌のジェームス・パルマー記者は、「中国は、トランプの中国に対する無知につけ込みながら、プーチン風にトランプを褒めそやすかもしれない」と書いている。


 これによって、アジアのいくつかの国は、時流に乗って中国側につくかもしれない。また、日本、韓国、台湾のような国が、米国に見捨てられる恐れに駆り立てられ、米国の抑止力による保証に代わりとして、自ら核兵器の開発を目論むこともまったくないとは言い切れない。


 一方、強烈な国家主義のレトリックに身を包んだ人物がトランプ政権にいて中国を挑発しようとした場合、日米同盟の価値が再び明白になるだろう。そもそも、トランプ氏自身、中国と南シナ海問題でもめることは望んでいないだろうし、ましてや東シナ海の防衛力増強など考えていないはずだ。中国にしたって、中国製品に巨額の関税を課し、米国企業の工場を中国外に移転すると話しているトランプ氏を刺激したくないはずだ。


 当選以降、トランプ氏の「軟化」が取りざたされているが、同氏が早々に自らの考えを捨てたと考えるのは早すぎるだろう。


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トランプの大統領当選確率7%byニューヨークタイムズ(笑)

こういうものは、目に付いたらすべて保存しておくのがいい。マスコミの正体が丸分かりである。



宋 文洲 @sohbunshu 11時間前

腐った米国のマスコミ 10月26日のニーヨークタイムズ





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八百長プロレスからセメントマッチ(真剣勝負)の時代へ

simatyan2のブログから転載。
私はこの人の名前があまり好きではない(自分で自分に「ちゃん」付けする人間を好きになれるはずはない。)ので、彼のブログはほとんど読まないのだが、孔徳秋水氏のツィッターに一部引用されていた、この記事は好記事だと思う。当人自身がかつて宣伝広告会社に勤めていたようで、「道に依って賢し」の実例だろう。

トランプ大統領の誕生によって、これからの世界は既得権益層による八百長プロレスからセメントマッチ(真剣勝負)の時代に入るような気も私は少ししている。




(以下引用)赤字部分は夢人による強調。




電通と政府のプロレスが始まった!
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電通と政府のプロレスが始まった!


 


11月7日、電通社員の過労自殺の件で、東京地検と厚労省が
強制捜査に入りました。
http://www.sankei.com/life/news/161107/lif1611070048-n1.html
http://www.sankei.com/affairs/news/161108/afr1611080019-n1.html


 


と、上のように政府と電通の犬「サンケイ」が報じています。


 


同じく飼い犬のネトウヨたちも、


 


「安倍ちゃん、本気で電通潰すつもりだな」


 


とか必要以上に煽っています。


 


こういう馬鹿げたプロレスは本当に止めてほしいですね。


 


電通にプロデュースしてもらわないと何もできない政権が潰す
ことなど出来っこないじゃないですか。


 


電通は自民党の広報をきっちり契約してるんですよ。


 


塩崎厚労大臣が


 


「今後、書類送検を視野に入れつつ、まずはしっかりと捜査を
尽くしていく」


 


と言ってますが、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161108-00000034-jij-soci


 


最悪でも書類送検ですから、電通は痛くも痒くもないわけで、


たぶん電通に先にお伺いを立ててるはずです。


 


それだけじゃなくテレビ局もお伺いを立てて、どこまで放送
しても良いかまで許可を得ているはずです。


 


例えば先日、テレビで御用評論家が電通の鬼十則を説明して


ましたが、あんなものちょっと厳しい営業会社ならどこでもある


ものです。


 


前にも紹介しましたが、問題なのは表の営業鬼十則じゃなく、


裏鬼十則や戦略十訓、それにサイレントテロ十訓なのです。


 


だから今回のストーリーそのものも電通が立てた可能性が高い
と思います。


 


電通プロデュースのリオ五輪での安倍マリオ、あれも費用が
12億円かかってますが、その12億円の内の8億円が電通の
取り分なんですよ。


 


やらされた安倍晋三はお零れに預かっただけです。


 


ちなみに映画のシンゴジラは制作費が15億円です。


 


東京地検が踏み込む時、ダンボール箱を持ち出すときなど全て
リハーサルしてますからね。


 


マスコミ関係者なら知ってることですが、地検特捜部なんかは
カメラ映りを非常に気にするんです。


 


この角度から撮ってくれとか、あの角を曲がって歩いてくるところ


から撮ってくれとか、カメラマンに注文つけるんですね。


 


今回は、その演出すら電通がやってる可能性があります。


 


今まで闇に隠れてやってたことが最近ネットでも五月蝿く言わ
れだしたので、ここらで過労死でも表面化させて上辺だけでも
政府が乗り出したように見せたいのだと思います。


 


政府も東京五輪関係で、JOCの竹田恒和と電通の賄賂問題が


表ざたになるよりはマシだと思ってるはずです。


 


また元電通の安倍昭恵や世耕弘成や秋元康など痛くない腹
(本当は痛い)を探られるのも避けたいでしょう。


 


まあ形だけ、ポーズに間違いないです。


 


過労死や残業で企業が潰されるならワタミなど、とっくの昔に
潰れて当たり前ですが、会長が今や自民党議員ですからね。


 


105時間くらいの残業なら(ほんとは好ましくありませんが)
僕も広告代理店時代やってましたし、大企業中小企業問わず、
どこでもやってることです。


 


超過勤務で福知山脱線事故を起こした社員のJR西日本は


どうなりました?


 


史上最悪の事故を起こした東電はどうなりました?


 


潰れもせず、どころか給料もボーナスも上がってるじゃない
ですか?


 


押尾学事件の黒幕森喜朗に捜査の手が伸びましたか?


 


NHKの悪質さに安倍晋三が言及したことがありますか?


 


安倍ちゃんが正義の使者なら、とっくに手をつけてると思い
ませんか?


 


強制捜査をするなら、子宮頸がんワクチンで多くの被害者を
出した厚労省、多くのブラック企業を野放しにする労働基準
監督署から入るべきです。


 



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HN:
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職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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