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隠居爺氏の「理系は馬鹿」論

「隠居爺の世迷言」記事の一部で、「理系は馬鹿だ」という説が面白いので転載する。
要するに、「合理主義」というのは、自分の説に合わない部分を切り捨てるので、「明快」になり、そのために「賢そう」に見えるために世間の多くの人が騙されるわけだ。これは新興宗教の手法でもあり、例のオウム真理教に理系秀才が多かった理由もそれだろう。
現実の世界では「割り切れる」物事のほうがむしろ少ないわけで、それを無理に割り切ると悲惨なことになる。たとえば、「障害者や老人は社会に不要」「弱者=努力しない連中」という決めつけである。社会の上位や中位にいる人間ほど、そういう思考になりがちである。

先ほど寝床で読んだ田中芳樹の小説(薬師寺涼子シリーズのひとつ)の中に、とある経営者が「自分のいちばん嫌いな言葉は『寄付』という言葉だ」と言ったという話が出て来たが、これが実話なら(実話だから書いたと思うが)、誰の発言か知りたいものである。
なお、私は今の日本共産党の硬直した姿勢に批判的だが、常に弱者や貧困者を最優先に考える姿勢を持つ議員が多いところは高く評価している。それはれいわ新選組も同様だ。

(以下引用)書かれた内容すべてに賛同しているわけではない。理系は「頭の使い方が間違っている」だけで、「おつむが弱い」わけではない。だからIQテストなどでは優秀な成績を取ると思う。


最近天気予報がデタラメですね。多分、台風の進路予測に失敗したせいなのでしょう。進路というか、速度の予測ができませんでしたね。そりゃ、予報はガタガタになってしまいます。北海道に住んでいるとその理由がよく分かります。というか、素人なりに想像がつきます。

 というのも、今年の北海道はここ数年間と比較して涼しいからです。特に小樽に住んでいて珍しいと思うのが霧が多いことです。まるで釧路に住んでいるような日が何日かありました。おそらく、海水温は高いのでしょうが、大陸から吹き込んでくる空気が冷たいのだと思います。つまり、今年は太平洋高気圧の勢力が弱く、相対的に大陸の高気圧が強いのだと思います。

 となれば、そうです、台風が大陸の高気圧に邪魔されて北上できないのです。そのせいで本州南部でウロウロすることになります。とまあ、新型ワクチンで専門家、あるいは学者というものがいかにペテン師ぞろいであるかが分かったものですから、どうせ気象庁だってその類だろうと考えて、それなら私にも発言権はあると思って書いてみました。

 そうそう、つい先だっても、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」などという馬鹿馬鹿しい虚偽情報を全国民に向けて発したばかりでもありますしね。最近の世の中の風潮として、理系の人が大嘘をつくことが目立ってきました。もともと理系はおつむの弱い人が多いのです。なぜかといえば、割り切れる事象を扱っているからです。

 文系は、世の中割り切れるものではないということを知っていますから、あまり真っ赤な嘘をつくことはないのですが、理系の人は割り切るということを知っているものですから、嘘をつく場合にどうしてもスッパリと嘘をつきますね。しかも、ワクチンでは人を殺す嘘までつきましたから、とても許されるものではありません。

 加えて、世の中の多くの人は理系が苦手なものですから、理系の人がもっともらしい顔で嘘をつくと信用してしまいがちです。例えば経済学者がこれから景気が悪くなり、株価が下がると言っても誰も信用しませんが、8割おじさんが42万人死ぬというと大騒ぎになるわけです。

 おそらく、気象庁の中にも、きちんとしたことが分かっている専門家もいると思いますよ。しかし、そういう人は発言を封じられるのでしょう。どんなデタラメであっても大袈裟に煽る人の意見を採用して、国民を混乱させようとするのが今の日本政府です。儲かりますからね。

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貧困がまだのどかさと希望を持っていた時代

竹本泉のキャラ原案で、「あんみつ姫」をアニメ化するという話があるようなので、少し興味を持って調べてみた。竹本泉の漫画は少ししか読んだことないが、あの絵は好きなのである。作品の中の、どこか現実から浮遊した感じは吾妻ひでおに少し似ている気もする。
なお、「あんみつ姫」は、少女漫画雑誌掲載だったので、一度も原作漫画は読んでいないが、「あんみつ姫」というネーミングは素晴らしいな、と思っている。
ちなみに、上流階級のお嬢さんやお姫様が家やお城を抜け出して庶民生活を体験して社会を知るという話は、ラブコメの典型のひとつで、「ローマの休日」や「或る夜の出来事」などもそれである。まだ、上級国民への反感が少なかった時代の話だが。
つまり、「資本主義の極致」が、社会の階層化とその乗り越えの絶望性を思い知らせ、社会の上と下の相互が憎み、軽蔑することになったのだろう。まあ、少なくとも子供のころは、こういう「御伽噺」で人間性を豊かにするのはいいことだ。

(以下引用)キャラ設定とそれぞれのネーミングが素晴らしい。腰元五人組の「あんこ、かのこ、きなこ、しるこ、だんご」など最高である。人名ではないが、記事中の「おちゃっぴい」は、もはや死語だろうと思う。「おてんば」はかろうじて現役か。このふたつの言葉の意味や定義は辞書にも載っていないと思うし、私も明確には知らないが、私の印象では「マケイン」の杏奈がおちゃっぴいで、檸檬がおてんばか。どちらもある方向への生命力の横溢である。で、たまに暴走して周囲に迷惑をかけたりするwww

あんみつ姫

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あんみつ姫』(あんみつひめ)は、倉金章介による日本漫画作品。また、それをもとにした映画テレビドラマテレビアニメ作品、および同作品に登場する主人公の名前である。


漫画作品としては、1949年から1955年にかけて光文社少女』に連載された原作と、テレビアニメ化のタイアップとして1986年から1987年講談社なかよし』に掲載された竹本泉版がある。

概要

やんちゃでお転婆おちゃっぴい な「あんみつ姫」が、城の内外で騒動を巻き起こす時代劇コメディ。菓子類に因んだキャラクターの名前や、江戸時代を舞台にしていながら現代のものが混在し、発表当時の出来事や流行が作中に数多く登場するという特徴がある。


原作漫画が一旦連載終了した[注 1]1954年に、東宝系の東京映画雪村いづみ主演の映画が2本作られ、以降何度も映像化されている。1958年にはKRT(ラジオ東京テレビ、現在のTBSテレビ)にて、中原美紗緒主演で連続ドラマ化。1960年のドラマ放送終了後には、松竹で再び映画化され、鰐淵晴子が主演した[1][2]


原作者の没後に作られた映像化作品は、全てフジテレビ系列で放送されている。1983年には小泉今日子主演で『月曜ドラマランド』にて再度ドラマ化された[注 2]1986年にはスタジオぴえろ製作のテレビアニメ作品として放送。小山茉美があんみつ姫の声を演じたほか、当時の人気アイドルグループであるおニャン子クラブが主題歌を務めた。このアニメ版をもとにしてセガ・マークIII用ソフトとしてテレビゲーム化もされている。また、1986年から1987年まで、関西電力CMのキャラクターに起用された。


その後も、1995年に第32回『新春かくし芸大会』で内田有紀が演じ、2008年には井上真央主演でドラマ化された。

登場人物

原作に登場するキャラクター

あんみつ姫
本作の主人公。きれいな着物を着たあまから城のお姫さま。長いまつげが特徴。器量よしで優しく朗らかな性格だが、おちゃっぴいなうえに大変なおてんば。好奇心旺盛で、城を抜け出すなど、無邪気で自由奔放な行動で腰元や周囲の者たちを困らせているが、皆から愛されている。勉強、料理、裁縫は苦手。
カステラ夫人
アメリカから来たあんみつ姫の家庭教師で、「カステラ先生」と呼ばれている。天狗のように長い鼻を持つ。多才な人物で、英語やアメリカ文化の他にも、遊びや様々なことを姫に教え、経験させた。城へ来て間もない頃は、風俗習慣の違いからたびたび珍事を引き起こしたが、次第にあまから城に馴染み、日本語も上達していった。運動神経がよく、人並み外れた腕力を持つ。連載当時に皇太子の英語教師であった「ヴァイニング夫人」をヒントにしたキャラクター[3]
まんじゅう
茶坊主。姓は甘井。元気でとんちのある利口な少年。弟のしお豆と共にあんみつ姫の遊び相手になることが多い。母を病気で亡くしており、あまから城へ来る前は、父親のラーメン屋台を手伝いながら、赤ん坊だった弟を背負って学校に通っていた。誘拐された姫を救った功によって茶坊主となり、以降もたびたび姫の危機を救っている。城下町の甘辛町に一人で暮らしている父親に、仕送りをしている[4]
しお豆
まんじゅうの弟。見習い茶坊主をしている。まだ幼く、わがままを言ったり、無茶をして周りを振り回すこともあるが、稀に兄に負けない活躍を見せる。まんじゅう、しお豆は、倉金章介の息子がモデルになっている[3]
あわのだんごの守
あんみつ姫の父で、あまから城の城主。姫からは「パパ」と呼ばれている。呑気な性格の反面、恥ずかしがり屋であがり性。口髭が薄いことを気にしている。一人娘の姫に甘い。大変な発明狂という一面も持っている[5][6]
しぶ茶の方
あんみつ姫の母。姫からは「ママ」と呼ばれている。生真面目な性格で、姫曰く「賢夫人」。姫や殿の行儀作法に厳しいが、おだてに乗りやすい。
甘ぐりの助
小姓の少年。まじめでやや要領が悪いところがある。剣術ができるが活躍の場は多くない。
せんべい
。しょっぱい顔をしているが、気は優しくて力持ちな城の門番。
腰元たち
皆同じような容姿に描かれており、読者からは見分けがつかない。城を抜け出したあんみつ姫の身代わりをさせられた「きなこ」の他に、「あんこ、しるこ、かのこ、だんご」がおり、腰元五人組を名乗っている。この他にも、腰元募集で採用された「もなか」、「ざらめ」など、数多くの腰元が存在する[7]
おはぎの局
腰元たちを束ねるお局独身

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いざ鎌倉?

前回記事のついでに「逃げ若」こと北条時行についてのコラムも載せておく。学者の書いた記事と違って、かなり面白い。学者の発言や文章は、大半がポジショントーク(地位防御目的の発言)だからまったく面白くないのである。

(以下引用)

北条時行はなぜ【逃げ上手の若君】なのか?【鎌倉殿の13人】北条義時との関係は?(家系図/相関図)

陽菜ひよ子歴史コラムニスト・イラストレーター









2024年7月より、アニメ『逃げ上手の若君』(原作:松井優征)がTOKYO MXなどで放送開始しました。



原作は2021年1月『週刊少年ジャンプ』8号より連載開始、2022年、「全国書店員が選んだおすすめコミック」にて第8位、2023年、第69回小学館漫画賞を受賞した話題作です。



『逃げ上手の若君』(以下・逃げ若)とは、南北朝時代に活躍した武将・北条時行のこと。コミックは作者の大ヒット作『暗殺教室』を彷彿とさせるシュールでポップな世界観で、時行もある意味ちょっと「ヤバ目」に描かれています。



物語冒頭の時行はまだ8歳と幼少。武芸の稽古から逃げ続け、戦力はあまり期待できません。その代わり、防御力がとてつもないのです。自分を殺害しようとする相手の刀を笑顔でひょいひょいとかわす若君



そんな武士の御曹司らしくない「逃げ若」北条時行。まずは、史実に伝わる彼がどのような人物か?について書いてみたいと思います。



同時に、2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で一躍有名になった鎌倉幕府第2代執権・北条義時(演:小栗旬)との関係についても紹介します。



ここから先はネタバレになるので、注意してお読みください。


◆北条氏得宗家最後の当主

◎執権北条氏の嫡流「得宗家」の直系

逃げ上手の若君・北条時行は、鎌倉幕府第14代執権にして、北条氏得宗家9代当主・北条高時の次男です。



得宗家とは、北条氏惣領の家系のこと。


2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場した北条時政(演:坂東彌十郎)初代執権。そして2代義時、その嫡流の3代泰時(演:坂口健太郎)に続きます。義時から数えて、時行は8代目の直系子孫です。



北条氏は大きく5つの家系に分かれ、そのうち4つは義時の子を祖としています。残り1つは義時の弟・時房(演:瀬戸康史)の家系です。



執権北条家の家系図はざっとこんな感じ。



◎足利高氏により北条家滅亡・時行逃げ延びる

鎌倉幕府は1333年、のちに室町幕府を開く足利高氏(尊氏)によって滅ぼされました



同年にはじまった「元弘の乱」で、鎌倉幕府軍は後醍醐天皇や足利高氏を相手に戦い敗北。北条一族のほとんど(800人以上とする説も)が自刃したのです。(上の図の赤字の人物は元弘の乱で死亡)



父・高時が乱で死亡し、遺児となった時行は、北条得宗家の御内人(=従者)・諏訪頼重の庇護を受けて逃げ延びました。(諏訪頼重は『逃げ若』にも重要人物として登場。諏訪大社の神官のため、神通力があり未来が見えるという設定)



◆時行はなぜ「逃げ上手」なのか?

◎時行、高氏への復讐を胸に誓い、3度挙兵し鎌倉奪還に成功

その後、各地に残った北条一門や家臣らが次々と打倒足利を目指して蜂起。時行以外にも挙兵したと伝わる人はいますが、鎌倉を奪還することなく処刑されています。



時行のすごいところは、鎌倉を奪還していること。しかも、1335年「中先代の乱」、1337年「南北朝の内乱」、1352年「武蔵野合戦」と3度も奪還しているのです。



奪還しては足利氏に取り戻されることを繰り返しますが、その都度、時行はうまく逃げ延びました。これが「逃げ上手」の本来の意味だと思われます。



2度目と3度目の間は15年もの期間、じっと身を潜めて機会を待ち続けたのです。



時行は幼子から20代の立派な青年に成長していたでしょう。それでも彼の中の一族の敵を討つという強い執念は消えなかったのですね。



残念ながら「3度目の正直」はありませんでした。3度目は奪還後に制圧されて時行は捕らえられ、1353年鎌倉で処刑されてしまいます。鎌倉幕府の滅亡からちょうど20年後のことでした。


◎歴史を変えた「中先代」

時行は一時期(20日間ほど)ですが鎌倉の支配者となりました。そのため、父高時と足利高氏の間という意味で「中先代」と呼ばれます。



時行は敗者であるがゆえ、歴史に大きく名前を遺してはいません。しかし、時行は短い期間でも支配者と認められました。彼の起こした乱は、歴史を変えているのです。



鎌倉幕府は後醍醐天皇と足利氏によって滅亡しました。しかし時行の起こした「中先代の乱」のあとには、後醍醐天皇と足利高氏が対立して「建武の乱」が勃発。



乱には高氏が勝利して室町幕府が成立しました。後醍醐天皇を退けた高氏は、光明天皇を擁立(北朝)。対抗した後醍醐天皇は吉野に南朝を開き、南北朝時代がはじまります。



「中先代の乱」はその後の南北朝時代のきっかけを作ったといえるのです。




◎歴史のロマン「時行・伊勢生存説」

非業の死を遂げたと伝わる歴史上の人物には、日本各地に生存説があることが多いものですが、ご多分にもれず時行にも伝説が残ります。



時行は鎌倉で処刑されてはおらず、伊勢の地に逃げ延びたという説です。かの地で伊勢氏を名乗った時行の子孫が、のちの後北条氏の租・北条早雲、というもの。



後北条氏※とは、戦国時代に関東地方に勢力を伸ばし、1590年小田原征伐で豊臣秀吉に滅ぼされた一族。2023年大河ドラマ『どうする家康』北条氏政(演:駿河太郎)と氏直(演:西山潤)親子が登場したのは記憶に新しいところ。



(※本来の氏は北条ですが、鎌倉幕府の執権北条氏と区別するために後北条氏と呼ぶのが通例となっています)



後北条氏は、執権北条氏とは血縁上無関係というのが定説です。



そんなわけで、時行→早雲説、かなり眉唾なのですが、早雲の素性には不明な点が多いため、はっきりと否定もできないようです。



信憑性は低いとはいえ、実は執権北条氏と後北条氏は繋がっていた!と考えるとワクワクするのは筆者だけではないでしょう。できれば、『逃げ若』の時行もずっと逃げ続けて、最後は伊勢にたどり着いてほしいものです。



(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)


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足利尊氏と直義

市民図書館から「太平記」を借りて、その前書き部分だけ読んだが、そこに載っていた足利尊氏の清水寺への祈願文を(その筆致、筆跡も含めて)見て、足利尊氏という人物は、野心も欲心もほとんど無い、弟思いの繊細な人物であると感じたのだが、鎌倉末期南北朝初期の争乱の有為転変の中で勝ち残ったこと、そして太平記などの「楠木正成美化」がそのライバルの彼を邪悪な人間であるかのように印象づけているようだ。彼は、筆跡の印象だと良寛に似ている感じで、武家の棟梁という立場が、我欲の無い彼をあのような闘争と有為転変に巻き込んだのだろう。
尊氏と弟の直義との関係がよく分かるウィキペディアの直義についての記述を転載する。

(以下引用)赤字は夢人による強調。尊氏の人物像をはっきり示している。下線も夢人によるもので、北条時行が、確かアニメ「逃げ上手の若君」の主人公だったはずである。


足利 直義(あしかが ただよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての武将公卿・政治家・歌人。鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏の三男[2]。兄に足利高義足利尊氏がいる。室町幕府初代将軍足利尊氏の同母弟。養子に直冬


元弘の乱で兄の尊氏に従って北条氏から離反し、後醍醐天皇や兄と共に鎌倉幕府を滅ぼした。建武の新政では兄と同様、後醍醐から多大な恩賞を受け、後醍醐皇子の成良親王を奉戴して鎌倉将軍府の事実上の長を務めた。中先代の乱では北条時行に敗退し、鎌倉撤退の混乱の中、後醍醐皇子で前征夷大将軍護良親王を殺害した。建武の乱湊川の戦いでは足利方陸軍の主将を務め、陸軍副将の高師泰と共に建武政権軍の名将楠木正成を討ち取る武功をあげた。


室町幕府草創期においては、「三条殿」と称されて実質的な幕政の最高指導者となり、公卿の地位に登った。卓越した政治的手腕によって幕政の礎を築き、北朝光厳上皇との関係強化にも努め、厚い信頼を得た。是円らによる幕府基本法『建武式目』も直義の意向が大きく反映されているとされる。政策は保守的で、鎌倉幕府の古法を多く模倣した。その後、革新派の執事高師直との間で、政策や養子の直冬の処遇を巡る対立関係が発生、観応の擾乱という武力闘争に発展し、最終的に薩埵峠の戦いで実兄の尊氏に敗れた。鎌倉に蟄居の後、政敵の師直が暗殺された丁度一年後という日付に急死を遂げた。


冷静沈着・実直な人間であったとされ[注釈 6]、室町幕府の成立は名政治家である直義の手腕に大きな部分を負っている。禅宗を篤く敬って庇護し、 臨済宗高僧の夢窓疎石(夢窓国師)との対話は『夢中問答集』として出版された。また後醍醐帝鎮魂のため、尊氏・夢窓・光厳と共に天龍寺を創建した。兄に次ぐ優れた武家歌人でもあり、『風雅和歌集』以下の勅撰和歌集に26首が入集した。

生涯

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誕生

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次兄の高氏(尊氏)と同じく父・足利貞氏の側室である上杉清子が産んだ子で、母は北条氏ではない。


生年は古くは『公卿補任貞和5年(1349年)条等から徳治元年(1306年)とするのが通説だった[4]。しかし、『三宝院賢俊僧正日記』の暦応5年(1342年)2月条に「三条殿 卅六 丑未」とあり、これにしたがえば逆算して徳治2年(1307年)となり、通説とは1年異なる[5]。賢俊という尊氏・直義兄弟に近い人物による証言であり、さらに「門葉記130」[6]という傍証もある[5]。2010年代時点で新説の徳治2年(1307年)説を採用する研究者には、森茂暁[5]清水克行[7]亀田俊和[4]等がおり、森・亀田は新説が有力であると述べている[4][5]

倒幕から幕府創設まで

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足利氏の慣例に従い、二人の兄同様に初めは、得宗鎌倉幕府執権)・北条高時より賜った偏と祖先にあたる源義国の一字により高国(たかくに)と名乗るが、桓武平氏を称した北条氏(本来であれば家格が劣る)が実権を握る幕府に叛旗を翻した後は、河内源氏の通字である「義」を用いた忠義(ただよし)、直義(ただよし)に改名する。正慶2年(1333年)、後醍醐天皇が配流先の隠岐島を脱出して鎌倉幕府打倒の兵を挙げると、兄の高氏とともにこれに味方し六波羅探題攻めに参加する。


建武の新政では左馬頭に任じられ、鎌倉将軍府将軍成良親王を奉じて鎌倉にて執権となり、後の鎌倉府の基礎を築く。建武2年(1335年)、中先代の乱が起こり、高時の遺児時行信濃国に挙兵し関東へ向かうと、武蔵国町田村井出の沢(現東京都町田市本町田)の合戦にて反乱軍を迎撃するが敗れる。反乱軍が鎌倉へ迫ると、幽閉されていた護良親王を配下の淵辺義博に命じて混乱の中で殺害させ、足利氏の拠点となっていた三河国矢作(愛知県岡崎市)へと逃れた[8][9][10]。もっとも、成良親王は無事に京都に送り返されており、護良親王殺害も建武政権の立場に立った行動であった[11]


同年、後醍醐天皇に無断で来援した尊氏と合流すると東海道を東へ攻勢に転じ、反乱軍から鎌倉を奪還する。奪還後も鎌倉に留まった尊氏は付き従った将士に独自に論功行賞などを行うが、これは直義の強い意向が反映したとされている。しかし、建武政権から尊氏追討令が出、新田義貞を大将軍とする追討軍が派遣されるや、尊氏は赦免を求めて隠棲する。直義らは駿河国手越河原(静岡県静岡市駿河区)で義貞を迎撃するが敗北する(手越河原の戦い)。これに危機感を持った尊氏が出馬すると、これに合して箱根・竹ノ下の戦いで追討軍を破って京都へ進撃する。足利軍は入京したものの、建武3年(延元元年/1336年)に陸奥国から上洛した北畠顕家楠木正成、新田義貞との京都市街戦に敗れる。再入京を目指すも、またしても摂津国豊島河原での戦いに敗れて九州へと西走する(豊島河原の戦い)。道中の備後国鞆の浦にて光厳上皇院宣を得て、多々良浜の戦いで建武政権側の菊池武敏に苦戦を強いられながらもこれを撃破するなど、西国の武士の支持を集めて態勢を立て直して東上を開始。海路の尊氏軍と陸路の直義軍に分かれて進み、湊川の戦い兵庫県神戸市)で新田・楠木軍を破って再び入京する。

二頭政治から観応の擾乱へ

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(前略)

しかし、貞和4年(1348年)頃から足利家の執事を務める高師直と対立するようになり、幕府を直義派と反直義派に二分する観応の擾乱に発展し、さらに吉野へ逃れていた南朝も混乱に乗じて勢力を強める。

(中略)


観応の擾乱は直義の死により終わりを告げた[19]。ただし、直義派の武士による抵抗は、その後直冬を盟主として1364年頃まで続くことになった。


なお、尊氏はその死の直前の延文3年(1358年)に、直義を従二位に叙するよう後光厳天皇に願い出ている。その後、年月日は不詳であるが更に正二位を追贈された[20]康安2年(1362年)7月22日には「大倉宮」の神号が贈られ、「大倉二位明神」として直義の邸宅であった三条坊門殿の跡地に三条坊門八幡宮(現・御所八幡宮社)を創建して祀った他、直義が失脚後に滞在していた綾小路邸にも祀った。さらに天龍寺の付近に直義を祀る仁祠(寺)が建てられている[21]

人物

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性格

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尊氏が激しい感情の起伏がある人物とされるのに対し、直義は冷静沈着であったとされる。また『太平記』などでは汚いやり口を嫌う兄の尊氏に代わって自ら手を汚す役割を務めたとされており、同書では親王の殺害や天皇との折衝における背反行為などは尊氏ではなく、直義が果たしたものとされている。


尊氏が山のように贈られてきた品物を部下たちにすべて分け与えたほど無欲だったという逸話は有名であるが、直義はそもそもそういう贈り物を受け取ること自体を嫌った、と言われている[22]


直義は足利一門の渋川貞頼の娘を正室とした他に側室を迎えなかった。二人の間には長く子が生まれず、尊氏の庶子直冬を養子にしたが、夫婦ともに40歳を過ぎてから思いがけず男子(如意丸(如意王))が誕生した。このことが直義に野心を芽生えさせたと『太平記』は描いている。

政治家として

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(省略)

尊氏との関係

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観応の擾乱で天下を巻き込んで争った尊氏と直義だが、2歳違いの同母兄弟ということもあって元来仲はすこぶる良かった。幕府滅亡後の鎌倉を預かっていた直義が中先代の乱で敗走したときには、尊氏は後醍醐天皇勅許を得ぬまま軍勢を催して東国に下り、直義を救援した。


直義は、乱の平定後帰京しようとする尊氏を説き鎌倉に留まらせた。これを警戒する反尊氏派の運動によって追討令が出ると、尊氏は後醍醐の恩を思い出家して恭順の意を示そうとするが、直義らは尊氏の罪を一切許さないとする偽の綸旨まで示して翻意させようとした。さらに軍勢を率いて西上した直義らが敗北すると、これを救うべく尊氏もついに官軍に立ち向かうことになった。このように建武政権に対抗し、積極的に武家政権の再興を推し進めたのは直義以下の武士たちで、弟想いの尊氏は板挟みの末に後醍醐に反旗を翻す決断に至ったといえる


京都を手中に収めた足利方の推す光明天皇が践祚してわずか2日後、尊氏が石清水八幡宮に奉納した願文には「尊氏に道心給ばせ給候て、後生助けさせおはしまし候べく候。猶々、とく遁世したく候。道心給ばせ給候べく候。今生の果報に代へて、後生助けさせ候べく候」とある。持明院統の天皇・上皇を擁して逆賊の名を一応逃れたとはいえ、後醍醐を逐ったことは尊氏を沈鬱にし、出家遁世の志を起こさせた。これに続けて「今生の果報をば、直義に給ばせ給ひて、直義安穏に守らせ給候べく候」と、弟想いの心情が現れるとともに、新たな政治の現実は直義が担っていくものという意識も滲ませている。




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「電気的宇宙論」における「直線伝達」と「蛇行伝達」

「ものセラ」から転載。色字や下線は夢人による強調で、同意する部分。当然、私はアインシュタイン的現代物理学(特に宇宙物理学)は瞞着だと思っている。
まあ、下記記事のように「ニュートリノ」という言葉を使うことに疑問はあるが、この宇宙全体が「エーテル」的な物質に満たされて(この言葉も誤解されそうなので、「長距離で連動する粒子でつながっている」でもいい。)いて、端から端までほぼ一瞬で情報伝達をするという可能性は高いと私は思っている。光速を超える速さは無い、というのはナンセンスの極みだろう。重力を含め、無時間で対象に到達する「力」は存在すると思う。それが電波のように「波」の形態を取った時に時間がかかるわけだ。それは「波とは蛇行である」ことから当然の話だろう。
「縦方向の力」と「横方向の力」という視点は(「縦方向」「横方向」は大雑把な言い方ではあるが)重要だと思う。「縦」「横」とは、正確には、起点と終点が「一直線」か「蛇行」かである。


(以下引用)

光の速度、エーテルの排除と再導入

ウォル:光の速度は、それが通過する媒質(媒体)の反応によって決定されます。さて、媒質というと、もちろん光の速度は、真空中を進む光子や横波の速度を表すと思われます。しかし、真空中で電界を維持することはできません。物質が存在しなければならないのです。それは帯電した物質という意味ではなく、歪んで小さな電気双極子を形成することができるものという意味です。ということは、真空というものは存在しないということです。
何もない空間は実はチームになっていて、ニュートリノとチームになっています。ニュートリノは標準的な粒子です。つまり、他のすべての素粒子と同じ構造をしていて、歪んで小さな電気双極子を形成することができます。ですから、光で見ているのは、ニュートリノという媒体を伝わってくる撹乱、横方向の撹乱です。


光の速度は、ガラスや水などを通過するときに変化することが分かっているため、光の速度は一定ではありません。通過する媒体によって変化するものです。
これによって、エーテルの考え方が再導入されました。マクスウェルの電磁気学の方程式にはエーテルが必要です。
アインシュタインはエーテルを排除し、具体的にどのように電磁波が動き続けるのかを説明しませんでした。そこでアインシュタインは、質量がない粒子であるはずの陽子を発明しましたが、質量がない粒子など宇宙には存在しません。そして、それに関して暴露されたことを忘れている。まったくもってナンセンスです。
すべての粒子には質量がなければなりません。なぜなら、粒子にはエネルギーが含まれており、そのエネルギーは粒子の中の粒子の運動に束縛されているからです。今度の場合も、繰り返されるパターンのようなものです。
これがエレクトリック・ユニバースの特徴であり、このような宇宙のフラクタル性なのです。掘り下げれば掘り下げるほど、より詳細なものが見えてきて、それが繰り返されるパターンです。

重力は縦方向に引っ張られることで作動し、電磁気や光はロープを振ることで作動する

それで、光の話をしましたが、この媒体を伝わるには時間がかかるわけです。一方、重力は素粒子の分極化です。ですから、真空中ではすべてのニュートリノが、端から端まで、このような歪み、縦方向の歪みを持ちます。それはまるで鎖のようです。
鎖を引っ張ると、反対側に立っている人は鎖が引っ張られた瞬間を感じることができますが、誰かが長い鎖やロープの端を振ると、その波が自分に届くまでに時間がかかるという違いがあることはご存じでしょう。これが、その違いです
重力は縦方向に引っ張られることで作動し、電磁気や光はロープを振ることで作動し、反対側の端まで届くのに時間がかかります。これが違いです。また、池に石を落とすようなものです。石を落とした場所から少し離れた水中にマイクがあると、マイクには石が落ちた音がすぐに聞こえますが、石の波紋は何秒か、何分かかかってあなたに届くので、その差は歴然です。

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自然との共存と「自然との戦い」

田舎への移住を人に勧めている「東海アマ」氏が体験している「僻地暮らし」の現実が、このようなものだと正直に書いているのが面白い。で、そういう生活を他人にも勧め、「防人」になれと勧めるのですか。
私は仕事から引退した人間に「園田の居」に帰ることを勧めるが、それは「自然が楽しめる」という「豊かさ」のためであり、下の記述のような「自然との戦い」を勧めているわけではない。日本の小都市、田舎には、無数に「文明と自然の共存した」土地があるのである。何も、辺境や僻地で苦労することはない。
ちなみに、私が「田園」でなく頑なに「園田」と書くのは、陶淵明の「園田の居に帰る」が念頭にあるからである。

陶淵明 帰園田居 其の一
 少無適俗韻
 性本愛丘山
 誤落塵網中
 一去十三年
 羈鳥戀舊林
 池魚思故淵
 開荒南野際
 守拙帰園田

 少きより俗に適う韻無く
 性 本と丘山を愛す
 誤って塵網の中に落ち
 一たび去って十三年
 羈鳥は舊林を恋い
 池魚は故淵を思う
 荒を南野の際に開かんとし
 拙を守って園田に帰る


(以下引用)   


 池や浄化槽に、天文学的な数のユスリカが湧く理由は、「自然の摂理」であって、水中の汚物、有機物をユスリカの体を使って、周辺の土壌に変えることだといわれる。
 つまり、池や浄化槽の汚染である。我家の池には小動物が争って、死骸が沈んでいた。
 これが分解されてユスリカが湧いたと思う。
 浄化槽にはネズミが飛び込んで死んでいた。なぜか浮かずに沈んでしまうので、浄化槽に死骸有機物が貯まり、それがユスリカの大発生を呼んだ。

 大発生を放置すると、上に書いたように、間質性アレルギー肺炎になって致死的に進行する可能性があるので、ユスリカの発生を抑止する必要がある。
 これにはデミリンという薬剤が有効である。錠剤と水和剤があり、どちらも同じだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%AD%E3%83%B3#:~:text=%E5%95%86%E5%93%81%E5%90%8D%E3%80%8C%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%90%8D,%E3%82%82%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82

 とりあえず10年近く使ってみて、浄化槽の性能を著しく劣化されることはないようだ。
 最近では改良型の新製品が出ている。
 https://item.rakuten.co.jp/hoeiyakuhin/m556/
 私の場合は、ユスリカの大発生が確認できたなら、毎週2錠ずつ浄化槽に投入している。これを暖かい期間続け、11月頃になったらやめる。

 田舎暮らしは、浄化槽を利用することが多いので、ユスリカ大発生のリスクはかなり大きい。大発生を数ヶ月も気づかないままで、間質性肺炎を発症してしまうと、もう取り返しがつかない。

 なお、田舎暮らしは、ネズミなど小動物の共存を強要されることになる。ネズミを完全防御するのは不可能だろう。一番効果があるのは毒餌だが、死骸がまた新しい災難を産み出す。

 床下などでネズミが死ぬと、微生物や虫が大量に寄ってきて食べてしまう。
 とりわけゴキブリが多い。そのゴキブリがムカデの大好物なので、死骸のあるところムカデが大量発生することになる。
 硫黄島など、日本軍兵士が数万人も殺され、米軍は遺体を回収せずに、そのままブルドーザで埋めてしまったので、これを食べに来るゴキブリを狙ってムカデが大発生した。
 硫黄島はムカデ天国になってしまったと、現地駐在兵士が述べている。

 我が家でも、ムカデがトラウマになるほど大発生した。原因は、床下で小動物が死んだことらしい。だから部屋にムカデが侵入してくるのだ。これは恐怖だ。
 田舎暮らしでは、ユスリカとともに、ムカデの恐怖と戦わなければならない。

 もう十数年も苦しんでいるのだが、杉や檜の家が新しいうちはムカデは侵入しない。ヒノキオールなど木の香りが嫌だからだ。10年もして、木の香りが消えると、ムカデが入ってくる。
 これを防止するには、農薬を利用することを拒絶する人は、木酢液を散布する人が多い。数倍に薄めて噴霧するが、数日程度で揮発してしまうので、毎週散布しなければならない。それにタールのような臭いが結構凄い。

 ムカデ駆除薬は、ネオニコチノイドが使われている可能性を覚悟しなければならないが、粉のまま家の周りに散布する。このときムカデの巣になっているのが落ち葉の固まりだが、ここを重点的に大量散布しておく。

 室内に入りそうな1ミリ以下の隙間には、私の場合は、虫除け剤やハッカ油薄め液などを散布している。これも二日くらいしか効果がない。アーススプレーは1日程度だ。
 また粘着剤捕獲は、ゴキブリ用はなぜか逃げ出してしまう。100円ショップのものは使い物にならない。高価なネズミ用は捕まることがある。私は粘着剤を5枚ほど床下に置いている。

 もしも寝ているとき、布団に入ってきて噛まれたなら、激痛が数時間も続き、大きく腫れあがる。これは、46度の湯で20分以上、毒を洗い流し、後はムヒアルファのようなステロイド剤を塗っておくが、リバウンドがあるので、ひどくかゆくなる。
 これをやると、正真正銘のトラウマになって、ベトナム戦争で米兵がベトコンにもの凄い銃弾を浴びせるように、ムカデに対して異常な恐怖心が成立してしまう。

 今でも、私は寝るとき、ムカデの有無を最初に考えてしまう。
 手元に、虫除けスプレーと、ハッカ油スプレーが手放せない。
 私のようなだらしない人間が書く資格はないのだが、ユスリカもムカデも、何より室内の清掃が、被害を防ぐ最大の方策だと思う。
 強力な真空掃除機で、ていねいにユスリカの死骸粉末を除去することが大切で、これで私のような激しいアレルギーの咳を回避できるかもしれない。

 田舎暮らしには、浄化槽のユスリカとムカデは、ほぼ避けることのできない試練だと覚悟する必要があると思う。
 とりわけ、アレルギー体質の人は、何事にも過敏なので、十分すぎる準備が必要だ。

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文脈から推定できない難語・難読語を使う愚劣さ

私は、問題となっている事件(出来事)についてまったく知識が無いが、ここでは単なる「言葉の問題」に興味があるので、それを書く。

まず、「アファーマティブ・アクション」という長いカタカナ語だが、affirmativeという言葉自体は「肯定の、賛成の」の意味で、それが米国で「affirmative action」という連語が「(積極的)平等施策」「差別解消積極措置」つまり、たとえば大学入学などに一定の人種枠を最初から設置するという、「全体的には(受験者全体に対しては)不平等行為だが、それによって人種間の数の平等に近づける」という施策になったようだ。で、最近は日本の大学でそれを真似ているところがあるのだろう。あるいは、それを推進すべきだという層(主にフェミニストか)があるのだと思われる。要するに、「アファーマティブアクション」という言葉だけでは、それがどういうものか想像できない類の名称だというのが、私の言いたいことだ。その結果、この運動について、世間の関心はゼロに等しいと私は推測する。
もうひとつは「悍ましい」という言葉の問題で、私の持っている国語辞書には、「おぞましい」に「悍ましい」という表記が無い。つまり、これはひらがな書きするのが当然の言葉だということだ。ところが、なぜかワープロ(パソコン)の語句変換機能で、「おぞましい」と打つと「悍ましい」と変換されるので、最近はこの漢字を使って書く例が多い。ついでに言えば、この漢字は「悍馬」や「剽悍」のように、「たけだけしい」意味の漢字であり、それを「おぞましい」と読ませるのは、誰が始めたのか、また、過去に有名著述家が「おぞましい」を「悍ましい」と書いた例があるのかどうか、私は知らない。おそらく、IME漢字変換機能を作った集団の誰かが、「惧」か「惶」(どちらも「おそれる」意がある)を「悍」と間違えたのではないか。

(以下引用)

若手男性研究者が、お茶の水女子大学ハラスメント告発の件に思う事

アファーマティブ・アクションという名の『トロッコ』の下敷きになっている一人であると同時に、


告発の発端となったDMの送り主と同じく、ちゅうしたいしえっちしたい(泣)騒動を当時間近で見聞きしていた一人として、


よくもまあそんなえらそうなことが言えたものだと、かねてより神山翼氏の厚顔無恥ポジショントークを大変苦々しく思っていたのですが、


あろうことか氏が女子学生不適切な関係にある上にハラスメントの加害当事者である蓋然性が高いだけでなく、


それが事実であった場合本来その被害者たちの最も心強い味方であるべき(特に同性の)研究者たちが


臆面もなく公然セカンドレイプを加えているというあるまじき惨状を目の当たりにし、あまりの悍ましさに筆を執らずにはいられませんでした。


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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