人間はどんな状況に置かれるかで性格も行動も変わるのであり、「戦闘員」として動員されたすずさんがレヴィ化してもおかしくはない。勝つことに疑問を持つ人間を戦闘チームに入れたい人間などいないだろうwww すずさんだって、べつに「戦争反対」の気持ちを表明したことは一度も無いのだし(むしろ、天皇の戦争終結宣言への怒りを見せるのだ。つまり、自分たちがこれまで耐えてきたことの意味がすべて否定されたという怒りだ。)、それが当時の人間のリアルな姿なのである。
片渕監督の優しさは、「ブラックラグーン」第二期第4回(第三回から続く話だったか)のエンディングアニメによく表れている。この回だけエンディングアニメが違うのである。悲惨な状況の中で生まれ成長し悪魔のような殺し屋となったヘンゼルとグレーテル「姉妹」(実は去勢され、大人のおもちゃとして扱われてきた少年たちか。)の話だけ、その生と死を悼むかのようなエンディングアニメになっているのである。どうしても、そうしなければならないと思った監督の気持ちがよく理解できる。純文学や哲学などが扱わない、「世界そのものの苦悩」をエンタテイメントとされているアニメが描いている。
(以下引用)
「ブラックラグーン」「この世界の片隅に」が共に片渕須直監督作品なことへのファンの感想と関係者(含む監督本人)の反応
まとめ
- ケースワベ:1日目東M16a @KSUWABE
元ゲーム会社グラフィックデザイナー。現在はフリーランスでイラストやゲーム関係のお仕事をしています。ご依頼はメールにてお願いします。絵やメタルのつぶやきが多いです。pixiv:https://t.co/FiAiXmWPBm mail:s_kei★https://t.co/UnFDjHr1FQ ★を@に変更してください。
https://t.co/4tx6z0rl2k - ケースワベ:1日目東M16a @KSUWABE 2016-12-01 00:44:25ロアナプラの片隅に | ケースワベ【K-SUWABE】 #pixiv pixiv.net/member_illust.… pic.twitter.com/OzdYNAsozS
- わこ:サチコと神ねこ様コミックス発売中 @wako3999
pouchで「サチコと神ねこ様」、スピンオフでacaiaとのコラボ「木下くんとクロ」連載中。 まとめブログさんhttps://t.co/ZJ3RwkzgtR #福島酪王カフェオレ会 会長。wako4038@gmail.com
https://t.co/AuKr8LYr3v - わこ:サチコと神ねこ様コミックス発売中 @wako3999 2016-12-04 20:43:16私「雰囲気と内容はベツモンだけどこの監督の描きたいとこはブレてないなぁみたいな感じある気がする」 母「女のな」 私「そう」 母「すずさんも最後の方ほら、こんなん」 私「いた?そんなレヴィみたいなすずさんいた?」 母「レヴィちゃん良い子よ人殺せるだけで」 私「その差はでけぇよ」
- 片渕須直 この世界の片隅に 上映中 @katabuchi_sunao
アニメーション映画監督 『アリーテ姫』 『マイマイ新子と千年の魔法』 『花は咲くアニメ版』 『これから先、何度あなたと。』https://t.co/rUw0OW490V 『この世界の片隅に』https://t.co/qvVHr5KZDD
https://t.co/SAvDhWvX7R - かば吉 @kabakabakababa 2016-12-05 14:52:37>RT すずさんとレヴィって実は髪型が似てて、すずさんが心をやんでる時コンテ絵を描いてると どんどんレヴィ似になってくるので監督に「やめて」言われた。 pic.twitter.com/IB58B9NNN3
- gryphonjapan @gryphonjapan 2016-12-05 16:23:42togetter.com/li/1056230 用資料 そもそも「ブラックラグーン」と「この世界の片隅に」が同じ監督なわけです。 貯金ゼロ目前、食費は1日100円……苦境極まった片渕須直監督『この世界の片隅に』は、どう完成したか cyzo.com/2016/11/post_3…
- gryphonjapan @gryphonjapan 2016-12-05 16:27:49togetter.com/li/1056230 資料に そして、「この世界の片隅に」は片渕監督にとって特別なものですが、同時にブラックラグーンも、「自分がやりたいと思っていたものにうまくハマった」きわめて大事な作品のようです。 cyzo.com/2016/11/post_3…
http://www.cyzo.com/2016/11/post_30196_entry_4.html
──正直なところ、監督の才能と実績であれば、放っておいても仕事は次々と来るでしょう。なのに、あえて苦労して貯金を削ってまで、自分の作りたい作品のほうを選んだわけです。あらゆるジャンルのものづくりにおいて、お金選ぶか、自分の作品を選ぶかは究極的な選択だと思います。監督が、苦労してまで自分の作品をつくるほうを選んだのはなぜでしょうか。
片渕 確かに、仕事は来ます。でも「そこに身を委ねていていいのか」と考えます。こういうマンガがすごく有名で読まれているから、アニメーションにしましょうという話が舞い込んできたときに、乗れたのは『BLACK LAGOON』だけでした。
『BLACK LAGOON』の前に『アリーテ姫』で<自己実現とは何か>を問いました。『アリーテ姫』では「こうやってやれば、自己実現のために自分を奮い立たせるための根拠を見つけることができる」ことを描きました。
けれども、世の中には自己実現をしようとしても、全然違う、例えば犯罪者への道を歩んでしまう人生だってあるわけです。戦争の中では自己実現も何もないわけじゃないですか。
そういった意味合いを手がけておかなくては、その先には進めないと思ったときに、目の前に現れたのが『BLACK LAGOON』だったのです。
その制作を通り過ぎてようやく描けたのが『マイマイ新子と千年の魔法』の子どもたちの世界だったのです。それは『この世界の片隅に』に直結していくわけです。
だから、自分がこの瞬間にこういう作品やりたいと思ったときに、うまくハマるような企画の提示があるのならば、よそから提示されたものにのっかるのはやぶさかではありません。
けれど『この世界の片隅に』は、よそから提示はされていない、本当に自分が今までやりたいといってきたものです。だから、完成に至らなければ、自分がやりたいものは、やれないままになってしまうと、意地のようなものが芽生えました。